- 438 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/02(土) 22:06:07.37 ID:cCmEyMtP
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「レヴィ、この傷痕、あの時の?」
いつもと変わらない休日前の夜、レヴィが自分のベッドに腹ばいになって雑誌をめくっていると、
ベッドの端に座っていたロックが突然言った。
「あん?」
この傷痕、あの時、などと言われても、傷痕など体中いたるところにあるのだから、
どれのことを指しているのか分からない。
レヴィが雑誌から目を上げて、両肘をベッドについた姿勢のまま肩越しに振り返ると、
ベッドに腰かけたロックの視線はレヴィの右脚に注がれていた。
「ここ」
ロックの指が、レヴィの膝裏よりも少し下、ふくらはぎが始まるあたりに寄せられた。
ひた、と触れた指先は、すっと真っ直ぐ縦に滑る。
「──ああ」
ちょうど皮膚の薄い部分をなぞられてくすぐったさを覚えながらも、
レヴィはようやく、ロックがどの傷痕のことを言っているのかに思い当たった。
「やっぱり痕、残っちゃったな」
「そりゃ残るだろ。串刺しだぜ?」
レヴィはうつぶせになったまま、右膝を折り曲げてみた。
垂直に上がった膝下には、細長い傷痕がうっすらと白く盛り上がっていた。
その裏側、脛の方にも同じような長さの傷痕がもうひとつあることを、レヴィは知っている。
ロックは脛の側も覗き込んで、その傷痕を認めたようだった。
「痛んだりは──?」
「するかよ。あれからどんだけ経ったと思ってんだ。今ならレジー・ホワイトのパスラッシュだってかわしてみせるぜ」
やんわりとくるぶしを掴むロックの手から、レヴィは脚を引き離した。
ロックの故郷日本で、レヴィはこの傷を負った。
貫通だった。
レヴィの心臓を狙って降ってきた銀色の刃は、辛くも胸から逸れて、膝下に突き刺さった。
念入りに手入れをされた日本刀。
ざっくりとレヴィの脚を貫いていた。
しかしレヴィは、研ぎ澄まされた刃が自らを襲って降ってきた時、恐らくそれを見てはいなかった。
見るべきものは標的のみ。
標的から目を逸らすな。
傷つくことを恐れるな。
標的以外のものを見てはいけない。考えてはいけない。
そこから目を逸らした瞬間、死神が微笑みかける。
全てが終わった時、レヴィの弾は男の額を撃ち抜き、そして男の日本刀はレヴィの脚に突き立っていった。
「あの時は本当に──、肝を冷やした」
ぎっ、とスプリングをきしませてベッドに腰かけ直し、ロックは独り言のようにつぶやいた。
レヴィはその言葉に軽く肩をすくめた。
「まぁな。紙一重っちゃ紙一重だったな。あのデカブツの意識が逸れなければ──」
「それもあるけど」
レヴィの言葉を、ロックは途中で遮った。
「その後も、だよ」
- 439 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/02(土) 22:07:30.36 ID:cCmEyMtP
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* * *
追い詰められた少女と男の叛乱は、二人の死によって終結した。
男は少女を想って死に、少女はまるで最初からこうすることを決めていたかのように、男の後を追った。
全く無駄な死だった。
少女は迷いなくレヴィの血で染まった日本刀を拾い上げ、喉元にあてがった。
「これにて一切の騒動、落着と相成りましょう」
そう捨て台詞を吐いて、少女は自らの喉に刃を沈めた。
まるで、意地でも幕引きは自分の手で行うとでもいうかのように。
「ロック! 見るな!」
傷の痛みに朦朧となりながらもレヴィは声を絞り出したが、無駄だった。
ロックはレヴィを支えたまま、吸い寄せられるように少女を見つめていた。
首の裏側からぬらりと刃を突き出させた少女は、鮮血を撒き散らしながら、既に屍となっていた男の上にくずおれた。
重なり合って倒れた二人はそれっきり、ぴくりとも動かなかった。
少女の首から高々と天を指す血塗られた刃が、墓標のようだった。
──馬鹿な女。
レヴィは重なり合って倒れる二人を目の前に、胸の中でつぶやいた。
馬鹿な女だ。
お前には、助けようとしてくれる男がいたのに。
「銀さん」とお前が呼んでいたこのデカブツと、それから、──ロック。
お前を助けようとしていた。
差し伸べる手はあった。
それなのに、自ら手を振り払った。
本当に、……馬鹿な女だ。
「……ズラかるぞ、ロック」
境内の乾いた石畳に鮮血がとめどなくあふれていくのをいつまでも見守るロックに、レヴィは声をかけた。
脚の傷がひどく痛んで、自力では立っていられない。
ロックの肩を借りて辛うじて姿勢を保っていられるという体たらくだったが、長居は禁物だ。
今この人気のない神社には、冷たい北風だけが吹き渡るだけだ。
しかし、早晩警察が来るだろう。
レヴィは銀次を殺した。
この場に長く留まっていられるばずもなかった。
レヴィはここ日本でも、殺人者となったのだ。
ロックはレヴィの言葉に同意を示すと、半分ずり落ちていたレヴィの体に肩を入れ直した。
レヴィの腰にぐるりと腕が巻きついて支えられ、ロックの肩にまわしていた手も逆の手でとらえられる。
「歩けるか、レヴィ」
時間が経つにつれて脚の痛みは増してきていたが、ここでへたり込むわけにはいかない。
「……オーライだ」
吐き出した息が、白くけぶった。
痛みを呼吸で逃がしながら、レヴィは頷いた。
よろりと足を踏み出す。
踏みしめるたびに傷が痛んだが、歩けないほどではない。
ロックが歩調を合わせてくれるのを感じながら、レヴィは脚を引きずって鳥居をくぐり、そして石段を下りた。
階段は殊更にきつく、傷口から血が流れて脛を伝っていくのを感じたが、そんなことに構っている暇はない。
レヴィは言うことをきかない脚を無理矢理に動かした。
- 440 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/02(土) 22:08:42.59 ID:cCmEyMtP
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神社の石段を下りた先は、くすんだ住宅街だった。
夕暮れまでにはまだ時間のある、昼と夜との境目。
曇天の下に、どこまで続くとも知れない家々が茫々と並んでいた。
今にも雨か雪でも降り出しそうな寒々しい空の下、路上に人の姿は見えない。
神社の中で起こった惨劇は、まだこの周辺に知れ渡ってはいないようだった。
「大丈夫か、レヴィ」
石段を下りただけでもかなり体力を消耗した。
知らず頭が落ちていたが、ロックが見下ろしていることに気づき、レヴィは頷いた。
「ああ」
レヴィはロックの肩にまわっていない自由な方の片手を、傷の上、右膝のあたりに伸ばした。
痛みを紛らわせるように強く一回ぎゅっと握って、それからすぐに離す。
「……行くぞ」
そうしてレヴィは、ロックに半ば引きずられるようにして住宅街をさまよい歩いた。
人の影を見れば物陰に身を寄せ、人通りの少ない方へと足を進める。
少しでもあの神社から遠ざからねばならない、それだけを考えて。
しかし、限界はやって来た。
ほとんどロックに引っ張り上げられるような体勢で歩いていたレヴィの足は、ついに止まった。
「……ロック」
絞り出した声は、思いの外弱々しくこぼれた。
「降ろしてくれ」
ロックの肩にまわしたレヴィの手には、もうまともに力が入っていなかった。
ロックの手がレヴィの手を掴んでいることによってやっと肩に腕がまわっている、そんな状態だった。
脚にもうまく力が入らず、ほとんどロックに抱えられているようなものだった。
「……少し、休みたい」
脚の傷から痛みが刺すようにあふれ出て、休むことなく神経を苛んでいた。
歩かなければいけないのに、脚がそれを拒否する。
見下ろした傷口の少し上、心臓に近い部分にはロックのネクタイが巻きついていた。
だが、ネクタイ一本で止血しきれるはずもなく、
あふれる血は破れた黒いストッキングから覗くレヴィの脚を赤く伝い、
破れ残って張りついているストッキングにも染み込んで、その色を更に湿った黒に変えていた。
レヴィは長く息を吐き出した。
白い息が広がる。
空は分厚い雲で覆われ、冷たい風が頬にも耳にも突き刺さる。
ひどく寒かった。
痛みによる冷や汗は、本格的な寒気へと変わっていた。
歩を止めたロックの肩から体がずり落ちるのを感じながら、レヴィは視界の端に映った路地を顎で示した。
「あそこへ」
往来でへたり込むわけにはいかない。
レヴィは家と家との間にできている細い路地まで、なんとか体を引きずって行った。
二人並んでは通れないくらいの隙間に滑り込み、ふらふらと数歩奥へ進んだところでレヴィは座り込んだ。
ごつごつした地面が尻に冷たいが、そろそろ立っていられなかった。
- 441 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/02(土) 22:10:15.35 ID:cCmEyMtP
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壁を背に、痛みをやり過ごそうと荒い呼吸を繰り返していると、ロックがかたわらにしゃがみ込んだ。
「レヴィ、傷見せて」
そして、脚に結びつけられていたネクタイに手を伸ばす。
強く縛っていたネクタイをほどくと、新たに血がふくらんでいくのを感じた。
ロックがハンカチを取り出して傷の上に当てたが、瞬く間に血が染みてゆく。
「……ロック、傷の上から縛れ」
止血するには、傷口そのものを直接圧迫するしかない。
「分かった」
ロックはハンカチを当てた上からネクタイで縛り直そうと試みた。
だが、脛の方とふくらはぎの方、出血箇所が二箇所あるため、
細いネクタイ一本ではなかなか同時に圧迫することができない。
「駄目だ、レヴィ。これじゃ止まらない。ちゃんと処置しないとまずい。病院に──」
「笑わせんなよ、ロック」
病院に行こう、などと笑止千万なことを言いかけたロックを、レヴィは遮った。
「病院に行ってどうする? そんなに豚箱を経験してみてェか、ロック」
「でも……」
「『でも』じゃねえ。この傷が編み針でできた傷に見えるか?」
渋い顔をしたロックを見上げながら、レヴィは続けた。
「……穏やかじゃねェ傷をこしらえてやってきた女は身元不明、おまけに近所の神社にゃ仏が二体。
そんなのに転がり込まれて黙ってられる奴は、
マダム・タッソーの蝋人形館まで探しに行かなきゃ、いないんじゃねぇのか?」
一息に喋ることができず、レヴィは息を継いだ。
「──お気楽すぎるぜ、ロック。あたしはな、この国にはいちゃいけねェ人間なんだよ」
「レヴィ……」
困ったようなロックの声を聞きながら、レヴィは頭を壁に預けて目をつぶった。
一度座り込んでしまった体は泥のように重く、立ち上がる力はどこにも残っていなかった。
- 442 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/02(土) 22:11:31.67 ID:cCmEyMtP
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「……ロック」
「何だい、レヴィ」
ゆっくりと瞼を上げると、ロックは膝をついた体を前屈みにして覗き込んでいた。
レヴィはその顔を見上げ、もっと早くに言っていなければいけなかったことを口にした。
「先に行け」
「──え?」
わずかに身を乗り出したロックに、レヴィは重ねて告げた。
「先に行け、ロック。……もうすぐ警察が動く。チークタイムは終わりだ」
言葉を発するのも億劫になっていたが、レヴィはかすれた声で続けた。
「……情けねェが、あたしはちょっと疲れた。あんたひとりなら、まだ行ける。──行くんだ」
ひらりと手で払うと、ロックは眉をひそめて声を荒げた。
「レヴィ、何言ってんだ! そんなことできるわけないだろ!」
レヴィは短く笑った。
この男は、まだあちらの世界の流儀を引きずっているようだ。
力の入らない手で、レヴィはロックの胸元を掴み上げた。
「ヒーローごっこなら余所でやれ。
こっちの世界を選んだんならな、ロック、まずはそのクソの役にも立たねェ『道徳』を捨てろ。
合理的に考えるんだ。こっちの世界で生き残れるのは、クレバーな奴だけだ。
……今のあたしを引きずって行って、そうでなけりゃ二人でここに残って、それで助かる算段は?」
切れ切れの言葉が、白い息とともに消えていった。
ロックは眉間に皺を寄せたまま黙り込んでいた。
「──だろ?」
レヴィはロックの胸元から手を離した。
「あんたの銃は、もう弾切れだ……。──今は、護ってやれない」
悪ィな、ロック。
そう言って、レヴィは笑みを浮かべようとした。
だが、それは笑いの形にはならず、ただ唇が引き攣っただけのように見えたかもしれなかった。
何か言おうと口を開きかけたロックを、レヴィは強く突き放した。
「行けって!」
勢い余って上体が倒れ、地面についた片手が肘から崩れた。
もう、自分の頭ですら重かった。
呼吸が荒くなるのを隠せずにいると、頭の上から、すぐ横に跪いたロックの声が降ってきた。
「……レヴィ、すぐ戻ってくる」
肩に手が置かれる。
「すぐ戻ってくるから、絶対ここを動くなよ!」
そう言ったかと思うと、ロックは立ち上がった。
二、三歩遠ざかり、そこからまた振り返った気配がした。
「絶対動くなよ!」
最後にもう一度そう言い、ロックの靴音は足早に遠ざかっていった。
路地裏を出て通りの向こうに走り去っていく靴音を聞きながら、レヴィはその場にずるずると崩れた。
- 443 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/02(土) 22:12:43.07 ID:cCmEyMtP
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──「動くな」って、動けねェよ。
ごつ、と固い地面がレヴィの頭を受け止めた。
レヴィは横向きに丸まって、傷口のそばを手できつく押さえた。
先ほどまで我慢していたうめき声が漏れる。
冷たく固い地面は、肩にも腰にもちっとも優しくない。
ごつごつとレヴィの体を跳ね返し、容赦なく冷やしてくる。
先ほどまで触れていたロックの体は、やけに温かかった。
肩を借りていたことによって保たれていた体温は、急速に奪われていった。
だが、薄暗い路地裏に丸まったレヴィは妙な安堵感を覚えていた。
──これでいい。
少なくとも、ロックを逃がしてやれた。
この先を切り抜けられるかどうかはあの男次第だが、少なくとも道連れは避けられた。
直ちに死ぬような怪我ではないが、かといって元気に徒競走ができるようなものでもない。
豚箱に放り込まれるか、それともこの国の「ヤクザ」とやらに始末されるのか。
この先どうなるのかは分からないが、とにかく今は、もう歩けない。
更に体を小さく丸めたレヴィは、立ち去った時のロックの言葉を思い出して小さく笑った。
「すぐ戻ってくる」だなんて。
小さな笑いが、白い息となって漂った。
──そう言って戻って来た奴は、いない。
ニューヨークで路上暮らしをしていた頃は、歩けなくなった者が犠牲者だった。
お巡り、反目し合っているストリートギャングたち、周囲は敵だらけだった。
単独行動は命取り。
誰もが自分の命を一日一日繋いでいくことだけで精一杯だった。
他人の尻まで拭いてやれる余裕のある奴など、一人もいない。
返り討ちにあって傷を負った時。
それ以上一歩も動けなくなったレヴェッカに、仲間は言った。
「すぐ戻ってくるから、ここにいろ」
レヴェッカは待った。
冷たい風が吹き荒れる路地裏、汚水で溶けた段ボールが乱雑に積み重なった隙間に体を押し込め、ただ待った。
暗闇と臭気の中、痛みが時間の感覚を狂わせる。
──もう一時間くらい経ったか? それとも、二時間?
