5 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/04(土) 22:36:41 ID:wGgSLNkc


銃弾を受けたレヴィの傷は、後遺症が発生することもなく快方に向かった。
応急処置が良かったのだろうと、ロアナプラに帰ってから連れて行った医者は言った。
ワ州連合軍の連中は、拍子抜けするほど穏和だった。
つい数十年前まで首狩り族などと言われていたとは思えない穏やかさでレヴィの傷を心配し、
レヴィにワイシャツを着せてやったロックのために、新しいシャツを調達してきてくれた。
ただ、医療設備はお粗末だった。
「病院」とは名ばかりの、却って傷が悪化しそうな衛生状態の設備を見て、
ロックはたぶん初めて「ロアナプラのありがたみ」なるものを感じた。

レヴィは涼しい顔で毎日事務所に現れた。
あんなに脂汗を流して苦しんでいたというのに、
そんなことはすっかり忘れてしまったように大股で歩きまわった。
さすがに数日間は腕を吊っていたが、それもすぐに外してしまった。
黒いタンクトップの下に覗く白いガーゼだけが、まだ傷の癒えていないことを伝えていた。
ちゃんと医者には行っているのだろうか、ちゃんと一人で傷の手当てができているのだろうか、
気になったが、もうそれを訊けるような間柄ではない。
以前に比べると一度に重たいものを持つのは避けているように見えたり、
時折眉が歪められるように見えたりもしたが、何も確かめることはできないまま、日々は過ぎていった。

そんな折だった。
熟した柿のような太陽が西の水平線に姿を消した頃合い、そろそろ帰ろうとロックが事務所を出ると、
目の前に黒塗りのセダンが停車した。
「お、ロックか」
「──張さん」
曇りひとつなく黒々と光るセダンの後部座席から出てきたのは、張だった。
仕立て直したのか、それとも同じものを何枚も持っているのか、
先日レヴィのために細切れにしたコートと寸分違わぬコートを今日もはおっていた。
「これから帰りか」
「ええ」
頷くと、張は二階にある『ラグーン商会』の事務所の窓を見上げ、少し考え込むように顎に手をやった。
「何か用でしたか?」
「うん……いや、まぁ、いい。ロック、乗ってけ」
張はくるりときびすを返した。
「え?」

──「乗ってけ」? 乗ってけって、俺が?

なぜ自分が。
ロックが困惑していると、張はさっさと後部座席に乗り込んだ。
「ほら、早くしろ。帰るとこだったんだろ?」
「え、ええ……。まぁ……」
この街では愚図と無能が一番嫌われる。
ロックは訳が分からないままに張の隣に座ってドアを閉めた。


6 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/04(土) 22:37:52 ID:wGgSLNkc

「彪、出せ」
運転席にいた彪が少し顎を引くと、車は音もなくすべり出した。
ドアはぴったりと閉まり、外部の音を遮断する。
革張りのシートやドアの内張、内装のひとつひとつに至るまでがやけに上質で、
ロックはなんとなく居心地が悪かった。
「……良かったんですか。何か用があって来たんじゃなかったんですか」
黒っぽい色の入ったリアウインドウ越しに後ろを振り返って言うと、
張は、「ああ、お前でこと足りる」と、ジタンに火をつけた。

どういうことだろうと思っていると、張はコートの懐から二つの封筒を取り出した。
「ほれ、こっちはお前に」
そのうちの一つを、張は差し出してきた。
ロックは渡されるままに、素っ気ない茶封筒を受け取った。
それなりの厚みがある封筒を開けてみると、中には札が入っていた。
「これ……」
「報酬の割増分だ。今回はちょっとばかりお前とレヴィを働かせすぎたからな」
「でも、俺は何も……」
「まぁそう遠慮するな。貰えるもんは、貰える時に貰っとくもんだぞ」
「はぁ……」
そう言われても、あの時の自分の役立たずっぷりは思い出したくもない。
ロックは渋い顔で手の中の封筒を見下ろした。

「で、こっちはレヴィの分だ。治療代も入ってる。渡しといてくれ」
差し出されるままにロックはその封筒もつい受け取ってしまったが、すぐに思い直した。
「なんで俺なんですか。張さんから渡して下さいよ」
今度は逆に封筒を突き返すと、張はその封筒にちらりと目を落としてからロックを見た。
「──どうした」
黒いサングラスの奥に、不審そうな目が透けていた。
「どうせすぐに会うんだろ」
「……明日になれば、会うことは会いますけど」
「じゃあいいじゃないか。その時渡してくれ」
「……でも」
「なんだ」
「張さんから渡してもらった方がいい。俺は渡したくない」
ロックが頑なに封筒を突き出すと、張はため息をついた。
「……一体どうしたんだ。俺からの金をお前がレヴィに渡してやることの、何が駄目なんだ」

ロックの頭の中では、先日のやりとりが蘇っていた。
レヴィがロックとの関係を「嫌だった」と言った、その発端が金のやりとりだった。

黙り込んだロックを見て、張がサングラスの上の眉を八の字にした。
「……まったく、お前ら最近おかしいぞ。何があった」
ロックは目を伏せた。
だが、張の視線は額に張りついたままだ。
「……この前」
「うん?」
「この前、レヴィに金を渡したんですよ」
「ほう?」
「ラブレス家の件で、張さんにもらった。俺には多すぎるし、彼女には随分助けてもらった。
それで、半分、いや、三分の二──? よく覚えていないけれど、渡したんです」
「それで?」
「そうしたら──」
ロックは顔をしかめた。

『なんだよ、この金』

レヴィの歪んだ顔が思い出される。


7 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/04(土) 22:38:47 ID:wGgSLNkc

「すごく、怒った」
「……怒ったのか」
ロックは無言で頷いた。
「お前はなんと言って渡して、で、あいつはなんて言ったんだ」
「世話になってるから、って言って渡したら、
俺を世話したつもりはない、金で雇われたつもりもない、と」
言うと、張は呆れたとばかりに顔をロックの方へめぐらせた。
「──馬鹿だなぁ、お前。金をそのまんま渡す奴があるか。
そういう時は服なりアクセサリーなり、何か物で渡してやるのが普通だろ。
現ナマは色気なさすぎだろう、ロック」
「……でも! 怪我したところの治療費だってかかってるだろうし、
彼女の服の好みは分からないし、アクセサリーなんかつけないし、だったら好きなもの買ってもらった方が──」
「だから馬鹿だ、って言ってんだ。好きな男から貰えばなんだって嬉しいだろ」
ロックは眉をひそめた。
「彼女は俺のことなんか好きじゃないですよ」
「……なんだ。突っかかるなよ」
「別に突っかかってなんかない」
ロックはずっと隣の張の方に体を向けているのにも疲れて、背もたれに寄りかかった。

「──で?」
促されて、ロックは隣の張の方に顔を向けた。
「で、とは?」
「その続きだよ」
「──」
「続きがあるだろう?」
「……」

続き。
もちろん、ある。

『あんたのラブドールになってることか?』

レヴィの言葉は脳の奥まで突き刺さって、今も抜けずに食い込んでいる。
けれど。

「それは……」
ロックは口をつぐんだ。
「言いたくないか」
「はい」
「ふぅん?」
張は横からロックの顔を覗き込むだけで、それ以上追求してはこなかった。

「彪」
張は運転席に声をかけた。
「ちょいと寄り道だ。呑んでく」
「はい」
彪が前を向いたまま返事をしたかと思うと、車はすいと角を曲がり、ロックの下宿は遠のいた。
「え、張さ──」
話が違う。
ロックは慌てたが、張はにやりと唇の端を吊り上げた。
「お前も一緒だ。たまには男同士で呑むのも悪くないだろう?」


8 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/04(土) 22:39:48 ID:wGgSLNkc


有無を言わさず連れて行かれたのは、バーだった。
間口は狭いが、堅牢な造りのドアはどっしりしていて上質だ。
黒っぽい色をした金属製のドアには、目の高さにつや消しの金のプレートがついており、
そこに小さく店名が刻まれていた。
重々しいドアをくぐり抜けると、店内は薄暗かった。
ひんやりとした空気の中、ほのかな間接照明に照らされたカウンターが静かに浮かび上がっている。
カウンターの側で陰のように立っていたウエイターが、張の顔を見ると無言で頭を下げた。
張がほんの少し目配せをすると、ウエイターは心得ていますといった風に、すっと音もなく先導した。
ロックは、暗い店内をすべるように奥へ進んでいく張の後に、おずおずと従った。
分厚い絨毯に靴が沈み込む。
ゆったりとしたジャズが薄く流れ、かすかにグラスの触れ合う音がする。
空気は重たい水のように揺らぐだけで、ほとんど動かない。
いつも行く喧噪にまみれた『イエロー・フラッグ』とはまったく勝手が違った。

張は奥まったボックス席に腰を下ろすと、向かい側をロックに勧めた。
「まぁ座れ」
「……はい」
ここまで来てしまったのだから仕方がない。
ロックはビロードのようなつややかな布を張ったソファーに腰掛けた。

