- 583 :名無しさん@ピンキー:2006/12/01(金) 17:44:20 ID:PDrDAGHV
(あっちぃ…)
糞暑い夏の日差しの中、悪党共の街ロアナプラには場違いな、
ホワイトカラーの青年が汗だくで歩いていた。
(これで3連敗…か)
ラグーン商会ではアルコールが切れた時、補充をするのは
その場に居たメンバーによるクジによって決められる。
彼、ロックは今夏の3回のアルコール切れに運悪く3回とも居合わせ、
さらには3連敗という記録更新を続けていた。
(なーんでこうも毎回負けるかなぁ…)
仲間によって確定された敗北を掴まされているのに気づくには
彼は少々この街の経験が浅かった。
(くだらないことでも)身内にも厳しい街なのだ、ここは。
(よりによってダッチが車使ってるなんて…)
(しかし買い出す量が3ケース?俺の体力を考えてくれよ。)
(ん…?)
取りとめの無い愚痴をぼやいていたロックが見たのは
目的地の店の前に出来たちょっとした人だかりだった。
ただでさえテンションが下がっているのに、これ以上の揉め事はごめんだ、
と思いながらも最寄の店である以上、ロックはその人だかりに突っ込むしかない。
何しろこの時間に空いている他の店と言えば、最低でもさらに10分は歩かねばならない。
ロックはこの灼熱地獄をわざわざ延長するようなマゾ的性質を持ち合わせてはいなかった。
後から考えるとたかだか数分ぐらい炎天下を歩いた方がどんなにマシだったか、
と思う事になるのだが。
とにもかくにも、こうしてロックは地獄の一丁目に突っ込んでいったわけだ。
有る意味天国ではあったが。
- 587 :店先ソーヤー:2006/12/01(金) 21:44:31 ID:Q/Ts8Mbn
- 「ああ、誰か助けてくれ。」
人だかりの中心に彼女が居た。
チェーンソーを振り回していた彼女が居た。
自分を殺そうと追いかけてきた彼女が居た。
…体育座りの彼女が居た。
ロックは自分には疫病神が憑いているのかと本気で悩む事があった。
何しろ下腹の出た係長から肩を叩かれ、ボルネオ行きを命じられてこの方
平穏な日々というものは夢のまた夢と思えるぐらいの頻度で揉め事に巻き込まれているのだ。
そしてまた揉め事の種が目の前に現れた。
彼が何度目かの(そしてお約束の)台詞を呟いたとしても誰が責められようか。
そんな彼もロアナプラの生活で少しだけ学んだ事がある。
「触らぬ神に祟りなし」
チキンと呼ぶなら呼べ。これが俺の生き方だ。
そう割り切って彼女を見なかったことにして店内へ入ろうと
視線を彼女から戻したとき、レジカウンターからじっとこちらを見つめる店主に気づいた。
その視線が揉め事を種から芽に変える種類のものだという事も
彼がロアナプラの生活で学んだ事である。
「ああ、誰か助けてくれ。」
呟いたところで何も変わることが無いのは十分に理解していたのではあるが。
- 588 :店先ソーヤー:2006/12/01(金) 21:46:20 ID:Q/Ts8Mbn
- 「あんたの知り合いだろ?営業妨害になってるんだがね」
店外へ出てきた店主は迷惑そうな顔でロックに話し出した。
「いや、俺の知り合いじゃなくて…」
自分を殺そうとした相手も知り合いにカウントされるんだろうか、と思いながら。
「赤の他人を前に ああ、またか って表情をする奴が居るとは思えないんだがね」
それはそうだろう。ただ彼の場合は、自分の境遇に対するものであったのだが。
「とにかく、そいつをどっかにやってくれ。」
「あ、あの、ビールを3ケース…」
「そ い つ を ど っ か に や っ て く れ」
店主は聞く耳も持たず店内に入っていった。
入り際にこちらを一睨みしていく念の入れようだ。
「勘弁してくれ…。」
店先でがっくりと肩を落としながらロックは呟いた。
心のどこかで どうせこうなる と思ってはいたが、実際にそうなるとまた気が滅入るものだ。
改めて彼女を見る。相変わらず体育座りのままだ。人だかりは飽きたのか散り始めている。
店主を見る。両手を組んでカウンターの中からこっちの行動をチェックしている。
空を見る。太陽が憎い位さんさんと輝いている。雲ひとつ無いのが逆に腹立たしい。
…暑い。ここでぼーっと立ってたところで脱水症状になるのがオチだ。行動を起こさねば。
おずおずと話し掛けてみる。もちろん、事前にチェーンソーの有無を確認してから。
「あの、もしもし?」
「…」
「は、ハロー?」
「…」
「店の前で座ってたら店の迷惑になると思うんだけど…」
「…」
「もしかして気分が悪いのかな?救急車呼ぼうか?」
「…」
OK。返事もなければ反応もない。言葉という文明の利器は無力だった。
ならば人は力に訴えなければならない。文字通り「力づくでどっかにやる」のだ。
- 597 :店先ソーヤー:2006/12/02(土) 00:45:21 ID:aMQKQ/OZ
