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享楽の欠片

「もう、出ていって!」
「うへー、怖い怖い。仰せの通り、退散しますよっ……と」
 開けっ放しの窓からバルコニーへ、踊るように出ていった身体が、あっというまに見えなくなる。飛び降りたのか、どこかへ飛び移ったのか……もしかすると屋根に上がったのかもしれない。……まるで獣。
 無人となったバルコニーの向こうには夕焼け空。禍々しい紅色は、せっかく追い払ったあの男を思わせる。
 早く夜になればいい、今日なんてさっさと終わってしまえばいい――窓を閉めて鍵をかけ、不快な光景に背を向けた。
 静寂を取り戻した自分の部屋を見渡して、大きく息を吐く。
 怒鳴ったからか、喉が渇いた。長椅子に戻って円卓の上の紅茶茶碗を取り、褐色の冷めた液体を一息に飲みくだす。
 苦い……――片頬がくいっと持ちあがった。
 こんなに苦くしてしまったのは、あの男のせいだった。アイツがくだらない話で気を散らすから、飲み頃を誤ってしまったのだ。葉は悪くなかったのに。
「あの、馬鹿男」
 思わず吐き捨ててから、慌ててまわりに誰もいないことを確かめた。
 やることなすこと野暮で品のないあの男。アイツといると、私の振る舞いまでおかしくなる。下品は感染るものらしい。
 ……大丈夫。今日は使用人達を遠ざけてある。こちらから呼ばない限り誰も来ないし、来たりしたら……。
「……半殺しにしてやるんだから」
 以前なら思いつかなかったような文言を、小声で呟いてみた。少しだけ胸がすっとした。
 茶碗を受け皿に戻し、ついでにもうひとつの器を覗くと、空になっていた。
 そういえばあの男は立ちあがる直前、これを粗野な仕草で呷っていた。
 こんなものでも残さず飲んでいくなんて……。
「味のわからない男ね」
 呟いてから、自分も同じことをしたばかりだと気づいた。
「……野暮って感染るわ」
 ずかずかと寝台に歩み寄り、勢いよく身を投げ出した。

 ジーンと名乗った下賤の男。
 アイツはある日、突然、私の目の前に現れて、お母様の怖ろしい企みを明かした。
 カインの暗殺を自分達が請け負ったと明言し、阻止したいか否かを聞いてきた。
 阻止したいなら力になるとも言ってきた。――ただし有償で。
 要求は金品に留まらず、肉体的な関係にまで及んだけれど、私は首を縦に振るしかなかった。
 断ったりすれば、あの卑劣な男は同じ話をお姉さまにもちかけたかもしれないし、私はその結果を見届けることなく殺されていたかもしれない。アイツの問いは、実のところ脅迫以外のなにものでもなかった。
 以来、アイツは私の陰の協力者を気取っている。表向き平穏な日々が続く王宮で、私の生活を滅茶苦茶に掻き乱しながら。

 空の色が静かな闇色に変わっても、身体の奥はぐらぐらと煮えたままだった。
 食欲などまるでわかなくて、部屋に運ばせた夕食は、ほとんど手をつけずに下げさせた。
 眠ってしまえば楽になるかと思って、早々に寝支度を調えたけれど、横になっても気持ちが静まらない。時折、酷く息苦しくなって、意味もなく泣きたくなる。そうしているうちに、目は闇に慣れてしまった。
 会わなければ良かった――頭まで被った掛布の隙間から、夜の窓辺を睨みつける。
 あんな男とお茶なんかしたから、こんなに苛々しているんだわ――胸を掻きむしるように服の生地を握りしめて、深く息を吐く。寝返りをうって窓に背を向けた。
 あんなやつとお茶なんかしたから……――でもなにがきっかけだったのか思い出せない。
 ジーンはいつもおかしなことを言って苛立たせてくれるから、きっと今日もそうだったのだと思うけれど……私、なにが嫌だったのかしら?
