66 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/27(土) 21:02:51 ID:UpQ1x7yE

「レヴィ」
ロックの声に、レヴィはロードスターの助手席で目を覚ました。
遠出をして、ふたりで一仕事終えた帰り道。
疲れがたまっていたのか、
ロックに運転を任せているうちに、レヴィは寝入ってしまっていたらしかった。
眠い目をこすって辺りの様子をうかがってみると、車はだだっ広いスペースに停まっていた。
駐車場らしく舗装されているが、周りにはほとんど車が無く、閑散としている。

「……どうした?」
太陽は地平線に近づいてきているが、夕刻の空はまだ明るい。
順調に車を飛ばしても、ロアナプラに帰り着くのは日が暮れてからのはずだった。
ここがロアナプラからまだ遠く離れた地であることは一目瞭然。
何かトラブルだろうかと思ってロックの方を見ると、
ロックはエンジンキーを引き抜いて言った。
「いや、ちょっと寄って行こう」
「――寄って行こうって、どこにだよ」
レヴィの問いに、ロックは人差し指で答えた。

ロックの指が示した方に視線をやると、
そこにはポップな色が踊る、やけにファンシーなゲートがあった。
ゲートの先には、コースターや回転ブランコなどの鉄骨が見えている。
「……遊園地?」
「そのようだね」
「おいおい、正気か? まっすぐ帰ったって夜だぜ。
ダッチに報告もしないといけねェのに、こんなとこで寄り道してられるか。
ガキじゃねェんだ。さっさと帰るぞ」
しかし、ロックは引き抜いたエンジンキーをポケットにしまった。
「ダッチには今さっき連絡しといたよ。
今日はもう事務所に顔出す必要無いから、ゆっくりしてこいってさ」
そして、ドアを開けて外に出る。
「――おい!」
「ああ、そのカトラスは車に置いてった方がいいと思うよ。
グローブボックスの中にでも入れておいたら?」
目で抗議をすると、ロックは笑って座席のレヴィを見下ろした。
「いいじゃないか、たまには息抜きも必要だ。ちょっとだけだから、付き合ってよ」
レヴィが渋々車を降りると、ロックは恥ずかしい様相を呈しているゲートに揚々と向かい、
二枚のチケットを買った。


67 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/27(土) 21:03:52 ID:UpQ1x7yE

入場口をくぐると、そこは駐車場と同様、さびれて閑散としていた。
塗装してからもう何年も経っているのだろう、色褪せて所々剥げた遊具が並んでいる。
妙に空間の目立つ園内には、時折小さな子供とその親らしき人々が散見されるだけ。
掃除も行き届いておらず、フライドポテトの紙容器らしき残骸や使い終わったストローなどが、
隅の方にに吹き溜まっていた。
音の割れたスピーカーから流れる明るい音楽が、却ってもの寂しい。
ロックは、やる気の無い店番が新聞を読んでいるゲームコーナーや、
客を乗せずに止まったままのコーヒーカップ、
メリーゴーランドなどの間を迷いなく突き進んで行った。
レヴィは遊園地になどこれまで来たことも無いので、
物珍しくあちこちに視線をさまよわせていると、あやうく置いて行かれそうになるほどだった。

ロックは園内の奥まで行って、ようやく足を止めた。
「これ、乗ろう」
言われて見上げた視線の先にあったのは、大きな観覧車だった。
首が痛くなるくらいに見上げても、一番てっぺんまではよく見えない。
数え切れないほどのゴンドラをつけた円が、ゆっくりゆっくりと回っている。
レヴィが見上げていると、左手をロックに取られた。
「行こう」
引っ張られるままに、レヴィは観覧車の乗り場に続く階段を上がった。
客など来ないだろうと居眠りをしていた昇降場の係員をたたき起こすと、
ふたりで狭いゴンドラの中に乗り込んだ。


固い座席に向かい合って座り、ドアが閉められると、ゴンドラは徐々に高度を増していった。
地上に散らばるパラソルや屋根、今まで通り過ぎてきた遊具などが、どんどん小さくなってゆく。
身体には感じない程度の遅さで回る観覧車というのは、随分とじれったい乗り物だった。
「ロック、これに乗りたかったのか?」
「そうだよ」
「……観覧車、好きなのか?」
「――いや、そういうわけじゃない」
ロックの答えに、レヴィは首をひねった。
「じゃあ、なんで――」
「観覧車、探してただろ、レヴィ」
「……え?」
「日本で縁日に行った時、言ってたじゃないか」

『カーニバルか。観覧車が見えねえな』

レヴィの脳内に、記憶が蘇った。
吐く息すら白く凍りつきそうな、星の出た寒い夜。
タクシーの中からふと目に留まった縁日を見て、確かにレヴィはそう言った。

「――覚えてたのか」
「覚えてるさ」
言った本人は今の今まで忘れていたというのに。
あれからもうどれぐらい経っただろう。
何の気無しに言った言葉の切れ端が、こんな形で拾われるなんて。
「……あたしが知ってる観覧車ってのは、もっと小さくて速いやつだけどな」
「ああ、映画の中で見るような、足ぶらぶらさせて乗るやつか」
「すっげー速いんだぜ、あれ。
アミューズメントパークのはどんなだか知らねェが、移動式遊園地のやつは大抵そうだな」
「へえ。日本のはみんな、こんなかんじにゆっくり回るやつだからな。
移動式遊園地か……。いいな、それ」
「……別に、いいって程のもんでもねェよ。ただの子供だましだ」


68 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/27(土) 21:04:41 ID:UpQ1x7yE

レヴィが子供の頃過ごしたニューヨークの街角には、
時々、魔法のように移動式遊園地が出没した。
見慣れた街角はたちまちお伽の国と化し、きらびやかな灯りを振りまいた。
色とりどりのお菓子に、つやつや光るキャンディ・アップル。
子供の歓声と笑顔を乗せて回るアトラクション。
人々の笑い声と明るいざわめき。
数夜限りの夢を振りまいて、気が付くと煙のように消えてしまう。
その光景は見ているだけでも心躍ることだった。
幼いレヴェッカはその中に混じることはほとんど無かったのだが――。

特に思い出したくもない記憶に引きずられそうになって、レヴィはゴンドラの窓の外に目をやった。
地上はもう遙か下だ。
うす青い空が迫ってきている。
つかみどころのない青に、うっすらと白い雲が漂っている。
レヴィは窓際に肘から下を乗せ、額を窓ガラスに寄せた。

昔から、空の青だけは好きだった。
雨は傘を持たないレヴェッカに冷たく、風は温かな上着を持たないレヴェッカに薄情だった。
空の青さだけがレヴェッカを傷つけず、誰に対しても公平だった。
レヴェッカは、たいそうな事は望んでいなかったはずだった。
ただ、人並みのものが、欲しかっただけだ。
例えば、ゴミ箱から残飯を漁らなくても済むくらいの食事。
それから、安心して眠れる寝床。
そんなものを望むのは、分不相応なことだったのだろうか?
他人より多くのものを望むわけじゃない。
他の子供が当たり前のように持っているものの内のひとつでもいいから、欲しかっただけなのに。

