622 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/24(水) 21:33:59 ID:JGru3wun



ベッドに、レヴィの髪の毛を見つけた。
細く長いそれは、ベッドの片隅でゆるい曲線を描いてシーツに張りついていた。
ロックは手を伸ばし、指先でつまみ上げた。
ふわりと毛先が泳ぐ。
明かりにかざすと、光に溶けるような栗色をしていた。
ロックの黒くてしっかりとした硬さをもつ髪とは、まったく違った。
やわらかくて軽い、女の髪だった。

ロックはその髪を見つめ、しばし逡巡した後、枕元のサイドチェストに着地させた。
ゴミ箱に捨ててしまうことはできなかった。

レヴィは数日前、この部屋を訪れた。
このベッドに横たわり、体をしならせ、透明なため息をこぼした。
シーツは広がる彼女の髪を受けとめ、汗を吸い込んだ。

ロックはこれまで幾度となくレヴィと体を重ねた。
言葉の隙間を埋めるように口づけ、抱きしめ、つながった。
触れるたびにとらわれた。
きめ細かな肌を、一瞬だけもれるかすれた声を、熱いなかを、
知れば知るほどに、レヴィは女なのだと、どうしようもないくらいに女なのだと思った。
それは、ほとんど苦しいと言ってもいいほどだった。
やめられないと思った。
もう、離れられないと思った。

でも、もう彼女は来ない。
このベッドに横たわることはない。
たぶん、これから先も、ずっと。

『嫌だった』

レヴィのその一言で、二人の情事は終わりを告げた。
唐突に、あっさりと。

ロックは、自分のベッドにゆっくりと仰向けに横たわった。
ワイシャツとスラックスが皺になると思ったが、どうせもう今夜は他に出かけることもない。
次の日の分のストックはあると、ロックはそのままネクタイをゆるめた。

『嫌だった』

彼女の言葉が蘇る。
苦い顔をして、吐き捨てた。


623 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/24(水) 21:35:03 ID:JGru3wun

彼女がセックスに対して嫌悪感を抱いているのには、なんとなく気づいていた。
最初のうちは、ただ触れただけで身構えるように体がこわばった。
戸惑ったように目線が泳ぎ、
どこに留めたらいいのか分からない、そう言うかのように手はあてどなく空中をさまよった。

喉もとを掌で包み込むと、鋭く息を吸って、ぎゅっと強く目をつぶった。
瞬間的に引いた頭が枕に沈み、首には筋が浮き上がった。
慌てて手を離すと、ゆっくりと瞼が開いた。
少し目尻の吊った大きな目が見上げる。
レヴィの目は、暗い湖のように平面だった。

──どうして今、息吸った?

その問いは、暗闇の奥から見つめるレヴィの瞳の前に、口から出ることなくしぼんでいった。
レヴィの目には、なんの表情もなかった。
期待も、戸惑いも、怯えさえも。

──今、何されると思った?

ロックは指先でそっとレヴィの首筋に触れた。
人差し指の腹に、大動脈の脈動を感じた。

──首なんか絞めない。

何も言わずにただ見上げるレヴィの前では、どんな言葉も、小石のように固く喉の中で詰まった。
ロックは指先でレヴィの首筋をなぞった。
そして唇を近づける。
わずかにそむけられた彼女の首のつけ根に口づけると、小さく息を飲む気配がした。
唇の下で、規則的に血管が脈打つ。

──俺は、首なんか絞めないよ、レヴィ。

レヴィの反応は、それがもう条件反射になってしまっていることを伝えていた。
梅干しを見れば唾がわく、それと同じように。
レヴィに触れるのは、全身に火傷を負った怪我人に目隠しで触れることと同じだった。


それでも、回数を重ねるごとに、こわばる体は段々とやわらかくなっていった。
腕は自然に背中へまわるようになり、首筋へ手を寄せると、その手を巻き込むように頭が揺れた。
肌をなぞると、レヴィの手もつられたようにロックの肌の上をすべり出す。
小さくもらす声の中には、甘いものが混ざっているように感じた。
相変わらず、レヴィは何も語らなかった。
彼女がひとり抱えるものは、今も変わらずそこにあるのだろう。

──けど、俺とはこの行為も平気なのでは、と──。

自惚れた。
彼女のセックスへの抵抗感がそう簡単に払拭できるとは思わない。
けれど、自分との行為は受け入れてくれているのではないかと、
ロックはそんな楽観に似た期待を持っていた。
それが呆れるほど脳天気な認識であったことを、ロックは思い知らされた。

彼女の古傷をほじくり返していることはよく分かっていた。
レヴィは何度体を重ねても、眉を歪め、眉間に苦痛をためていた。
熱くうるんだ体を探ると、声をこらえ、喉の奥に痛みを詰め込んだような音で鳴いた。
そして、そむけた顔を枕にうずめ、手で覆い隠した。
山の中で偶然出会った野生動物が、さっと物陰に逃げ込むように。


624 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/24(水) 21:36:10 ID:JGru3wun

ロックは、彼女のいないベッドでうつぶせになり、枕に顔をうずめた。
枕からは、シャンプーと煙草の香りに混じって、レヴィの匂いがした。
数日前のレヴィの匂いを、枕はまだしっかりそれと分かるほどに留めていた。
ロックは呼吸を深くした。
レヴィの匂いが鼻腔に満ちる。
やわらかいような、甘いような、温めたミルクを思わせる女の肌の匂いだった。

ずくん、と──。

体が疼いた。
急に血液の流れが速くなる。

数日前のレヴィの姿が蘇る。
レヴィは、首筋を舌で舐めあげると体を震わせ、
なかに指を沈めると湿った息をもらし、とろとろとした体液をあふれさせ、
やわらかく往復させると抵抗するかのように膝を締めた。
指を深く挿しこんだまま乳頭を吸いたてると吐息混じりの声をあげ、体をしならせた。
熱い粘膜に包まれた指がきゅうっと温かく締めつけられる。
呼吸の色が深くなる。
頭の奥に、レヴィの声が蘇った。

体の芯が騒ぐ。
心臓が速い。

ロックは枕にうずめていた顔を上げると、仰向けに体を回転させ、ベルトのバックルを外した。
内側からスラックスが持ち上げられていることは分かっていた。
くつろげたスラックスの中に手を入れると、レヴィを思い出した陰茎が血液を集中させていた。
トランクスの布を突き破るほどに昂ぶっている。
触れただけで、腰が揺らいだ。

ロックは、レヴィの姿を思い出す。
日に焼けた首筋から白い胸もとにかかって黒々と踊るトライバル模様、
つんと上を向いて、片手に余るほどのやわらかな乳房、
つぶしたアルミ缶のようにへこんだ腹、
腰の曲線、掌に吸いつくような尻、締まった脚、ほそい足首。
彼女が白いシーツの上で震え、揺らぎ、のけぞる様を思い出す。

レヴィの鍛えられた太ももを押し開き、
濡れた襞の間に舌先を割り込ませると、彼女は息を飲んだ。
途中でとぎれた制止の声は無視した。
温かい襞の隙間を何度も往復すると、ロックの体を挟み込むレヴィの脚が震えた。
なめらかな肌に挟み込まれる感触を心地良いと思いながら、レヴィの体を開く。
濡れた小さな突起を露出させる。
唇で包み込み、舌先で転がす。
やわらかく、押しあげる。
レヴィは、手の甲を自分の口に押しあてた。
噛みつくように強く。
止まった呼吸に、体の内側もきつく締まった。

スラックスの中から硬くたち上がった陰茎を取り出した手は、既に上下に動いていた。
彼女の姿を思い浮かべるごとに、手の動きは速まっていった。
体が彼女の感触を思い出す。
舌先に、レヴィの熱さが蘇った。


625 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/24(水) 21:37:19 ID:JGru3wun

ロックは、レヴィのきつく締まった体をほぐすように指をすべらせながら、
今すぐにでも、口もとを押さえるあの手を引き剥がし、シーツの上に縫いとめて、
強く押さえつけてしまいたい衝動に駆られた。

抵抗するレヴィの手首を掴んで、体重をかけて拘束し、たっぷりと濡れているところに指を埋める。
二本ではきついレヴィのなかに無理矢理押し込んで、閉め出そうとする体に突きたてる。
根本までは入らない指を押しすすめ、ぬめりを利用してひと挿しごとに深く沈める。
とろけた体液を絡ませた二本の指を奥まで挿し込み、内側の圧力に逆らうように押しひろげ、ぬるりと抜いて、また奥へ。
激しく往復させて、粘る水音を聞く。
そして肘から深くねじこめば、レヴィの体は震えるだろう。

指を引き抜いたら、脚を大きく開かせ、一気に体を沈める。
苦痛に歪む顔を見ながら、腰を前後させる。
締まった脚を抱え上げて、何度も奥を突く。
ロックにも絡みついたレヴィの体液が二人の肌の間でとろけた水音をはねさせるほど、激しく。
レヴィが苦しげに声をあげる。
ロックの下から逃げるように体をうねらせても、構わず続ける。
締まった細い腰を握りつぶすようにつかまえて、自らの腰を打ちつける。
荒々しく突きたて、彼女の一番敏感な突起もこね上げるように揺する。
激しく侵入を繰り返す陰茎から体を守るように、レヴィの体からは透明な体液が染み出すだろう。
ぬるりと絡みついて、快楽が増す。
いっそうとろけた体内を突きまわす。
何度も奥に沈む陰茎に、体液があふれ出て周囲を濡らす。
ロックの根本、陰毛、レヴィの太もものつけ根に至るまで。
外側までもがぬるぬるとすべる。
しなる彼女の体に自分の体をこすりつける。
腰はいよいよなめらかで、とどまるところを知らない。
レヴィが耳元で悲鳴に似た声をもらす。
呼吸が止まる。
レヴィの体が強く締まる。
締めつけられて、快楽が一気に高まる。
何度も締めつけられる。
まるで脈動するように。
レヴィの体もしなやかにうねる。
痙攣する彼女の体の中を思うさま突く。
強い締めつけに、達しそうになる。

けれど、まだだ。

ぬるりと引き抜く。
達して、くたりとなった彼女を裏返し、腰を引き上げて四つん這いにさせる。
形よくきゅっと丸い尻を割って、露出した鮮やかな粘膜に先端をこすりつける。
ぬめる輝きを放つ陰茎を、そのまま沈める。
すでにたっぷりと濡れた陰茎は、簡単に彼女の体を割って、するりとはいっていくだろう。
彼女がシーツを握りしめる。
背中を震わせる。
肩胛骨が浮く。
それを見ながら、くびれた腰を掴んで、彼女をシーツに埋め込む勢いで腰をぶつける。
肉の音がするくらいに激しく。
彼女のまろやかな尻の間を激しく陰茎が行き来するのを、眼下に見る。
丸くやわらかい尻を両手で掴んで、更に割る。
彼女の粘膜に、自分の陰茎が沈んでいく様を見る。
透明に濡れて、隙間から体液があふれ出す。
奥まで挿れてかきまわす。