 わからないけど、話しているうちにだんだん苛々してきた。それだけははっきりしている。
 あの男の顔を見ていると不愉快で、二人きりでいることに苦痛を感じはじめて……だから、追いだした……。
 ぼんやりと自分の指先を眺める。
 なんの気なしに指先同士を摺り合わせると、全身がぞわぞわして、思わずぎゅっと手を握りしめた。
 あの男、なにもしていかなかった……せっかく、会うのに都合の良い日を教えておいたのに――握った手に、さらに力がこもる。
 今日はお父様もお母様も兄様も忙しくなると、以前からわかっていた。だから私は人と会う予定をわざとつくらず、ジーンには、用件があるならこの日にしてほしいと伝えておいた。
 特別な含みがあったわけではない。アイツと会っているところを人に見られたくないから、静かな環境を整えておいただけ。決して、なにかを期待して誘ったわけではない。
 それに私は、結局アイツを追いだした。誘ってなんかいないし、なにかされたかったわけでもない。
 ……だからって、なんで帰っちゃうのよ? どうでもいいときは図々しく居座って好き勝手に振る舞うくせに……!
 肌が触れあう光景が、脳裏で明滅する。
 色欲混じりの荒い呼吸音が、耳の奥でこだまする。
 こんなのはおかしい。なにか酷く汚らわしい塊が、身体の奥から染み出てくる。押さえきれない。胸が苦しい。
 掛布をはねのけて起きあがり、枕に拳を叩きつけた。
 背中を丸め、両の乳房を掻き抱いた。
 ……と、窓の方でコツコツと硬い音が聞こえた。

 苛々が、熱をもったまま凍りついた。
 夜、窓から訪ねてくるような無礼者には、一人しか心当たりがない。それにあれは、アイツが来るたびに聞いた音。
 なぜ戻ってきたの、こんなときに……――うずくまったまま、奥歯を噛みしめた。
 絶対に開けられない。招き入れたくない。
 会えば見破られる。私の中で膨らみはじめた汚れた塊を暴かれる。そんなのは絶対に嫌。
 コツコツと、再び窓が鳴った。
 天蓋からの垂れ幕は支柱にまとめたままだから、こちらの様子は窓側から丸見え。私が起きていると、たぶんジーンはわかっている。無視を決めこんでは、あとで面倒なことになるかもしれない。
 否、とっくに面倒なことになってるわ……――わずかに頭を傾け、外へと目を向ければ、暗がりに人影らしきものが見てとれた。
 本当に大事な用事があるのかもしれないし、今日という日を指定したのは私。
 だけどもう遅い時間。今さら戻ってこられても困る。明日にしてほしい。
「帰って……放っておいてよ……」
 敷布に顔を埋めて呻いた。
 窓の向こう側には絶対に届かない願い。届いたとしても、きっとアイツはまったく気にかけない。
 少しでも分の良い願い方があるとすれば、気紛れを祈ることくらい。アイツがさっさと諦めて立ち去ってくれるようにと……。
 カチリと金具が音をたてて、わずかな望みも消え失せた。
 次いで窓が軋む。うなじを引っ掻かれているような気にさせる、嫌な音だった。
 足音はしない。でも空気は動いている。間違いなく、ジーンはこちらに歩いてきている。
「……なにしに戻ってきたのよ?」
「アンタの様子、見にきただけ。相変わらずえっれー機嫌悪そうじゃん?」
 顔を伏せたまま問いかければ、すぐに返事があった。予想していた以上に声が近い。ほとんど真上から降ってきた。
「……疲れてるの。これといって用がないなら、帰って」
「冷たいねー。なぁに怒ってンだよ?」
「アナタには関係ないわよ。放っておいてったら」
「ふーん?」
 あからさまな生返事に苛立つ。だけど不満を口に出せない。自分の言動の曖昧さを……支離滅裂ぶりを嘲笑われたように思えて、気持ちがくじけてしまう。