張はウエイターから渡されたメニューを開いた。
ざっと目を通して、すぐに決める。
「ヴェリー・オールド・セントニックを。ボトルで持ってきてくれ。──お前もそれでいいか?」
「はい」
張が頼んだものがなんなのかもよく分からないままにロックは頷いた。
元々そんなに酒には詳しくないし、特にこだわりがあるわけでもない。
それに、今ここで異をとなえる理由がない。
ロックはそっと腰を浮かせて、深く腰掛け直した。

ウエイターが退くと、張は深々とソファーにもたれかかり、ジタンをくわえた。
ライターをともして火をつける。
照明を落とした店内に、煙が白く立ちのぼった。
ソファーのスプリングはやわらかく、空調はちょうど良く店内を冷やしている。
すぐに銃を振り回す輩もいなければ、隙あらばと営業を仕掛けてくる娼婦もいない。
非常に落ち着いた空間のはずなのだが、非常に落ち着かない。
ロックはもぞもぞと身じろぎをし、ため息を逃がした。

ほどなくして、ロックグラスとボトルが運ばれてきた。
精緻なカットがほどこされたクリスタルグラスには、大きな水晶のような氷が入っていた。
ウェイターはなめらかな手つきでボトルを開け、琥珀色の液体を静かに注いだ。
酒は氷の表面を伝って底にたまった。
グラスのカットが琥珀色に浮かび上がる。
二つのグラスに注ぐと、ウェイターは背景に溶け込むように去って行った。

張はそのグラスを手に取り、少し掲げてみせてから口に運んだ。
ロックも合わせて、口をつける。
「──うまいですね」
「だろう? なかなか出回らないバーボンなんだよ」
強いが、当たりは意外とまろやかだった。深い香りも良い。
ロックはもう一度、小さく口をつけた。


9 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/04(土) 22:40:38 ID:wGgSLNkc

「しかし、この間のはなかなか肝を冷やしたなぁ」
肝を冷やしたなどとはまったく思えない調子で言い、張はつまみのピーカンナッツに手を伸ばした。
「どうだ、レヴィの怪我の様子は」
ロックはグラスの中を見つめながら肩をすくめた。
「さぁ。よく分からないですけど、普通にしてますよ」
「普通、か。……あいつの“普通”は全然“普通”じゃないからなァ。
ちょっとはおとなしくしとけって言ってやれ、ロック」
「俺の言うことなんか聞きませんよ。心配だったら会って来たらどうです? 多分まだ事務所にいますよ」
グラスを傾けると、張がこれ見よがしにため息をついた。
「……お前らな、一体どうした」
「……どうもしませんよ」
「どうもしないわけあるか。
……ったく、この間からずっと、漏電したレンジみたいにピリピリしやがって。
喧嘩するほど仲が良いのはいいが、ほどほどにしとけよ。ダッチとベニーが気の毒でありゃしない」
「仲なんか良くないですって」
ロックは目の前の皿に乗っているピーカンナッツを手に取り、口に放り込んだ。
なぜ泣く子も黙るマフィアのボスと、差しでこんな話をしているのだろう。
早く帰りたいが、勝手に席を立つわけにもいかない。
ロックは、ぽりぽりとナッツを噛み砕いた。

「……ふぅん?」
張は意味ありげな顔でロックを覗き込んできた。
「レヴィに渡したら怒ったっていう金な、どこで渡した」
「……俺の部屋で、ですけど」
ロックは警戒しながら答えた。
「いつ渡した」
「さぁ……、もう随分前だな。張さんからの依頼がある前」
「そうじゃない。時間だ、時間。朝か、夜か」
「時間? ……朝、出かける前かな。事務所に行く前──」
「へぇ?」
張の口もとが面白そうに吊り上がった。
馬鹿正直に答えてしまったことに気づいて、ロックは歯噛みしたくなった。
朝、自分の部屋で、など。
どうしてそんなところに彼女がいたのか、言ってしまったも同然だ。
──いや、しかし、ロックがレヴィの部屋へ単に起こしに行っただけのことだってある。
変に動揺しない方が良い。
ロックはグラスを取った。
ごまかせるか──。
思った途端、張が言った。

「抱いたか」

直球だった。
一応問いの形を取ってはいたが、それは問いかけでもなんでもなく、ほとんど断定だった。
一瞬、手に持ったグラスの表面が揺れた。
が、その話には絶対に乗るものかと、ロックは無視を決め込み、グラスを口に運んだ。
透明なクリスタルを傾けて、バーボンを流し込む。

「──良い女だったろう?」


10 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/04(土) 22:41:58 ID:wGgSLNkc

流し込んだちょうどその時、張の言葉が正面からやってきて、ロックはむせそうになった。
危うく気管に入りそうになった酒をなんとか飲み下して数回咳き込み、ロックは張を睨みつけた。

「目が本気になったぜ、ロック」
張は、ロックの向かい側で悠然と足を組んでいた。
「勘違いするなよ。ただの想像だ、俺は知らん」
安心しろ、と張は嫌な笑いを浮かべる。
「……『安心』ってなんのことですか」
苦々しく、ロックはグラスをテーブルに置いた。
仏頂面のロックを、張はさらりと受け流した。
「ほっとした顔したぜ、ロック。まだまだお前は分かりやすい」
張はバーボンのボトルを取り、ほとんど空になっていたロックのグラスに、スリーフィンガー分ほどなみなみと注いだ。
ロックはため息をついてマイルドセブンを取り出した。
「吸っても?」
「もちろん」
張も自分のジタンを取り出して火をつけた。

「──で、抱いたんだろ?」
煙草をくわえてくぐもった声で、張が訊く。
「……」
ロックはマイルドセブンを深々と吸い込んだ。
「この期に及んでだんまりか。
黙ったってな、それで隠せてると思ってんのはお前らだけだぞ」
ロックは眉をひそめ、無言でライターをしまった。

「下種な好奇心で聞いてるわけじゃない。お前らが寝ようが寝るまいが、俺にはなんの関係もない。
しかしな、俺たちは常に卵の上を渡ってるんだよ。累卵の危うき、ってやつだ。
その中に、復活祭の卵のように今にも割れそうなのが混ざってるのは困る。
今のお前らが鉄の卵に見えてりゃ、俺はこんなことは言ってない。
──ん? どうだ? この前の自分を思い出して、それでも割れない卵だと言えるか?」
「……仕事に影響を出したのは、申し訳なかったと思ってます」
「謝る必要はない。俺たちは機械じゃないし、お前らはまだ若い。感情をすべて断ち切れとは言わん。
……けどな、俺はお前らを買ってるのさ。
『ラグーン商会』は優秀な運び屋だし、レヴィは極上のガンマンだ。
お前は──、そうだな、お前は……、面白くなる。これからも化ける。たぶんきっと」
予言でもするかのように、張は吸いかけのジタンをロックに向かって突きつけた。
「こんなところでくたばってもらっちゃ、困る」
突きつけられたジタンの先端から、煙が細く立ちのぼった。

ロックはその先端から目をそらすと、のろのろと首を左右に振った。
「……でも。どうしようもないんですよ。どうしようもない。終わったんだ。割れた卵は元には戻せない」
「そう早合点するな」
「早合点なんかじゃない。俺にはもう、どうにもできない。……彼女が、望んだことです」
指の間に挟んだ煙草を見下ろしながら言うと、張がふぅっと煙を吐いた。
「ほう? ──すべてあいつのせいか」
「そうじゃない。……そういうことじゃない。──言われたんですよ。もう、嫌だ、って」
「何が?」
指に挟んだ煙草の先端は、じりじりと静かにくすぶる。
「……」
「何が、もう嫌だ、と?」
ロックは黙って首を左右に振った。
手にした煙草を口へ運ぶ。
「……寝るのが、か」
吐き出した煙がゆるく立ち込めた。


11 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/04(土) 22:42:48 ID:wGgSLNkc

ロックは煙草の先端に伸びた灰を、テーブルに乗っているクリスタルの灰皿に落とした。
「どれくらい続けてた」
黙ってまた煙草をくわえるロックの返答を待たず、張は続けた。
「一回?」
「……」
「十回?」
「……」
「……数え切れないほどか」
ロックは大きくため息をついて、透明に光る灰皿で煙草をもみ消した。
グラスを取って、大きく呷る。
喉がかっと熱くなった。
空になったグラスをテーブルに置くと、張がまた酒を注ぎ足した。

「お前は、どういうつもりだったんだ」
張の声は、どこか遠くに聞こえた。
頭はぼんやりと軽く、酔いがまわり始めているようだった。
「……どうって…………」

──どう?