こんなに待ったのだから、もうそろそろ迎えに来てくれるはず。
でも、何もしないで待っているのは時間の進み方が遅いから、まだあまり経っていないのかも。
寒さと痛みに震えながら、神経を尖らせて仲間の足音を待ちわびる。
そうしてついにアスファルトの上の砂埃を踏みしめる靴音を聞いて顔を上げると、
そこにいるのは二人組のお巡りと、そういうオチだ。
- 444 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/02(土) 22:14:24.69 ID:cCmEyMtP
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レヴィはもう一度小さく笑った。
恨んではいない。
誰もがそうすることだ。
その時は、本当に戻って来てくれるつもりだったのかもしれない。
だが人は、安全なところに身を置くと、もう危険な場所へは戻れない。
そして、他人を助けることは自分が生き延びることより難しい。
互いに無力だったのだ。
無力な人間が戻って来たところで、一体何ができただろう。
レヴィは寒さをこらえきれなくなって、腕を体にまわした。
固く冷えた地面から服越しに冷気が染みてきて、骨の髄まで凍りそうだった。
ぎゅっと腕に力を入れてみるが、震えは止まらない。
指先、つま先はもちろん、腹の中までが凍えている。
風は冷たく剥き出しの耳を刺し、頭の芯までもが痛んだ。
その時、頬にふと冷たいものを感じた。
目を開けて上を見ると、空から白いものが落ちてきていた。
──雪だ。
音もなく、小さく白い欠片が空から降り注いでくる。
数日前にも東京に雪を降らせた雲は、まだここいらに停滞していたのだろう。
いったいどこからこの白が沸いてくるのか、鈍い灰色の空からは次々と細かな白い粒が舞い落ちてきた。
──寒いわけだ。
寒いのは嫌いだった。
同じように路上で暮らす子供同士で身を寄せ合っていても、寒い夜は眠れない。
大して温かくもない服に身を包んで、くっつき合って震えていた。
ニューヨークは寒い街だった。
いつもビル風が冷たく吹き荒れ、冬になると決まって雪が降った。
ソーホーのストリートを、人びとはたっぷりしたマフラーに顔をうずめ、足早に通り過ぎていった。
スープ・スタンドのカップスープから温かそうな湯気がのぼるのが、遠目からでもよく見えた。
ニューヨークでいくつも前科がつき、そして、まだ「前科」となっていない容疑が日を追うごとに着々と増えた。
これが全部精算されたら、一生刑務所から出てこられないくらいの貯金になっているかもしれない。
そんな全てから逃れるようにタイの魔都市へと流れ着いた。
しかし本当は、暖かいところへ行きたいだけだったのかもしれない。
南の海。それは、楽園に似た場所のような気がした。
- 445 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/02(土) 22:15:42.08 ID:cCmEyMtP
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レヴィはタイの海の青さを思い出しながら、鈍色の空をぼんやりと見上げた。
風にまかれながら際限なく落ちてくる雪をずっと見つめていると、
なんだか自分の体の方が浮かび上がっていくように思えた。
──結局、同じかよ。
レヴィは苦笑した。
寒さから逃げてきたと思った。
もうあの時の自分とは違うと思っていた。
けれど結局、ニューヨークにいた頃と何も変わらず、路地裏に転がって震えている。
父親から逃げ、警察から逃げ、貧困から逃げ、ニューヨークから逃げた。
最初は、もう我慢できないと思った。
もうこのままでは生きていけないと思った。
でも、逃げれば逃げるほどに状況は悪化し、いつしか底なし沼にはまり込んでいた。
もう抜け出せない。
多分、逃げても無駄だったのだとレヴィは思う。
初手から間違っていたのだ。
その後どうあがいたって無駄だったのだ。
この世に生まれてきたところから修正しないと。
やり直しは、そこからしかきかない。
──疲れた……。
睫に雪が絡まったが、レヴィはそれを振り落とすことなく瞼を閉じた。
雪はいっそう強くなる。
だが、とにかく今は休みたかった。
動くのも、考えるのも、休んでからだ。
痛みのせいか、寒さのせいか、意識が薄くなる。
眠るのはまずい、頭の隅にそうよぎったが、瞼を上げるだけの意思は残っていなかった。
- 455 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/05(火) 21:41:34.59 ID:9cPFLS1t
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* * *
ロックは走っていた。
焦りに脚がもつれそうになりながらも、走っていた。
早く、早く。
気ばかりが急いて、雪がちらつき出したというのに背中には妙な汗が滲んでいた。
どこを曲がっても変わり映えのしない住宅街の角で左右を見渡し、また走る。
走るたびに、片手に提げたドラッグストアの白いレジ袋がカサカサと音を立てた。
東京暮らしが長かったとはいえ、一歩見知らぬ道に入り込んでしまえば、そこはもう知らない街だ。
初めて足を踏み入れたこの住宅街で、ドラッグストアを探し当てるまでに随分と手間取った。
ようやく見つけたドラッグストアで、ロックは水とガーゼ、医療用の三角巾を買い込んだ。
金を払うのももどかしく店を出て、そして元来た道を引き返す。
迷わないよう、来た道は頭に叩き込んだつもりだったが、
それでも見覚えのない家並みに、本当にこちらでよかったのかと不安が増す。
雪が降ってきたところで、ああ傘を買っておけばよかったと思ったが、ここから戻ったら更に時間がかかる。
ロックは一瞬迷った末、レヴィの元に急ぐ方を選んだ。
ようやく見覚えのある路地が道の先に見えたところで、ロックは立ち止まってひとつ深呼吸をした。
走りっぱなしで完全に息が上がっていた。
雪は、家も道路も電柱も、視界に入るもの全てを白くかすませていた。
降り始めはアスファルトに消えていった粒も、今ではうっすらと路上を白っぽく覆い始めている。
ロックは息を整える暇もなく、また走り出した。
「レヴィ!」
息せき切って路地裏を覗き込んだ時、レヴィは体を丸めて横たわっていた。
頭を地面に落とし、ロックの声にも反応しない。
気配を消しているのか、レヴィの姿は路地裏の暗がりに溶け込んでしまったかのようだった。
「──レヴィ!」
ロックは慌てて駆け寄った。
プリーツスカートの赤だけが、煤けた暗がりの中で妙に浮き上がっていた。
薄く積もり始めた雪は、レヴィの髪も、ショートコートも、プリーツスカートも、ウエスタンブーツも、
レヴィの全身をうっすらと白く覆っていた。
「レヴィ」
ロックは跪いてレヴィの頬を軽く叩いた。
指に触った頬は、驚くほど冷たかった。
「レヴィ!」
頬にかかった髪をかき上げてもう一度叩くと、ようやくレヴィが身じろぎをした。
少しの安堵とともに、髪についていた雪を払ってやる。
「レヴィ」
もう一度呼ぶと、レヴィはゆっくりと瞼を上げた。
焦点の合わない目が何度かまばたきをする。
その後、紫色になった唇がわずかに動いた。
「…………ロック……?」
それと同時に右手がのろのろと上がってきて、ロックの頬でぶつかった。
まるで盲目の人が、目の代わりに指先で確かめているようだった。
「ごめん、レヴィ、遅くなった」
ロックは、伸ばされてきたレヴィの手を取った。
冷凍庫の中に放り込まれていたように冷え固まった手だった。
レヴィの手は寒さで赤く腫れ、関節も筋も全部凍ってしまったかのようにこわばっていた。
ロックは自分の掌で包み込んで温めようとしたが、
レヴィの指先はロックの掌から枯れ枝のようにぎこちなく飛び出し、とてもその全体を包み込むことはできなかった。
それでもその指先をまとめて握り込むと、レヴィが乾燥した唇を薄く開いた。
「なんで……」
「──え?」
レヴィの唇から漏れた言葉を、ロックは聞き返した。
「……なんで、戻って来た」
- 456 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/05(火) 21:42:36.57 ID:9cPFLS1t
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虚ろな目で見上げるレヴィを前に、ロックは一瞬言葉を失った。
「なんで、って──。『戻って来る』って、言ったじゃないか」
ロックが眉をひそめると、レヴィは馬鹿馬鹿しいというように首を小さく横に振った。
「……『行け』と、言ったはずだ」
「そう言われて本当にひとりで逃げる奴がどこにいるんだよ!」
腹立たしく思いながらロックが言い返すと、レヴィは呆れたように弱々しく笑った。
「あんたはまだまだ、そっち側の人間なんだなァ……」
かすれた声が、白い息に混ざった。
「──そっち側とかこっち側とか、そういう話はどうでもいい!」
ロックは強引に話を断ち切った。
とにかく今は止血だ。
ロックは横たわるレヴィの足元に座り込んだ。
「レヴィ、止血し直す」
声をかけて、ハンカチの上から縛っていたネクタイをほどく。
べったりと血を吸ったハンカチの下には、生々しい傷痕があった。
「破るよ」
半分破れた黒いストッキングが、レヴィの足に絡みついていた。
レヴィが頷いたのを確認してから、ロックはそのストッキングの破れ目に手をかけた。
指をストッキングと肌との間にもぐり込ませ、引き裂く。
元々大きく破れていたストッキングは簡単に開いて、レヴィの肌が露出した。
ロックはブーツを脱がせて横に置くと、レヴィの脚を自分の膝に乗せた。
レヴィの脚を伝って流れた血で、足の甲のあたりまでが赤く汚れていた。
「水、かけるよ」
ロックはドラッグストアで買った水のペットボトルを引き寄せて、蓋を開けた。
そして、傷口に直接水を注ぐ。
痛みのせいか冷たさのせいか、レヴィは息を詰めて顔をしかめ、そしてうめいた。
レヴィの手が、右膝の下をぎゅっと握る。
痛みを押さえ込むように、指が肌に食い込んだ。
脛には、血の混じった水が伝っていた。
透明な水はレヴィの血が混ざって赤く染まり、ぽたぽたと地面に落ちていった。
レヴィの呼吸は荒い。
はぁっ、はぁっ、と息が吐き出されるたびに、顔のまわりでは白く靄ができた。
乾きかけた血は流しきれていなかったが、ロックは適当なところでペットボトルを脇に置いた。
「大丈夫、まだ傷には触らない」
新しいガーゼを取り出し、肌の上に残った水を丁寧に拭き取る。
赤い水が白いガーゼに次々と染み込んでいった。
くるぶしの方に流れていた水も拭き取って、ロックは傷口の上から清潔なガーゼを当て直した。
そして三角巾を適当な幅に折りたたんで、ガーゼの上からぐるりと脚にまわす。
「縛るよ」
三角巾の両端にぐっと力を込めると、レヴィはきつく眉を寄せ、小さくうめいた。
- 457 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/05(火) 21:43:56.03 ID:9cPFLS1t
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ロックはブーツを履かせてやってから、レヴィの上半身を抱き起こした。
ぐったりとした体はひどく震えていた。
コートの上からでもその下の体の震えが大きく伝わってきた。
冷たくこわばった手からも、ほとんど黒に近くなった唇の色からも、
レヴィの体がどんなに冷えてしまったかが窺い知れた。
ロックは上半身を起こしたレヴィの後ろにまわり込み、コートを脱がせた。
「……何すんだ、ロック……」
レヴィが不審そうな声を上げたが、ロックは脱がせたコートをレヴィの膝にかけて、
ハイネックのセーター姿となったレヴィの体を後ろから抱き込んだ。
コートの前を開けて、レヴィを包み込む。
壁に背を預け、ロックは冷たいレヴィの体を抱き寄せた。
「温めないと。冷え過ぎてる」
「……こんなことしてる暇は──」
「いいから黙って」
ロックは抵抗を試みようとするレヴィを封じ込めた。
その体はとめどなく震えている。
「こんな体じゃ、何もできないだろ」
ぐるりと腕をまわし、ロックは背後からレヴィの体を引き寄せた。
「レヴィ、置いて行かない。俺は置いて行かないからな」
耳のそばで言うと、レヴィは静かに笑った。
そしてぼそりと吐き捨てる。
「……強情な奴」
それ以上レヴィは何も言わなかった。
もたれていいよ、そう言っても最初は自力で体を保とうとしていたが、じきに体を預けてきた。
ぐったりとした体は、途切れることなくロックの腕の中で震えた。
雪がやむ気配はなかった。
レヴィの膝にも髪にも、白いかけらが降り注いだ。
ロックは寒さからレヴィを守るように、強く抱きしめた。
- 458 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/05(火) 21:44:57.39 ID:9cPFLS1t
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* * *
レヴィの体の震えは止まらなかった。
いくら熱を伝えようと抱き寄せても、一向にレヴィの体が温まる気配はなかった。
体の一番奥の芯が冷えてしまって、どうにも震えを止められない、そんな震え方だった。
走って体温の上がっていたロックの体も、座り込んだままでは段々と冷えてくる。
傷が痛むのか、ロックの首筋に頭をもたせかけていたレヴィが時折喉の奥でうめいた。
白い息が胸元に漂う。
ロックは絶望的な気分でレヴィを抱きしめた。
「置いて行かない」、そう言ったはいいものの、ロックにできることは何ひとつなかった。
形ばかりの応急処置をしたが、こんなもので治る怪我ではないことは明白だった。
ホテル・モスクワの船、マリア・ザレスカ号はとうに出港してしまっただろう。
病院には行けない。タクシーにも電車にも乗れない。他に頼れる人など誰もいない。
傷がふさがらなかったら?
感染症を引き起こしたら?
筋肉や腱が損傷していたら?
下手したら、元の通りには動かなくなるかもしれない。
ロックには医学的知識も、応急処置の技術も、何もなかった。
レヴィは正しい。
ロックには、「助かる算段」などない。
レヴィからも、そしてロックの手からも血の臭いがした。
生臭い鉄錆めいた匂いが喉の奥にまでこびりついて、血の味までもがしてくるようだった。
降り続く雪の中、レヴィの顔色はいよいよ悪い。
蒼白だった顔は土気色に変わってきていた。
鉄火場ではあんなに大きく見えた体が、今ロックの腕の中ではやけに小さく思えた。
レヴィの呼吸は浅く、痛みをやり過ごすように時折息を詰める。
ロックはその時、唐突に、レヴィも人間なのだと思い知った。
壊れやすく、血を流せば死ぬ人間なのだと。
レヴィはいつだって、闘いの女神のようだった。
硝煙というドレスをまとい、火花と血しぶきをアクセサリーに舞い踊るレヴィからは、
弾丸すらも避けて通っていくように思われた。
ロックは、レヴィだけは何があっても死なないのではないかという気すらしていた。
誰と闘っても、勝ち残るのはレヴィだと。
何があっても、屍の上で不敵に笑っていてくれると。
だが違う。
レヴィの体はちゃんと傷つき、痛みも他の人間と同様にもたらされる。
──失っていたかもしれない。
レヴィを、失っていたかもしれない。
その事実が突然実感をともなって襲いかかってきて、ロックは急に胸をどんと突かれたような心地がした。
銀次の刃がレヴィの胸を貫いていたら、ロックはレヴィを失っていた──。
- 459 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/05(火) 21:45:37.91 ID:9cPFLS1t
-
レヴィを失う。
そんなことは考えられなかった。
けれど、どうしてそれを考えずにいられたのだろう。
どうして平気でレヴィを闘いに送り出せたのだろう。
あの闘いで最も血を流す必要がなかったのは、雪緒でも銀次でもない。レヴィだった。
そして今ロックは、傷ついたレヴィを目の前に、何もできないでいる。
──俺は、無力だ。
ロックは腕の中のレヴィを抱き寄せ、頭を落とした。
意地になってしゃしゃり出たところで、結局ロックはレヴィがいなければ何もできず、
そしてレヴィが血を流すところをただ指をくわえて見てることしかできないのだった。
吐き気がした。
レヴィは傷つかないのではなく、傷ついたところを見せていないだけだったのだ。
ロックだって、レヴィが傷を負ったところを見たことがある。
でも、彼女が何でもないことのように振る舞っていたから、それを忘れた。
平気なわけがない。
血を流して平気なわけがないのに。
今までだって、こんな風に苦しんでいたのだろう。
ロックの知らないところで。
──駄目だ。
これでは駄目だ。
いつまでもレヴィの後ろで護られているだけでは駄目なのだ。
レヴィの隣で走れるようにならなければいけない。
レヴィが倒れるところをただ目の前で見ているだけなんて、そんなのは御免だ。
「…………クソッ」
悪態が口をついた。
- 460 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/05(火) 21:47:24.18 ID:9cPFLS1t
-
その時、腕の中のレヴィが弾かれたように身を起こした。
身を起こして、一点を見つめる。
驚いてロックもレヴィの視線の先に目を向けると、そこには、大きな黒い犬が立っていた。
いつの間にそこにいたのか、手を伸ばせば届きそうな距離で、じっとふたりを見つめている。
引き締まった黒い体はつややかで、その毛皮の下にはみっしりと筋肉が詰まっている重量感があった。
頑丈そうな脚はしっかりと地面を踏みしめ、その体つきは野生のハンターのようだった。
しかし、垂れた耳と濡れた黒い目のせいで、何となく優しげな顔立ちにも見える。
犬はそっと近寄ってきた。
濡れた黒い鼻先をレヴィの脚に近づけ、ふんふんと匂いを嗅ぐ。
そして、コートの隙間から覗いていた肌をぺろりと舐めた。
突然のことに呆気に取られていたが、我に返って犬の首輪から繋がったリードの先をたどってみると、
路地裏の出入り口のところに黒いコートを着た男が立っていた。
その男を認めた瞬間、レヴィは腕を広げて腰を浮かせた。
「誰だ!」
ロックを後ろに押し込めて、レヴィは鋭く言った。
男とロックとを結ぶ直線上に割って入ったレヴィのせいで男の姿が見えづらくなったが、
不機嫌そうな低い声は聞こえてきた。
「……『誰だ』はこっちのセリフだ」
レヴィは英語で叫んだが、それくらいの言葉は難なく通じたのだろう、男は苦み走った声で応えた。
「怪我か」
男は猛獣のようなレヴィの敵意にも動じることなく、三角巾を巻いた脚に目を留めて言った。
ロックは、今にも噛みつきそうな勢いのレヴィを押し留め、男を観察した。
黒いコートを着た男の背は高く、白髪まじりの髪をすっきりと短く整えている。
切れ長の目は落ちくぼんでいて鋭い。
銀次が年を取ったらこうなったかもしれない、そう思わせるような五十がらみの男だった。
「救急車は呼んだのか」
「……いいえ」
ロックは目の前のレヴィを引き寄せて、男を見上げた。
この男がどう出るか。
窺っていると、男はそげた頬を歪めた。
「呼べない事情があるってわけか」
男はレヴィの剥き出しの警戒にも一向にうろたえる様子がない。
「……おっと嬢ちゃん、その胸元の物騒なもんは俺に向けない方がいいぞ。
そいつの前で俺に銃を向けて、指が全部無事だった奴は一人もいないからな」
薄笑いを浮かべて、黒い犬を顎で示した。
「──ロック、あいつは何て言ってる」
日本語の分からないレヴィが、小さく訊いた。
「銃を向けるな、って。向けたらあの犬が食いちぎるってさ」
伝えると、レヴィは舌打ちした。
「……何者だ、あいつ」
それはロックも同感だった。
男の妙な落ち着きぶりは、どうにも不気味だった。
- 461 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/05(火) 21:49:52.45 ID:9cPFLS1t
- 「……あなたは、一体何者なんだ」
ロックがおそるおそる問いかけると、男は鼻を鳴らした。
「ふん、ただの善良な一市民さ。
こいつの散歩に出かけて帰ってきてみたら、俺の家の前で何やら訳ありの二人が道をふさいでいたと、
ただそれだけなんだがね」
「家の前……?」
ここは「家の前」というより「家の間」なのでは。
内心首をかしげるロックに、男は路地の奥の方を顎でしゃくった。
「ここは通り道だ。この先に俺の家と仕事場がある」
ロックは路地裏の先の方へ目をやった。
その先はほのかに明るくなっているが、出た先は道路ではないと、そういうことなのだろうか。
「俺の客かと思ったが、どうもそうではないらしいな」
「客……?」
鸚鵡返しに問い返すと、男はゆっくりと近寄ってきた。
「俺は医者だ。──どれ、見せてみろ」