レヴィの意識がうす青く染まる。

――空が、近い。


69 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/27(土) 21:05:49 ID:UpQ1x7yE

 * * *

口を閉ざしたレヴィがぼんやりと窓の外に目を向けるのを、ロックは向かいに座ってじっと見ていた。
斜め上に固定された横顔からは、何の表情もうかがえない。
焦点の合わない目が、空だけを映す。
ロックには、今にも彼女の意識がふわりと抜け出して、昇っていってしまうように思えた。

――行くな。

ロックは衝動的に、窓枠に乗せられたレヴィの手に自分の手を重ねた。
触れた瞬間レヴィは、はっと意識を戻した。
瞳に表情がかえる。

「……飽きた?」
「――いや、そうじゃねェが……。眠くなるな、これ」
「確かに。今度は、レヴィの言った観覧車に乗ろう」
「……ニューヨークの話だぞ」
「ここにもきっとあるよ、移動式遊園地」
「どうだかな。雲をつかむような話だ」
「運が良ければ出会うさ。車で走ってたら偶然目に入った今日みたいに」
レヴィは、さあな、と言うように肩をすくめた。
「いつか、一緒に乗ろう」
重ねた手をそっと握ると、レヴィはしばらく沈黙した後、小さく笑って呟いた。
「……運が良ければ、な」
「ああ、運が良ければ」


暮れ方の太陽の光は大分弱々しくなってきていたが、まだ夜は遠そうだった。
「失敗したな。どうせ観覧車に乗るんだったら、夜にすれば良かった」
「はァ?」
眉をひそめるレヴィの片手を取ったままロックは立ち上がり、
レヴィの背後のガラス板に手をついた。
「そうすれば、『星を見て』って言えたのに」
レヴィは眉を上げてみせると、唇の端で笑った。
「……"Look at the star!"って、アブラとキャルのように、か?」
「そうだよ。今ときたら、星ひとつ出ちゃいないし、太陽は沈みかけだ」
「アホが。……星が出てなきゃ、キスひとつ出来ないのか?」
レヴィの瞳がまっすぐロックを射抜いた。

その瞳に誘われるように、ロックは身を屈めた。
重ねていた彼女の手を離し、同じ手で顎をとらえる。
レヴィの背後についた手へ体重がかかり、ゴンドラが静かに傾いた。
が、構わずロックは唇を重ねた。
温かくなめらかな唇を触れ合わせては柔らかく挟みこむ。
浅い口づけを繰り返す。
やわらかい粘膜が離れた時にたてられる音が、狭いゴンドラの中に響いて、鼓膜を震わせた。
レヴィの片手が背中にまわってきた。
更にふかく口づけてしまいたい衝動に駆られたが、もう地上が近い。
後ろ髪を引かれながら唇を離した。
最後に中指の先で触れたレヴィの唇は、しっとりと湿っていた。


70 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/27(土) 21:06:51 ID:UpQ1x7yE

観覧車を降りてからぶらぶらと園内を歩いていると、軽食や菓子を売るスタンドが並んでいた。
ホットドック、ピザ、わた飴、アイスクリームといった日本でも見るようなものに混じって、
時々見たことの無いものもある。
うす茶色の平べったい円形に、粉砂糖らしき白い粉がかかっているもの、
あれは一体なんなのだろう?
ロックはよく分からない物体に目をやりながら言った。
「結構色んな種類のスタンド出てるんだな。珍しいのもある。こんなに客いないのに」
すると、レヴィはロックの視線をたどった。
「あの丸いやつなら『フランネルケーキ』だぜ。……何だ、日本では無いのか?」
「『フランネルケーキ』? 初めて見た。アメリカではメジャーなのか?」
「ああ、ニューヨークじゃよく見たな。揚げ菓子みたいなもんだ。カーニバルなんかじゃ必ず出てた」
レヴィはどこか懐かしそうな目をする。

ロックはそのスタンドに足を向けた。
そして、暇そうにしている売り子に声をかける。
「ひとつ、下さい」
適当に紙皿に乗せられたそれを持ってレヴィのところに戻ると、
彼女は、なにやってんだ、というような呆れ顔をして、眉間に皺を寄せた。
「一緒に食べよう。この際だ。どうせ今日中には帰れないよ」
言って手近の丸テーブルにつくと、
レヴィも、しかたない、といった様子で小さく息を吐いて椅子に座った。


結構な面積のある揚げ菓子を目の前にして、とりあえず、ふたりで少しずつちぎってみた。
指先に油と粉砂糖をつけながら、口に運ぶ。
小麦粉と砂糖をこねて、油で揚げ、粉砂糖をふったもの。
フランネルケーキは、単純に、そんな味がした。
「……素朴な味だね」
ロックが感想を述べると、レヴィはしかつめらしい顔をして口を動かしていた。
「なんつうかこう、ドーナッツみてェだな。上にかかってんの粉砂糖か? 甘ェ」
「……え、レヴィ、食べたことあるんじゃなかったのか」
まるで初めて食べたかのような口振りに驚くと、
レヴィは口の中のものを飲み込んで、口の端についた粉砂糖を指先で拭った。
「ねェよ。『見た』っつっただけだろ。食ったことあるなんて誰が言った」
そしてまた、適当にちぎり取る。

なんとなくロックひとりで空回った気がして間が悪く思っていると、
レヴィが突然立ち上がった。
「口ん中が甘ェ! ちょっと飲みもん買ってくる」
そこにいろよ、と言い置いて、レヴィはスタンドの方へ歩いて行った。
確かに、飲み物なしで最後まで食べろと言われるのは少々きついかもしれない。
多分これは、子供の頃の思い出を食べるものなのだろう。
特別な日に外で買って食べる、甘いお菓子。
それを食べたことが無いと言う彼女に対し、
今になって差し出すのは、ちょっと無神経だったかもしれない。
ロックは先走った自分に少しばかり後悔した。


71 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/27(土) 21:08:21 ID:UpQ1x7yE

