399 :ロック×レヴィ 月  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/07(日) 20:59:41 ID:EH+S4pqv

――もう、やめなければ。 

レヴィは、ロックの部屋の狭いベッドで彼の腕の中に囲われながらそう思い、
しかし結局、拒絶の言葉は口に出せなかった。
ロックの頭が静かに迫ってきて、口づけが落とされる。
瞼を降ろす前、彼の肩越しに丸い月が見えた。

――もう、やめなければいけない、のに。

レヴィの腕は意志に逆らって、目の前の男の背中へ伸びる。
そっと唇をわりひらかれ、やわらかく舌を絡めとられると、決心はあっけなく溶けていった。

――もう、やめなければ。
 
何度、そう思っただろう。


口づけは深くなり、互いの呼吸は荒くなる。
すっかり馴染んだ身体の体温と、厚み。
彼の手が、肌の上をすべる。
彼の掌が、乳房を包みこむ。
彼の指が、先端をこねる。
彼の唇が、首筋に口づける。
髪を梳かれるのも、耳のふちをなぞられるのも、鎖骨の窪みに指を沈められるのも。
そのどれもが、レヴィは好きだった。


彼はレヴィの身体に熱を与える。
ゆるやかに、しかし、容赦なく。
ふくらみを通りすぎた手は、肋骨が尽きたところでみぞおちを滑り落ちてゆく。
身体の厚みを確かめるように脇腹をなぞって、腰骨の出っ張り具合をレヴィにおしえる。
撫でる強さで太ももの外側に手を這わせ、そして、内側は触れるだけの強さで。
レヴィの身体の輪郭を、皮膚の厚さの違いもすべて、伝えるように。
彼の手は、お前は一人の人間なのだと、一人の女なのだとレヴィに突きつける。

経験した幾つものおぞましい過去とは、まったく違う。
レヴィの内に満ちるのは、多分、多幸感とでも呼ばれるものに似た、甘ったるいなにか――。

そんな感覚を呼び起こされるのはきっと、レヴィ自身の中に原因がある――。
甚だ不本意ながら、それを認めなければならないだろうと、レヴィは思う。
彼に対して、他の誰に対するのとも違う、特別な感情を持っている。
それを突き詰めて明らかにすれば、自分たちを破滅へ追いやるであろう感情。
何かに執着した者は、この地獄の底ではすぐに墓石の下。
あってはならない感情だ。
自分一人がくたばるだけならば自業自得。
しかし、彼の命もまた、この腕にかかっている。
封印しなければいけない。
生まれた感情はこのまま閉じ込めて、腐らせてしまわなければ。
彼に触れられると、どんどん後戻りできないほどに膨らんでいくから。
そして、いつの日か自分の中の檻を食い破って出ていってしまうだろうから。

だから、もう、やめなければ。

400 :ロック×レヴィ 月  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/07(日) 21:00:36 ID:EH+S4pqv

なのに、彼の腕に抱きしめられる度、決心は儚くなる。
下着の上から触れてくる彼の指は、
レヴィが既に言い訳ができないほどに潤っていることを自覚させる。
やわらかく、やわらかく刺激を与えてくる指に、脳まで溶けてくる。
いつの間にか、まるでねだるように身体を揺らしている自分に気づいて、
高揚していく身体とは逆に、レヴィの心は沈んだ。

――あさましい。
淫売扱いはごめんだ。次にこの話を蒸し返したら殺す。
そう啖呵をきっておきながら、この体たらく。
自分はきれいな身体じゃない。
……でも、好きでやったことなんか一度もない。
それを一番分かって欲しかった男の前で、こんな嬌態を晒しているなんて。
なんて皮肉なことだろう、とレヴィは自嘲する。

彼の指が、今度は直接、レヴィの粘膜に触れた。
自分でも困惑するほどとろけていた窪みに指先がひたされ、うるかすように揺らされる。
段々と指は広範囲に渡って動きを広げた。
襞の間を自由に泳ぐ。
普段はぴたりと閉じ合わされている襞の間を優しくすり抜けていく指に、
レヴィの背筋は泡立った。
それでも彼の指は、一番はずれの突端には、いっさい触れない。
時折、さっとかすめるように通り過ぎていくだけ。
思わず腰で導きたくなるのを、レヴィは目を瞑ってこらえた。