しゃがみ込んで、レヴィの膝に引っかかっていたコートに手をかける。
瞬間、
「触るな!」
レヴィが叫んで男の手をはねのけた。
「──おお、怖いな。生粋の野良猫みたいだ」
男は両手を上げてくわばらくわばらという身振りをしてからロックを向いた。
「おい、この嬢ちゃんに言ってやれ。俺は医者だってな。それから、通報なんて面倒臭い真似はしない」
男はしゃがみ込んだ姿勢のまま懐から煙草を取り出してくわえ、火をつけた。
ロックがレヴィに説明する間、そっと男のそばにすり寄ってきた犬の耳の後ろを掻いてやりながら、
男はのんびりと煙草をふかした。
レヴィは「信用できねェ」と渋ったが、
男は救急車や警察を呼ぶどころか逃げる素振りさえ見せずに、煙草の煙をくゆらせるばかりだ。
男の口から長々と吐き出された煙が、雪に絡まって立ちのぼる。
この男を直ちに信用することはできないが、レヴィの傷をこのまま放っておくこともできない。
警察に通報せずに診てもらえるなら、こんなに都合のよいことはない。
リスクはあるが、他の手札はもうない。
ロックが説得すると、レヴィは渋々頷いた。
「話はまとまったかい」
男は短くなった煙草を地面に放って、靴の先でにじり消した。
「……はい。診てやって下さい」
レヴィは警戒心も露わに男を睨みつけていたが、近寄ってくる手に抵抗はしなかった。
男はレヴィのコートを膝からどけて、傷に巻いていた三角巾をほどいた。
「これは……」
血まみれの脚を見て、男は唸った。
レヴィの右脚を持ち上げて、裏側からも覗き見る。
「この傷……、日本刀か」
一発で言い当てた男に、やはりこの男ただの医者じゃないと思いながら、ロックは小さく頷いた。
「貫通してるじゃないか。──おい、これは舐めて治る傷じゃないぞ」
男はすっくと立ち上がった。
「来い。診療所は向こうだ」
ロックは一瞬迷ったが、レヴィを促した。
「行こう、診療所で診てくれるって」
顔をしかめて首を横に振るレヴィに、重ねて言う。
「行くんだ。リスクは承知だけど、あの人は多分こういう傷に慣れてる。
見ただろ、一目で刀傷だと分かって、しかも全然慌てなかった」
さあ、と脇の下から手を差し入れて支えると、レヴィはのろのろと立ち上がった。
「……立てる?」
負ぶって行こうかと思ったが、レヴィはロックの肩を支えにして体を立て直した。
「早く来い」
細い路地の向こうから、男が振り返ってこちらを見ていた。
「今行く」
レヴィの腰を支え、半分かつぐような格好でロックは路地の奥へと急いだ。
- 462 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/05(火) 21:51:43.23 ID:9cPFLS1t
-
「こっちだ」
薄暗い路地を抜けると、そこにはぽっかりと中庭のような空間が広がっていた。
建物と建物の間に挟まれ、四方は薄汚れた建物の裏壁が取り囲んでいる。
都会の中にすとんと落ち込んだ、忘れ去られた涸れ井戸のようだった。
舗装されていない地面には雑草が茂っている。
冬のせいで草の勢いはないが、固く生え残った草に白い雪が降りかかって、何となく視界が明るく見えた。
人の通るところだけ雑草が踏まれて、自然に通り道のようなものができている。
その短い道の先には、木造の小さな家があった。
玄関を開けると、男は黒い犬に「そこにいろ」とたたきの上を指し、
自分は靴を脱いで大分くたびれたサンダルをつっかけた。
「来い」
ロックに目配せをして、足早に奥のドアの向こうへ消える。
玄関から直接繋がった目の前の部屋には、古ぼけたソファーが何台か置いてあった。
中央にはこれまた古めかしい石油ストーブが置いてある。
どうやらここが、診療所の待合室のようだった。
レヴィのブーツを脱がせてやって男の消えたドアをくぐると、そこは診察室だった。
大きな治療台に、紙や本が積み重なって今にも崩れそうな塔を作っている大ぶりのデスク、
脱脂綿やガーゼ、テープ、様々な銀色の器具が載った金属製のワゴン。
「医者だ」と告げた男の言葉に嘘はないようで、部屋の隅にかけられた埃だらけの額には医師免許証が収められていた。
「安心しろ、一応免許は持ってる」
額を見上げていたロックに気づいて、男が言った。
「そこに寝かせろ」
黒いマットが張られた治療台を指され、ロックはレヴィの肩からホルスターを外してやり、そこへ寝かせてやった。
男は慌ただしく準備を整えると、ロックを待合室に追いやった。
「さ、じゃあお前さんはこっちで待っててくれ」
ロックの返事も聞かずにドアを閉めようとしたところで、
あぁ、と何事かを思い出した様子で閉じかけたドアをまた開けた。
「よかったら、あいつの足拭いてやってくれ。下駄箱の上に雑巾がある」
言いたいことだけ言って、男はバタンとドアを閉めた。
ロックが振り返ってみると、「そこにいろ」と言われたままの場所、狭いたたきの上で、
黒い犬がおとなしく尻をつけて座っていた。
犬は黒く濡れた目でロックを見ている。
ロックはカトラスの収まったホルスターをソファーの上に置き、おずおずと犬の方へと近寄った。
下駄箱の上には薄汚れたガラス製の灰皿が置いてあり、
その隣に、男の言った通り少し黒ずんだ雑巾が置いてあった。
犬はいつも家の中で暮らしているのか、それとも従順に躾けられているのか、
汚れた足で室内に上がってくることなく命令通り静かに待っている。
ドーベルマンを思わせるつやつやと引き締まった体つきに、
先ほどの男の「俺に銃を向けた奴は」云々という言葉を思い出して腰が引けそうになったが、
唸ったり牙を剥いたりする気配はない。
ロックは雑巾を取って犬の前にしゃがみ込んだ。
「……あの、足拭いてもいいかな」
一応お伺いをたて、おそるおそる前足を取ると、犬はすんなりと足を持ち上げた。
濡れた足先を握って水分を雑巾に染み込ませ、足の裏の肉球を揉み込むようにして拭いてやると、
犬は「なんであなたなんですか」という不思議そうな顔でロックを見上げてきたが、
もう片方の前足が拭き終わると自分から立ち上がって、後ろ足を浮かせた。
四本の足全てを拭き終えると、犬は待合室に上がってきて部屋の隅で寝そべった。
いつの間にスイッチを入れてくれていたのか、待合室には石油ストーブがついていた。
低いうなりを上げて赤く燃え、冷えた空気を暖める。
ロックはソファーに腰かけてストーブに手をかざした。
ストーブは大分年期が入っているが、力強く熱を放出させている。
手をかざしているとじわじわと熱が染み込んできて、
ロックは自分の体もかなり冷えていたのだということを自覚した。
- 463 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/05(火) 21:52:56.04 ID:9cPFLS1t
-
ドアの向こうの治療室からは、レヴィが何やら叫んでいるのが聞こえてきた。
「触るな!」とかなんとか聞こえたような気がしたが、気のせいだろうか。
何事もなければいいが──。
そわそわと治療室の気配を窺っていると、突然、そのドアが勢いよく開いた。
「おい!」
ドアから顔を出した男が、正露丸を十錠くらいまとめて飲んだような顔をしてロックを睨んだ。
「──はい!?」
その鬼のような形相に跳ね上がると、
「ちょっと来い!」
男はロックを手招きした。
「な、何でしょう……」
おっかなびっくり近寄ると、男はじろりとロックを見下ろした。
「あの嬢ちゃん、一体全体どうなってんだ」
苛立たしげにちらりと肩越しにレヴィを見やる。
「ものすごい目で睨んできたかと思ったら、指一本触らせやしない。野良猫の方がよっぽどましだ」
「すいません……」
実際に見てはいないが、その光景は目に浮かぶようだ。
ロックは小さくなって謝った。
「お前さん、俺が医者だってちゃんと言ったんだろうな。やたらと訳の分からん言葉で叫ぶんだが。
俺は英語なんて知らんが、あれがムカつく言葉だってことだけは分かったぞ」
「ああ、すいません……」
ロックは更に小さくなった。
どうせFワードでもわめき散らしたのだろう。
レヴィの言葉は、半分以上が下品極まりない放送禁止用語だ。
「とりあえず、お前さんもこっちに来てくれ。俺だけじゃどうにも埒があかん」
ロックは男の後に続いて治療室に入り、診察台に仰向けに寝ているレヴィのそばに立った。
「……レヴィ、おとなしく治療を受けてくれ。この人はちゃんと医者だよ。
ちゃんと免許もある。害になるようなことはしないから」
言い含めるように見下ろすと、レヴィはまだ返り血のついた顔をしかめた。
「医者だってんなら、ウィリアム・パーマーだって医者だったぜ。
──こいつ、訳分かんねェことしやがるんだよ。何言ってんのかも分かんねえし……」
レヴィはロックの方に身を寄せて、ちらちらと男の様子を窺う。
「大丈夫だから。そうやって抵抗してる方が危ないよ。俺がここにいるから、おとなしくしてくれ」
ロックがここにいれば妙なこともしないだろうし、言葉も通じる。
レヴィはそれで不承不承黙った。
- 464 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/05(火) 21:55:04.71 ID:9cPFLS1t
-
「──いいか?」
レヴィが静かになったのを見て、男が診察台に近寄ってきた。
「……ったく、手でも握っててやれ」
不機嫌そうに吐き捨て、男はレヴィの診察台を挟んでロックとは逆側に立った。
引き寄せた金属製のワゴンの上で、カチャカチャと器具を準備する音がした。
「あー、レヴィ、……手、握ってようか……?」
ためらいがちに訊ねると、
「いらねェよ、バカ」
即座に否定の言葉が返ってきた。
「……いらないって」
向かい側に立つ男へ曖昧に笑ってみせると、男は無表情でじっとロックを見つめた。
高い位置からこわもてに見下ろされると、それだけで迫力がある。
どうしてそんなに俺のことまで睨むのだろうとロックが思っていると、
数秒の沈黙の後、ようやく男は口を開いた。
「お前──」
何でしょう、と次の言葉を待つと、低い声が降ってきた。
「モテないタイプだろ」
「──は!?」
確かにそれは当たっているが、どうしてこの場で指摘されなければいけないのか。
しかも今それとどんな関係が?
思わず間抜けな声を出したロックに、男は心底苛々するといったようにレヴィの手を指した。
「そういう時は誰かに言われる前に握ってやるんだよ! 本人に訊く奴があるか!
しかも『いらない』とか言われて素直に受け取るな! つべこべ言わずにさっさと握れ!」
男の剣幕に押され、ロックは慌ててレヴィの頭の脇に投げ出されていた片手を握った。
「──ンだよ、いらねェよ」
レヴィはむず痒そうにもぞもぞと手を動かしたが、振り払いはしなかった。
「そうだよ、最初っからそうしてればいいんだ」
男はぶつぶつ言いながら、ロックが握っているのとは逆のレヴィの片腕をまくると、
肘の上で駆血帯を手早く結び、注射針を刺し込んだ。
「──てッ、何を……」
レヴィが仰ぎ見た時にはもう、男は注射器を片づけ駆血帯を取り外していた。
「心配するな、鎮静剤だよ。嬢ちゃんは興奮しすぎだ。しばらく寝てろ」
「……クソ」
そうしている間にも、レヴィの体からは段々と力が抜けてくる。
瞼が緩慢に上下したかと思うと、数分後には完全に落ちていた。
「まったく、注射一本まともに打てやしない」
男がぼやいて、治療台のそばの照明をつけた。
「さて、今度は本当に出て行ってもらおうか」
「──え?」
「お前さんも酷い顔だぞ。貧血でも起こされたらかなわん。俺は二人も治療するのは御免なんでね」
さあ出てった出てったと追い出され、ロックはまた元の待合室に戻った。
ドアを開けて出ると、部屋の隅で寝ていた犬がぴくりと顔を上げたが、
ちらりとロックの姿を確認すると、また元の通り前足に顔を乗せて眠り始めた。
待合室ではストーブの円柱状の中心が濃いオレンジに色づいて、室内を暖める。
ソファーに座って薄汚れたガラス越しに外を見やると、牡丹雪に近くなった雪が降り続いていた。
綿のかけらのような結晶がガラス窓に雪がぶつかって、ほつほつと音を立てる。
ドアの向こうの治療室は静かだ。
待合室には石油ストーブの音だけが、やけに大きく漂っていた。
静かに眠る犬を横目に待合室を見まわしてみると、小さなラックに数冊の週刊誌と新聞が放り込まれていた。
客のためというより、男の古新聞置き場なのかもしれない。
しかしロックはそれを読む気にもなれず、ただレヴィの治療が終わるのをじっと待った。
- 465 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/05(火) 21:55:50.10 ID:9cPFLS1t
-
次に治療室のドアが開くまでの時間は、ひどく長く感じられた。
一時間にも二時間にも思えたが、実際には数十分のことだったのかもしれない。
鈍い銀色のノブが回ってドアが開いた時、ロックは瞬間的に立ち上がっていた。
「──どうですか」
ドアから出てきた男に駆け寄ると、男は「まぁ落ち着け」とロックを押し留めた。
ソファーに座るようロックに促し、自分もどさりと腰かける。
「処置はした。骨にも筋肉にも腱にも異常はない。この先脚が動かなくなるなんて心配はないだろうよ」
「そうですか……」
恐れていた最悪の事態には至らなかったことに、ロックは長いため息をついた。
「縫って、破傷風の注射も打っておいたが」
「ありがとうございます」
「しかしな、あれを縫わないで済まそうなんて、正気の沙汰とは思えんぞ。
この程度で済んだのは運がいいが、それでもあのまま放っておいたら感染症にかかるかもしれん。
……ったく、気合いだの愛だので治っるんだったら医者はいらん」
「……はい、本当に、ありがとうございます」
「ま、見るからに医者に行けない事情がありそうだが」
そこまで言うと、男は立ち上がった。
奥に消えたかと思うと、しばらくの後、大ぶりのマグカップをふたつ持って帰ってきた。
「ほれ、飲め」
差し出されたカップを受け取ると、熱いコーヒーがなみなみと入っていた。
「ありがとうございます」
顔を近づけると、湯気が顔を撫でる。コーヒーの深く香ばしい匂いがした。
「あの、レヴィは……」
「──ん? あの嬢ちゃんのことか?」
ロックが訊ねると、男がマグカップに伏せていた顔を上げた。
しまった、名前は出さない方がよかっただろうかと思ったが、男は気にしない風で治療室のドアを開けた。
「まだ寝てる。ベッドに移動させておいたぞ」
開いたドアの隙間からは、ベッドに横たわって白い上掛けをかけられたレヴィの姿が見えた。
まだ顔色は悪く、血のついた頬は皮膚の下から黒ずんだ青が透けている。
「そろそろ目が覚める頃なんだがな。かなり消耗してるんだろう」
起こさない方がいい、とソファーに座って脚を組む男に、ロックも頷いて熱いコーヒーをすすった。
湯気が目の縁まで届いて、冷えた食道を熱い液体が流れて胃に到達するのが分かった。
- 466 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/05(火) 21:57:13.33 ID:9cPFLS1t
-
深いため息をついて顔を上げると、いつの間にか黒い犬が男の側にやってきて、顎の下を掻いてもらっていた。
随分と立派な図体をしているのに、男に掻いてもらって目を細めている様は微笑ましい。
「あなたは──」
「うん?」
男は犬から目を逸らさずに返事をした。
「どうして、俺たちを助けてくれたんですか」
「医者だからさ」
面倒臭そうに、男は短く答えた。
「……それだけですか」
重ねて訊ねると、男はようやくロックの方に顔を向けた。
「納得できないって顔だ」
「──ええ」
「面倒は御免だったからだよ」
男はマグカップを口に運び、ずず、とコーヒーをすすった。
「どういうことですか」
ロックが正面から見据えると、男はゆっくりとカップを下ろした。
「第一に、俺の家の前にいられると邪魔だ。第二に、警察沙汰は御免だ。
──大方気づいているだろうが、俺の患者は警察が嫌いな奴ばかりでね。
背中に龍をしょってるようなお客さんばかりがやってくる。
警察に踏み込まれたとあっちゃ、商売あがったりだ。
それなら早いとこ歩けるようにしてやって、とっととご退散頂けた方がありがたい」
ロックは曖昧に頷いた。
人目を避けるように建っている病院も、看板ひとつ出していない出入り口も、
物騒な傷に慣れているこの男も、確かにそれなりに頷ける状況ではある。
「でも──」
それでも釈然としない気持ちを抱えて言い淀むと、男は薄い唇を歪めた。
「まぁ、後は」
今度は犬の眉間を指でこすってやりながら、続ける。
「こいつが吠えなかったから、かな」
犬はうっとりと目を半分閉じて男の手に額を寄せる。
短いしっぽが床の上でゆっくりと左右に揺れた。
「その犬、雑種ですか?」
「ああ、多分な。拾った頃はもっと小さかったんだが、いつの間にかこんなにデカくなりやがった。
ドーベルマンだかの血でも入ってるんだろ。ラブラドールあたりも混ざってるかもしれんが」
男の手は大きく骨張っているが、犬を扱う手つきは穏やかだ。
犬はすっかり信用しきっている様子で、ぐいぐいと頭を男の手に押しつけ、「もっと」とせがんでいる。
「いつもこんな感じなんですか?」
「ん? いつもは奥の部屋にいる。診療所の方には入れないんだが、──まぁ今日は特別だ」
「……随分おとなしいんですね。この犬が本当に指を……?」
食いちぎるなど、今こうして男にすり寄る姿からは想像もつかない。
ロックが信じられない思いで見ていると、男はあっさりと言った。
「ああ、あれは嘘だ」
「──は? 嘘?」
「こいつ、図体だけは立派だが、やけにおっとりした性格でね。
まぁ、ああ言っとけば気の立った野良猫に取って食われることもないと思ってね」
男は少しも悪びれずに言う。
「……はぁ」
「しかし、番犬としては優秀だ。招かれざるお客さんには必ず吠える。
……けど、なぜかお前さんがたには吠えなかったな」
次は耳の後ろもお願いします、と首をかしげた犬のリクエストに応えて、男の指が黒い頭の上を移動する。
「こいつが吠えてたら、問答無用で表の通りに蹴り出してたさ」
長い指で犬の耳の後ろを掻いてやりながら、男はマグカップを持ち上げて残ったコーヒーを飲み干した。
- 467 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/05(火) 21:58:11.06 ID:9cPFLS1t
-
「……それにしても」
何かを思い出したように男がくすりと笑った。
「あの嬢ちゃんはものすごいな。野良猫というよりケルベロスだな、あれは」
路地裏でのレヴィの様子を反芻しているのだろう、男は小刻みに肩を震わせる。
「お前さんに手を出したら殺す、って形相だったな。まったく、手負いの獣ほど厄介なものはない。
あんなのとやり合わずに済んで、心底ほっとしてるぞ」
そうやって笑っていられる男の神経もなかなかのものだ。
一緒になって笑う気にもなれずに、ロックはコーヒーの入ったマグカップに顔を伏せた。
その時、男の手に身を任せていた犬がぴくりと何かに反応した。
顔を上げて治療室の方をじっと見つめたかと思うと、
すっくと立ち上がって治療室へ続くドアの方へ歩いていく。
半開きになったドアの隙間から鼻先を入れようとする犬に向かって、男は
「おいおい、そっちへは入るなよ」
と言い、ソファーを立ってドアの向こうを覗き込んだ。
「──お」
ドアの向こうに突っ込んだ首を戻して、男はロックに片頬で小さく笑ってみせた。
「お目覚めのようだぞ」
ロックはすぐさま立ち上がった。
男と犬の間から割り込むようにしてドアをくぐり、ベッドに横たわっているレヴィの元へゆく。
「レヴィ、大丈夫か」
声をかけると、レヴィはロックの方へゆっくりと顔を向けた。
「………………ロックか」
かずれた声が応える。
「気分は?」
「ん…………」
レヴィはまだ朦朧としているような表情でゆっくりとまばたきを繰り返した。
頭も瞼も重いのだろう、小さくため息をつくと、
薄い上掛けの下にあった手をのろのろと出し、そして目をこすった。
「おい」
後ろから声をかけられて振り返ると、
ドアの向こうから、男がコートを着込みながら治療室を覗いていた。
「俺はちょっと出かけてくる。嬢ちゃんはもうちょっとそこで寝てろ。いいな」
それだけ言うと、男は慌ただしく出ていった。
バタン、と大きく玄関の扉の閉まる音がして、後は静かになった。
- 468 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/05(火) 21:59:50.51 ID:9cPFLS1t
-
治療室の中にもストーブがついていた。
部屋を暖める低い音だけが絶え間なく流れる。
埃っぽい熱がロックのところまで漂ってくるが、部屋の隅からはしんしんと冷気が忍び寄る。
「痛む?」
ロックはレヴィの顔を覗き込んだ。
「……いや」
レヴィは小さく首を振った。
「あんま感覚がねえ」
糊のきいた上掛けの下で、もぞ、と体が動いた。
「きっと麻酔がまだ効いてるんだ。大きな損傷は何もないってさ。ちゃんと元通りに治るって」
「……だから言ったんだ、医者なんかの世話にならなくたって問題ねェって」