「待たせたな、ロック」
レヴィの声とともに、壜が二本、テーブルの上に置かれた。
そして、オニオンリングとホットドックの乗った皿も。
戻ってきたレヴィはもとの席に腰を下ろした。
「あんたはこっちな」
二本あるうちの一本をこちらに寄越し、レヴィはもう片方の壜を取る。
渡されたのは、ウィルキンソンのジャンジャーエール。
レヴィが取ってあおっているのは――
「ずるいぞ、レヴィ! 自分ばっかり!」
茶色い壜の表面に汗をかいた、チャーンビール。
「あ? 何がずるいんだよ」
二匹の象が可愛らしく向かい合ったラベルの壜を唇から離して、
レヴィはちらりとこちらに目を向けた。
「運転手はおとなしくソフトドリンクでも飲んでろ。飲酒運転はいけねェな」
そう言って、これ見よがしにまた美味そうにビールを飲む。
ロックはため息をついて、緑色の壜に口をつけた。
ぴりっと辛い炭酸とジンジャーの味が、乾いた喉に心地よかった。
しかし――
「オニオンリングとホットドックだったら、どう考えてもビールだろ……」
お世辞にも上手に揚がっているとはいえないオニオンリングをもそもそと噛みながら、
ロックは恨めしげにレヴィを見た。

同じようにオニオンリングに手を伸ばしていたレヴィは、
しょうがねえな、といったように肩をすくめると、壜を寄越してきた。
「一口だけだぞ」
「どうも」
受け取って、ロックは冷えたビールを流し込んだ。
さっぱりとした炭酸が喉の奥ではじけて、食道の中をすべり落ちていった。
「あっ、ちょっ、ロック、どんだけデカい一口だよ! 飲み過ぎだぞ、コラ!」
レヴィが取り返そうと身を乗り出してくる。
「残念でした。日本人はビールを見ればイッキするように出来てるんだ」
「ふざけんな、バカ!」
「日本人の習性を見誤ったレヴィが悪い」
残り少なくなった壜を笑って返すと、レヴィは乱暴にひったくっていった。
「怒るなよ、レヴィ。もう一本買ってくるから」

新しいビールを買って戻ると、レヴィの機嫌は簡単に直った。
そもそもこんな程度のものは機嫌が悪いうちに入らないが、
どうせ食事をするなら少しでも楽しい方がいい。
あまり質のよろしくない油で揚げられたオニオンリングも、
冷凍らしきソーセージを頼りないパンに挟んで、
鮮やかすぎる赤いケチャップと黄色いマスタードをうにうにとかけたホットドックも、
ふたりで楽しく食べればそれだけでご馳走だ。


72 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/27(土) 21:09:47 ID:UpQ1x7yE

沈みかけた太陽が世界をオレンジ色に染めあげる中、少し早い夕食を済ませてしまうと、
刻々と暗くなってゆく園内を、ゆっくりと駐車場の方へ歩いた。
母親と手を繋いだ子供が、ちらほらと出口へ向かっていく姿も見える。
乗り手のいない遊具には、ところどころ欠けた電飾が光り出した。
「何か他にも乗ってく……?」
ついでだから、と思ってかけた声は、レヴィの耳には入っていないようだった。

彼女の目線は、一点に固定されていた。
向けられているのは、客もいないのに煌々と明かりをふりまいているスタンド。
目にいたい程の光の中でレヴィの視線を浴びているのは、
細い棒に刺さった、透明の飴をかけられてきらきらと赤く光っている丸いもの。
――りんご飴。
女性の拳よりも一回り小さい赤い球は、日本の夜店で見たりんご飴によく似ていた。
「ちょっと待ってて」
ロックは、先ほどしたばかりの反省も忘れて、
『キャンディ・アップル』と称して売られているものを一本、買った。
「あげる」
レヴィに差し出すと、彼女は躊躇した末、おそるおそる受け取った。
「……もう腹いっぱいだぞ」
「無理に全部食べることないさ。こういうのは気分だろ?」
レヴィは手に持ったキャンディ・アップルを見下ろしながら、口の中でぼそぼそと言う。
「――ガキじゃあるまいし……」
「大人になったからこそ、ちょっとぐらい贅沢したっていいじゃないか。持ってるだけで可愛いし」

唇を尖らせたレヴィは、つややかな透明の膜をまとった赤い球に、歯を立てた。
かりっ、と小気味よい音をさせて囓りとる。
「……美味い?」
聞くと、レヴィはしゃくしゃくという果汁のみずみずしい音を立てて咀嚼しながら、
無言でこちらにキャンディ・アップルを差し出してきた。
ロックも一口囓ってみると、水飴の甘さとすっきりしたりんごの爽やかさが口の中で混ざり、
意外と食べやすかった。
「結構、イケるな」
「……そうだな」
車のところへ戻る間、レヴィはキャンディ・アップルを指の中でくるくる回して、
それに視線を落としていた。
そこここに設置されたライトを反射して、つやつやした球面は小さな光を何度もちらつかせた。

車まで戻っても、レヴィの持つキャンディ・アップルは、ほとんど減っていなかった。
「腹一杯だったら無理しなくていいよ。片づけてこようか?」
ロックは手を差し出したが、レヴィはかぶりを振った。
「いや、いい」
そして、走り出した車の助手席で、思い出したようにちびちびと口をつけた。


73 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/27(土) 21:10:42 ID:UpQ1x7yE

このまま走り続けても、ロアナプラに帰り着くのは夜中だ。
それに、呑んだ内には入らないが、アルコールも口にしている。
発車させてからほど近いところにモーテルを見つけたので、そこに一晩泊まっていくことにした。
部屋のドアを開けてみると、埃っぽい室内に、古びたシングルベッドが二台。
上等とはいえないが、ベッドで寝られるだけありがたい。
自分たちの下宿だって似たようなものだし、車や船の中で寝ることもざらだ。
ロックもすっかりそんな暮らしに慣れた。

先にレヴィにシャワールームを譲って、入れ替わりにロックもシャワーを浴びた。
手早く身体と髪を洗い、腰にバスタオルを巻きつけて出てみると、照明を落とした部屋の中で、
レヴィはふたつ並んだベッドの片方に腰掛け、窓の外を見ていた。
シャワールームから出てきた時の格好のまま、下着一枚で、バスタオルを肩からはおっている。
「レヴィ、いつまでもそんな格好してると風邪ひくぞ」
ロックは、レヴィの背後から近寄った。
「――ん、あぁ……」
生返事をするレヴィのかたわらに手をついて、背中越しにロックも窓の外に目をやる。
レヴィの視線の高さに合わせると、
暗闇の中にはちょうど、さっきまでいた遊園地が浮かび上がっていた。
近いとも遠いともいえない微妙な距離の向こうで、
ライトアップされた観覧車がひときわ目についた。

「観覧車は、好きだったの?」
尋ねると、レヴィは小さく肩をすくめた。
「好きって言うほど乗ったことねェよ。……乗ったのは、一回だけだ」
もうずっと昔にな、と呟くレヴィの後ろに、ロックは座った。
記憶を遡るように、レヴィは伏せた睫をゆっくりとしばたたかせた。


74 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/27(土) 21:11:51 ID:UpQ1x7yE

