5 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/30(金) 22:01:03 ID:q704dSmq


この頃少し、レヴィがおかしい。

「じゃあな、お疲れ!」
返事も待たずに、レヴィは風のように事務所から去って行った。
帳簿から顔を上げると、開け放たれたドアの向こうに
後ろでひとつに結んだ長い髪の先っぽがひゅるんと踊るのが見えて、
それから勢い良くドアが閉まった。
ドアの向こうからは、コンバットブーツの遠ざかって行く荒々しい音がした。
あれは走っている。
弾むように。
そんなに急いで、どこへ行こうと言うのだ。

そう、この頃少し、レヴィはおかしい。

夕方といえどもまだまだ明るい外を見やって、俺はため息をついた。
彼女は最近、やたらと帰るのが早い。
夕刻になるとそわそわと時計を気にし出し、
無いようで一応はあるラグーン商会の終業時刻になると、電光石火の勢いで事務所を飛び出す。
目的は不明。
以前の彼女からは考えられない。
終業時刻が定められているとは言っても、ラグーン商会の業務は流動的だ。
いざ仕事が入れば日付をまたぐことなどざらであるし、
反対に暇な時は暇だが、だからといって特にすることも無いので、
なんとはなしにラグーン商会の四人全員が夜まで事務所に残っていることが多い。
その後は、レヴィとふたりでイエロー・フラッグに赴くか、屋台で食事をするか、
そうでなければ、残ったメンバーでやはりイエロー・フラッグか市場に繰り出すか。
どちらにしろ、業務後は彼女と過ごすことが多かったのだ。

それがどうだ。
最近の彼女は、時計の長針が12のところを過ぎると同時に、
待ちかねたとばかりにうきうきと帰って行く。
まるで、業務後にデートを控えたOLのように。
いつもは「契約のリミットまでに終わらせればいいんだろ」とばかりにマイペースな彼女だが、
近頃は、なんとしてでも定時までには終わらせる! 
という並々ならぬ決意を全身から漲らせている。
慌ただしく帰って来たと思ったら、その足ですぐさま別のどこかに飛んで行く。
のんびりと話をする暇も無い。
なにかあるのは確かだが、探りを入れる機会さえ無い。
しかも、その“なにか”は間違いなくレヴィにとって相当に優先順位の高い、心躍るような楽しい“なにか”、だ。
なんとなく、面白く、無い。
釈然としない気持ちを抱えたまま、俺は手元の帳簿に目を戻した。

絶対に、この頃かなり、レヴィはおかしい。


6 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/30(金) 22:02:24 ID:q704dSmq

「あれー、彼女、もう帰ったのか」
続きを片づけようかと思った時、マグカップを手にした同僚のベニーがやって来て、
拍子抜けしたように俺ひとりしかいない室内を見回した。
「ああ、たった今、帰ったよ」
マシンのメンテナンスが終わったのだろう。
少し疲れたような顔で、くせのある金髪を伸ばして一本に束ねた頭を掻く。
「へぇ、早いな。ここのとこずっとじゃないか」
「ああ、そうだね」
「どうしたのさ、ロック。君も行かなくていいのかい?」
ベニーがこちらにやって来て、俺の座っているソファーの正面に腰かけた。
「行かなくていいのかもなにも、俺はなにも知らないよ」
ふうん、と意外そうな、しかしどこか面白がっているような顔をして、
ベニーはマグカップのコーヒーを啜った。

彼の好奇の視線を額に感じつつ、俺は帳簿に集中しようとした。
しかし、頭は勝手に別のことを考え出す。

――いつからだっけ……?

レヴィの様子がなんとなくおかしい、そう感じた一番初めは、いつだったか。
やけにてきぱきと仕事を片づけるのも、妙に帰りが早いのも、業務後の誘いを端から断るのも、
おかしいと言えばすべてがおかしいのだが、最初は――、

――そう、あの時だ。


7 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/30(金) 22:03:21 ID:q704dSmq

十日ほど前、事務所に入ると、珍しくレヴィがパソコンを立ち上げ、
熱心に画面を覗き込んではなにかメモしているところだった。
彼女がパソコンを使ってなにかをしているところは、ほとんど見たことが無い。
だから、おや、と思って意識が向いた。
すると、俺が入って来たのに気づいた彼女は、明らかに慌てた様子でブラウザを閉じた。
あたふたとパソコンの電源を落とすレヴィの脇をすり抜けようとすると、
ふと、彼女がメモしていた紙が目に入った。

『玉ネギ、長ネギ、ニラ、ラッキョウ、ニンニク、イカ、タコ、アワビ、アジ、イワシ、サバ』

――なんだこれは?

盗み見するつもりなど無かったが、意外な単語の羅列に、思わず目が吸い寄せられた。

――食材?

「見んじゃねぇ」
すぐさまレヴィの手が机の上のメモを乱暴にさらっていったが、
妙な組み合わせの単語はしっかり記憶に焼きついてしまった。

――こんなものが必要な依頼、入ってたっけ?

俺の記憶には無かった。
第一、仕事で必要なものだったら、こんな風に慌てる必要などどこにも無い。
堂々と調べれば良いし、それよりも彼女のことだ、
どうせ俺かベニーに「調達しとけ」とか言って丸投げするに決まってる。

とすると、私用か?
レヴィが? 食材を? 私用で?
あのレヴィが?
……まさか、まさかとは思うが、もしかして、……手料理?


8 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/30(金) 22:04:37 ID:q704dSmq

レヴィが料理。
余りにも似合わない光景だ。
まだ爆弾の調合でもやっていてくれた方がしっくり来る。
というか、どんな材料を使って料理しても爆発物に類似したなにかが出来上がる気がする。
レヴィが料理など、考えられない。
しかし、それ以外にあの食材のどんな使い道があるのかと問われると、それが思い浮かばない。

他に考えられるものといえば、……魔よけ?
ニンニクとかイワシで……。

――いや、駄目だ。

レヴィが吸血鬼や鬼なんか信じているわけがないし、
そもそも彼女を見たら吸血鬼や鬼の方が先に逃げ出すだろう。

――料理、なぁ……。

俺はしっかり脳裏に刻みついた食材をもう一度、思い浮かべた。
材料が妙に偏っている気がする。
野菜と、魚介類。
そういえば、レヴィはアメリカ育ちなのにタコは大丈夫なんだろうか?
欧米人はタコを忌み嫌うと言うではないか。
ふと頭をかすめたが、即座に打ち消す。
駄目なわけがない。
いくら「悪魔の使い」と言われていようがなんだろうが、レヴィがそんなことで怯むようには見えない。

あの組み合わせだと、どんな料理が出来上がるのだろうか?
あまり自分で料理をしないのでよく分からないが、炒め物とか、か?
俺は貧困な想像力を働かせた。

――レヴィが炒め物、ねぇ……。

野菜を刻んだり、魚をおろしたりするのだろうか。
あのレヴィが?
酢の物――は、違うか。
レヴィが知ってるわけがない。
じゃあ、マリネとか?
レバーとニラでレバニラとか?

俺は色々想像してみたが、レヴィが一品一品料理を作っていくなど、似合わないにもほどがある。
全部ぶつ切りにして煮込み料理、ぐらいならまだなんとか……。

――鍋、みたいな。

そこまで考えた時、俺はあのリストの先に連なっていたものを思い出して血の気が下がった。


9 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/30(金) 22:05:52 ID:q704dSmq

そう、あれには続きがあった。
俺はあのメモに並んだ単語を頭の中で再生させた。

『レバー、牛乳』

これは良い。
彼女が牛乳を飲んでいるところなど見たことが無いが、これはまだ良い。
問題はこの先だ。

『チョコレート、ココア、コーヒー、お茶、香辛料、アルコール』

あのメモには、そう続いていた。
そして、俺の見間違いでなければ、こんなのもあったはずだ。

『生卵の白身、魚・鶏の骨』

これは一体なんだ!?
魚・鶏の骨って?
こんなものが必要な料理があるのか!?
俺が知らないだけ?
出汁に使うとか?
でも、そんなのわざわざ書くか?
生卵の白身、ってなんだよ!

食材全部ぶちこんだ鍋料理のようなものならレヴィ作の料理としてなんとか想像がつく、と思ったが。

――これ全部入れたらどんな闇鍋だよ!

俺はくらくらしてきた。
そういえば、日本人なら誰でも知ってる青いねこ型ロボットが出てくる漫画のガキ大将が、
たくあんや大福を入れた世にも恐ろしいシチューを調合していたが、
もしかしてあれに張る料理が出来上がるんじゃないか。
あのリストにセミの抜け殻が入っていたら、完璧に「ジャイアン・シチュー」だ。

――どうする?

俺は、その料理を、食べるのか?
真剣に、真剣に、俺は悩んだ。
レヴィの手料理。
危険すぎる。
が、興味はある。
……というか、正直に白状すれば、ちょっと食べてみたい。
かなり、真剣に、――是非。

大丈夫、食材もしくはそれに準ずるものしか入っていないのだから、食べて死ぬことは無いはず。
きっと彼女もこちらを殺そうとして作るわけではないだろう。
問題は味ではない。
心意気だ。
彼女が料理を作ったという、その事実が大切なのだ。
俺だって男だ!
彼女をがっかりさせることだけはすまい。
……そのためにも、心の準備ができて良かった。

――と。

そう思っていたのに!


10 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/30(金) 22:07:55 ID:q704dSmq

手料理どころか、あれからレヴィとは食事すら一緒にしていない。
一人でここまで妄想を繰り広げた俺が馬鹿みたいじゃないか。
馬鹿みたいというか、馬鹿そのものだ。

そう、確かにあの時が違和感を覚えた始まりだった。



――じゃなくて、帳簿帳簿……。

一向に埋まらない欄をどうにかしようと意識を紙面に戻した時、
レヴィが出て行ったばかりの事務所のドアが開き、ラグーン商会のボス、ダッチが帰って来た。
コーヒー色をした大柄な体がドアをくぐり抜ける。
「お帰り」
「……あぁ」
端切れ悪く返すダッチの顔は、どこか憮然としている。
「今そこでレヴィとすれ違ったんだが……」
黒いサングラスの向こうの表情は見えないが、声には困惑が滲んでいた。
「あいつ一体どうしたんだ? 今日なにかあるのか、ロック。あいつ、地面から十センチほど宙に浮いてたぞ」

――俺に訊かないでくれ……。

ため息が漏れ出た。
「ロックも知らないんだってさ」
額に手をやった俺に代わって、ご親切にもベニーがダッチに説明してくれる。
「お前も知らないのか?」
「……知らないよ」
自然と渋面になった俺の顔を見て、ダッチが唇の端を歪めて笑った。
「ほう、お前さんも知らないとはねぇ」

「浮気じゃないの?」
さらりと、本当にさらりと、「トイレじゃないの?」とでも言うかのようなさりげなさでベニーが言った。
「はぁ!? なんでそうなるのさ」
「ロック、君は分かってないよ。
日本人はシャイなのかもしれないけどね、女性にはきめ細やかに対応しないと。
君は素っ気なさすぎるよ。
それじゃあ他の男に横からさらわれたって文句は言えないんじゃないかな」
涼しい顔をして、ベニーはマグカップを口に運ぶ。
「……レヴィはそんなこと――」
「おやおや、たいそうな自信だね」
マグカップの縁から、ベニーの視線が向けられた。
「いや、そうじゃなくて――」
「ベニーボーイ、あんまりいじめなさんな。俺はむしろちょっとばっかり安心したぜ」

最も良識のあるこのボスが助け船を出してくれたかと思いきや、
「安心」などというわけの分からない単語が飛び出してきて、
ほっとしかけた俺はまた顔を引き締めた。
「“浮気”ってのは、定まった恋人なり連れ合いなりがいる奴のするもんだろ。
俺はお前等が一体どうなってんのか、セイモア海峡の渦潮のごとく気を揉んでたんだぜ。
――ま、そういうことになってたんなら話は簡単だ。
あとはお前さんが男を見せて奪い返せば良いだけの話だ。なぁ、ロック?」
「……………………」
ため息すらつく気になれない。


11 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/30(金) 22:09:50 ID:q704dSmq

――楽しんでる。このふたり、絶対楽しんでる。

しかし、言われてみれば、レヴィとは「おつき合い致しましょう」「そうしましょう」
といった取り決めを交わしたわけでは無いので、俺たちはまだ“浮気”すら成立しない間柄なのだ。
レヴィがなにをしていたって、それに文句をつけられる立場では無い。

――いや、でも、レヴィに限ってそんな……!

「――帰る!」
俺は帳簿をたたんで、ソファーから立ち上がった。
「そうか。お疲れさん」
「対処するなら早い方が良いと思うよー」
どことなく笑いを滲ませた声を背中に聞きながら、俺は帳簿を所定の場所に戻した。
「じゃあ、お先に」
ドアを閉めた途端、中からふたりの笑い声が聞こえてきたが、
意志の力で気にしないことにして、俺は事務所を後にした。



まだ昼間の熱気が残る往来を歩きながら、さて、これからどうしよう、と考える。
夕食をとるのに良い頃合いだが、ダッチやベニーと一緒に飲みに行くという選択肢は無くなった。
レヴィ――は、あんなに急いで出て行ったのだから、なにか用事があるのだろう。
尋ねて行って追い返されたり、誰か別の奴といるところを目撃するのは御免被りたい。
屋台か自分の部屋で夕飯、でも良いが、ひとりの食事というのはどうにも味気ない。
なんだかんだ言って、業務時間外は結構いつもレヴィと一緒にいたんだよなぁと、俺は虚しく思い出した。

――イエロー・フラッグにでも行くか。

少なくとも、部屋でひとり侘びしく食事をするよりかはましだ。
そう考え、俺はこの街の中でも最もきな臭い行きつけの酒場へと足を向けた。


12 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/30(金) 22:11:45 ID:q704dSmq

 * * *

まだ夜も浅い店内の客はまばらだった。
照明を落とした店の中に、ジャズ・ファンクが低く流れる。
その16ビートを聞くとはなしに首の後ろで感じながら、俺は丸テーブルの間をすり抜けた。
全部のテーブルが埋まればかなりの人数を収容できそうなホールを突っ切り、カウンターのスツールを引く。
わずかにスツールをきしませて腰かけると、
カウンターに背を向けてグラスを磨いていた店主のバオがこちらに気づいた。
「よぉ、ロック。――ひとりか? “トゥー・ハンド”はどうした」

――まただ。

みんな同じセリフしか言わない。
「ひとりだよ。レヴィは知らない」
うんざりして吐き出すと、肩越しにこちらを見ていたバオが正面を向いた。
「……なんだよ、機嫌悪いな」
「別に悪くないよ。――ハイネケンひとつ」
「――はいよ。……それのどこが悪くねぇんだ。この頃あいつの姿見ねえから訊いただけだろ」
「だから、知らないって」
レヴィはイエロー・フラッグにも来ていないのか。
頭の片隅でそんなことを考えながら、俺は栓を抜いて渡された壜をあおった。
早くも表面に水滴をつけ始めている壜は、一日分の熱を溜め込んだ手に冷たく、
すっきりと冷えたビールは開いた喉をすべり落ちてゆく。
熱さにぐったりしていた食道が生き返り、炭酸が鼻の方に抜けた。

――ああ、やっぱり仕事の後の一杯は最高だ。

「いよ――――――ォ、ロック! ひっさしぶりィ!」
少しだけ気分が上向いたと思ったら、聞き覚えのある声が背中から降ってきた。


13 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/30(金) 22:13:00 ID:q704dSmq

この声は、と思った一瞬後に、どさっ、と隣のスツールに勢いよく女が座った。
「や、やあ、エダ……」
確認するまでもないが一応目を向けると、そこには思った通り、暴力教会のシスターがいた。
「なんだよなんだよ、シケた顔してんなぁ」
シスターはシスターでも、エダはそんじょそこらのシスターではない。
黒いサングラスの向こうで好奇心丸出しの顔をした彼女は、
普段着ている黒い尼僧服の鬱憤を晴らすとばかりにハジけた格好をしている。
お世辞にも上品とは言えないロゴの入った短いキャミソールに、タイトなミニスカート。
ミュールをつっかけた脚をぷらぷらさせながら
「おーいバオ、あたしワイルド・ターキーな」
などと注文している様子は、どう考えてもシスターなんかには見えない。

――しょっぱなからワイルド・ターキーかよ……。しかも、ロックで。

顎をきゅっと上げて見事な飲みっぷりを見せたエダは、グラスを置くと、
「で? お前の片割れはどうしたよ」
ニヤニヤと、面白いものを見つけた捕食者の目で見てくる。
「片割れって?」
「なぁーにスッとぼけてんだよ。レヴィのことに決まってんだろ」

――あぁもう、どいつもこいつも俺の顔見りゃ「レヴィ」「レヴィ」って、他に言うこと無いのかよ!