「そんな軽い怪我でもない。縫わないといけなかったんだから。……とにかく、これでよかったんだ」
レヴィに言い含めたいことは山ほどあったが、ロックは無理矢理飲み込んだ。
「とりあえず今は休んで。眠れたら眠った方がいい」
ロックの言葉にゆっくりとレヴィの目が閉じていったが、ややあって、また開いた。
「……あいつは?」
訊ねられてから、レヴィはあの男の言った日本語が分からなかったのだと気づいた。
「ちょっと出かけてくるって。もうちょっと寝てろって──、レヴィ?」
言い終わらないうちにレヴィが起き上がり出したので、ロックは慌てた。
「どうしたんだ、レヴィ。まだ寝てるんだ」
肩を掴んで寝かせようとするが、レヴィはロックの手を振り払った。
「寝てろ? 馬鹿言うな。とっととズラかるぞ」
言って、体の上にかかっていた上掛けを引き剥がす。
「待てよ、レヴィ。どうしたんだ、いきなり」
「いきなりもクソもない。あいつはどこに行ったんだ」
「どこって──」
「言わなかったか。──ふん、どうせ今頃は警察かお仲間のところだろうぜ。
このままここにいりゃ、アホ面晒してそいつらとご対面ってわけだ」
ベッドの端から脚を下ろして床に降りようとするレヴィを、ロックは必死で押し留めた。
「待てって。あの人はそんなんじゃないよ」
「そんなんじゃない? あたしの知らないうちに随分と仲良くなったみてェだな。
うまい具合に丸め込まれたか」
「違うったら。お願いだから今は待ってくれ。レヴィが思ってるほど軽い怪我じゃないんだぞ」
しかし、レヴィはきかない。
「大丈夫かどうかはあたしが決める。ロック、ここにいたけりゃここにいろ。あたしは行く」
ロックの体を押しのけて床に降り立ち、自由にならない脚を引きずって歩き出す。
「……分かった。分かったから、レヴィ」
こうなったらレヴィは意地でも出て行くだろう。
彼女ひとりで行かせることだけはできない。
ロックはレヴィに肩を貸してソファーに座らせ、カトラスごと取り外していたホルスターを拾い上げた。
まだ乾いていないコートをレヴィに手渡す。
ロックも自分のコートを着込んでいると、
部屋にいた黒い犬が「お出かけですか?」というようにレヴィのそばまでやって来た。
怪我をしているのが分かっているのか、飛びつきはしない。
その疑いのない様子を見ていると、この犬の主人を裏切ろうとしていることに罪悪感が沸き上がってくるが、
レヴィの目に迷いはない。
ロックは尻ポケットから財布を取り出し、万札を五枚ほど抜き出した。
この治療費の相場がどれほどのものかは分からないが、これだけあれば充分だろう。
ロックは周囲を見まわし、下駄箱の上に重ねた万札を置いた。
ガラス製の灰皿で重しをして、ソファーに座ったレヴィに肩を貸すために戻る。
その時、犬がうぉんと一回吠えた。
それと同時に、玄関のドアが開く音がした。
- 469 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/05(火) 22:03:18.95 ID:9cPFLS1t
-
ロックが振り返ると、そこには、たたんだばかりの傘を手にした男がいた。
もう片方の腕には松葉杖を一揃い抱えている。
男はロックとレヴィの様子を見、それから下駄箱の上の金に目を留め、それで全てを諒解したらしかった。
「……多すぎる」
下駄箱の上の金を数えて、男が顔をしかめた。
札を指でつまみ、不機嫌そうな顔をしてロックの隣にやってくる。
そして眉間に皺を寄せて三枚数え、残りの二枚をぽいとソファーに放った。
「これは治療費、これは薬代、残りの一枚は口止め料。──そうだろ?」
手元に残った三枚の万札を、一枚一枚示して男は言う。
ロックが気まずい思いで見返すと、男は松葉杖を乱暴に寄越した。
「受け取れ。それから、薬の受け取りがまだだぞ」
そして、懐から白い紙の袋を取り出した。
その袋を傾けると、中からは錠剤のシートが滑り出た。
「これは化膿止めの抗生物質。こっちは胃薬だ。どっちも一日三回、毎食後にのめ。
こちらは痛み止めだ。痛くなったらのめばいいが、ま、数日間は痛みが出るだろ。予めのんどけ。
抗生物質と胃薬だけはここにある分、全部のみ切れよ。
あと、アルコールは禁止、風呂も今日明日は禁止だ」
男は説明を終えるとシートを袋に戻し、ロックに押しつけた。
「──あの、ありがとうございます。それから、……すみません」
薬の袋をコートのポケットにしまいながら、ロックは言った。
「ふん、どうせ止めたって行くんだろ。勝手にしろ。長々と居座られても困る」
男は無愛想に吐き捨て、煙草を取り出して火をつけた。
外はまだ雪が降っていた。
日は完全に暮れて、気温も一段と低くなっている。
玄関の扉を開けると、夜の中、冷たくなった草や土が白く染まっていた。
「お前さんたちも物好きだな。こんな雪の中出て行くとはね」
唇の端に煙草を引っかけて男が言った。
レヴィに松葉杖を渡し、ロックは男にもらった黒い傘を広げた。
「本当にありがとうございます。……それから、あの、俺たちのことは……」
「分かってるさ。俺みたいな仕事の奴は、忘れっぽいことが何より重要だからな」
「──恩に着ます」
浅く一礼して顔を上げると、男は薄い唇を片側だけ歪めた。
「忘れてほしくなったら、また来な」
もう一回礼をして、ロックは男に背を向けた。
両手で松葉杖をつくレヴィに傘をさしかけ、歩調を合わせる。
細い路地に入るところで振り返ると、開いた玄関にもたれた男が、とっとと行けというように手で払った。
その足元には黒い犬がいた。
男の脚にぴったりと寄り添い、ロックとレヴィの後ろ姿を見ている。
家の中の明かりが開いたドアからあふれ、男と犬の姿は黒いシルエットのように浮かび上がった。
煙草の光が男の口元でじんわりと明るくまたたく。
ロックは目礼を送り、男の家を後にした。
- 478 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/08(金) 21:57:34.50 ID:YU4Hilki
-
* * *
「にしても、怪しいおっさんだったよなァ」
自分のベッドで仰向けに寝転がったレヴィが、
三角に立てた脚を組み、上になった右脚の膝から下をぶらぶらさせながら言った。
「でも、意外といい人だったじゃないか。腕もよかったみたいだし」
ロックはゆらゆらと揺れるレヴィの右脚に目をやった。
脛に残った傷跡は白く残っているが、膿んだりすることもなく綺麗にくっついた。
「ふん、そんなの結果論だぜ、ロック。
試合が終わった後からなら、五歳のガキだってスコアレス・ドローを言い当てられるぜ」
「それはそうだけど……」
ロックはテーブルの上に置いてあったバカルディのボトルを取ってグラスに注ぎ、レヴィに差し出した。
「飲む?」
「ん」
レヴィは寝そべった体を少し起こして、グラスを受け取った。
「俺はもうちょっとあそこで休ませてもらった方がよかったと思うんだけどな」
ロックは自分の分のグラスにもバカルディを注ぎながら言った。
「どうだか。あのおっさんが通報しなくても、じきにお巡りが踏み込んできてたかもしれねェぞ」
「それはそうかもしれないけど」
ロックは、後ろに肘をついてグラスを煽るレヴィを横目に続けた。
「それを言うならあんな時間に外をうろうろしてる方が危険だったかもしれないじゃないか。
碌に走れもしない状態だったのに」
「うるせェな、見つからなかったんだからオーライなんだよ」
「……それは『結果論』とは違うのか?」
「違うね」
とん、とレヴィは飲みかけのグラスを枕元のサイドデスクに置いた。
「『結果オーライ』って言うのさ」
そして、唇の端を片方だけ上げてにやりと笑う。
ロックは思わず小さく笑ってしまった。
「──勝手だなぁ」
手の中のグラスを傾けて少しだけバカルディを舐め、テーブルの上に置く。
「俺の気も知らないで」
ベッドの枕の方へ顔を向けると、レヴィは後ろに肘をついた中途半端な姿勢のままロックを見ていた。
ロックはあの日のことを思い出しながらつぶやいた。
「必死だったんだぞ」
* * *
最初の曲がり角で振り返ってみると、出てきた路地はもう雪と闇の中に消えていた。
「レヴィ、こっちだ」
歩きにくそうに松葉杖をつくレヴィの背中を、ロックは促した。
「……ちょっと歩くけど」
「何だよ、どこか行く当てでもあんのか?」
ロックは傘を傾けて、中空を見上げた。
白くけぶる雪の中、高層ビルの群れがぼんやりと闇に浮かび上がり、発光していた。
新宿副都心が近いことは分かっていた。
「──ああ、一応」
行く先は、歌舞伎町だった。
- 479 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/08(金) 21:59:36.82 ID:YU4Hilki
-
大きなビル群はすぐそばに見えても、歩くとかなり距離がある。
ようやく目指す歌舞伎町にたどり着いた頃には、寒さと疲労とでへとへとになっていた。
今にも警官と行き合うのではないか、後ろから呼び止められられるのではないかと神経を張っていたせいで、
距離は何倍にも感じた。
ロックの疲労もさることながら、レヴィは限界に近かっただろう。
ただでさえ消耗しているところにこの寒さだ。
最後には息が上がって、松葉杖で何とか体を支えているようなものだった。
歓楽街に近づくと人が増える。
歌舞伎町は夜になると目覚める街だ。
そこに行き交う人びとは他人になど目を留めない。
訳ありげな他人を興味深げに見つめたりしないのがこの街のルールだ。
地味なスーツ姿の男と松葉杖をついた女など、簡単にその中に紛れ込める。
ロックは歌舞伎町のはずれ、ありとあらゆるカップルが行き交う一帯に足を向けた。
皆、示し合わせたかのように他の連れ合いとは目を合わせない。
通りに立ち並ぶ建物は、やけに派手なネオンサインを色とりどりにきらめかせる。
ロックは適当にあたりをつけて、そのうちのひとつの前で立ち止まった。
「レヴィ、入ろう」
「──ここにか?」
レヴィはリゾートホテルのような外観の建物をちらりと見上げてから、戸惑ったようにロックを見た。
「ああ、ホテルだよ。野宿するわけにはいかないだろ」
「──でも、何かすげェぞ、ここ。泊まれんのか? あたしそんなに金持ってねえぞ」
「大丈夫だよ」
ここはそんなに金持ってなくても泊まれるホテルなんだよ、
予約も記帳もいらないし、おまけに誰とも顔を合わせないで済むんだ、
とは心の中だけで、ロックはさっさと傘をたたんでエントランスに足を踏み入れた。
中に入ると、薄暗いロビーに大きなパネルが点灯していた。
カウンターには小さな穴が開いているだけで、人の気配は薄い。
「……何だここ」
一種異様な雰囲気にレヴィが警戒したようにあたりを見まわしたが、
ロックはシッと静かにするようサインを送って、パネルの中から適当な部屋を選んでボタンを押した。
カウンターに寄ると、小さな小窓から鍵が差し出される。
ロックは無言で金を払って鍵を受け取った。
「行こう」
エレベーターにレヴィを誘導し、迷わず乗り込む。
レヴィからは物問いたげな視線を感じたが、ロックはあえて気づかないふりをした。
エレベーターを降りると、電飾が光って案内をしてくれる。
今までのホテルとは明らかに違う様相にレヴィが戸惑っているのが手に取るように分かったが、
ロックはずんずんと先導して、鍵に示された番号の部屋を開けた。
「レヴィ」
ここだよ、と招いてドアを閉める。
- 480 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/08(金) 22:02:07.34 ID:YU4Hilki
-
部屋に入って鍵をかけてしまうと、ようやく緊張が解けた。
ほっとしたのはレヴィも同じだったのだろう、大きく息をついて、低い上がりかまちの部分にへたり込んだ。
「もう大丈夫だ」
レヴィは緊張がほどけた途端、疲労も思い出したようだった。
ロックの言葉にも反応せず、松葉杖を放り出して横の壁にもたれかかった。
麻酔が切れてきたのか、右脚に巻かれた包帯の近くを手で押さえている。
ロックは靴を脱いで部屋に上がり、暖房の設定温度を上げた。
「レヴィ、靴脱げるか。そっちは寒いから、こちらへ」
うずくまる背中に声をかけると、レヴィはのろのろとブーツを脱ぎ始めた。
にじるようにして移動してきたレヴィは、部屋を見るなりぽかんと口を開けた。
「………………何だこりゃ」
レヴィの目は、部屋のど真ん中に据えられたキングサイズのベッドのところで固まっていた。
「ごめん、こういう部屋しかなかったんだよ。ツインじゃないけど、我慢してくれ」
ここは主に男女が性交を目的として滞在もしくは宿泊する施設なんだよ、という説明などできるわけがない。
ロックは嘘にならないぎりぎりのラインでごまかした。
「ここは誰かと顔を合わせることもほとんどないし、記帳もしなくていいんだ。俺たちの身分なんて、誰も気に留めないよ」
「あ、ああ……」
レヴィの求めていた説明と微妙にずれていることは分かっていたが、
レヴィの方も細かいことにこだわっていられるだけの元気が残っていなかったのだろう、
それならいいんだ、という風に頷いた。
ロックはバスルームに行って洗面器にお湯をくみ、洗面所でタオルを熱い湯で濡らして絞った。
「レヴィ、今日は風呂に入らない方がいい。ここに足つけて」
傷口を濡らすのはまずいが、レヴィの体は冷え切っている。
ロックは湯をはった洗面器をレヴィの足元に差し出した。
レヴィは湯に目を落とすと、
床に座ったままスカートの下から手を突っ込んで、腰に残っていたストッキングを引き下ろした。
右脚の方はほとんど残っていないが、怪我をしていない左脚の方はまだ黒い化繊が覆っている。
レヴィは輪になったウエスト部分を引きちぎり、左脚からストッキングをするすると剥いでいった。
黒いストッキングの下から、贅肉のない太もも、膝、脛が現れる。
両脚とも素足になってしまうと、レヴィは足をちゃぽんと湯につけた。
くるぶしのあたりまでが湯に沈む。
真っ赤になった足先が、水の中で揺れた。
「どう?」
「……熱い」
「そんなに熱くしたつもりはなかったんだけどな……。水足そうか?」
足が冷えすぎていたため、熱く感じるのだろう。
立ち上がろうとしたが、レヴィは首を横に振った。
「いや、いい」
そして、足先をぱしゃりと小さく水面から出して、また沈めた。
洗面器の水面が波立つ。
ゆらゆらと揺れる水の下に、赤くなった肌と血色の悪い爪が見えた。
ロックは熱く絞ったタオルを広げて、レヴィの顔を拭いた。
まだ残っていた返り血をぬぐう。
完全に乾いてしまっていて取れない血の跡を更にこすろうとすると、レヴィの手が遮った。
「貸せ」
レヴィはロックの手からタオルを奪って広げ、乱暴にこすった。
頬、鼻梁、額、あちこちをごしごし拭いてからタオルを広げ、顔全体をうずめる。
熱気が気持ちよいのか、レヴィはじっとタオルを顔に押しつけて、大きく息を吐いた。
- 481 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/08(金) 22:04:10.45 ID:YU4Hilki
-
ロックは足拭きタオルを持ってくるのを忘れたことに気づき、洗面所に取って返した。
リネン類の入った籠から乾いたタオルを一枚取る。
そして部屋に戻ると、レヴィは黒革の指出しグローブを外して、両手も洗面器の中につけていた。
膝を折りたたんで体の方に寄せ、セーターを少しまくった手を足の隙間に突っ込んでいる。
両手両足を洗面器につけたレヴィは、やけに小さくまとまっていた。
そのちんまりとした姿がおかしくてつい笑ってしまうと、レヴィはむっとしたようにロックを睨んだ。
「……んだよ」
「いや、別に」
ロックは笑いをこらえて乾いたタオルを脇に置き、代わりに先ほどレヴィの顔を拭いた濡れタオルを手に取った。
たたんであったタオルを開いて新しいところを表に出し、レヴィの髪に寄せる。
雪の中で路地裏に転がっていたせいで、レヴィの髪には湿った土のような汚れがついていた。
ところどころ髪の毛が汚れで固まり、束になっている。
ロックは、後ろで一つに結んであるレヴィの髪をほどいた。
広がった髪をほぐし、汚れているところをすくい上げて、タオルでくしゃりと揉み込む。
適当な束を取って毛の流れに沿って撫で下ろし、また包み込む。
レヴィの栗色の髪が、温かいタオルの中でしんなりと湿り気を帯びた。
「シャワー浴びたいと思うけど、今日はやめておいた方がいい」
「……ああ」
レヴィは膝を立てたまま青白い顔で頷いた。
その顔からは、シャワーを浴びるよりも早く横になりたい疲労が見て取れた。
ロックは髪の毛から汚れをざっと拭き取ってしまうと、今度はレヴィの正面へまわった。
洗面器の前に跪いて、レヴィの足がつかっている湯の中に濡れタオルを沈ませる。
湯の中でふくらむタオルにたっぷりとお湯をふくませ、レヴィの脛に向かって引き上げる。
膝から真っ直ぐに通ったレヴィの脛骨の上に這わせると、
絞っていないタオルからあふれた湯がこぼれ、レヴィの脛を透明に伝った。
ぽしゃぽしゃと、こぼれたお湯が洗面器の上で音をたてる。
足首まで這い下ろしたタオルを湯につけ、また脛へ。
タオルで湯をすくい上げるように滑らせる。
脛を撫で下ろし、裏側のふくらはぎにも、くるりと手をまわす。
繰り返すと、渇いた血の跡も段々と流れ落ちてくる。
レヴィは膝を立てたまま、じっとロックの手の動きを見ていた。
包帯が濡れないあたりまでを念入りに流すと、ロックは濡れたタオルを絞って脇に置いた。
そして、湯につかっていた脚を一本、ふくらはぎから持ち上げる。
ぱしゃ、と足から水がこぼれる。
ロックは、皮膚全体が真っ赤になったレヴィの足を丁寧にタオルで拭いていった。
細い骨が浮いた足の甲から、つま先、足の裏、そして、くるぶし。
アーチを描いた土踏まずをなぞり、掌にすっぽりと収まる踵を包み込み、細く浮き上がったアキレス腱のくぼみに指を沈める。
レヴィはタオルの中で、くすぐったそうに足をもぞもぞさせた。
ロックはその足首を掴んで、足の指を一本一本拭いていった。
「我慢して」
レヴィの足の爪は親指だけが縦長で、あとの指は貝殻のような形をしていた。
ちょっと湯につけていた程度ではまだ血の巡りは戻らないだろうが、
先ほどの黒ずんだ紫色に比べると、いくらかはましな色になっていた。
- 482 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/08(金) 22:06:17.62 ID:YU4Hilki
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ロックはもう片方の足も拭いてしまうと、備えつけのガウンのような浴衣のようなパジャマのような、
多分そのどれでもない、寝巻きとして使用するものと想定されている着物をレヴィに差し出した。
「微妙」としか言いようのない代物だが、洋服のまま寝るわけにもいかない。
「レヴィ、これに着替えて」
手渡して、レヴィが着替えている間に洗面器の湯を捨てに行く。
バスルームの洗い場で水を流し、洗面所でゆっくりと温かい湯で顔を洗ってから戻ってみると、
レヴィは先ほど渡した妙な寝巻きを着ておとなしく座っていた。
男女兼用のせいか変に肩のあたりが余っているくせに、丈は足りない。
まるで手術着のような寝巻きは珍妙なことこの上ないが、こんなもの似合う人の方が少ないだろう。
ロックはレヴィに手を貸して立ち上がらせた。
肩を貸してベッドへ向かおうと、背中の方から脇に手をまわした時だった。
何の気なしにまわした手が、ふとやわらかいものに触れた。
ふわ、と思いがけず指が沈んだ。
予想外の感触に、ロックは思わず手を離してしまいそうになった。
コートの上から手をまわした時と同じ感覚で手を伸ばしたが、薄手の布越しに触れた感触は全く違うものだった。
吸い込まれるようにやらわかく、そしてほのかに温かい。
布越しに、レヴィの肌の、レヴィの乳房の感触がはっきりと分かった。
指先から、今レヴィはこの布の下に何もつけていないのだということが嫌というほど伝わってきて、
ロックは慌てて手をずらした。
平静を装ってベッドにたどり着いたところで、ロックは薬の存在を思い出した。
「レヴィ、薬のまないと」
「──ああ」
さっそくベッドの中にもぐり込もうとしていたレヴィも、思い出したように顔を上げた。
「一日三回、毎食後って言ってたけど──、困ったな、まだ食事買ってきてないや」
「別にいらねェよ」
レヴィは全く気にしない風だが、空きっ腹に薬は避けたい。
一度外に出て買ってくるつもりだったが、レヴィは今にも眠りたい様子だ。
何かないかと冷蔵庫を開けてみると、数種類の飲み物に混ざってカロリーメイトが入っていた。
有料だが、後で精算すればよい。
ロックは水のボトルとカロリーメイトを取り出した。
「とりあえずこれ食べてから薬だ」
レヴィはベッドの上でもそもそと旨くもなさそうに細長いショートブレッドを一本食べ、
残りは枕元の台の上に乗せた。
水で薬を飲み下すのを見届けて、ロックは横になったレヴィに羽布団をかけた。
「俺、ちょっと外に出て買い物や洗濯してくるよ。ダッチにも連絡しないといけないし。