 * * *

「一回だけ、移動式遊園地に行かせてくれたことがあったんだ」

幼いレヴェッカの家は貧しかった。
なけなしの金は全部、父の酒代といかがわしい雑誌やビデオ、女遊びの為に消えた。
毎日の食事だって満足に無い。
そんな中で、レヴェッカが遊びに使える金など、あるはずが無かった。
子供らしい娯楽は別の世界の出来事のようだった。
いつも金網の向こうに、幸福な光景を羨望の目で見ていた。
しかし、どういう風の吹き回しか、移動式遊園地へ行って来いと言われたことがあった。

「母親に、5ドル持たされてよ。『これでしばらく遊んで来い』って」

嬉しかった。
夢でも見ているのではないかと思った。

「アホだよな。男連れ込むために追い払われたとは全く気づかないでよ」
「レヴィ――」
背後に座ったロックの腕が、ゆるやかにまわってきた。
「……ガキだったのさ、あの頃は」

何も知らない子供だったレヴェッカは、純粋に楽しかった。
5ドル程度ではいくらもアトラクションに乗ることは出来ないし、
賑やかな音を立てて誘惑するゲームのコーナーも、
甘く香ばしい匂いを放つキャンディースタンドも、
すべての興味を満たすには全く足りなかった。
それでも、どれかは選べるのだということ、ただそれだけで嬉しかった。

なぜその中で観覧車を選んだのかは、よく分からない。
けれど、一番たかいところへいけるその乗り物に、心惹かれた。
観覧車が回転する前、他のゴンドラに客が乗せられていくのを待つ間、
中空から見下ろした街は、肥溜めのくせにやたらと美しく見えた。
射的で遊んで、レモネードとピザ、それからカラフルなジェリービーンズを少しだけ買うと、
もう5ドルは使い果たしていた。
本当は、赤く輝くキャンディ・アップルに心惹かれていた。
白々としたライトを反射させて光る赤は、おおきな宝石のように思えた。
けれど、それを買うには残った金では足りなかったし、そばで見ることが出来ただけで充分だった。
それに、ちいさなジェリービーンズだって文句なく可愛らしい。
レヴェッカは、その後しばらく、それを食べてしまうことが出来なかった。
紙に包んで奥に隠し、そうやって隠しておきながら、しょっちゅう取り出しては包みを開いた。
甘い香りを嗅ぐと、あの一夜の記憶が蘇った。

75 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/27(土) 21:13:33 ID:UpQ1x7yE

「……たのしかったよ、すごく」
「そう……」
ロックからは何か言いたそうな気配を感じたが、レヴィが黙っていると、
そのまま飲み込んだらしかった。
「お母さんは、優しくしてくれることあったの? ――その、時々は」
「優しい!?」
その単語とあの女とがあまりにも釣り合わず、レヴィは思わず笑ってしまった。
「『なんで産まれてきたんだ』ってあたしにあたるようなヤツだぜ? てめェで生んだくせしてよ」

母は、若くしてレヴェッカを産んだ。
水商売をしていたところ、客だった父とデキたのだと言う。
結局、彼女はまだまだ子供だったのだろう。
働きもせずに酒ばかり呑む父にヒステリーを起こし、いつも耳障りな声で怒鳴っていた。
「こんなはずじゃなかったのに」
「ほんとはあんたなんか産みたくなかったのよ」
「あんたなんか産まれてこなければ良かったのに、ヴェッキー」

「んなことあたしに言われたって困るぜ。なぁ、そうだろ?」
ロックの返答は待たずに、続けた。
「文句言うなら種付けしたヤツに言え、ってんだ」
母が一体どんな顔をしていたのか、レヴィはもうよく思い出せない。
ただ、夜叉のような顔をして吐き出された呪詛の言葉だけが、
頭蓋骨の裏にねっとりとこびりついていた。
「そんで自分の子供はしっかり金儲けの道具にするんだからよ、しっかりしてるぜ」
「……え?」
「――自分の食い扶持は自分で稼げ、ってことさ。……意味、分かんだろ?」
もっとも、稼ぎは自分の食い扶持にすらならず、全部巻き上げられることがほとんどだったのだが。


76 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/27(土) 21:14:46 ID:UpQ1x7yE

ある時、突然警官に呼び止められた。
事態がよく分からないまま、取り囲む警官の言うことから推測すると、
どうやら盗みを働いたと思われているらしかった。
全く身に覚えが無かった。
自分はやっていないと訴えたが、警官達はまるで聞く耳を持ってくれなかった。
あちこちを小突く手は段々と強くなり、拳がみぞおちに入ると、立っていられなくなった。
うずくまったレヴェッカに、容赦なく靴のつま先や踵がめり込んだ。
内蔵がひっくり返るような痛みと、手足が引きちぎられるかのような衝撃。
頭が揺れて吐き気が込み上げ、目の前が暗くなった。
レヴェッカは泣き声をあげて息も絶え絶えに「やめて」と懇願したが、
その泣き顔を見た警官達は、醜い笑いに顔を歪ませ、心の底から楽しそうに笑い声を上げた。
あの時の、腐敗した臓物がうねるような赤黒い顔。
一生忘れないと思った。

レヴェッカの口の中は切れて、生臭い血の味がしていた。
身体も、血と泥が混ざってめちゃくちゃだった。
骨を一本か二本やられていたのだろう、冷や汗が出て血の気が下がった。
頭を蹴られて意識が朦朧としたあたりで、服を剥がれた。
乱暴に布が裂かれる鈍い音。
身体中の皮膚が、すうすうした。
本能的に危険を感じて逃げようとしたが、
万力のような力で押さえつけられた身体は少しも動かなかった。
その直後、脚の間に激痛を感じた。
殴られたり蹴られたりする痛みは、今まで散々親から与えられていたおかげで、よく知っていた。
けれど、そのどれとも違った、重くねじ込まれるような痛み――。
引き裂かれ、力ずくで押し込まれる感覚。

――これは、なに?

自分の身に何が起こっているのか全く分からず、レヴェッカは狼狽した。
ただ、身体の内側に無理矢理侵入されているのだということだけは分かった。
身体の中心に杭を打ち込まれて、内蔵を掻き回されているような。
純粋な恐怖がレヴェッカを支配した。
小さな身体を押しつぶす黒い巨体は、入れ替わり立ち替わりのしかかってきた。
レヴェッカは、磔にされた哀れな供物そのものだった。
それは気の遠くなるほど長い間続き、終わりが来るよりも先に、意識を手放していた。


輪姦されたのだと分かったのは、その少し後。
レヴェッカは七歳。
初潮はおろか、まだ胸だって膨らんでいなかった。


77 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/27(土) 21:16:08 ID:UpQ1x7yE

死んでいないのが不思議なほどに痛む身体を引きずって、ほとんど這うようにして家に帰り着くと、
血まみれで裸のレヴェッカの姿を認めた母は、顔を顰めた。
「汚いわね、ヴェッキー。こっちに来ないでよ」
床が汚れるじゃないの。そう言って、はやく身体を洗って来いとバスルームを指し示した。
そして、脚の間からも血を流しているのに気づくと、汚物を見るような目で吐き捨てた。
「けがらわしい子」