なんだか疲れがぶり返した気がする。
頭も口も回るエダを体よくあしらえる元気など、どこにも残っていない。
「一緒じゃないよ」
「んなこたぁ見りゃ分かるんだよ。なんで一緒じゃないのか、っつってんだろ。痴話喧嘩か?」
なんでそこに「痴話」がつくんだ……。
しかし、こんなことで反応していたら彼女の思う壷だ。
「喧嘩した覚えは無いよ」
俺は極力そっけなく言った。
「じゃ浮気か?」

――またこれだ。

腹の奥底から深いため息が出そうになった。
俺はうんざりしたが、さっきの二の舞は御免だ。


14 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/30(金) 22:15:01 ID:q704dSmq

――その手には乗るか。

なかなかあいつもやるじゃねぇか、サルだサルだと思ってたが、やっと人間に進化したらしいな!
とかなんとか言いながら愉快そうに笑うエダを遮って、俺はなるべく感情的にならないように言った。
「レヴィと俺はそんなんじゃないよ。レヴィが他の男といても、別にそれは“浮気”じゃない」
すると、エダは急にぴたりと笑いやんだ。

「ヘイ、ロック。そいつはどういう意味だ?」
ひたとこちらを見据えてくる。
突然、真顔になった気がする。
サングラスの奥の目が全く笑っていない。
「……どういう意味もなにも、レヴィと俺はそういう間柄じゃない、っていう意味だよ」
「……へェ? 『そういう間柄じゃない?』 
じゃ、楽しむだけ楽しんで、あいつはキープって、そういうわけかい?」
「え!? 楽しむって、どうして俺の話になってるんだよ!」
俺は仰天した。
あまりにもびっくりしたせいで、声が一瞬高く飛んだ。
今、口の中になにも無くて良かった。
なにかあったら確実に噴出していた。
藪もつついてないのに蛇が出た気分だ。
「黙れ。それともラブドールの代わりか?」
「ちょっ! ちょっと待ってくれ! どうしてそう話が飛躍するんだ!」
慌てて話の流れを修正しようとしたが、エダは自分のペースを少しも乱さず、
カウンターに肘をついて新しくワイルド・ターキーを注ぎ足し、優雅にあおった。
「飛躍? どこが飛躍だ。ヤることヤっておきながら、『そういう関係じゃない』ときたもんだ。
だったら、キープか遊び、ラブドールかフッカー代わり。他になにがある?」
とん、とグラスをカウンターに置く。
余りに余りなその選択肢に、俺は唖然とした。
そりゃ、あいつだって浮気のひとつもしたくなるわな、というエダの声が右から左に抜けていく。

――参った。なんでそんな話になるんだ……。

言葉が出ない俺を、エダは冷たく見ている。
「図星か」
「違っ! だいたい『ヤることヤって』って、どうしてそれ前提なんだよ!」
「お前な、エレメンタリー・スクールのガキじゃねぇんだぞ。それともヤってねぇってのかい?」
「…………」

……そういうわけではないのだが、そんなこと、人に知らせるようなことでは無い。
正直に申告して猥談のネタを増やすことは無い。
あの時のレヴィの様子なんか、他人の頭の中で一瞬だって想像されたくない。
しかし、ここで「ヤってない」などときっぱり断言するのもどうだろう?
これが他の誰かならそれで良い。
だが、今の相手はエダだ。
もしかしてレヴィからなにか聞いて知っているのかもしれない。
レヴィが女友達にその手のことをべらべら喋るとは思えないが、
それでも、エダがなにか知っていた場合、「ヤってない」などと嘘をつけば、
ますます「本気じゃないけど都合よく彼女を利用してるだけの人」みたいではないか。
もっと困るのは、俺が言ったことがレヴィに伝わることだ。
「ヤった」と言えば怒るだろうし、「ヤってない」と言えば悲しむだろう。
――いや、「悲しい」など決して本人は認めないだろうが、彼女の表情が凍りつく様が目に浮かぶ。
……こういうことを考えるのが「たいそうな自信」なのか?
いや、「自信」なんか無い。
それとは違うのだが……。


15 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/30(金) 22:16:07 ID:q704dSmq

――あああもう、どうしてこんなことに? 

俺は頭を抱えたくなった。
どちらかと言うと、可哀想なのは浮気を心配する立場の俺の方じゃないのか? 普通に考えたら。

適当に流そうにも、エダの目はチョモランマの万年雪級に冷たい。
とてもじゃないが、このブリザードを笑ってやり過ごせる空気では無い。
俺がなにか言うまで百万年でも待ってやる、という勢いでエダはこちらをじっと見ている。

――なにか言わなきゃ、なにか……! ……でも、なにを?

言わなければ、言わなければ、なにか言わなければ、と焦ると余計に言葉はもつれて絡まる。
時間が経過すればするほど、言葉を出すタイミングのハードルは上がる。

「……言いたくない」
沈黙に耐えきれず、絞り出した言葉がそれだった。

――「言いたくない」ってなんだよそれ! そんなことで見逃してくれる相手じゃないだろ!

自分で言った言葉ながらあんまりな選択に、俺はどっと自己嫌悪に襲われた。
もっと他に上手い言いようは……、と脳味噌を総ざらえしようとしたその時、
エダが突然、腹を抱えて笑い出した。
こちらに背を向けていたバオすらぎょっとして振り返るような大笑いだ。

「……な、なに……?」
……今俺は、そんなに面白いことを言っただろうか。
この場をうまく収めるのに適しているとは思えないセリフだったと思うのだが、
これの一体どこにそんな爆笑されるような要素が?
アメリカ人のジョークのセンスは、いまいちよく分からない。
俺は呆気にとられてエダを見た。

エダはなんとか笑いを収めると、指をサングラスの奥に伸ばした。
目尻に溜まった涙を拭っている。
「あー、やっぱお前ら最高だわ」
そしてまた、肩を震わせてくっくっと笑った。
「あの……」
なにをそんなに笑っているのか、問い質そうにも俺の存在は綺麗に無視だ。

なにがなんだかさっぱり分からない。
しかも「お前ら」ってなんだろう。
「ら」って。
複数形。
話の流れからして多分レヴィのことだと思うのだが、
この一筋縄ではいかないシスターに訊いたって、まともに答えてくれそうに無い。

……なんだかどっと疲れてきた。
このハイネケンの残りを片づけたら退散しよう。
そう思った時、またしても後ろから声がかかった。


16 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/30(金) 22:17:19 ID:q704dSmq

「おぅ、ボンクラに尼さん、久し振りね」
振り返らなくても分かる。このたどたどしい英語。
シェンホアだ。
長い黒髪の女が赤いチャイナドレスの裾をはためかせながら愛想良く近づいて来て、エダの隣に肘をついた。
「おー、“ですだよ”か。どうよ最近」
「お前まで“ですだよ”呼ぶないね。お前にやられるました怪我、ようやく完治したところですだよ」
「そりゃ良かったな」
「ちっとも良いないね! お陰でお仕事上がったりよ!」
「おいおい、私情持ち込むんじゃねぇよ。お前だってあたしの首とろうとしてたじゃないさ。
ありゃビジネスだろ? ビジネスはビジネス。プライベートはプライベート。
お前もプロだったらきっちり線引きしな」
「……お前もこれ、無駄に口回るタイプね。私そういう奴、一等苦手よ。
――おぅ、ところでボンクラ、あのアバズレ、一体どうしたか?」

ふたりが仲良く会話をしている隙にそっと退散しようと腰を浮かせかけていたのに、
タイミング悪く話を振られて、俺は仕方なくまた腰を下ろした。
「……どうしたって?」
「私、道ですれ違うましたら、あいつ、尻に羽生えてたね。笑顔でスキップ、そこし怖いでしたよ」
「スキップぅ!? スキップだって!? こいつぁ良い!」
自分の膝を叩いてげらげらと笑うエダの横で、俺はがっくりと体中の力が抜けるのを感じた。

スキップって、本気か?
いい大人がスキップだなんて、聞いたことがない。
「こりゃあ本格的に浮気かもしれねぇぞ、なぁコキュ?」
思わず額に手をやった俺の顔を、エダが面白そうに覗き込んだ。
「……誰がコキュだよ」
うらめしくエダを見ると、それを耳聡く聞き留めたシェンホアが首を突っ込んできた。
「おや、お前ふられるましたのか? さすがボンクラね」
にゃはははははははは、と彼女は高らかに笑う。
……笑いすぎだ。


17 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/30(金) 22:18:21 ID:q704dSmq

「こいつ、あのエテ公が今頃他の男と腰振ってんじゃねえかって心配してたんだぜ」
俺を指さしながら楽しそうにシェンホアへ説明していたエダが、「な?」と首をこちらに巡らせる。
「な?」って、俺に同意を求めないで欲しい。
シェンホアはそれを聞くと、呆れたようにため息をついた。
「あのアバズレが浮気、本気で思うますのか? お前、アホと違うますか?」
「え……」
なんだか失礼な言われようだが、この人、実はなかなかまともな人なのかもしれない。
俺はほのかに期待した。
ようやく真っ当なことを言ってくれそうな人がここに……。

「あのアバズレと寝る男、それ自殺志願者か、たいそう頭の足りない子ですだよ。
あんなのに突っ込んだら根本から食いちぎられるますね」
前言撤回。
まともな人なのかもとか期待した俺が馬鹿だった。
ちっともまともじゃない!

エダはエダで、ちょっとそれ失敬なんじゃないかと思う勢いで大口開けて笑っている。
「――だってよ、自殺志願者」
エダはミュールを履いた足で、ガン、と俺の座っているスツールを乱暴に蹴飛ばしてくる。
かなりの衝撃が伝わってきてスツールが微妙に移動したが、言い返す気力すら沸かない。

もう駄目だ。
これ以上この食えない女たちの相手をしていたら、胃に穴が開く。
俺は「自殺志願者」だろうとなんだろうともうどうでも良い気分になり、
さっさと支払いをして退散しようと、尻ポケットの財布に手を伸ばした。

その時、「あらッ!」という声が頭上から降ってきた。
階段の上から聞こえてきたらしい、と気づいた時にはもう、
「あらあらあらあらッ!」
という声が、上下から平行に立体高速移動して俺の方に迫ってきた。
地鳴りと共に。


18 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/30(金) 22:20:23 ID:q704dSmq

俺は肩越しに振り返り、その高速で突っ込んでくる巨体の姿を認めた。
「……マダム・――」
フローラ、の声は、その本人の体当たりによって塞がれた。
「ンマ――――――! 久し振り! やっと来てくれたのね! ンもう、待ちくたびれたわ!
来る前におデンワちょうだい、って言ったのに! 今日来てくれるなんて知らなかったワ。 
でもいいの、こうして来てくれたんだから。腕によりをかけてサービスしちゃうわよ!
あ、それから、アタシのことはマダムじゃなくてフローラって呼んでちょうだいネ!」
そう呼ぼうとしたのに、後ろから羽交い締めにされたので苦しくて声が出せなかっただけなのだが、
それすらも言葉にならない。
スツールに座った状態で後ろからみっちりと肉に圧迫され、身動きがとれない。
どこが胸なのか腹なのか腕なのかも分からない、ずっしりとした肉の塊に押しつぶされそうだ。
ウォーターベッドにのしかかられたら、きっとこんな気分だろう。

このままだと呼吸困難で死ぬ。
圧死、という言葉が頭をかすめた。
俺は必死に手を伸ばし、首に巻きついている腕の間に、なんとか呼吸する隙間を確保した。
「フ、フローラ、悪いけどこの腕、ちょっとゆるめてくれるかな?」
「あらーッ、ごめんなさいね」
ようやくぎゅうぎゅうに締めつけられていた拘束が解けて、俺は何度も荒い呼吸を繰り返した。
「で? どんな子がお好み? うちの子は一級品よ。あのじゃじゃ馬娘なんかにも負けないんだから!」
「あー、ちょっと、待って、くれる、かな、フローラ」
このまま黙っているととんでもない方向に話が進みそうだったので、
俺は回復していない呼吸の裏で、息も絶え絶えに彼女を止めた。
「あら、なにかしら?」
「その、今日は二階に用事があって来たわけじゃないんだよ」
必死で日本人の特技“愛想笑い”を発動させる。
「まあ、そうなの? やっとあのお邪魔虫を置いて来てくれたのかと思ったのに……」
“お邪魔虫”とはレヴィのことだろう。
ああ、彼女がいないと、こんな災難にも対処しなくちゃいけないなんて……。
俺は嘆きつつも、極力穏やかな表情を顔に貼りつけた。
「ああ、申し訳無いけど、違うんだ」
しかし、どうにも頬が引きつるのを感じる。
最近、愛想笑いの完成度が落ちたような気がする。
「そうなの……。とっても残念だわ……」
マダム・フローラの人差し指が唇に寄せられ、ふくよかすぎる体がしなを作る様を見ながら、俺は後じさった。
「じゃあフローラ、俺はこれで……」
「あらン、もう帰っちゃうの?」
「ええ、またいつか――」
日を改めて、などとつけ加えて本気にされたら困る。
俺は社交辞令を飲み込んで、急いで財布から飲み代を引っぱり出してカウンターに置いた。
「バオ、どうも、ごちそうさま」
「おぅ」
バオはそれ以上なにも言わなかったが、目が「ご愁傷様」と面白そうに笑っていた。

「お? これからレヴィとソープオペラかァ? せいぜい頑張れよ、ロメオ!」
そそくさと出口を目指す俺の背後からエダの声が追いかけてきた。
誰がロメオだ、と文句のひとつも言ってやりたいが、とにかくもう一刻も早くこの場から立ち去りたい。
「修羅場、そんな根性、あのボンクラ無いですだよ」
言いたい放題のシェンホアの声も聞こえてきたが、
俺はそんな彼女たちの声を振り切るように扉を開け、外によろめき出た。


19 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/30(金) 22:24:24 ID:q704dSmq
 
散々だ。
本当に散々だ。
俺はどっと疲れの増した体を引きずるようにして自分の部屋へと戻った。
頭の中では、今日何人もの人に言われた「浮気」という言葉がこだまする。
もう何回言われたか、数え直す気にもなれない。
部屋の鍵を閉めてベッドに腰を下ろすと、自然とため息が出た。
そのまま後ろに体を倒し、天井を見上げる。

みんな面白がっているだけに決まっているが、そう言われると俄に心配の種が芽を出す。
レヴィはそういうことはしないタイプだと根拠も無く信じていたが、それが傲慢だと言うのだろうか?
俺に自信があるとかそういう話では無いのだが……。

俺は、彼女との短くないつき合いの中で見た様々な顔を思い浮かべた。
仲間に淫売扱いされるのは我慢ならないと感情の抜け落ちた顔で言った彼女、
自分を女らしく見せる気など全く無く、意地でも男に媚びを売らない彼女、
初めて抱き寄せるために触れた時、反射的に体を強ばらせた彼女……。
どうしても、レヴィがそっちの方面の遊びをするようには思えない。
そこまで考えたところで俺はひとつの可能性に行き当たり、はっと体を起こした。

――本気だったら!?

そう、「浮気」などではなく、「本気」だったら?
彼女とは浅からぬ関係になってはいるが、「恋人」でもなんでも無いのだ。
俺は勝手に相手は彼女だけと思っていたが、彼女もそう思っていてくれる保障など、どこにも無い。
彼女の方は仕方無く相手をしているだけだったという可能性だって、大いに有り得る。
そんな彼女が本気で惚れた男を見つけたとしても、俺はなにも文句を言える立場では無い。
彼女に男っ気が無かったのは、彼女自身にその気が全く無かったからだ。
彼女さえその気になれば、尻尾を振ってついて行く男など、ごまんといるだろう。
彼女に誘われてついて行かない男など男ではない。
正常な男なら、確実について行く。

しかし、それでも俺は、抱き締め返してきた彼女の手が背中でシャツを握り込む感触や、
抱き寄せて胸と胸を合わせた時、彼女の体からすぅっと力が抜けて俺の体に馴染む瞬間や、
俺の耳元で漏らす甘苦しい声のかけらまでもが幻想だったとは、どうしても思いたく無かった。

彼女はそんないい加減な女じゃない。
俺は自分に言い聞かせるように疑惑の塊を追いやった。

彼女があんなに浮かれて男とよろしくやってるわけがない。
男を連れこんでいるよりも、捨てねこでも拾って来ていると言われた方がよっぽど納得がいく。

――ああ、そうだ、そうに違いない。

なにかに情けをかけるだなど下らないといつもシニカルな彼女が、
動物風情のためにあんなに飛ぶように帰って行くだろうか、と言われると首をひねるところだが、
きっとそうに違いない。
俺は自棄に似た気分で、無理矢理そう結論づけた。

これ以上考えていても、あらぬ想像がむくむくと膨らむだけだ。
もう彼女の部屋に行って、この目で確かめてみれば良い。
明日の朝早くにでも行けば、逃げられることも無いだろう。
俺はそう決め、一日分の汗――今日の場合はほとんどが嫌な汗だ――がしみ込んだワイシャツを脱ぎ捨てた。
頭から冷たいシャワーを浴び、明日は絶対彼女に会いに行って真義を問い質す、
そう決心して、俺は雑念を洗い流した。


28 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/31(土) 21:43:15 ID:8W/ZQ3co

 * * *

次の日の朝。
俺は早めに起き、まっすぐにレヴィの下宿へと向かった。
途中、思いたって屋台で適当に朝食を買う。
レヴィも俺も朝はまともに食べないが、呼ばれてもいないのに手ぶらで押しかけるのもなんだろう。
これで本当にレヴィの部屋に男がいたら、目も当てられないが……。
俺はうっかり、レヴィが誰とも知らぬ男の腕の中ですやすやと眠っている光景を思い浮かべてしまい、
慌てて振り払った。
そんなはずは無い。
そんなはずは。
レヴィに限ってそんな。
……多分。

一人脳内で栓無いことを考えているうちに、あっという間にレヴィの下宿の前に着いた。
薄暗い廊下を突っ切って、階段を上がる。
決心したくせに、一歩一歩彼女の部屋に近づくごとに胸が騒いだ。

――緊張してるのか、俺……。

ついに彼女の部屋のドアの前に立った。
部屋の中は静かだ。
なんの音もしない。
ノックをしようと手を伸ばし、軽く深呼吸して一拍置いてから、思い切って軽く叩いた。
そして、ドア越しに呼びかける。
「レヴィー、いるー?」
なんとなく、中で起きた気配がした。
俺は合い鍵を取り出した。
「レヴィー、入るぞー」
鍵を鍵穴にさし込み、中からの返事を待たずに鍵をひねった。
室内からはレヴィのものらしき慌てた声がして、布がばさばさ音をたてている。
もうどうにでもなれと思い、俺はためらうこと無くドアを開けた。

その部屋の中の光景を見た時、俺は一瞬にして自分の顔がゆるんだのを感じた。
「おはよう、レヴィ」
さっきまでの不安はどこへやら、安らかな気分に満たされた俺に対して、
起きたばかりらしいレヴィの方は、めくりかけのシーツを掴んだまま困ったようにむくれて、
ベッドの上から睨みつけてきた。
俺は買ってきた朝食の入った袋を小さなテーブルの上に置き、
シーツをめくった姿勢のまま硬直しているレヴィに近寄った。
彼女はますます眉間の皺を深くする。
「浮気現場発見」
俺は、黒いタンクトップに飾り気の無い黒い下着姿のレヴィと、
彼女の腕の中に収まっている可愛すぎる浮気相手を見下ろした。


29 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/31(土) 21:45:29 ID:8W/ZQ3co

――ねこ、か……。

レヴィの片腕の中で、やはり今まで寝ていたのだろう、ぽやんとした顔をして見上げているのは、
小さなねこだった。
生まれたてには見えないが、片手でひょいと難なく持ち上げられそうなほどに小さく、
大きな丸い目であどけない顔立ちをしたねこは、まだおとなとは思えなかった。

――にしても、シーツの下に隠そうとしたわけ?

