『8年越しのモルスカ論』 |
***序論に進まれる前に*** ・本論文はSeason8のネタばれを多分に含んでいます。アンチ・ネタばれ派の方は、お読みにならないようお願い申し上げます。 ・本論文は筆者akkoの妄想の延長上にあるものであり、クリス・カーター氏を始めとする多くの製作者、関係団体の権利を侵害するものではありません。 ・本論文はSeason8のラストを快く受け止めている方にとって、気分を害する表現を含む場合があります。 以上のことを踏まえた上で、序論にお進み下さい。 〜序 論〜 「今までひとつの可能性を恐れてきたけど、僕らの中の真実はたった一つだよ。」 「それって一体・・・?」 2002年2月8日、日本において“The X-Files”第8シーズン(以降S8)のシーズンフィナーレとなる「誕生」二部作がレンタル開始となった。思うとこの8年目作品、多くの点において、それまでのXFとの間に特異な要素を含んでいた。スカリーの妊娠、モルダーのアブダクト、新キャラ・ドゲットの登場――――しかし何より異質なのは、作品全体にメロドラマのような匂いが漂い始めたことである。これはファンにとっては由々しき事態だと言える。そもそも我々は、“超常現象をモチーフとしたGメンドラマ”のファンだったのであり、 “Gメン二人組みの愛の軌跡”を観ていたわけではないのだ。 そのような、いささか不愉快ともいえる展開の中で、上記「誕生」ラストシーンのモルダーとスカリーの台詞は、ファンに止めを刺すことになった。この直後二人はスカリーの赤ん坊ウィリアムを挟んで唇と抱擁を交わすのだが、それは「メメント・モリ」「トライアングル」「ミレニアム」などに見られた、いたわりや挨拶代わりものとは明らかに異なり、あからさまな“愛情表現”ととることのできる、親密で想いのこもったものであった。つまり、ここでモルダーが口にした“真実”とは、XFのメインテーマである、エイリアンにかかわる政府の陰謀のことではなく、二人が今まで意識すまいと心に決めていた、お互いへの性的な愛情を示しているのだ。 この妙に甘ったるいラストシーンに理不尽にも怒りを覚えたのは、一人、筆者だけではなかったと確信している。確かに我々はシリーズ開始当初、それを望んでいた。二人の固いパートナーシップを見せつけられる度に、もう一歩踏み込んだ関係になる様を妄想し、Fanfictionを書き、それを片っ端から読破した。しかしそれも、二人がクールなGメンいればこそ成立する楽しみなのだ。いつでもどこでも一線を引いた、緊張感のある関係にじれったさを感じながらも、そのストイックさを我々は楽しみの糧としていたはずなのだ。筆者が今ここに記していることは、あまりにも我侭なファン心理であるということは判っている。しかし、それもで敢えて言おう。我々は、こんなラストは望んでいなかった。 しかし、それでも我々はこれを受け入れなければならない。たとえどれほど不愉快なものであっても、それはすでに製作され、放映までされてしまっているからだ。放映されてしまった以上、このラストはクリス・カーター御大によって明らかにされた「X-Files 正伝」として位置付けられることになる。それを、我々のような“外野”が今更不平を並べたところで、覆ったりするはずはないのだ。 だが、憤ると同時に、このラストシーンにひとつの存在意義を見出すことができるのも、また事実だ。それは、「良くも悪くも、モルダーとスカリーの関係に決着をつけている」ということだ。このこと自体は大いに評価すべき点だといえるだろう。 “仕事上のパートナー”という、何ともあいまいな関係で引っ張れるだけ引っ張って早8年、今ではそれは、XFのサブテーマといってもいい問題である。つまり、「仕事の絆で結ばれた男と女は、性的に愛し合うことができるのか」。 それまでにあったような関係のまま二人を放置して、この問題を置き去りにするのは、二人を妙にべたべたな関係にして終了させるよりも、なお許されないことだ。それ故筆者は、この二人が最終的に結ばれたのは、ファンに対する単なる点数稼ぎではなく、カーター氏なりに出した、この問題に対する回答の結果である、と考えている。 本論ではその信条の下、二人が結ばれるまでの心境に必然性を持たせることで、この8年越しのテーマにカーター氏がどのような審判を下したのかを導き出したいと思う。できる限り私情に溺れることなく論文を進めたいとは思うが、どうしても捨てきれないファン心理が時に露になることもあるだろう。