 ジーンは、頼めば素直に放っておいてくれるような男ではない。
 本当に放っておかれたいなら、今すぐに人を呼ぶか、人気のある場所へ逃げなければいけない。
 なのに私は身じろぎひとつせず、ただ無防備な背中を晒している。なにかされやしないかと、はらはらしながら。
 ……本当は、なにかされることこそを期待している。守るように腕に抱えた両胸だって、アイツに触られた方がしっくりくる。
 だけど触ってくださいと差し出すなんてできない。この傍若無人な無礼者に、そんなことは絶対に絶対にできない。
「……ま、それじゃ寝つけねぇだろ? 手伝ってやるよ」
「え……」
 不穏な言葉に顔を上げようとしたら、寝台がわずかに傾いだ。直後、身体を仰向けに返され、両腕を頭上で押さえつけられた。
 片方の胸が寝間着の上から、がっしりとした手に覆われる。弄ぶように握られたと思ったら、頂の場所を探りあてられていた。
 甘痒い感覚が溢れだす。悲鳴を呑みこみ、無表情を繕った。
 青みを帯びた灰色の、濃淡だけで形作られた世界。すぐ目の前には、だらしなくはだけた胸元。
 少し上へと視線を移せば、下卑た光を宿す双眸とぶつかった。
 薄闇の中で、その一対だけは血の色を思わせる。射竦められまいと気持ちを奮いたたせ、睨みかえした。
「……なにが手伝いよ。なんのことかわからないわ」
「へえ?」
「……結局、戻ってきた目的はこれ?」
「だから言ったじゃん。アンタの様子、見にきたって」
「意味がわから……っ……」
 白布の頭が急に沈んで、もう一方の頂までが疼きはじめる。
 声は殺せても、呼吸の震えまでは押さえられない。――ジーンが気づかないはずがない。悔しい。
 ああ、だけど……――張りつめていたものが突然ぷつりと切れた。
 これなら、私がこの先どうなっても、全部ジーンのせいだわ。
 私が望んではじまることじゃない。ジーンがなにか勘違いして仕掛けてきて、私はそれに応じているだけ。……汚れた塊、暴かれずに済んだのかもしれない。
「……ところでさ」
 不意にジーンが顔を上げ、扉の方を向いた。
「あっち鍵かかってンの?」
「……かかってない……」
 完全に失念していた。前置きなしに開けられたりはしないとしても、危険なのは間違いない。
「脱いでな」
 そう言い置いて、ジーンは寝台を降り、扉へと歩いていく。
 その後ろ姿を視界の隅に収めたまま、のろのろと起きあがり、寝間着に手をかけた。
 ……火照りが頭にまでまわっている。危うく素直に脱いでしまうところだった。
 ジーンは扉の前で中腰になっている。ほどなくして施錠の音が小さく響いた。まるでちゃんと鍵を使ったかのような手際の良さだった。
 戻ってくると、ジーンは両腕の覆いを外しはじめる。
「着たままがいいってンならいーけど?」
 揶揄の言葉に黙って首を振り、自分の服に改めて手をかけた。

 肌が剥き出しになっていくことが、さほど嫌ではなかった。
 私を組み敷くジーンが、黒衣を纏ったままなのを不満に思った。
 両胸の先端を直に嬲られる。交互に啄まれる。
 胸からお腹、足へ向かって撫でつけられる。
 無意識のうちに片膝を立てていた。
 ジーンの指が腿の内側を這いあがってきて、いつものように熱を解しはじめる。
 馴染みの感覚が全身に染みわたって、頭の芯まで酔わされていく。
 ずっと持て余していた苛々が、いとも簡単に溶かされていく。……そんな最中、
「……あン?」
ジーンは訝しげな声をあげ、上体を起こした。

 何事かと目を開き、同時に自分でも違和感に気づいた。
 甘く疼く足の間、その表面。渇きとは無縁の滑らかさで、無骨な指が這いまわっている。……と、唐突にぐいっと足を開かれた。