喉の奥から、小さく笑いが込み上げてきた。
いくら小さいとはいえ、そしていくら慌てていたとはいえ、シーツの下にねこを隠そうとしていたなんて。

レヴィはようやくめくったシーツから手を離すと、ふてくされたようにあぐらをかいた。
脚の間にちょこんと小さなねこが収まる。
「……女が寝てるとこに勝手に入ってくんじゃねェよ」
睨みつけながらむっすり言う彼女に、更におかしさが増す。

――勝手に入ってくんじゃねェって、いつも平気で人を目覚まし代わりに使うくせに。

朝に弱いレヴィは、外せない仕事があると「起こしに来い」と俺をこき使う。
電話は引いていない、目覚まし時計はまた寝てしまうから役に立たない、お前が起こしに来い、と。
だいたい合い鍵まで持たせておいて、しかもこれまで何度もレヴィの寝姿を見て、
隣で目覚めることだってざらなのに、この期に及んで「女が寝てるとこ」だなんて。

「――え? この子、女の子なんだ?」
おかしさをこらえて言うと、レヴィが目をつり上げた。
「ふざけんな、ロック!」
彼女に加勢するように、にゃあ、と小さなねこが鳴いた。
「あたしのどこが男に見えんだよ!」
ばつが悪いのか拗ねているのか、レヴィはわずかに唇を尖らせた。
いつもは女の子扱いをされるのを嫌うくせに、
女扱いされないのもそれはそれで気に食わないのだろうか。

――可愛い女。

「ん? 見えないよ。見えないけど、寝てるとこに俺が勝手に入っていってもいい女だと思ってる」
勘違いされてはたまらないので正確に訂正すると、今度はうっすら赤くなってうつむいた。
「……ふざけんじゃねェぞ」
「今更だろ? なに? そんなに見られて困るところだったの?」
うつむいたレヴィの眉が忌々しそうに寄せられた。
いかにも不本意そうな顔をして目を逸らす。

そうだろう。
彼女にとっては困るのだろう。
この様子だと、ねこと一緒に寝ていたに違いない。
冷笑的に現実を見据え、世の中を皮肉な舌で切って捨てる彼女にとって、
小さなねこを拾って世話してやり、あまつさえ一緒に寝ていたなど、不本意の極みだろう。

「おかしいと思ったんだ。ここのとこ、ずっと帰りが早いからさ」
それにしても、毎日毎日あんなにうきうきと飛んで帰っていたのは、このねこのためだったのか。
街中に違和感をばらまいて。
野良ねこでも拾って来ているのでは、と考えたことは考えたが、ここまで見事に的中するとは思わなかった。
決まり悪そうに脚の間に小さなねこを囲うレヴィを見ていると、ひどくほほえましい気分になった。


30 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/31(土) 21:46:38 ID:8W/ZQ3co

「俺はこの子に負けたのかー。悔しいけど可愛いな」
ここ数日のもやもやした思いは綺麗さっぱり消え去っていた。
茶色いトラ柄の体に、鼻先と喉元から腹にかけて、そして足先に白い毛の入ったねこだった。
あちらこちらに怪我をした痕があるが、まだ治っていないらしい傷はレヴィが手当をしたのだろう、
包帯が巻かれていた。
痩せてはいるものの、毛はふわふわしている。
レヴィの握りこぶしくらいの大きさしかない小さな頭に比べると、くるっとした目は大きい。
その目の色は、レヴィによく似たつやつやの茶色だ。

俺は、レヴィの脚の間にちょこんと収まっているねこに手を伸ばした。
その途端、小さなねこは弾かれたように身を翻してベッドから飛び下り、部屋の隅にすっ飛んで行った。
「あれ、嫌われたな」
レヴィの腕の中にいた時はあんなに無防備な顔をして見上げていたくせに、
俺に触られそうになった瞬間、突然獣に戻った。
警戒心剥き出しの目で俺を見てくる。
……仕方が無い。
ここでしつこくしても更に嫌われるだけだ。
俺はねこの方は早々に諦め、レヴィに機嫌を直してもらう方を優先することにした。

間が悪いのか照れているのか、
「あいつが勝手についてきた」だの「仕方なく置いてやってるだけ」だの、
無理矢理いつもの“シニカルなトゥー・ハンド”の体面を立て直そうとするレヴィをなだめて、
「他の奴には言わない」と約束をすると、彼女はどうにかそれで折り合いをつけたらしかった。


31 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/31(土) 21:47:35 ID:8W/ZQ3co

晴れて買ってきた朝食を広げ、渡された器によそおうとすると、レヴィが脇から覗き込んできた。
「カーオ・トムの具はなんだ?」
普段朝食などまともに食べないので粥ぐらいがちょうど良いと思って買ったが、
買い物をした時は正直上の空で、どんなの具を頼んだのかすらよく覚えていなかった。
「えーと、魚の肉団子かな」
目の前にある肉団子状のものと記憶とを、なんとかすり合わせる。
「肉団子か。だったらあいつも食えるだろ」
レヴィは、俺が肉団子をあのねこの小さな口にも入るように箸で割るのをじっと見つめ、
それ、玉ネギ入ってねェよな、とつぶやいた。
多分入ってないと思うけど、と返したところで、俺はようやくあのメモの正体に気づいた。
レヴィの態度に違和感を覚えた発端。
パソコンをいじるレヴィのそばにあった、不思議な取り合わせの食材が並んだ、あのメモ。

――ねこが食べられないものか。

そう気づいてみれば、玉ネギもイカも、ねこに食べさせてはいけない食材の代表みたいなものだ。
レバーや生卵の白身も駄目だとは知らなかったが、
それにしても、ねこを拾って来てそそくさと食べられないものを調べていたのかと思うと、また頬がゆるんだ。

聞くと、最初は凄い食べっぷりだっただの、チキンを喜んでいただの、レヴィは機嫌良くあれこれと話した。
ふと部屋の隅の冷蔵庫に目を向けると、側面にあのメモが張ってある。
毎日あれを睨んでは、ねこが食べられそうなものを買って来てやっていたのだろうか。
想像するだけでほほえましいが、ここでにやにやしたら、せっかく直ったレヴィの機嫌がまた悪くなる。
俺は必死で頬を引き締めた。
レヴィの口振りからすると、ふたりは仲良く同じものを食べているようだ。
人間用の食事は味が濃いし、バランスも偏るだろうから、
ねこ用のドライフードなり缶詰なりの方が良いのではないかと思ったが、
結局それは口には出さなかった。

レヴィは食事に構わない。
昼食は大抵デリバリーのピザで済ませ、夜は酒ばかり呑み、まともに食べない。
そして朝は前の日の酒が残っているか、ただ単に眠いかで、やはりまともに食べない。
そんなレヴィがちゃんと人間らしい食事をしているのだ。
レヴィにとっては絶対にそちらの方が良い。
そう思って、俺はなにも言わなかった。


32 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/31(土) 21:48:56 ID:8W/ZQ3co

「青ネギ入れんなよ」
粥の上にぱらぱらと散らばっている青ネギを細かく刻んだものを指してレヴィが言う。
「ああ」
ねこの分の器には入らないように気をつけてよそうのだが、どうしても紛れ込んできてしまい、
俺は箸でそれをちまちまと取り除いた。
とろりとした粥の中を逃げていく刻みネギを追いかけて奮闘していると、
部屋の隅にいたねこがそろそろと戻ってきた。
俺を警戒したまま、レヴィの側からベッドにのぼる。
「お、どうしたー? メシにつられたか?」
腰のあたりにすり寄られたレヴィが見下ろすと、ねこは彼女の脇の隙間から顔を差し入れ、
そのまま太ももに絡みつくようにてろんと伸びた。
「コラコラ、もうメシ食うんだから、起きてろ」
太ももの上でもぞもぞされてくすぐったいのか、レヴィは笑って身じろぎをした。
起きてろ、と言われてもねこは更に深く顔をうずめるばかりで、一向に言うことを聞く気配が無い。
隣から覗き込むと、俺の視線を感じたのか、ねこが目を上げ、
「なに見てんの? なんか文句でもある?」とでも言いたげに睨んできた。

「膝まくらか……。羨ましい……」
つい本音がぽろっと漏れた。
膝まくらなんて、自慢ではないが一回もしてもらったことが無い。
レヴィとはもう短いとは言えないつき合いになるというのに、一回も、だ。
俺だって四六時中べたべたするのは苦手だが、一回ぐらい
あの張りのあるやわらかな太ももに顔をうずめてみたいと思っても、罰は当たらないのではないか。
彼女の太ももの感触を知らないわけではないが、照れくさいのかなんなのか、
触れるのを許してくれるのはベッドの中でだけだ。
それに不満があるわけではない。
わけではないが、一度くらい穏やかに膝まくらをしてみて欲しいと思うのが人情というものだ。
膝まくらは男のロマンだ。

なのに、どうだろう。
一体何日一緒に暮らしたのか知らないが、
一か月足らずのつき合いであることは間違いないこの小さな新参者は、
さもそれが当然の権利だとでも言うかのように、
思う存分すりすりと顔をレヴィの太ももにこすりつけている。

「……ああ、可愛いのは卑怯だ」
恨みがましくうめくと、レヴィは勝ち誇ったように鼻で笑った。
「あんたは可愛くねェもんなぁ、ロック」
そうして、だれがするか、と俺に見せつけるように小さなねこの眉間を指でこすり、
耳のうしろを軽く掻いてやっている。
ねこは嬉しそうに、「もっと」とねだるようにレヴィの手に頭をすり寄せる。

俺も、これぐらい小さくて可愛くて、ふわふわしてたら……。
ついそんな事を考えてしまったが、俺が毛だらけでも気持ち悪いだけだろう。
この小さなねこの前には白旗を上げるしか無かった。


33 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/31(土) 21:49:47 ID:8W/ZQ3co

ようやくすべての青ネギを除去した肉団子入りの粥をレヴィに渡すと、
レヴィは器の中身を見せて「魚の肉団子入りの粥」と親切にねこに説明してやっている。
「ほれ、お前、魚も好きだろ?」などと、まるで人間の子どもに対するみたいだ。
レヴィは一旦器をねこの前に置いたが、その器にねこが口をつけそうになると、
思い直したようにもう一度取り上げた。
「あー、ちょっと冷ましてから食え」
そして、スプーンを突っ込んでかき混ぜ、唇をすぼめて何度も息を吹きかけて冷ました。

――なんだなんだ、この世話焼きっぷりは……。

俺は唖然とした。
ねこはねこ舌で熱いものは駄目なのだろうし、
買ってからそれなりに時間が経っているとはいえ、粥は粘度が高いせいで冷めにくい。
にしてもこれは、過保護というものではないか。
俺なんか一度もこんなこと……。
短時間のうちに膝まくらと粥の息吹きかけ冷ましという奇跡の光景を目の当たりにして、俺は眩暈がしてきた。

「ほれ」
しかし、この小さな幸せ者は、それがどんな僥倖であるのかには思いも及ばない様子で、
差し出された器に顔を寄せた。
レヴィが冷ました粥はまだねこにとっては熱かったようで、
小さなピンク色の舌が粥についた瞬間、びくっと震えて身を引いた。
しかし、また匂いにつられるかのように寄っていって、
ふんふんと白い鼻先をうごめかせてから少しずつ食べ始めた。
「――気に入ったか?」
レヴィがねこの細い首筋に声をかけても、振り向くことなくぴちゃぴちゃと食べている。
「……合格点のようだぜ」
「良かった」
これ以上レヴィの同居人に嫌われたくない。
俺はとりあえずほっとして、詰めていた息を吐いた。


34 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/31(土) 21:51:15 ID:8W/ZQ3co

買ってきたもう一品、ヤム・ウンセンには、レヴィは一向に手をつけた様子が無い。
さっきから箸を伸ばすのは俺だけなので、それを指摘すると
「うっせーな、野菜キライなんだよ」と返ってきた。
「野菜キライって、どっちが子どもだか分かんないな……」
先ほどレヴィのねこに対する態度はまるで母親が子どもに対するもののようだと思ったが、
レヴィの態度だって充分子どもだ。
どうやら、ヤム・ウンセンに入っている細切りのニンジンやキュウリが嫌らしい。
「レヴィは野菜足りてないよ。それにほら、これは野菜だけじゃなくて春雨も入ってるだろ?」
これこそ本当に子どもをなだめてるみたいだ……。
なにやってるんだろう俺、と思っていると、レヴィがきゅっと唇を尖らせた。
「……春雨なんかに騙されるか」
まるっきり子どもの表情だ。
「いや、騙すとか騙されるとかそういう問題じゃないだろ」
俺は呆れて、春雨と野菜が絡み合ったヤム・ウンセンを皿に取り分けた。
「ほら、これはレヴィの分」
皿を差し出すと、レヴィはまるでこのヤム・ウンセンが諸悪の根元だ、
とでも言うかのように皿の中身をじっと睨みつけた。
しばらく無言で睨んでいたが、突然俺の手から皿を引ったくっていったかと思うと、
レヴィはくるりとねこの方を向いた。
粥の器に小さな頭を突っ込んでいるねこに声をかける。
「お前も野菜足りてねえよなー? ほれ、遠慮せずに食え食え」
まさにねこなで声で、ずい、と皿を押し出す。

信じられない。
こいつ、ねこに押しつける気だ。
自分が嫌いだからって。

押しつけられたねこの方は、と思って見てみると、
もの凄く嫌そうな、そしてもの凄く困ったような顔をして、レヴィを見上げている。
凄く迷惑なのだが、大好きなレヴィの言うことだからどうしよう、そんな顔だ。
「好き嫌いしてるとデカくなれねェぞー」などといい加減なことを言うレヴィを、俺は引きとめた。
「……レヴィ、自分を棚に上げてその子に無理強いするなよ」
ため息をついて、俺はねこの前からレヴィの皿を取り上げた。
「ほら、ねこは香辛料も駄目なんだろ? これ、それなりに辛いよ」
ヤム・ウンセンには結構唐辛子が効いていた。
確かあのメモには香辛料も駄目だと書いてあったはずだ。
それを言うと、レヴィはむっすりと膨れたまま、それでもねこに押しつけるのはやめにしたようだった。
「ほら、半分手伝うから」
俺はレヴィの皿からヤム・ウンセンを半分減らしてやった。
それでもレヴィは、気が進まなさそうに箸で突っついている。
「なに? ひとりじゃ食べられない? 食べさせてあげようか?」
一口分を箸で取って、ほら、あーん、とレヴィの口元に寄せると、
まったく忌々しい、という顔で手荒く振り払われた。
「ッざけんな!」
「――っと、危ないな」
「ひとりで食える!」
「それは良かった。じゃあ食べて」
めでたく合意が成立した。
俺はにっこり笑って皿をさし出した。
レヴィはめっぽう不服そうだったが、買ってきた朝食はすべて無事に二人と一匹の胃袋に収まった。


