453 :名無しさん@ピンキー:2010/10/08(金) 20:12:42 ID:Mrf/+3c6

「ばーか」
レヴィの声が聞こえた。
「ばーかばーか。あほんだら。くそったれ。」
鼻を摘まれている。少し苦しい。
「ばか」
瞼が開かない。けれど、それでいい。
俺が起きている時には何も言わないのだから。


レヴィは何も言わなかった。
俺の選択を否定も肯定もしなかった。
そう、何も言わないのは、彼女と、あとはせいぜいベニーくらいのものだ。

事後の話をしに行った先では、脚を撃たれた女の嫌味の嵐。
彼女の特徴ある甲高い声に頭痛が酷くなった。
もっとも、掃除屋は本業繁盛で、随分と機嫌が良かったが。
あの大量の身元不明の遺体をどう処理したのかなんて知らないし、知りたくもない。
だが、数日後には裏道に立ち込めていた死臭が消えていたのだから、何か方法があるのだろう。

レヴィは何も言わなかった。
ボスが吐き出す嫌味の雨霰に曝される俺を尻目に、ソファで銃のカタログをめくっていた。
どうやら今回の収入で新調するつもりらしい。
人を殺し殺されるためだけの、それを。

レヴィは何も言わない。
あの日、彼女が腕に傷を受けたことを知っていながら、俺は目の前のチェス・ゲームに夢中だった。
彼女がまともな手当てをするわけが無いなど、まともな頭ならばわかることなのに。
俺が俺の愚に気付いたのは、ロアナプラに戻ってからだ。
客の少女がどうやらレヴィと悶着あったことは想像していた。
目に掛けていた少女を含む依頼人の生死で賭けを持ちかける程度には、彼女は腹を立てていた。
俺を撃った少女と、その主人を彼女の物差しで切り捨てた後、部屋に篭った。
彼女が客を見送らぬのは、単に機嫌のせいだと疑いもしなかったし、俺自身の混乱のせいで全く彼女に関心を払わなかった。
つまり、俺たちが街に戻る何時間も前から、彼女が痛みと発熱でベッドに胃液を吐き散らしていたことなど知る由も無かったわけだ。

レヴィという女は基本自分の体調に無関心だ。
適当に手当て(と呼んでいいのか?)しただけの腕の痛みを、痛み止めをラムネ菓子のように食い散らかして治めようとしていたなんて。
その上、寝てやり過ごそうと酒を一瓶も開けていたなんて。
ましてや、当たり前のように常備していた痛み止めによって、出血が止まらなくなっていたなんて。
俺が少しでも何かに気を払えば、ああはならなかったに違いない。

彼女への負い目。
少女に浴びせられた罵声。
俺を頼ってくれた筈の少年の、軽蔑の視線。
死体の山。
街に漂う死臭。
目に付くもの、思い出すもの全てに責められた。
だが、死体の一つになっていたかもしれないレヴィは、俺に何も言わない。
お前に興味を無くしたのだと、そう言われている気がした。

逃げるように、毎日海を眺めた。
そこから見えるのは、海と空だけ。
何も見ずに済む。
誰とも会わずに済む。
レヴィと会わずに済む。
硬く噤まれた彼女の口が開いた時、どんな言葉を浴びせられるのか、怖かった。

454 :名無しさん@ピンキー:2010/10/08(金) 20:17:39 ID:Mrf/+3c6
何もしない時間、ただぐるぐるとあの数日の事を考えた。
何度考えても、結局どうするべきだったのかが判らない。
俺の言動は問題があったかもしれない。
だが、それを差し引いたところで、少年の願いを果たすため…同じ選択をしたように思うのだ。

後悔はある。
だが、どれもレヴィのことばかり。
依頼について、反省はあれど…後悔は、無い筈だ。

俺を最初に訪ねてきたのはミスタ・張だった。
彼はレヴィに場所を訊いて来たのだと言った。
レヴィは俺がここでこうしていることを知っていた。
興味を無くされたわけでは無いのかもしれないが、やはり俺に何も言うことは無いのだろう。

彼との会話で俺の問題が解決したかと言えばNOだ。
彼はただ、自分で考えろと、そう言ったに過ぎない。
言われなくても、ずっと考えていたさ。


彼女に話すつもりはなくたって、話はしておくべきだと思った。
渋る彼女を巻き込んだのは、俺だ。
重い腰を上げてレヴィの部屋を訪ねた時、彼女は無表情で俺を招き入れた。
だが、差し入れたメシを2人で食う間も、何も言わなかった。
俺も掛ける言葉を見つけることが出来ず、ただ無言で食事を進める。
軽く飲んだつもりが、血流であばらが痛み始める。
レヴィも同じようで、左手で食事をしていた。