視線を感じて瞼を上げてみると、そこには、ひたとレヴィを見下ろすロックの瞳があった。
ベッドサイドにひとつだけつけた読書灯のわずかな光を受けた瞳は、
黒く、すべてを映しこむような光沢を放っていた。
――見るな。
ことごとくを見透かされているような視線に耐えきれず、
レヴィは顔を背けて枕に半分頬をうずめ、腕を上げて顔を隠した。
その手首を優しくとらえられる感触。
彼の手は、ゆっくりと、レヴィの腕を顔からどかせる。
全く、強い力ではなかった。
まるでレコードの針を移動させるような。
そんな穏やかな力で、ロックはレヴィの手首をシーツの上に着地させた。
レヴィの腕も、きちんと手入れされたレコードの針の滑らかさで、それに従った。

途端、彼の指が望んでいた刺激を与えてきて、レヴィは鋭く息を吸いこんだ。
下着の上から指の腹で一点を押さえ、ゆらゆらと揺らしてくる。
甘い疼きが、下腹、腰に広がって、胸元までせり上がってきた。
――隠せない。
手首を拘束する彼の手は、ただレヴィの手首をゆるやかにとらえているだけだ。
女の手首は強くつかむものじゃない。
そう心得ているように。
本気で外そうと思えば、いくらでも外せる。
しかし、その優しい強さが、レヴィを動けなくさせた。

401 :ロック×レヴィ 月  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/07(日) 21:01:35 ID:EH+S4pqv

――やめろよ。
レヴィは思う。
全く不快ではない温かい拘束を手首に感じながら、思う。
――そういう風にすんの、やめろよ。
自分の手首は、そんな優しい扱いが似合うほど華奢じゃない。
破壊し、奪い、殺すための腕だ。
手加減せずにひっつかんで、骨がきしむほど強く握りつぶせばいい。
あの、いつかの夕暮れの市場でのように。
癇癪を起こしたレヴィを、ロックは真正面から受け止めてねじ伏せた。
純粋で真剣な怒りでもって。
あの時、ロックは確かに自分を見ていた。

――けれど、今は?
ロックの手は、華奢な手首の女を知っている。
その優しさで、レヴィの手首をとらえている。
そんな優しさは必要の無い手首を。
――あたしの向こうに、誰を見てる?
この男と同じような黒曜石のつややかな瞳を持った、可憐な女だろうか。
――あたしは誰の、身代わりだ?
レヴィの胸はきしむ。

けれどレヴィは、自分がそれを非難する資格など、どこにも無いことを知っていた。
――あたしが、奪った。
割に合わない仕事にちょっとした欲を出して、後先考えない軽率な行動に出た。
結果、レヴィは得て、彼は失った。
彼の生活を、日常を、帰る家を、国を、人生を、奪った。
その後、彼が「選んだ」としても。
本来、そんな選択はする必要の無いものだった。
選択肢など、無いも同然。
戻りたくてももう、彼の戻れる場所は無かった。
それだけの話だった。

――これは、罰か。
そうだとしたら、なんと甘く残酷な罰だろう。
こんなに惨めな状況だというのに、レヴィの身体は彼を求める。
一度身体の内側に沈められた指が抜かれた時、まるで彼の指が誘い水となったかのように、
レヴィの身体の奥からぬるま湯があふれた。
指はすみずみまで這いまわって、また沈む。
二度目は、何の抵抗もなく、滑り落ちるようにはいっていった。
粘液が感覚を鋭敏にする。
レヴィの呼吸が乱れ、ため息が漏れ出た。
指で探られるごとに身体は波うち、快楽が声となってあふれそうになる。
こらえきれずに漏れてしまった音は、馬鹿みたいに高く震えた、女の声だった。


402 :ロック×レヴィ 月  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/07(日) 21:02:59 ID:EH+S4pqv

彼は目で、レヴィに挿入してもいいかという伺いを立てる。
駄目なはずがないのに。
レヴィは思うが、しかし、毎回毎回、返事は分かり切っているだろうに
律儀にもそれを欠かさない彼のマナーを好ましく思う自分がいて、
一体何を期待しているのだとレヴィの心は乱れる。