そこにやってきた父は、レヴェッカを見ると激怒した。
泥酔した呂律のまわらない舌で、酒くさい息を吐きながら怒鳴った。
「なんだこいつは! ファックしやがったのか! 処女は高く売れんのによぅ!」
チッ、と舌打ちすると、分厚い手で母の髪の毛を乱暴につかんだ。
「お前がちゃんと躾けないからだぞ! この淫売が! 淫売の子はやっぱり淫売だな!」
引きずり倒された母は、耳をつんざくような悲鳴をあげた。
「あたしが知るもんですか! あたしの知らないうちに、この子が勝手に……!」
両親は自分の子供など全く目に入っていない様子でののしり合った。

レヴェッカは部屋の隅で静かに泣いた。
つかみ合い、怒鳴り合う両親を見ながら、泣いた。
身体も確かに痛かった。
けれど、薬をつけてくれなくても、包帯を巻いてくれなくても、
病院に連れていってくれなくても良かった。
ただ、
「かわいそうに、ヴェッキー」
そう言って、抱きしめてくれるだけで良かったのに。


78 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/02/27(土) 21:17:49 ID:UpQ1x7yE

その後からは、父から加えられる暴行の種類がひとつ、増えた。
「他人にやるぐらいだったら俺が味見してやったのに」
そう毒づいて、父はレヴェッカにのしかかってきた。
「お前の身体には淫売の血が流れているんだからな。これからはてめェの身体で稼ぐんだぞ」
だから調教してやるのだと言って、身体を開かせた。
しかし、何度繰り返されても、激しい痛みが消えることは無かった。
痛いと言って泣くと、うるせえ、と激昂して頬を張られた。
そのうち、どんなに痛くても声を上げず、涙も流さずにいることを覚えた。
父は、レヴェッカの薄い身体を押さえつけながら言った。
「お前は俺が作ったんだからな。俺の好きにして当然だろ? たっぷり稼いで来いよ」
そうして、娘の血をなすりつけて、狂ったように笑った。

母はもちろん、気づいていた。
組み敷かれながらふと頭を巡らせると、
開け放たれたドアの向こうに、どす黒い顔をして見ている母の姿を認めることさえあった。
たすけて、母さん、たすけて――。
しかし、レヴェッカの哀願は届かなかった。
母の顔は憎悪に歪み、目は憎しみで濁っていた。
「まだまだ子供だと思ってたら、いっぱしの娼婦ね、ヴェッキー」
レヴェッカの顔を見るたび、思い出したように、ねばついた声で言った。
やわらかい耳たぶを、母は尖った爪でつねった。
「その目でたらしこんでるの? いやらしい子」
そう言って、レヴェッカの頬をとらえた。
母の細い指は、ぎりぎりと薄い皮膚に食いこんだ。


「……父親はガキに手を出すファッカー、母親は自分で作ったもんにもジェラシー燃やすような女だ」
「――レヴィ……」
ロックの吐き出した息が、首筋にかかった。
「……昔の話だよ、ロック。昔の話だ。今はもう、二人とも、――いない」


父の虐待はエスカレートしていく一方で、その矛先は母にも及んだ。
殴る蹴るは当たり前。
生傷の絶えない顔と身体では、客も取れない。
質に入れられるものは全部、父の酒代となって消えた。
貧しさは底を極めた。
母は元々弱い人だったのだろう。
身体とともに精神も壊れていった。
突然奇声を上げたり、かと思うと部屋の隅で死んだように丸まってみたり。

レヴェッカが最後に見たのは、父が隠し持っていた拳銃を自分のこめかみに当てる母。
引き金に指をかける母と目が合った。
立ちすくむレヴェッカに、母は言った。

「さよなら、ヴェッキー」


その時からレヴェッカは、『ヴェッキー』という呼び名が死ぬほど嫌いになった。



96 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/03/03(水) 20:56:14 ID:TSxhsj9a

 * * *

「母親は、拳銃で自殺した。……それから数年後かな。その拳銃で、あたしが父親を殺した」
そう言ってレヴィは、ふぅっ、と大きく息を吐いた。

その時、ロックの脳裏にひとつの場面が蘇った。

『ロック、傷になる、あいつを見るな』

冷たい風が吹きすさぶ日本で、死んだ男の後を追って自らの喉に刃を突き立てた少女。
レヴィは「見るな」と言った。
かすれた声で、絞り出すように。
「傷になる」から、と。
あの時、深い傷を負って、おびただしい鮮血を流していたのはレヴィの方だったというのに。
ロックの傷になるから、見るな、と。
青ざめた顔をして、崩れ落ちそうになりながら。
レヴィ。
歪んで、捻れて、ひどく不器用な、やさしい女――。

「レヴィ――」
ロックは、後ろから彼女を抱きしめた。
彼女の傷――。
レヴィの傷は、まだ生のままそこにある。
胸の奥で、真っ赤な血をとろとろと流し続けて。

しかし、抱きしめたレヴィの身体は、強ばっていた。
いつものように、ゆっくりと力を抜いて、こちらに身体を預けてはこなかった。
「……少し、話し過ぎた」
レヴィの低い声が、小さく零れ落ちた。
「――」
何か言おうと息を吸い込むと、途端に腕の中の身体が緊張した。
呼吸が胸の奥に引っ込んで、首を落としたままの姿勢で固まった。
レヴィが、ぎゅっと縮む。

ロックは瞬間的に理解した。

――身構えている。

レヴィが身を固くしているのは、間違いなく、ロックがこれから発する言葉に対してだった。

後悔の念が激しく沸き上がった。
過去の、自分が言ったことに対して。

――俺は、レヴィに、何を言った?

『答えに詰まりゃ都合よく悲劇のヒロインかよ。それがお前の一番、卑怯なところだよ!!』

ロックのような温室育ちには、どんな暮らしをしてきたかなんて分かるハズが無い、
屋台の箸立てをなぎ払ってそう叫んだ彼女に、何て事を言った――?