ロックはまとまらない頭で考える。
レヴィ。
朝に弱かった。
いつまでもベッドの上で丸まっていて、声をかけると眠そうに目をこすった。
朝のまぶしさから逃れるように、ブラインドから差し込む光を手で遮った。
掴んだ手首は、いつもつけている黒革のグローブのせいで一部分だけが白く、内側にはうす青い血管が透けていた。
力の入らない手が、たらんと垂れた。

箍のゆるんだ頭は、とりとめのない情景だけを再生させる。

促すと、レヴィは長い髪をもつれさせて、のろのろと体を起こした。
こぼれた栗色の髪の隙間から、裸の肩と胸もとが覗く。
レヴィはかすれた声で「引っ張んな」と言ったが、引き起こすために手を握ると、握り返してきた。
その手は、子どものように熱かった。

「ロック」
張の声に、ロックは我に返った。
「お前は、あいつをどう思ってるんだ」

──どう。

張の言葉は耳に入ってきているのに、頭がまったくまとまらない。
手応えのない霞の中をさまよっているようだった。
ただ、レヴィの断片だけが次々と浮かんでは消えていった。


12 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/04(土) 22:44:00 ID:wGgSLNkc

「駒か」
「ちがう!」
ロックは反射的に叫んでいた。
彼女をどう思っているか。
それは言葉で表そうとすると、ひどく難しい。
それでも。
「……駒だなんて、思ってない」
「怒るな。俺は別に人道主義者じゃない。もしお前がそう思ってたとしても、少しも責めやしないさ。
むしろ、本当にそう思っていたなら俺はお前を見直すぞ、ロック」

ロックは半ば機械的にグラスを口もとに運んだ。
更に胃の中が熱くなる。
「あいつには何て言ってるんだ」
ロックは手の中のグラスを見つめた。
氷の表面は溶けかかって、更になめらかになっていた。
「……何も」
「何もか」
「何も」

ロックはグラスの中を覗き込んだ。
琥珀色に氷の透明が溶けてきて、その境目がじわじわと滲んでいた。
「……言えるものなら、とっくに言ってる。でも、なんて言えばいい?
俺は彼女に会って、生きる場所を見つけた。初めて、生きたいと思った。切実に。
──でも、生きようとすれば死ぬんだ。……彼女と共には生きられない。
……俺は、彼女に死んでほしくない。他の、何に代えても」
グラスの中ではゆらゆらと光がまわり、反射した明かりを散らしていた。
遠近感があやしくなり、琥珀のゆらめきの中に取り込まれてしまそうだった。

ややあって、張の声がした。
「……すまん、意味が分からん」
一応は理解しようと努力したが、お手上げだ。
そんな声だった。
それはそうだろう。
当のロックだって、自分が何を言っているのかよく分かっていなかった。
ロックは、ぐらぐらする頭を抑えるように手を額にやった。
「……彼女が、レヴィが言ったんだ。
生きるのに執着すると、怯えが出る。眼が曇る。そんなのがなければ、地の果てまでも闘える、って──」
張は白い煙を吐き出した。
「……ふん。生きようとしなければどこまででも行ける、か──。それがあいつの哲学か」
「俺たちは見たんだ。自分たちは生きるために戦ってる、そう言って死んだ二人を」
「…………なるほど? そしてお前らはそれでビビっちまったってわけか」
「……レヴィは分からない。でも、俺は……」
ロックは息を吸い直した。
「俺は彼女を選んだ。いや、選んでた、たぶん最初から。
彼女と同じ場所で生きたい、それを何て言ったらいいのか、俺には分からない。
でも、それは彼女にまで無理強いすることじゃない。彼女にだって、選ぶ権利はある」
「……ふぅん? で、レヴィはお前を拒絶したと、そういうことか?」
「……ええ」
ロックは頷いて、グラスの酒で喉をうるおした。
だが、飲めば飲むほど酒は喉を焼いて、ひりひりとした渇きを与えてくる気がした。


13 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/04(土) 22:44:57 ID:wGgSLNkc

「……俺にはよく分からんのだが」
張は右手の人差し指と中指で煙草を挟み、折り曲げた右肘の内側に左手を掛けた。
「それは本当に拒絶だったのか?」
「拒絶でしたよ。はっきり言いました。嫌だった、って」
張は何も言わずに長々と煙草をふかし、短くなったそれをクリスタルの灰皿にぎゅっとねじりつけた。

「──お前が言うならそうなのかもしれんが、俺が気になってることが二つある。
まず一つ目。お前はさっき、レヴィには何も言ってないと言った。
その理由は、一緒に生きたいと口に出せば、彼女を死に向かわせるから。
なるほど、それは一理ある。
──だが、その理屈が通るのは、あいつもお前と生きたいと願っている、その場合だけじゃないのか?
彼女がお前のことなんざ本当にどうでも良いと思っていれば、
お前が何を言おうとあいつを縛ることにはならない。
お前は本当に、彼女が『嫌だ』と思ってると? ……本当は、分かってるんじゃないのか」
ロックは振り払うように首を振った。
「分かってない。分かってなかったんですよ、何も。俺がそう思いたかった。それだけだったんだ」

張は自分のグラスを手に取った。
一口舐めて、グラスの縁からロックを見据える。
「──そうか? じゃ、二つ目だ。
お前があいつを抱いたとして、だ。
本当にあいつがそれを嫌だと思ってたんなら、お前は今ここにはいないだろうよ」

──ここにはいない?

どういう意味か。
不審さは顔に出たのだろう、張はじっとロックの顔を見つめてから、グラスを置いた。
「こんな糞溜めで這いずりまわってる俺たちみたいな奴の頭の中ではな、
損得抜きの"Make Love"なんてものは、映画のスクリーンの中にしか存在しないんだよ。
生まれ落ちたのは汚れた便器の中、子守歌は淫売の母親が客とあげる嬌声、
毎日ベルトのバックルで殴られ、便所を歩き回った靴底で蹴られ、一晩中縄で縛られる。
食事を与えられず、クローゼットの中に閉じ込められ、吐瀉物を食わされる。
三歳で父親の陰茎を口に突っ込まれ、四歳で輪姦、
五歳でマフィアに二束三文で売られ、ヤク漬けにされてペドフィリアの客にあてがわれる。
実の親父に孕まされる、性器を切除される、子宮を引きずり出される、なんてのもある。
──信じられないか? だが、そういう話が珍しくもなんともない世界が現にあるんだ。
まったく聞き飽きて、あくびが出る。おいおい、眠くなるぜ、もっと面白い話をしろよ──。
──忘れるなよ、お前がいるところは、そういう世界だ。
ここはそうやって、とっくに死んでなきゃおかしい奴らがなぜか死なずに寄せ集められた掃き溜めだ。
あいつがどういう環境で育ってきたのかは知らん。
けどな、優しいパパとママに白いお洋服着せてもらって赤いおリボン結んでもらってりゃ、こんなところにはいなかったさ。
──さて、そういう奴が、だ。
何も言わずにただ寝た男から、ある日金を渡される。世話になってるから、とな。
そうしたら、そういう頭の奴はどう考えると思う?」
張はそこで一旦言葉を切った。

「──この先も、講義が必要か?」
張の言った言葉がじわじわと染みてくる。

レヴィは、自分を「ラブドール」と言った。
「こんだけありゃあ立派な高級娼婦が買えるぜ」とも。

「……でも、──俺は、そうじゃ……」
あれは口の悪い彼女がロックを揶揄しているのだと思っていた。
男の性欲を満たすために相手をするのはもう御免だと。


14 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/04(土) 22:46:52 ID:wGgSLNkc

「他人の頭の中は覗けない」
張は静かにグラスを取った。
「だが、少しの想像力があれば分かることだ。一体何が『嫌』なのか、な」

ロックは、自分と寝るのが、男の性欲の対象にされるのが「嫌」なのだと思っていた。
けれど、そうではなく、自分に娼婦扱いをされるのが「嫌」だったと──?

急に胸苦しくなった。
くらりと視界が揺れる。

「いいか、あいつは客観的に見て“良い女”だ。つまり、商品価値のある女だ。
見た目だけじゃない。頭は良いし、よく気がつく。察しが良く、度胸もある。
その気になりゃあ、マリー・デュプレシー並の高級娼婦にだってなれる。
一生かかったって使い切れないくらいの金を稼げるだろうよ。
実際、ちょっと面積の狭い布きれつけて舞台に立っただけで、ホールを連日満員にできたんだ。
──お前がここに来る前の話だが」
「……ええ」
「だが、この先はお前も知っての通り、あいつはその道を選ばなかった。
毎日うなるほど客が押し寄せてるってのに、
プライヤチャットのオヤジに払うソード・カトラスの代金が貯まったら、あっさりとんずら。
ローワンは未練たらたらだが、当の本人は相変わらずボロい下宿に住んで、安酒ばかり呑んでいる」
張はサングラスの奥からロックをじっと見据えた。
「──嫌だったからだ。
どんなに稼げたって、セックスワーカーは嫌だったからだ」
言葉は切られたが、張の視線は揺るがない。
張とロックの間には、張り詰めた空気が満ちていた。

その空気は、張が小さく息をついたことによって少しだけゆるんだ。
「……こんなこと、俺が訳知り顔で言えた義理でもないが。
本人に聞いたわけじゃなし、お前だって分かってるだろ?」
「ああ……。……分かってる……」
ロックはしぼり出すように呻いた。
「なら。その先だって分かるはずだ。
そんな奴が、義理だかなんだか知らんが、嫌なのを我慢してまで男と寝ると思うか?」
頭の中で血管が脈打つ。
張の声が渦巻くように流れ込んでくる。
「本気でお前がそう思ってたとしたら、随分とあいつを見くびっている。
あいつにその気がなかったら、とっくにお前は脳味噌ぶちまけて蝿の餌になってるだろうよ」