ロックがはいってくる。
ゆっくりと押しひろげられるような圧迫感。
押しあげられた身体の中の空気が、ため息となって口からあふれた。
身体の内側で感じる他人。
自分ですら知らない奥を、彼には許す。
そう、彼にだけ。

けれど、彼の方はどうだろう?
レヴィは頭を落としてきた彼と唇を重ねながら、思う。
やわらかくした唇を軽く触れ合わせては静かに角度を変え、吐息を湿らせる。
舌も絡ませ合い、身体中をぴったりと密着させると、それだけで満足感が沸き上がった。
でも、彼の方は?
きゅう、と少し締まったレヴィのなかに呼応するように、ロックの身体が徐々に動き始めた。
最初は、穏やかに。
繋がったところが疼き出すと、少しずつ大きく。
ゆるやかに揺さぶられると、レヴィの疼きも高まる。
なめらかさを増したレヴィのなかで、彼はゆっくりと往復する。
粘液で守られた内部をぬめりながら移動される感覚に、レヴィの腰は浮き上がりそうになった。
奥まで埋めこまれて、やわらかい外側も優しく押しつぶされると、
呼吸が一瞬止まって、息苦しくなる。
酸素が足りない。

彼は、レヴィをゴミ捨て場に捨てられたガラクタのように乱暴に扱った男達とは違う。
それは分かる。
決して無理強いはしないし、ちゃんとレヴィの準備が整ってから、はいってくる。
触れる手は優しく、温かい。
レヴィが何も言わずとも、丁寧に満たす。
痛くない、苦しくないセックスもあるのだということは、彼で知った。

しかし、彼が女というものを乱暴に抱いているところは、どうしたって想像できなかった。 
彼ならば、どんな女であってもこうやって、いかにも優しく抱くのだろう。

403 :ロック×レヴィ 月  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/07(日) 21:04:08 ID:EH+S4pqv

分かってる。分かってる。
――当たり前だろ。
つい勘違いしてしまいたくなる衝動を抑え、レヴィは自分に言い聞かせる。
自分が彼に対して抱いているような種類の感情を、
彼が自分に対して持っているはずがない。
こんな、狂暴で、破壊と人殺ししか能がない、およそ女らしくない女に対して。
穢れという穢れすべてをこの身に溜めた女を、どうして肯定的に思えるだろう。
男は、感情が無くたって割り切って快楽を追求できるものだ。
それは自分が身を以て実感してきた事実じゃないか。
彼だって男だ。
発散したいことだって当然あるだろう。

なぜ自分を選んだのかは分からないが――
一番手近にいたからか、
性別が女であれば誰でも良かったからか、
娼婦を買う勇気が無かったからか、
それとも、只で抱けるからか――。

特に一番最後にゆきあたった可能性に、自分で考えたことながら、レヴィの胸は激しく痛んだ。


でも、それならば良いのだ。
むしろそれこそが、望ましい。
レヴィは自分を落ち着かせる。
自分が厄介な感情を飼っていたとしても、彼がただ欲求を解消したいだけなのであれば、
それはそれだけの関係で終わる。
一時の快楽を分け合うだけ。
何も発展はしない。
ひっそりと育ちつつある感情も、餌を与えられなければそのうち死ぬだろう。
そうして、自分たちは生き延びる。
――殺せ。
レヴィはそっと自分に命令する。
自分さえうまくこの感情を殺すことができれば、何の問題も無い。
この男に知られてはならない。

――殺すのは、得意だろう? 


レヴィは、振り切るように彼を求めた。
深く、大きく。
どんなに彼が激しく動いても、レヴィの身体はなめらかに受け入れた。
――淫売? 上等だ。
何も間違っていない。


しかし――。
理性とは逆の場所で思う。
もし。
もし、彼が自分をただの道具だと思っている、なら――。
 
それは。
すこし、
つらい。


404 :ロック×レヴィ 月  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/07(日) 21:05:33 ID:EH+S4pqv
彼言うところの『趣味』を達成するための、道具。
彼はもう、レヴィの肌がどう熱くなるのか、どこに触れると身体が溶けるのか、
どんな風に達するのか、全部知っている。
レヴィがこの行為に溺れていることだって、百も承知だろう。
逃げないように、裏切らないように、繋ぎとめて――。
それは担保か、報酬か。