35 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/31(土) 21:51:42 ID:8W/ZQ3co

その後、レヴィと揃ってラグーン商会に出勤すると、
おや、とダッチとベニーに意味ありげな目で見られたが、
レヴィと「他の奴には言わない」という約束をした手前、下手に説明することもできない。
なにも問題無いよ、と目配せで伝え、さも仕事が忙しくて仕方がないかのような振りをした。
やらねばならない作業が残っていたことは事実なので、正確に言うと「振り」でもないのだが、
問い詰められるのは御免だった。
夕方になると、いつものごとく風のように去っていくレヴィの後を追うように、俺もそそくさと事務所を後にした。
さて、次はいつレヴィの部屋に行こう。
そう考えながら。


36 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/31(土) 21:52:36 ID:8W/ZQ3co

 * * *

ねこというやつは、家の中で一番心地良い場所を知っている。

寒い日は、ストーブの前の特等席や、日だまりの中。
暑い日は、ひんやりした床の上か、風の通り道。
そして、今現在のレヴィの部屋では――

――レヴィの胸の間。

休日の午前中にレヴィの部屋を尋ねた俺は、ドアを開けた瞬間、その場に崩れ落ちそうになった。

レヴィはベッドであおむけに横たわって眠っている。
そのレヴィの体の上には、小さなねこが乗っかって、こちらもよく眠っている。
ねこの尻はレヴィの削げた腹の平らな窪みにちょうど良く収まり、
てろんと伸びた体は、みぞおちと肋骨の上をのびのびと縦断し、
小さな頭はレヴィの柔らかそうな胸の間にことんとはまっている。
レヴィの寝息で小さなねこの体が上下し、
それよりも少し速いリズムで、ねこの柔らかそうな腹もふくふくと膨らんだりしぼんだりする。
ふたりともそっくりな顔をして、無防備にくぅくぅと寝ている。
垂れ下がっていたねこの細く長いしっぽが、するん、とレヴィの脇腹をなでるように引き寄せられた。

――なんだこの生物兵器は……。

俺は思わずドアの枠に手をついて体を支えた。
体中の力が抜ける。
この光景を見せたら、人類のほとんどが戦意喪失するだろう。
八割、いや、九割は固い。

なんだか呼吸困難で胸まで苦しくなってきたが、俺はふたりを起こさないようにそっとドアを閉めた。
ベッドの枕元で雑誌が開いたまま壁際に押しつけられているところを見ると、
朝に一度起きてはいるのだろう。
きっと、寝転がって雑誌を読みながらじゃれ合っているうちに眠ってしまったに違いない。
レヴィの部屋のおんぼろエアコンも本日は快調らしく、充分すぎるほどに室内を冷やしている。
黒いタンクトップと下着だけという姿のレヴィも、
剥き出しの腹のところにやわらかそうなねこがふんわり乗っかっていて、さぞかし快適な温度だろう。
ねこの方は言わずもがな。
若干タンクトップがめくれ上がっているレヴィをベッドにして、
心地良いふたつのふくらみの間に顔をうずめて寝るだなんて、これで快適じゃないわけがない。

俺は静かに椅子を引いて腰かけた。
ふたりはぐっすり眠っていて、まるで起きる気配が無い。
午前中のまだ透明感のある光が窓から射し込んで、ふたりを照らす。
ねこの毛並みは良好とまでは言えないのだろうが、ちゃんと清潔に保たれて、細い毛が一本一本輝いていた。
白い毛は混じりけなく白く、茶色いところはレヴィの髪の色に似て、太陽の熱を集めている。
レヴィは片手を顔の脇に投げ出して寝ている。
この女の寝顔はひどくあどけない。

なんだか時間のエアポケットに入ってしまったように、穏やかな時間だった。


37 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/31(土) 21:54:08 ID:8W/ZQ3co

――俺、前は休日になにしていたんだっけ……?

マイルドセブンに火をつけながら、俺はもう滅多に思い出さなくなった日本での生活を振り返った。
旭日重工に勤めていたあの頃。
平日は疲れた体に鞭打って、這うようにして会社に出勤し、休日返上で働くこともざらだった。
たまの休日は、その疲れを取り返すかのように夢も見ずに午後まで眠り、
出かけるのも面倒なのでパジャマのままカップ麺か前の日の残り物をもそもそと食べる。
たまった洗濯物を洗濯機に放り込み、雑然とした部屋を掃除していると、洗濯機が洗い上がったことを知らせる。
たっぷり眠ったはずなのに、一気に寝すぎたせいで却って体がだるく、
あぁ疲れたと思いながらぼんやりしていると、外は早くも日が暮れ始める。
明日はまた仕事だ、行きたくないなぁなどと憂鬱な気分で形だけの夕食を済ませると、もう一日が終わっている。
残ったのは、乾ききらずにじっとりと垂れ下がっている洗濯物だけ。
狭苦しいひとり暮らしの部屋から一歩も出ずに、休日は終了。

学生の頃だって大して変わりは無い。
それなりの学校生活を送り、それなりの成績しか取れず、
出来の良い兄貴とは違うのだと、俺は随分昔からなにかを諦めていた。

実家はいつも清潔に整えられていたが、無菌室のようなそこは息が詰まった。
そう広くも無いが閑静な住宅地に建てたことだけが自慢の家は、毎日隅々まで掃除がなされ、
テーブルクロスはいつだってぴったりと平行に収まり、ティーカップには一筋の茶渋すら残っていなかった。
小さい頃、俺は動物を飼いたいとひそかに思っていたが、それは結局言い出せずに終わった。
母親にとってペットとは、磨き上げられた家具を傷つけ、清潔な部屋を毛で汚し、
清浄な空気を獣の体臭で汚染させるだけの厄介な存在でしかなかった。
それに、出来の悪い俺がなにかをねだることなど、許されるはずもなかった。

俺は息をひそめて生きていた。
それなりの大学を卒業して、それなりの企業に勤めて、それなりの結婚をして、それなりに子どもでも出来て、
それなりに人生が終わるのだろうと、そう思っていた。

――それが、こうだもんなぁ……。

俺はマイルドセブンを肺の奥まで吸い込み、大きく煙を吐き出した。
今、目の前に広がるのは、清潔とはほど遠い古ぼけた部屋だ。
剥げかかった壁紙に、くすんだ天井。
建てつけの悪いドアや窓に、微妙に足の長さが違うテーブルとイス。
歩くときしむ床は、拭き掃除などここ四半世紀されたことも無いだろう。
そして、ここはちょっとした展示場かと思う勢いで並んだ銃器の数々。
日本でぼんやり暮らしていた頃の俺が見たら、これを見ただけで竦んでしまっていたに違いない。
けれど、そんな乱雑な部屋で眠る女と小さなねこを見ていると、ひどく安らいだ気分になった。

冷静に考えてみれば、俺は正常な世界から既にフェードアウトしてしまっており、
安寧とは最も遠い場所に置かれているはずだった。
しかし、記憶の彼方の平和な日本はモノクロで輪郭を失っており、
今、この地図にすら載っていない街の小さな部屋こそが、確かな色彩を持って迫ってくるように感ぜられた。

俺はレヴィに出会ったあの日に死んだのだと思っていたが、
きっと、あの日から生き始めたのだろう。


38 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/31(土) 21:55:01 ID:8W/ZQ3co

「ん…………」
レヴィが寝返りをうった。
あおむけになっていた体が横むきになって、軽く丸まる。
それにつられて、レヴィの腹の上に乗っていたねこも、ずるずるとずり落ちた。
シーツの上に着地したねこは、そのままそこで丸まるかと思ったが、
半分以上眠ったままレヴィの腰を這いのぼり、肋骨と腰骨の間、
そこだけ骨が無くてきゅっとくびれたウエストのくぼみに、すとんと顎を落ち着けた。
レヴィの腹にへばりつくように体を安定させると、また安心したように眠り出す。

――どうしてもレヴィにくっついていたいのか。

俺は笑いを噛み殺した。
この調子だと、絶対いつも一緒に寝ているに決まってる。

――俺なんか、レヴィに触れるだけでも一年かかったっていうのに……。

こうして当たり前のように彼女の体温を享受している姿を見ると、
つい恨み言のひとつも言ってみたくなる。



飽きもせず、どれくらいそうやって眠るふたりをただ見ていただろうか。
ようやくレヴィが目を覚まして、部屋にいる俺に気づいた。
長い睫が、ゆっくりと上下する。
「……来てたのか、ロック」
寝起きのかすれた声で「来てたんなら起こせよ」と言い、レヴィはまだ眠そうに目をこすった。
それからシーツの上で腕を思い切り伸ばして、んーっと伸びをする。
背中がしなやかに反った。
その隣でねこも目覚め、レヴィと同じように伸びをした。
その背中の反り具合がよく似ていて、俺は思わず小さく笑いを漏らした。

――そっくりだ。

いつもレヴィはなにかに似てると思っていたが、そうだ、ねこだ。
俺は思い当たって、ひとりで合点した。
ソファの上でごろごろし、気づくと丸まって寝ているところも、
寝起きに思いっきり伸びをするところも、
気分屋のところも体がやわらかく俊敏なところも。
そう、ねこにそっくりだったのだ。

「……んだよ」
俺が笑ったのが耳に入ったのだろう、レヴィが軽く眉をひそめた。
「なんでもない」
笑いを押さえつけて言うと、レヴィはしばらく不審そうに見ていたが、
「変な奴」
俺を一瞥するとベッドから降りて、裸足でぺたぺたと向こうに行ってしまった。


39 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/07/31(土) 21:56:34 ID:8W/ZQ3co
小さなねこは、本当によくレヴィに懐いていた。
レヴィの手から直接、小さくちぎったピザの耳をもらって食べることすらあった。
彼女の話によると、路地裏で怪我をしてうずくまっていたねこがついて来てしまったらしいが、
野良ねことはこんなに人に懐くものなのだろうか?
俺は、レヴィの手からピザのかけらをもらって
あむあむと嬉しそうに小さな口で食べるねこを、信じられない思いで見た。
もしかしたら人に飼われていたことがあるのかもしれない。
そう思って俺もピザの耳をさし出してみたが、
レヴィのことはあんなにとろけた目で見ていたくせに、俺が手を寄せると一転、視線が鋭く尖った。
警戒したように、じりっと身構える。
「よせよせロック、あんたにゃ無理だ」
レヴィは得意げに、今度はサラミを口元に近づけてやる。
すると、ねこはころっと豹変して、レヴィの手から素直にサラミをさらっていった。

――なんだよ、この差は……。

俺は、食べてもらえなかったピザの端っこを、仕方なく自分の口に放り込んだ。

明らかに、このねこはレヴィのことが好きなのだ。
そして、俺のことは好きではないのだ。

――なんでレヴィ? 俺の方がずっと人畜無害なのに……。

なんだか納得がいかないが、もしかするとケモノ的同族意識なのかもしれない。
自分と同じレベルで同類だと思っているから、あんなに懐いているのではないか?
あのねこ、実はレヴィが産んだのだと言われても、
レヴィが人間の赤ん坊を産んだと言われるよりは驚かないかもしれない。
口に出したら絶対にレヴィに殴られるだろうことを、俺はこっそり考えた。

それにしても、レヴィはすっかり母ねこ状態だが、
あの子はレヴィのことを母親だなんて微塵も思っていないだろう。
恋人だとでも思っているに違いない。
そして、断言しても良い。
あの子はオスだ。
絶対に、オスだ。
俺には分かる。

――その手はなんだ! その手は!

俺は、おなかがいっぱいになってレヴィに甘え出した小さなねこの手を見逃さなかった。
レヴィの膝の上に乗っかって胸元に顔をうずめているが、
その小さな手がしっかりとやわらかい胸に沈んでいる。
レヴィはそうやって甘えられるのが嬉しいらしく腕で抱いてやっているが、
そのねこの陶然と体をくねらせる様子と言ったら!
あれは絶対オスだ。
オス以外に考えられない。

なぜ俺は本気でこんな小さなねこを羨ましがっているのだろう、と我に返ったが、
レヴィは、滅多に見せない邪気の無い顔で笑っている。
いつもの棘のある目線はすっかりなりをひそめ、子どもみたいな笑顔を見せている。

――そんな顔も、できるんじゃないか。

俺には滅多に向けてくれない表情に羨望の思いも増したが、
それよりも、この上なく和やかな思いの方に満たされた。
俺はこっそり、心の中でこの小さなねこに感謝した。


43 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/01(日) 21:39:15 ID:5T+ol7f5

 * * *

その後も俺は、レヴィと小さなねことの蜜月っぷりをこれでもかという勢いで見せつけられ続けた。
ある日レヴィの部屋を訪れてみると、今度はレヴィは起きていた。
「おー、ロック。ちょうど良かった」
一応、歓迎もされた。
しかし、
「煙草取ってくれ」
まだドアも閉めていないというのに、二言目に言われたのがそれだ。

レヴィはベッドに腹這いに寝そべって、雑誌を読んでいる。
「……自分で取れよ」
煙草ぐらいで来たばかりの人を使うな、
というか、煙草取ってもらうのに「ちょうど良かった」のか?
肩を落とすと、レヴィは
「取れねェんだよ」
と肩越しに自分の腰の上を指さす。

彼女の指の先にあるのは、丸まった茶色い毛のかたまり。
レヴィの背中の上で、くるんとアンモナイトみたいに丸まった毛玉の中から、尖った耳がちょんと出ている。
生きた毛玉は只今絶賛大殿籠り中らしく、やわらかそうな腹がくぅくぅと規則的に動いている。
レヴィの背中のくぼみが世界で一番安心できるところです、とでも言うかのように熟睡している。

――かなわない。

この小さな毛玉には、どうしたって対抗できない。
俺は諦めて小さく息をついた。
「で、どこにあるって?」
テーブルの上には無いようだが、と思って周囲を見回すと、レヴィは
「そこそこ」
と、片手を頭の方に伸ばしてひらひらさせる。
「え?」
レヴィの手が伸びているのは、枕元のサイドチェストだ。
ひらひらさせている指先の、ほんの三十センチほど先にお目当てのラッキーストライクがある。
「……自分で取れるだろ、これぐらい」
こんなに近くにあるんだったら、ちょっとずり上がって手を伸ばせばすぐではないか。
つい非難がましい口調になると、レヴィはそんな風に言われるのはまったく不当だ、という顔をした。
「こいつが起きんだろ」
馬鹿かお前は、とでも言うかのように睨んでくる。
「…………はいはい」

この扱いの差はどうだろう。
俺は心の中で嘆きつつも、煙草を一本取り出した。
「はい」
二本の指ではさんでレヴィの口元に近づけると、彼女は首を伸ばして顎を上げた。
赤い唇がわずかに開く。
その唇に煙草をくわえさせてやると、レヴィの息が手をかすめる。
それからライターで火をつけると、レヴィは煙を吐き出してから、煙草を唇の端に引っかけて見上げてきた。
「どうも」
くぐもった声で簡素な礼を言う。
「どういたしまして」

俺はその時、小さなねこに餌づけして嬉しそうにしていたレヴィの気持ちが分かった気がした。
「餌づけ」などと言ったらレヴィに殺されそうだが、今のはちょっと餌づけに似ていた。
そう思うと、口元がゆるむのを止められなかった。


44 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/01(日) 21:40:20 ID:5T+ol7f5

どうやら背中の毛玉が起きるまで動く気は無いらしいレヴィの枕元に、俺は腰かけた。
「外、暑かったか?」
レヴィはベッドに寝そべったまま見上げてくる。
「ああ、火にかけられたフライパン並に暑かった」
「あー、外出たくねェなー。パンケーキにされんのは御免だ」
「買い物は――」
「行きたくねェ」
「……だよな」

枕に顔をうずめながらごろごろするレヴィと、そんなたわいもない会話をするのもこれはこれで悪くない。
しばらくして小さなねこが目覚め、俺を認めて「むっ、邪魔者」みたいな顔をしてようやく、
レヴィは立ち上がった。


45 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/01(日) 21:41:12 ID:5T+ol7f5

「じゃあ、あたしちょっとシャワー浴びてくっから」
「あ、ちょっと……!」
こんなに警戒心丸出しのねことふたりっきりにされても困る、
俺は動物なんか飼ったこと無いんだから、と言おうとしたが、
その言葉はあえなくシャワールームのドアに遮られた。

ねこの方も、置いてきぼりにされた捨てねこみたいな――みたいな、じゃなくて本当にそうだったか――顔をして、
俺を最大限に避けて壁際を伝って歩き、シャワールームのドアの前に行った。
にゃあ、と小さく鳴いてドアをかりかり爪で引っ掻いていたが、
それでもドアが開かないのを見ると、諦めて部屋の隅っこで香箱を作った。

そうやって距離を取りながらも、ねこは油断なく俺の方を見て警戒している。
俺はベッドに腰かけて無意味に笑ってみたが、効果無し。
非常に気詰まりだ。

――なにか無いのか、こう、ねこが喜ぶおもちゃみたいなの……。

藁にも縋る思いで部屋を見回したが、それらしきものは見当たらない。
部屋は、常よりきちんと片づいているようだ。
飲み終わったビールの空き缶や食べ終わったピザの空き箱も無いし、
いつもそのへんに散乱している弾丸のケースやら銃の手入れをする道具やらオイルやらも無い。
ずらりと並んだ銃器も、倒れてこないように紐で押さえてある。
目につくのは、タオルを籠の中にしいたレヴィのお手製らしき小さなベッドと、
箱の中に砂を敷き詰めたねこ用のトイレだ。
すっかり、ねこ仕様の部屋になっている。

部屋の中を眺め回すのにも時間を持て余し始めた頃、ようやくバスルームのドアが開いた。
ドアノブの回る音を聞いたねこは、待ちかねたとばかりに小走りにレヴィに近寄って行った。
「おー、どうしたー? 仲良くやってたかァ?」
レヴィは下着一枚で髪をタオルで拭きながら、俺にではなく明らかにねこの方に話しかけている。
しかし、レヴィを待ちかねていたのは俺も同じだった。
「レヴィ、なにかおもちゃとか無いの?」
「はァ? おもちゃ?」
「ねこ用のだよ。なんかこう、あるじゃないか。ねこじゃらしみたいなやつ」
身振り手振りを加えて説明すると、レヴィは眉をしかめた。
「ねぇよ。なに言ってんだ、バカ。んなもん使って人に慣れさせたら、外出た時大変じゃねェか」

――「人に慣れさせたら」……?