あぁ──、と。

レヴィは、体そのものがあげた悲鳴のような声をシーツにこぼすだろう。


626 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/24(水) 21:38:41 ID:JGru3wun

ロックの手は、激しく上下していた。
彼女の体のなかの熱さを、締めつける強さを、とろける内側を知る体が、今も彼女を求めていた。
つながって、貫いて、責めたてて──。

レヴィは痛みをこらえる姿すら美しく、
そんな彼女を見ていると、ロックは時々めちゃくちゃに抱いてしまいたくなった。
けれど、ロックの首筋で息を震わせる彼女と肌を合わせていると、そんなことは到底できそうもなかった。

ロックは、今にも達しそうになっていたところで手を止めた。
数日前の彼女の様子が蘇る。

レヴィはすがりつくように腕をまわしてきて、泣き声のような吐息をもらした。
彼女の息が浸食するように肌の奥へ染み込んでくると、
こらえる声にすら欲情していることに、ひどく疚しい気分になった。
レヴィの苦しげな声が脳に突き刺さる。
彼女を抱いていると、まるで、痛みそのものを抱いているような気がした。

──レヴィ、抱え込むな。

ひとりで抱え込むな。
彼女は、顔をうずめた首筋で歯を食いしばった。
胸が大きく上下して、喉まで出かかった声が胸の奥に戻っていったのが分かった。
同時に体もこわばる。
体全体がきつく締まる。
細く吐き出す息が震える。

密着させていた体を離すと、レヴィはロックの体の下で苦痛の色をのせていた。
眉を歪め、瞼はきつく閉じられていた。
「……痛い?」
訊くと、
「痛くねェ」
レヴィはますます額の皺を深くした。
ロックを見る目は、ほとんど睨むようだった。

──そんな顔して、「痛くない」?

「──ここ、皺寄ってる」
眉間に指をあてると、乱暴に振り払われた。
「うるせぇ」
そして、心底腹立たしげに、ざらついた声でささやいた。
「下らねぇこと言ってないで、さっさと動きな」
意図的に体を締めて腰を動かし、彼女は強制的に話を終わらせた。

──どうしてそうなんだよ、レヴィ。

苛立ちに似たささくれが、胸の中でちくりと引っかかった。
何か言うと露悪的な態度を取る彼女が、ひどくもどかしかった。
痛いなら痛いと、苦しいなら苦しいと、言えばいい。

──その顔の、どこが「痛くない」んだ。


627 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/24(水) 21:40:01 ID:JGru3wun

けれど、彼女に何と言えばいいのか、それを考えるたびに言葉は喉の奥で固まった。
「俺は分かってるよ」?
「なんでも聞くよ」?
「つらかっただろ」?
「泣いてもいいよ」?
思いつく言葉はいかにも軽薄で、彼女の痛みには到底届かないように思えた。
分からない。
日本のぬるま湯の中で育った自分には、彼女の痛みは分からない。

ロックにできることは、ただ彼女を抱きしめることだけだった。
俺はちがう、俺はお前を痛めた男とはちがう、俺はお前を傷つけない、傷つけたくない。
そう心の中で繰り返しながら。

言葉を発しない彼女は、ひどく脆く感じた。
やわらかい内側に腰を沈めるたびに、レヴィの体は波うった。
胸の奥から空気を押し出すようにして息を吐き、そしてつめた。
呼吸を止めるごとに体はきつく絞まり、
否応なく高まる快楽に腰を速めると、限界まで止めた息を鋭く吐き出した。
背中にまわった腕はきつく絡みつき、抱きつかれているというよりはむしろ、しがみつかれているように感じた。
締まった体を抱き寄せ、温かくなめらかにうるおう内部をかき混ぜると、耳元で小さく声がもれる。
吐息の隙間に挟まった、少しかすれた高い声が鼓膜を揺らす。
熱い息が肌を湿らせる。
腕に力がこもる。
理性が焼き切れそうになった。
毀してはいけない。
無理矢理抱いたら、この女はきっと毀れる。
思い切り突きたててしまいたいのをぐっとこらえ、それでも我慢できずに何度も深く体を沈めた。
それは、熟れた果実の皮を剥いて、ずぶりと指を突きたてるような、背徳感に似た快楽だった。

記憶の中のレヴィは、今ここにいるかのように鮮明だ。
一旦止まったロックの手は、もうとっくに動き始めていた。
意識はレヴィの体の感触をありありと再生させる。

ぬめる内側、絡みつく熱、強い締めつけ、ぬるま湯があふれる。
湿った吐息、噴き出す汗、しなる背中、薄く開いた唇から声がもれる。
抱きしめて、引き寄せて、突きたてて。
彼女が苦しげな声をもらそうとも、もう止まらない。
脳が、純粋な快楽一色に染まる。

──レヴィ。

絶頂は一瞬。
どくん、と体が脈打った。
彼女の内部が強く締まると同時に体も硬直する、あの瞬間の感触までもが蘇った。
レヴィの体は何度も波うち、それとともに止まっていた息をとぎれとぎれに吐き出す。
震える息が熱く耳をくすぐる。
何度も、収縮を繰り返す。
その後ようやく体のこわばりが解けて、ゆっくりと腕の力がゆるむ。
やわらかい胸の間には汗がたまっていて、こめかみには髪の毛が張りついている。
指の腹でこめかみをなぞると、レヴィの睫が上がる。
目が合う。
彼女の目の縁が、ほんの少しだけ、ゆるんだ気がした。


628 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/24(水) 21:41:21 ID:JGru3wun

目を開けると一人だった。
ロックは一人自分のベッドに横たわり、重ねたティッシュを手にしているだけだった。
ほんの数秒前には彼女の息づかいまでをもすぐそこに感じられたというのに、今ではその名残すらない。
腕の中に肌を熱くさせて荒い呼吸を繰り返すレヴィはいなく、体は急速に冷えていった。
ロックは間抜けな自分の格好に今更ながらきまりが悪くなり、
ティッシュを丸めてゴミ箱に捨て、スラックスのジッパーを上げた。

レヴィはことが終わった後、抱き寄せると素直にすり寄ってきた。
たぶん半分以上眠っていて、外面を取り繕うだけの余力がなくなっていたのだろう、
目が覚めている時には考えられない仕草で寝場所を探った。
その仕草は、何か寒がりな動物が温かいところを求めて身を寄せてきているようで、おかしくなった。
電池が切れたようにことんと眠りに落ちるレヴィを見ていると、いとしさがつのった。

けれど、すべてがもう終わった。
「嫌だった」とレヴィは言った。

──痛ませていたのは、俺か。

痛みを与え続けていたのは、自分だった。
彼女の苦しみに気づいていながら、ずべて自分に都合の良いように解釈していた。
彼女の過去に理由を求めて。

──俺は、お前に何て言ったらいい?

「ごめん」?
「悪かった」?
申し訳なさは本当だった。
しかし、その舌の根も乾かぬうちに彼女の姿で自涜に耽ったのも事実だった。

──洗濯、しなきゃ……。

枕にも、シーツにも、上掛けにも、そこここにレヴィのかけらが残っていた。
彼女の残り香がロックを苛んだ。

けれど、いつか、これも忘れるのだろうか?
彼女の匂いも体の感触もすべて忘れて、何の痛みも覚えずに、ただの同僚として?
口づけを交わしたことも肌を重ねたことも、すべてをなかったことにして、平然と乾いた関係を?

苦しいのと忘れてしまうの、一体どちらがつらいのだろう──。

ロックは再度うつぶせになってため息をついた。
枕からは、相変わらず、レヴィの匂いがした。


636 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/27(土) 21:39:48 ID:hjjQJ+XW


 * * *

日々は、こともなく過ぎていった。
レヴィと言葉を交わす回数はめっきり減り、業務後に呑みに行ったり食事をしたりすることもなくなった。
目が合うこともほとんどない。
だが、それだけだった。
仕事は相変わらず不定期ながらも次々と舞い込み、ラグーン商会の面々は黙々と依頼を片づけた。
ラグーン商会のボス、ダッチの指名で、ロックはレヴィと行動をともにすることもあったが、
会話は必要最小限、事務的なやりとりをするだけで終わった。
レヴィが遠くなった。
変わったことはそれだけ。
他は何も変わらず、朝がきて、夜になった。
一日一日と日々は規則的に時を刻み、そのカウントが七回たまれば一週間が経つ。
それをもう一度繰り返すと、二週間。
静かに、時だけが過ぎていった。

637 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/27(土) 21:40:59 ID:hjjQJ+XW


そんな折、依頼が入った。
依頼主は張。
香港に本部を置くチャイニーズ・マフィア、『三合会』からの依頼だった。

「やぁ、諸君。お使いを頼まれてほしい」
張はまるで茶飲み話をするかのような気軽さで、アポイントメントもなくラグーン商会の事務所に突然現れた。
聞けば、ミャンマーまで武器を輸送して欲しいと言う。

いざなわれるままにその武器を保管しているという倉庫まで繰り出したラグーン商会の四人は、
腹の底からため息をついた。
「……これ、全部か」
倉庫の中を覗いたダッチが低くうなった。
「ああ、そうだ」
張がジタンに火をつけた。
彼のかけた黒いサングラスに、ライターの火が反射した。
「………………まったく、簡単に言ってくれるぜ、張さん。
M16、AK47、RPG、RPD……おまけにSA-7ときた。
──たまげたな。こいつは赤ずきんちゃんのお使いとは訳が違うぞ」
ダッチは倉庫の中に山と積まれた銃器を検分し、宙を見上げて嘆息した。

「おや、これぐらい朝飯前だと思ったんだがなぁ。俺は過大評価していたかな、ダッチ?」
飄々と煙を吐く張に、ダッチはやれやれとばかりに首を横に振った。
「で、行き先は」
ジタンをくわえた張の唇がにやりと笑いの形に変わった。
「シャン州第二特区」
「──ワ州か」
「その通り」
こともなげに言う張に、ダッチが大きな掌で額を覆った。
黙って聞いていたレヴィの眉も、ぴくりとほんの少し跳ねた。
ベニーだけが、透明なレンズの奥から品定めをするようにじっと腕を組んで、話の行方を見守っていた。

