追っ手をふりきり神殿脇の林に駆けこむと、斜め前方に見知った人影が現れた。
「リオウ、こっちだ」
僕を呼ぶ声は低く抑えられていて、いつものふざけた調子はまったくない。
説明は要らない、ということか。
騒ぎの様子から察したのか、あるいは近くで見ていたのか。
まあいい、手間が省ける。
先を行く背中に続いて城壁を越え、宮廷楽士として三年を過ごした王宮をあとにした。
確保された逃走経路を伝って、夜の闇を駆け抜ける。
仕損じた原因を聞かれれば、間が良くなかったからとしか答えようがない。
そんな瞬間に動いてしまった理由を追及されれば……厄介だ。
まったく。変な情を持つなと忠告されたのは、つい昨日のことだというのに。
両親を事故で一度に失った王女。奇跡的に助かった弟は記憶喪失。その弟も、今度は暗殺者の手にかかって、この世からいなくなる。
さぞ悲しいだろう。寂しいだろう。そんな思いをさせるくらいなら……。
大丈夫。君を一人にはしない。
ひと振り目で王子を。返す刀で君を。――すべては一瞬で終わるから。
……これが情でないなら、いったいなんだというのだ。
彼女は夕べ、僕の手を拒んだ。それでも僕は、彼女を弟とともに送ってやることにこだわり、好機を何度も見送って、二人が近づくのを待った。結果、失敗した。
隣を走るコイツが知ったら、呆れるだろうか。面白がって笑うだろうか。
どっちでもいい。それより長老達だ。
伯爵に紹介状まで書かせて準備した、三年越しの暗殺計画が未遂に終わったんだ。どれほどの叱責が、罰が待っていることやら。
君は今頃、ほっと胸を撫で下ろしているんだろうね。卑怯な取引に応じなくて良かったと、笑ってるかもしれない。
休日には、庶民の僕を伴に誘ってくれることも何度かあったけど、いなくなったら少しは寂しがってくれるだろうか。……そんなわけないか。
明日からはまた、何事もなかったかのように日々を送っていくんだろうね。僕のいない王宮で、平穏に。
「失敗したってのに、楽しそーじゃん?」
へらへらした声で我に返った。いつのまにか惰性だけで走っていたらしい。
「楽しそう? 目が悪くなったんじゃないのか?」
「そー言うお前は、腕が落ちたんじゃねーの?」
「……試してみるか? 僕は今、機嫌が悪い。王子を斬り損ねたんだからね」
「うわっ、こぇー声出すなって。冗談だよ」
……そうだ、僕は機嫌が悪い。せいぜい悔しがって、険悪な空気をふりまいてみせればいいんだ。そうすれば、必要以上に咎められることもないだろう。
振る舞いに綻びが生じると面倒だ。邪魔な感情など、心の奥底に埋まってしまえ。
――姫……君が無事で、良かった……。
―end―