分からない。
全く、分からない。
レヴィには彼の本心など分からない。

――それでも、あたしは、――。

「――――――あぁ……っ」

こらえきれない声が、吐息とともにあふれ出た。
辛うじて目の前の首筋に顔を埋めるのが間に合ったおかげで、
彼に顔を見られてはいないはずだった。
けれど、声だけは間に合わなかった。
すべてが露呈する、女の声だった。
今、彼はさぞかし淫らな女だと思っていることだろう――。
そう思うと、レヴィはたまらなく情けない気分になった。

レヴィは矛盾を抱え込んだまま、縋りつくように、ロックを抱きしめる。
彼にぎっちりと絡みついたのは、
正常な世界から昏い地獄の水底へと引きずり込む、呪われた腕に違いなかった。


その後は、結局欲望だけが残った。
彼に腰を引き寄せられ、強く打ちつけられると、レヴィの熱も高まる。
――もっと、このまま……。
削ぎ落とされたシンプルな思考は、ダイレクトに彼へ伝わるらしかった。
息もままならないレヴィの感覚を、彼は容赦なく押し上げた。
レヴィの脚は強ばり始め、自らの腰も、彼の動きに合わせて動く。
大きくベッドがきしむ音と、レヴィがつめていた息をつぐ時に喉を震わせる音、
ロックが息を吐く音の裏で、小さく、しかし確かに、体液の粘る音がした。
最後は意識だけになって、声もなく、果てた。
きつく収縮を繰り返すのが、彼にも伝わったのだろう。
少し遅れて、レヴィの奥で、彼も果てた。


深い憂鬱をかくまいながらも、レヴィの身体には甘い陶酔感が満ちていた。
繋がりをといて、少しの間天井を見上げた後、レヴィはくるりと身体を横向きに回転させた。
まだ静まりきらない呼吸に肩を上下させながら端の方へにじり寄って、彼のためのスペースを空ける。
シングルベッドは狭い。
シロップの中を漂っているような浮遊感に身をひたしていると、
ロックの手が首のあたりに寄せられた。
少し頭を上げると、首の隙間から入り込んだロックの手が、レヴィの肩に巻きつく。
汗ばんで少し湿った肌。
目を合わせると、彼が微笑んだ。
つられて、レヴィの顔も緩む。
彼の手によって引っ張り上げられた上掛けで肩をくるまれながら、レヴィは思う。
ロックが何を思っているのかは分からない。
自分に都合の良い夢を見たって、後で馬鹿を見るのは自分自身。
けれど、眠る前、こんな風に上掛けをかけてくれる人なんか、誰もいなかった。
今だけは、その事実に満足したかった。
彼によって小さな灯りが消された暗闇の中で、眠りに身をまかせる。
――今だけだ、今だけ……。

すぐに、レヴィの意識は闇の底に沈んでいった。

405 :ロック×レヴィ 月  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/07(日) 21:06:32 ID:EH+S4pqv
 * * *

――もう、やめられない。

ロックは、吸い寄せられるようにレヴィの紅い唇に口づけを落とし、
しなやかな身体を腕の中に閉じこめて、彼女の体温を肌で感じながら思った。
彼女の腕が背中にまわって抱きしめ返されると、自然に抱き込む腕にも力が入った。

――もう、やめられない。

素肌の彼女はやわらかく、
首筋からは、火薬臭さの奥に野生の果実のような甘酸っぱい香りが匂いたつ。
しっとりとした首筋に唇を寄せると、彼女がほんの少し震えて、息を漏らした。

――もう、どうしたって、やめられない。

今日も、劣情は止められなかった。


やわらかく狭い内部を押し進めると、彼女の顎が上がって、吐息が漏れた。
眉が苦しそうに歪められる。
合わせた彼女の瞳には、苦痛の色がのっていた。
優しく、触れているつもりだった。
痛い思いはさせたくなかった。
ゆっくりと、大切に抱いているつもりだった。
ちゃんと、待って、ととのえて。
けれど、どんなにそっと触れても、彼女の瞳は痛みを伝えていた。

ロックは時々、彼女のことが分からなくなる。
こんなに近くで触れていても。

406 :ロック×レヴィ 月  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/07(日) 21:07:36 ID:EH+S4pqv