俺は呆気に取られた。
レヴィはこんなに仲睦まじく毎日毎日ねことイチャイチャしておいて、
これで「人に慣れさせ」るつもりは無いとでも言うのか?

「ったく、相変わらず過保護だな、ロック。この暑さで脳味噌溶けたか?
冷却水が足りてねェぞ。今なら只でシャワー貸してやるから頭冷やして来いよ」
「い、いや……いいよ」

――過保護はどっちだ!

口だけは丁重にシャワーを辞退しながらも、理不尽の海に体が沈んだ。


46 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/01(日) 21:42:41 ID:5T+ol7f5

それにしても、いつものことではあるが、レヴィは下着一枚でタオルを首に引っかけたまま、
そこらへんをぺたぺたぺたぺた歩き回る。
ちゃんと拭ききれていない水滴が、腕や脚、背中に残っていて、床を濡らす。
長い濡れ髪からも水がしたたって、つぅっと背中を伝った。
「……レヴィ、ちゃんと体拭いて服着ろよ……」
二リットルのペットボトルから豪快に水を飲んでいたレヴィに言うと、
彼女は振り向いて、ベッドに腰かける俺を睨んだ。
「なんか文句あるか。――あっちィんだよ」
レヴィは髪からぽたぽた水滴をたらしながらペットボトルを冷蔵庫に戻すと、乱暴に扉を閉めた。
「別に文句っていうんじゃ無いけど……」
「けど、なんだよ。嫌なら見んな」
ここはあたしの部屋だ、文句があるんだったらお前が出てけ、と言わんばかりの態度でレヴィは部屋の中を闊歩する。

嫌だというわけではないし、見たくないわけでもない。
……どちらかというと、その逆だ。
鍛え上げた伸びやかな肢体はどこにもたるんだところがなく、
かといって筋肉でごつごつと固まっているわけでもなく、全身はなめらかな曲線を描いている。
歩くたびに浮き上がる縦に通った脚の筋やアキレス腱は美しく、
下着一枚で歩いていてもだらしがないという印象は不思議と無い。
なんだか野生のヒョウかカモシカでものし歩いているような、そんな感じ。

けれど、
「レヴィ」
俺はベッドから腰を上げ、レヴィに近寄って片方の手首を取った。
「なんだよ」
レヴィは振り向き、掴まれた手を肩の高さに上げて、自分の手首を取っている俺の手を不快そうに見た。
「服、着ろって」
俺は一歩、距離を詰めた。
「……後で着る。あたしに指図すんな」
レヴィの肩から下がったタオルはちょうど胸を隠していたが、その丸くやわらかな輪郭や、
普段タンクトップに覆われて日に当たっていない白い胸元までは隠しきれていなかった。
睨むように見上げるレヴィの髪からまた新たに水がこぼれて首筋を伝い、浮き出た鎖骨を乗り越え、
二つのふくらみの間のくぼんだ谷間をすべり落ちていった。

「――それ、試してんの?」
「は?」
目を見開いたレヴィを、俺は後ろの壁に押しつけた。
手首も壁に縫いとめる。
レヴィは一瞬驚いたようだったが、すぐにまた鋭い視線を寄越してきた。
「どけよ」
「嫌だ」
俺は更に距離を詰めた。
レヴィの手首を捉えたまま壁についている手に、体重をかける。
「俺さ、我ながら結構理性的な人間だと思ってるんだけど――」
シャンプーの匂いが鼻先にただよう。
レヴィの呼吸が首元をかすめた。
「俺も一応、男なんだよね」
更に身を寄せると、レヴィが身を引くように体を反らせたが、後ろは壁だ。
彼女が思ったほど距離は離れず、俺の着ていたシャツがレヴィの肌に触れた。
「……言われなくても知ってる」
レヴィは顔を逸らし、床を睨みつける。
「――知ってる? なら話が早い」


47 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/01(日) 21:43:51 ID:5T+ol7f5

俺はレヴィの手首を更に強く固定して身を屈め、レヴィの鎖骨に残っている水滴を唇で吸い取った。
「――ちょ、やめ……っ!」
レヴィがもがいたが、残った方の手首も捉えて拘束し、首筋に口づける。
洗ったばかりでまだ水をたっぷり含んだ肌の感触を唇に感じた。
「――ロック!」
舌先で首筋を這いのぼると、レヴィの体がぎゅっと固まって、捉えた手首が震えた。
首筋をゆっくりと舌でなぞり、耳元にも口づけてから、やわらかい耳たぶを唇ではさみ込む。
レヴィが息を飲んだ。
耳たぶをたっぷりと舌でこね、そのつけ根や耳の後ろのくぼみにまで舌先を沈めてから唇を離すと、
すっかりレヴィはおとなしくなっていた。
速くなった鼓動が布越しに伝わってくる。
見上げるレヴィに顔を寄せると、ゆっくり睫が落ちていく。
唇を重ねると、やわらかく湿った感触がした。

もう、抵抗は全く無い。
俺はレヴィの両手首を解放して、強く腰を抱き寄せた。
まだ濡れた体についた水滴が俺のシャツにしみ込むが、構わない。
唇を割って、そっと舌を絡めとる。
その瞬間、レヴィの体が溶けて、やわらかく俺の体に馴染んだ。
まるで、固体だったものが液体に変わったかのような変わり様だった。
この瞬間が、俺は好きだった。
唾液がなめらかに絡み合うのを感じながら、濡れた髪の中に手をさし入れる。
レヴィの手が俺のシャツの肩口を掴んだ。
俺はレヴィの後頭部を引き寄せ、誘うように舌をさし入れた。
またわずかに体が反って、受け入れられる。
応えるレヴィを感じながら、ゆっくりと舌をすくい上げる。
舌が動くたびに、唾液のかき混ぜられる音が頬の骨を伝って響いてきた。
抱き寄せる手に力をこめると、喉の奥でレヴィがかすかな声を上げた。
それでも手の力はゆるめず、しかし舌だけは穏やかに、何度も絡ませ合う。
俺のシャツ一枚を隔てた向こうに、レヴィの胸のやわらかさを感じる。
そうやって互いの熱を交換した後、
彼女の肩にかかっているタオルを取り去ろうと、俺は一旦唇を離した。

その時、後頭部に妙な視線を感じた。
首筋がちりちりする。
俺は気になって、首だけで振り返った。
すると、俺の背後には、部屋の端っこからこちらを凝視している一対の目があった。
透明な丸い目が、こゆるぎもせずに俺たちをじぃーっと見つめている。
レヴィも俺の様子で気づいたらしかった。
俺の肩越しに覗き見る。

「……めっちゃ見てんな」
「……ああ、めっちゃ見てる」
ガラス玉みたいな目をしたねこは、こちらから視線を逸らそうともしない。
「あれ、そのうち飛びかかってくんじゃねェの?」
レヴィが喉の奥で小さく笑った。
「……有り得る」
心持ち姿勢が低いのは気のせいだろうか。
これ以上あの子の前でレヴィになにかしたら、怪我のひとつは覚悟しておいた方が良いかもしれない。


48 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/01(日) 21:44:43 ID:5T+ol7f5

すっかり水を差された形になって力のゆるんだ腕の中から、レヴィはするりと抜け出した。
「どうしたー? お前、見すぎだぞー」
レヴィはすたすたとねこの方に行ってしまう。
彼女の姿を目で追うねこのそばまで行くと、ひょい、と首の後ろを二本の指で軽々とつまみ上げた。
レヴィが片腕で抱くと、ねこは彼女の首もとに鼻を寄せ、ふんふんと匂いを嗅いだ。
「ちょっ、くすぐってェよ」
ぺろりと小さな舌でなめられてレヴィは首をすくめたが、ねこは構わず首筋に小さな頭を突っ込む。
「やめろって」
言いながらも、レヴィはくすぐったそうに笑うだけだ。
ねこは更に匂いを嗅いでは、いぶかしげな顔をしてレヴィを見上げる。
なんだかいつもとちがうにおいがする、とでも言いたげだ。
レヴィは、首だの耳だの嗅ぎまわるねこのされるがままだ。
「くさいかー? 悪い悪い」

――くさくて悪かったな!

どうせ俺はくさいですよ。
ええ、たった今、俺がレヴィに触りましたよ。
くさくてどうもすいませんでしたね。

どうしてへんなにおいがするの? と不審そうなねこと、それを面白がるレヴィを、
俺はなにか敗北感のようなものを感じながら眺めた。


49 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/01(日) 21:45:54 ID:5T+ol7f5

レヴィが服を着たりタオルを片づけたりしている間、ねこはひとりで部屋の隅で遊んでいた。
なにか興味を引くものでも自分で見つけたのだろう。
俺はそんなねこを目の端で捉えながら、煙草に火をつけた。
確かにレヴィの言った通り、特におもちゃなど必要無いのだろう。
わざわざ人間に構われずとも、遊びたければ勝手に遊ぶ。
そうやってねこの好きにさせておくのが一番良いのかもしれない。

イスに座ってテーブルに肘をつき、ぼんやりと煙草をふかしているうちに、
部屋の隅でじたばたしていたねこがおとなしくなった。
そして、俺の目の前を小走りに横切ってゆく。
長いしっぽをぴんと伸ばして、軽快な足取りで。
レヴィのところへ行くのかな、と彼女に目を移したところで、
今見たねこの口元になにか不穏な茶色っぽい物体がはさまっていた気がして、俺は慌ててねこに視線を戻した。
嬉しそうにレヴィの方へ向かうねこの小さな口からは、
その人形のように可愛らしい顔とは不釣り合いな不気味な物体が覗いている。
細い足が何本かと、グロテスクなまでに太く長い足が一対……。

「うわあああああああああああああああああああっ!」
ねこが口にくわえているものがなんなのかを把握した俺は、反射的に叫び声を上げていた。
レヴィのところにたどりついたねこが、「ほらみて!」と言うように、ぺっと彼女の背後にそれを置く。
「――んだよ、うるせェな」
俺の叫び声を聞いたレヴィが振り返った。
「レレレレヴィ! それ! それ!!」
俺は逃げ腰になりながら、そのおぞましい物体を指さした。
「あん?」
レヴィが俺の指の先に目線を落とす。
彼女の足元には、ぬめぬめした気味の悪いまだら色の体をして、
いかにも強靱そうな一対の無駄に長い足を持った、
バッタを巨大化させたような茶色っぽい虫が転がっていた。
まだ完全に死んではいないらしく、やけに質量を感じさせる、くの字に折れた長い足が時折ぴくぴくと痙攣している。
バッタ状と言っても、五センチ以上は優にある。
ただでさえ生理的嫌悪を引き起こす形態をしているのに、このサイズはもう凶悪としか言えない。
だが、レヴィはそれを一瞥しただけで事も無げに言った。

「これがどうした。カマドウマじゃねェか」
「……どうした、って! カマドウマだぞ! なんだよその大きさ!」
カマドウマを見たことが無いわけではないが、日本で見たカマドウマはそんな冗談みたいに大きいやつではなかった。
しかしレヴィは、別にこんぐらい普通だろ、とまるで動じない。
「ったく、だらしねェなぁ、ロック」
呆れ返ったように俺を見てから、
レヴィの足元で「ほめて、ほめて」と期待に充ちた目で座っているねこの前にしゃがみ込んだ。
「お前の方がよっぽど男らしいなぁー」
よしよし、と小さな頭をなでてやっている。

――俺が男らしくないんじゃなくて、レヴィがたくましすぎるだけだろ!


50 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/01(日) 21:47:10 ID:5T+ol7f5

俺は思ったが、
「これ、お前が獲ったのか? すげぇなぁ。良くやったぞー」
などと言って、得意げな顔をしているねこの白い顎の下をかりこり掻いてやっているレヴィに、
慌てて意義をとなえた。
「やめろよ! そんな褒めたりしたら、また獲って来ちゃうじゃないか!」
きっとこれは、この子なりの愛しのレヴィへのプレゼントのつもりだろう。
レヴィに褒められたりなどしたら、気を良くして今後もせっせと半殺しの虫を運んで来てしまうかもしれないではないか。

しかし、俺の意義は「ごちゃごちゃうっせェなぁ」の一言で切り捨てられた。
「一匹くらいでガタガタ言うんじゃねえよ。インディアナ・ジョーンズになれねェぞ。
ま、インドの山奥くんだりまで行かなくたって、閉めきった物置小屋なんかはパラダイスだけどな。
前、一夏中閉めっぱなしだった物置開けたらよ、水の残ったバケツの中にごっそりと……」
「あああああ! やめろ! 聞きたくない! それ以上言うな!」
にこにこと極上の笑みを浮かべるレヴィを、俺は大声で遮った。
しかし、時既に遅し。
頭はしっかりと、昔見た虫地獄のスクリーンと
バケツの中のパラダイス・オブ・カマドウマを想像してしまっており、
ざわざわと悪寒が背中を這い回った。

レヴィは鳥肌を立てる俺に更に追い打ちをかけてくる。
「ったく、こんなもん、そのへんの屋台で売ってんじゃねえか」
「屋台……?」
レヴィは床の上に積み重なっていた雑誌を一冊手に取って丸めた。
「なんだ、知らねぇか?」
その丸めた雑誌を、レヴィはすぱーんと迷い無く、死にかけのカマドウマの上に叩き下ろした。

――うわ。

今まで不規則にぴくぴくとうごめいていたカマドウマの息の根が、完全に止まった。
俺は、つぶれて更に醜悪な様相を呈しているそれを極力見ないようにしたが、
一度見てしまったものはしっかりくっきり脳内に刻み込まれてしまった。
ひしゃげた体から、なんだか変な汁まで出ていた気がする。

――ああ、駄目だ。夢に見そうだ……。

「色んな虫売ってんぞー。
タガメだろ、タマムシだろ、バンブーワームだろ、ああ、どっかでタランチュラも見たな」
レヴィは中空を見上げながら、鳥肌が立つような名を次々と挙げていく。
「今度連れてってやろうか?」
「いやっ! いいっ! いいです! いらない! 絶対嫌だ! 死んでも嫌だ!」
とんでもないレヴィのお誘いに、俺は激しく首を横に振った。

レヴィとの食事は、いつも素っ気ない屋台か飲み屋かといったところで、
改まって食事のためだけに約束を取りつけて出かけたことはまだ無い。
その初めてのまともな外食が昆虫食だなんて、笑えなさすぎる。


51 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/01(日) 21:48:20 ID:5T+ol7f5

俺は断固として辞退の意を表した。
しかし、レヴィは呆れたように俺を見た。
「お前な、昆虫も栄養あんだぞ。森ん中で三日も遭難すりゃ、天のお恵みかと思える。
それだってバッタみたいなもんじゃねぇか」
つぶれたカマドウマを顎で指す。
三日も遭難って、そんな特異なシチュエーションを気軽に出されても困るのだが、レヴィは淀みなく先を続ける。
「ま、ちょっと足は固いかもしれねぇからプチプチっともいでだな、香辛料でカラッと炒めれば――」
「やめろよ! 想像させるな!」
にこにこと虫の食べ方を説明するレヴィを、俺は必死で制止した。

――なんでこんな身の毛がよだつことをこんな特上の笑顔で言うんだ、この女は!