ワ州──ワ州連合軍。ミャンマーのシャン州に拠点を置く少数民族の自治区。
彼らがミャンマー政府の管轄下にない山の上でケシ栽培に精を出していることは、
ロックも聞いたことがあった。
少数民族と言うよりは少数武装勢力、もっと言えば反政府ゲリラと表現しても差し支えないだろう。
アヘン天国『黄金の三角地帯』の情勢は今、
麻薬王クン・サがミャンマー政府と停戦合意を結んで投降して以来、流動化していた。
クン・サ率いるムアン・タイ軍の残党は存在していたが、
『麻薬王』の地位はもはやクン・サのものではなかった。
彼に代わって麻薬王国のトップに躍り出たのが、ワ州連合軍だった。
彼らはムアン・タイ軍に対し、麻薬生産地の割譲を求めていた。
それに反発したのは、ムアン・タイ軍とそのシンパだけではない。
一番それを面白くなく思ったのは、クン・サと地下で繋がっていたミャンマー政府だった。
クン・サとムアン・タイ軍、ミャンマー政府、ワ州連合軍、その他の少数民族。
ミャンマー国内は、これらすべてをぶちこんで火にかけた鍋のようだった。
クン・サの一派は三合会のお得意様だったようだが──。


638 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/27(土) 21:41:59 ID:hjjQJ+XW

「……なるほど。手堅いな、張さん」
「まあな。ビジネスだからな」
「ビジネス、ね。
──ワ州連合軍が、SA-7。随分と豪勢な買い物だ。
……俺としちゃあ、『政治』と言われた方がよっぽどしっくりくるぜ」
ダッチは、鼻筋一点で支えているサングラスのブリッジ部分を、中指で押さえた。
張はダッチを一顧だにせず、くわえたジタンに手をやった。
「『麻薬王』にはいてもらわなきゃ困る。そう考える奴はごまんと存在する」
「餌場の匂いには恐ろしく敏感な──いや、餌場すら自ら作り出さないといけないご時世か?
まったく世知辛いぜ。
……二枚舌は、どこのお偉いさんも得意とするところ、というわけか」
中国語で書かれた弾薬のケースを、ダッチはコンバットブーツのつま先で軽く小突いた。
「その通り。この世は持ちつ持たれつ、さ。
……しかし、あまり知り過ぎない方が幸せでいられることだってあるぞ、ダッチ。
ウェイターがそこのまかない飯を旨く食うコツはな、厨房を覗かないことだ」
「……ああ、心得てるさ、張さん。今のはただの独り言だ」
「──そうか。そいつは野暮な突っ込みを入れて悪かったな」
ぴ、と張は吸っていたジタンを指ではじいた。
地面に落ちたそれを、顔が映り込みそうなまでに磨き上げられた革靴でにじり消す。

ダッチはくるりと張の正面に向き直った。
「──さて。俺としちゃあ早急に張さんの信頼に応えたいところだが、
あいにくうちにはラグーン号と、そろそろくたびれてきたプリムス・ロードランナーしかなくてね。
陸路を輸送する足がすぐには用意できねえ。悪いが、今日の明日のって訳には──」
「ああ、それか。それは心配ない」
張は、なんだそんなことか、とばかりに肩をすくめた。
「足ならあるぞ。こちらで用意させてもらった」


こっちだ、と先陣をきって颯爽と歩いていく張の後ろを、ぞろぞろと四人揃ってついて行ってみれば、
倉庫と同じ並びにあった屋根付きの大型車庫の中に、ピックアップ・トラックが二台、鎮座していた。
「──シボレーのC/Kか……」
ベニーがピックアップ・トラックの鼻先についたボウタイを見てつぶやいた。
「そう、ラグーン商会の皆さんには、快適なドライブをお約束しよう」
腕を広げて請け合ってみせる張を見ていると、
何かやり手のセールスマンにうまいこと丸め込まれているような気がしてくるが、
それでもラグーン商会にとってはありがたい話だ。

「準備がいいな、張さん。真っ白いナプキン掛けてフルコースでも食ってる気分だぜ」
ダッチが腰に手をやった。
「──で、リミットは」
「目的地に五日以内」
「……五日か」
「いつ出られる?」
「……そうだな、明日には」
「よし、分かった。──それでは諸君、よろしく頼んだぞ」
そう言って張は、来た時と同じように飄々と、黒いロングコートの裾をはためかせて帰っていった。



639 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/27(土) 21:43:14 ID:hjjQJ+XW


張が帰った後は、積み荷をピックアップ・トラックに搭載する作業で一日が終わった。

翌朝ロックが集合場所に行ってみると、そこには壁にもたれかかって悠々と煙草をふかす張の姿があった。
「──お、これから出発か?」
「ええ、そうですけど、……どうしたんです? 一人ですか?」
周りを見まわしてみても、一人の黒服の姿も見えないばかりか、
いつも張のそばに陰のようにつき添っている彪の姿もない。
「ああ、そうだ」
頷いて、張は旨そうにジタンを吸い込んだ。

「──張さん」
背後からダッチの面食らったような声がした。
「……今度は何の用だ」
ロックが振り返ってみると、そこにはダッチが仁王立ちしていた。
防弾ベストから伸びた太い両腕を腰にあてて立っている。
そのダッチの後ろには、通りの向こうから歩いてくるベニーの姿も小さく見えた。
派手なアロハは遠くからでもよく目立つ。
「何の用とはご挨拶だな、ダッチ。俺がこうして自ら会いに来たってのに」
張はダッチに向き直ると、薄く笑いを浮かべた。
ダッチの眉が寄せられる。
「俺は、その会いに来てくれた理由が気になってたまらないんだよ、張さん」
「なぁに、そんな身構えるほどの理由はない」
張は唇の端にジタンを引っかけたまま、両方の掌を上に向けて広げてみせた。

「俺も、一緒にドライブがしたくなったのさ」



最後に現れたレヴィは、張の姿を認めると「おや」と意外そうな顔をしたが、すぐに駆け寄っていった。
「どうしたんだよ、張の旦那!」
「おお、レヴィか。俺も乗せてってもらうことになった」
「へぇ? この車に? どういう風の吹きまわしだい?」
「吹きまわしも何も、ただの商談さ。
それに、ワ州の連中にはワ語か中国語しか通じんぞ。お前たちだけじゃどうにもならんだろう。
お前は中国系のくせに中国語はからっきしだからなぁ」
「ふん、中国語なんざ喋ったら舌が絡まっちまう。んなもん喋れなくたって地球はまわるぜ。
──にしても、他のは? 
いつもチキンナゲットのケチャップみてェにくっついてくる奴らが見えねえな」
レヴィはきょろきょろとあたりを見まわした。
張は吸っていた煙草を二本の指で挟んで口から外すと、肩をすくめてみせた。
「俺だってたまには羽伸ばしたいのさ。それに、奴らは奴らで忙しいんだよ」
「……へぇ? 随分とのんきなもんだな、『三合会』の奴らは。
ボスが一人でふらふら物見遊山してるのを放し飼いとはな」
「なんだ、勝手に『一人』にしないでくれよ、レヴィ。
頼りになるボディガードがいるじゃないか、今ここに」
──は、と笑ったレヴィの肩を、張はぽんと叩いた。
「頼りにしてるぞ、トゥーハンド」
レヴィは首を傾けて張を見上げた。
「ふん、まだケツから卵の殻が取れたぐらいにしか思ってねェくせに」
「おや、取れてたのか? そいつは知らなかった」
「──言ったな!」


640 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/27(土) 21:44:29 ID:hjjQJ+XW

和気藹々と談笑する二人を尻目に、ロックはダッチとベニーの方へ歩み寄った。
ダッチは近寄るロックに気づくと、指でピックアップ・トラックを指し示した。
「ロック、先頭はベニーと俺。お前はレヴィと張さんと一緒に後ろだ」
──レヴィと張さんと、か。
ちくりと胸の奥に引っかかるものを感じたが、ロックは頷いた。
「ああ、分かった」
ダッチはレヴィと張の方を向くと、話に花を咲かせている二人に向かって声を張り上げた。
「レヴィー! お前はロックと一緒に後ろの車両だ! 張さんもそっちに乗ってくれ!」
レヴィと張は二人同時に頷いた。
頷いて、また何事かを話し始める。
ロックはただぼんやりと、その様子を眺めていた。

「……ック、ロック」
突然肩を揺すられて、ロックはダッチに声をかけられていたのに気づいた。
「……あぁ、ごめん。なんだい?」
「──大丈夫か」
「……何が?」
ロックは笑った。
「大丈夫だよ」
頭ひとつ分は背の高いダッチを見上げると、ダッチは沈黙した。
黒いサングラスの向こうから、じっとロックを見下ろす。
太くがっしりした首はぴくりとも動かない。
「………………ならいい。出発するぞ」
ダッチはそれだけ言って、ベニーとともにピックアップ・トラックに乗り込んだ。

ロックがもう一台の運転席に腰を下ろすと、張が後ろのドアを開けて後部座席に乗り込んできた。
ロックは、レヴィのために助手席の鍵を開けた。
しかし、彼女は当たり前のように後部座席のドアを開け、張の隣に落ち着いた。
ドアが勢いよく閉まる。
ロックは静かにひとつ息を吐いてから、また施錠し直した。
なんだか無性に胸が奥がざらついた。
みぞおちの底に砂が堆積していくような心地がした。

──仕事に私情を持ち込むな。

分かってはいたが、最近とんとお目にかかっていなかった笑顔で張と会話を交わすレヴィを見ていると、
じわじわと胸苦しさは増していった。
ロックは二人を映すバックミラーから、そっと目を外した。


641 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/27(土) 21:45:38 ID:hjjQJ+XW

タイの南部に位置するロアナプラからミャンマーまでの道のりは長い。
途中何度か休憩を挟みつつ、やっと北部の山岳地帯にたどりついた時には、もう周囲は夜の闇に包まれていた。
「あー、長ぇなぁー。座りっぱなしで尻が痛くなってきちまった」
「そうぼやくな、レヴィ。のどかなドライブ、願ったりじゃないか」
「退屈なんだよ、旦那」
「お? 俺が隣にいながら『退屈』とは、言ってくれるじゃないか、レヴィ」
レヴィは、はは、と笑った。
張の旦那にはかなわねェなぁ、そう言いながら笑うレヴィの気配を、ロックは頭の後ろで感じていた。
ロックもずっと運転し通しで、疲労が全身にたまってきていた。
首や肩がだるく、目の周辺はもやもやと重い。
適度に会話でもしていた方が疲れが紛れるのだが、なんとなく二人の会話に入っていく気になれず、
ロックは前方に意識を集中させた。
張は気を利かせてか何度かロックにも話を振ってきたが、そうすると今度はレヴィが沈黙する。
道行きは至って平和であるのに、どこか張り詰めた車内の空気に、神経がじわじわとすり減っていくのを感じた。

だが、間もなく、疲労だの神経の摩耗だのと言っている場合ではなくなった。
突然、闇の中で破裂音がした。
ビシ、と樹木の中で葉が飛び散る。

──銃声!