その場合は、何卒広い心で読み砕いていただくことをお願いしたい。本論はあくまでも筆者の妄想の延長にあるものであり、決して学術論文の類ではないことは、改めてここに言い含めておく。 第一章 アプローチ@ パートナーからの開放 先にも述べた通り、二人は“仕事のパートナー”であった。その関係はドライにしてタイト、長い拘束時間を二人きりで過ごさなくてはならないが、仕事に支障をきたす恐れがあるので、そこに私情を挟むわけにはいかない。給料をもらって働いている以上、“お互いを理解しあう”という心の交流も、潤滑に捜査を進めるための“作業”に他ならない状態だ。 普通であればこのような関係は、どちらかが転属にでもなってコンビ解消となれば消滅してしまうものだろう。FBIに限らず、組織社会において、その特有の力学に逆らって我を通せる機会など皆無といっていい。上層部の命令ひとつでとり変わる相棒の一人一人に未練を残していては仕事にならない。社会人であれば、そのあたりの心の切り替えは身につけていてしかるべきである。 しかし、モルダーとスカリーはそうならなかった。二人はコンビ解消されてなお強い絆で結ばれ、更なる陰謀に立ち向かう。それはこの時点において、二人の間に“仕事の信頼”以上の何かがあったと考えられる。できればここで、それはお互いに対する好意であると断言したいところだが、そういうわけにも行かないのがモルスカだ。確かに二人は、互いのためには命も辞さないほど惹かれ合ってはいる。それば、モルダーが男でスカリーが女だからこそ成立する感情であることにも疑いの余地はない。だが、そんな想いの根底にあるのはあくまでも“仕事”であり“パートナーシップ”なのだ。二人が時に命を賭して任務に当たるために(=社会に対する義務を遂行するために)、異なる人格を擦り合わせるように築き上げた信頼は、その間に好意を芽生えさせたが、同時に、一般的な男女の感情の入り込む隙間も排除してしまった。 二人は愛し合ってはいるが、“パートナー”というコネクターでの結びつきがあまりにも強すぎるため、“仕事”というフィルターを通してでしか、愛し合うことができなかったのだ。 ところが、S8にて事件は起こる。二人の名実に渡るコンビ解消だ。今までもコンビ解消の危機は数回あったが、今回のそれは今までのとは明らかに質を異としている。まず第一に、スカリーには信頼しあえるパートナーが既にいるということ、そして第二に、モルダーがFBIそのものを辞職してしまっているということだ。それまでのものは、組織的には解消となっていても、二人の“コンビ意識”まで消し去ることはできなかった。それは、Xファイル課という特殊な部門を担当している二人が、「おそらく一時的なものだろう」という希望的推測で結ばれつづけていたからだ。事実二人は、別のパートナーをあてがわれても、彼らと積極的に交わることもなく、“元パートナー”であったお互いをより信頼して任務に当たっていた。(社会人として不適切な行動であることは、敢えて言うまでもないだろう。) しかし今回のコンビ解消は決定的である。スカリーとドゲットは信頼し合っているし、その確立期にはモルダーの時と同様の「異なる人格のすり合わせ」が成されていた。その結果得られたパートナーシップによる捜査手腕は、モルダーと組んでいた時に勝るとも劣らない。つまりスカリーにとって、“仕事上のパートナー”としてのモルダーは既に必要ではない存在なのだ。 モルダーの場合はなお徹底している。スカリーとコンビを組もうにも、彼は既にFBI捜査官ですらないのだ。彼が辞職したのはあくまでも油田での事故の責任を取るためである。しかし結果的に彼は、スカリーとの“パートナー”という絆、二人の好意の大前提である“仕事”というフィルターを自ら捨て去ったことになる。仕事のパートナーとして共にある必要を失ってしまったモルダーとスカリー。二人の8年にわたる捜査官としての関係は、ここに完全な形でピリオドが打たれた。 それは言い換えれば、“パートナー”というしがらみからの解放と言うことができる。一緒にいる必然性を失い、今あるお互いの関係をじっくり見直した時、それまでフィルターを通して僅かに意識していた“好意”が、よりどころを失って浮遊していることに気付く。始めのうちは、共に闘ってきた8年という歳月によって意識の深部を漂うがままにさせ、お互いに好意のみが生き残ってしまったことに“気がつかない”ようにしていた。が、次第に、もう“仕事仲間”ではないのだから任務に支障をきたすことを恐れなくてもいいことに思いが至る。