張はジタンの箱からまた新しく一本引き抜いた。
くわえて、ライターで火をつける。
キン、とライターの蓋の閉まる音がして、煙がたゆたう。
「俺は、彼女に──」
何を言いたいのかも分からず、ロックはうなった。
「……悪いことをしたと思うか? そんなつもりではなかったと?
一緒に生きようとすれば死ぬ。だから言わない。あいつがそう言ったから。あいつも、言われることを望んでいない。
──本当に、そうか?」
ロックはのろのろと顔を上げた。
「あいつがどう言ったのかは知らんが、本当に望んでいないのか?
お前は、『分かってなかった』と言ったな。『俺がそう思いたかった』だけだ、とも。
──本当に、そうなのか?」
本、当、に。
そのフレーズを、張はゆっくりと発音した。


15 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/04(土) 22:48:20 ID:wGgSLNkc

「お前が『そう思いたかった』のは、あいつが『一緒に生きようと“言われることを”望んでいない』、
そっちなんじゃないのか?」
ロックは息を吸い込んだ。
ちがう。
言いたかったが、声は胸の奥で固まった。
「言わないのは、お前に自信がないからじゃないのか。あいつのすべてを受け止める自信が」
張の声が、白い煙の中にただよった。

ロックは意味もなくただゆるゆると首を横に振った。
思考はまとまらず、脳はゆるいポタージュのようだった。
「あいつがこうだから、こう言ったからとお前は言う。
考え方は人それぞれだ。それに口を出すことはしないさ。
──けどな、じゃあ、お前の哲学はどこにある?
『一緒に生きようとすれば死ぬ』、それがあいつの哲学か。オーライ、分かった。
では、お前は?」
張は煙の向こうから見据えてくる。

「……俺に言わせりゃな、生きようとしなくなって死ぬんだよ。
『死ぬのは怖くない』、そう言った奴が、その五秒後には夏の終わりの蝉みたいにぽろぽろと簡単に死んでいく。
生きようとしようとしなかろうと、平等に死ぬ。死は無慈悲なほどに平等だよ、ロック」
張は深々と煙草をふかし、足を組み替えた。

「人を殺す奴は、長くは生きられない。──なんでか分かるか?」
ロックは少し考えてから口を開いた。
「……危険な場所に身を置いているから。それから……、恨みを買うから」
「『剣を取る者は、剣で滅びる』。……半分は正解だ。
あと半分はな、こうやって殺すの殺されるのって世界に居続けると、最後は自ら命を投げ出しちまうのさ。
……そうだな、ほとんど自殺に近い。
人を殺すのを生業としてる奴の人生なんか、糞みたいなものだ。
生きていても楽しいことなんか何もない。そういう奴にとって、死は安らぎだ。
ふと、もう楽になりたい、そう思う瞬間がくる。
もともと誰に望まれて生まれてきたわけでもない。この世につなぎとめるものなど何もない。
復讐、怒り、憎しみ……。そういうもんで自分を生かしてる奴らもいる。
しかし、復讐が終わればどうなる? 憎しみの対象がいなくなればどうなる?
そうやって対象がいればまだましだ。
“社会”、“世間”、そんな抽象的なものを憎み続けていられるほど、人間に持久力はないんだよ。
人は忘れ、摩耗していく生き物だ。憎しみだけで生き続けることはできない。
憎しみが薄れた先にあるのは、──虚無だ」

張の煙草からは灰が長く伸びていた。

「人は、自分のためだけに生きることは難しい。必ず、この世につなぎとめる何かが必要なんだ。
血へど吐いて泥沼に転がった局面で、目の前に鉄条網の命綱を放り投げられた時、それを掴むか否か。
そいつを掴んでまで帰りたい場所があるか、生きていたい理由があるか。
……もし、最後に生死を分ける要素ってもんがあるとすれば、案外そんな、手垢のついたものかもしれんぞ」

張は煙草を灰皿でもみ消した。

「人は死ぬ。簡単にな。
それでも誰かを死なせたくないと思ったらな、そいつをこの世につなぎとめる鎖になれ。
泥沼の中に飛び込んで、そいつの体を浚って鉄条網を握りしめ、運命にさえ逆らってみせろ。
……誰かを救うってのは、そういうことだよ、ロック。
人を生かすのは神じゃない。──人間だ」


16 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/04(土) 22:49:45 ID:wGgSLNkc

伏せていた視線を上げると、張と目が合った。
黒いサングラスの奥の瞳は動かない。

「──で、お前にその覚悟はあるのか。お前にはその力があるのか。
お前はメイドの一件で、『助けたかった』と言ったな。少なくとも、お前はそのつもりだった、と。
……だが、ロック。
泥沼の中に飛び込んで鉄条網を握る、お前には、そこまでして救いたい誰かがいるのか」
張の目は、深い洞穴のようだった。
その目に射すくめられて、ロックは視線を外すこともできなかった。

「この前の仕事の時、あいつは普通じゃなかった。
油を差し忘れた操り人形みたいにぎくしゃくしたお前との間の空気だけじゃない、まわりが見えてなかった。
あいつは精神状態がすぐ表に出る。悪い癖だ。
……だが、あいつをそうさせた原因の一端はお前にある。そうだろ?」
「……はい」
「そして銃弾だ。鎖骨の下に当たった。……だが、ほんの十センチもずれていれば」
張はテーブルを挟んだ向かい側から、指をゆっくりと上げてロックの胸を指した。
「心臓だ」
静かに移動していた指は、ぴたりと心臓の位置で止まった。

「お前は、あいつに死んで欲しくないと言う。その信条に基づいて行動したと言う。
──だが、その結果は? あいつは本当に死から遠ざかったのか?
……あいつが今回死ななかったのは、運だ。お前の力じゃない。お前はむしろ──」
「分かってる! 張さん、分かってる……」
ロックは張の言葉を遮った。
膝の上で拳をぎゅっと握る。

「忠告しとくぞ。あいつを駒として動かすつもりなら、情を捨てろ。
利用する、ただそれだけを考えろ。ちっぽけな良心など、どぶに捨て去ってな。
……だが、少しでもあいつを哀れに思う気持ちがあるなら、このまま手を引け。
あいつを、日本でお前のまわりにいた女たちと同じと思うな。
お前が思うよりずっと、この街の闇は深い。
生半可な覚悟では到底太刀打ちできないぞ。早晩、共倒れだ。
曖昧な態度を取るな。徹底的に突き放せ。あいつが、お前のことをただの石ころと思えるくらいに。
……お前にできることがあるなら、それだ。
──それが、お前にできることだよ、ロック」
張は射るようにロックを見ていた。

「お前に、彼女は救えない」


17 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/04(土) 22:52:27 ID:wGgSLNkc

ロックは張を睨みつけた。
ひどく腹立たしかった。

『お前に、彼女は救えない』

張の言ったことが、あまりにも正しかったから。

「……心配するな、後は俺がフォローしとく」
張がジタンの箱に手を伸ばしたところで、ロックは勢い良く立ち上がった。
限界だった。
「……ご忠告ありがとうございます。──でも、あんたの世話にはならない!」

ロックは尻ポケットから財布を取り出し、手に触った札すべてを引きちぎるようにして抜いた。
その札をテーブルに叩きつけ、ロックは席を離れた。
ふかふかの絨毯を蹴散らすようにして店の出口へ向かう。
途中、ウエイターがちらりとこちらを見た気がしたが、構わず突っ切った。
重たいドアに体当たりするようにして外に出ると、つんのめるように走り出した。
行く先はもう決まっていた。

──レヴィ。

会いに行って、どうするのか。
分からないまま、ただ、今すぐレヴィに会いに行かねばならない、その衝動だけでロックは走った。

アルコールで溶けかかった脳味噌の中では、フィルムの切れ端のようにレヴィの断片が浮かんでは消える。

血の気を失って横たわった青白い顔、べったりと血にまみれた肌、傷口のどす黒さ、
弱々しく押し返してくる手、こちらを見ない横顔、斜め後ろから見たうなじ、
ドアの向こうでうつむいた顔、それを隠す前髪、「嫌だった」と吐き捨てた声、
ぼんやりと煙草をくわえる唇、もつれた長い髪、引き上げた熱い手、シーツの上の身じろぎ、
暗闇の中で刻まれた眉間の皺、耳をくすぐる吐息、胸の奥からしぼり出されたような声……。

いくつものかけらがフラッシュバックするように明滅し、次第に淡く収束していった。
最後に、闇の奥でかすかに笑ったレヴィの顔が頭をよぎった。
彼女の笑顔を向けられた最後は、いつだったろう?
もう長いこと、彼女の笑ったところを見ていない気がした。


28 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:24:22 ID:Pv4mgOxB


 * * *

息を切らせてレヴィの部屋のドアをノックすると、少しの間の後、「……誰だ」と低い声がした。
「俺だ、ロックだ」
上がった息のまま告げると、ドアの向こうは沈黙した。
「──レヴィ」
もう一度ノックしようとした時、ドアがゆっくりと開いた。
「……なんの用だ」
細く開いたドアの向こうで、レヴィは不機嫌そうな顔をして見上げていた。
その目はいつもに増してきつく、とげとげしかった。
「あー、その……」
勢い込んで来たは良いものの、何から切り出していいのか分からない。
ロックは言い淀んだ。
「……怪我の具合は?」
言った途端、レヴィの眉が不審そうに歪んだ。
当たり前だ。
いきなり夜中に訪ねて行って言うセリフじゃない。
「……別に。どうもしねェよ」
レヴィは小さく息をついて、ロックの真意を推し量るように眼をすがめた。
シャワーを浴びたのだろう、黒いタンクトップに濡れたままの髪が束になってしっとりと広がり、
傷にあてられた白いガーゼを覆い隠していた。