認識した時にはもう、一斉に銃弾がピックアップ・トラックへと降り注いできていた。
弾丸が車体をかすめ、舗装されていない道の上ではぜる。
以前なら確実に驚いてブレーキを踏んでいたところだが、もう銃声くらいで頭が真っ白になることもない。
ロックはアクセルを踏み込んだ。
車体に弾が当たった金属音が響く。

「ついにお客さんのお出ましってわけか」
レヴィは瞬時にスイッチを切り替えたようだった。
唇の端を歪めて笑い、胸元のホルスターから抜いたカトラスのマガジンを確認すると、再度装填した。
そして、スライドを慣れた仕草で後ろに引く。
「そのようだな」
張も即座に二挺の愛銃の準備を整えたようだった。
藪の中に潜んでいたのだろう、暗闇から現れた何台ものジープがヘッドライトを投げかけてきていた。
その強い光の中で、張のグリップに踊る龍がちらりと輝いた。

「飛ばすぞ!」
無線機から、前を行くダッチの声が飛んだ。
フロントガラスの向こうに見えるピックアップ・トラックが加速する。
言われるまでもなく、ロックもアクセルを踏み込んだ。
後方のジープの群れはぴったりとついてきた。

レヴィは窓ガラスを大きく開けると、身を乗り出した。
思い切りよく上半身を窓の外に出し、引き金を引く。
二挺のカトラスが火を噴いた。
間を置かず、次々と銃声が響いた。
レヴィは二挺の銃に入った弾丸をひとつ残らず後方のジープに叩き込んだ。
先頭の車両がスリップして、それに巻き込まれた車両が二、三台、藪の中に消えた。
反対側の窓からは、張が同じように弾丸を撃ち込んでいた。
前方の車両からはダッチがS&Wで応戦している。


642 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/27(土) 21:47:27 ID:hjjQJ+XW

レヴィは手早くマガジンを交換すると、弾丸飛び交う中、また窓から身を乗り出した。
後ろから飛んできた弾丸が車体に当たって、ビシ、と嫌な音をたてた。
ロックはアクセルをべったり踏み込んでステアリングに集中しながらも、思わず首をすくめた。
「ビビるな、ロック! この車は防弾加工済みだ!」
どこか楽しそうとも聞こえる張の声が飛んできた。
サブマシンガンの連射が襲いかかってきて、張は一旦車内に身を戻した。
そして、レヴィのタンクトップの背中を引っ張る。
「おいレヴィ、無茶するな!」
カトラスを打ち尽くしたレヴィも、体を座席に戻した。
「──待ち伏せか。ご苦労なこった」
言いながら、流れるような手つきでマガジンを交換する。

山岳地帯では盗賊が出没することがあるとはいえ、
まだゲリラ地帯でもなんでもないばかりか、国境すら通過していない。
武装した後ろのジープの数からすると、明らかにこの車両を狙って待ち伏せしていたと考えて良さそうだった。
「──狙いは積み荷か?」
ロックが言うと、レヴィは小馬鹿にしたように「ハッ」と短く笑った。
「それにしちゃあ、さっきからお構いなく大事な獲物に鉛弾ご馳走してやってるようだが?」
「ワ州連合軍に武器が渡るのが気に食わない奴らがいるんだろ?」
「さあ、な」
レヴィが手榴弾のピンを抜いて、窓から後ろに放った。
腹の底に爆発音が響く。
爆風に、火薬の匂い。
ミラーを覗いてみると、黒煙が巻き上がっていた。
しかし、そのもうもうと沸き上がる黒煙の中から、ぬっとジープの鼻先が現れる。
一体何台いるのか、ジープは依然として食らいついてきた。

「……あたしの個人的な意見としては、後ろのでっかい積み荷よりも、
今ここで、ちっとも似合わねぇシェビーのシートなんざに尻を落ち着けている御仁の方が、
よっぽどジューシーだと思うんだがねぇ?」
レヴィは横目でちらりと張を見やった。
「フェデックスのロゴ入りトラックじゃ気に食わねェと、パッケージが輸送車持参でやってきた、ってわけさ。
防弾加工にランフラットタイヤ──。
お陰で、さっきからいくつも銃弾くらってんのに、ギターの弦みてェにピンピンしてやがる」
「──ランフラットタイヤ?」
耳慣れない言葉にロックが口を挟むと、レヴィは面倒臭そうに答えた。
「防弾タイヤさ。まったく用意周到。まるでこうなることが分かってたみてぇにな」
レヴィがちらりと視線をやると、張は鷹揚に腕を広げてみせた。
「──おいおい、レヴィ、備えあれば憂いなし、だ。勘ぐらないでほしいな」

レヴィはそんな張を一瞥すると、腰を浮かせ、運転席と助手席の間から身を乗り出してきた。
そして、ダッシュボードに設置されていた無線機のマイクを引きちぎるように掴んだ。
「ダッチ!」
「レヴィか」
無線機の向こうから、ノイズ混じりのダッチの声が応えた。
「蝿が多すぎる。このままじゃ、着く頃にはこっちの車体は半分になってるぜ」
「──ちげえねぇ。分散させるか。この先、道が二つに分かれてる。お前たちは左、俺たちは右だ」
「オーケー、ダッチ。それじゃ、ケシ畑で逢いましょう、だ」

レヴィは無線を戻すと、後部座席に戻っていった。
そして、サブマシンガンのシャワーがやんだ瞬間を狙って応戦する。
ロックはステアリングが汗ですべるのを感じながら、前方に集中した。
土地勘のない地域、暗い夜道、このスピード、それに、後ろから襲いかかってくる弾丸。
ひとつ間違っただけで、奈落に真っ逆さまだ。

──二叉路で、左。

ロックはそれだけを頭に叩き込んで、暗闇に目をこらした。


643 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/27(土) 21:49:06 ID:hjjQJ+XW

前を行く車両のテールランプが右に振れた。
──二叉路だ。
「曲がるぞ!」
ロックはスピードを落とさず左にステアリングをきった。
右に逸れたダッチとベニーの車両は、樹木に紛れてもう見えない。
細い山道の両脇では、黒い葉がざわめくだけだ。
この先の道など分からないが、とにかく走り続けるしかない。
ロックはアクセルを踏み込んだ。

レヴィは窓から後方を振り返った。
「ヤー、ビンゴだ」
バックミラーに目をやると、そこにはヘッドライトの束がミラーいっぱいにあふれていた。
その数は、先ほどまでとまったく変わらないように見えた。
「壊れたピンボールマシンみてェに元気いっぱいだ。どうやらこっちの餌箱がいたくお気に召したらしいぜ?」
レヴィは足下から弾丸の詰まった箱を取り出した。
「最近の蝿は鼻も利くらしい。奴らのお好みはジタンの香りだ」
弾丸を掴み出し、すいすいとマガジンに装弾していく。
レヴィの言葉に、ロックはため息をつきたくなった。
ビンゴって、それが分かっていたならわざわざダッチとベニーの車両と分かれることはなかったのに。
おかげでこっちは追っ手を一手に引き受けるはめになった。

「……やれやれ、彪たちはしくじったな。
──良い男はつらいよ。どこにいてもサインをねだって追いまわされる」
「言ってくれるぜ」
「おいおい、ここは同意するところだろ、レヴィ。
……まぁいい。ここのところ、うるさい小蝿にはちょいと辟易していてね。移動するのも一苦労だ」
「それにしても水くさいぜ、旦那。信用もなにもあったもんじゃねぇ」
「そいつは違うぞ、レヴィ。お前らを信用していなかったわけじゃない。
ユダの候補者リストにお前らを載せたくなかっただけだ。
それに、もしこうなるとが分かってりゃ、装甲車で来たさ。防弾加工なんぞ、女の化粧みたいなもんだ」
張もマガジンの装填を終えると、後ろの様子を窺った。
一旦距離が開いたかと思ったが、みるみるうちにヘッドライトの光は大きくなり、弾丸が飛んできた。

「……それにしても、この数はちょいとやっかいだな」
「──やっかい?」
レヴィが冷たくがさついた声を発した。
「願ったりだぜ」
全部、片づけてやるさ。
冷えた鉄の中を風が吹き抜けていくような声だった。
ひやりと、車内の温度が下がった気がした。


644 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/27(土) 21:50:06 ID:hjjQJ+XW

瞬間、レヴィは立ち上がり、天井についていたサンルーフに手をかけ、全開にした。
「──おい、レヴィ、何をするつもりだ」
「いいもんつけてんじゃねェか、張の旦那」
レヴィは運転席の背もたれに足を乗せると、
開いた屋根の部分に指を引っかけ、一気に体を持ち上げた。
「おい、レヴィ!」
「なんだよ、旦那、サンルーフってのは屋根の上でパーティーするためにあるもんだろ?」
レヴィの声が屋根の外側から降ってきた。
「レヴィ!」
張の声は銃声に遮られた。
空薬莢がいくつもピックアップ・トラックの屋根を転がる金属音が響く。
後方で、ブレーキ音、タイヤがきしむ音、そして衝突音。

張は窓から身を乗り出して、自らも後ろの集団に打ち込みながらレヴィを見上げた。
「やめとけ、レヴィ! カトラスだけじゃ無理だ。狙い撃ちだぞ」
「構いやしないさ、旦那。窓からじゃ視野が狭すぎる。──めんどくせェ!」
屋根から上半身を出したままマガジンを取り替えたらしいレヴィは、引き金を引き続けた。

二挺の銃に入った銃弾を撃ち尽くした張は、窓から体を引っ込めた。
「──やれやれ」
後部座席の背もたれに寄りかかって、マガジンを交換する。

「──きりがねェ」
サンルーフからレヴィの声が聞こえた。
と同時に、運転席と助手席の背もたれに乗っていた足が外され、するりとレヴィが車内に戻ってきた。
「旦那、後ろの積み荷をちょっくら拝借してもいいか?」
「──何をする気だ、レヴィ」
「この調子じゃ夜が明けちまうぜ。
こんなお楽しみのイベントがあると知ってりゃ、もっとゴキゲンな花火を積んできたのによ」
「駄目だ、レヴィ」
屋根を乗り越えて後ろの荷台に行くつもりだ──。
張もそれに気づいたのだろう、声のトーンが落ちた。
「危険すぎる。格好の標的だぞ、レヴィ」
「なぁに、心配ないさ、旦那」
レヴィは張の制止を無視して、またもや座席の背もたれに足をかけた。
ロックの顔のすぐ横に、レヴィのコンバットブーツが乗せられた。
脚に力が入って、ぎ、と背もたれがきしんだかと思うと、
あっという間にレヴィの上半身はサンルーフの外に消えた。