その時、フィルターを失ってもなお断ち切ることのできなかった絆の強さ、想いの深さを意識し、一般的な男女のものとは異なれど、性的にも惹かれあっていたこと、そしてそれもまた、ひとつの愛の形であったことに気がついたのではないのだろうか。 二人はその結果「たった一つの真実」を受け入れることになる。ファンにとっては腹立たしい結果とはいえ、場面そのものの美しさだけは否定しようのない“真実”であった。 第二章 アプローチA 生まれ変わった二人 前章でも述べた通り、モルダーとスカリーは“仕事仲間”として出会い、“仕事の都合上”信頼を深め合った。結果、二人は強い絆を勝ち得たが、代償として、一般の男女の感情を排除せざるを得なかった。 この二人に限らず、他人とどのような関係になるかにおいて、“出会い方”は重要なファクターになる。人生のどの時期に、どんな環境、どんな立場で出会うかによって、同じ人間とでも全く違う関係になってしまうことも有り得る。この二人からして、仕事以外の部分で出会っていたら、まず友情も信頼も生まれていないはずだ。“仕事の都合”があったからこそ、二人はぶつかり合いながらも友情を育てることができたのだ。(二人の性格がそれほどまで相容れぬものであったことは、改めて説明する必要もないだろう) さて、一度“仕事のパートナー”として出会ってしまった二人。前述した通り、彼らは性的に好意を寄せていながらも、“パートナー”というしがらみから、それを露にするのを無意識のうちに己らに固く禁じ続けている。 “パートナー”としての出会いは、お互いに別の性的対象が出現すれば、それなりに嫉妬する程度に深い想いを持たせながらも、決して相手を自分に属させないという暗黙の掟を確立させてしまった。 そんな彼らの関係は一体いつまで続くのか。無論、二人が(もしくはどちらか片方が)死ぬまでである。 この二人に、別の性的対象が現れた時のことを振り返ってみれば、それが理解できるだろう。思い起こしてみる限り、彼らはその都度戸惑い、困惑し、感情の乱れを隠すこともできずにいた。それは、心のどこかで自分が相手の“オンリー・ワン”だという意識があったからである。性的パートナーでこそないが、自分が相手の心の大部分を占めているということに疑いを持っていない状態。二人は、相手を自分に所属させる代わりに、このような擬似的恋愛感情とも言えるものに、満足を見出していたのだ。そこには「相手の心を独占していたい。でも、性的パートナーにはなりたくない」という、二人の強い願望が見て取れる。これは、一見矛盾しているように思われるが、少なくとも、彼らの中ではつじつまがあって共存している願望だ。事実二人とも、相手に別の異性の影が差して、その擬似恋愛に危機が迫った時でさえ、相手を自分の手中の収めようとはしなかった。パートナーとしての出会いは、二人をこのような擬似的関係に満足をもって安定させ、他の異性の侵入すら許さなくしてしまった。この二人は、生まれ変わりでもしない限り、まともな恋愛などできはしなかっただろう。例えそれが、お互い以外の誰が相手であっても。 ところが都合のいいことに、この二人、S8にて生まれ変わることができたのだ。 まずはモルダーだが、彼はS8中盤にて文字通り一度死に、埋葬までされている。そしてスカリーはというと、同シーズンにて妊娠・出産を経験している。これは彼女にとって、“女としての新たなる誕生”を意味するものだ。周知の通り、彼女は一度不妊を告知されているが、女にとってそれは自分自身の「死亡通知」を読んでいるにも等しいことだからだ。このような、常人ではまず体験し得ない「自己再生」を果たした二人の中に、それまでとは違う人生観が宿ったと考えるのは容易なことである。一度捨てた命を辛くも拾い上げられたモルダー。女として母として、改めて人生をスタートさせるチャンスに恵まれたスカリー。 人生を、孤独な戦いに費やすばかりではなく、誰かと共に歩む必要性をもあるという想いが二人の間に芽生え、そしてその芽生えの時に、二人は改めて“出会う”ことができたのではないのだろうか。 今度は仕事のパートナーとしてではなく、人生の伴走者として。 ラストシーンの、二人の間に挟まれた赤ん坊ウィリアムは、そんな二人の「生まれ変わり」「自己再生」の象徴だということもできる。 第三章 カーター氏による結論 まず、前章まで挙げてきた二人の心境の変化をここにまとめてみる。 @ パートナーとしての互いの必要を失った後、性的感情だけが生き残り、それを受け入れた(もしくはしぶしぶ受け入れた)。 