- 278 :レヴィとロック 日本編:2010/09/14(火) 08:43:58 ID:2VhV/543
日本での滞在は、元々予定されていた日数を若干過ぎてはいたものの、
その遅れは充分、想定の範囲内に留まっていた。
既に仕事を終えた『ホテル・モスクワ』の面々は、自分たちより数日早く
バンコク行きの直行便へ乗り込んでいたし、こちらはこちらで飛行機のチケットを取る予定だったから、
全く問題はなかった。
カウンターでチケットを購入し、印字されている日付どおりに空港へいき、搭乗手続きを終えて、
アナウンスに従って搭乗口へ並び、席をみつけ、あとは誰も見ていない機内安全ビデオをチラ見したりしながら、
そうこうするうち飛行機は飛んで、都合6時間半のバンコクへのフライトが始まる。
機内食というもの、あれは悪くない味だが何故か飽きるのだという例のクソッタレの呟きを聞きながら、
空の上で酔っ払うのも悪くないと──
いや、訂正しよう。ひとつだけ、問題はあった。何しろそれは致命的だった。
つまり──
デスクに居た女の忌々しい──
多分I'm sorryではなくExcuse me程度の意味の困り顔──
タイヘンモウシワケゴザイマセンという枕──
“本日中のバンコク行きのフライトは全て満席でございます”。
多分自分もクソッタレもちっともそんなことは想定しておらず、
酷く間抜けな“えっ”“えっ”という鳩が豆鉄砲食らったような顔をしたのだと思う。
“Execute you”と呟いてみるヒマさえなかった。
思い描いていた予定はその時点で鳩が9mmパラベラムを食らったかのように崩れ去っていった。
結局は翌日発の直行便にどうにか空きが見つかって、ともども胸を撫で下ろしたのだが。
半ば本気で“パリ空港の人々”ごっこをしようとしていた自分の意に対し、“連れ”は一言の下にそれを却下した。
勿論、どうせならちゃんとしたところへ泊まろうという提案は悪くなかったし、何しろ自分にはこの国の寒さが堪えてもいたので、
おう、とだけ言って手配を任せてみることにした。
- 279 :レヴィとロック 日本編:2010/09/14(火) 08:46:12 ID:2VhV/543
- 少し考えれば分からないことではない。
ここ日本は今、冬である。
加えて自分たちが日本に滞在している期間中は、クリスマスから新年にかけてを含んでいたのである。
“36週間後に赤ん坊が量産されるためのお仕込み”に忙しい連中は大体のホテルを占拠しており、
ようやく宿泊の手はずを付けられたのは、青とピンクという矛盾したネオンで身を飾り、
入り口は客の姿が見えないようなアプローチのある──
──要するに(要さなくても)ラブホテルだった。
カラオケやゲームに、大画面のテレビに、そのテレビの傍らのシェルフにある電子レンジ、
一緒に置かれたインスタント食品なんかをいちいち見つけてはしゃいでいる姿。
居酒屋で腹はくちくしてきたし、それなりに酒も入っている。後は風呂をつかって寝るだけだ。
どちらが先かの順番を決めるより早く、少し引きずりがちの足音はバスルームに消えていき、
自分がようやっと半生解凍するころ、上機嫌に戻ってきた。
嫌々服用してはいたけれど、痛み止めに何かそういう、ハイになる類の成分が入っていたんじゃないかと思うほどそれは無邪気で、
部屋のほとんどを埋めているベッドへさっさと入り込み、“シーツが冷てェ”と笑う。
分かっているのか分かっていないのか、分かっているけれど口に出さないのか。
時間稼ぎのために、ごうごう音を立ててドライヤーを当てて、髪は完璧に乾かした。
7割ほど乾いたところで冷風に切り替える。アメニティの櫛も遠慮なく使わせてもらう。
防曇加工がされているはずの鏡が湯気のせいでぼんやりとしているのが気に食わず、
しっかりしてくれと呟きかけるが、これでなまじはっきりと自分の情けない表情を映し出されても困るので、
溜息だけをその表面に吹きかけ、バスルームを出た。
──つまりそれは、ちょっとした事故のようなものだったのだ。
あいつの身体が、封筒みたいにぴっちりくっついた布団の片方を剥がして滑り込んでくる。
あいつがバスルームから出てくる寸前、思いついてベッドの片端に寄って寝たふりを決め込んでいたのが良かったのかもしれない。
互いの身体はベッドの右と左の端に、収まり悪くしゃちほこばって、背中を向けて横たわっている。
──同じ生き方を望むべきじゃないと言われた。
──帰れと、一度は跳ねつけた。
ダブルサイズのベッドの、ふたりの身体の間には、深くて渡れない河があるような気がした。