──どうしよう。

会話が続かない。
用がないなら帰れと言われる前に、何か──。
そう思って視線をさまよわせた時、レヴィの部屋の隅に見覚えのあるものを見つけた。
「──あれ…………」
部屋の隅の壁に掛けられたものに目をとめると、レヴィもロックの視線に気づき、振り返った。
「ああ、あれか……」

それは、レヴィが傷を負った時にロックがはおらせてやったワイシャツだった。
白い生地に、血が変色して茶色くなった染みがついていた。
「……落ちなかったんだよ、悪ぃな」
レヴィは言い訳をするようにぼそぼそと言った。
「……いや、いいよ」
そんなことはどうでもいい。
首を横に振ると、レヴィがこちらを向いた。
「持ってくか?」
ワイシャツなど、レヴィにはおらせてやった時点でどうなっても良かった。
そのまま捨ててもらっていて構わなかったが、
ここで「捨ててくれ」と言うのもどうかと思い、ロックは曖昧に頷いた。


29 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:26:03 ID:Pv4mgOxB

レヴィはドアの隙間を広げた。
入れ、と言うように顎で促す。
ロックは室内に入って、ドアを閉めた。
レヴィは素足にデニムのホットパンツをはいていた。
その剥き出しの脚が壁に掛けてあるワイシャツの方へ向かった時、
ロックはスラックスの尻ポケットに入れていた封筒の存在を思い出した。
張に返そうとしたのだが、車がバーに着いてしまったので、仕方なく尻ポケットに突っ込んで降りたのだった。

「……レヴィ、これ」
自分の手から渡すのは気が進まなかったが、ロックはレヴィに封筒を差し出した。
「張さんからだよ。さっき会った。見舞金だって」
何か言われるかと思ったが、レヴィはその封筒に目を落とすと、
特に何の表情の変化も見せず、ただ受け取った。
「……どうも。相変わらず太っ腹だな、張の旦那は」
中身を確認もせず、レヴィは乱雑に物が積み重なったサイドボードの上に、封筒をぽんと置いた。

「──レヴィ」
ロックは背を向けたレヴィの後ろ姿に声をかけた。
「……この前の金、レヴィが言うような意味で渡したんじゃないから」
レヴィの動きがぴたりと止まった。
「……なんの話だ」
「レヴィが、これだけあれば高級娼婦が買える、って言った時の話さ。
……俺は、そういう意味で渡したんじゃない」
「またその話か。その話はもうしたくねェ」
レヴィは振り返らない。
しかし、ロックはその背中に向かって続けた。
「──レヴィ、嫌なことをさせていたなら悪かった。
でも、信じてくれ。俺は、お前を娼婦代わりに抱いてたわけじゃない」
レヴィは沈黙した。
まるでロックの言ったことが聞こえていないかのように、黙り込んだ。

「……じゃあ、訊くけどよ」
長い沈黙の後、レヴィはゆっくりと振り返った。
「娼婦じゃないなら、なんなんだよ」
その目は硬く冷えていた。
「あ? 娼婦じゃないなら、なんだ。今になって優等生ヅラか」
レヴィは闇を煮溶かしたような目でロックを見据えた。

「……あたしは娼婦と言われて怒ってるわけじゃねェ。
この街じゃ──いや、この街だけじゃねえ、娼婦は立派な商売だ。
ダイナーのウェイトレスがフレンチ・フライをサービスして金を貰うのと同じように、
自分の体を元手にサービスして金を稼ぐ。
金はサービスへの正当なる対価だよ、ロック。
──けど、娼婦じゃないなら? ……娼婦じゃないならなんだよ!
金が貰えなくても男は欲しい、穴にぶち込んでもらえさえすりゃ金なんかいらねェ、そういうことかよ!」
レヴィは引き裂けるような声で叫んだ。

「──ああ、あたしはあんたの前で股濡らして脚おっぴろげて腰振ったさ。
金なんかなくっても。雌豚みてェな声上げてな。
……面白かったか? ──面白かっただろ? 腹の中で嗤ってただろ」
レヴィの頬が歪んで、唇が片方だけ痙攣するように吊り上がった。
彼女自身が罅割れるような笑い方だった。


30 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:27:19 ID:Pv4mgOxB

──面白かった? 腹の中で嗤ってた?

思いもよらなかったレヴィの言葉が次々とロックに突き刺さった。
「……何言ってんだ、レヴィ。何言って──」
「黙れ!」
思わず一歩、近寄ろうとしたが、レヴィの勢いに気圧された。

「……そうさ、大正解だよ、ロック。
十になる前から実の親父にぶち込まれ、名前も知らねぇペドフィリアの変態どもから金ふんだくってたんだ。
パクられる代わりにお巡りのをしゃぶってやったことだってある。
あたしは生まれついての売女なのさ」
レヴィが一歩、近づいてきた。
裸足で、音もなく。
また一歩、ゆっくりと歩み寄って、レヴィは下から舐めるように見上げてきた。

「……あんたにゃ今更隠したってしょうがねェ。
あたしは、血と臓物と精液でできた糞袋なのさ。
まだ女になる前から、男の精液の味だけは知ってた。──“体全部”で。
あたしのまわりは親切な奴等ばかりでね。毎晩毎晩、教え込んでくれるのさ。
あたしの出来の悪い頭がその記憶を消しちまう前に。
あたしは腐れた精液の痰壺だよ、ロック。
腹ん中から子宮引きずり出しゃ、いい塩梅に発酵してるだろうよ。
──そういう肥溜めに突っ込んだ感想は?」
「──レヴィ! やめろ! 俺はそんなこと思ってない!」
たまらなくなって、ロックはレヴィの腕を取った。
次々と言葉を繰り出すレヴィの唇は、傷口のようだった。

腕を掴んで見下ろすと、レヴィはその手を乱暴に振りほどいた。
「……綺麗事なんざ聞きたくねえ! 
今度はなんだよ。今度はどこに首つっこもうとしてんだよ。今度は何のトラブルだ?
また銃が入り用になったか? ちょっと弾こめてやればまた思い通りに動くってか? 
……ああ、動いてやるさ!
あんたに弾なんか用意されなくたって、ちゃんと銃になってやるさ!
なってやるから、最初っからそう言え! 
俺の道具になって下さいませんか、ってそう言え!
……舐めんじゃねェ。舐めんじゃねェぞ!
言えよ! 道具にしか思ってねぇって! この売女が、って! 正直に言え!
……綺麗事は、もう沢山だ!」

一方的にまくしたて、くるりと身を翻そうとするレヴィの肩を、ロックは今度は本気で捕まえた。
「……レヴィ、なんだよ、それ。
売女ってなんだ! 道具ってなんだ! 思い通りに動くって、なんだ! なんだよ、それ!」
レヴィの言葉ひとつひとつが、毒針のように胸に突き刺さった。
尖った針の先端から毒が染み出し、じくじくと痛みが胸の中を食い荒らしていた。

「……そんな風に思ってたのかよ、レヴィ。今までずっと」
ロックはレヴィの肩を強く掴んで見下ろした。
レヴィは、今しがた爆発させたばかりの炎が残った目で見返してきた。
その目を、ロックは正面から睨みつけた。
「……そっちこそふざけんなよ、レヴィ。ひどい侮辱だ。
──本当に?  本当にそう思ってたのかよ。俺が、──道具だって、そう思ってるって」
続けると、レヴィは薄く唇を開いた。
その唇から、かすれた声が押し出された。
「……他に、何がある」
レヴィの顔が、何か苦いものを口にしたかのように歪んだ。


31 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:28:19 ID:Pv4mgOxB

「……本当に分からなかったのか?」
「──何が」
レヴィの顔が更に歪んだ。
ロックはもう片方のレヴィの肩も捕まえた。
両手で掴んで、力を込める。
「ほんとに分からなかったのかよ!」
「だから何が! 分かってるさ! 今言っただろ! 娼婦? 道具? どっちだっていい!
しつこいぞ、ロック!」
レヴィは両肩を拘束する手から逃れるように身をよじった。

「──嘘つき」
ロックは静かに言った。
「……なんだって?」
レヴィが怒りに燃えた目で見返してきた。
ロックはその目を正面から受け止めた。
「嘘つき。──嘘つきって言ったんだ!」
「……んだと?」
ぎし、とレヴィの肩に力が入ったが、ロックはそれを封じるように強く握った。

「──『ハートに火をつけて』」

ロックはレヴィの目をまっすぐに見た。
「ドアーズの。『ハートに火をつけて』。──レヴィが言った!」
レヴィの表情がはっと変わった。

ロックが「お前がもし銃だとすれば、俺は弾丸だ」と告げた日、
レヴィは『ハートに火をつけて』と、そうつぶやいた。

「『さあ、俺に火をつけて』『躊躇うのはもう終わり。泥沼の中で転げまわってる時間はない』
──その先は?」
レヴィの顔に動揺が浮かんだ。
すい、と目がそらされる。
「……」
「先は?」
重ねて言うと、レヴィは伏せた睫を何度もゆっくりとしばたたかせた。
「……『今を逃すと』──」
かすれた声で、レヴィは小さくつぶやいた。
「──『失われるだけ』」
ささやくようにそれだけ言って、レヴィは口をつぐんだ。

