「よぉ。なんかえっれーことになったじゃん」
「ああ。おかげで王宮中が大騒ぎだ」
激しい嵐が去り、ようやく地面が乾いてきた日の夜。
慣れた動作で窓を開け、ジーンが部屋に転がりこんできた。
「ははっ、こっちもてんやわんやなんだぜ。王族暗殺っつー大仕事が吹っとぶんじゃねぇかってな」
「国王と王妃が事故死。王子は一命をとりとめたが、典医のもとで治療中、面会謝絶……」
「ほっといても死んじまったりしてな」
「……そうなった場合、依頼はどうなる?」
「さぁ。依頼人はまだなーんも言ってきてねーみてえだからなぁ」
「そうか……」
「ま、依頼は一家もろともだ。王女だけでも残りゃあ取消にはならねーだろ。なったらなったで、あの事故はオレらの仕事でしたっつって、いただくもんいただいちまえばいい」
「王女は馬車に乗っていなかったんだぞ。『一家もろとも』を狙ったことにならないじゃないか。殺ると予告してあったわけでもない。ただの事故だと突っぱねられるだけだ」
「そこは交渉ってヤツよ。……ってまぁ、ンなわけで、おまえはとりあえずここで待機、っつーのが長老達からの指示だ」
「それは助かるよ。儀式や打ち合わせで、しばらく忙しくなりそうだからね」
「あー、王様死んじゃうと、楽士様もいろいろ大変なワケね」
我が物顔で室内を歩きまわるジーンが、机にひろげた鎮魂曲の楽譜に目をとめ、興味なさそうに鼻で笑う。
つられて僕も鼻で笑った。
僕としては、暗殺対象二人分の報酬が消えようが、大仕事がまるごと消えようが、別に構わないと思っていた。
宮廷楽士の立場は他の仕事に利用できるだろうから、このまま王宮に入りこんでいるのも悪くない。――もし依頼が取り消されたなら、長老達に、そう進言しようとも思っていた。
正直なところ、今回の事故で、王族暗殺の依頼など消えてしまえばいいと思っていた。
王女をこの手にかけるのは気が進まなかった。
遠い昔に助けた、特別な女の子。
王女は美しく成長した姿で、あの女の子と同じ輝きを放っている。
髪の色、目の色、年の頃……条件は合致するばかりで、同一人物にしか見えない。
だが決定的な証拠はない。もしかしたら別人かもしれない。……別人であってほしい。
もっとも、仮に別人だという確証を得たとしても、彼女の命を絶つのは、これまでになく不快な仕事になるだろう。
事故の話が公表されてから、幾度となく考えていたことがある。
国王と王妃が消え、この上もし王子も命を落としたら、暗殺の依頼はそこで終わってくれないだろうか、と。
この国では女性に王位継承権はない。暗殺の目的が継承権絡みならば、王女ひとり残ったところで、致命的な問題にはならないはずだ。
依頼人が一家皆殺しにこだわるとすれば……なにか政治的な理由があって、マクリール家の血を絶やしたいのか。あるいは私怨か。
いっそ王子の治療を邪魔してみようか……。王女がひとりになってなお、暗殺の依頼が継続となるか、確かめてみたい。
……否。先走った行動に出れば、僕は一族を敵にまわすことになるだろう。
王女から一筋の希望を奪い、悲しみに拍車をかけるのもためらわれる。
そもそも、特別な女の子などという感傷に耽る心は、僕の中にあってはならない――頭を振って雑念を払いのけた。
室内の散策を終えたジーンは、窓辺に落ち着いたようだ。
その横へ移動し、人ひとり分の間をあけて、壁に背中を預ける。
「ところであの事故……、本当にただの事故だったのか?」
「あン? 誰かが仕組んだんじゃねぇかって? 王宮ではどういう話になってるよ? なんか怪しいもんでも出てきたか?」
「いや……、今のところ、ただの不幸な事故だという話だ。少なくとも表向きは」
「すげぇ嵐だったしなぁ。事故が起きてもちっとも不思議はねぇ」
「だからこそ、事故が起きるように仕向けるには、絶好の機会だった」
「土砂降りン中でお仕事か?」
「あるいは事前に……いくらでも方法はあるだろう。馬車に細工をする。御者に薬を盛る……」
「それがよりによって、崖っぷちを走ってる最中に効くように、ねぇ……」
「不可能じゃないだろう」
「……ま、長老達も実は気にしてるんだが」
「だろうね」
「だがな、仕込みがあったとしてだ。誰がそれをやったかってのが問題だ。王族暗殺はおまえの仕事なんだからな。横からちょっかい出して報酬掠め取ろうってなら立派な裏切りだ」
「あるいは余所者の仕業」
「だとしたら爺ンとこはなにやってたんだって話になる。外の情報に一番詳しいのはあそこだからな。それが余所者に縄張り荒らされて、一番の大仕事もってかれたとなりゃあ……」
「どちらにしても、揉めそうだ」
「だろ? ただの事故じゃねぇなら、おもしれーことになるぜ」
ひととおりの情報交換を終えると、ジーンは窓から去っていった。
椅子に腰掛け、楽譜に手をのばし……けれど読む気になれず、コツコツと指先で机を叩く。
ただの事故であろうと、仕組まれたものであろうと、両親を一度に失い、弟にも会えない王女は、今頃、悲しみの淵にいるのだろう。
宮廷楽士なら、楽の音でお慰めするのは自然なこと。これは取り入る好機……。
不意に溜息がこぼれる。
いつのまにか腹の底に、理解しづらいわだかまりが生まれていた。
―end―