前に、「痛い?」と訊いたことがある。
レヴィは否定した。
確かに、繋がったところはなめらかに潤って、身体を傷ませているわけではなさそうだった。
――じゃあ、何がいけない……?
彼女は行為中の余計なお喋りを嫌う。
その問いはうやむやのまま、立ち消えた。

けれど、本当は分かっている。
傷つけているのは、彼女の身体じゃない。
ロックが爪を立てて引っ掻いているのは、彼女の――記憶。

思い出させたいわけじゃない。
苦しみを与えたいわけじゃない。
彼女のつらさを少しでも和らげたい。
自分は、彼女を傷つけた男たちとは違う――。

しかし実際は、ロックもそんな男たちと、そう大差無いのかもしれなかった。
愛の言葉ひとつ吐けずに、優しくしたかった身体も、最後には自分の欲求を追い求めてしまう。
何かに耐えるように身をよじらせ、喉を晒し、身体を反らせる彼女。
締まった、それでいてやわらかい鞭のような彼女の身体に、ロックの自制心は遠のく。

あたたかく締めつける彼女のなかを何度も往復して、彼女の吐息を耳元で聞く。
声を殺す彼女に、そんな風に我慢することはないのにと思いつつも、
そうやってこらえる姿にそそられ、短くこぼれ出た細く震える声に胸の奥を抉られる。

「――――――あぁ……っ」

ロックの首に縋りついた彼女の、泣きそうな声が頭の芯まで響いて、罪悪感が膨れ上がった。
――違う。思い出すな。俺は違う。俺は、お前を、――。

けれど、その後に続く言葉はいつも見当たらなかった。


407 :ロック×レヴィ 月  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/07(日) 21:08:26 ID:EH+S4pqv

日本で、初めて彼女と交わった時。
あの時も、言葉は無かった。
ただ、時が来た、と思った。
こうなるのは必然。
その時が来ただけだ、と。
言葉は無くとも、触れたところでお互い通じ合えた気がした。

そのすぐ後。
自分たちが越えてしまった一線は、生死の一線だったのだということをまざまざと見せつけられた。
共に生きようとすれば、ああなる。
二人の前に横たわっていたのは、血にまみれた二つの骸。
しかし、まだ間に合った。
行為に意味を与えてはいけなかった。
そして、言えなかった言葉は、行き場を失った。

それは、本当に「間に合った」のか――?
それとも、「遅かった」のか――。

時々、すべてがどうでも良くなって、洗いざらいぶちまけてしまいたくなる。
言えてしまえば、どんなに楽だろう。
――けれど、言えない。
言っては、いけない。

408 :ロック×レヴィ 月  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/07(日) 21:09:47 ID:EH+S4pqv

結局本能に負けて彼女をむさぼって果てた後、
力なく横たわり、眠たげな顔をしている彼女を抱き寄せて言い訳のように微笑むと、
彼女はかすかに睫を震わせた。
それは「笑顔」と呼ぶにはあまりにも不十分なものだったが、
すぐに掌からすり抜けていってしまいそうな一瞬のあどけなさが、ロックの胸を打った。

ベッドサイドの読書灯を消すと、横向きに身体を寄せていた彼女は、
ロックの肩口で頭を安定させるように位置を探した。
二、三度、鼻先をロックの肌にこすりつけるように。
そして、片手をロックの腕の付け根あたりに置くと、すぅっと彼女の身体の力は抜けた。
一回大きく息を吸って、長く吐いたかと思うと、すぐに呼吸は穏やかなものとなった。

ロックは、くるりと丸められた彼女の肩を抱きながら、思う。
本当はこうして身を寄せ合って眠るだけでいいのに、と。
彼女に、あんなつらそうな顔をさせたいわけではなかった。
何の武器も身につけず、こうやって無防備な身体をすり寄せて眠る彼女を見るに、
一応ロックにそれだけの信頼を寄せていると言ってもいいのだろう。
抱き寄せると、ふわりと身体の力を抜いて頭を預けてくる彼女。
それだけで、充分幸せなことなのに――。

