- 601 :名無しさん@ピンキー:2008/12/25(木) 01:41:35 ID:pe8DIug1
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――カミサマとやらの存在を信じていた頃、やっぱりこの日は特別だったのだろうか。
初めて目にする、異様に浮かれた町の雑踏。
お祭り騒ぎのように飾り立てたイルミネーション。
大音量で流れるクリスマス・ソング。
「日本人は、信心深い奴らばっかりだな。神なんてこの世にゃいねぇってのに」
「うーん、そうだなぁ。でもま、信心が薄いからこれだけバカ騒ぎができるってもん
なんだろうけどね。オレも学生の頃は、毎年ケーキ売りのバイトやってたよ」
外で売るから、もう寒くて寒くて…と文句を言う割に、その顔はどこか懐かしそうで、
楽しげだ。
毎日をギリギリの緊張感のなかで生きてきたあたしにとって、
クリスマスとは祝うものでも祝われるものでもなく、ただいつもより気の緩んだ
人々の懐から、獲物を頂戴する日でしかなかった。
「あぁ、確かに。ニューヨークでもクリスマスはとことん寒かったぜ」
もう二度と戻りたくない、薄汚れたストリートを思い出す。
イヴの晩にサイフだと思ってスリ取ったものが、美しく梱包されたおもちゃの
ペンダントだったとき。
心の底から、2000年ほど前に生まれたとかいう男の存在を憎んだ。
「レヴィ!あそこでオレも昔、ケーキ売ってたんだ。まだやってる!」
並んで歩く男が、ふいに叫んだ。
その視線をたどれば、駅前の広場でせっせと何かを売っているサンタの集団がいた。
「なんだありゃ、恥ずかしくないのかよ。大の大人がサンタの格好して…っておいおい、ロック!
どこ行くんだ!」
今度は突然、走り出す男。
とりあえず周囲に危険はなさそうだと判断し、男のしたいように放っておいたら、
四角い箱を手にさげて帰って来た。
- 602 :名無しさん@ピンキー:2008/12/25(木) 01:51:59 ID:pe8DIug1
- 「はい、レヴィ。ケーキ、クリスマスだから」
「な…」
クリスマスだからケーキって…その思考回路がよくわからない。
「クリスマスにケーキ食うなんて、そんなのやった事ないぜ」
「ニューヨークやロアナプラは知らないけど、とにかく日本はクリスマスといえば
ケーキなんだよ。オレ、売ってたから知ってるんだけど、意外といけるんだぜ、ここのケーキ」
四角い箱を目の高さに掲げ、無防備に、満開の笑顔をこちらに向ける男。
なぜケーキごときでこんなに嬉しそうになれるんだか…。
まったく、この男の甘さにはほどほどあきれ果てるしかない。
「サンタのところはレヴィにやるよ。大サービスだ」
「サンタのとこって、何だ?」
「レヴィ知らないのか?日本のクリスマスケーキには、ほぼ例外なく砂糖でできたサンタの
飾りがついてるんだけど、またこれが兄弟ゲンカの原因で…」
「クリスマス、なんて家族で祝った事、ねーからな」
足元に視線を落とす。
故郷で、懐かしい思い出に浸る男に興ざめなことを言っているのは分かっている。
ふと口をつぐんだ隣の相棒は、きっと後味の悪い思いをしている。
それはいつかの、引き揚げ船の仕事の直後のように――。
けれども、クリスマスなんて!