「……それから?」
「……」
「その後は?」
沈黙するレヴィを促すと、小さく首を左右に振った。
「………………忘れた」
「……そう? ──じゃあ、俺が言ってやるよ」
ロックはレヴィの肩を掴む手に力を込めた。

「『俺たちの愛が、葬儀用の薪になってしまうだけ』。
だから、迷ってる暇はない、『さあ、来いよ』。──あれは、そういう歌だ! 
……本当は、分かってたんだろ。分かってたんだろ、レヴィ!」

叩きつけるように叫ぶと、レヴィは弾かれたように顔を上げた。
その目は、追い詰められたような色をしていた。
何かに耐えるように、眉がぎゅっと寄せられた。


32 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:29:30 ID:Pv4mgOxB

ロックは、もうすでに何の抵抗もしていない肩を握りつぶすかのように強く掴んでいたことに気づき、
ゆっくりと手を離した。
レヴィの肩は、ロックが掴んでいたところだけほんのり赤くなっていた。

ロックが手を離しても、レヴィはそこを動かなかった。
窓の外を、車が一台通り過ぎていく音がした。
通りの向こうからやってきた音は部屋の真下を通って、すぐに遠ざかった。
部屋の中では、エアコンが淡々と冷たい風を送り出していた。
静まりかえった室内で、その風音はやけに大きく響いた。
ロックは静かにレヴィを見下ろした。
ロックを見上げたまま、彫像のように動かないレヴィを。

「……俺は時々、レヴィが男だったら良かったのにと思うよ」

ロックは、指をレヴィの首筋にそっと伸ばした。
指の背で、レヴィの首筋に絡みつくタトゥーの先端に触れる。
耳のすぐ下まで迫っている黒いトライバルの先端に触れ、そこからゆっくりと撫で下ろす。
「そうすれば、ずっと一緒にいられた。……劣情なんかに振りまわされることなく」
炎のようなタトゥーを、指の背でなぞる。

「──レヴィ、お前、どうして、女なんだよ」

ロックはひどく苦しかった。
いとしいから、抱きたい。
けれど、いとしいからこそ、抱きたくない。
レヴィを痛ませているなら、抱きたくない。

指は首を下りきって、肩の線にまですべっていた。
黒いタンクトップのストラップにゆきついたところで、止めた。

「そばにいると──、抑えられなくなりそうで、怖い」

そっと指を離すと、レヴィはよろけるように後ろへ下がった。
「……嘘つきは、どっちだ。──あたしのことなんざ、女とも思ってねェくせに」
レヴィの唇は、ほんの少し震えていた。
「思ってるさ」
ロックは前へ出て、距離を詰めた。
「思ってる。レヴィは、女だ。……嫌になるくらいにね」
レヴィはまた後ろへ下がる。
ロックはそれを追いかけるように足を進めた。
レヴィの足が一歩、また一歩と後ろに踏み出され、ロックは一歩、また一歩とそれを追った。
ゆっくりと後じさっていたレヴィの足は、とうとう、壁際まで行き着いた。
後ろに出した踵が、こつん、と壁にぶつかった。

「──来いよ」
ロックは、壁を背にしたレヴィの真正面に立ちふさがった。
「来いよ、レヴィ」
手を差し出す。
ゆっくりと、レヴィの前に。
レヴィの目はゆるゆると手の動きを追ったが、体は動かなかった。
うしろの壁に張りついてしまったかのように、ぴくりとも動かなかった。


33 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:30:41 ID:Pv4mgOxB

「……来ないのか?」
レヴィの目は苦く揺れていた。
どこにも逃げ場所がないのが苛立たしい、そんな風に揺れていた。
「……来ないなら、俺が行くよ」
ロックは一歩、レヴィに近寄った。
「……本当にレヴィが嫌なら、やめさせればいい」
片手を、レヴィの背後の壁についた。
「嫌なら、力ずくで俺をやめさせてみろよ。──レヴィならできるはずだ」
もう片方の手も、壁につく。
体を寄せると、レヴィの熱が近づいた。
「──いいの? 触れるよ? ……嫌なんじゃないのか」
レヴィの頬が小さく動いて、口の中で歯を噛みしめた気配がした。

「……ずるいぞ、ロック……」
歯の隙間から、うなるような声がもれた。
「ずるい? ……どっちが」
レヴィは、ロックの視線から逃れるように目を伏せた。
「──レヴィは、どうなんだよ。レヴィこそ、どう思ってるんだよ」
レヴィの眉間にきつく皺が寄った。
唇が強く引き結ばれる。

「……なんで、あたしなんだよ」
喉の奥からしぼり出されたのは、ロックの問いへの答えではなかった。
「なんで、って?」
「理由が、ない」
「……理由? 理由なんて、俺にだって分からない」
ロックは壁についた手でレヴィを囲ったまま、見下ろした。

「人を好きになるのに、理由なんか要るのか」

レヴィの寄せられた眉は一瞬開いて無防備になり、それから、まるで重大な訃報でも聞いたかのように激しく歪んだ。
苦いものを無理矢理口に詰め込まれたように頬は引き攣れ、下瞼が震えた。

「──レヴィ」
ロックは、唇をきゅっと固くしたレヴィに体を寄せた。
肌はもうほとんど触れそうだ。
レヴィの呼吸が浅い。
至近距離で、胸が何度も小さく上下するのが分かった。
「レヴィ、触れるよ」
ロックは背をかがめた。
レヴィは目を伏せたまま、こちらを見ない。
「触れるよ」
相変わらず、レヴィの体は金縛りにあったように動かない。
ただ呼吸だけが、浅く繰り返されていた。
ロックはゆっくりと顔を寄せた。
レヴィの伏せた睫の長さまでもが分かるくらい、近く。
レヴィは動かない。
息が絡む。
もう、互いの吐息がはっきりと肌で感じられた。
唇をレヴィの唇に寄せても、レヴィは動かなかった。
不規則に震える息づかいを感じる。
触れる、紙一枚の距離のところでロックは止めた。


34 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:31:40 ID:Pv4mgOxB

「──レヴィ」
唇を動かすと、表面が一瞬だけかすかに触れた。
レヴィの体が小さく震える。
唇の隙間からもれる息が、ロックの唇をかすめる。
レヴィはそのまま、見えない鎖で絡め取られてしまったかのように動かなかった。
「レヴィ」
しかし、固まった体の中はぎしぎしときしんでいるような気配がした。
「……レヴィ」
硬直した体が躊躇うように震える。
息が揺れる。
「レヴィ」

その時、こわばって動かなかったレヴィの顎が、ほんの少しだけ上を向いた。
何年も放っておかれた自動人形が、何かの拍子に少しだけ動いてしまった、そんな風にぎこちなく上を向いた。
ぎし、ときしむ関節の音が聞こえてくるようだった。
ロックの唇に、やわらかいものが触れた。

瞬間、箍が外れた。
ロックは寄せられた唇を奪い取るように、自らの唇でとらえた。
右手でレヴィの後頭部を引き寄せる。
引き寄せて、むさぼるように重ねる。
左手は、レヴィの腰を抱き寄せる。
彼女の体を抱きつぶすかのように、強く。

あまりに強く抱き寄せすぎたせいで、レヴィの背中が反った。
バランスを失いかけたレヴィの足下がふらつく。
が、彼女の腕もしがみつくようにロックの背中にまわっていた。
きつく、きつく、抱きしめられる。
ワイシャツの布地がレヴィの手によって乱される。
爪を立てるように、握りしめられる。
ロックの胸で、彼女の乳房がやわらかくつぶれる。
反ったレヴィの背骨が、ぱき、と小さく音を立てた。

ロックは激しく口づけた。
レヴィの呼吸など完全に無視して。
息をつがせる暇も与えず、噛み取るようにむさぼった。

レヴィはますます巻きつける腕の力を強くした。
ロックのシャツの背中をかき乱し、襟首を乱した。
ロックも、腕の力を抑えることはできなかった。
しなやかな体を取り込むように抱き取った。
ぴったりと寄せられたレヴィの体は、ロックの腕の中でやわらかく波うった。
荒い呼吸を逃がしながら、レヴィも噛みつくような口づけを返した。

二人の体は荒々しく絡み合った。
ロックの右手はレヴィの髪の中にもぐり、まだ水気の残っている長い髪をかき乱した。
呼吸もままならない口づけの間で、唇の中の粘膜が何度も濡れた音をあげた。
触れて、離れる。
舌が、触れ合う。
熱い吐息が、絡む。


35 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:33:01 ID:Pv4mgOxB

方向感覚を失った頭ともつれた足に、体が揺らいだ。
抱き合ったままよろけて、体が回転する。
ロックは、先ほどまでレヴィが背にしていた壁を自分の背中に感じた。
どん、とぶち当たったが、壁を支えにして更に口づけを深くした。

レヴィの呼吸すら奪うほど激しく抱きしめると、腕の中の彼女が小さく声をあげて、身じろぎをした。
それで、突然我に返った。
「──ごめん」
まだ怪我が治りきっていないレヴィを、こんな力一杯抱きしめては──。
ロックは慌てて腕の力をゆるめた。