「痛むか?」
尋ねた俺に、「別に」とだけ答えて、レヴィはまた口を噤んだ。
「見せろ」
半ば無理矢理包帯を暴く俺に、レヴィの目は苦痛を乗せる。痛いのならば、そう言えばいいのに、言わない。
アスピリンが抜けた傷口は、俺の記憶と比べてまともにはなっていた。
だが、案の定おざなりな手当てしかしていないのだから、見ていて痛々しくてたまらない。
どうしてもっと自分を大切にしないのかと静かに怒りが沸くが、手当てし直して理解した。
おざなりにしたいのではなく、彼女一人では上手に出来なかったのだと。

当たり前の話だ。
だってそうだろう、利き腕に、左手で手当てするのだ。
体調に無頓着な女にとって、他人に頼む選択肢などあるはずが無い。
まただ。
レヴィの体調に気を配れるのは自分だけなのだと理解した筈なのに、結局こうだ。
彼女の目を見ることが出来ない代わりに、傷だらけの掌を撫でる。

「明日も、見に来るから」
「勝手にしな」
拒まれなかった。


レヴィは何も言わない。
そう。俺が起きている時には。
本当に無口だった。
それでも、しつこく訪ねる俺を拒むでも無く、メシにも付き合うし、簡単な会話には応じる。
今の俺には、傍にあることを拒まれないだけで、十分だった。

昨夜、食事の後傷が痛んでベッドを拝借した。
薄れる意識の中、テレビの音に紛れて彼女の声が聞こえた。

「悪かったな。守ってやれねぇでよ」



455 :名無しさん@ピンキー:2010/10/08(金) 20:20:46 ID:Mrf/+3c6
気が付いたら、彼女をベッドに引きずり込んでいた。
寝ていると思っていた俺の狼藉に、レヴィは目を丸くする。
「何で起きてんだよ」
「レヴィがあんな事を言わなければ、今頃は夢の中だ」
罵倒される方がどれだけよかっただろう。
傷が痛いと弱音を吐かれる方が余程ましだ。

多分、罵倒されたかったのだろう。ぶん殴られたかったのかもしれない。
まるで強姦するかのように身体を重ねた。
いや、彼女に抵抗するつもりがあれば容易いのだから、俺の我侭を受け入れてくれただけなのだ。
だが、傷が痛いと横になっていた人間が、無抵抗とは言え女を組み敷いて犯し続けるのは無理がある。
果ては、怒らせたかったはずのレヴィに「溜まってんならあたしが乗る。横になんな」と困り顔で心配される始末。
冗談じゃない、お前は今レイプされてるんだ、何で俺の心配なんてするんだよ。
俺が嫌だと拒否すると、「なら口でしてやっから…な?」と肩を押すから、もう一度嫌だと言って抱き締めた。

互いに快楽とは程遠い交わり。
痛みと呼吸困難によって自分の顔が青褪めていくのが、解った。
レヴィは何も言わなかった。
ただ、射抜くようにじっと俺の顔を見つめ返すだけ。

動けなくなった俺に一言、彼女は馬鹿だと罵った。
ようやく聞けた彼女の罵倒に、あの日以来初めての笑みが零れた。






だが、他に言う事は無いのだろうか。
鼻を摘まれたまま、ひたすら馬鹿だの阿呆だのくそったれだの、子供の喧嘩ような罵声を聞いていると、ぼやきたくもなる。
そうは言っても声は晴れ晴れと嬉しそうなのだから、ここは聞き流すしかあるまい。
諦めて狸寝入りを決め込む。
だが、段々と、ボキャブラリーの貧困さに呆れて来る。レヴィという女の罵倒は、常にもっと独創的であったと思うのだ。

俺が起きるタイミングを逸していると、不意に罵声が止み、溜息と共にレヴィが動く気配がした。
近寄ってくる身体。彼女の髪が頬に触れ、淡い期待が膨らむ。そして、与えられた乾いた唇。
起きるのは今しかない、腕に力を込めて抱き寄せる。
俺が出した舌を、レヴィの唇は待っていたと言わんばかりに受け入れ、彼女の舌もまた、絡み付いてくる。
そう言えば、昨晩はまともにキスもしなかった。
思い出して、更に彼女の唇に吸い付く。ちゅうと湿った音が鳴り、腕の中の身体が微かに震える。
胸板に押し付けられる彼女の柔らかい胸。
患部に響いて痛みが走るが、彼女の乳房なのだからここは甘受するべきだ。
痛いが、暖かく柔らかで気持ちいいのだから。
それにしたって男はどうしてこうも女の胸が好きなのだろう。
そんな一瞬の自問自答。
狭苦しいベッドの中、ずっと触っていても飽きる気がしない膨らみを掌で堪能する。
掌から溢れる乳房は本当に柔らかい、つんと勃った乳首が可愛い。
俺と合わせたままの彼女唇の隙間から声が上がる。
もっと声が聞きたくて唇を解放し、魅惑的な乳房に擦り寄ると、またしても「馬鹿」と降ってきた。
正直に言おう…落胆した。

もっと別のことを言えよ!