 無神経な馬鹿男――手触りだけでなく、目で見て確かめたいらしい。抗うには遅すぎた。
「ありゃー、すっげーことになっちゃってるじゃん? こりゃあちょっと早いんじゃねーの?」
 ジーンの言葉に肩を震わせたそばから、ひんやりしたものが涙のように、お尻の方へと伝い落ちていく。好奇のまなざしから顔を背けた。
 言われるまでもなく、こんなの早すぎる。まだはじまったばかり……なのにもう溢れているなんて。
「ヤりてぇのを我慢してたとか?」
「馬鹿なこと言わないで! ぜんぜんそんなんじゃないわよ!」
「んじゃこれはなんなんだっての。……あ、もう自分ではじめちゃってたんだ?」
 言われたことの意味はわからないけれど、きっと侮辱された。
 ますます坩堝を覗きこもうとするジーンを、半ば蹴飛ばすようにして飛び起きる。
 そのまま頬めがけて平手を振るう。……目標を打つ寸前で掴まれ、ジーンの口元へ引きよせられた。
 人差し指が生暖かく湿った空気に包まれて、ざらざらした柔らかいものに絡まれる。
 振り解こうにも、ジーンがいつになく真剣な顔でこちらを見ていて動けない。
「……ってわけでもねーんだなぁ。ふーん」
 指の一本一本を口に含んだ末に、ジーンはそんなことを呟いた。
 肝心なことはわからないまま、『自分で始めちゃってた』か否かを調べられたのだと理解した。
「馬鹿なことばっかり、言わないでよね……」
 濡れた手を振るいながら抗議するけれど、醜態を晒したあとでは強腰になんてなれない。
 ジーンの満足そうな笑みが癪に障って俯いた。直後、不可解な言葉が降ってきた。
「ま、効果はあったってことだな」
 ……効果? ――ゆっくりと目線を上げれば、ジーンはくつくつと肩を揺らしている。
「怒り上戸ねぇ……わかりにくいっつーか、アンタらしいっつーか」
「待ちなさいよ……アナタ、私になにかしたの?」
「なにかってほどでもねーけど」
 そう言って、ジーンは懐から袋を取り出した。
 飾り気のない、口を紐で縛っただけの布袋。中でざらざらと小石がぶつかりあうような音がする。
 その中からジーンが摘み出したのは、砂糖菓子のような小さな欠片だった。
「なんだか知ってるか?」
 首を振って、問いかえすようにジーンを見上げた。
「こいつぁな、飲むとヤりたくてたまんなくなるって薬だ。このままでも喰えるが、普通はなにかに溶かして飲む」
「まさかそれ……私に飲ませたの? いつのまに……」
 疑問は口にしたそばから解けていく。
 すでに下げさせた、濃すぎてやたらと苦かったお茶。私が薬の味に気づかないように、ジーンはわざと加減を間違えさせたに違いない。
「……ジーン」
「いやぁでもこれ、今、流行ってるらしいぜ? アンタのアニサマも、ご愛用してんじゃ……」
「兄様を侮辱しないで!」
「へいへい。するってーとアンタは、アニサマですら使わねえモン飲んで、やる気満々になっちまったってぇワケね」
「……っ」
「しかも我慢しきれなくなって八つ当たり? もーちょっと素直になった方が、人生楽しめるんじゃねぇの?」
「おかしなこと言わないで! だいたいアナタが勝手に飲ませたんじゃない!」
「で、今はヤる気満々なんだろ?」
 言葉が出ない。かわりに、身体の底が強く疼いて、偽りない答えを叫ぶ。
 なにもかも暴かれた――敗北を確信すると同時に押し倒された。
 無遠慮に差し入れられる指を、私の身体は容易く受け入れる。
 体内でうねるそれに、全身が呼応しはじめる。
 淫靡な熱が胸一杯に広がって、声を殺すことさえ諦めた。
 汚れた塊――苛立ちの原因、さもしい願望。それは、もともと隠し通せるものではなかった。
 ジーンのせいだった。最初からなにもかも、全部。