だが、
「──いい」
ほんの少しだけ唇を離した距離から、レヴィが低くささやいた。
今度は逆にレヴィに引き寄せられる。
「いい」
やわらかな胸が押しつけられる。
伸びやかな腕に絡め取られる。
そして唇をふさがれた。

ロックはたまらず、レヴィの背中を抱き寄せた。
抱き寄せて、タンクトップの裾から手を差し入れる。
素肌に直に触れる。
贅肉のない背中、わずかに違う傷痕の感触、肩胛骨の出っ張り。
体がうねるたびに、薄い皮膚の下の筋が浮き上がる。
懐かしい手触りがした。

その後は、互いに引きちぎるようにして服を脱がせ合った。
ロックの手がレヴィのタンクトップをたくし上げ、
レヴィの手がワイシャツのボタンをはじく。
タンクトップを引き剥がしたところで、眼下でやわらかく揺れる乳房に我慢ができなくなり、
ロックは掌を押しつけてすくいあげた。
張りのあるやわらかさが掌を満たし、指を沈み込ませた。
レヴィの息が揺れる。
小麦色に日焼けした肩と、乳白色の胸、そしてその境目。
どこからキスして良いか分からず、ロックはレヴィの首筋に囓りついた。
耳元にレヴィの乱れた息を感じながら、黒いタトゥーを唇でなぞる。
そして、強く吸いあげた。
レヴィの肩がすくんだが、構わず吸い続ける。
タトゥーの上からなら痕がついたって分からない。
それに、もし分かったとしても、それで構わなかった。

もつれ合いながら互いのベルトに手を掛け、
肌を絡ませながらホットパンツとスラックスを引きずり下ろし、蹴り飛ばすように脱ぎ捨てた。
脱がせ合う時間さえ惜しい。
何度唇を絡ませても足りない。
唇だけでは、もう足りない。
何かにせき立てられるように、求め合った。


36 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:34:13 ID:Pv4mgOxB

ロックは、そばの壁にあった明かりのスイッチを、叩き壊すようにして消した。
そして、半身になってかがみ込み、レヴィの膝うらをすくい上げた。
「──ぉわっ!」
途端、レヴィが色気のかけらもない声を上げた。
「────なっ、下ろせバカ!」
横抱きにされたレヴィが腕を突っ張らせて暴れたが、ロックは構わずベッドに向かった。
「下ろせって!」
レヴィが足をばたつかせる。
──と、がたん、と音がして暗闇の中で椅子が倒れた。
「──いって」
素足だったレヴィが自分の足を押さえた。
何も履いていないつま先で木の椅子を蹴倒したのだから、それは痛いだろう。
しかし、おとなしくなったのはロックにとっては好都合だった。
転がった椅子を当たりをつけて避けて、ロックはベッドにたどり着いた。

レヴィをベッドに下ろすと、ブラインドの隙間から入ってくるわずかな光の下、シーツの上に長い髪が広がった。
ロックは仰向けになったレヴィに覆い被さった。
ぎ、とベッドがきしむ。
少しの間も惜しく、ロックは両腕の中にレヴィを閉じ込めるようにして口づけた。
片脚でレヴィの膝を割る。
更に体を寄せる。
裸の胸に、レヴィのやわらかな胸が重なる。
体温がなじむ。
ロックは、激しくレヴィの唇を求めた。
水気の多い果実を味わい尽くすように。
やわらかな果肉に歯をたてて口の中に取り込み、
あふれる果汁をすすり、一滴も逃すまいと舌ですくい取る。
ほんの少し唇が離れた瞬間、はぁっ、とレヴィの息が唇をかすめた。
空気を求めるように、顎が反る。
離れた唇を追いかけて、またふさぐ。
何度唇を絡めても満足することを知らず、口づけは麻薬のようだった。

どこに逃がしてよいのか分からない吐息が熱く混ざり合った。
ロックの手はレヴィの頤、耳のうしろのくぼみ、うなじをまさぐり、
レヴィの腕はロックの脇の下を通って背中に伸び、時折爪をたてながら這いまわった。
互いの体は相手の体の隙間を探って、そこを埋め合うようにもつれた。

ロックは何の前置きもなしに、一枚だけ残っていたレヴィの下着にまっすぐ手を伸ばした。
やわらかい肉の隙間に指を落とす。
指の腹を押しつけた瞬間、じわりと布の中に湿った感触がして、
それからすぐに、しっとりと布が濡れてきた。
布の上から揺らすと、揺らすごとにうるみは表面にまで染みてきて、
下着はロックの指の動きに合わせてゆるゆるとすべった。
濡れた薄い布は、レヴィのかたちにぴったりと張りついた。


37 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:35:13 ID:Pv4mgOxB

ロックはレヴィの下着を引きずり下ろすと、くぼみを探った。
思った通りたっぷりとうるんでいたそこに、中指を差し入れる。
すぐさま、熱くなめらかな感触に包まれる。
レヴィの呼吸が震える。
引き抜いて、また沈める。
一回往復させただけなのに、とろりと熱があふれた。
指の根本まで埋めるたびに、レヴィの体は揺らいだ。
引き抜いて、今度は襞をさかのぼり、小さな突起をこねる。
閉じたレヴィの瞼が震える。
力の入った内ももをぐいと開かせて、ロックは二本の指を押し込んだ。
レヴィがきつそうな声をあげて体をこわばらせたが、ロックはわずかに指を引いてから、更に深く奥まで進めた。
吐息のような声がこぼれる。
震えるレヴィの体に、ロックは指を突きたてた。

──欲しい。

欲しい。
この女が欲しい。
今すぐに。

ロックの腹の底から、濃密な欲求が沸き上がった。
今すぐに、この女が欲しい。
この女の熱い体内を味わいたい。

ロックは指を引き抜いて、ベッドの下に手を伸ばした。
いつも避妊具を置いてあった場所。
伸ばしてから、もう片づけられているかと思ったが、指先は無事、いつもの箱に触れた。
薄い正方形の包みを一つ手にしてから、ロックはレヴィを見下ろした。
「……早い?」
いつになく性急だという意識はあった。
しかし、レヴィは小さく首を横に振った。
「いい」
低いささやきがロックの耳をかすめた。


ロックは準備を整えるや否や、一気に奥まで体を沈めた。
そして、抉るように突きたてた。
熱いなかにもぐり込むように、何度も。
「………………っ」
レヴィがかすれた息をもらした。
体がきつく締まる。
レヴィは眉を歪めて、ぎゅっと歯を食いしばった。
それから、そむけた顔に手を寄せようとする。
その手を、ロックは掴んだ。


38 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:36:45 ID:Pv4mgOxB

「レヴィ、出して」
手首を掴んで、シーツの上に拘束する。
「声、出して」
「……嫌だ」
レヴィは顔をしかめた。
憎々しげに、ロックを睨み上げてくる。

ロックは、眉間に皺を寄せるレヴィをじっと見つめた。
レヴィは睨む目をゆるめない。
その鋭い視線を受け止めながら、ロックは言った。
「……無理して出せって言ってるわけじゃない」
小さく首を横に振って、続ける。
「でも、抑えないでいい」
レヴィの喉が上下した。
一瞬、首にすっと筋が浮く。
「……抑えてねえ」
「うそ」
「抑えてねぇよ」
かすれた声でレヴィは繰り返した。
苛立ちの混ざったような目が、ロックを見上げていた。
ロックは、レヴィの瞳を覗き込んだ。
丸い瞳の周辺が、わずかに揺れていた。

「……レヴィ、いつも自分がどんな顔してるか、知ってる?」
手首を握りながら言うと、レヴィの眉が瞬間的にぎゅっとひそめられた。
首が左右に揺れる
「……言うな」
「知ってるのか?」
「──言うなって!」
拘束するロックの手を振りほどいて遮ろうとするレヴィに、ロックは言った。

「泣きそうな顔してる」

ぴたりと、レヴィの抵抗がやんだ。
「──いつも、苦しそうな顔してる」
レヴィは虚を突かれたような表情をして、それから顔を歪ませた。
ロックはレヴィの額に手を伸ばし、そっとなぞった。
「……なぁ、レヴィ、苦しいのか。……我慢してるのか」
レヴィは首を横に振ったが、苦い顔は変わらなかった。

「そんな顔で我慢されると、まるで、…………レイプしてるみたいな気分になる」
ロックは、目をそらすレヴィを見下ろした。
「……レヴィ、俺はレイプしてる?」
レヴィは浅い呼吸を繰り返した。
鼻のつけ根に皺が寄った。
「……レイプで──」
「──え?」
「レイプで、いい」

レイプでいい。
ささやきは、確かにそう言っていた。


39 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:38:00 ID:Pv4mgOxB

「……どうして」
ロックは今度は自分の顔が歪むのを感じた。
レヴィの表情が乗り移ってしまったかのように、歪んだ。
「どうして」
繰り返すと、レヴィの唇が薄く開いた。
「……あんたの、好きなようにすればいい」
「──好きなように? ……してるさ。好きなように、してる。
でも、俺ひとりが良くたって意味がない」
薄闇の向こうの目を見下ろすと、レヴィは暗がりから窺うように問い返してきた。
「……どうして」
「どうして──?」
ロックの声は途中で詰まった。

──そんなの、決まってるじゃないか。

「どうしてって──、好きな女をレイプなんかしたくない」

言うと、レヴィの眉が泣きそうな形に歪んだ。
何か信じられないことを聞いた。
そんな風に歪んだ。

「……なんでそんな顔するんだ」
ロックは、レヴィの額の生え際にあった手を髪の中にもぐりこませた。

なんでそんなことを訊く?
なんでそんな顔をする?