「……んだよ、面白くねェなぁ。虫なんかエビと大して変わらねぇだろ。
どうしてエビが良くて虫が駄目なんだ。細い足がうぞうぞしてるとこなんかそっくり――」
「だからやめろって! エビ食えなくさせる気かよ!」
「意識の問題さ、ロック。だいたいカニとクモがどう違う? クモのでかいのがカニ――」
「うわあああああ! やめろやめろやめろ!! 俺、カニ好きなんだから!」
誰かこの女を黙らせてくれ!
俺は両手で耳を塞いだ。

――絶対、わざとだろ……。

レヴィに「きゃあっ! 虫っ!」などというリアクションは期待していないが、
それにしてもこれはあんまりなのではないか。

そもそも虫に対して人間が生理的嫌悪を感じるのは、
虫には毒を持つものが多いことから、虫を忌避することによって生命を保持しようという本能に基づくものであり、
従って、これは人間の生存本能に植えつけられたしごく真っ当な反応で……
という反論をする元気も無く、俺はベッドにへたり込んだ。


52 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/01(日) 21:49:34 ID:5T+ol7f5

 * * *

レヴィの小さな同居人は一向に俺には懐かなかったが、
それでもレヴィが可愛らしいねこと戯れている様は見ているだけで心和むもので、
俺は頻繁にレヴィの部屋を尋ねた。

これならあの子も食べられるんじゃないか、あれも大丈夫なんじゃないか、
そんなことを言い合いながら市場を物色して食事を調達するのは楽しかった。

その日の夕方も、そうやって市場に寄ってからレヴィの部屋に行くと、
ドアを開けた途端、小さなねこが出迎えるように駆け寄ってきた。
レヴィを待ちかねていたのだろう。
しかし、レヴィの後ろにいる俺の姿に気づくと、きらきらした目の色が瞬時に固くなった。
「やあ、元気だったかい?」
良好な関係を築くべく、俺はにこやかに声をかけてみたが、つんとそっぽを向かれた。

――……つれない。

「――嫌われてるみたいだ、俺」
レヴィのようにとは言わないが、こんなに何度も会っているのだ。
せめてちょっとだけでも気を許してくれても良いではないか。
そして、あわよくば、あのやわらかそうな体に触らせてくれたりはしないだろうか。
俺はため息をついた。

だが、レヴィには、そんな俺とあの子との間を取り持ってくれる気はまるで無いらしい。
俺がそばにいた時は遠くに逃げて行ったくせに、レヴィが俺から離れた途端、たっと走り寄って行くねこに、
「お、感心感心。お前、なかなか人を見る目があるじゃねェか」
などと言ってご満悦だ。
「なんだよそれ……」
人を見る目って、確かにレヴィに目をつけたこの子は慧眼と言うべきだろうが、俺だって……。
しかし、俺の呟きは綺麗に無視された。
「感心な奴にはごほうびだな。さ、メシにするか」

メシ、とレヴィが言った途端、ねこの目が輝いた。
元々大きな目が、更に二割り増し大きくなった。
歩くレヴィの足元にくねくねと絡みつき、白い喉をさらして、にゃあーん、と甘い声で鳴く。
「ちょっ、お前、危ねぇよ。踏んじまうだろ」
小さなねこは、レヴィの脚にやわらかい体をこすりつけながらついてまわる。
いつもの食事前の光景ではあるものの、何度見てもまったくほほえましい。

それにしても、ねこがこんな絵に描いたように「にゃあーん」と鳴くなんて知らなかった。
こんな声で鳴かれたら、レヴィでなくともイチコロだろう。
しかも、レヴィ以外の人間――と言っても、今のところ俺だけだが――にはちっとも懐かないときてる。
これは可愛くてたまらないに決まっている。
俺には向けない無邪気な笑顔を浮かべるレヴィを見ていると少しばかり悔しい気もしたが、
それならば良いかという気分になってくる。
レヴィにはそういう風に笑っていて欲しい。
多分レヴィは、世界の端っこからこぼれ落ちそうな、昔の自分とよく似た小さなねこを放っておけなかったのだ。
レヴィを救うのは、脳ばかりが発達した面倒くさい人間などではなく、
言葉も通じないこの小さな毛玉のような生き物なのかもしれない。
俺はそんな愚にもつかないことを考えながら、仲睦まじいふたりを眺めていた。


53 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/01(日) 21:50:46 ID:5T+ol7f5

小さなねこの体重はなかなか増えないようだった。
怪我は大分良くなり、包帯の面積は少なくなっていたが、相変わらず綿埃のように軽そうだった。

その日の夕食はカオマンガイだった。
ゆでた鶏と、その鶏をゆでたスープで炊いた米で作るカオマンガイは、
鶏のスープが米粒にしみ込んで結構美味い。
適当な幅に切り分けられた鶏は脂っこくなく、ほど良く脂肪が抜けてやわらかい。
チキンを喜んでいたというねこも気に入るかもしれない。
いつものように小さなねこにも一人前に取り分けてやって、晩餐の始まりだ。

ねこの前にはご飯と鶏肉をよそった器を置いてやり、レヴィと俺はシンハービールを空けた。
毎日うんざりするほど暑いのも、ビールが美味いのだけは有り難い。
冷たいビールで人心地ついてから、生春巻きをつつく。
半透明の薄い皮からゆでたエビの赤い色が透けて見え、
そのエビの存在に先日レヴィが言ったとある嫌なことを思い出しかけたが、
それが頭の中で像を結ぶ前に急いで振り払った。
ねこはやはり鶏肉が好きなのだろう、ご飯よりも鶏を先に食べてしまっている。
「これ、食べるかい?」
俺は自分の皿から一切れ、鶏肉をねこの器に移してやった。
しかし、ねこは「なにするんだ」と言わんばかりの顔で迷惑そうに見てきた。

――いや、好きそうだったから……。

純粋に好意からさし上げただけで、決してこの子の食べ物になにかする気では無かったのだが、
自分の器に触るなと言うような刺々しい目線に、俺はすごすごと引き下がるしか無かった。

「もっと食えよ」
レヴィが再三促したが、ねこは結局俺の贈呈した鶏肉には手をつけず、
ご飯の方もほとんど残したまま食事を終えた。
そして、まだ食事をしているレヴィの膝の上に無理矢理よじのぼってきた。
レヴィの太ももにはっしとしがみつき、器用に脇の方から体をねじ込んでくる。
「――っと」
ビールを手にしていたレヴィは慌てて缶を置き、膝の上で身をよじっているねこの白い腹を支えてやった。
ずり落ちそうになっていたねこを引き上げ、レヴィの腹の前で落ち着かせてやると、
ねこは、満足、といったように、ちょこんとレヴィの膝の上に収まった。


54 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/01(日) 21:51:37 ID:5T+ol7f5

「……ほんとにその子、レヴィのことが好きなんだな」
俺は、レヴィと彼女の腕に支えてもらって満ち足りた顔をしたねこを、ただ見ていた。
箸を動かすのも忘れるほどに。
もう、苦笑しか出てこない。
「俺には指一本触れさせてくれないのに……」
「あったりめェだろ。なー? お前はあたしが大好きなんだよなー?」
レヴィは得意げに言って、ねこの脇の下に両手を入れた。
そして、くるりと自分に向き合わせ、その小さな頭に額を寄せる。
にゃあ、と、まるでレヴィの言葉に返事をしたかのように、ねこが鳴いた。
なんだかねこの方も自分の額をレヴィにこすりつけて笑っているように見える。
長いしっぽがくにゃんと優雅にしなり、その先っぽの方までが「嬉しい」と言っているようだ。
額と額をくっつけて笑い合うふたりは、まるで恋人同志のようだ。
「くそ……妬けるなぁ……。なんだよその相思相愛っぷりは……」
ねこに嫉妬してどうするんだと思ったが、うっかり本音が漏れた。
レヴィはにやりと笑うと、今度はねこを両手で抱きしめて、これ見よがしに頬ずりし出した。
やわらかい胸に、これまたやわらかそうな毛のかたまりを抱き込んで、指はねこの喜ぶ喉元をくすぐってやっている。
ねこはいっそう嬉しそうに、うにゃうにゃと喜んだ。

――これ、ほんとにねこかよ……。

俺はわずかな疎外感を感じながら思った。
ねこって、こんなに分かり易く甘えるものなのか?
しっぽの先までくにゃくにゃさせて喜んでいるが、しっぽ振るなんて犬じゃあるまいし……。
俺はねこを飼ったことは無いのでよく分からないが、
ねことはもっとプライドが高く、つんつんした生き物かと思っていた。

――中に小さいおっさんでも入ってるんじゃないか……?

しかしこの子の俺に対する態度を思い起こしてみると、それは確かに「ねこらしい」態度のような気がする。
俺に対しては非常にそっけない。
……つまり、レヴィのことは大好きで、俺のことは好きじゃない。
そういうことだろう。


55 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/01(日) 21:52:43 ID:5T+ol7f5

俺のため息を聞いて、レヴィが面白がるように唇の端をつり上げた。
「羨ましいだろ」
ふふん、と鼻を高くし、
「あー、こいつの体、気持ち良いなァー! やわらかくってよー」
見せつけるように手の中のねこをこねくりまわす。
「ああ、羨ましいよ」
俺は正直に言った。
そうだろうそうだろう、とレヴィはしたり顔だ。
「――その子がね」
つけ足すと、得意げだったレヴィの顔が一瞬考え込んで、
その後ようやく、どちらが羨ましいと言われたのか気づいたのだろう、わずかに目元を赤くして睨んできた。

「なんかさ、その子とレヴィって似てるよね」
俺は睨むレヴィの視線をかわして、常々思っていたことを口に出した。
すると、俺は別に今までのお返しをしようなどというつもりは無かったのだが、
レヴィの眉間に不本意そうな皺が寄った。
「どこがだよ」
いかにも不服です、と顔に書いたレヴィに、
なんでねこに似ていると言われてそんなに嫌がるんだ、と俺は不思議に思った。
普通、ねこに似ていると言われて怒る女はそういないのではないか。
いや、レヴィはちっとも「普通」ではないが、女性はねこっぽいと言われて喜びこそすれ、怒りはしないのでは。
俺だって「あたしってねこに似てるってよく言われるんですぅー」などと言う女は勘弁願いたいが、
まさか睨まれるとは思わなかった。
「ん、目が大きいとことか、瞳の色とか、こう……しぐさっていうか、行動とか」
決して馬鹿にしたわけではないことを分かって欲しくて俺は色々と挙げ連ねたが、
レヴィは、「はァ? 行動!?」と声のトーンを一段上げた。
「こんな鈍くさい奴とか? こいつ、ベッドに飛び乗ろうとして床に落ちたんだぜ」
ねこに対して鈍くさいって、と思ったが、ベッドから床に落ちるのは確かに鈍くさいかもしれない。
俺はその様子を想像して噴き出した。
一体どうやったらベッドから落ちられるんだ?
ねこのくせに。

おかしくなって笑っていると、まるで自分のことを言われているのだと分かったようなタイミングで、
にゃあ、と抗議するようにねこが鳴いた。
「なー? んで、知らん顔しようとしたんだよなァ?」
レヴィはねこの顔を覗き込む。

知らん顔って。
ということは、レヴィはその一部始終を見ていたのだろうか。
ねこがベッドに飛び乗ろうとするのも、失敗して床に落ちるのも、そして知らん顔しようとしたところも、全部?
ああ、俺もその場面見たかったなぁ、などと思いながら、
よく似た目をしてじゃれ合うふたりを見ていると、おかしいのとは別の、温かな笑いが胸を満たした。


56 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/01(日) 21:53:27 ID:5T+ol7f5

「明日は?」
食べ終わったものの、すぐに片づけるのが面倒で
食後の煙草をふかしながらだらだらと話をしていると、レヴィが訊いた。
次の日はふたりとも休みだ。
「特になにも」
「ふーん」
俺の方は予定が入っていない。
「どうする?」
問い返すと、レヴィは煙草をくわえたまま少しの間宙を見ていたが、
「どうでも」
煙と一緒に吐き出して、短くなった煙草を灰皿に押しつけた。
「そうだなぁ……」
休みの日にしたいことと言っても、買い物か映画を見るぐらいしか思いつかない。
どうせ明日も暑くなるのだろうから遠出は避けたいし、
第一レヴィはあの子を置いたまま長く部屋を空けたくはないだろう。
いつものように昼頃までベッドの中でごろごろして、適当に食事をして、というかんじで良いのだが、
と思ったところで、レヴィがなにやら考え込んでいる様子なのに気づいた。

「どうした?」
「ん?」
「いや、なにか考え込んでるみたいだったから」
「ああ、いや……」
レヴィにしては珍しく歯切れが悪い。
「なに?」
また新しく煙草を取り出すレヴィを促すと、妙に口の重い彼女が「なぁ」と切り出した。


57 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/01(日) 21:55:12 ID:5T+ol7f5

「ロック、動物病院知ってるか?」
「動物病院?」
知ってるって、そういう存在があるということは知っているが、
「この街に、ってこと?」
問うと、レヴィは「ああ」と肯定する。
「…………いや、見たことないな」
頭の中をまさぐるが、特に気をつけて見ていなかったせいもあって、とんと記憶に無い。
「だよな」
レヴィも知らないようだ。
この街でレヴィが知らないことを俺が知っているはずがない。
「どうしたのさ、どっか悪いの?」
俺は部屋の隅の小さなベッドで丸くなって寝ているねこに目をやった。
「うーん、いや、あたしはよく分かんねぇんだけどよ、あいつ、元気無くねえか?」
「……え?」
「最近あんま食わねぇし、全然太らねえんだよ」
「…………うん」
そう言われてみれば、確かに今日も食べ方が少ない。
「なんか寝てること多いしよ……」
「それは、ねこだからじゃないかな……」
「そうなのか?」
「いや、俺も良く分からないけど……」
一度も飼ったことが無いので、普通のねこがどんな状態なのかちっとも分からず、
俺は自信無く言い淀むしかなかった。
「この前も吐いたんだけどよ、ねこって頻繁に吐くもんなのか?」
「うーん……、いや、どうかなぁ……」
そういえば、ねこを飼っていた奴が、よく飼いねこが吐いたとかなんとか言っていたような気がしたが、
俺にはよく分からない。
「ごめんレヴィ、悪いけど俺にはお手上げだ。心配だったら一度病院連れて行こう。
この街に無さそうだったら、車出して大きな街まで行けば良い」
うーん、とまだ煮え切らないレヴィに、俺は重ねて言った。
「ほら、ちょうど明日は休みだろ。車借りて行ってみよう。
ここでただ気を揉んでいてもどうしようもないじゃないか。
暗闇の中でベッドの下のブギーマンを心配するくらいなら、明かりをつけてみれば良いんだよ」
レヴィは、ここまで情けをかけてやるのは自分らしくない、などと体面を気にしてるのかもしれないが、
本当にどこか悪いのだったらそんなことに構っている暇はない。
それに、俺はよく分からなかったが、
一緒に暮らしているレヴィがおかしいと思うところがあるのだったら、なにかあるのかもしれない。
「な?」
そうしよう、と言うとようやく、レヴィはぎこちなく頷いた。
「ま、餅は餅屋だな」
そう言って。


66 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/03(火) 21:25:56 ID:AZ/xoGh4


 * * *

食事の片づけが済むと早々に、俺はレヴィを引き寄せた。
今夜はねこは自分のベッドで眠っている。
深々とレヴィに口づけても、起きてはこなかった。
思えばこの小さな同居人が来てから、すっかり俺はレヴィのベッドの隣を新参者に明け渡していたのだ。
抱き寄せてレヴィの呼吸を肌で感じ、舌をさし入れて口腔内の熱が絡むと、もう駄目だった。
抱くことが目的で一緒にいるわけではないが、それでもレヴィを知った体は貪欲に彼女を求め出す。
それなりに我慢を重ねた体は、久し振りのレヴィの肌の感触に、すぐに熱くなった。

「今夜は隣で寝かせてくれるんだろ?」
俺はレヴィの耳元でささやいた。
くっ、と小さくレヴィが笑う。
「あいつが起きるまで、な」
同じように耳元でささやかれる。
レヴィの少しかすれた低い声が吐息とともに耳の中へそそぎ込まれ、
それだけで神経を直接なでられたようにぞくりとした。

「じゃあ、起こさないようにしないと」
レヴィの耳たぶに唇がつくかつかないかの距離で言ってから、俺は部屋の明かりを消しに行った。
明かりのスイッチをオフにし、真っ暗になった室内をつまづかないように手探りで歩く。
そして、レヴィの影を捕まえた。
二の腕を掴んで、腰を引き寄せる。
まだ目が暗闇に慣れず、レヴィの姿はなにも見えないが、
今腕の中に収まっているのが引き締まった腰であることも、
俺の脇腹を通りすぎて背中に伸びていったのがレヴィの手であることも、
胸に感じる布越しの感触がやわらかな乳房であることも、すべて分かった。
首元をレヴィの呼吸が温かくかすめる。

レヴィの肩口から首筋に向かって手を這わせ、顎までなで上げる。
頤にたどりついたところで縁をなぞるように耳の後ろまで手をさし込むと、応えるように首が揺れた。
顎の線を親指のつけ根で捉えて、暗闇の中、頭を落とす。
視界はまだ暗い。
だが、感覚だけに頼ったにも関わらず、ちゃんと唇はレヴィの唇の上に降りた。
下唇をやわらかくはさみ込むと、逆に上唇を軽く吸われる。
わずかに離してから、また角度を変えて重ね合う。
お返しに上唇をついばむと、今度は下唇をすくわれた。
唇の内側の濡れた粘膜が絡み合って、溶け出してきた唾液が互いの唇を濡らした。

強く抱き締めて舌をさし入れると、レヴィの体が反った。
その後頭部を支えながら、舌をつかまえる。
膝がレヴィの脚を割り、四本の脚が交差した。
レヴィの両腕が、しがみつくように俺の背中を抱きしめる。
やわらかい舌の裏側にまで舌先をもぐり込ませ、レヴィの舌を誘い出す。
奥にさし入れ、浅いところまで引き抜く。
そしてまた、奥へ。
口の中の粘膜はレヴィの体の中の感触を思い起こさせ、
それを自覚してしまうともう、胸苦しくなるほどに昇ぶっていくのを止められなかった。