「駄目だ、レヴィ。レヴィ! ──ロック、お前も黙ってないで止めろ」
突然話の矛先が向いて、ロックは慌てた。
しかし、止めろと言われても、なんと言えばいいのか分からない。
ちらりと見上げると、一瞬、レヴィと目が合った。
「──レヴィ、」
「うるせえ!」
言葉を発した途端、怒声が降ってきた。
絡んだ視線を引き剥がすように顔をそらすと、レヴィは勢いよく屋根の外に出ようとした。

その瞬間だった。


645 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/27(土) 21:51:08 ID:hjjQJ+XW

銃声の中で、レヴィの鋭い悲鳴が上がった。
ダン、とピックアップ・トラックの屋根にレヴィの肘あたりがぶつかった音がした。
レヴィは屋根の上についた肘で体を支えようとしていたが、すぐに足が崩れて、ずるずるとすべり落ちてきた。
「レヴィ!」
ロックの口から飛び出た叫びは、張の声と重なった。
床に落下する──。
すんでのところで、後部座席にいた張が彼女の体を抱きとめた。

「レヴィ! 大丈夫か! レヴィ!」
ロックはステアリングを握りつつも、肩越しに後ろの様子を窺った。
レヴィは、抱きとめた張の腕の中で背中を丸め、呻き声を上げた。
生きてはいることに幾分ほっとしたが、一体彼女が今どういう状態なのかが気にかかる。
「レヴィ──」
なおも様子を窺おうとすると、張の声が低く応えた。
「撃たれた」
「どこを──」
「左肩──、いや、胸の上部、鎖骨付近だ」
バックミラーで探っても、暗くてよく見えない。
しかし、レヴィの左胸部のあたりがべったりとどす黒いのが分かった。
後ろから投げかけられるヘッドライドの光で、一瞬、それが濡れたように赤黒く反射した。
バックミラーの中で張と目が合った。
「──運転に集中しろ、ロック。こっちは俺に任せろ。追いつかれるぞ」
ロックは慌ててバックミラーから前方に視線を戻し、アクセルを踏み込んだ。
そして、ステアリングを握り直す。
暗い山道だ。
運転を誤ったら怪我どころの騒ぎではない。

張はレヴィを後部座席に横たえると、まいったな、とつぶやいた。
後ろから追ってくる車は最初と比べれば大分減ってはいたものの、
最後の一台になっても諦めないとばかりにしつこく食いついてくる。


646 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/27(土) 21:52:05 ID:hjjQJ+XW

と、その時、運転席の真横の窓ガラスが、ビシ、と音をたてた。
車両の側面でも弾の跳ねる音がいくつも上がる。
いくら防弾加工がしてあるとはいえ、これではこのピックアップ・トラックがおろし金になるのも時間の問題だ。
ロックがちらりと横の窓ガラスを見ると、そこには一発の銃弾が食い込んでいた。
「先回りされたか」
張が、弾が飛んできたあたりの藪に見当をつけて打ち込んだ。
しかし、それは当たったのか当たらなかったのか、
木立の中からぞろりと這い出てきたジープは、後ろの集団の中に加わった。

張は窓から応戦してはいるが、ハンドガンだけでは焼け石に水だ。
「……こんなジャックポットが出ると知ってりゃ、
座席の下にグレネードランチャーのひとつでも積んどいたんだがなぁ」
張がぼやいた。
「……俺たちにも知らせてくれていれば、それなりの用意はできたのに」
ロックもつい、恨みがましい口調になった。
「そういうこったな。──しかし、今更そんな話をしても仕方がない」

張は運転席と助手席の間から身を乗り出してきた。
「ロック、地図は」
「ドアポケットに」
取り出して渡すと、張は地図を広げた。
内ポケットからペンライトを取り出し、照らす。
「……まずいな」
現在位置を確認したらしい張がつぶやいた。
「こっちの道は外れ籤だ」
「──え?」
「一本道なんだよ、ロック。しかもこの感じじゃあ、散々トレッキングをさせられた末に行き止まりだ」
「そんな!」
しかし、車のスピードをゆるめるわけにもいかない。
ロックはアクセルを踏み続けた。
終点が墓場なのは勘弁願いたいが、至近距離で蜂の巣も御免だ。


647 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/27(土) 21:53:04 ID:hjjQJ+XW

「──いや、待てよ……」
何を思いついたのか、張が地図に顔を寄せた。
「ロック!」
張が運転席の斜め後ろから顔を出してきた。
「この先、少し行くと線路にぶつかる」
「ええ」
「地割れでも起きてなきゃ、踏切があるはずだ」
「ええ」
「そこを曲がれ」
「──ええ!?」
こともなげに言う張に、ロックの声は裏返った。
「曲がれって、線路内に入れっていうことですか?」
「そうだ」
「──『そうだ』って、線路の上を走れ、と?」
「その通り」
「無茶だ!」
「無茶は承知だ。しかし、この道はローマにすら通じていない。早晩、デッドエンドだ。
それに、……いつまでも鬼ごっこをしている場合でもないだろ?」
張は後部座席に横たわるレヴィに、ちらりと目をやった。
レヴィは体を丸め、苦しそうに張のコートの端を掴んでいた。
唇から吐き出される息が荒い。
「…………分かりましたよ。──どうなっても知りませんからね!」
ロックは腹を決め、ほとんど捨て鉢で叫んだ。
ステアリングに掌を押しつける。
「おう。よろしく、頼む」
後部座席に戻って悠然とシートにもたれかかる張が、無性に憎らしかった。

後ろのジープは依然として追いかけてきているが、踏切はもうすぐそこだ。
「右!? 左!?」
線路のどちら側に侵入するのか。
ロックが声を張り上げると、
「どっちでもいいぞ。お前の運に任せる」
緊迫感に欠ける張の声が返ってきた。
「じゃ、右にしますからね!」
「おう、分かった」
相変わらず悠々と、張は頷いた。


648 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/27(土) 21:53:47 ID:hjjQJ+XW

走っている今の地点からは見えないが、おそらく線路は単線だろう。
曲がりきれるかどうか──。
ロックがスピードを落とそうとすると、張が「まだ落とすな!」と鋭く言った。
「気取られるな。うまくすれば距離を稼げる」
「そんな! このスピードで直角に曲がれと!? 俺はアイルトン・セナじゃないんですよ!」
「そんなことは分かってる。ごちゃごちゃ言わないでやってみろ。やってみないことには何事も始まらんぞ」
「できもしないことをやろうとするのは蛮勇だ!」
「──来るぞ」
道の向こうに踏切が見えた。遮断機は上がっている。
「行け!」
ロックは踏切の手前で道路の左側いっぱいにふくらみ、軽くブレーキングを繰り返した。
そして、遮断機の直前でステアリングを右に切った。
外側に強い遠心力がかかる。
車体が左に流れかかり、慌てて軽くカウンターを入れる。
すぐにステアリングを右に戻し、そのまま、またじわりとアクセルを踏み込む。

──抜けられるか。

ふくらみ過ぎた。
ピックアップ・トラックは線路を越え、バラストを蹴散らし、線路脇の草むらに突っ込みそうになった。
タイヤが線路を踏み越えて大きく揺れ、座席の上で尻が弾んだ。
しかし、バラストがブレーキ代わりとなったのか、スピンするまでには至らなかった。
ロックは何とかステアリングを切って、ピックアップ・トラックの進行方向を線路のラインに合わせた。

「──おお、できたじゃないか」
張が顔を上げた。
張は、運転席の背に片腕をついて突っ張り、
もう片方の腕と上半身で、座席に横たわるレヴィをかばうように抱き込んでいた。
「そのようですね!」
ロックは半ばやけくそで叫んだ。
バラストの衝撃を車体が吸収しきれず、尻への衝撃が凄い。
気をつけないと舌を噛みそうだった。

アクセルをべったりと床まで踏みながらバックミラーを確認すると、
背後に迫っていたヘッドライトは随分と後ろの方で小さく光っていた。
狙い通り、追っ手は踏切のところで往生しているらしかった。
しかし、スピードを維持したまま再びバックミラーの中を覗くと、
ぽつんと、しかし確実に、ヘッドライトの光が張りついていた。
「やはり撒くことはできないか……」
張も後ろを窺った。
張の手が、上下の激しい揺れからかばうようにレヴィの腕の上に添えられていた。
レヴィは額に脂汗を浮かべながら、時折低く呻いた。
張のロングコートの端を握る手が、ぎゅっときつく握りしめられた。
シートにはレヴィの血がこぼれてきていた。


649 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/27(土) 21:55:10 ID:hjjQJ+XW

「──張さん」
「なんだ、ロック?」
「まだ最終列車が通りすぎるような時刻じゃない」
ロックは考え考え続けた。
「このまま行くと、いつかは列車に遭遇するかも」
ちらりとバックミラーを覗いて、加える。
「──上手くすれば」
ミラーの中で、張が興味をそそられた風に頬を歪めて笑った。
「この線路は単線だ。どちらから列車が来るかは分からない。けれど、正面から来れば──」
「俺たちとご対面、てことになるな」
「そう。でも、対面するのは奴らもだ」
「それで?」
「この車には発煙筒が積んである。──三本。出発する前に確認した。液化炭酸ガスのやつだ」
「──煙幕か」
「ええ。今は風がない。後ろとの距離も充分だ。
俺たちが列車を確認したと同時に発煙筒を焚いて、後方に放ってやる。
煙が立ちこめ、奴らの視界は奪われる。俺たちは線路から離脱する」
「──で、後ろの奴らは列車とランデブー、ってわけか」
「……運が良ければ」
張は、考え込むように腕を組んだ。
「……まさに運まかせだな。かち合う前に列車が緊急停止するかもしれん」
「ああ。その前に、上手く対向列車が来るかどうかも──」
「しかし、やってみるだけの価値はある。
なに、失敗したって構わんさ。線路の外でまた第三ラウンドが始まるだけのことだ。
──ロック、発煙筒はどこにある?」
張は不適に笑った。
まるでこの状況を楽しんでいるかのように。

「張さん、あれ!」
ロックはカーブした曲線の向こう、木立の合間に小さな光を見つけた。
「列車か」
「おそらく」
「よし、やるか」
張は発煙筒を手に取った。
「時間差で三本放る。線路から離脱するのはその後だ。いいな、ロック?」
「オーケー、張さん」
ロックはステアリングを握りながら頷いた。