部屋空けるけど、ここにいてくれよ。鍵持って行くから、出て行ったりしないでくれよ」
分かったと頷くレヴィに、くどいくらい言い含め、ロックは脱いだレヴィの服をかき集めて部屋を出た。
- 483 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/08(金) 22:08:19.72 ID:YU4Hilki
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ホテルの外に出たロックは、まずコインランドリーを探し、レヴィの服を突っ込んだ。
血と泥で汚れてしまい、完全に綺麗にはならないだろうが、洗えばまた着られるくらいにはなるだろう。
洗っている間にラグーン商会へ連絡を入れ、偽造パスポートを送ってもらう算段を整える。
電話口に出たのは同僚のベニーだったが、予定外の事態にも根掘り葉掘り事情を問い質すことなく、
あっさりとパスポートの件を請け合い、ボスのダッチに伝えておくと言って電話を切った。
ロックは洗い上がった服を乾燥機に移し換えて、今度はコンビニへと向かった。
レヴィは食欲がないようだったし、今夜は寝ていただろうが、次の日の朝食が必要だ。
コンビニは白々と輝き、その明るい蛍光灯の下、均一にパッケージングされた製品が整然と並んでいた。
半日ほど何も食べていなかったにも関わらず、ロックはそれを見てもちっとも食欲が湧かなかった。
しかし、適当にいくつかのおにぎりを取ってカゴの中に放り込む。
途中、インスタントの味噌汁が目に留まり、これもふたつ放り込んだ。
お茶のペットボトルを一本と、男性用と女性用の下着、靴下を一揃えずつ。
コンビニは便利だ。
生活に必要な最低限のものは一通り揃い、誰が何を買っていても注意を払う者はいない。
煌々と輝く蛍光灯は積み重ねられたカップ麺の隙間までをも明るく照らし、
コンビニの中にはひとかけらの闇も存在していない。
その時突然、何の前触れもなく、もうロックはこの世界の住人ではないのだという事実が
雪崩のように押し寄せてきて、ロックは思わずその場に立ちすくんだ。
こうして慣れた風におにぎりをカゴに入れながら、同じ手軽さで偽造パスポートを手配する。
警察に怯え、名前も住所もない。戸籍だって定かではない。
決定的に違うのだ。ここで買い物をしている多くの人と、ロックとは。
このコンビニの中にある明るさは、もうロックのものではない。
ふいに、周囲にあふれるまぶしすぎる光がはじけて、ロックは目の前が暗転するような感覚を覚えた。
目の前の景色が黒く消えてゆき、店内に流れるアップテンポのJ-POPが遠のく。
頭の芯が締めつけられるように痛んだ。
目の奥も棒をねじ込まれたように疼く。
ロックは目と目の間を指で押さえ、眩暈のような波が引くのを待った。
しばらく経ってから目を開けてみると、そこは元の通り、のっぺりと明るいコンビニだった。
誰一人としてロックに関心を払うことなく、棚の間を歩きまわり、雑誌を立ち読みする。
ロックは何度か軽く頭を振るってから、
レヴィの服を入れられるような大きく丈夫な袋を選んでレジに向かい、会計を済ませた。
雪は相変わらず降り続いていた。
路面にもそれと分かるほど降り積もっていたが、降るそばから車がタイヤで乱していくため、
足元は溶けかかった雪でぐちゃぐちゃだった。
ロックはコインランドリーに戻って乾燥の終わったレヴィの服を引き上げると、
排気ガス色に溶けかかった雪を踏み分けながらホテルに帰った。
- 484 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/08(金) 22:10:27.93 ID:YU4Hilki
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部屋に戻ってベッドに眠るレヴィを見ると、腰が砕けそうになるほど安心した。
暖房はほかほかと部屋を暖め、レヴィはロックが出た時と同じ姿勢で眠っている。
レヴィがこの部屋を出て行く理由など何もないのだが、それでもレヴィの顔を見た途端、全身から力が抜けていった。
長い一日だった。
ロックはようやく、自分の肩がぱんぱんに張って、足には乳酸がたっぷり溜まっていることに気がついた。
ロックは寝ているレヴィを起こさないよう、そっとバスルームに行って広いバスタブに湯を注いだ。
湯をためている間にレヴィの食べ残したカロリーメイトを腹の中に入れ、
それから、たっぷり湯をはったバスタブで体を温めて髪と体を洗う。
レヴィと揃いの間抜けな寝巻きを着て、さて寝るかと思ったところで、
少々、いや、かなり困ったことに気づいた。
ベッドが、ひとつしかない。
当たり前だ。
この手のホテルでツインなど、聞いたことがない。
先ほどロック自らの口から「ツインじゃないけど」云々とレヴィに説明してはいたが、
あの時は色々と余裕がなかったせいで、実際寝る時のことまで具体的に想像が及んでいなかった。
ベッドがひとつということは、当然ひとつのベッドにレヴィと一緒に寝るという、そういうことなのだが、
改めてその事態に直面するとどうしたらいいものやら、ロックは巨大なベッドの前で立ち尽くした。
ベッドにはレヴィが既に寝ていても更にゆうゆうのゆとりがある。
スペース的には何の問題もない。
今まで泊まっていたホテルはツインルームだったが、今はベッドがひとつしかないのだ。
レヴィとは数日前、初めて肌を重ねた。
ソファーで寝るにしても掛け布団は一枚しかないし、暖房が効いているとはいえ今は冬だ。
おまけにかなり疲れている。
なるべくなら布団をかけてベッドで眠りたい。
諸々の事情を鑑みれば、この空いたスペースにロックが滑り込んでも許されるような状況であるように思える。
しかし、いくら肌を重ねたからといって、たった一回だけで調子に乗っていいものだろうか。
しかもレヴィの許可なく。
- 485 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/08(金) 22:12:29.65 ID:YU4Hilki
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ああもうどうしたらいいんだと思わず両手で顔を覆い、はぁとため息をついてその手を離した時、
ロックはその場から飛びすさりそうになった。
手を離したその開けた視界の中で、レヴィがぱっちりと目を開けてロックを見ていた。
「おい」
「──はい!?」
寝ていると思っていたレヴィがいつの間にか目を開けていたことに動揺して、ロックの声は思わず裏返った。
「何やってんだ」
レヴィは布団の中から不審そうにロックを見上げていた。
「いや、その……」
「早く寝ろよ」
そう言われても、ロックは今まさにその問題で困っていたのだ。
「うん、いや、だからね、寝ようとしてたんだけど──」
「だけど、何だよ」
「どこで寝ようかな、と」
「──はァ?」
レヴィは眉間に皺を寄せ、首をかしげた。
「そこで寝ろよ」
言って、自分の隣に並んでいる枕に顔をめぐらせる。
「……いいのか?」
おそるおそる訊くと、レヴィはまた首を戻して、呆れ返ったようにロックを見た。
「駄目だっつったらどこで寝るつもりだったんだよ」
「いや……、ソファーとか……」
「アホか。筋肉痛になりてェのか? んなとこに突っ立ってないでさっさと入れ」
気が散るんだよ、と口の中でぶつくさ言いながら、レヴィは羽布団をめくり上げた。
「ほれ」
促されて、ロックは反対側の端からベッドに入った。
おじゃまします、といった心持ちで羽布団に足を入れ、そそくさと体を伸ばす。
あまりレヴィに近づきすぎないよう枕をずらし、枕元のパネルで明かりを落とす。
真っ暗になる一歩手前のところで止めて、ロックは枕に頭を沈めた。
伸ばした足に、さらさらしたシーツが心地よい。
「おやすみ」
「ああ」
少し間を置いた隣からレヴィの声が返ってきて、衣擦れの音がした。
羽布団を引き上げる音に、身じろぎをする気配。
ふぅっ、と小さくついたレヴィの息が暗闇を揺らした。
互いに目が覚めている間の沈黙が少々気詰まりだったが、それも束の間、すぐにレヴィの呼吸は寝息に変わった。
体の温度が伝わってくる距離ではないが、
ほんの少し向こうでベッドがレヴィの体の重みを受けてへこんでいるのは何となく感じられる。
それを意識すると、肌の奥で神経がわずかに緊張するのを感じたが、
いつの間にかロックも眠りの底へ落ちて行った。
- 486 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/08(金) 22:14:39.38 ID:YU4Hilki
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眠りは浅かったのだろう。
「…………ぅ」
ロックはレヴィの小さなうめき声を聞いた気がして目が覚めた。
隣に顔を向けてみると、うす闇の中、ベッドの向こう端でレヴィがロックに背を向けているのがぼんやりと見えた。
後頭部しか見えないが、布団のふくらみ方からして、体を丸めているのだろう。
痛みをこらえるような息にまた小さくうめき声が混ざって、頭がわずかに揺れた。
──痛むのか。
ロックが肘をついて上半身を起こすと、その気配を感じたのか、レヴィはぴたりと静かになった。
「──レヴィ」
小さく呼び掛けても答えはない。
「レヴィ?」
ロックは羽布団をかき分けて近寄り、後ろから肩を掴んだ。
それでもレヴィの反応はない。
手の中の肩をそっと揺らすと、ようやくレヴィが振り返った。
向こう側から、ふたつの開いた目がロックに向けられた。
うす闇の中ロックをとらえ、ゆっくりとまばたきをする。
レヴィの肩は浅い呼吸に小さく上下していた。
視線が交錯する。
一瞬というよりは長く、しばらくというよりは短い時間だった。
開いたレヴィの唇から、かすれた声が漏れた。
「…………やんのか」
──何を?
一瞬本当に意味が分からなくてそう聞き返しそうになったが、
口を開きかけたところで遅れてその意味に気づき、ロックの呼吸は一瞬止まった。
「──やらないよ」
ロックは、詰まった喉からやっとそれだけ絞り出した。
手がレヴィの肩の上で固まっていたことに気づき、ゆっくりと外す。
「そうじゃない」
繰り返すと、レヴィは一転してほっとした表情に変わった。
明らかにそれと分かるほど、顔から緊張が消えた。
そんな風に思っていたのか、そんな風に警戒していたのか、
レヴィがそんなことをできるような状態ではないことぐらい分かっている、
こんな怪我をしてうめいている女に無理強いする趣味はない、
それに、もしその気があったとしても、レヴィが嫌だと言えばやめるのに。
胸の内には言いたいことが山ほど渦をまいたが、ロックは苦い薬を飲み下すようにそれを無理矢理飲み込んだ。
- 487 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/08(金) 22:17:13.99 ID:YU4Hilki
-
ロックは部屋を明るくしてベッドから降りた。
「痛む?」
レヴィの顔を覗き込むと、額には汗が浮いて、生え際の髪の毛が張りついていた。
「……ああ、少しな」
クソ、と小さく毒づいて、レヴィはまた横向きに丸まった。
「鎮痛剤が切れたんだ」
ロックは紙の袋から痛み止めの錠剤を出し、水と一緒にレヴィに渡した。
「のんで」
レヴィは仰向けになって体を少し起こし、錠剤を口の中に放り込んで水を煽った。
晒された喉が上下する。
その首筋は、湿っぽく汗ばんでいた。
髪の生え際は熱がこもったように火照り、そればかりでなく頬も赤い。
ロックは水のボトルを受け取って枕元に置いてから、レヴィの額に手を伸ばした。
「熱い」
レヴィの額は熱かった。
もう片方の手で自分の額の温度と比べてみたが、やはりレヴィの方が格段に温度が高い。
「熱がある、レヴィ」
傷のせいで発熱しているのだ。
「別にこんぐらい大したことじゃねェよ。寝てりゃ治る」
レヴィはロックの手を払うと、また横になった。
確かにそれはその通りで、現状では抗生物質をのみ続けるしかない。
しかし、少しでも水枕の代わりになればと、ロックは洗面所に行って冷たい水でタオルを濡らした。
そのタオルでレヴィの額を拭こうとすると、レヴィは「いらねェよ」とうるさげに首を振ったが、
構わず押しつけると目を閉じて心地よさそうな表情に変わった。
しばらく押しつけて、また冷たいところを表に出して当て直す。
「もういい」
もう一度、と思ったところでレヴィがタオルを掴んでロックに突き返した。
タオルは額に乗せるには大きすぎるし、眠っている間にずり落ちてしまうだろう。
ロックはローテーブルの上にタオルを置き、自分もベッドへと戻った。
「大丈夫、もうすぐ鎮痛剤が効くよ」
背を向けるレヴィを掛け布団の上からとんとんと軽く叩くと、
「……ガキじゃねェんだぞ」
憮然とした声が返ってきたが、
レヴィは、すん、と鼻を一回鳴らして、居心地悪そうに布団の下で身動きしたっきりだった。
ロックはとんとんとレヴィの二の腕のあたりを布団の上から何度か叩いて、それから、明かりを落とした。
- 496 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 21:48:14.07 ID:EOV8lE5N
-
* * *
「ほんと、あの日は気の休まる暇がなかったよ。レヴィには変な勘違いされるし……」
ロックはベッドに片手をついて、仰向けに横たわるレヴィを覗き込んだ。
「……うっせ」
レヴィは眉間に皺を寄せて頬を少し赤くしたかと思うと、
手を伸ばして枕元のサイドデスクに置いてあるグラスを取った。
その話はしたくないとばかりにグラスを傾け、そして思い出したように言った。
「そういやロック、あんた最初あたしに隠し事してただろ」
ロックの弱みを見つけたとばかりに、レヴィは性悪な猫のような顔で笑った。
「──何のこと?」
素知らぬふりをしてグラスを取るが、レヴィは「とぼけんなよ」と体を起こした。
「あのホテルだよ。なァーにが『こういう部屋しかなかったんだよ』、だ。
ツインもクソも、頭ッからケツまでああいう部屋しかねェとこだったんだろうが!
このあたしを騙そうだなんて百年早ぇ」
「いや別に騙してたわけじゃ……」
ごにょごにょと言葉を濁してロックはバカルディを一口舐めたが、
そう、レヴィの怪我が峠を越えてしまうと、また別の厄介事がロックを襲ったのだった。
* * *
一般的に「ラブホテル」の名で人口に膾炙しているこの手のホテルは、とても便利だ。
名前はいらない、連絡先もいらない、顔を見られることもない、
サービスタイムを利用すれば日中も長時間過ごせる、冷蔵庫もテレビもアメニティも揃っている、
映画は観られる、カラオケやゲームまでついている部屋もある。
素性を知られずに身を潜めたいロックたちにとっては、うってつけだった。
しかし、困ったことがひとつだけあった。
「ラブホテル」の本旨であるところの男女の性交、
これを快適に行わしめるための至れり尽くせりのサービスが部屋中あふれ返っていることだ。
そもそもロックは事に及ぼうとしてレヴィを連れ込んだわけではないのだから、
できることなら性交目的の施設だなどとは知られたくない。
だが、怪我の容態の落ち着いたレヴィにおとなしく寝ていろなど、どだい無理な相談だったのだ。
傷による熱が下がって体力も回復してきたレヴィは、物珍しそうに部屋のあちこちを眺めまわした。
短期間の内に色々な部屋を転々としてきたが、そのたびに内装の違う室内に感嘆の声を上げた。
広いバスルームに驚き、歯ブラシから櫛までずらりと新品が揃っていることに驚き、
枕元にコックピットのごとく各種ボタンやスイッチのついたパネルが横たわっていることに驚いた。
ロックは、テーブルの上に無造作に置いてある裸の女が表紙を飾る冊子を目に着かないところに移動させたり、
ご丁寧に枕元に用意されている避妊具をそっと隠したり、忙しいことこの上なかったのだが、
その苦労は結局報われることはなかった。
- 497 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 21:50:15.47 ID:EOV8lE5N
-
「なぁ、これすげェな、寝ながら何でもできんだぜ」
レヴィは枕元の大きなパネルが気に入ったようで、あちこちのボタンを押してはその効果に感心していた。
「こっちはラジオか? すっげえ、いくつ局入ってんだ」
レヴィはベッドで腹ばいに寝そべって、ぴ、ぴ、とボタンを押す。
矢継ぎ早に局が変わって、DJの声やら音楽やらが乱れ飛ぶ。
「しかもこれ、照明だけで何種類あんだ。──お、これフットライトか」
頬杖をつくレヴィがボタンをいじるたびに、あちこちの照明がついたり消えたりする。
つまみをひねると、すぅっとメインの明かりが落ちてゆく。
好奇心旺盛なレヴィを横目に、ロックは枕を背にして新聞を読んでいた。
文字を追っているのであまり暗くするのはやめてほしいのだが、この様子なら怪我の方はとりあえず心配なさそうだ。
あとは早くパスポートが届いてくれれば──、
そんなことを頭の片隅で考えながら新聞のページをめくった時だった。
「──あっ、いやぁっ、あん、だめ、あ、あ、あぁん、そこ……、いいっ、そこいいの、は、あん」
突然女の喘ぎ声が部屋中に響き渡った。
ぎょっとして新聞から顔を上げると、目の前のテレビの大画面には、
くんずほぐれつする裸の男女がでかでかと映し出されていた。
「あ、あ、あぁん、いい、そこ、きもちいいっ、いいのっ……はぁん、もっと、ああ、……いいっ」
唖然とする目の前で、制服もどきの短いプリーツスカートをめくられ、他には靴下と、
なぜか首にリボンタイだけをつけた女が四つん這いになって、後ろから男に突かれていた。
突かれるたびに、大きな乳房がぶるんぶるんと揺れる。
一応モザイクがかかってはいるが、男の陰茎が女のたっぷりとした尻の間に激しく出入りしているのが分かった。
「ちょっ──」
我に返ったロックは、慌ててパネルの方を振り向いた。
レヴィは腹ばいになったまま、ぽかんと肩越しに痴態が繰り広げられている画面を眺めている。
パネルをいじっているうちにテレビのボタン──それもアダルトチャンネルの──を押したのだろう。
ロックはチャンネルを変えようと、慌ててパネルのボタンに手を伸ばした。
「あぁんっ、あっ、あっ、……いっ、そこ、そこだめ、いっ、イく、だめ、イく、イっちゃうぅ!」
画面が変わらないどころか、今度は音量が大きくなった。
「うわ、違っ、ちょっ、どれ──?」
慌てているせいで、どこがテレビのチャンネルのボタンなのかよく分からない。
隣のボタンを押したら、向こうの方で馬鹿にしたように洗面所の明かりがぽっとついた。
関係のないボタンをいくつか押した末、ようやくロックの指はテレビの電源ボタンを探し当てた。
ふっと音がやみ、画面が黒くなって消える
- 498 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 21:52:16.32 ID:EOV8lE5N
-
「──ロック」
しんとした静寂が気まずい。
「……なに?」
ロックがおそるおそる応えると、レヴィは肩越しにテレビへ向けていた顔をくるりと戻した。
そして、邪気のない顔で訊ねる。
「日本って、普通にポルノ流れてんのか?」
「いや──っ、」
そんなわけないだろ、違うよ、と言おうとしたところで、
だったらなぜここでテレビのスイッチをいじっただけでポルノビデオが流れ出したのか説明しなければいけないことに思い至り、
ロックは言葉に詰まった。
「いや、普通の家庭では流れてないけど、こういうホテルの中にはCSと契約してるとこもあるんじゃないのかな、
ホテル業界は競争が激しいから、こうやって顧客サービスに力を入れてるんだよ」
口から出任せを適当に喋ると、レヴィは分かったような分からないような顔で、ふぅん、と言った。
分からなくたって分かったことにしてもらおうと、ロックは新聞に目を落とした。
「──ロック」
しかし、レヴィはまた声をかけてくる。
「……なに?」
仕方なくレヴィの方を向くと、レヴィはじっとロックを見上げていた。
「日本人って制服好きなのか?」
「なっ──」
制服が嫌いな男はいません。
もちろん即答だが、そんなこと口が裂けても言えない。
「いや、あれはたまたまだよ、たまたま。色んなのがあるんだよ。
日本のものじゃなくたってそうだろ? 別に日本人全員がああいうの好きなわけじゃないよ」
「……随分詳しいな」
「──は? 別に詳しくないよ。映画だってドラマだって同じことだろ。好みは人それぞれさ」
もう一刻も早くポルノビデオから離れたい。
これ以上突っ込まれると墓穴を掘りそうだ。
ロックは何とか方向転換を試みるが、レヴィは子供のような無邪気さで追求の手をゆるめようとしない。
「なあ」
もう返事をしたくないが、レヴィは構わず続けた。
「あんたはどんなのが好きなんだ、ロック?」
どうして憎からず思っている女にこんなこと訊かれなきゃいけないんだ!