97 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/03/03(水) 20:56:48 ID:TSxhsj9a

『悲劇のヒロイン』?
彼女が生きてきたのは、『悲劇』などという甘美な物語ではなく、ただの現実だった。
そして、自分の人生でありながら、『ヒロイン』ですらなかった。
他人に振り回され、世界に翻弄される中で足掻いてきた彼女。
彼女のストーリーには、王子様も足長おじさんも登場しない。


「ったく、はた迷惑な奴等だよなァ? 厄災だけ産み落としていきやがった」
レヴィは明るい声で言った。
しかし、精一杯の明るさは却って不自然で、痛々しかった。
「ま、今から考えてみりゃ、真理を突くことも言ってたな。
結局、血と運命からは逃れられないってことさ。
それにあたしが気づくのが、ちょっと遅れただけってことだ。
親の言うことも聞いとくもんだなァ? ろくでなしの子はろくでなし、淫売の子は――」
「違うよ、レヴィ」
妙に饒舌な彼女を、ロックは遮った。
「そうじゃない。レヴィはろくでなしでも淫売でもない」
「――やめろ、ロック。あんたは知らないんだ。あたしが何をしてきたか。
それを知ったらきっと、あんただって――」
「……ああ、知らないよ。けど、じゃあ、レヴィは何をされてきたって言うんだよ」
やりどころの無い、怒りに似た感情が沸き上がっていた。

ぴたりと黙った彼女の後ろから、続ける。
「レヴィは、生き残ったんだろ? 自分の力で。
地獄の中を勝ち残ったんだ。
血なんか関係あるか。運命だってクソ食らえだ。――選ぶのは、レヴィだ」
彼女の希望と尊厳を踏みにじった者が憎かった。
蔑まれ続けて生きると、誇りが失われる。
「レヴィはレヴィだ。何にだってなれる。そうだろ?」

誰もが少なからず罪を背負っていて、完全な善人などいない。
皆、楽園を追放された不完全な人間に過ぎない。
なるほど彼女は罪深い。
けれど、本当に罪深いのは一体誰だろう?
生まれながらにしてついた差。
悪夢のような負の連鎖。

――でも、選ぶのは、変えるのは、世界でも他人でもない。自分だ。


98 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/03/03(水) 20:57:26 ID:TSxhsj9a

ロックは、レヴィの耳元に唇を寄せて囁く。
なるべく優しく響くように。
「……難儀だったな、レヴィ」
「――別に、」
大した事じゃない、多分そんなようなことを言いかけたレヴィに全てを言わせず、
ロックは言葉をついだ。
「俺は、レヴィの両親を赦すことは出来ない。
――けど、レヴィを産んでくれたことにだけは、礼を言わないと」
レヴィの身体が小さく震えた。
息が鋭く吸い込まれた後、細く吐き出された。

「どんなにレヴィが地獄を見てきたとしても、俺は、生まれてきてくれて良かった。そう思ってる。
だって、――会えた」
すごくエゴイスティックだけど、と言うと、レヴィはかすかに首を横に振った。
「――バカが」
うつむいたレヴィの呟きが、ベッドの上に零れた。
「バカで結構」
「……あたしはただの人殺しだ。もう何人殺したかも、覚えちゃいねェ」
「……知ってる。でも、そんなことはどうでもいいんだよ、レヴィ。
何人死のうが、俺はレヴィが今ここにいてくれればそれでいい。
言ったろ? 俺は自分勝手なんだよ」
レヴィの首がまた、左右に振られた。
「――狂ってやがる」
「……そうかもな。でも、『狂ったこの世で狂うなら、気は確かだ』。そう言うだろ?」
レヴィはため息をついた。
「昔のジョンブルが言ったことなんざ知るか。
……それに、大袈裟すぎんだよ、ロック。別に『地獄』っつーほどのもんじゃない。
良いことだって、それなりにあったさ」
「……観覧車とか?」
「――そうだな」
「あとは?」
「あとは――」
言い淀んだレヴィを無言で促すと、しばらく経ってから、震えた声がもれた。

「例えば、今――」


99 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/03/03(水) 20:58:01 ID:TSxhsj9a

気づいた時にはもう、ロックはレヴィの顎をとらえて、肩越しに口づけていた。
首をねじらせた彼女の片頬を掌で包みこみ、引き寄せる。
まだしっとりと濡れているレヴィの髪が、裸の胸に張りついた。
湯上がりの肌はすっかり冷えてしまっていたが、
今度は先ほどのような拒絶は無く、レヴィの身体にまわした腕は、やわらかに受け入れられた。
皮膚のうすい唇の感触を、何度も確かめる。
穏やかについばむと、レヴィの呼吸が頬をかすめた。
わずかに開いた唇の隙間から舌をさし入れ、浅いところで絡ませ合う。
自分の肌も冷えていたが、冷えた身体どうしが触れ合ったところは、ほのかに温かくなっていった。

頬を支えていた手で首筋を撫で下ろすと、すぅっと筋が浮き上がっていた。
意外と細い、女の首。
肩からかけられていたバスタオルの隙間から手をもぐりこませる。
洗ったばかりの裸の胸。
包みこむと、レヴィの身体が反応して、胸郭がほんの少し沈み込んだ。
冷えた肌を温めるように熱を伝えていると、段々と先端がかたさを増していく。
指のつけ根にしこりを感じながら、掌全体で乳房をそっと揺らすと、レヴィの身体が波うった。

身を乗り出すようにして口づけを深くすると、レヴィの上半身が傾いた。
反った身体を、ロックは腕で支えた。
それでも、レヴィの身体はどんどん溶けくずれていった。
ロックはそんな彼女に覆い被さるようにして、ふかく追った。
最後には、レヴィはベッドのリネンの隙間で、ロックの腕の輪郭に囲われていた。
ロックの身体に吸いつくようにやわらかくなった身体で、うずもれていた。
肩からかけていたバスタオルが少し乱れたその間から、乳房の谷間が覗いていた。

あんな話を聞いた直後にこんなふうに盛るなんて、ひどく不誠実な気がしたが、
それでも、彼女のすべてを知って、すべてが欲しいという想いは止められなかった。
「――抱いても、いい? ……レヴィ、お前を、抱きたい」
はだけた胸元を整えるようにバスタオルの乱れを直しながら言うと、レヴィの眉が寄せられた。
「……バカ。――んな野暮なこと、いちいち訊くな」
そして腕が伸びてきて、首に絡められた。
レヴィの腕に導かれるまま顔を寄せる。
互いの頬に息がかかるほどに距離が縮まった時、レヴィの唇が小さく動いた。
「……イヤだったら、キスなんかするかよ――」
囁くようなかすれた声。
最後の距離は、ロックが詰めた。


100 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/03/03(水) 20:59:13 ID:TSxhsj9a
身体を伸ばして横たわるレヴィのわきに、ロックは肘をついた。
彼女の上半身を覆うバスタオルをそっと開く。
そして、首筋に口づけた。
濡れた髪のせいで湿った肌。
シャンプーと石鹸の香りが匂いたった。
自分からも、同じ匂いがしているはずだった。
なのに、レヴィの肌から感じる匂いは、自分よりもずっと甘くやわらかなものに感じた。