「いくぞ」
張は発煙筒に点火し、窓から後方に放った。
煙がもうもうと立ちこめる。
すぐにバックミラーの中の視界は煙でいっぱいになった。
煙には追っ手も気づいただろう。
気づいて、停車したか、それとも変わらず追ってきているか──。
確認はできないまま、張が二本目を放った。
そして、三本目。
列車の姿が目視できた。
列車は急ブレーキをかけたようだったが、すぐにはスピードはゆるまない。
ロックたちの乗ったピックアップ・トラックもスピードを出しているため、ぐんぐんと距離が縮まる。
列車の正面が大きく迫る。
列車のたてるブレーキ音が甲高く響く。
「離脱する!」
おう、という返事を聞く前に、ロックはステアリングを切って、線路を外れた。
脇の草むらに突っ込む。
その横を、線路から激しく火花を上げて列車が通過していった。
車体は斜面を転げ落ちるように横すべりした。
バサバサと藪の中で揉まれる。
草と葉、枝が、フロントガラスにもボンネットにも滅茶苦茶に叩きつけられる。


650 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/27(土) 21:56:34 ID:hjjQJ+XW

直後、重たいもの同士が激しくぶつかり合う破壊音が空気を切り裂いた。
続いて、何かを引きずるような甲高い金属音が後を引く。

──やった。

思ったが、車体は完全に舵を失っている。
藪の中をガサガサとめくらめっぽうに回転していた。
どちらに進んでいるのかも分からない揺れと回転の中、木に激突するのだけは勘弁してくれと、
ロックは思うようにならないステアリングにしがみつきながら祈った。

ピックアップ・トラックは、いくつものスピンといくつものジャンプを重ねた後、ようやく止まった。
木に激突しなかったのが奇跡のようだった。
「──おお、凄かったなァ。レールのないジェットコースターに乗ったのは初めてだ」
レヴィを抱きかかえたまま横倒しになっていた張が起き上がり、手で守っていたレヴィの頭を座席に戻した。
「……怪我は?」
ロックはのろのろと後ろを振り返った。
「ない」
「追っ手は……」
「……ない、ようだな」
耳を澄ませてみても、周囲からは葉のざわめき以外は何の音もしなかった。
線路がどちらの方角なのかも道はどこなのかも分からないが、
とにかく、追っ手からは逃れられたようだった。
ロックはひとまずほっと息をついた。

だが、安心するのはまだ早かった。

「レヴィ、大丈夫か」
張が室内灯をつけ、レヴィの顔を覗き込んだ。
座席の上に上半身を横たえたレヴィの顔は、蒼白だった。
ぼんやりとした室内灯の中でもそれと分かるほどに血の気を失っていた。
左胸周辺が一面に赤黒く染まり、鎖骨の下あたりには黒い穴がぽっかりと開いていた。
そこから、今も止まることなく血があふれてきている。
レヴィの黒いタンクトップは、血を吸ってぐしゅぐしゅに濡れていた。
「──レヴィ」
ロックが声をかけても、レヴィは眉間の皺を深くするだけだ。
額には脂汗がびっしり玉となっており、張りついた髪の毛が乱れていた。
食いしばった歯の奥から苦しげな声がもれた。

「──まずいな」
レヴィの傷を検分していた張が、サングラスの上の眉をしかめた。
この日聞いた中で一番深刻な声に、ロックの緊張は高まった。
「骨は大丈夫だ。たぶん動脈も大丈夫だろう。だが……」
レヴィの背中側を確認していた張は、その背中をそっと座席の上に戻すと、首を横に振った。

「弾が抜けてない」


659 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/30(火) 22:04:48 ID:Lp6oH9Uz


 * * *

レヴィの傷は、このまま放っておけるような状態ではなかった。
鎖骨の下に命中した弾丸は未だ体の中に留まっており、レヴィに脂汗を流させ続けていた。
「レヴィ」
停車したピックアップ・トラックの室内灯の下でロックが声をかけても、
レヴィは聞こえているのかいないのか、返事ともつかない呻き声を上げるだけだった。
「レヴィ、しっかりしろ」
張が声をかけても同じだった。
ぎゅっとつぶった瞼の縁で、睫が震えた。
意識はあるようだったが、かけた声に反応しているのかどうかすら分からなかった。

「弾が鎖骨周辺の神経を圧迫してるんだろう」
張が難しい顔をしてレヴィの傷を見下ろしながら、言った。
「抜かないと」
「でも、このあたりに病院なんて──」
「だから、病院に連れてく前に抜かないと、と言ったんだ」
「……今、ここで?」
「そうだ」
「でも……」
「この状態のまま三時間も四時間も連れまわすのか?」
「それは……。──でも、誰が?」
レヴィの傷に目を落としたまま、張は静かに言った。
「俺がやる」
「……できるんですか?」
「やるしかないだろう。それとも、お前がやるか?」
「いえ……」
できない。
ロックにはできなかった。
人間の体内に留まった弾丸を抜くなど、どうすればいいのか想像もつかなかった。

ロックが黙ると、張は軽くレヴィの頬を叩いた。
「レヴィ。──レヴィ、聞こえるか。弾が抜けてない。けど、安心しろ。今から俺が抜いてやる」
レヴィが身じろぎをし、色を失った唇がわずかに開いた。
「…………ぃ……」
かすれた、声らしきものがもれた。
「どうした」
張が問い返すと、もう一度唇が動いた。
「……い、い…………。だい……じょうぶ、だ……」
「嘘つくな。今のお前が大丈夫だったら、入院患者でトライアスロン大会ができるぜ」
「……オー、ライ、だ……、旦那。…………オーライ、だよ。……はやく、…………積み荷、を」
喉から声をしぼり出すレヴィを、張は一蹴した。
「雇い主がいいと言ってるんだ。おとなしく従え」
そして、ピックアップ・トラックのドアを開けて外に出た。


660 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/30(火) 22:05:52 ID:Lp6oH9Uz

「ロック、何かシートはあるか」
「ビニールシートなら」
「それでいい。出せ」
ロックも外に出てシートを渡すと、張はロングコートを脱いで、
ピックアップ・トラックから少し離れた地面の上に二メートル四方ほどのシートを広げた。
めくれ上がりそうになる四隅は石で押さえる。
「ケースの弾丸はまだ残ってたな」
「ああ、山ほど」
張は懐からアーミーナイフを取り出し、ロックに差し出した。
「これのヤスリ鋸で薬莢を削って、中から火薬を抜き取れ」
「火薬……一発分ですか?」
「そうだ」

ロックは車内に戻ると、ケースから弾丸をひとつ取り出した。
そして運転席に座り、手帳のページを一枚破って助手席のシートの上に広げた。
ヤスリ鋸で薬莢を削る、と張は簡単そうに言っていたが、
金属でできた薬莢を削るのは、なかなか骨の折れる作業だった。
やっと中の火薬を取り出せるまでに削ると、飛び散らないように注意しながら広げた紙の上に開けた。
紙で火薬を包み、こぼれないように折りたたんでから、ロックはピックアップ・トラックの外に出た。

張は荷台で何やら物色していたようだったが、壜を片手に戻ってきた。
「やれやれ、手土産が台なしだよ」
張は手に持った、洋梨を少し平べったくしたような形の壜をちょっと掲げてみせた。
「せっかくのリシャール・ヘネシーが、一ダースもあったのに半分以上は荷台が呑んじまった」
まったくもったいない、と言いながら、張はその壜を広げたビニールシートの上に置いた。
「火薬の用意はできたか」
「ああ、できたよ」
ロックは、たたんだアーミーナイフと火薬の包みを張へ渡した。
「よし」
張は頷いてナイフを受け取ると、刃を出した。
そして、先ほど脱ぎ捨てたロングコートを手に取り、
ナイフを突き刺したかと思うと、一気に縦に引き裂いた。
「な──」
豪快に引き裂けたコートにロックは言葉を失ったが、張は構わずナイフを振るった。
「布が必要になる」
高級そうなコートを、張は惜しげもなく引き裂いた。
「レヴィを運んできてくれ」
「分かった」
ロックは頷いて、ピックアップ・トラックに戻った。


661 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/30(火) 22:07:12 ID:Lp6oH9Uz

後部座席を覗くと、シートの上ではレヴィが苦しそうに背中を丸め、荒い呼吸を繰り返していた。
「レヴィ、準備ができた。移動するよ」
ロックは手を伸ばしたが、その手はレヴィに振り払われた。
ぞんざいに振られたレヴィの血に濡れた指先が、ロックの指先にぶつかった。
思わずロックが手を引っ込めると、レヴィはシートの上でゆるゆると体を回転させた。
右腕を下に半身になって、その右腕に力を込める。
わずかに体が持ち上がり、ぎゅ、と血で汚れたシートが音を上げた。
だが、完全には体は持ち上がらず、シートについた右肘が覚束なく震えた。
ぐ、とレヴィの喉の奥が鳴る。

「レヴィ、無茶するな」
ロックは車内に入り込み、レヴィの背中に手を添えた。
横抱きに抱え上げようと、脇から背中を支えてレヴィの右腕を自分の首にまわさせる。
しかし、レヴィはその腕をほどくと、拒絶するようにロックの体を遠ざけた。
「……いい、…………ひとりで、……平気、だ……」
血だらけのシートに手をついて、よろよろと体を支えようとする。
「レヴィ、平気じゃないだろ」
ロックは無理矢理抱え上げてしまおうと、背中を支えながら膝うらに手を差し込もうとしたが、
その手もレヴィの手に押し留められた。
「…………いい、っつってんだ、ろ……。触ん、な…………」
レヴィは頑としてロックを拒む。

そうやって押し問答を繰り返していると、張がやってきた。
「なにやってんだ」
覗き込んできた張を、ロックは困り顔で振り返った。
「レヴィが……」
「あん?」
「自分で動ける、って……」
「なに言ってんだ。そんなわけないだろう。さっさと運んでやれ」
張は呆れたように掌を翻した。
しかし、さっきからそうしようとしているのをレヴィに拒まれているのだ。
ロックは曖昧に頷いてからまたレヴィに手をかけようとしたが、やはり力なく振り払われた。
「……いらねぇ、って…………」
レヴィはロックの手を弱々しく押し返してくる。
張が短くため息をついた。
「レヴィ、なに駄々こねてんだ。──ロック、構うこたない、抱き上げちまえ」
多少力ずくになってもやむなしか、と半ば強引にレヴィを抱え上げようとしたが、思いの外強い抵抗にあった。
「……やめ、ろ」
腕の中でレヴィがもがく。
「……ちょっ、レヴィ……!」
そんなに動かれると更に血が流れる。
ロックは慌てて手を離した。