ロックは頭を抱えたくなった。
「別に好きとかそういうのないから。ほら、もういいだろ、映画でも観よう。ここ、色々映画入るらしいよ」
何とかレヴィの興味を逸らして映画のラインナップを押しつけ、ロックは深いため息をついた。
- 499 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 21:54:25.26 ID:EOV8lE5N
-
それで何とかぎりぎりやり過ごせたかと思ったのが間違いだった。
ロックの懸命の努力は、あっけなく水泡に帰した。
ロックが洗面所で顔を洗って戻った時のことだった。
レヴィは部屋の壁際に備えつけられたキャビネットの扉を開き、何やら中を覗き込んでいた。
冷蔵庫から何か取り出そうとしているのだろうか、
ロックがテーブルの上に出してあったペットボトルのお茶を飲みながら
何気なくレヴィの肩越しにちらりと扉の中身に目をやった瞬間、思わず口の中のお茶を吹き出しそうになった。
「──!」
鼻の方にいきかけたお茶を、ぐ、とすんでの所で留めて、ロックは何とか口の中のお茶を飲み下した。
「──レヴィ!」
慌てて駆け寄ると、レヴィはくるりと振り返った。
レヴィが開いていた扉の中には、キャンディーカラーの物体が並んでいた。
ピンクや紫、色とりどりに着色されたかたまりが光を浴びて、
小さく仕切られたケースの中に行儀よく収まっている。
おもちゃ箱を思わせる華やかさだが、おもちゃはおもちゃでも、これはいわゆる──。
「あ、あの、あのね、レヴィ」
目の前に並ぶのは、どう見ても「大人のおもちゃ」だ。
どうにもごまかしようがない。
えっと、その、などと意味のない言葉を発していると、レヴィが口を開いた。
「ロック、こいつは何だ?」
「──は?」
ロックの口から、思わず間抜けな声が出た。
からかわれているのだろうか?
しかし、レヴィは目をぱちくりさせてロックを見上げるばかりだ。
では本当にこれが何か分からないと──?
いや、まさか。
日本語が読めないにしても、あの形状で一目瞭然ではないか。
普通の日本人の女だって、見ただけでこれが何なのかは大体想像がつくはずだ。
それをレヴィが知らないだなんて、そんな、まさか。
──けれど、よくよく思い返してみれば、
以前バラライカがポルノビデオの編集をしているところにばったり行き合ってしまった時、
レヴィは物珍しそうにそれを眺め、「ありゃ尻に入れてるのか?」などとおぼこい事を訊いていた。
まるで、初めて見た、初めて知った、どうしてそんなことをするのかよく分からない、そんな様子だった。
しかし、きょうびアナルファックなどポルノビデオ界では珍しくも何ともないではないか。
──何ていうか、レヴィって結構実は本気でおぼこい……?
信じられない、いや、しかし、の思いがロックの頭の中で拮抗する。
「……レヴィ、ほんとに分からないのか?」
表情を窺ってみるが、レヴィは分かっていて答えないロックに苛立ったかのように眉を寄せた。
「分かんねェから訊いてんだろ」
「──この形見ても、分からない?」
ロックが指をさすと、レヴィは苛立ちを鼻息で示してからケースに顔を寄せた。
至近距離でしげしげと見つめて、しばらくの後、ハッと首筋を緊張させたかと思うと、勢いよく振り返った。
「ロック!」
その、気まずさと怒りが混ざったような赤い顔ではっきりと分かった。
「……ああ、そうだよ」
ロックがため息をつくと、レヴィは地獄の底から湧き出たような声で低く言った。
「どういうことか、説明してもらおうじゃねェか」
その地を這うような声に、ロックは潔く観念するしかなかった。
- 500 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 21:56:49.56 ID:EOV8lE5N
-
* * *
「道理でおかしいと思ったぜ」
レヴィはベッドの上であぐらをかいて、鬼の首を取ったかのように唇の端で笑った。
「……あの時は、普通のホテルに行けなかったんだ。仕方ないだろ」
釈明は言い訳めいた調子になる。
ロックは手の中のグラスを口に運んだ。
「別に隠すことねえだろ。小役人みてェにこそこそするからムカつくんだ」
「…………悪かったよ」
本当はあまり悪いとも思っていなかったが、とりあえず話を収束させたくてロックは謝った。
「にしてもよー」
レヴィはあぐらをかいた足首のあたりを両手で掴んで、前後に体を揺らした。
「わざわざヤるためのホテルがあんだなー」
話を終わらせたいロックの意図などまるで解さず、レヴィは無邪気に「日本すげェな」などと言う。
ロックはあえて無視したが、レヴィはお構いなしに「なぁなぁ」と続ける。
「みんなああいうとこでヤんのか?」
「──知らないよ」
いいからもう俺に訊かないでくれ! と叫びたくなったが、ロックはじっとこらえた。
「人によるだろ。みんなじゃないだろうけど、手軽だからね。利用しやすいんじゃないか?」
ふぅん、とレヴィは大して納得してもいないような声で答えた。
もうこのへんで勘弁……とロックは念じたが、それを裏切るのがレヴィだ。
「よく使ってたのか、ロック?」
あっさりと、一番訊かれたくなかったことを訊いてきた。
「──よくは使ってないよ」
渋々答えると、「じゃ、時々か?」と返ってくる。
しまった、ここは簡潔に「いや」とでも答えておけばよかったのだ、何を律儀に──。
ロックは切実に後悔したが、時既に遅し。
「誰と行ったんだよ、彼女とか?」
レヴィは矢継ぎ早に質問を浴びせかけてくる。
「──や、」
「ンだよ、いいじゃねェかよ」
若干気分を害したような空気を漂わせながらも、レヴィは引かない。
──だから嫌だったんだ!
こうなるのが嫌だったのもあって、教えたくなかったのだ。
あの手のホテルに行ったことがないとは言わないが、それをレヴィに知らせたくない。
その機微が分からないのかと腹立たしくなるが、まあ、分からないのだろう。
- 501 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 21:58:51.77 ID:EOV8lE5N
-
「なァ、日本人ってみんなああいうの使うのか?」
「……ああいうのって?」
「バイブレーターとかローター」
聞き返すんじゃなかった。
ロックは後悔した。
レヴィがこんな言葉で言い淀むわけがない。
「使わないよ!」
「……じゃあ何で普通に売ってんだよ」
レヴィは不審げな目で見返してくる。
「いや、普通じゃないだろ……」
ロックがため息をついても、それを華麗に無視して続ける。
「あんなキャンディースタンドみてぇなやつ、初めて見たぞ」
「ああ、それで……」
ロックは遅ればせながら合点がいった。
あんな風に手を取りやすい見た目で、手軽に売られていたから分からなかったのだろう。
しかしそれにしても、酸いも甘いも噛み分けましたという顔をして、
まるで下品な言葉をわざわざ選んで口にしているかのようなレヴィが、
本当に最初は分かっていなかったのだろうか?
レヴィのあのきょとんとした顔を思い出すと、喉の奥から笑いが込み上げてきた。
「レヴィってさ」
笑いをこらえながらロックは言った。
「意外と可愛いよね」
すると、レヴィはむっとしたように眉を寄せた。
「……何がだよ」
「あっちこっちいじりまわしてさ。バスルームでもひどかったな−。何が起こったかと思った」
更に思い出し笑いをすると、レヴィは不服そうにむくれた。
突き出された唇が、きゅっと小さくすぼまった。
- 502 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 22:00:52.95 ID:EOV8lE5N
-
* * *
レヴィがこんなに好奇心の強い女だったとは。
日本滞在中、レヴィについて分かったことのうちのひとつがそれだった。
かなり早い段階で気づいてはいたが、ロックはここ数日で改めてそれを痛感していた。
枕元のパネル然り、自動販売機然り。
そしてそれは、バスルームでも思い知らされることとなる。
怪我をしたばかりということで、最初の日こそ風呂をパスしたレヴィだったが、
さすがに汚れをタオルでぬぐっただけで何日も過ごしたくなかったのだろう、
次の日にはシャワーを浴びると言ってバスルームに突入した。
「うわ、広ェな!」
まずは洋服のまま様子を見に行ったレヴィが、バスルームの様子を見て目を丸くした。
これまで泊まっていたホテルのユニットバスよりも格段に広い。
「すげェな、これ」
レヴィは狭いユニットバスとは比べものにならないくらい大きなバスタブを覗き込んだ。
興味津々、いかにも入ってみたそうな顔をしていたが、傷口を濡らすのは避けた方がよい。
「レヴィ、とりあえずシャワーだけにしといた方がいいよ」
ロックはやんわりと止めた。
バスルーム内を暖めるためにお湯だけはって、レヴィはシャワーのみ、それが何日か続いた後のことだった。
その日もバスタブに湯をためて、レヴィはシャワーを浴びていたはずだった。
ロックがベッドの上でくつろいでいると突然、バスルームの方からもの凄い轟音が鳴り響き、
「うおあああっ!」というレヴィの悲鳴が聞こえた。
「どうしたレヴィ!」
ただごとでない音に驚いてロックがバスルームの扉を叩き開けてみると、そこでは
ゴボゴババババババババババと凄まじい音を上げて風呂が泡立ち、しかも中から七色に発光していた。
バスタブの中で輝く光は、青から緑、緑からピンクと次々と色を変える。
そのファンシーな地獄の釜のようなバスタブの中で、レヴィが右脚だけを湯の外に出した姿勢で固まっていた。
傷口を湯につけなければよいと、右脚だけ外に出して入ったのだろう。
その中途半端な姿勢が今にもひっくり返りそうで怖い。
ロックは急いでバスルームの中に入り、
泡立つバスタブの縁から身を乗り出して、向こう側の壁についていたスイッチを押した。
ジェット全開でフルスロットルだったジャグジーは、ロックがスイッチを押した途端、嘘のように静まった。
沸騰したヤカンの中のようだった水は次第に落ち着き、白い泡もふつふつと消えてゆく。
ロックはほっと息をついた。
「レヴィ……」
首を落とし、そして苦言を呈そうと顔を上げた時だった。
バスタブの中にいるレヴィの姿が、まともに目に飛び込んできた。
- 503 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 22:02:56.08 ID:EOV8lE5N
-
レヴィは右脚をバスタブの縁にかけて外に出し、左脚は広い底にゆうゆうと伸ばしている。
すっかり落ち着いた水は、表面がわずかに波うつだけだ。
その透明な湯の中に、レヴィの体が揺らめいていた。
長々と放り出された脚の間では髪の色と同じ栗毛がほんのりと漂い、
くびれた腰と平らな腹を経たその上では、まるい乳房が湯の浮力を受けてほわんとわずかに浮いている。
いい具合に湯で温められ、その肌はうっすら桜色だ。
「──見んな!」
言葉を失ったまま、かなりまじまじと湯につかるレヴィの体を凝視してしまっていたことに気づいたと同時に、
大量の水がロックに襲いかかってきた。
「──うわっ」
レヴィが渾身の力で湯をかき出して飛び散らせたのだと分かった時にはもう、ロックの全身は水浸しになっていた。
「何すんだ、レヴィ!」
こっちはレヴィを心配して飛んできて、固まっているレヴィの代わりにジェット噴流まで止めてやったというのに、
この仕打ちは何だろう。
ロックは顔にかかった水をぬぐいながら抗議の声を上げたが、
「出てけ!」の声とともにもう一度水が押し寄せてきて、結局慌てて退散するしかなかった。
- 504 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 22:05:09.97 ID:EOV8lE5N
-
しかし、そうした騒動がありながらも、レヴィの存在はありがたかった。
ロックの夢の中には、しばしば雪緒が現れた。
死ぬ必要などなかったというのに、自らの頭の中で組み上げた論理に従って、
最後の組長として幕を引くためだけに御輿へと上がった。
夢の中の雪緒は、出てくるたびに自らの喉へ日本刀を突き立てた。
ロックの無力をあざ笑うかのように。
白い喉に鋭い切っ先が埋まり、更に奥へ進むと裂けた喉から赤い血があふれ出す。
痛みへの恐れを振り払うように、少女は刀の上に体をかぶせる。
喉の中の気管や食道、頸椎が損傷していく音が生温かく響き、そしてうなじから血まみれの切っ先が顔を出す。
ごぼ、と喉の中で血の音がし、唇から目に痛いほどの赤がこぼれる。
喉の奥深く刀が沈められ、口から血が泡となって沸騰する。
夢の中の雪緒はうっすらと笑っていた。
お前の助けなど望んでいないと、
まるでロックに見せつけるかのように首の後ろからにょっきりと日本刀を突き出させ、微笑んでいた。
ロックは何度も飛び起きた。
目覚めると、決まって嫌な汗をかいていた。
暗闇の中、速くなっている動悸を抑えるために深呼吸を繰り返す。
雪緒の喉を刀が貫く時のあの音は内耳にべったりとこびりつき、血の臭いまでもがまだ鼻腔に残っている気がした。
そんな時、隣で眠るレヴィの存在は救いだった。
雪緒を救うことはできなかった。
ロックの無力を見せつけるように死んでいった。
生まれ育った街は、もう他人の街だった。
過去は夢の中のように淡い。
しかし、今ロックはひとりではないのだと、今ここでそばにいてくれる人はいるのだと、
そう思うと小さな錨を得たような気分になった。
寝息で穏やかに上下するレヴィの体、それは確かに、無類のなぐさめだった。
- 505 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 22:07:21.84 ID:EOV8lE5N
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最初の日こそ食欲がなかったが、一旦落ち着いてしまうと食事はいい気分転換となった。
コンビニやテイクアウトのものをロックが買ってきて部屋で食べるという繰り返しだったが、
そのバリエーションは意外と豊富だ。
物珍しそうに興味を示すレヴィの反応が面白くて、ロックはいつしか毎回の買い物が楽しみになっていた。
そう、最初のおにぎりからして、レヴィにとっては異色の食べ物だったのだ。
「何だそれ」
コンビニの袋から出てきたおにぎりを、レヴィはまじまじと見つめた。
「おにぎりだよ。炊いた米の中に具を入れて、海苔を巻いて食べるんだ」
「──ノリ?」
レヴィは透明なフィルムで覆われた三角型のおにぎりをひっくり返してはまた元に戻してと忙しい。
「海草の一種だ。海草を平らに敷きつめて、乾かしたものだよ」
「こんなのが食いもんなのか? カーボン用紙みてぇに真っ黒だぞ」
いかにも胡散臭げにレヴィ眺めまわすレヴィに、ロックは笑った。
「大丈夫だから。うまいよ」
「……へぇ?」
「──っと、待った!」
外側のフィルムを開けようとしたレヴィを、ロックは慌てて止めた。
「何だよ」
「そうじゃない」
「は?」
「開け方。そうじゃないんだ」
レヴィはおにぎりの裏側についたラベルを剥がそうとしていた。
「そうじゃなくて、こっちを引っ張るんだよ」
ロックは残っていたおにぎりの中からひとつ取って、三角の頂点から出ている細い切れ込みを下に引いた。
おにぎりの中央に、すっと細く筋が入る。
反対側までくるりと剥いて、ロックは中央で分断されたフィルムを両側から引っ張った。
フィルムの隙間に挟まっていた海苔が中のごはんにくっついて、フィルムだけが取り外される。
これで出来上がりだ。
「はい」
「……今、何やった?」
おにぎりを手渡すと、レヴィが狐につままれたような顔でロックの手の中を見ていた。
「海苔が湿気らないように、こうしてフィルムで包まれてるんだよ」
「へぇ……。日本人ってのは、無駄に細けェな」
褒めてるんだか貶してるんだか分からない感想を述べ、
レヴィはロックの渡したおにぎりの頂点を囓り取った。
ぱり、と海苔の乾いた音がする。
「大丈夫だろ?」
レヴィは神妙な顔つきでもぐもぐと口を動かしながら、ロックの言葉に首をかしげた。
「なんか口ん中にくっつく」
細かくなった海苔が口の中に張りつくのだろう、レヴィは戸惑ったような表情を浮かべていたが、
一口、もう一口と食べ進んでいるのを見て、ロックは安心した。
- 506 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 22:09:22.99 ID:EOV8lE5N
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自分も食べようと、新たにおにぎりを開けようとした時だった。
おにぎりを囓ったレヴィが、突然びくっと飛び上がった。
「どうした、レヴィ?」
レヴィは口の中のものをどうしたものかと眉をひそめて、手元のおにぎりとロックの顔とを交互に見た。
口の中でもごもごとこもる声は、どうやらロックを非難しているらしい。
「あー……」
ロックはレヴィのおにぎりの中の具を見て、理解した。
ちゃんとパッケージを確認しないで渡したのがいけなかった。
「酸っぺぇ!」
ようやく口の中のものを飲み下したレヴィが、半分涙目で叫んだ。
「ごめん……」
「何だこりゃ!」
ロックはため息をついた。
「梅干しだよ」
おにぎりすら食べたことのない人間に、いきなり梅干しはまずかったか。
「大丈夫、毒じゃないし、腐ってもいない。
それは梅の実を紫蘇と一緒につけ込んだもので、おにぎりの定番──」
「知るか!」
そんな解説などどうでもいいと怒り心頭なレヴィに自分のたらこおにぎりを渡してやり、
梅干しの方はロックが片づけることにして、なんとかその場は収まった。
レヴィが駄目だったのは梅干しくらいのもので、おにぎり自体は気に入ったらしい、
その後買ってきた鮭やおかか、昆布、いくらなどは全部綺麗に食べた。
「一体何種類あんだ、ロック?」
食べるたびに違う具の出てくるおにぎりを、レヴィは半分呆れたような顔で見ていた。
いつもピザばかり食べているので偏食なのかと思いきや、意外と何にでも興味を示す。
「これ何だ、ロック?」
「ああ、ワカメ、海草だよ」
「ふーん」
アメリカ育ちにしては器用に箸を使い、インスタントのカップみそ汁の具をつまみ上げる。
なめこ汁を渡せば箸で掴めないと悪戦苦闘し、
クラムチャウダーを買ってくれば、一体「コンビニ」には何種類売ってるんだと驚く。
愛国心など持ち合わせてはいないが、そうやって感心されるのはまんざらでもない。
ロックは、これを口にしたらレヴィは一体どんな顔をするだろうと考えながら商品を手に取った。
- 507 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 22:11:29.88 ID:EOV8lE5N
-
「レヴィ、みかん食べよう」
コンビニでは果物も売っている。
冬といえばみかん。
しばらく口にしていなかった温州みかんが目に入り、ロックは懐かしくなってそれを買った。
「──オレンジか?」
レヴィは掌にすっぽり収まる丸い果物を取って、ふんふんと匂いを嗅いだ。
「ちょっと違う。似てるけどね」
ロックは自分もひとつ取って、皮に爪を立てた。
「手で剥けるんだ。ほら、こうやって──」
みかんの中央に親指を立て、そこから適当な幅で外側に剥く。
レヴィはロックの手元を覗き込んで、見よう見まねで手を動かしている。
ロックはすいすいと剥いて、皮はあっという間に花型に広がったが、
レヴィの手元では皮がぶちぶちと細切れになっていた。
「下手だなぁ」
懸命に剥いている姿がおかしくてロックが笑うと、レヴィはむっとしたような視線を寄越してきた。
「いい気になんなよ、ロック」
しかし、ロックの方を見たのは一瞬、すぐに手元に目を戻した。
「こんなの剥けりゃいいんだよ」
ぶつくさ言いながら皮を剥く。
花型にこだわらなければ、みかんの皮は簡単に剥ける。
そのみかんの味は、レヴィのお気に召したようだった。
「うめぇな」
小さな房をひとつづつ外して、口の中に入れる。
「だろ?」
ロックも橙色が薄皮の下に透ける房をひとつ口に入れた。
やわらかい房を噛むと、懐かしい味がした。
ひんやりと甘酸っぱい汁が広がり、小さな粒は歯に触れると次々と水分に変わる。
ああ、本当に懐かしい──、そう思ったところで、ふと、雪緒の顔がかすめた。
彼女はもうこれを食べることもできない。
それを考えた次の瞬間、頭がすうっと冷えた。
──違う。
「彼女は」、じゃない。
ロックも、だ。
ロックも、これが食べ収めだ。
このみかんも、大量生産のおにぎりも、湯気のたつみそ汁も。
きっとこれが最後だ。
もう、この先は、きっと──。
急に、足場を外されたような感覚に襲われた。
立っていた場所が崩れ、──いや、立っていたと思っていたことこそが幻覚だったような、そんな感覚。
ゆらりと体が傾いだ気がした。
- 508 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 22:13:30.51 ID:EOV8lE5N
-
「──どうした?」
その時、声がした。
はっと我に返ると、レヴィがみかんを手にしてロックを見ていた。
「どうした、ロック?」
「……何でもないよ」
ロックは笑顔を作って返した。
唇がぎこちなく歪んだ気がしたが、体の揺れはもう感じなかった。
レヴィは少しの間ロックを見ていたが、変な奴、とまたすぐにみかんを口に運んだ。
指先で取り分けられた小さな房は、次々とレヴィの唇の中に消えてゆく。
黙々とみかんを食べるレヴィを見ていると、ロックの気分は次第に落ち着いていった。
──レヴィと一緒でよかった。
多分、ひとりでは耐えられなかった。
「もうひとつ食べる?」
「──ん」
ロックはレヴィの存在を、心の底からありがたく思った。
- 509 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 22:15:44.27 ID:EOV8lE5N
-
ありがたいこともあれば、困ったこともある。
最も閉口したのは、夜だった。
どんなに部屋を転々としようが、ラブホテルのベッドは例外なくダブルベッドだ。
必然的に、夜寝る時はレヴィと同じベッドで眠ることとなる。
体を重ねたことがあるとはいえ、怪我をしているレヴィに無理強いしない程度の理性は持ち合わせている。
しかしそれでも、困ったことはあったのだ。
レヴィは寒いのが苦手らしい。
日本に着いたばかりの時から寒い寒いと首をすくめていたが、眠っている間ですら、それは窺い知れた。
ふと気がつくと、レヴィが掛け布団の中にもぐって眠っていることがよくあった。
寝ている間に寒くなったのだろう、顔まで掛け布団の中にすっぽりと入っている。
掛け布団の端からは、頭のてっぺんと長い髪が覗くだけだ。
──そんなに寒いか?