けれど、彼女の姿を見ればそばに行きたいと思い、
そばに行けば触れたいと思い、
触れれば抱きしめたいと思い、
抱きしめれば、もっと深く繋がりたいと思うのだ。


レヴィはロックにとって特別な女だった。
そして同時に、ロックは彼女自身に、特別な女だということを自覚して欲しかった。
驚くほど自己評価の低い、やけっぱちな彼女に。

しかし現状は、ただ性欲をぶつけているのと何も変わらない。
最悪の状態だった。
生理的な快楽が欲しいわけではないのだと、そうではないのだと口に出せないのなら、
せめて彼女を抱くべきではない。
分かっているのに――。

本当は、彼女に訊かなければいけないのは、痛いかどうかではない。
つらいかどうか、だ。
やめなければならないことを分かっていつつ、彼女が否定してくれそうな問いを選んでいる。
――俺は、卑怯だ。
彼女の明確な拒絶が無いことを免罪符にして、終わりを引き延ばしている。

だが、腕の中で穏やかに寝息をたてるレヴィを手放す決心などつくはずもなく、
ロックは彼女を静かに抱き寄せ、ため息をついた。


409 :ロック×レヴィ 月  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/07(日) 21:11:13 ID:EH+S4pqv
 * * *

不意に意識が浮上して、ロックは瞼をゆっくりと持ち上げた。
眠りについた時には腕の中にあったはずの体温が、消えていた。
すぐ横にあるはずのレヴィの顔も無い。
寝ぼけ眼を巡らせてみると、
隣で背中を丸めて膝を抱えているレヴィの後ろ姿があった。
腰から下には上掛けがかかっているが、裸の上半身は夜気に晒されている。
日中は暑くとも、夜は結構冷える。
寒々しい姿に、はやく中に入れと言いたくなったが、しかし、ロックは声をかけられなかった。
窓から射し込む満月の蒼白い光をうけた彼女は、じっと頭を落としていた。
なめらかな背筋はぴくりとも動かない。
どうした?
そう言って、後ろから抱きしめてやれたら――。
だが、起き上がって腕を伸ばせば届くほんの1メートルほどの距離が、とてつもなく遠く感じた。
――届かない。
彼女は時々、すとんと昏い奈落の底に落ち込んでしまったように遠くなる。
くるくると変わる表情は凍りつき、もう百年も生きてきた老婆のような顔をする。
どんなに手を伸ばしても、彼女の奥底には届かない。
泣くか怒るかしてくれた方が、どんなに良いか――。

その時、レヴィの手がゆるりと動いたので、ロックは反射的に目を閉じた。
寝たふりなどする必要は無い。
けれど、今ロックが目の当たりにしたのは、多分、剥き出しの彼女だった。
それを黙って見ていたのは、きっとそれを見せる気など無かった彼女に対し、
ひどく無遠慮な振る舞いだったように思えた。

彼女は脚の方も上掛けの中から抜き出し、めくれた部分をロックに掛けた。
そして、肩の方までしっかりと掛け直そうとする。
上掛けを持った彼女の手が顔の近くまで迫ってきて、
ロックは瞼が震えないよう、必死で呼吸を抑えた。
下ろした瞼の向こうに、彼女の視線を感じる。
ぎし、とかすかにベッドがきしんで、彼女の気配が近づいた。
手の熱が寄せられてくる。
額と目の奥あたりの神経が、彼女の指先から放出される圧力で押さえつけられるように緊張した。
――触れる。
そう思ったが、彼女の指は前髪をすくい上げるように絡め取っただけで、離れていった。

レヴィがベッドから降りる。
脱いだ服を着る衣ずれの音がした。
ベルト、そして二挺のカトラスが入ったホルスターも身につけている。
コンバットブーツを履く、重たい音。
ドアが静かに開けられ、そして、閉まった。

彼女の足音が外の廊下を遠ざかっていったところで、ロックは目を開けた。
いつも彼女は朝になる前に黙ってひとりで帰ったりはしない。
時計を見てみれば午前二時を過ぎたところ。
こんな夜更けに女の一人歩きは危ない、という常識はレヴィには当てはまらないが、
ロックは自らもベッドから出ると、服を着込んで部屋を出た。
彼女の様子が気にかかった。


410 :ロック×レヴィ 月  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/07(日) 21:12:29 ID:EH+S4pqv