- さて、どこに運べばよいだろうか。
ここから隣の建物の前に運んだところで根本的な解決にはなるまい。
下手すると隣の住民から同じことを言われるだけになってしまう。
ならば…と辺りを見渡すと、隣の建物の横にちょっとした路地裏があるのを見つけた。
奥に進んでみると、少し右に奥まってすぐに行き止まりの吹き溜まりのような場所だった。
地面も特に汚れてはいない。(土埃は溜まっていたが)
店先に戻ると店長がこちらを睨んでいた。逃げたと思われたようだ。苦笑して受け流す。
サラリーマン時代の癖でついペコペコしてしまうのが我ながら情けない。
それはともかく、目的地は決まった。
次に決めるべきは手段だ。と言っても近くに人運びに適した道具があるわけではない。
ロックは自分自身の肉体を駆使して彼女をあの路地裏まで運ばなければならないのだ。
かといって彼は人体運びのプロフェッショナルと言うわけではない。
(ロアナプラは広い。人(含死体)運びのプロも居たりするのだ。
運び先はロックの目の前の彼女、掃除屋ソーヤーのところだったりするのだが…閑話休題)
記憶の中から今回のケースに適した抱え方をサーチ。
あまりにもサンプル数が少なすぎるため一瞬で終わったが。
検索にHITしたのは左手を膝の下に、右手を背中の下に入れて持ち上げる、
そう、いわゆる「お姫様抱っこ」と言う奴だ。
語感的に使用するのはどうかと思うが、なるほど、体育座りなら膝を上げているわけだし、
上半身を少し後ろに反らすだけでその形に持っていける。
背中側に回り、すっとソーヤーの上半身を反らす…と彼女とばっちり目があった。
目を開けてるなんて予想外。
あの時は暗がりでよく分からなかったけども、
日の中で見た彼女の瞳に、ロックは心を奪われた。
気だるいような、何もかも見通されるような、そんな瞳。
目の下の隈はその瞳の魅力を損なうどころか、むしろ引き立てているようにさえ思える。
ロックはそこから目を離せない。ソーヤーは目を離さない。
じっと見詰め合う2人。そしてここは日当たり最高。暑いぜロアナプラ。流れる汗。
自分の顔から落ちた汗がソーヤーの顔に落ちたのを見て、ロックは正気に返った。
- 598 :店先ソーヤー:2006/12/02(土) 00:46:18 ID:aMQKQ/OZ
- 「わ!ご、ごめん。」
「…」
「あのさ、ここだとお店の人の迷惑になるから、あっちに行かないか?」
「…」
「…もしもし?」
「…」
目線は確かにこっちを向いているが、やっぱり反応は無い。
ため息一つついてロックは横に回った。
ため息をつくと幸せが逃げるという言葉がある。
(俺に揉め事ばっかり回ってくるのはため息ばっかりついてるからか?)
今度は鶏が先か卵が先か、なんて言葉が頭に浮かぶ。
この街での現状を正確に把握なんてしてたらどんなに強靭な精神でも磨り減ってしまうだろう。
(現実逃避はロックが最近得意になった哀しい特技である。)
そんなことを考えながら腕をソーヤーの体の下に差し込んだ。
そして一気に持ち上げようとして
ピキッ…
軽い電撃がロックの腰に走った。
「へい、少しでも動いたらお前さんの腰はズドンだ」
頭の中で妙ちくりんなオヤジが決め台詞を言ってる絵が浮かぶ。なんだこれ。
ともかくこれ以上無理に持ち上げようとするとこの若さで腰痛持ちになるのは間違いない。
お姫様だっこ却下。
(ソーヤーの名誉のために代弁させてもらうなら、彼女の体重は平均かそれ以下である)
次の案…と言ってもさっきのが最初で最後の案。あとはもう無理やり引きずるしかない。
ロックはいつの間にか元の格好で俯いているソーヤーの脇の下に腕を入れ、
自分の肘で支えるようにして立たせようとするが…
「いててててて!」
立つ気すらも無い人体とはこうも運びにくいものなのか。
ロックの肩に結構な負荷が掛かるし、尚且つソーヤーの肩にも結構なダメージがいってそうな気がする。
持ち上げれなくは無いが、お互いによろしくない状況だ。腰痛も嫌だが、肩こりも嫌だ。
仕方がないので、一旦降ろすことにする。
(しょうがない、か)
相手が女性という事もあって軽く抵抗があったが、脇の下に腕を入れ、今度は腕を腹部に回す。
白昼堂々、路上で無抵抗の女性に後ろから抱きつく格好になるが、四の五の言ってられない。暑いし。
- 620 :店先ソーヤー:2006/12/04(月) 00:33:14 ID:K4TbkqbH
-
(ん…)
体勢的にロックの顔はソーヤーの肩に密着する形になる。
この暑さの中、長時間日向に居たであろうソーヤーの身体から香るのは、やや濃い汗の匂い。
他にもう1つ、香水だろうか。どこか嗅ぎ慣れた香りが鼻につく。
それらが交じり合ったものが呼吸をする度に肺に染み透っていく。
いわゆる綺麗な香りではなかったが、不快ではなく、むしろ癖になりそうな…
(って、何考えてるんだ俺!?)