「……飲ませといてナンだけど、あれそんなに効いたか?」
 不意にジーンが顔を近づけてきて囁いた。
「オレも飲んだことあるんだよねえ。っつーかさっきも飲んでるし。けどなあ……」
 足の間で甘い熱が膨れあがる。
 一度、引き抜かれ、今度はゆっくりと。
 圧迫感が増したから、きっと指の数を増やされている。
 すべてが入りきるまでに、何度も途切れ途切れの声を漏らした。
「……元気になるっちゃなるけど、ヤらなきゃなんねえって感じじゃねえ。酒場で馬鹿騒ぎしたっていいし、喧嘩売ってくるヤツがいりゃあ、いつもより手間かけて遊んでやるのも悪くねえ」
 悪趣味――そう言ってやりたかったけれど、開いた口から零れるのはあられもない声ばかり。言葉を紡ぐゆとりがない。
 内側から、外側から、じわじわと責められて目が眩む。
「でもま、その程度なんだよな。アンタみたいに、こんなんなりゃしねえ」
 敏感な場所をいきなり押しつぶされ、悲鳴をあげて仰け反った。
 今の……どのくらい外に聞こえてしまったかしら? ――不安になってジーンの表情を確かめて、動じた様子がないことに安堵した。誰かが近づいてくれば、耳聡いこの男はさっさと私の口を塞ぐから。
「いろいろ教える前だったら今とは違う反応してたかもなあ」
 ジーンは少し上体を浮かせながら、くだらないことを感慨深げに呟いた。
 脇に放り出したままの布袋から欠片をひとつ取り出して、食べろと言わんばかりに私の口元に突きつけてくる。
 唇を引き結んで睨みかえせば、ジーンはふっと笑ってそれを自分の口に投げ入れた。ぼりぼりと噛み砕く音が続く。
 あんな不浄な薬をああもあっさり口にするなんて――とんでもない男だと改めて思い、同時に悔しくなった。
 私はあれのせいでおかしくなって、わけがわからないまま苦しんだのに、ジーンは『元気になる』だけ……事実だとすればあまりに不公平。この男と私、いったいなにが違うというの?
 そこまで考えて、不愉快なことに気づいてしまった。
「ジーン……アナタまさか、その薬で私がどんなふうになるか、試したの? なにも知らせずに飲ませるって、そういうことよね?」
「あぁん? いーじゃん別にそんなの。こーやってちゃんと後始末しに来てんだし」
「ジー……ンっ……」
 無礼極まりない物言いだったけれど、怒りを覚える暇はなかった。すぐに愛撫が再開されて、狂おしい感覚に呑みこまれる。
『いろいろ教える前だったら』――理性が揺さぶられ闇に落とされていく中、ジーンの言葉が蘇る。
 確かに、『いろいろ』を知る前は、ジーンにされることのなにもかもが初めてで、快楽なんてわからなくて、ただ耐えるしかなかった。あの頃なら、薬の効果はもっと違う形で顕れたのかもしれない。……それ以前に、薬を盛られることすらなかったかもしれない。
 陰の協力者を標榜するジーンは、用があれば、上手に頃合いを見計らって人気のない時間に押しかけてくる。
 なのに今回は私の方から、用などなかったのに、わざわざ静かな環境を整えてジーンを招いてしまった。薬を盛られるような状況を、自らつくりだしてしまった。
 なぜそんなことをしたの? コイツに会いたかったの? 触れられたかったの?
 自問を振り切って逃げれば、そこには陶酔境しかなかった。
 堕ちるしかない。抗っていてもいずれ突き落とされる。
 この馬鹿男。傍若無人で無礼者、やることなすこと野暮で品がなくて、いつも面倒なことばかり運んできて……! ――せめてもの復讐に、ジーンの二の腕に手をかけ、服の上から爪をたてた。


―end―

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