A 自己再生を体験し、人生観が変化し、「誰かと共に生きたい」という欲求が生まれた時に改めて出会い、愛情が生まれた。 カーター氏は自らが創造したモルダーとスカリーという男と女を、以上のような経過を経て結ばせた。それにより、氏は自らが投げかけた「仕事の絆で結ばれた男と女は性的に愛し合えるか」という問いに、否定的な結論を出した、と筆者は考える。上記の通り、カーター氏は二人を結ばせるのに「“仕事”というフィルターを除去した後、改めて出会わせる」という、ファンからすれば姑息ともいえる手段に訴えている。そうまでして氏が二人を結ばせたのはなぜか。おそらく、そのような面倒な経過を経て二人を結ばせることで、一度仕事で結ばれた男女を一般的な関係にするには、それまであった関係を徹底的に排除する必要があることを表現するためである。 “仕事”を通じて既に結ばれていた二人を、このような形で改めて結ばせることに、“超常現象をモチーフにしたGメンドラマ”のファンであった我々が必然性を見出すことは極めて困難だ。しかし、カーター氏の結論であるところの二人の決着を受け入れざるを得ない以上、この決着には、「カーター氏によるサブテーマの答えがある」として、必要性を認めなければならない。 一度、仕事の絆で結ばれた男と女は性的に愛し合うことはできない。それを表現する過程に、ファンである我々は違和感を禁じ得ない。また、結論のためとはいえ、モルダーとスカリーを安易に結びつけたことそのものに対する怒りを収める術もない。でも、この“男と女の友情”と並ぶ異性間の永遠のテーマから逃げ出すことなく結論を出したことだけは評価したい、と筆者は思う。 モルダーとスカリーの8年越しのパートナーシップは、カーター氏の以上のような結論の下、幕を閉じた。それにより、より人間らしい生き方を授かった彼らを祝福する気分には今のところなれそうにはないが、二人の“真実”との不毛な戦いに費やしてきた8年を考えると、この程度の余禄は与えてやってもいいのでは、という思いに至るのも、また真実である。 今後のモルダーとスカリー〜終章に替えて〜 第8シーズン・フィナーレにおいて結ばれたモルダーとスカリーだが、今後、どのような関係へと発展していくのだろうか。 筆者としては、この直後、二人が突然食堂と寝室を共にするような関係になったとは思っていない。その理由は、二人の間に挟まれた赤ん坊ウィリアムの中にある。 スカリーはシーズン中、その出産を妨害しようとする多くの勢力と闘いながら、新しい命をこの世に送り出した。しかし、その父親は勿論のこと、受胎にいきさつに至るまで、今だ謎のままである。 つまり、彼女の息子ウィリアムは、二人の「自己再生」の象徴である以上に、XFのメインテーマ「政府の陰謀にかかわる真実」の象徴なのだ。そう、二人の関係にこそ決着はついたが、作中にちりばめられた多くの謎は、何一つ解決しないまま残っているのだ。 モルダーにしてもスカリーにしても、自分たちの人生を変えてしまったこの陰謀の全てに決着がつくまで、並みの人生は望まないのではないのだろうか。二人は、全貌とまではいかないまでも、それらの一部を見知っている。ストーリーの流れからいっても、そんな二人が8年の歳月と並みの人生とを安々と引き換えにするとは思えない。二人が食卓を共にするようになるにはXFのメインテーマの解決、すなわち放送終了を待つ必要があるように思われる。 しかし、この推測には筆者の願望が多分に入っていることを否定できない。何度も述べた通り、筆者はこの二人が迎えたラストを望んでもいなければ歓迎もしていない。(筆者がこの二人にどのような決着を望んでいたかのかは、拙作のFanfiction『最終回前夜』を参照されたい)。幸か不幸か、第9シーズンではモルダーが降板しているので、同じ食卓を囲み、同じ臥所に身を置くモルスカが放映されることは有り得ない。しかしスカリーの言葉をして、二人の関係を表現することは充分可能である。本国アメリカではもうじき放送終了となるが、スカリーから二人の関係が言及される必要が脚本上生じた場合、我々ファンが望んでいるのが、二人の“パートナーシップ”であるということを、脚本家及びカーター氏には改めて認識してもらいたいものである。 ・・・ご精読、ありがとうございました。 最後は何だがまとまりのない論文になってしまいましたが、この場にて発表させていただいたことを光栄に思います。 管理者ひよ嬢に心からの感謝を、そしてPihlesにささやかな安息を・・・ |