67 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/03(火) 21:26:39 ID:AZ/xoGh4

唇をつなげたまま、レヴィの後頭部にやっていた手で喉元をなで下ろす。
鎖骨を通りすぎ、タンクトップの上から乳房を包み込んですくい上げると、
それは俺の手の動きに合わせてやわらかく形を変えた。
ゆっくりと何度も旋回させていると、レヴィの鼓動までもが掌に響いてくるように思われた。

長く重ねていた唇をそっと離すと、はぁっ、とレヴィが吐息を漏らした。
紙一枚ほどしか離れていない距離で、濡れた唇がレヴィの息にくすぐられる。
レヴィの頬、耳元、首筋に唇で触れていきながら、手はレヴィのベルトを外す。
ゆるいデニムのホットパンツの隙間から手を差し入れ、下着の上を這うように奥へもぐり込ませると、
レヴィが息を飲んだ。
そのレヴィが息を飲んだところで手を止め、指の腹でかすめるようになでると、彼女の全身がきゅっと縮む。
そっと、やわらかく、しかし何度も執拗にこねると、もう片方の手で支えている腰が震え出す。
指を更に奥に進ませた時、下着の内側がゆるゆると溶けている感触を指の腹に感じ、
俺の腹の底までもがひどく疼いた。

レヴィのホットパンツとその下の下着を引きずり下ろし、
体の中からあふれる粘液を絡めて指を沈めると、彼女が短く息を漏らして俺の首筋を湿らせた。
やわらかい体内を傷つけないように指をすすめ、根本まで沈めきる。
指全体がとろけた粘膜に包まれて、きゅうっと締めつけられた。
そっと引き抜いて、また、割り開くように押しすすめる。
それを繰り返すと、異物の侵入から体を守るかのように温かい体液がにじみ出し、指に絡みついた。
ゆっくりと上下させるたびに指の感触はなめらかになり、レヴィの体温は高くなる。
指のつけ根いっぱいまで埋め込むと、掌の方までレヴィの熱でうるむ。
引き抜いて、濡れた指で襞の間を探り、また戻って熱を絡ませてから優しくこすり上げる。
指を動かすごとに、レヴィの息は震えた。
わざと立てているわけではないのに、レヴィの体の中に沈めた指を引き抜くたびに濡れた音が空気を湿らせた。
先端の突起の方まで濡れた指でとろかし、根本まで丁寧に分け入ってなぞる。
そして、ほんの少しだけ指先に力を入れて脇から押しつぶすと、
レヴィの手が瞬間的に俺のシャツを強く握り締め、細い声を短く上げた。

我慢に我慢を重ねていた体はそのあたりで限界で、
服を脱ぎ去るのももどかしく、俺は素肌のレヴィとベッドにもつれ込んだ。


68 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/03(火) 21:27:46 ID:AZ/xoGh4

夜になると割に涼しくなるが、それでも今は冷房が必要だろう。
そう思って、いつものようにエアコンのリモコンへ手を伸ばすと、その手をレヴィに制された。
「……あいつ、寒いの苦手なんだよ」
ちらりと部屋の片隅で眠るねこに目をやり、首を横に振る。
――こんな時でもあの子のことは忘れないんだな。
思わず顔がゆるんだ。

俺は頷いてリモコンを置き、代わりにベッドの脇の窓を細く開けた。
気休めだが、風が少しでも入るのと入らないのとではかなり違うだろう。
暗闇に慣れた目は、外からさし込むわずかな月明かりだけでも充分にレヴィの姿を捉えられるようになっていた。

俺は仰向けになったレヴィの上に覆い被さり、膝を開かせてその間に割り込んだ。
「いい?」
耳元で訊くと、彼女が小さく頷いた。
手で自分の体を支えつつ腰を押し込むと、レヴィの体が小さく震える。
熱い体の内側までもが収縮したのが直接伝わってきて、
俺は一気に奥まで貫いてしまいたい気持ちを必死で抑え、じりじりと体を沈めた。
やわらかい粘膜の壁を、ゆっくりと押しひろげる。
ぴったり収めきると、ようやくレヴィが息を吐いたが、
それでも先ほど指を沈めた時よりもずっとずっときつく締めつけられる感覚に、快楽が急速に膨れ上がった。

慎重に体を揺らすと、レヴィの体がまた緊張して、喉の奥が鳴った。
眉が歪み、胸元を覆った手が握り締められる。
俺はその手を取って、シーツの上に移動させた。
握られた手に自分の指をさし入れて、開かせる。
もう片方の手もレヴィの顔の脇で重ねると、またゆっくりと体を揺らした。

「…………ぁ…………………………っ」

俺の耳のすぐそばで、レヴィの苦しげな声が小さく漏れる。
重ねたレヴィの手が、ぎゅっと俺の手を握り締める。
レヴィの指先が、手の甲に食い込んだ。
異物を押し出そうとするかのように閉じる彼女の体から身を浮かせ、また狭い内部に沈ませる。

「――――――ん……っ!」

レヴィの顎が上がって、瞼が震えた。
締まった腹が更に落ちくぼみ、肋骨が浮き上がったのを感じた。
強く握られた手は小さく震えている。
苦しげな呼吸が耳をうつ。
きつくきつく締め上げられる感覚に頭の芯まで陶然としながらも、
こらえるように息を詰めるレヴィの姿に、
こんなに狭くやわらかい体の内側に入ってこられる方は苦しくないわけがないだろう、と俺は頭の隅で思った。

「……ん、――――ぁ………………ッ」

それでも一度動き出した体は止められるはずもなく、
俺にできることは、自分が暴走しないようにただ手綱を引き締めることだけだった。


69 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/03(火) 21:29:13 ID:AZ/xoGh4

――レヴィ、苦しいのか?

レヴィの顔が逸らされて、枕に押しつけられるのを見ながら俺は思った。
もし苦しいんだったら言って欲しい。
耐えるのではなく、言って欲しい。
ひとりの殻の中に、逃げ込まないで欲しかった。

くぅ、とレヴィの喉の奥が細く鳴って、俺の喉まで締めつけられるように思った途端、彼女の腕が背中にまわってきた。
しなやかな腕が絡みつき、強く抱き締められる。
なめらかなレヴィの肌に拘束される。
そして、首筋に顔がうずめられた。
はぁっ、と鋭い吐息が熱く肌にしみる。

固く体を強ばらせながらも、次第にレヴィは俺の動きに合わせて揺らめき始めた。
背中を抱き締める腕は相変わらず強かったが、段々と内側からやわらかく溶けていくのが分かって、俺は安心した。
首筋に顔をうずめたまま一向に顔を見せようとしない彼女の後頭部に手を伸ばし、支える。
顔を見せて、と言いたかったが、レヴィがしたいように、レヴィの好きなようにすれば良い。
俺はレヴィを静かに抱き寄せた。
波うつ彼女のやわらかい胸が触れて、俺の心臓の速さまでもが伝わってしまいそうだった。

そうして、すがりつくように俺の首筋に顔を押しつけた後、
ずっと頭を浮かせていて疲れたのだろう、レヴィが頭を枕の上に戻した。
俺を見上げる彼女の目はぱっちりと開いていて、頭の中身までをも見透かすようだった。

――なに?

視線を返したが、レヴィはなにも口に出しはしなかった。
俺はレヴィの形の良い額に手を伸ばし、指先で前髪をかき分けた。
そのままこめかみを伝い、やわらかな頬を包み込む。
すると、彼女の頬がわずかにゆるんだ気がした。
大きな目の下瞼の縁も、穏やかに細まったように見える。

――レヴィ、今、笑った?

時折、彼女はこうしてひそやかな笑いを見せるようになった。
肌を重ねた時しか見られない、しかも一瞬で消えてしまうことの多い表情だったが、
俺は闇の中で見るレヴィのこの顔が好きだった。

唇を落とすと、やわらかに受けとめられる。
小さな木の実を摘み取るような強さで、お互いについばみ合う。
俺の呼吸を読んだかのように、レヴィの唇は俺の唇を寄せるのと同じ速さで近づいては離れていった。
お互いの唇がわずかに開いたり閉じたりするたびに、粘膜の湿った音が耳をうつ。
レヴィの髪をなでながら、浅い口づけを繰り返す。
彼女の手が俺のうなじに伸びて、くすぐるようになでられると、ぞくりと体が騒いだ。

唇でつながった粘膜の感触に、自然、腰の方もその感触を求め出す。
とろりとした熱に包まれて、全身がレヴィの中に溺れてしまいそうだった。
今すぐ激しく突きたてたくなるのをこらえて、それでも深く奥を探ると、レヴィが喉の奥で高い音を上げた。
その音が、耳からというよりは繋がった口の中から骨を伝わって響いてきて、頭の内側を満たした。
甘い余韻が体中に伝わっていく。
呼吸はどんどん荒くなるのに、未練がましくいつまでも唇をつなげて、
そうして、互いに息苦しくなってからようやく離すと、またレヴィがかすかに笑った。


70 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/03(火) 21:29:57 ID:AZ/xoGh4

早く高みへ、と望む衝動もあったが、少しでも長くレヴィとつながっていたくて、俺は体を起こした。
レヴィの背中を支えて引き寄せると、彼女も察したように自分で腹筋を使って起き上がった。
座った膝の上に、向かい合ったままレヴィを乗せる。
レヴィがゆっくりと腰を落として、また奥まで埋め込まれる。
ぴったりと深くつながると、震えたため息が落ちてきた。

レヴィは俺の肩に両手を置いて見下ろしていたが、しばらくの後、ゆっくりと顔を寄せてきた。
顔の両脇から、長い髪がこぼれる。
俺はレヴィからの口づけを静かに受けた。
それはただ唇を重ね合わせるだけの穏やかなものだったが、
なんだかレヴィに赦されている気がして、俺は満たされた。

なかなか動こうとしないレヴィの腰を引き寄せると、やっと体が波うち始めた。
うねるように、内側も締めつけられる。
唇が離れると、レヴィの両腕が首にまわってくる。
しなやかな腕がきゅっと首に絡んで、なめらかな肌に包まれる。
レヴィが体を揺らめかせるたびに、湿った吐息がこぼれてきた。
絞り上げるように上下する彼女の腰をつかまえて、強く密着させて揺すると、レヴィの吐息に小さく声が混じった。
いつも余裕綽々の彼女が見せる、数少ない切羽詰まった表情だった。
もうすっかり暗闇にも慣れた目が、窓の外からさし込む月明かりの中にレヴィの肌がほの白く浮かぶのを、はっきりと捉えた。

俺は、レヴィの首筋に唇を寄せた。
南国の熟した果実のような香りが、レヴィの肌の奥から匂いたつ。
火薬の臭いとも煙草の臭いとも違う、甘酸っぱい女の匂いだった。
薄い肌に唇を押しあて、そのまま吸い上げてしまおうかと思ったが、結局それはしなかった。
情事の痕を、誰にも見られたくなかった。
誰の頭の中ででも、レヴィがどう体をしならせるのか、どう吐息をつくのか、どう声を漏らすのか、
一瞬だって想像されたくなかった。
そう思う俺は、随分と独占欲が強いのかもしれない。
――俺は、果たしてこんな人間だっただろうか。
自分でも首をひねるばかりだが、事実なのだから仕方がない。

俺はレヴィの乳房を掌で包み、もう片方の手で背中を引き寄せた。
目の前に迫った乳房の先端、まわりの肌よりも一段濃い影となっているところを唇ではさみ、そっと吸い上げる。
レヴィの胸の奥から押し出された息が空気を揺らし、腕の中の体がくねった。
しなやかに、やわらかく、反って、崩れる。
細い髪が、レヴィの背中にあった俺の手に舞い降りてきた。


71 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/03(火) 21:30:52 ID:AZ/xoGh4

穏やかな交わりはそこまでだった。
なるべく長く。レヴィのペースで。
そう思っていたはずだったが、もう、レヴィから与えられる刺激だけでは足りなかった。
レヴィから主導権をもぎ取って下から突き上げてもまだ足りずに、
俺はレヴィを抱きかかえると、元の姿勢に押し倒した。

「――――――――ッ!」

姿勢を変えた時にぎりぎりまで抜けかかっていたのが、
シーツに押しつけた瞬間、また勢いよく奥まで沈んで、レヴィが息を飲んだ。
全身が固く縮んで、震える。
芯まで締め上げてくるレヴィの体を、俺は大きく行き来した。

「――――ぁ、あ………………っ」

レヴィの声が、甘く響く。
乱れた息も、歪む眉も、強ばって小刻みに震える体も、すべてが俺を煽る要素でしかない。
内側からあふれるレヴィのとろりとした体液が、俺の動きを助けた。

ベッドが激しくきしみ、レヴィのこらえきれない声が喉で鳴る。
それは「声」と言うよりは、彼女の体がきしむ音そのもののように感ぜられた。
その音すらもこらえようとするせいで却って鋭くなった吐息が、俺の鼓膜に突き刺さる。
レヴィは何度も、吐息の裏で甘くかすれた声を小さく上げた。
あの小さなねこの鳴き声が一瞬で途切れたような、鳴き声のかけらみたいな音だった。

レヴィはそんな苦しげにも聞こえる声を漏らしながらも、体は俺の動きに合わせて揺れていた。
求められている。
それが分かると、体は更に熱を持った。
とろけた内部が絡みつく。
レヴィの体が寄せられ、肌が溶け合い、これ以上無いほどに彼女を近くに感じる。
まるで自分の一部であるかのように。
レヴィの快楽は俺の快楽。
どこまでが俺の感覚で、どこからがレヴィの感覚なのか、もうよく分からなかった。

――レヴィ、いけよ。

ひどく野蛮な気持ちで、俺は彼女を揺さぶった。
うるんだ体が溶けた音を漏らす。
ともすると俺の方が先に果ててしまいそうになるのをぐっとこらえて、何度も奥を突きたてた。

俺の背中にまわっていた両腕が強く締まったのと、大きく脈動するようにレヴィの体が収縮したのは同時だった。
一瞬レヴィの呼吸が止まって、その後、荒い息が戻ってくる。
すがりつくように何度も体をうねらせては収縮を繰り返す彼女の内側を、
今度は自分のためだけに往復することを、俺は自分に許した。
自制を取り去った後は、一瞬だった。
頭の芯まで脈打つかのような快楽に襲われ、俺はレヴィの奥で達した。


俺が崖の上から突き落とされるように急速に墜ちた後も、レヴィはまだわずかに痙攣を繰り返していた。
収縮するたびに、荒い息が吐き出される。
弱々しい震えが完全に消え去るとようやく、レヴィの体から力が抜けた。


72 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/03(火) 21:32:01 ID:AZ/xoGh4

気づいてみればレヴィも俺も、ふたりとも海から上がってきたばかりの人のように汗みずくだった。
どちらのものとも知れぬ汗が、肌の上で混ざり合っていた。
力無くシーツに沈んだレヴィが俺を見上げていて、
なにか言いたいような、なにか訊いてみたいような気分になったが、
結局しっくりくる言葉は見つけられず、代わりに口づけを落とした。
レヴィも物言いたげな目をしているように見えたが、その唇は開くことなく、俺の唇を受けとめるだけだった。

名残惜しいような気がしたが、ずっとつながっているわけにもいかない。
俺はそっと体を引き離した。
抜いた時の刺激が感覚に触れたのだろう、レヴィが短い吐息を漏らした。
そこに混ざった声が甘く聞こえ、また俺をざわつかせたが、レヴィも俺もすぐには無理だ。
俺は脳をなだめてティッシュに手を伸ばした。


レヴィに背を向けて後始末をし、振り返ってみるともう彼女は横むきに丸まってほとんど眠っていた。
足元の方でくしゃっと溜まっている上掛けを引き上げてレヴィにもかけると、
緩慢に片手を伸ばして端っこを掴んだが、すぐに力が抜けた。
隅の方に追いやられていた枕も戻してはみたものの、レヴィはベッドの中ほどですっかり落ち着いている。
俺は無理に枕を薦めるのはやめ、レヴィの隣に体を横たえた。
狭いところが安心する、と言うかのようにレヴィが身を寄せてきて、寝場所を探った。
俺の胸元に、レヴィの額と鼻先がこすりつけられる。

――そういうところが、ねこみたいって言うんだよ。

首筋に手を伸ばして髪を指に絡めながらなでると、その手を喜んで誘い込むように顎が揺れた。
その珍しくあどけない様子に、ああ、野良ねこを手なずけた時の気分っていうのは
もしかしたらこんなかんじなのかもしれない、と俺は思った。
眠ってしまうのはもったいない気がしたが、俺の方も段々と意識が薄れていく。

「おやすみ、レヴィ」

彼女の頭の上で言うと、レヴィはただ反射で返しただけのようなくぐもった声を返した。
首筋にあった手を彼女の背中の方にまわしたのが、その日最後の記憶だった。





俺たちは、すっかり忘れていたのだ。

俺は久し振りのレヴィの肌に我を忘れ、迫り来る睡魔にあっという間に連れ去られた。
すぐさま睡魔に引きずり込まれたのは、レヴィも一緒だった。
俺たちは、この時のことを何度後悔しただろう。


