■fine today■


−4−


 喫茶店からどうやって家に帰り着いたのか。
 とにかく俺の頭の中では、高野に言われたことがぐるぐると回っていた。

 マンションの自分の部屋に入ると、ベッドに仰向けに寝転ぶ。

『俺、先輩が好きです』
『俺と、付き合ってください』

「うーん……」
 好きっていうのは、先輩として好き―――
 なわけじゃないよな。
 はっきり恋愛感情だって言ってたし。
「恋愛感情……」
 恋愛感情。
 ……って何だ?
 それって男女間で持つものだろ……?
 というか俺、恋愛感情そのものが良く解らないんだよな。
 一言で言えば、“好き”ってことだろうけど、それって友達とか家族とかに対する“好き”とどう違うんだろう……?
 ……解らない。
「うーん……」
 さっきからため息とも唸り声ともつかない声しか出てこない。
 だって解らないんだ。
 高野の好きが恋愛感情だということは理解できても、それが何なのか良く解らないし、第一、それ以前に俺も高野も男だし。
 男女の恋愛も良く解っていない俺に男同士の恋愛を理解できるわけない……。
「あー、もうやめっ」
 元々、俺は物事を考えるのはあまり得意じゃない。
 高野に返事をしないといけないけど、解らないものは解らない。
 解らないものは断るしかない。
 ……なるようになれだ。
 俺は早々に考えることを放棄した。




「うん……?」
 ぼうっとした頭で俺は身を起こした。
 目を開けてすぐに目に入ったのは、壁時計だった。
 午後9時。
「しまった……寝ちゃったか」
 まだ半分寝ぼけながら、ベッドから降りる。
「夕飯作らないと……」
 食事は親父と俺が交代で作っている。
 料理は正直言って好きじゃないけど、母親がいないんだからしょうがない。
「親父、再婚する気ないかな……」
 あの親父と結婚してくれる女性がいるかどうかは疑問だけど。
 そんなことを考えながら、のろのろとキッチンへ向かう。
 途中、親父の部屋を覗いてみたけど、いなかった。
 キッチンにもリビングにも。
 玄関にも行ってみたけど、親父の靴はなかった。
 まだ帰ってきていないようだ。
「どこほっつき歩いてんだか……」
 今日は遅くなるとは言っていなかった。
 ……それとも、急な事件でもあったのかな?
 まあ、そのうち帰ってくるだろうと結論づけて、俺は夕食を作った。
 夕食といっても、こんな時間じゃきっちり作る気が起こらなくて冷蔵庫にある残り物と冷凍物だけど。
 それをひとりで食べた。
 その間、親父は帰ってこなかった。