おべっかにも相づちをうってやれるほどの思い出も何もないのだから、それはもう
そんな話題を選んでしまったロックが悪いのだ。
「とりあえずロック、寒くてしょーがねぇ。早く帰るぞ」
話をなかったことにして、事態の収拾をはかろうと試みる。
しかし、こういう時のロックは、ほぼ間違いなく意地になりやがる。
「そうだな。で、早くケーキ食おう」
「ば…誰がケーキなんか」
死んでも食わないぞ!とやつを睨みつけた。
- 603 :名無しさん@ピンキー:2008/12/25(木) 01:58:28 ID:pe8DIug1
- ロックは、ケーキを大事そうに抱えながらまっすぐこっちを見ていた。
「レヴィ、これまでのことは俺、分からないけど、とにかく今日はオレがいる。
気のきいたプレゼント一つ用意できなかったのは悪かったけど…。それにここはニューヨークでも
ロアナプラでもない、東京だ。だから、クリスマスはケーキなんだ」
「なっ…」
はっきり言って、もうロックの言うことはめちゃくちゃだ。
あたしの過去もよく知らないくせにエラそうに説教しやがって。
「ケーキがどうしたっていうんだ。とんだチープなホームドラマだぜ」
「とにかく、これはレヴィのために買ったんだから。絶対!食べてもらう」
目の前に突き出された四角い箱。
それは誰かのためのものではなくて、あたしのためのもの。
そう考えて、一瞬躊躇した。
まさかあたしが…クリスマスに、誰かからプレゼントをもらうとは。
そんなことがあるんだろうか。
しかしロックの勢いに押されて受け取り、中身が傾かないようそっと持ってしまう。
…腹が立つ。
「そうそう、間違っても落とすんじゃないぜ、レヴィ」
「渡し方が悪いんだよ!だいたいあたしは甘いものより酒の方がいいんだってことぐらい、
あんた知ってんだろうが…」
「はいはい。ケーキのあとは酒盛りだね」
「ケーキ、食うなんて言ってない」
「うん、そんな感じで持っててくれれば中のサンタも転ばずに済むよ。
レヴィがサンタ食べるなら、オレはチョコのプレートもらおうかなぁ」
「おいロック…」
もう、何を言っても無駄らしい。
あの引き上げ船の頃までは、ちょっとこちらが上手に出れば可愛らしくなったものなんだがなぁ…。
成長したというべきか、ロアナプラの空気のなかで妙に根性が座ってしまったというべきか。
- 604 :名無しさん@ピンキー:2008/12/25(木) 02:07:35 ID:pe8DIug1
- 「雪、降るかもなぁ」
身震いをしながら、嬉しそうに空を見上げる男。
人にケーキを持たせておきながら、呑気なものだ。
片手でポケットからタバコを取り出し、口にくわえる。
スカートのポケットにしまったはずのライターを、探す気はなかった。
「ロック、火ィ貸せよ」
「ん?ライター持ってんだろ」
「ケーキ持っててライター出せない。そこにあんだろうがよ、火」
「レヴィ…いつもモノグサなんだから」
言いながら、男は頬を傾け、自分のタバコの先に灯る炎をこちらに与える。
あたしは、目を細めてその灯がともされる様と、少し影のできた男の横顔を見つめた。
…そうだな、昔、本当は欲しくてたまらなかったクリスマスのあかりがここにある。
こんなあたしの人生でも、たまには「稀代のトリックスター」の誕生を祝うことが
あってもいいのかもしれない。
イルミネーションの光に縁取られた夜空に向かって、白い煙をぽかりと吐き出す。
そして、少し前を歩く相棒の背中に向かって小声でつぶやいた。
「…ロック、メリークリスマス」
相棒はタバコをくわえたまま、驚いたように振り返った。
「こりゃ明日は大雪かな…」
「どういうことだ!てめぇ、失礼な…」
もっと言ってやろうと口を開きかけたその瞬間、あたしの唇からタバコが取り上げられ、
キスされた。
「あ…」
ぽかんとしたあたしの唇に再びタバコを戻すと、目の前のロックがニッコリ笑って言った。
「レヴィ、メリークリスマス」
鉄火場では鈍臭いくせに、こんなことはやけに素早い。
そして男は、何事もなかったかのようにまたスタスタと歩き出した。
「あ、待て、この悪人!」
あたしはわざと追いつかないよう、スピードを落として追いかけた。
こんなに寒いのに、顔が火照っていることを絶対に知られたくなかったから…。
なるべく早く火照りが冷めるよう、ぶんぶん頭を振りながら歩いた。
いつのまにかイルミネーションの途絶えた遊歩道。
ふと見上げた濃紺の空は、雲に覆われ星ひとつ見えない。
明日は、本当に雪になるかもしれない…。
久しぶりに、街に降る雪が見てみたいと思った。