「──っとに、何やってんだ。どけ」
張のわずかに苛立った声がすぐ後ろからして、ぐいと肩を掴まれたかと思うと、
ロックはあっという間に車外にどかされていた。

張は自分が車内に入ると、いとも簡単にレヴィを抱き上げた。
窮屈な体勢から、レヴィを抱いたまま軽々と地面に着地する。
「行くぞ」
張はロックに顎で合図すると、さっさと広げたビニールシートの方へ歩いていった。
レヴィはおとなしく張に横抱きにされていた。
力を失った脚はぶらぶらと揺れ、ぐったりとした頭は張の胸もとに収まっていた。
とても、たった今ロックに抵抗したのと同じ人間とは思えなかった。


662 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/30(火) 22:08:09 ID:Lp6oH9Uz

張はビニールシートの上にレヴィを下ろした。
「モルヒネは──、ないよな」
「ああ、ないな……」
「……だよなぁ。何か代わりになるようなものは?」
「いや……」
「ポットか何かでもいいんだが……」
それもない。
ロックは首を横に振った。
「やれやれ、俺たちはなんて品行方正な悪党なんだろうなァ」
張は皮肉めいた調子で嘆いた。
『三合会』が取引している粉を全部集めれば雪景色だってお手の物だろうし、
『ラグーン商会』もその手の荷物なら何度も運んでいる。
なのに、こんな時に麻酔代わりに使う分すらままならないとは、まさに皮肉だった。

「レヴィ」
横たわるレヴィに、張が声をかけた。
「鎖骨の下に弾が残ってる。そいつが神経叢に触ってるから痛むんだ。
今からそれを取り出すが、麻酔がない。…………耐えられるか」
レヴィはぼんやりとした目で見上げていたが、小さく、しかしはっきりと頷いた。
「大丈夫か」
「……オー、ライ…………さ、……旦那」
「よし、よく言った。──ロック!」
呼ばれて、ロックは張のかたわらにしゃがみ込んだ。
張は細長く切ったコートの切れ端を一本、引き寄せた。
「ハンカチ持ってるか?」
「ああ、持ってる」
「出せ」
ロックはポケットからハンカチを出して張に渡した。
張はそのハンカチを振り広げると、くしゃくしゃに丸めた。
「レヴィ、口開けろ。舌噛まないようにこれを詰める」
丸めたハンカチをレヴィの口の中に押し込めると、
先ほど引き寄せたコートの細長い切れ端を手に取り、
口の上から猿ぐつわを噛ませる要領でぐるりと彼女の顔の周囲に巻きつけた。
そして、首と頭を支えるように持ち上げると、ロックの方を見た。
「後ろで結んでやれ」
ロックはレヴィの頭の方にまわり、口の周りにめぐらせた布を後頭部できゅっと結んだ。
しっかりと、だが、きつすぎないように締めて結び目を作る。
「できたよ」
「よし」


663 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/30(火) 22:09:46 ID:Lp6oH9Uz

張はコートの切れ端で、レヴィの両脚を膝上と足首の二箇所で縛った。
二本の脚を揃えさせて、膝と膝が離れないように膝より少し上の部分で布をぐるりと巻き、ほどけないようにきつく縛る。
足首も同じように、コンバットブーツの上から固く結んだ。
それが終わると、張はいささか緊張した面持ちで、アーミーナイフ、ペンライト、
コニャックのボトル、火薬、ライター、長い布きれとなった元コートの数々を確認した。

「ロック」
ロックは手招きされるままに、レヴィの体を挟んで張と向かい合うようにしゃがんだ。
「俺が取り出す。お前は押さえてろ」
頷くと、張はロックの側にやってきた。
「手は肩と腰を抑えろ。脚は太ももの上だ」
言いながら、張は実際にやってみせる。
膝立ちになって、左手をレヴィの右肩に、右手をレヴィの左腰にあてる。
そして、右膝をレヴィの太もものつけ根に乗せて、体全体で上から押さえつけるように体重をかけた。
「──こうだ。全体重をかけろ。絶対にゆるめるなよ」
「……分かった」
「左腕は俺が押さえながらやる」
ロックはおそるおそる頷いた。

麻酔なしの弾丸摘出。
考えただけで、脳が縮み上がるような眩暈を感じた。

──本当に、やるのか。

肺が押しつぶされたように小さくなり、呼吸が苦しくなった。


664 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/30(火) 22:12:43 ID:Lp6oH9Uz

「──じゃあ、始めるぞ」
張はレヴィの左側に戻って、言った。
レヴィの左腕を伸ばさせてその上に座り、サングラスを外す。
ロックは張に教えられた通り、左手を黒いタトゥーが踊るレヴィの右肩にやった。
そして、右手もレヴィの左腰に伸ばす。
尖った腰骨に掌を引っかけ、ぐっと固定する。
レヴィの太ももは、自分の膝の下あたり、脛の上部で押さえた。
太ももに脛の骨が食い込んで痛いだろう。
思ったが、こうするより他にない。
これから、どれだけの痛みが彼女を襲うのか。
弾丸を体内に留めた今ですら、こんなに苦しそうなのに。
想像しただけで胃が縮まり、手が震えてきた。

──落ち着け。

ロックはゆっくりと深呼吸をした。


張はペンライトをつけ、アーミーナイフの刃を出した。
すっとレヴィのタンクトップに近づけられた銀色の刃は、ペンライトの光を小さく反射させた。
張は、タンクトップのストラップ部分と肌の隙間にナイフをすべり込ませると、刃でストラップを持ち上げた。
「切るぞ」
レヴィが頷いた。
ナイフは血を吸ったタンクトップの繊維を切り裂き、ストラップを二つに切り離した。
ちぎれたストラップ部分が、レヴィの左肩からはらりと落ちる。
タンクトップの襟ぐりだったところを張の指が押し下げると、真っ赤に染まった胸もとが露わになった。
やわらかく盛り上がった乳房のふもとまでもが、べったりと血にまみれていた。

張は一旦ナイフとペンライトをそばに置き、自分のハンカチを取り出すと、
ビニールシートの上に置いてあったコニャックの壜を手に取った。
そして、壜の胴体を掴んで大きく横薙ぎに腕を払った。
壜は張の手とともに一瞬弧を描き、近くにあった大きな石に勢いよくぶつかった。
ガラスが砕け、栓とともに壜の首が一気に吹っ飛ぶ。
だらだらとこぼれてきた液体を、張は逆の手に持っていたハンカチで受け止めた。
高価なコニャックを、張はたっぷりとハンカチに染み込ませた。

「消毒するぞ。……一等豪華なスペシャル消毒液だ」
レヴィが目だけでわずかに笑った。
張はまたペンライトを手に取ると、ロックを見た。
「……いいか、しっかり押さえてろよ。全力で、だ。」
射貫くような目に、ロックは腹を決めて頷き、手に力を込めた。

張は、コニャックのたっぷり染み込んだハンカチを、レヴィの傷口にあてた。
途端、押さえつけていたレヴィの体が跳ねた。
強烈に染みるのだろう。
顔が歪んで、全身の筋肉が硬くなった。
ロックの手を、レヴィの肩が押し返した。
「ロック、動揺するなよ」
心中を見透かしたかのように張が言った。

張は丁寧に傷口をぬぐうと、血の染みたハンカチを脇に置き、ナイフを手に取った。
ライターの火をつけ、ナイフに近づける。
じりじりと、ナイフの刃を熱する。
充分にナイフを熱するとライターの火を消し、張はひとつ深呼吸をした。
「いくぞ、レヴィ。頑張れよ」
掌で軽くレヴィの頬をはたく。
レヴィが頷く。
ロックに目配せを寄越してから、張はペンライトをくわえた。


665 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/30(火) 22:14:00 ID:Lp6oH9Uz

ロックは全身の体重をかけてレヴィを押さえつけた。
掌からはじっとりと汗がにじみ出てきて、その汗で手がすべりそうだった。
手が外れないように、ロックはぐっと腰を入れた。

ナイフの刃が、弾丸の埋まっている傷口に近づいていく。
ペンライトの明かりの下で、傷は赤黒く口を開けていた。
ナイフの切っ先が血だまりに触れ、そして、傷口の中に入っていった。

「──────!」

レヴィの体が雷に打たれたかのように硬直した。
全身が激しくよじれる。
腕がねじ曲がって、脚が突っ張る。
喉の奥でくぐもった悲鳴が上がる。
ナイフの切っ先は、五ミリ、十ミリと黒い血だまりの中へと沈んでいく。
レヴィの体が鋭く跳ね上がった。
押さえつけているロックの体ごと跳ね飛ばさんとする勢いで浮き上がる。

張は切っ先で弾丸を探っているようだった。
傷口にもぐったナイフが、微妙に揺れる。
赤い鮮血があふれ出る。
レヴィは切れ切れに、悲鳴とも呻き声ともつかぬ音をもらした。
その声は、口に詰まったハンカチの中でくぐもった。

ナイフは弾丸の位置は探り当てたものの、なかなか取り出すことができないでいるようだった。
傷口の中を、掻き出すようにナイフが泳ぐ。
ナイフが少し引き抜かれると、刃は血の色に染まっていた。
どくり、と血があふれ出る。
その血があふれる傷口に、ナイフはまたもぐっていった。
きつく目をつぶったレヴィの顔が揺れた。

い、た、い。

そう言うかのように、ぐっしょりと汗に濡れた額が左右に揺れた。
ペンライトをくわえた張の額にも汗がにじんでいた。
「レヴィ、頑張れ、もう少しだ」
もう少しかどうかなど、ロックには分からない。
けれど、ペンライトをくわえているせいで話すことができない張の代わりに、ロックは呼びかけた。
「レヴィ、しっかり」

途端、レヴィの右腕が、ロックの左脚に絡みついてきた。
レヴィの右脇で膝立ちになっていた脚に、レヴィの腕が鞭のように巻きつく。
膝の少し上あたりに、ぎゅっと引きちぎるかのような力でしがみついてくる。
スラックスの布を、その下の皮膚も一緒に握り込む。
布地を、そして皮膚をも突き破るほどの強さで握られる。
レヴィの爪がぎりぎりと脚の肉に食い込んだ。

たぶん彼女には、今しがみついているのがロックの脚だなどという意識はないだろう。
そこらへんにある丸太と同じ。
だが、それでも構わなかった。
ロックは自分も痛みたかった。
彼女の爪が食い込む痛みなど、今彼女が味わっている痛みの洪水に比べれば、雨だれ程度のものでしかない。
それでも、彼女と同じように痛みを感じていたかった。


666 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/30(火) 22:14:43 ID:Lp6oH9Uz