外に出ると、耳が痛くなるほどの静けさがロックを包んだ。
夜中であっても常に銃声や怒声、破壊音が響くこの街にしては、不気味なほどの静寂だった。
急いで左右を見回すと、通りの向こうに、小さくなりかけたレヴィの後ろ姿があった。
ロックは、彼女に気づかれない距離を保ちつつ、そっと後を追った。
彼女は街の賑やかな方へは足を向けず、淡々と歩いていく。
自分の下宿に折れる道も素通りした。
段々と街灯がまばらになっていく。
蒼い満月の月明かりが存在感を増した。
彼女とは充分に距離をとっているにも関わらず、
自分の靴音が彼女の耳にまで届いてしまうのではないかと思うほど、あたりは何の音もしなかった。

その静寂を破ったのは、穏やかな波の音だった。
海はもうすぐそこだ。
潮の匂いが届いた。
防波堤の向こうに、暗く波立つ水面が見える。
空を見上げてみると、天頂から少し傾いたところに、
くらりと眩暈を覚えるような蒼白い光を放つ満月が出ていた。
雲ひとつ無い、星を散らした夜空の中で、月は冷たくそこにあった。
冴え冴えとした光を、海面は静かに受け止める。
黒い水の表面に、月の道ができていた。

レヴィは防波堤を降りて、小さな砂浜になっている波打ち際を歩いていった。
砂の上にブーツの足跡が点々と連なる。
ロックは防波堤に行き着いたところで少し足を止めて、遠ざかってゆく彼女の後ろ姿を見守った。
彼女は、砂浜に生えている椰子の木のところまで歩くと、そこで足を止め、幹に背中を預けた。

ロックも防波堤を降り、彼女の足跡を追った。
重たい砂に足を沈ませて、背後から一歩一歩静かに近寄る。
段々と、幹の陰から覗く彼女の半身が大きくなっていった。
黒いタンクトップの背中で、髪が風に乱れる。
いつもは無造作にひとつに纏めている長い髪。
陽の光に透けると薄茶にも赤茶にも見えるその髪は、今は闇を吸い込んだように暗く、
月の光に照らされた肌だけがほの白く浮かんでいた。
その時、風向きが変わった。

不意に届く細い声。
歌声だ。
聞こえるか聞こえないか程度の、ほとんど囁くような。
ロックは思わず足を止めた。
まわりを見回してみたところで、周辺には二人しかいない。
歌っているのは、ロックでなければ彼女に決まっている。
今にも消えてしまいそうにかすかな声でも、掠れ気味のアルトは間違いなく彼女のものだった。
ロックは息をひそめて耳をすませる。


411 :ロック×レヴィ 月  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/07(日) 21:13:55 ID:EH+S4pqv

「――私を月まで連れてって。そして、星の間で遊ばせて」
そう歌う、有名なジャズナンバー。

――"Fly me to the moon"

しかし、普段ノリの良いアップテンポの曲を好む彼女にしては珍しい選曲のように思われた。
ロックはぼんやりと考える。
ニューヨークのスラムで育ったという自分が知らなかった頃の彼女も、
この曲を歌ったことがあるのだろうか。
彼女が「糞溜め」と称するところから連れ出してくれる「誰か」を夢見て。

こんなことを想像したところで、彼女に聞いても、
返ってくるのは冷笑を伴った否定だけだということは分かり切っているので、
真偽の程など分かりようもないのだが。

「――私の手を握って」
「――ねぇ、キスして」
およそレヴィに似つかわしくないフレーズが彼女の唇から零れる。
それが存外に美しく聞こえたのは、何も彼女が英語を母国語として育ったせいだけではないだろう。
透き通るように高く明るい声などでは、決して無い。
酒と煙草のせいでわずかに掠れた声。
けれど、囁くような音で密やかに歌う声は、どこか甘やかな透明感を宿していた。

彼女は歌詞を違えることなくつむぎ出す。


「――ずっと変わらずに愛して」
「――私はあなたを愛してる」

――"I love you!"