確かに部屋の空気は冷えていたが、顔まで掛け布団で覆っていては息苦しいだろう。
暖房を強くしようかとも思ったが、あまり暑くしすぎては寝苦しいし、空気も乾燥する。
掛け布団の中にもぐっていても平気で眠っているのだから、これはこれで構わないのだろう。
自らの眠気も手伝って、まぁいいかとロックが再度眠ろうとした時だった。
もそ、と布団が動いたかと思うと、レヴィの形をしたふくらみがロックの方へ寄ってきた。
──うわ。
慌てて背中を向けたが、レヴィの気配はじりじりと寄ってきて、ぴたりとロックの背中にくっついた。
温かいもの見つけた、と言わんばかりの様子で、ロックの背中に身を寄せる。
うなじのすぐ下に当たっているのは額だろうか、レヴィの寝息が薄い生地一枚通して染みてくる。
レヴィが呼吸をするたびに温かい息が肌に広がった。
背中に当たっているのは腕だろう、肘を折り曲げてくっついている。
丈の短い寝巻きから出た脚にも、レヴィの脚が後ろから押し当てられていた。
自分の脛と比べると妙にすべすべした感触に、そっと脚をずらして間隔を置こうと試みるが、
熱源逃がすまじと、すぐに追ってきた。
軽く折り曲げた膝の後ろにぴったりとはまり込むような形で重なり合う。
──勘弁してくれ!
ロックは悲鳴を上げたくなった。
猫じゃあるまいし、人間には団子になって眠るような習性はなかったはずだが、一体これはどういうことだ。
こんな風にくっつかれると、体がレヴィを思い出す。
数日前、たった一度だけとはいえ、その感触はしっかりと細胞ひとつひとつにまで刻み込まれていた。
ただでさえ疲れて性欲の強まっている体は、頭の静止も聞かずにレヴィの体の感触を蘇らせる。
- 510 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 22:18:49.41 ID:EOV8lE5N
-
レヴィの体は温かく、そしてやわらかかった。
よく鍛えられて全身が引き締まっているというのに、肌に触れると表面は奇妙にふわりとした感触を伝えてきた。
まるい乳房は掌からこぼれそうで、内側から張りつめたようなふくらみがロックの指を沈ませる。
つんと尖った先端に唇を寄せると、唇から息が漏れる。
脇腹に手を滑らせると、逃げるように体がうねる。
撫でられることにすら戸惑い、自分が戸惑ったことに対して更に困惑するレヴィをなだめるように、
ロックは全身をなぞった。
髪に指を差し入れ、首筋を撫で下ろし、肩口を包み込む。
乳房の曲線を掌の中に収め、腰の曲線をたどり、太ももの外側から内側へと手を滑らせる。
やわらかい襞の間に指を割り込ませ、とろかし、そのまま奥に沈める。
レヴィの体内は一段とやわらかく、そして熱かった。
体を割ってなかに分け入ると、きゅうっと温かい肉に締めつけられた。
ぞくぞくと快楽が背筋を駆け上がる。
思わず眉を寄せると、わずかに体を反らせたレヴィも眉間に皺を寄せていた。
苦痛を思わせる表情とこわばった体に、頭の片隅が待ったをかけようとしたが、駄目だった。
温かく濡れた肉は陰茎をぴったりと包み込み、ひくりと小さく震える。
じわりと境界が熱く滲む。
レヴィの肌も熱を持ち、至近距離で向かい合った顔の間で息が温かく混ざる。
我慢できずに腰を揺らすと、レヴィが瞬間的に目を瞑った。
一瞬呼吸が止まり、それから湿った吐息がロックの首を撫でる。
なめらかな内側は、そこだけ別の生き物のように陰茎を締め上げる。
たまらず、奥へ、更に奥へ腰をねじ込むと、レヴィの腰がくねりと動いて、喉の奥が小さく鳴った。
あとはもう、止められなかった。
こわばった体を口づけで開かせ、深く身を沈める。
やわらかな体内に、ずぶりとうずめるように腰を進めると、口腔内でレヴィの声が小さく響いた。
ロックの体の下でレヴィの胸が震える。
引き離そうとする唇をそうはさせず、舌を絡め取る。
こめかみから髪に指を差し込んでレヴィの頭をとらえ、枕に固定する。
親指のつけ根の盛り上がった部分は、レヴィのこめかみの少しくぼんだ曲線にぴったりとはまり込んだ。
レヴィの体をベッドに沈み込ませてしまうように押しつけ、全身の粘膜を絡め合わせると、
声もなく、頬にかかる息が震えた。
ようやく唇を離すと、どちらの息も上がっていた。
レヴィを両腕で囲い込み、それでも腰は止められずに何度も上下させると、
レヴィはそのたびに、ロックの腰の動きに合わせて胸の奥から湿った息を吐き出した。
深く穿つと首が反る。
ロックはその首筋に唇を寄せた。
耳のそばでレヴィの息が揺れるのを感じながら、体を揺らす。
首筋、まるで出っぱったところのない喉、浮き上がった鎖骨、順々と唇でついばむ。
やわらかくふくらむ乳房をたどり、頂点で尖っている突起を唇で吸い上げると、レヴィの全身が硬直した。
きつく締まった内側に、快楽が一気に膨張するのを感じ、ロックはほとんどこらえるような心地で息を詰めた。
レヴィの手はシーツの上で硬く硬く握りしめられていた。
その小石のように固まった手を、ロックは取った。
包み込んで、内側にきつく握り込まれている指をこじ開ける。
指先をねじ込むようにしてばらけさせ、ひきつるレヴィの指に自分の指を絡める。
戸惑って逃げようとする手を説き伏せるように、ロックはレヴィの手を握った。
体は止まらなかった。
ロックを閉め出すかのように締まるレヴィのなかに割り込み、熱い襞をかき分ける。
往復させるごとになめらかに溶けてゆく内側を、深く浅く、かき乱す。
ぬるりと絡みつく感触が、更に腰を加速させる。
とろけた粘膜は陰毛をも濡らし、ふいにくちゅりと漏れる音に、たまらなくなる。
やわらかい内側の、奥の奥まで突き上げると、レヴィの喉から声がこぼれた。
これまで一度も聞いたことのない、高く震えた声だった。
吐息と混ざってロックの耳をくすぐる。
痛みをこらえるかのような声は、何より激しくロックを駆り立てた。
- 511 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/10(日) 22:21:47.89 ID:EOV8lE5N
-
──なに想像してんだ!
ロックは慌てて妄想を振り払った。
勘弁してくれと言いながら思い出してどうする。
今やるべきことは気を逸らせることだ。
雑念を振り払うことだ。
背中はレヴィの体温で温かい。
今にも振り返ってレヴィのくびれた腰に手をまわしてしまいたい衝動に駆られるが、
手をまわすだけで踏み留まっていられる自信はまったくない。
駄目だ。手を伸ばしたら最後だ。
ロックは必死で自分を押し留めた。
ここは素数の出番だろうか。それともダウ平均株価? ナスダック指数?
──とにかく、今ここで組み敷いたら、レヴィとの信頼関係が崩れる。
交わった時、レヴィは何をされるのだろうという張りつめた緊張感をみなぎらせて身構えていた。
まるで一度も撫でられたことがない動物のようだった。
人の手は凶器。そう思っているかのような。
それで分かった。
レヴィはずっと、虐げられる側にいたのだ。
ロックはようやく一歩踏み込んだばかりだ。
レヴィとの信頼関係はまだ、明け方にはった湖の氷のように薄く危うい。
──考えるな、考えるな。
そう、この背中にはりついている生き物をレヴィだと思うからいけないのだ。
何かこう、でっかい犬か猫だとでも思えばよいのだ。
ロックは想像力を総動員する。
──犬か猫だ、犬か猫。
しかし、背中に押し当てられる頬はやわらかく、ふくらはぎにくっつく脚はすべすべとした女の肌触りだ。
最初はロックよりもひんやりしていた肌が、段々と温まってくる。
触れているところからはもちろん、掛け布団からもシーツからも、レヴィの寝息のリズムが伝わってきた。
ふたりの体の隙間で温まった空気が、レヴィの肌をほんのりと匂いたたせる。
その女の肌の匂いは、ロックの首筋で靄のように漂った。
ロックは大きくため息をついた。
これが狸寝入りで、意識して甘えてきているとか、誘ってきているとかだったならばまだよかったのに。
だが、レヴィは背中にひっついたっきり完全に脱力しており、呼吸は寝息以外の何者でもない。
まるっきり、ロックを湯たんぽとしか認識していない。
──いや、湯たんぽという認識すらしていないだろう。
無意識に掛け布団の中にもぐり込むのと同じように、寒いから温かいところを求めた、ただそれだけだ。
これ以上端に寄ればベッドから落ちそうだし、まだ起き出すような時間でもない。
それに、押しのけてしまうにはあまりにも、レヴィの体は温かすぎる。
ロックは悶々と夜を過ごした。
- 521 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/12(火) 21:42:58.70 ID:SVbOOUkF
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* * *
「あれはほんとまいったよ。何の耐久レースかと思った」
ロックが嘆くと、レヴィは不機嫌そうに視線を逸らした。
「……んなことした覚えねぇよ」
「そりゃレヴィは寝てたんだから覚えてないだろうけどさ」
ロックはグラスに残っていたバカルディを全部飲み干した。
「その前の部屋も当然のように一緒にされたし、ほんとにもう、勘弁してほしかったよ……」
「──ンだよ、嫌だったのかよ」
顔を覆ったロックの耳に、レヴィのいささかむっとした声が届いた。
「違うよ、そうじゃない。そうじゃなくて、俺の理性を誰か褒めてほしい、って話さ」
* * *
ホテル・モスクワのボス、バラライカの通訳として同行していたロックの部屋は、
当然ながらホテル・モスクワ側が用意してくれた。
「はい、これ、あなたたちの部屋よ」
ホテルのフロントで、バラライカは綺麗にマニキュアが塗られた手でキーをロックに差し出した。
「あ、ありがとうございま──」
キーを受け取って礼を言いかけたロックは、一瞬遅れて固まった。
あなた「たち」という言葉。
そして、手渡されたキーはひとつだけ。
「バラライカさん!」
ロックは、ハイヒールを履いた脚でゆうゆうと立ち去ろうとしていたバラライカを呼び止めた。
高い位置でひとつに結い上げたプラチナブロンドの流れる背中が、ぴたりと止まる。
「あら、何かしら?」
そのプラチナブロンドをふわりと揺らして振り返ったバラライカに、ロックは訴えた。
「俺『たち』って、この部屋──」
レヴィと一緒ということか?
一応レヴィは妙齢の女で、ロックは男、そういうことになっているはずなのだが、
バラライカはそのあたりを失念してはいないだろうか?
追いすがると、バラライカはロックの手の中にあるキーを見て、「ああ」と言った。
「ごめんなさいね」
顔の右半分を覆う火傷の痕さえなければ有能なキャリアウーマンに見えなくもない美貌が、
にっこりと笑顔に変わった。
「その部屋のベッド、ダブルじゃないの」
慌てて真意を説明しても、バラライカの返答はすげなかった。
曰く、我々が雇ったのはロックだけで、レヴィは契約の範囲外だ。
本来ならば自分で部屋を取れと言うところだが、融通してダブルの部屋を取ってやった。
これ以上文句があるなら、自分で部屋を調達しろ。
まったくもってごもっともな言い分に、ロックは黙るしかなかった。
レヴィは何と言うだろうと思ったが、「ま、仕方ねェな」と肩をすくめるだけで、あっさり部屋へ向かって行った。
──俺、男として見られてない?