空けた窓を、閉め忘れていたことを。



73 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/03(火) 21:33:24 ID:AZ/xoGh4

 * * *

次の日の朝、俺は慌ただしい物音で目が覚めた。
起き上がってみると、レヴィが顔色を変えて部屋を歩き回っていた。
「どうした、レヴィ」
そのただならない様子に、おはようの挨拶もすっ飛ばして尋ねると、レヴィが青白い顔で振り返った。
下着にタンクトップを着ただけで、まだ髪もぼさぼさのままだ。
「いねぇんだ」
「え?」
レヴィの唇が、色を失っていた。
「あいつがいねえんだよ」
俺は狭い室内を見回した。
ねこの小さなベッドはもぬけの空だ。
部屋の中は、レヴィがあちこち引っかきまわした跡がある。
「――どっかの隙間に隠れてるんじゃないか?」
言いながら、俺もベッドを降りて急いで服を着込む。
「探してる」
レヴィは、ゴミ箱の中だの、引き出しの中だの、冷蔵庫の中だの、
いくらなんでもそんなところにはいないだろうと思うようなところまでひっくり返している。
俺は、もうとっくにレヴィが探したであろうベッドの下やシャワールームの中を覗き込んだが、
小さくてふわふわしたねこの姿はどこにも見当たらなかった。

探せるところは全部探してしまったレヴィと俺は、どちらともつかず顔を見合わせ、そして目線を落とした。
散らかった室内で、俺たちはなすすべもなくたたずんだ。

目の端にずっと映ってはいたものの見ないふりをしていた窓に近寄ったのは、レヴィの方だった。
ベッドに膝立ちになり、昨夜の記憶よりも隙間の広くなっている窓に手をかけた。
そして、外側に大きく開いて下を覗き込む。
レヴィはしばらくの間、窓から身を乗り出して下を見回していたが、やがてのろのろと体を起こした。
静かに窓を閉める。
掛け金を落とす小さな音が響いた。
「……窓、閉めんの忘れた」
「……うん」
レヴィは指先で窓枠をそっとなぞった。
背中を向けたまま顔を伏せる。
俺はそんな彼女にどう声をかけて良いのか分からず、馬鹿みたいに突っ立っていた。


ぽつりと、レヴィが呟いた。
「……出てくんだったら、そう言ってけ」

俺は我に返った。
「――レヴィ、こうしてる場合じゃないよ、早く探さなきゃ」
窓を向いていたレヴィが、ゆるゆると振り返る。
「うっかり窓から出ちゃって、戻って来れなくなってるだけかもしれないじゃないか」
沈鬱な顔をしているレヴィを、俺は急かした。
「まだそのあたりで迷ってるかもしれない。ほら!」
レヴィは俺の言葉が耳に入っているのかいないのか、
焦点の合わない目を伏せて膝立ちをしたまま動かない。
なにか考えているのか、それともなにも考えられないのか、全く伺い知れない目だった。
しかし、のそのそとベッドから降りると、デニムのホットパンツに脚を通し始めた。
「ふたりで手分けして――ああ、いや、戻って来るかもしれないから、どっちか部屋に残ってた方が良い」
落ち着いていると言ってもいいほどに緩慢な動作で仕度をするレヴィに対し、
俺は焦る気持ちを抑えきれなかった。
「どうしよう、レヴィが残ってる?」
訊くと、レヴィは首を横に振った。
「……いや、あたしが行く。あんたはここに残ってろ」
「……分かった」
ドア、ちょっと開けとけよ、戻って来たらなんか食わせてやれよ、そう言って、レヴィは出て行った。

74 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/03(火) 21:34:54 ID:AZ/xoGh4

散らかった部屋にひとり取り残されて、俺はため息をついた。
この部屋をすぐ片づける気にもなれず、ベッドにへたり込んだ。

――なんで窓閉めなかったんだ……。

悔やんでも後の祭りだった。
あの子の怪我はまだ治りきっていなかった。
体も痩せ細ったままで、あんな状態で外に出たらどうなるのだろう?
そうでなくても、この街は野良ねこが生きるには厳しすぎる。
レヴィは「出て行く」と言ったが、あんなにレヴィのことが大好きで、
一瞬たりとも離れたくないといったように懐いていたあの子が、突然自分から出て行ったりするだろうか?

考えれば考えるほど、不吉な想像が俺の頭を埋め尽くしていった。

どうか、ほんの好奇心で出てしまったのであって欲しい。
早くあのドアの隙間から、小さな顔をひょっこりと覗かせて欲しい。
そして、大きな丸い目をきょろきょろさせてレヴィを探し、お前じゃない、と言うように俺を睨んで欲しい。
そうしたら、今度は俺があの子のためにレヴィを探しに行って、すぐに会わせてやるから。

――どうして出て行ったりしたんだ……。

さみしかったのだろうか。
レヴィが俺と寝ていて。
自分がのけ者にされたのかと思ったのだろうか。
そんなことは無い。
のけ者だなんて、断じてそんなことは無いのに。
レヴィがあの子をどんなに可愛がっていたか。
見ていれば分かる。
あんな顔をして笑うのも、明るい日の光の中で抱きしめてくれるのも、粥を冷まして食べさせてくれるのも。
みんなみんな、あの子にしかしない。

――それが分からなかったって言うなら、お前、馬鹿だ。

あの子がさみしがる必要なんか、どこにも無かった。
戻って来たら、それがどんなに希有なことであるか、あのくるくるした丸い目を見て言い聞かせてやりたい。
そしてレヴィと一緒に大きな街の動物病院に行って、
「大丈夫、心配ありませんよ」
と、お墨つきをもらって帰って来るのだ。
「杞憂だったね」
「とんだ無駄足だったぜ」
などと言いながら。

しかし、もし、さみしいのではなくて出て行ったとしたら……。

――昨日が最後と知っていれば、一緒に寝かせてやったのに。

また縁起でもない想像に取りつかれているのに気づいて、俺は頭を振った。

レヴィと一緒になんでもなかったような顔をして戻って来てくれたら最高だが、場合によっては――。


俺は、レヴィにあの子を見つけて欲しいのか、それとも見つけて欲しくないのか、
それすらもよく分からなくなっていた。


75 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/03(火) 21:37:01 ID:AZ/xoGh4

俺は重い腰を上げて、ドアの外を気にしながら散らかった部屋を片づけた。
それから、ドアの外を覗いてみたり、前の通りまで出て行ってみたり、
物陰を覗き込もうとして今この瞬間に帰って来たら困ると慌てて部屋に戻ってみたりを繰り返した。
手持ちぶさたでテレビをつけても雑誌を手にしても、ちっとも集中できない。
じりじりとしか進まない時計を睨んで、俺は果てしなく長い一日を過ごした。



レヴィが帰って来たのは、外が暗くなって大分経ってからのことだった。
「……お帰り」
「……ああ」
彼女はひとりだった。
「……どう?」
訊くまでもなかったが、レヴィは黙って首を横に振った。
ひどく疲れた様子で、崩れ落ちるようにイスに座った。
そんな彼女にかける言葉が無くて、俺は冷えた缶ビールをさし出した。
「はい」
レヴィは受け取ったが、タブに指をかけることなくテーブルの上に置いた。
代わりに煙草を取り出してくわえ、火をつける。

ひとりにしてやった方が良いのだろうか、それともこのままここにいた方が良いのだろうか。
俺はどうして良いのか全く分からず、テーブルをはさんだ向かいに座って、レヴィと同じように煙草を取り出した。


白い煙が室内を満たし、灰皿の吸い殻が山となり始めた頃、
レヴィが煙草をくわえたまま、かすれた声で小さくなにか言った。

「ここが嫌だったんなら、最初っからついて来んな……」

とぎれとぎれの声だったが、俺にはそう聞こえた。
「レヴィ……」
「…………手間、取らせやがって」
彼女の伏せた顔は、前髪が影になっていてよく表情が読み取れない。

「レヴィ!」
俺の声は、思いの外強くなった。
「あの子が自分から出て行ったって、どうして分かるんだ! ここがが嫌で出て行ったわけ無いだろ!」
打ちひしがれた様子の彼女に怒りをぶつけたいわけではなかったが、
俺はどうしても、言わずにはいられなかった。
「ちょっと夜の散歩に出ただけさ。そして道に迷ったんだ、きっと。
ここが嫌だったなんて、そんなことは有り得ない」
「――やめろ、ロック。相変わらず甘ちゃんだな。ベビー・ルースのチョコ・バー並に甘いぜ。
そんな譫言は聞きたくねえ」
氷のように冷たいレヴィの声が返って来た。
暗い目が見据える。
今のレヴィは一触即発だ。
しかし、俺は言い募った。
「譫言でも慰めでもない。事実だ」
レヴィの冷え固まった瞳を、負けじと見返す。
「あの子がレヴィのことをどんなに好きだったかなんて、レヴィが一番よく知ってるはずだろ」
レヴィを見ると駆け寄ってきて、撫でて欲しいと体をすり寄せ、喉元を掻いてもらうと、うっとりと目を細めたあの子。
そんなあの子にほだされるように笑って、嬉しそうに抱き締めていたレヴィが、知らないはずは無い。
まっすぐ見ると、レヴィの眉が歪んで、視線が落ちた。

76 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/03(火) 21:38:46 ID:AZ/xoGh4

分かっている。本当は分かっている。
レヴィも俺も。
あの子が出て行った理由には、もうひとつ可能性がある。
レヴィは、どうしてもそこから目を背けたいのだ。
しかし俺は、結果的にその可能性を高めることになったとしても、レヴィの言を聞き逃すことはできなかった。

「……レヴィ、他人の好意を否定するのは、無礼だ」

レヴィはきっと、誰かから愛されることに慣れていない。
今回も、いつものことだと言い聞かせて、どうにかやり過ごそうとしているに違いない。
やっぱりな、慣れている、などと嘯いて。
俺はそんなレヴィが哀しかった。
彼女が何度期待を裏切られたのかは知らないが、
だからと言って、確かにあった事実まで無かったことにはして欲しくなかった。

レヴィは分かったとも分からないとも言わず、長いことうつむいていた。
「……ロック」
しばらくして、低い声がレヴィの唇からこぼれた。
「ん?」
「……あんたは、言って行けよ」
「え?」
伏せていたレヴィの顔が、ゆるりと上がった。
「あんたは、ここから出てく時、ちゃんと言って行けよ」
レヴィの目は、苦い色をしていた。
「出てくって、俺は出て行ったりなんか――」
「ロック!」
――しないよ。そう続けたかった言葉は、レヴィの強い語気に遮られた。
「そんなことは訊いちゃいねぇ。あたしの訊いたことにだけ答えろ。
出てく時、ちゃんと言えるのか言えねぇのか。イエスかノーかだ。赤ん坊でも答えられる」
それ以外の返答は許さない、とばかりにレヴィは俺を睨んだ。

――なんでそんなこと……。

俺は納得がいかずに更に反論しようとしたが、レヴィの鋭い目線はそれを許さなかった。

「………………イエス」
しぶしぶ絞り出すと、レヴィは小さく頷いた。
「……それで良い」
いいな、約束したぞ、かすれた声でそう言って、レヴィは席を立った。



――神様。

神も仏も信じたことのない俺が、祈るような思いで懇願していた。

――もう、彼女からなにも奪わないでくれ。

彼女が予め与えられたものはひどく少なく、諦めを知った彼女は多くを望まない。
そのなけなしのものまで奪われた、ほとんどなにも持たない彼女から、更になにを奪おうと言うのか。

神などいない。
レヴィが恐らく十年も前に悟っていたことを、俺は今になって思い知った。

「出て行く時は言って行け」と、そんな歪んだ約束事しかできない彼女がやるせなかった。
「お前は行くな」と言ってくれれば、迷わず「イエス」と答えたのに。


77 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/03(火) 21:39:49 ID:AZ/xoGh4


 * * *

その次の日、俺はレヴィが仕事に来ないのではないかと思ったが、レヴィはあっさりと業務開始時刻に現れた。
そして、重苦しい陰をまとわりつかせてはいたが、怖いくらい淡々と仕事をこなした。
ダッチやベニーと気の利いた会話を交わし、皮肉な笑みを浮かべる。
テーブルの上に足を乗せてピザを食べるのもいつも通りだ。
しかし、夜になると、いつの間にか彼女の姿は消えていた。



数日後、彼女の部屋を訪れてみると、部屋の中はすっかり元通りだった。
籐のかごのベッドも砂を敷き詰めたトイレも消えていて、
前のように乱雑に雑誌が積み重なり、弾丸の箱も床の上で口を開けている。

俺が部屋を見回していると、レヴィが強く睨んだ。
「まだ帰って来るかもしれないじゃないか」という俺の言葉を制するように。

「どうした」
レヴィは体全体から「あの件はもう終わりだ」と言うような、ぴりぴりとした空気を発散させている。
俺はその雰囲気に圧倒されそうになりながらも、ハンカチに包んだものをさし出した。
「これ……」
「あ?」
レヴィはハンカチの中を覗き込んだ。
「部屋のドアの前に置いてあった」
中にあるは、カマドウマの死骸。
こうしてハンカチ越しであっても気色悪いのをこらえて、さし出す。
レヴィはそれを見ると、なにも言わずにハンカチごと受け取った。


78 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/03(火) 21:41:24 ID:AZ/xoGh4

「レヴィ、これ、きっとあの子だよ」
レヴィは、息絶えているカマドウマをじっと見下ろす。
「ほら、レヴィ、褒めてやっただろ? 獲って来た時、よくやった、って。
だから、お礼のつもりじゃないか?」
彼女の眉がわずかに歪んだ。
そんな、と言うように、小さく首が左右に振られる。
「どうして出て行ったのかは分からないけど、あの子はレヴィといる時、幸せそうだったよ。とても。
幸せそうだった。
……それだけは、確かだ」
うつむくレヴィに、俺は重ねて言った。
「――あの子はとても、幸せだったんだよ、レヴィ」
レヴィはぎゅっと唇を引き結ぶ。

「今もきっと、どこかでたくましく生きてるさ。
大丈夫、レヴィにしか懐いてなかったんだ。
ちゃんと警戒しながら生きてくよ。俺にしたみたいに、ね」
そのうち、またどこかで会うかも。
そう言うと、レヴィは無理矢理、皮肉な笑みを浮かべようとした。
「……だからあんたは甘ちゃんだ、ってんだ。呆れた楽天家だぜ、ポリアンナ。
世の中そんな、クリスマスのボンボンみたいに甘くねえ。
もう終わったのさ、ロック。幕は下りた。そろそろお家に返る時間だぜ」
しかし、その笑みは成功しているとは言えなかった。
つり上げようとした唇の端が震えた。
「……でも、まだルーレットの球がハウスナンバーのダブルゼロに入ったと決まったわけじゃない。
ストレートアップが的中するかもしれないだろ?」
開き直って言うと、レヴィはもう一度、手の中のカマドウマを見つめた。
そして、ぽつりと言う。
「…………馬鹿な奴……」
泣き出す寸前のような表情をして顔を歪ませたかと思うと、
レヴィはすいと立ち上がり、キッチンのゴミ箱へと片づけに行った。

俺は黙って、その背中を見つめていた。


79 :ロック×レヴィ 居候・ロック視点  ◆JU6DOSMJRE :2010/08/03(火) 21:43:53 ID:AZ/xoGh4



俺のしたこと。
それを知ったら、レヴィは怒るだろうか。
それとも、呆れる?
百人に訊いたら百人ともが、「馬鹿なことを」と言うかもしれない。

しかし、それでも俺はレヴィに、幸福な日々は幸福なまま記憶に留めておいて欲しかったのだ。

彼女は俺を「甘ちゃん」と言った。
確かにそれは正鵠を射ている。
しかしここで、「ねこは死に際を飼い主に見せない」などということを彼女に告げて、なんになるだろう。
一体誰が、そんな結末を望むだろうか。

あのねこは、レヴィと幸せな日々を過ごしたのだ。
レヴィと出会う前どんな風に過ごし、そして今どうしているかに関わりなく。
あの子は、レヴィと過ごした日々だけは、確実に、幸せだった。
それがすべてだ。



もし注意深い人がいて、少し気をつけて見たなら、あのカマドウマには
ねこの小さな歯形なんかどこにもついていないことが分かるだろう。
それを、人は「無意味」と言うだろうか。
現実をねじ曲げるのは愚かなことだ、と。

けれど、欺瞞は本当に罪だろうか?
無駄で意味の無いことだろうか?
確かに、いくら優しく偽ってみたところで現実は変わらない。
しかし、俺はレヴィに、厳しすぎる現実を生きるために
確かに存在した光のかけらまでもを黒く塗りつぶして欲しくはなかった。

真実とはなにか。
簡単だ。
ある時、レヴィという女と幸せに暮らした小さなねこがいた。
それがレヴィと俺が知る限りの真実だ。



誰に揶揄されても嘲笑されても構わない。
俺はこれからも、迷いなく虚言を吐き、平然とはったりをきかせ続けるだろう。


レヴィのためなら、何度だって。








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