さもなければ、宇宙に散らばった星と星。近くに見えても光年単位で離れていて、
間に横たわった空間を曲げてくっつけでもしなければ、永遠に出会うことはない。
オレはシーツを背中で後ずさる。左半身が擦れる。
あいつはシーツを腰で後ずさる。右半身が遅れてついて来る。
ちょうどそれは、平たく焼いたスポンジ生地を左右両側から巻き込んで作るロールケーキにも似て、
偶然ながら中央で、背中同士が邂逅した。
- 280 :レヴィとロック 日本編:2010/09/14(火) 08:48:20 ID:2VhV/543
- 静止している影にもうひとつ影を近づけていくと、触れる寸前、
動かないほうの影が何故かほんの少し動いて、接近してきた影のほうを迎え入れる。
その現象のように、後は──“なしくずし”という名を付けてもいいぐらいの自然さだった。
お互いが振り向いて、身体をぶつけ合うようにして抱き合う。
肩に額がぶつかり、胸で胸が潰れ、足は絡まってぎこちなくシーツを泳ぐ。
はあはあと荒げた息はけだものじみて、常夜灯のオレンジ色の差し込む布団の中で、
ようやく探り当てた唇を重ねると、内側の歯がカチンと音を立てた。
髪もぐしゃぐしゃに絡めながら頬を手挟んで、自分でもなんだコレと可笑しくなるほど真剣に、
あいつの唇を吸っていた。そして何より恐ろしいことにだ、この自分が、──“二挺拳銃”と呼ばれる自分が、
あいつの顔を見るのが怖いなどという弱気を起こそうとは。
お互いの胸を肌蹴させようとまさぐりあう爪は、手の甲を引っかいたり手のひら同士が吸い付き合ったりでまったく上手くいかず、
とうとう前歯に挟まれた唇が充血して痛み始めて、ようやくバスローブの帯に気付く。
そこを解かなければパイル地は前開きに乱れていくばかりで、脱がせることは出来ないのだ。
何か言えよ。
なんか言えって。
硝子も曇るほど熱い息を吐きながら、言葉が同時に押し出される。
“大きなダイヤ”、“確実に成功するヤツ”。筋金入りの変人かつ博識な我らがボスは、
何を思ってその名をこいつに与えたのだろう。音としては決して間違っていないのだが、日本語でgreenだというこいつの名前の字は、
確かにロクという音も持っているらしいが、それにしたって過分だろう。
ただ納得できるのは、こいつが迂闊に触れればこちらの手指を痛めかねない、
そんな存在であるということだけだ。どんな男をも迎え入れるために柔らかく緩い娼婦たちの肌とは違って、誰にも足跡を記させない肌の持ち主だ。
だが、“ダイヤモンドは砕け散る”。何物にも追随を許さない、やり方を変えないその硬度は、強い力で別のものをぶち当てられれば、粉々になる危険をも秘めている。
ロアナプラに飛び交う弾丸は、どんなものでも、その威力を持っている。
震えているのはどちらの肌か、胸に生暖かく染みるのはあいつの涙か、それとも自分の汗か。
- 281 :レヴィとロック 日本編:2010/09/14(火) 08:50:34 ID:2VhV/543
- なんか言えよ。
ぎくしゃくと肘を立てて、重なり合う身体に、かろうじて隙間を作った。
あの双子の時もそうだった。一発殴ってキスすれば直るだろうとねぐらを訪ねていった自分を、
こいつは今とそっくりな、鼻の頭に皺を寄せて唇を引き結んだ表情で見つめてきた。
そして、いざ押し倒して挑みかかろうとした時に──泣かれた。ケトルの蓋が弾け飛ぶようにこいつは泣いた。
ワンダーランドのアリスのごとく共々溺れ死ぬんじゃないかと危惧するぐらいに泣いた。
髪に唇で触れてやっと分かる湿り気。あのロアナプラで、空からまるで雨のように日差しが降り注ぐ街で、
どうやってこいつの髪はこの柔らかさを保っているのか。
豊かな胸の谷間にもキスをする。バスローブの帯に作られた蝶の翅を手繰り、
輪の部分が結び目を通り抜けていくと同時に、駄目押しで囁いた。
“二挺拳銃”は伊達じゃねェ。
死ぬほど悦くしてやるから、さっさと脱いでとっとと足開いとけ。
そんな物言いしか出来ない自分を呪いながらも、鼻を鳴らしたこいつは、いつものレヴィだ、と笑うのだ。
全くの無駄に終わるかもしれないが、キスして舌を絡め胸を弄り全身に手を這わせ足を開かせ以下略というお作法を引っ張り出す。
しかし、もう痛くないように重ねた唇の威力で、ありがちなHow toは木っ端微塵に吹き飛ばされて、そこからはもう、停まらなくなった。
軋まないベッドの上で、オレは初めて、彼女を抱いた。
名前のない女を抱くのではなくて──彼女と、オカジマミドリと、多分ほんもののセックスを、した。