あまりに淡泊なレヴィの反応に、
何だかひとりでおたおたしていたのが馬鹿らしくなってロックは肩を落とした。
- 522 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/12(火) 21:45:00.08 ID:SVbOOUkF
-
部屋に入ってしまうと、外の音が遮断されて急に静かになる。
空気も沈殿したように動かない。
スタンドの載った小さな台を挟んでベッドが二台並べて置かれ、あとは書き物机が一台と、
小さなテーブルを真ん中にして一人掛けの肘掛け椅子が向かい合ったソファーセット。
窓にはカーテンが掛けられ、こぢんまりと落ち着いた部屋だが、
その明らかにプライベートな空間が逆に緊張感を煽る。
妙に居心地悪く感じるロックに対し、レヴィは腹立たしいほどに自然体だった。
「あー、疲れた」
レヴィは荷物を部屋の隅に置いて上着を脱ぐなり、勢いよくベッドに倒れ込んだ。
うつぶせになった体が、ぼすっとベッドの上で小さくはずむ。
寝転がったまま履いていたブーツを脱ぎ、ぽいぽいと床の上に放る。
はー、と息をついて脱力するレヴィは、ロックのことなどまるで眼中にないのだろう、
短いプリーツスカートの裾が乱れているのも気にしない様子だ。
「レヴィ、先に風呂いいよ」
放っておいたらそのまま寝てしまいそうなレヴィに、ロックは声をかけた。
「ああ」
レヴィは思い出したように起き上がって、バスルームへと向かった。
「パジャマ持ってきてる?」
思いたって訊くと、案の定、「いや」という答えが返ってきた。
ロックは備えつけの引き出しから寝巻き用の浴衣を取り出し、バスルームへ持っていった。
「これ、着るといいよ」
もうあとは寝るだけだ。
ロックは浴衣をレヴィに手渡した。
「お、どうも」
レヴィが受け取り、ドアが閉まる。
呼ばれたのは、シャワーの音がやんで、ほどなくした時だった。
「ロック」
バスルームのドアが開いて、レヴィがその隙間から首を出す。
「何?」
ロックが腰を上げて近づくと、レヴィはその隙間から出て来た。
「これ、どうやって着んだ?」
「……あー」
- 523 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/12(火) 21:47:01.05 ID:SVbOOUkF
-
レヴィは浴衣の前を中途半端にかき合わせた状態で、困ったように立っていた。
そうだった、レヴィが浴衣の着方なんか知ってるはずがなかった。
ロックは今更ながら失敗したと思った。
「こう……、衿を合わせてから帯で巻くんだ」
ロックの説明に、レヴィは首をかしげる。
「オビ?」
「紐みたいなやつだよ。一緒に渡しただろ?」
それでもまだよく分からない顔をしているレヴィの横から、ロックはバスルームに入った。
中は湿った蒸気が充満し、レヴィの使ったボディソープだかシャンプーだかの匂いが漂っていた。
バスルーム内を見まわすと、洗面台の隅に小さく折りたたんで束ねられた帯が転がっている。
「これだよ」
ロックはその帯をほどいて長く広げた。
「これで結んで留めるんだ」
どうせレヴィに渡しても結べないだろう。
ロックは結んでやろうとほどいた帯を両手に持ったが、レヴィの衿の合わせ方が気になった。
「レヴィ、その衿逆だ。それじゃ死人だよ」
「──死人?」
「死んだ人に着せる着物と、生きてる人が着る着物の衿の合わせ方は違うんだ」
説明すると、レヴィは突然浴衣の前をがばっと開いた。
「──こうか?」
「うわちょっとレヴィ!」
こんな目の前でいきなり開かれるとは思わず、ロックはぎょっとした。
浴衣の下には下着をつけていて、ああ、下着つけてるのかと、
若干安心感のような拍子抜け感のような、複雑な感情がまとめて去来したが、そういう問題ではない。
下着姿を平気でご開帳するだけで充分問題だ。
しかし、レヴィはロックの狼狽を、合わせ直した衿に関することだと思ったらしい。
「何だ、違うのかよ」
せっかく直した衿を開いて、また逆に合わせた。
「いや、違うって!」
それではまた死人だ。
「こっちか?」
「いや、さっきのでいいんだよ!」
「さっきってどっちだよ!」
レヴィの手は、前を閉じたり開けたり、ばさばさと忙しく動く。
「ああもう、それでいいから!」
「それって何だ! 訳分かんねぇ!」
「今の! 今のだよ!」
「今って?」
「違う! それじゃない!」
「だからそれって何だよ!」
「あ、それ!」
「これか?」
「ああ駄目だ、それじゃまた左前だよ!」
「左前? ちゃんと右が前になってんじゃねえか!」
「いや、俺から見て左のことだよ! レヴィから見たら右だ!」
「は!? 意味分かんねェよ! 右なのか左なのかはっきりしろ!」
──駄目だ。
- 524 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/12(火) 21:49:05.72 ID:SVbOOUkF
-
「待って」
もう口では説明できない。
ロックは、ぎりぎりと浴衣の端を握りしめるレヴィの手を止めた。
「持ってて」
手にしていた帯をレヴィに渡し、そして、空いた両手を浴衣の衿に伸ばす。
「貸して」
ロックは、レヴィの浴衣の衿に手をかけた。
ずれていた浴衣の肩の線を直し、首元を整える。
逆になっていた衿を開いてぴんと生地を伸ばし、下前をレヴィの左脇にたくし込む。
飾り気のない白い下着や、すっと縦に筋の通った腹が目に入り、
湯上がりのぬくみを手に感じたが、極力意識しないことにする。
「こうだよ」
下前の上から上前を重ね、片手で衿先を押さえる。
「ここ、押さえてて」
静かになったレヴィに、合わせがはだけないよう衿先を押さえていてもらい、ロックは持たせていた帯を受け取った。
片手に持った帯を脇から差し入れ、逆の脇からも空いた手を差し入れる。
首もとにレヴィの息がかかるのを感じながら、腰の裏で帯を空いた手に渡して、前にまわす。
ウエストでぐるりと二回まわし、きゅっと結ぶ。
レヴィはおとなしくロックの手元を見ている。
湯上がりの匂いが立ちこめ、長い髪からぽたりと落ちた水滴が浴衣を濡らした。
「──できたよ」
帯の端を蝶結びにして、ロックは一歩下がった。
紺と白という配色や柄はともかく、浴衣自体は意外とレヴィに似合っていた。
東洋系の血が混じった顔立ちは、日本人と言われても違和感がない。
剣呑な警戒心が消えると、レヴィは急に童顔になる。
シャワーを浴びたばかりでつるんと血色のよくなった頬も手伝って、浴衣は妙にしっくりと馴染んでいた。
「サンキュ」
レヴィは、これでいいのだろうかといった風にあちこち眺めまわしていたが、
短い礼を返したかと思うと、さっさとベッドにもぐり込んだ。
とにかく、一事が万事、その調子だったのだ。
「おやすみ」と挨拶して明かりを消した後、
うす暗い中でレヴィの気配や衣擦れの音が気になるロックの隣で、早々に寝始める。
朝になるとお約束のように寝乱れた浴衣でぼんやりとベッドの上に座っていたかと思うと、
ロックの目の前でおもむろに着替え始める。
「男として見られていない」どころか、むしろ空気だ。
変に意識されても気詰まりだが、これはこれでうら悲しい。
ロックは何度もこっそりとため息をついた。
- 525 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/12(火) 21:51:43.43 ID:SVbOOUkF
-
* * *
「ほんと、男と思われてないと思ったよ」
ロックはベッドに腰かけて片手をつき、レヴィの方へ体を傾けた。
ぎし、と手の下でベッドが鳴った。
「ふん、あたしはこいつホモなんじゃねェかと思ったぜ」
レヴィはベッドの上で脚を前に投げ出し、後ろに手をついてグラスを煽った。
グラスに残っていたバカルディが空になる。
「……へぇ?」
ロックはそのグラスを奪い、手を伸ばして枕元のデスクに置いた。
前屈みになったロックの体に押されるようにして、レヴィが仰向けに倒れる。
片肘で支えるだけとなったレヴィの体の脇に手をついて、ロックは見下ろした。
「待ってたの?」
言うと、レヴィの顔が盛大にしかめられた。
「──待ってねェよ」
「ふぅん?」
ロックはほんのりと目元を赤くしたレヴィに顔を寄せた。
レヴィはわずかに体を後ろに引いたが、段々と体の熱は寄っていった。
体温が近づき、息が混ざる。
レヴィの体に覆いかぶさるように片肘をついた時、互いの唇が重なった。
レヴィが肘で自分の体を支えていたのは、少しの間のことだった。
ロックが口づけを深くすると、ゆっくりとレヴィの体は後ろにくずれていった。
その頭が枕にうずまるまで、ロックは唇で押し込んだ。
レヴィの舌からはバカルディの味がした。
ロックの口内に留まっていたものよりもはっきりと、甘く濃い酒の味が残っていた。
バカルディの残り香が、ふたりの舌の間に絡まって甘く香る。
「……理性はどうした」
ほんの少しだけ離した唇の隙間で、レヴィがささやく。
「もう品切れだ」
ロックはもう一度深く口づけた。
今度はレヴィの腕が首にまわってきた。
合わせた胸の下で、レヴィの乳房はやわらかくつぶれた。
口づけは会話のように互いの唇を行き交い、バカルディの香りをした唾液が混じった。
束の間の息継ぎをし、水の中へもぐるようにまた口づける。
舌をすくい上げ、絡ませ、誘い出し、吸う。
レヴィの体はロックの体の下で波うち、腕はなおも深く絡みつく。
酒でほんのりと溶けていた体は急速に熱を持った。
タンクトップに突っ込んで胸をまさぐった手でそのまま布をたくしあげ、脱がせる。
ボタンを外されたワイシャツを脱ぎ捨てる。
レヴィの腰に巻きついている幅の広いベルトを外し、デニムのホットパンツに手をかける。
ロックに協力するように浮かされたレヴィの腰からホットパンツを引き下ろす。
膝を折った脚からホットパンツを引き抜く時、脛の傷痕が目に入った。
ロックは自らのスラックスを脱ぎ捨て、レヴィの膝を開いた掌で、傷痕を撫でた。
- 526 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/12(火) 21:53:44.14 ID:SVbOOUkF
-
「……ごめん」
詫び言は自然に口をついていた。
ロックはレヴィの脚の間に体を割り込ませ、脚にあった手を滑らせた。
脛、膝、腿、腰を通って脇腹へ。
「何がだよ」
レヴィの体は、脚だけでなく、脇腹も二の腕も肩口も、傷痕だらけだった。
肌の上には、いくつも引き攣れた傷痕が残っていた。
レヴィは何度も傷を負い、何度もそれに耐えてきたのだ。
なのにまた──。
「俺の我が儘で、怪我させた」
ロックは肘でレヴィを囲い、見下ろした。
「ごめん」
レヴィは、じっとロックを見上げていた。
「謝んじゃねぇよ」
まばたきをひとつしてから、言葉を継ぐ。
「もう慣れてる」
「そんな──」
そんなの慣れることじゃない。怪我をすれば、誰だって同じように痛い。
しかし、レヴィはロックの言葉を遮った。
「あんたのためじゃない。あたしが決めたことだ。あたしがあのデカブツと、手合わせしてみたかった」
ガンマンの性さ、そう言ってレヴィはひっそりと笑う。
「でも」
「……あんたが引け目を感じる必要はない」
レヴィの右手が伸びてきて、ロックの頬を包んだ。
「──罪悪感なのか?」
「え?」
レヴィの言っていることがよく分からず、ロックは問い返した。
「罪滅ぼしのつもりなら、──いつだってやめていいんだ」
レヴィはさみしそうに笑って、手を離した。
「──違うよ」
ロックはレヴィの言っていることにようやく気づいたが、言葉が続かなかった。
「違う」
「嘘つけ」
レヴィはまた静かに笑った。
「あんたの頭の中にいるのは、あのスクールガールだろ?」
- 527 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/12(火) 21:55:44.70 ID:SVbOOUkF
-
ロックは息を飲んだ。
その時はじめて気がついた。
レヴィの、さみしさに。
未だにロックはレヴィのことを分かってなどいなかった。
それを、嫌というほど気づかされた。
レヴィはずっと、さみしかったのだ。
強い女だと思っていた。
誰よりも強く、誰の力も必要としない。
屍の山を築き、その上で不敵に笑っている女。
でも、強さとさみしさは別のところにある。
言葉も習慣も、何もかもがレヴィの生きてきた世界とは違う日本で、本当に心細かったのはどちらだろう。
ロックは自分の無力と喪失感に手一杯で、レヴィのさみしさに気づけなかった。
レヴィはいつもそこにいてくれると甘え──。
「──ごめん、レヴィ」
ロックはうなだれた。
「いいんだ、ロック」
レヴィの手が肩に触れる。
「違うレヴィ、そうじゃない──」
「いいさ、ロック。分かってる」
レヴィの手は穏やかに肩を撫でる。
「そうじゃないんだ、レヴィ。俺の場所はここだよ」
顔を上げて目を見ると、レヴィは小さく頷いた。
「俺の場所はここだ。未練も迷いもない」
レヴィはただ頷くはかりだ。
「本当だ、レヴィ」
「分かってる」
頷きながら、レヴィは静かに言った。
「──本当に?」
「分かってる」
「本当に分かってるのか?」
「分かってるさ」
──そんな顔で笑うな。
ロックの言葉を囲い込むようにレヴィの腕が伸びてきて、絡みついた。
ぐいと引き寄せられ、唇が重なる。
レヴィの唇は、温かく湿っていた。
「──もう、忘れちまえよ」
紙一枚離された距離で、レヴィが低く言う。
ロックの返答は許されず、また唇はふさがれる。
やわらかく唇を割ってくるレヴィの舌に、理性が溶かされてゆく。
レヴィの舌に誘われるように自ら舌を絡めると、熱くやわらかい粘膜の感触に体が疼いた。
- 528 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/12(火) 21:57:58.69 ID:SVbOOUkF
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「レヴィ」
背中ではレヴィの手が這いまわる。
「黙れよ」
抱き寄せられ、ふくらはぎにレヴィの脚が絡む。
「もう黙れ」
トランクスの中にレヴィの手がもぐり込んできて、根本からゆっくりと撫で上げられた。
「──」
既に硬くなっていた陰茎に指が絡みつき、ロックは思わず息を飲んだ。
レヴィの指は、舐めるように這いのぼった。
裏側を通って、先端を刺激する。
掌でやわやわと包み、指先でつつく。
くぼんでいる部分を指の腹でなぞり、快楽を剥き出しにするかのようにこねまわす。
あやすように撫でていたかと思うと、きゅうっと掌の圧力を強める。
ふいに先端から離れた手は、張りつめている根本へ移動した。
五本の指全部を絡ませ、そして、しごき上げる。
じらすように先端には触れず、刺激のほしい一歩手前のところでまた戻る。
戻って、絞り上げるように先端へ向かい、また根本へ。
往復する速度は段々と速まるのに、先端には触れない。
はちきれそうに血液が集中して反りかえる陰茎をたしなめるように、レヴィは手の圧力を強めた。
──ああ、もっと……。
思わず息が乱れて、催促するように腰が動く。
レヴィは、そうやってぎりぎりのところを何度も往復させた末、ようやく先端に指を絡めた。
早くも滲み出していた体液をなじませるようにこね、誘い出すように指の腹で圧迫する。
ロックの体液でぬめった指が、ずるりと根本に向かって滑った。
否応なく性欲がふくらんだ。
ロックは我慢できずに、レヴィの乳房へ手を伸ばした。
豊かなふくらみをすくい上げ、揺らし、顔をうずめる。
ほんのり汗ばんだ肌が、やわらかくこめかみを押した。
- 529 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/12(火) 22:00:09.93 ID:SVbOOUkF
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「レヴィ」
ロックはトランクスの中のレヴィの手を引き抜いた。
「罪滅ぼしなんかじゃない」
言って、首筋に口づける。
レヴィの手首を掴んでベッドに押しつけ、今度は自分の指をレヴィの下着に這わせた。
「──ん、ぁ」
ちょうど敏感な部分を指の腹で撫でると、レヴィの体がぴくりと跳ねた。
布の上からくるくるとさすり、それから奥の方へ滑らせると、じわりと温かい体液が染みてきた。
指で探ると、またたく間に下着はほとびてゆく。
「レヴィ」
布の下でとろりとした体液が広がるのを感じながら、ロックはレヴィに口づけた。
唇を合わせ、舌を絡め取る。
指先はいよいよ熱く濡れ、布はたっぷりと体液を吸って、ぬるぬると滑った。
「レヴィ」
ロックは唇を離して、今度は耳のそばに口づけた。
ぬめる布の下で、レヴィの腰がむずかるようにゆらめいた。
片手はレヴィの手首を離さず、もう一方の手を下着の中にもぐらせる。
ほんの少し襞を割っただけで、指はその隙間にするりと滑り落ちていった。
「レヴィ」
指先は一気に暖かく濡れた粘膜に包み込まれる。
吸い込まれるように奥へ進めると、くぼみには温かい体液があふれていた。
ロックはそこに指をひたし、襞の間をさかのぼった。
薄い襞が指で押しのけられて、くにゃりとたわむのを感じながら、先端へ。
濡れた指先で小さくふくらんでいる突起をこね、また戻る。
それから中指を立てて根本までうずめると、レヴィの体がきゅっと締まった。
「レヴィ」
ロックは何を言ったらいいのかも分からず、ただレヴィの名だけを繰り返した。
苦しくなるほど、彼女を求めていた。
「レヴィ」
指をわずかに上下させながら、ロックはレヴィに口づけた。
指まで溶けてなくなってしまいそうに熱い内側をかき混ぜる。
「──ん」
つながった口の中で声がこもった。
くちゅ、とロックの中指が音をたてる。
中指の側面が、レヴィの粘膜とこすれ合うのを感じる。
きつく閉じそうになるレヴィの膝を脚で阻止して、ロックは根本まで指を挿し込んだ。
そこから先は、下着を脱ぎ捨てるのさえもどかしかった。
ロックは開いたレヴィの体に深く腰を沈めた。
「ん、…………あぁ」
レヴィは体の奥底からあふれるようなため息をついた。
体を寄せると、背中に腕が絡みつく。
レヴィの体のなかは、眩暈がするほど温かい。
わずかに腰を浮かせてからまた奥まで穿つと、レヴィの膝が震えた。
- 530 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/12(火) 22:02:16.89 ID:SVbOOUkF
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ロックの体の上下に合わせて、レヴィは呼吸をした。
腰の動きも、口づけのタイミングも、息継ぎの頃合いも、全部分かっているかのように応えて、体を揺らした。
ロックが体を押し込むと、一瞬息がとまって背中がゆらめく。
奥まで到達してぴったり重なり合うと、胸の奥にたまった空気が吐息となって漂う。
レヴィの腰はやわらかくくねり、ロックを誘い込む。
もう最近では、最初の頃のような緊張やこわばりは全く感じられなかった。
ロックの手は撫でるものや包み込むものとして受け入れられ、所在なげだった手はすんなりとロックの体にまわる。
少しずつ、少しずつ、距離を詰めてきた。
交わっていると、レヴィの内側に触れた気がした。
大事なことは何も言わない彼女の、声にならない胸の内が伝わってくる気がした。
体が溶け混ざって、同じものになったのではないかという気さえした。
けれど実際は、何も分かってなどいなかったのだろう。
肌を合わせ、指を絡め合い、同じ快楽の海に漂いながら、レヴィは何を思っていたのだろう。
「届く訳ゃねえ」と、あの冬の公園で言った時のような顔で、今更笑ってほしくなどなかった。
──レヴィ。
一体、いつになったら届くのだろう。
レヴィの隣に。
ロックは溶けたレヴィの体を何度も突き上げた。
とろけるレヴィの体液はロックの陰茎に絡みつき、外側にあふれ、
陰毛を濡らし、ロックの止まらない腰の動きを強調するかのように濡れた音を上げた。
ロックを閉め出すようにきつく締まるなかに分け入り、熱く溶けた肉を往復する。
レヴィの体は腕も脚もきつく締まってロックをとらえ、
内側はロックの陰茎にかきまわされて絶えず粘性の音をたてているというのに、いよいよ強く締めつける。
「あぁ…………っ」
ロックが深く奥まで埋め込んで揺らすと、レヴィの背中が震え、喉から声があふれ出した。
──「歩く死人」って、今こんなにも生きているのに?
言葉を発する余裕はない。
ロックは激しく体を揺らしながら、レヴィを抱きしめた。
わずかにレヴィの腰が浮いてできたシーツとの隙間に手を差し入れ、ぐいと引き寄せる。
とろけた粘膜へこすりつけるようにして激しく往復する。
レヴィの脚が、きりきりとロックを挟みつけた。
ロックは、レヴィに出逢って全てが変わった。
世界は一変して色がつき、生まれ変わったような気がした。
あの灰色の街にいた頃こそが、「死人」だったのだ。
そんなロックの前で自らを「死人」と言い、諦めたような目で笑うレヴィを見ていると、
ひりつくようなもどかしさを感じた。
──じゃあ、俺は何だ。お前に惹かれた俺は、何なんだよ。
「…………レヴィ」
絶頂に至る前、それだけ絞り出すのが精一杯だった。
レヴィの体がしなやかに反りかえって、何度も体を押しつけられるのを感じながら、ロックは達した。
- 531 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/12(火) 22:04:27.21 ID:SVbOOUkF
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* * *
明かりを消して枕に顔をうずめ、早くもレヴィがまどろみかけていた時だった。
「……ありがとう」
隣に横たわっていたロックが、突然言った。
「──え?」
閉じていた瞼を上げると、ロックがやけに改まった顔でレヴィを見ていた。
「俺につき合ってくれて、ありがとう」
「──んだよ、急に」
レヴィは笑っていなそうとしたが、ロックの方はかしこまった顔を崩さない。
「『ごめん』じゃなくて、『ありがとう』だ。ちゃんとレヴィに『ありがとう』って言ってなかった」
「やめろよ、気色悪ィな」
そんな真面目くさった雰囲気は苦手だ。
レヴィは枕に顔をうずめようとした。
だがロックは、レヴィのこめかみから髪に指を差し入れてきた。
「ちゃんと聞けよ、レヴィ。感謝してるんだ。レヴィがいてくれて、よかった」
レヴィは仕方なく顔を上げた。
「別にあんたのためじゃねえって言ったろ。ほんとに感謝してんなら、もう余計なとこに首突っ込むな」
「──ああ。でも、それとはまた別で」
ありがとう。
今度は頭を抱き寄せられて言われた。
後頭部がロックの掌に覆われ、体の熱が近づく。
暗闇の中、鼻先にロックの肌を感じた。
「……あー、もういいから」
「レヴィ」
頭の上から、ロックの声がする。
「いいっつってんだろ」
「──うん」
しばらく後頭部にあった手は、そっと離されたかと思うと、今度は腰にまわってきた。
「おやすみ」
「ああ」
そして部屋の中は静まる。
どこか遠くで罵声が上がり、何かが割れるような音が響く。
窓のすぐ下を、酔っぱらいが呂律のまわらない舌でわめきながら通り過ぎていくのが聞こえ、
それをたしなめるような娼婦らしき女の声とハイヒールの音が重なる。
何台か続けて車が通過していく音と、バイクのエンジン音。
ぬるい空気の中、いつもの喧噪が小さく浮かんでは消えてゆく。
ロックの息が寝息に変わってから、レヴィはそろそろと目を開けた。
- 532 :ロック×レヴィ 日本編・その後 ◆JU6DOSMJRE :2011/04/12(火) 22:06:29.25 ID:SVbOOUkF
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──「ありがとう」とか言うんじゃねェよ。
すぐそばにある顔を見ながら、レヴィは思う。
──「ありがとう」は、本当はあたしの方なんだ。
ロックは雪緒を忘れない。
そしていつかは、誰かに護られずとも一人で歩けるようになり、レヴィを必要としなくなる。
分かっていた。
レヴィにはそれをどうすることもできない。
──それでも。
あの雪の中、路地裏でひとり転がっていた時。
呼ばれて目を開けた、そこにロックの姿があった時。
レヴィはその時、幻を見ているのかと思った。
ひどく寒く、そしてひどく疲れていた。
そのせいで、ついに幻覚まで見えるようになったかと思った。
自分の目が信じられず、指を伸ばした。
おそるおそる伸ばした指は、何にも触れずに向こう側へ抜けるかと思った。
けれど、ぶつかった。
ロックの頬にぶつかって止まった指先は、温かかった。
それでも、半信半疑だった。
本当に戻って来たのか──? と。
信じられなかった。
どうして戻って来た。
ひとりなら逃げられたのに。
戻って来ても何のメリットもないのに。
何の役にも立たなくなった女のところへ。
……どうして。
──あの時、あたしがどんなに嬉しかったか。
ロックの穏やかな寝顔を見ながらレヴィは思う。
──あんたには、分からないだろう。
白く降り続く雪の中、ロックの腕の中は泣きたくなるくらい温かかった。
──あんたには、絶対に、分からないだろう。
了