乳房に顔を埋め、さっきからずっと胸に秘めていたそれを伝えると、「傷ついたのか?」などと的外れなことを聞いてくる。
言っておくが、断じて傷ついたわけではない。単に呆れただけだ。
だが、それ以上拒む様子はない。
頬で乳房の弾力を堪能し、レヴィの匂いに妙に満たされ、子供のように安心する。
昔、お袋に抱き着いた時もこんな気分だったように思う。
お袋がしてくれたように頭を撫でてくれるレヴィの掌。
ああ、まるで子供扱いだ。

456 :名無しさん@ピンキー:2010/10/08(金) 20:23:54 ID:Mrf/+3c6
日本にいた頃。
接待で酔った客が「母ちゃんに似た女はいいモンだぞ、甘えさせてくれる」などとホステスに抱き着いていたのを思い出す。
その時は「マザコン野郎」と嘲笑してやったものだが、なるほど。もう手放せない。お袋には微塵も似ちゃいないが。
とろとろと蕩けるような心地よさに睡魔が忍び寄る。
そういえば、ずっと眠りが浅かったのだ、今日はいくらだって眠れる気がした。
血だまりに沈むレヴィの身体に絶望することも、彼女の首を捜して地面を這い回ることもない。
ここにいるのだ。


「あ」
何かに気づいたレヴィの掠れ声。
「なに?」
眠いが、彼女との会話が優先だった。これまでの不安を埋めるように、ただ話をしたかった。だが。
「白髪」
一言。彼女が悪気無く放ったであろうその単語は、これまでのどんな罵倒よりも激しく俺を打ちのめした。
取り敢えず親父のせいにしてみる。
が、落ち込むのはまだ早い、1本や2本小学生にだってある…そう思い直して尋ねると、いかにも愉快と言わんばかりに「7本」という宣告。
彼女が触っているのはほんの一部のエリア、そこに7本。
そういえば、あのセクハラマザコン野郎も、まばらに白髪があった。
思い出される、上司、親戚、取引先、ホームレス、雑踏の白髪頭の中年男。それに近づいているのだとレヴィに宣告されている。
たまらなく許せない。やるせない。
再び数え始めた彼女をムキになって制止する、本当に勘弁してほしい。
「染めようかな」
だが、一度染め始めると、元に戻すタイミングを逸するという話を聞いたことがある。
腰が曲がり、皺だらけなのに、髪は黒々。そんな老人も陰で嘲笑して来た。
もっともそんな年まで生きられるとも思わないが。
「別にイイんじゃねぇ?そのままで。増える度に笑ってやる、また増えたぜってよ」
数えるって、白髪をかよ。
「今日は5本増えてたぜ」とカウントアップされるのか?やめてくれ。
記憶にある親父の頭は30台でかなり白髪が多かった。あと何年だ?ぞっとする。
何度目かも解らぬ溜息を吐くと、「数え切れるようなシロモノじゃあない」と会話の打ち切りを試みた。
だが。
レヴィは解っていなかった。

「そんときゃ黒い方数えてやるさ、で、また減りやがったって馬鹿にしてやる」

いくら白髪が多くなったところで、黒髪の本数が数えられるほどに減ってしまうまで、何年かかるのだろう。
あと40年?50年かもしれない。
「悪くないかも」
そう呟いた俺に、レヴィは「はぁ?」と声を上げる。
レヴィは解っていない。
彼女は俺の親父を知らない。イメージ出来ないのだろう、俺の頭が真っ白になるまでの時間など。
そんな先も、一緒に居てくれるのだろうか。
一緒に居られる?
居られたら、いい。最高だ。

「悪くない」
レヴィの胸でもう一度呟く。
まどろみの中、自分の妄想に笑みが零れる。
「もう少し寝ようよ」
レヴィの胸に抱かれ、この幸せな夢物語を抱いて眠るのだ。
ああ、そうだ、眠ってしまう前に知らしめておかなければ。
「どうせこの先長いんだ、いいだろ?たまには。そうだ…レヴィの皺は俺が数えて笑ってやる。実にフェアだ」
この先ずっと、お前は俺の黒髪が無くなるまで隣に居なくちゃならないんだ。
お前が言い出したんだから、ちゃんと果たせよな。
大丈夫、お前の皺は俺がきっちり数えて記録してやる、グラフだって描いてやる。指差して笑ってやるんだ。ざまあみろ。

俺の夢想を鼻で嗤うレヴィの声。
本気だからな。
それを伝えるより早く、俺の意識は泥に沈んだ。



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