ロックは妙な方向に進み始めた思考を首を軽く振って追いやった。
どうやらこの暑さで脳がやられ始めたらしい。
妙な考えが起きる前に、一刻も早く彼女をあそこまで運ばなければ。
「せー…のっ!」
ソーヤーの体を持ち上げる。
腹部に食い込んだ手から、ソーヤーの体の感触が伝わってくる。
その柔らかさをロックは意識的に頭の中から追いやった。
これ以上は本気でマズい。何がマズいのかは分からないが、とにかくマズい。
あまり息をしないように心がけ、ロックはソーヤーを引きずり始めた。
だが、先ほどの体勢に比べて少しはマシと言えど、デスクワーク専門の肉体には十分すぎる重労働だ。
行程の半分ほどに辿り着いた頃には暑さもあって息は乱れ、
その香りを目一杯吸い込んでいく羽目になった。
…一呼吸するほど、この香りに体が侵蝕されていくかのような錯覚に陥る。
糞ったれな日差しのせいでまともに頭が働かない。
手から伝わってくる感覚がさらに追い討ちをかけてくる。
さっき見た彼女の瞳が、目の前にちらつく。
今の自分を見て笑っているんだろうか。軽蔑しているんだろうか。…誘っているんだろうか。
1歩引きずる度に理性の壁が加速度的にひび割れていくようだ。
そんな中、ロックはこの香りのもう1つが何であるか思い当たった。
(ああ…これ ― 血の匂い ― だ)
- 659 :店先ソーヤー:2006/12/05(火) 22:55:28 ID:Az58A8XT
ハァッ…ハァッ…ハァッ…
もはや自分の息遣いしか聞こえない。
ハァッ…ハァッ…ハァッ…
視界には相変わらず彼女のあの瞳がちらついている。
自分が何のために彼女を引きずっているのか、それすらも思い出せない。
ハァッ…ハァッ…ハァッ…
香りの正体を理解したとき、嫌悪感よりも何よりも、ひどい興奮を覚えた。
暴力は好きではないが、それが生み出しているであろう香りがこんなにも…
これはもう麻薬だ。一度吸い込んだら逃げられない。
頭の中はこの事しか考えられない。
肺からこの香りが薄まるのが耐えられない。
もっと、もっと、もっともっともっともっと…ッ!
カランッ
「うわっ!?」
どろどろとした夢の世界に浸っていたロックは、足元の木片を蹴飛ばした音で目を覚ました。
が、完全に虚をつかれた格好になったため、体勢が崩れ、大きく体が後方に傾く。
慌てて両手両足でバランスを取ろうとするが、如何せん両手はソーヤーの前で組まれている。
ここで両手を速やかに離せば問題は無いかもしれないが、
それではソーヤーだけが後方に放り出されてしまう。
ロックはそこまで非情ではなかったし、そもそもそれだけの反射神経を持ち合わせていなかった。
それでもどうにか倒れまいと足掻いた結果、両足はバランスを維持するために十分に働き、
どうにか倒れる事は阻止できた。
一息つこうとして、手のひらから伝わる感触の違和感に気づく。
倒れそうになったとき組まれた両手は解かれ、捕まる場所を求めた手は
今までの位置よりやや上を鷲掴みしたようだ。
つまり今、手のひらにスッポリと収まるこの柔らかなものは…
「!!!???」
ロックはコンマ数秒で自分が彼女のどこを掴んでいるのか理解した。
慌てて両手と体を放そうとするが、ソーヤーはロックに支えられている状態だ。
そんな状態でそんなことをすると当然のようにソーヤーの体がロックに向かって倒れこんで―
「おわあああ!」
ドササッ
路地裏に土埃が舞い上がった。