彼女は絶対に言わないであろう言葉。

――歌でなら、聞けるのか。
苦々しさを滲ませて、ロックは思う。

現実に彼女自身の言葉として聞くことは叶わないだろう。
そして、ロックがそれを言うことも。
ロックは、彼女を死の縁に追いやる事を良しとしない。

永遠に聞くことはできないであろうその言葉を聞いてしまったことは、
喜ぶべきことなのか、それとも悲しむべきことなのか。
分からぬまま、彼女が最後のリピート部分を口にするのが聞こえる。

しかし、二度目の"I love you!"がロックの耳に届くことは無かった。

412 :ロック×レヴィ 月  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/07(日) 21:15:39 ID:EH+S4pqv

「立ち聞きとは良い趣味だな、ロック」
レヴィが空を見上げたまま、突然歌を中断させたから。
我に返ると、彼女はゆっくりと顔だけで振り返った。
「……いや、邪魔しちゃ悪いと思って、レヴィ。偶然聞こえて……その、珍しかったから」
言いながら歩み寄って隣に並ぶと、
「……ふん。悪かったな、似合わなくてよ」
いつものようにふてくされたレヴィは、顔を伏せて煙草を取り出した。
「そんなこと言ってないだろ」
綺麗だった。上手かった。
そんな事を言おうものなら、彼女が顔をしかめて不機嫌になるのは目に見えている。
しかし、こうしてロックが隣にいることについては何も言わないところを見ると、
そう腹を立てているというわけではないのだろう。

「夜中にひとりで出て行くなよ。心配するだろ」
彼女を追って来た目的を思い出して言うと、レヴィは小さく鼻で笑った。
「心配? アホぬかせ。ガキじゃねェんだ。お守りが必要なのは、丸腰のあんたの方だろ」
「それはそうだけど……。心配ぐらいさせろよ」
火のついた煙草を、レヴィは吸い込んだ。
そして煙を吐き出す。
「……勝手にしろ。――ただの散歩だ」
――いつから、気づいてた?
人の気配には聡いレヴィが、
自分が背後に立っていることを最後まで気づかなかったなどということがあるだろうか?
しかし、ロックはそれを口に出すことはできなかった。
「……何となく、月が出てたから。それだけだ」
煙草を唇の端に引っかけてくぐもった声を返すレヴィを横目で見て、
ロックはそれ以上追求するのはやめにした。
自分も煙草を取り出してくわえ、火をつける。
「ああ、なんか今日の月は蒼いな」
「そうか?」
「大気の具合かな」
「……さぁな」
隣でレヴィが、深々と煙草を吸い込む。
……ジ、と巻紙と葉の焦げる音がして、先端がふわりと朱さを増した。
一緒に見上げた視線の先で、二人分の煙がゆっくりと夜空に立ちのぼり、絡まって溶けていった。

413 :ロック×レヴィ 月  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/07(日) 21:17:29 ID:EH+S4pqv

「月、綺麗だね」
しばらく続いた沈黙を破ったロックの言葉に、レヴィはちらりとこちらを見上げた。
「……なんだよ、さっきから。イェーツにでもなったつもりか? そんなもん見りゃ分かる」
「言ったのは俺じゃないよ。詩人でもない。作家だ」
「……フン。どうりで寒気のするセリフだと思ったぜ。日本人か?」
レヴィは興味無さそうに煙草をくわえたまま、月へ目を戻す。
「そうだよ。夏目漱石って人」
「ナツ、メ……? 知らね」
そう、レヴィは知らない。
「うん、ま、そういう人がいたんだ」
知るはずが、ない。
「随分おセンチだな、ロック。日本が恋しくなったか?」
「そうじゃないさ。何となく思い出しただけだ。――柄じゃないのは分かってる」
何も知らないレヴィが、唇の端で小さく笑った。
「……さすが"blue moon"。滅多にないことが起こる夜だ」
「まったくだな。レヴィの珍しい歌も聴けたし」
「うるせェ」
レヴィは、眉をひそめて睨み上げてくる。
その剥き出しで冷たくなった肩に、ロックは手をまわした。
「帰ろう、レヴィ。夜は冷える」
「……ああ」
レヴィは案外素直に提案を受け入れた。


二人で、来た道を戻りながらロックは思う。

レヴィは知らなくていい。
この先も、ずっと。
知らなくていい。


夏目漱石が、" I love you."を「月が綺麗ですね」と訳したことなんか。








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