──もっと握れよ。

もっと握れ。
引きちぎるほど強く。
脚の痛みは、彼女の痛みを一緒に感じているような、
彼女の痛みの一部を引き受けているような気分にさせた。
そんなのは完全な自己満足だ。
ロックが痛かろうがなんだろうが、レヴィの苦痛にはいささかの影響もない。
分かってはいたが、彼女が苦痛に身をよじらせているのを黙って見ているだけの方が耐え難かった。

「レヴィ──」
何と言ったら良いのか分からず、ロックはただ彼女の名前を呼んだ。
レヴィの体は痙攣していた。
体重をかけた手の下で、肩が激しく震えていた。
多分この声も届いていないだろう。
額にはびっしりと汗が浮き、顔には苦痛が張りついていた。
それでもロックは彼女の名を呼んだ。

ナイフは彼女の傷口を抉り、傷口からは後から後から血が沸き出した。
レヴィの肌の上には、血の川ができていた。
ロックの脚にしがみつくレヴィの腕の力はますます強い。
ロックは全身の体重をかけてレヴィを押さえ込んだ。
手の下で骨がきしみ、砕けてしまいそうなほど強く。
ロックは、歯を食いしばってレヴィを押さえ続けた。
彼女に対して、今まで決してしたことのない強さで。
まるで、自分がレヴィを痛めつけているように錯覚する強さで。



ふいに、レヴィの体がくたりと力を失った。
脚にしがみつく腕はほどけ、硬く固まっていた全身も、ふわりと抵抗感をなくす。
頭が力なく、ことりと転がった。
気を失ったのだ──。

その直後、張の声がした。
「──取れたぞ」
張の血まみれの左手が、赤でコーティングされた銃弾をつまんでいた。
ワイシャツの袖で、張は額の汗をぬぐった。
そして、大きくひとつ息をついて、レヴィの顔を覗き込んだ。
「……落ちたか」


667 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/30(火) 22:17:16 ID:Lp6oH9Uz

ロックは未だにレヴィの体を押さえつけていたことに気づき、ゆっくりと手を離した。
渾身の力で押さえつけていたため、両腕がぶるぶると震えていた。
ゆっくりと腕を曲げると、ぎし、と肘の関節がきしんだ。
手は痺れ、指先の感覚がなかった。
「……よく耐えた。大の男だって悲鳴を上げて暴れまわる」
張は最初に消毒用に使ったハンカチを取り、もう一度、コニャックを充分に染み込ませた。
そのハンカチで、レヴィの傷をぬぐう。
最後に血まみれの自分の左手もざっと拭うと、張は火薬の包みに手を伸ばした。
紙を開いて、弾丸を摘出した傷口に火薬を振りかける。
次にライターを取り、火薬に火を近づけた。
音を上げて火薬が小さく爆発する。
「……針と糸がないからな。縫合代わりだ」
ちらりと見られて、ロックはぎこちなく頷いた。

目の前で起こったことに、まだ頭がついていっていなかった。
ロックは何も分からず、何もできなかった。

「体を拭いてやれ。水を持ってくる」
張は立ち上がって、ピックアップ・トラックへ向かった。
ペットボトルの水を持って戻ってくると、張はまず血の残った自分の左手に振りかけてから、
ボトルをロックに差し出した。
「そこにまだ汚れてない布があるだろ。適当に使え」
濡らした左手をコートの切れ端で拭きながら、張は続けた。
「俺はシートをなんとかしてくる」
ロックが頷くと、張はきびすを返した。

ロックは張の後ろ姿を見送って、まずレヴィの脚を縛る布をほどいた。
膝の上で二本の脚ををぎゅっとまとめて結んでいた布をゆるめ、
コンバットブーツの上から足首を束ねていた布をとく。
それからレヴィの頭を持ち上げて自分の膝の上に置き、後頭部の結び目を探って、これもほどいた。
口の中に詰められていたハンカチを引っ張り出す。
力を失っている頭を両手で支えてビニールシートの上に戻すと、ロックは新しい布きれを取った。
乾いた布に、ペットボトルの水をたっぷりと染み込ませる。
そして、レヴィのタンクトップの胸もとを少し開いた。

ロックは張の置いて行ったペンライトをつけて、傷口に触らないように濡れた布をすべらせた。
血はすでに乾きかけた箇所もあり、なかなかきれいには拭き取れなかった。
コートに使われる綿素材の布では吸水も悪く、血は肌の表面でかすれるように伸びるばかりだ。
レヴィの血は、はだけた胸もとの更に下にまで広がっているようだった。
しかし、そこまで踏み込んでしまうことはできなかった。
露わになっているのは、ぎりぎり肩と言えなくもなかったが、
それでもやわらかなふくらみを見せる胸もとは、そこがすでに乳房のふもとだということを如実に表していた。
これ以上は駄目だ。
彼女はもう、ただの同僚だ。
もし意識があったら、こうして血を拭うために肌に触れることすら嫌がっただろう。
手を振り払って、押しのけて。
ロックの腕に、先ほどのレヴィの拒絶が蘇った。


668 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/30(火) 22:18:28 ID:Lp6oH9Uz

今、レヴィはぐったりと横たわっている。
もう、この先彼女の肌に触れることはないのだろう。

ロックの指はレヴィの肌に伸びていった。
指先で、血の痕に触れる。
拭いきれずにかすれている血の痕に。
血の痕をなぞって、ゆっくりと、下にすべらせる。
ふわりとやわらかい肌の感触。
指の腹でわずかにへこむ。
ロックの指を温かく受け止める。
ペンライトの丸い光の中で、レヴィの白い胸もとには赤い筋が何本も伸びていた。
ロックはその赤い筋をそっとたどった。
指で触れたところが小さくくぼんで、影を作る。
やわらかくへこんだかと思うと、指がそこを通り過ぎた時にはもう、なめらかな一続きの曲線の一部になっている。
指は心地良く、やわらかな肌に沈み込む。
更にすべらせて──

──と、そこでロックは我に返った。

今、何を考えていた。
意識のない彼女に、何をしようとしていた。

ロックは振り払うように指を離し、めくられていたタンクトップを戻した。
血を吸ったタンクトップはまた肌を汚してしまうが、仕方がない。
ここで着替えさせるわけにもいかない。
ただ、このままだと左のストラップが切れていて、肩が剥き出しになってしまう。
胸もとだってめくれてしまう。
ロックはネクタイを引き抜いた。
ワイシャツのボタンを外して、脱ぐ。
そして、気を失って重たくなったレヴィの上半身をなんとか起こして、ワイシャツを肩からはおらせた。
体を冷やさない方が良いし、何より、胸もとをはだけさせたまま連れ歩くのが、
──もっと言えば、胸もとをはだけさせたまま張の隣に寝かせるのが嫌だった。

ロックは、抱き起こしたレヴィの額を向かい合った自分の肩に乗せて、背中からワイシャツで包み込んだ。
意識のない人間に服を着させるのは難しいし、傷に響くといけないので腕は通さない方が良いだろう。
レヴィの腕は袖に通さず、上半身をもとに戻して寝かせた。
襟元を整え、第三ボタンを留めてやる。
そうしたところで、張が戻ってきた。


669 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/30(火) 22:19:06 ID:Lp6oH9Uz

「できたか」
「……なんとか」
張はレヴィの様子を見ると、いいだろう、と言うように頷いた。
「じゃ、行くぞ。車に運んでやれ」
言われて、ロックはレヴィの首のうしろと膝うらに手を差し込んだ。
そして、持ち上げようとした。
──が、持ち上がらなかった。

「どうした」
「……いえ」
もう一度持ち上げようとするが、今度も無理だった。
腕にも脚にもうまく力が入らなかった。
運転していた時には出ていたアドレナリンが切れたのか、
それとも弾丸摘出を目の前にして神経が限界まで磨り減ってしまったのか、
体にまったく力が入らなかった。
ロックは震える息を吐きながら、持ち上げようとしたレヴィの体を元に戻した。
「俺が運ぶか」
張が隣にしゃがみ込んだ。
ロックは力なく頷いた。
それは頷くというよりも、うなだれるに近かった。

張はレヴィの体の下に腕を入れると、ひょいと抱き上げた。
ロックが見上げると、レヴィは張の胸もとにすっぽりと収まっていた。
「行くぞ」
ロックはビニールシートを畳みながら、レヴィを抱く張の後ろ姿を見上げた。
意識を失った人間は重たいだろうに、張はその重さをまったく感じさせず、悠々と歩いた。
ロックはその後ろ姿をぼんやりと追いかけた。


670 :ロック×レヴィ 比翼・第二部  ◆JU6DOSMJRE :2010/11/30(火) 22:20:49 ID:Lp6oH9Uz

張とレヴィ。
同じ二挺拳銃使いのこの二人。
彼女に銃を仕込んだのは張か。
聞いたことはなかったが、しかしどちらにせよ、張はレヴィをかわいがっており、レヴィは張になついていた。
ロックは、いつか見た二人のタッグを思い出す。
乱れ飛ぶ銃弾の中で、二人は舞を踊っているようだった。
言葉などなくても、すべて呼吸で分かり合える。
張の無駄のない動きの隙間にすべり込むようにレヴィはしなやかに動き、
大胆に躍るレヴィの死角を張は揺るぎなく固めた。
二人は安心して背中を預け合っていた。
いくつもの細い糸でつながり合ったかのように、二人はつかず離れず、
相手の動きに導かれるように体を動かし、フォローし、それでいて自由奔放に躍動していた。
もうずっと長いこと寄り添ってきた相棒のように。

それに、今日だって。
張がいなければ、どうなっていただろう。
銃弾を受けたレヴィを目の前に、ロックは何ができただろう。
あたふたと慌て、彼女の苦しむ様をただ見るだけで、何もできず?

──張なら。

レヴィを抱きかかえる張を見ながら、思う。
張なら、きっとレヴィと同じ場所で、手を取り合って生きることができるのだろう。
最後の最後まで。
同じ場所で、血にまみれながらも、ずっと。
張なら、レヴィの盾となり、その広い懐に包み込むことができるだろう。
レヴィを護り、支え、たすけることができるだろう。
彼女が傷つけば、銃弾を取り出してやり、傷を癒し。
そう、彼女の胸の奥に未だ埋まっている沢山の銃弾だって、取り出してやることができるかもしれない。
ひとつずつ、丁寧に取り出して、痛みを取り除いて、そして──。

──俺は、何もできなかった……。

ロックは、レヴィを抱える張の後ろ姿をただ見ていた。
その背中はひどく大きく、そして、ひどく遠いように思われた。
                                       




第二部・了(第三部へ続く)



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