 食器を洗って片づけていると、玄関のインターホンが鳴った。
「親父?」
 と思ったが、親父なら鍵を使って入ってくるだろう。
 俺は食器を置き、玄関へ急いだ。
 その間にも、数回インターホンが鳴った。
「はいはい、ちょっと待ってってば」
 鍵を開けて、ドアを開ける。
「うわっ!?」
 途端、ドアの外にいた誰かが倒れ込んできた。
 俺はそれに巻き込まれ、廊下の床に倒れ込んだ。
「痛っ」
 打ち付けた背中と、倒れ込んできた誰かの重み、それから昨日の怪我。
 ほぼ全身に痛みが走って俺は呻いた。
「環ぃ〜」
 俺の耳元で、聞き慣れた声。
「……親父」
 倒れ込んできたのは親父だった。
 しかも酒臭い。
「環君、大丈夫?」
「え……あれ、貴子さん?」
 もうひとつ聞き慣れた声がして、視線を向けると貴子さんがそこに立っていた。
「ごめん、環君」
「はあ……で、何ですか、これ」
 まだ俺にへばりついている親父を見て聞く。
「見ての通り、酔っ払い」
 貴子さんは苦笑を浮かべている。
「酒弱いのに、こんなになるまで飲むなよな……」
 呆れながら、痛む身体を押して親父を押し退ける。
 親父はぐったりして、意味をなさない言葉を呟いていた。
「親父、部屋に運んできます」
「私も手伝うわ」
「いいですよ、大変だし」
「大丈夫よ、ここまで私ひとりで連れてきたんだから」
「でも……」
「環君、怪我してるんだから遠慮しないの」
「はあ……すみません。じゃあ、お願いします」
 そう言われると俺は頷くしかない。
 実際、すごく痛いんだ。
 藤吾に手当てしてもらったから大して痛くはなかったのに、親父のせいで痛みが戻ってきたどころか悪化してしまった。
 面倒見切れないよ、ホントに。
 ……とか言っても結局は親父のこと見捨てられないんだけどさ。
 普段はあんなだけど、一応は父親として認めてるんだから。
 ちゃんと肉親の情ってのもあるし。
 俺をひとりでここまで育ててくれたの、親父だしな。
 ……でも、こういう時はやっぱり母親がいたら、と思ってしまう。
「……親父、再婚しないのかな……」
 さっきも思ったことを、口に出す。
「えっ……!?」
 と、貴子さんが驚いたように俺を見た。
「え……?」
 俺はどうして貴子さんがそんなに驚くのか解らなくて、聞き返してしまう。
「あ……ううん、何でもないの」
「そうなんですか?」
「ええ、ただ……」
「ただ?」
「環君はお母さん欲しいのかなって」
「欲しいって言うか……まあ、親父が再婚するって言っても反対はしませんけど」
 むしろ大歓迎だ。
 貴子さんを見ると、黙って考え込むようにしている。
「貴子さん……?」
「あ、ううん。さ、早く運んじゃいましょ」
 そう言った貴子さんはいつもの貴子さんだった。
 ……気のせいかな?
 何か様子が変だったけど……。



 親父を部屋に運んで、俺は水を持ってきた。
 それを貴子さんが親父に飲ませる。
 親父はかなり泥酔していて、飲ませるのに苦労していた。
 貴子さんは嫌な顔を見せることなく、少しずつ飲ませていく。

 ……?
 何か、違和感を覚えた。
 それが何なのかは解らなかったけど。


「眠ったみたい」
 貴子さんが空になったコップを持って立ち上がった。
「明日は非番だし、このまま寝かせときましょ」
「あ、はい」
 違和感を拭いきれないまま、俺は頷く。
 それから、2人でキッチンへ行った。


「貴子さんは、飲んだんですか」
 向かい合わせに椅子に座って、貴子さんに訊く。
「ちょっとだけね」
 だったら水が欲しいかな。
「貴子さんも水いります?」
「ええ」
 俺は立ち上がって、コップに水を注ぎ貴子さんに手渡す。
「ありがと」
 一口飲んで、貴子さんはコップを置いた。
「まったくもう、いくら明日が非番だからって飲み過ぎよね」
「そうですね」
「ま、私も止められなかったんだけど」
「親父、人の言うことなんて聞いてるんだか聞いてないんだか解らないから」
 俺がそう言うと、貴子さんはおかしそうに笑う。
「ホント、そうよね」
 コップを再び持ち、今度は飲み干した。
「さて、そろそろ帰るわね。警部によろしく言っといてくれる?」
「もちろん。ちゃんとお詫びに行かせますから」
 冗談混じりにそんな話をしながら、貴子さんを送り出す。

「俺、送っていきますよ」
「あ、いいのいいの。大丈夫だから」
 もう少しで日付が変わる時間になっていた。
 ひとりじゃ危ないと思って送っていこうとしたけど、貴子さんはやんわり俺の申し出を断った。
「こう見えても刑事だから。大丈夫」
「……じゃあ、気をつけて。親父のこと、すみませんでした」
「気にしない気にしない。上司の世話も部下の務めよ」
 ……部下の世話をするのが上司なんじゃないんだろうか……?
 貴子さんの言葉を聞いてそう思う。
 ……でも貴子さんと親父なら立場が逆でも不思議じゃないかもしれない。
「じゃ、環君。お休み」
 貴子さんがドアを開きながらそう言う。
「お休みなさい」
 軽く手を挙げると、貴子さんが手を振る。
 そして、ドアが閉められ、貴子さんの足音が遠ざかっていった。

 俺は、しばらく閉じられたドアを見つめていた。



2002/12/29



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