冷たい肩口を掌で包みこんで、真ん中の鎖骨の出っ張りを唇でそっと吸いあげると、
レヴィの息が震えた。
唇を離して、指先で骨を横になぞる。
くっきりと浮き上がる鎖骨が美しかった。
黒いタトゥーが一段と濃く踊っている。
見ていると、レヴィの片腕が胸元にかぶさってきた。
じっと見られているのに気づいたのだろう。
だが、手首をとってゆっくりのけると、簡単に腕は開いた。
レヴィの顔のわきに手首を着地させた手で、掌を重ね、指を絡める。
いつもしている黒革のグローブを外した彼女の指は、自分のものよりずっと細い。
静かに握ると、同じように握り返された。

覆い隠すものが無くなった胸元に、ロックは唇を落とした。
何度も乳房の曲線に口づけた後、とがっている先端へ。
唇で柔らかく包みこんで、そしてやはり柔らかくした舌をよせる。
レヴィの身体の震えと呼吸の乱れが、じかに伝わってきた。
彼女の体温は、徐々に上がっていく。
ほんの少し舌を動かすだけで、レヴィは息をつめる。
軽く吸いたてると、レヴィの身体がよじれて、胸の奥がきしんだような甘い声がもれた。
その声に、自分の体温も上がった。

レヴィは、声を飲みこむように呼吸を止めた。
ロックが乳房の先端から唇を離してレヴィの顔を見ると、彼女の瞳は、
今のはちがうのだ、こんなのは自分の声ではないのだ、と言っていた。
怒ったような困ったような目をして、ふい、と顔ををそむけた。
ロックはレヴィの声が好きだった。
罵声を浴びせる時の低く凄みのある声も、機嫌が良い時の明るく弾むような声も、
眠たい時のぼんやりとしたかすれ声も。
そして、身体を合わせた時にだけもれる、吐息混じりの甘い声。
それがどんなにロックを昇ぶらせるか、レヴィは知らない。

もっと聞かせて欲しかったが、今の様子のレヴィにそれを要求するのはあまりに酷だ。
ロックは代わりに、レヴィの耳のそばに口づけた。
そこから唇をずらして、耳たぶをはさみこむ。
マシュマロよりもやわらかい、少しひんやりとした耳たぶ。
レヴィの身体がきゅうっと小さくなった。
ロックの耳を、あたたかく湿った吐息がかすめる。
それで、充分だった。

レヴィの傷痕だらけの皮膚のすぐ下では、温かい血が流れている。
やわらかく湿った体温。
とくとくと心臓が鼓動する。
呼吸をするたび、レヴィの胸は震えた。
ほのかに息づくレヴィの身体。
この身体を、どうして乱暴に扱えよう。
肌の上を掌や唇でそっとたどるだけで、レヴィの息は揺れる。
その内側は、もっと繊細だということを知っている。
そんな身体を、そして目には見えない奥底を蹂躙していったものを思うと、ロックは哀しくなった。
憐憫や同情などではない。
ただ単に、哀しかった。
レヴィ。
心の底から親を憎める子供なんて、どこにもいないのに。

101 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/03/03(水) 20:59:54 ID:TSxhsj9a

ロックはレヴィの首筋にうずめていた顔を起こして、今度は唇に口づけた。
穏やかに、長く。
レヴィの繋いでいない方の手が背中にまわってくると、身体の中がざわめいた。
「……レヴィ、嫌なことがあったら、言えよ」
「――だから、嫌じゃねえって」
近い距離で見下ろした彼女は、憮然とした表情で言った。

ロックは、やわらかな頬を撫でながら思う。
彼女は一体、この身体の中にどれだけの傷をためこんできたのだろう?
想像もつかないほど沢山の傷と大きな痛みを所有しながら、
それでいて、ひとつもロックに分け与えてくれようとはしないのだった。
ここまで来い、一緒に来いとその存在で誘うくせに、
いざそばに行くと、するりと身をかわし、巧妙に偽装しようとする。
傷に触れないで、と言うように。
もしくは、他人に触れられる前に自ら抉ってみせるかのように。
レヴィのいるところがたとえ地獄であっても、ロックはそこを選んだ。
なのに、肝心な時になると、闇を見るな、腐敗したものを見るなと、そっと目隠しをするのだ。
ロックはレヴィの痛みにこそ、近づきたかったのに。


「じゃ、して欲しいこと、でもいいけど」
喉の奥に笑いを滲ませて言うと、レヴィが言葉につまった。
「な――っ」
部屋の中は薄暗くて顔色まではよく分からないが、きっと耳のふちまで赤くしていることだろう。
前髪をかきあげて額に軽くキスをすると、レヴィが眉間に皺をよせて睨んできた。
「……ふざけんなよ」
からかわれていると思ったのだろう。
特に冗談で言ったわけではなかったのだが、この内容でレヴィから正直な返答を期待するのは無理だ。
「ふざけてないよ」
それだけ言って、ロックはまたレヴィの口を塞いだ。

ロックは、しっとりしたレヴィの全身をゆっくりとなぞった。
わきの下のくぼみも、ひじの内側も、ひざの下から固く突きでた膝蓋骨も。
手の届く限りの全身を、くまなく。
レヴィの身体は美しく、魅力的だ。
しかし、その身体が欲しいわけではないのだと、分かって欲しかった。
――いや、正確に言うなら、全部欲しかった、と言った方が正しいかもしれない。
女の部分だけでなく、彼女のすべてが欲しかった。
ふたりの意志が合致したセックスは、レイプとは違う。
けがらわしいことなんか何も無い。
それを分かって欲しかった。

しかし、何か言えば、彼女はまた『レヴィ』という女を演じなければいけないことを思い出す。
『トゥーハンド』としての『レヴィ』を。
言葉は、肝心な時にはいつも無力だ。
だから、もし彼女が分かってくれていないのだったら、
分かってもらえるまで、行動で繰り返すだけだ。

――レヴィ、分かれよ。

ロックは丁寧に、彼女に触れ続けた。


102 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/03/03(水) 21:00:35 ID:TSxhsj9a

 * * *

ロックが静かに溶けた内側にはいってきた時、反射的にレヴィの身体はわずかに痙攣した。
つむった目のせいで、敏感になった内部をロックがゆっくりと進んでいくのが
却ってはっきりと分かった。
身体の中心をざわりと奔流が走って、レヴィは息をつめた。
ロックは、レヴィが長く息を吐くのを待ってから、唇を重ねてきた。
ふかく貫かれて密着したまま揺らされると、腰の裏まで甘い疼きが響く。
喉の奥から思わず小さな声がもれた。
口の中では舌が絡まっていて、声を噛み殺すことが出来ない。
それを知ってか知らずか、ロックは唇をつなげたまま、緩慢に押しあげてきた。
「――――――ん……っ」
口腔内で声が響いた。
すぐに、つま先も熱を持ってくる。
粘膜をなめらかにこすられている。
そう感じられるくらいに動きが大きくなって、少々息苦しさを感じるようになると、
絡まった舌は解かれ、呼吸は回復した。

けれど、身体の中心でつながった方をかき混ぜられて、吐息に声が混じった。
ロックはゆるゆると往復する。
レヴィの空虚がどれくらいなのかを知らせるように、ふかく、入り口まで戻って、また、ふかく。
自分の本能が、吸いよせるように彼を求めているのが分かった。
ロックは奥を突いたかと思うと、浅いところを漂って、また、奥まで埋める。
最初にどうしても感じる圧迫感や重たい衝撃は、もうまったく無かった。
ぴったりと、彼のかたちに即した身体になる。
レヴィの身体からあふれる粘液をまとって、ロックはレヴィの足りない部分を満たしてゆく。


そう、ロックはいとも簡単に、レヴィの欠けたところを満たす。
そっと撫でる手も、抱きしめる温かな腕も、唇や額に落とす口づけも。
それが、どんなにレヴィにとって特別なことであるか、ロックは分かっていない。
親におやすみのキスすらもらえない哀れな子だった女が、
どんな気持ちでそれを受けているかなんて、絶対に分かりはしないのだ。
世界の腫瘍たるべく肥溜めに生まれ落ちてきて、
実の親をして「生まれてこなければ良かった」と言わしめた女に向かって、
「生まれてきてくれて良かった」と言う馬鹿な男。

母の気紛れで一度だけ乗った観覧車、見ているだけだったキャンディ・アップル、
行ったことのない遊園地、仲の良さそうな家族が楽しそうに食べていたフランネルケーキ、
ただ抱きしめてくれる腕、穏やかなキス、優しい交わり。
それらが、レヴィにとって、どんなに特別な、ことであるのか。
ロックは知らない。

なんだか一生分の幸せを一日で使い果たした気がして、レヴィは泣きたいような気分になった。


103 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/03/03(水) 21:01:21 ID:TSxhsj9a

狭くなった喉の奥を上下させると、ロックの指が髪の中にもぐりこんできた。
「レヴィ……」
瞼をあげると、見下ろすロックと目が合った。
大丈夫? というような顔をされて、レヴィは困った。
こんな時に何を言えばいいのかなんて分からない。
だから、腕を背中にまわしたまま、片脚を絡ませ、ロックの腰に向かってすりあげた。
「レヴィ――」
ロックが微笑して、髪をすいた指が離れていった。

次にロックの両手が腿の裏側にまわったかと思うと、脚がすくわれた。
シーツから踵が離れる。
ロックはレヴィの身体を大きく開かせて、更に奥を突いてきた。
「――――や、……あ…………ッ」
さっきよりも一層ふかいところまで届いたことと、あまりに羞恥を覚える格好、
そして、耳を疑うような女の声に、レヴィは逃げ出したい気分になり、目をつぶった。
情欲が滲み出た、女の声。
男を誘う、女の声。
父は、母は、お前が男を誘っているのだと言った。
いやらしい子、と。
確かにレヴィは、ロックとの情交に快楽を覚えていた。
けれど、ロックには、自分が今まで受けた陵辱をも歓んでいたと思われたくなかった。
セックスが好きなだけな女だと、思われたくなかった――この期に及んで。
――ロック、ちがう。
レヴィは、さらに強く目をつむった。

「レヴィ」
しかし、ロックの穏やかな囁き声が降ってきて、レヴィは瞼をあげた。
ロックの目元は微笑んでいた。
動きを止めたまま、掌でレヴィの頬を撫でてくる。
何度も。
レヴィの心はだんだんと落ち着きを取り戻してきた。
身体の強ばりが解けてゆく。
それを見計らって、ロックは抽送を開始した。
ゆっくりと、大きく、さし貫く。
呼吸と同じリズムで。
彼にしか届かない奥まで、繰り返し。
地上に縫いとめて、とろかすように。
レヴィの体液はロックを根本まで濡らしていた。
これ以上もう進めないほど奥まで満たされて揺らされると、その律動に合わせて声がこぼれ出た。
歯の奥に押し戻すと、また、ロックの湿った声が降ってきた。
「レヴィ」
名前を呼ぶロックの声は、霧雨のようにレヴィの髪や皮膚から染みわたっていく。

右手を伸ばすと、ロックは両脚を支えていた腕を放して、レヴィの手を取った。
「――ロック」
「ん?」
身体を倒してきたロックの耳元で囁く。
「……もう一度。名前――」
彼の声で発音される、今の呼び名の響きが好きだった。
ロックは迷い無く呼んだ。
「レヴィ」
耳の奥に注ぎこまれる。
彼の声は、頭蓋の中でやわらかく反響した。
身体中が水っぽくなった気がした。


104 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/03/03(水) 21:01:54 ID:TSxhsj9a

ロックに突きくずされて、身体の芯まで溶けそうになりながら、
レヴィの意識だけは上昇していった。
もう、浅いも深いも、手前も奥も分からない。
この男に満たされたい。
そして同時に、この男にも自分の身体で満足して欲しかった。

心臓が動悸を忘れるほどに押しあげられた時、臨界を越えて、空中に放り出された。
息が止まる。
甘い痙攣に腰を揺らめかせると、ロックの震えも伝わってきた。
そのまま重なり合って、余韻を最後まで感じる。
思い出したように、汗が体中から噴きだした。
胸が突き破れるかと思うくらいに速い心臓と、上がった息とが、互いに混ざり合う。
熱の膜が全身を覆っている。
意識が冷え固まってくると、ゆっくり身体を引き離した。
肌の上には汗がたまっていた。
汗で張りついたこめかみの後れ毛を、ロックの指がかき分ける。
穏やかな目で笑ってから、ロックはレヴィの隣に移動した。

身体は、今は泥の中に沈んでしまいそうに重い。
けれど、甘い水で満たされたようなだるさは、心地よかった。
向かい合うと、当たり前のようにロックの腕が伸びてきた。
今度は眠るために、抱き寄せられる。
レヴィは、慣れ親しんだ肌の匂いを感じながら目を閉じた。


105 :ロック×レヴィ 観覧車  ◆JU6DOSMJRE :2010/03/03(水) 21:03:15 ID:TSxhsj9a

この地上はまったく厄災に満ちていて、ろくでもない汚物の複合体だ。
……しかし、そんな中にも小さな光はある。
レヴィは、この混沌も悪くない、と思った。

この先、その小さな光が再びまたたくかどうかは分からない。
けれど、「いつか、一緒に乗ろう」と言われた移動式遊園地の観覧車。

約束は嫌いだった。
叶わない未来を期待させられるのは、つらいことだった。
あまつさえ「一緒に」だなど、全く論外。
もう、置いていかれるのは、ごめんだ。

でも、この男とだったら、もしかしたら、きっと――。

どこまで行っても虚無しか無いと分かっている確定より、
たのしい未来があるかもしれないという可能性は良いものだ。

それに、そう、天国に一人でいたって、さみしいだけだ。



 『君のいない天国よりも、君のいる地獄を選ぶ』 (スタンダール)








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