──俺のこと、平気でレイプするような男だって思ってたのかよ。

小さな苛立ちはしかし、まるで傷ついたかのような目で見てくるレヴィの前に、あっけなくしぼんでいった。

──レヴィ、お前、何があったんだよ。

ロックは呻き声をあげてしまいたかった。
ロックがレヴィを抱くのは、利用するため。
セックスは、レイプと同義。
そんな風にしか考えられない彼女が哀しく、そして、そんな風に彼女を歪ませた誰かが憎かった。

レヴィはまだ疑いの残った声でささやいた。
「………………そうなのか」
ロックは髪の中にもぐらせていた手を後頭部の方へすべらせた。
「……当たり前だろ。
──抱いたのは、好きだからだ。レヴィが欲しかったからだ。
でも、レヴィが望んでないなら抱かない。抱きたくない。
……それがそんなに不自然なことなのか」
レヴィの喉もとが、大きく上下した。
返事はなかった。
ただ唇が、ぎゅっと強く引き結ばれた。


40 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:39:05 ID:Pv4mgOxB

「レヴィも、望んでるって思っていい?」
訊くと、この日はじめてレヴィは小さく笑った。
それはとてもぎこちなく、笑いというよりはただ口もとが引き攣っただけのようにも見えたが、
たぶん、それは笑いだった。
「──じゃなかったら、今頃あんたは墓石の下だぜ」
張に言われたことが思い出され、ロックも苦笑した。

レヴィの腕が伸びてきた。
やわらかく首に絡む。
引き寄せられるままに、ロックは顔を寄せた。
息のかかる距離でレヴィがささやいた。
「──火、つけてやるよ」
レヴィの少しかすれた声が、空気を伝って耳の奥へ染み込んできた。
ロックもささやき返した。
「もう、ついてる」
言って、体を寄せた。
「もうずっと、前から──」


『なあ。水夫を一人欲しがってるところがあるんだ』

夕暮れの波止場で、彼女が言った時。
炎のような夕焼けを背にして、輪郭を金色に溶かした彼女がわずかに目を細めたあの時に、
ロックの火はすでについていたのかもしれなかった。



41 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:40:18 ID:Pv4mgOxB

会話で鎮まりかけていた高揚は、たったひとつの口づけで簡単に再燃した。
ぐ、と体を押し込むと、レヴィが口の中でくぐもった声をあげた。
やわらかい体のなかがきゅっと絞まる。


激しい劣情は抑えられなかった。
レヴィの熱い体内に深く腰を沈め、体を揺らす。
なめらかな内側に絡め取られそうになりながら、何度も往復する。
熱くとろけたシロップの中で揉まれているかのような快楽に、体が止まらない。
まったく麻薬のように、味わえば味わうほど、もっと、もっと欲しいと体が要求する。
根本まで押し込んでもまだ足りずに、ロックはレヴィの片脚をすくい上げた。
片腕で膝うらをとらえて抱え上げ、開いた体に突きたてる。

「──ん、………………あぁ──っ」

レヴィの薄く開いた唇から声がもれた。
体の奥底からあふれ出たような声だった。
普段話している時よりも一段高い音が、ロックの鼓膜を揺さぶる。
ぞくぞくと、甘美な痺れが背筋を駆け抜けた。

腰の動きは更に加速した。
「────ぁ、」
くぅっ、とレヴィの喉の奥が絞められるような音がした。

「──抑えるな」
体を止められないまま、ロックは言葉をしぼり出した。
「抑えるなよ、レヴィ」
つぶっていた目を開いた彼女を見下ろす。
「逃げるな」

彼女の触れられたくない内側に無理矢理踏み込むつもりはなかった。
乱暴に分け入って、踏み荒らしたくない。
傷口に爪を立てたくない。
彼女には、彼女自身でもどうにもできないことがあるのだろう。
けれど、いつまでも覆い隠されるのは、何も告げてもらえないのは、さみしかった。

──俺では駄目か。

固い殻の中に逃げ込まれると、お前はこれ以上踏み込むなと、お前では駄目だと、
そう言われているような気がした。

──俺は、そんなに信用できないのか。

「見せろよ」
ひどく苛立たしかった。
「全部、見せろよ」
レヴィは眉を歪めて、震える息を吐いた。


42 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:41:17 ID:Pv4mgOxB

「見たい」
レヴィの頭が小さく左右に揺れた。
「全部、見たい」
レヴィは頭を振るのをやめない。
「全部、知りたい」
「……駄目、だ」
レヴィは引き攣れた声でささやいた。
何度も何度も頭を小刻みに振る。
眉が苦く寄せられた。

「なんで」
好きだったら、知りたい。
言葉にならない揺らぎまで、すべてを感じたい。
そのために、こうして体をつなげてるんじゃないのか。

──お前はちがうのかよ、レヴィ。

見下ろすと、レヴィは薄く唇を開いた。
「…………知ったら、」
ほとんど息のような声だった。
言いかけた唇が震えた。
後の言葉は、ふつりと途切れた。
「──なに」
ロックは促した。
「──言えよ」
レヴィの震える息を感じながら促した。
「言えって」

じっと見つめると、レヴィは不規則な呼吸を繰り返し、
それから、やっとのことといった風で、こわばった喉から声をしぼり出した。

「…………知ったら、………………あんたは、あたしを、──軽蔑する」

軽蔑する。そう言った途端、レヴィの顔が歪んだ。
「──しないよ」
ロックは喉が狭まるのを感じながら言った。
「しない」
レヴィは、お前は分かっていないとばかりに首を振った。
「──する」
「しない」
ロックは手を伸ばしてレヴィの頭を抱え込んだ。
レヴィの頭に自らの頭を寄せて、耳もとで言う。

「──今更、嫌いになんてなれない」


43 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:42:19 ID:Pv4mgOxB

ロックは、想いをぶつけるようにレヴィを抱いた。
すべてが欲しいのだと思った。
この女の体も、感情も、過去も、未来さえも。

「………………あぁ……っ」
ほとんど吐息のような声を、レヴィはあげた。
絞まった体が反り返る。

──もっと。もっと出せよ。

野蛮な本能がむくむくと沸き上がった。
ロックは激しくレヴィを突きたてた。
とろけたなかをかき混ぜる。
「……ん、────ん」
レヴィの声が甘く響く。
シーツの上で体がよじれる。
手加減は、まったくできなかった。
もっと喘げ。
もっと感じろ。
レヴィを覆う固い殻を壊して、彼女のやわらかいところにまで手を伸ばしたかった。
どんな姿だって受け止める。
ロックは、彼女の体がばらばらになってしまうような勢いでむさぼった。

そんな残酷さに似た気分は、しかし、一瞬で砕けた。

「──ロッ…………ク」

すがりつくように身を寄せてきた彼女が、耳もとで苦しげな声をあげた瞬間に。
レヴィの腕はきつくロックに巻きつき、腰はロックの勢いに合わせるかのように浮いた。
互いの動きは、いつしかひとつになっていた。

「────レヴィ」

かなわないと思った。
どうしたって、自分はこの女にかなわない。
彼女の内側を踏み荒らすことなどできない。
彼女の傷口を広げることなどできない。
この女を毀すことなど絶対にできないのだと、ロックは思い知った。


後は、せき立てられるように一気に上り詰めた。
なめらかにとろけるレヴィの内側を激しく往復する。
レヴィの腰が動くたびにきつく締めつけられる。
汗で互いの肌がすべり、吐息が絡む。
体も、脳も、ただ互いを求める欲求だけに染まる。
熱く脈打つレヴィのなかで、ロックは絶頂を味わった。


44 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:43:35 ID:Pv4mgOxB

欲求は、底なし沼のようだった。
一度果てて眠気に包まれ、しかし夢うつつの中でも彼女を求め、手は半分眠りながらも彼女の肌を探した。
くたりと横向きに伸ばした体の曲線はなめらかで、
すとんと落ち込んだ腰のくぼみは、ちょうどロックの手をぴったりとそこに落ち着けた。
ひとかけらの贅肉もない引き締まった体はすべすべと掌に心地良く、ああ、女の肌だとロックは思った。
絞まった背中とは対照的なやわらかな胸は、ふわりとロックの指を沈み込ませる。
指でたどるたびに形を変え、ふっくらと掌を満たす。
手触りの良い動物を撫でるようだった手は、次第に熱を帯びていった。

温かく熱を持ち始めた乳房のふもとに唇を寄せると、レヴィが身じろぎをする。
鼻先をこすりつけるようにしてレヴィの肌の中に顔を埋める。
レヴィの匂いに包まれる。
手は肌のすみずみまでまさぐり、どんな小さなくぼみも見逃すまいと這いまわった。
眠たげだったレヴィの手もそろそろとロックの体をすべり出す。
互いの腕が、脚が、肌が、ゆっくりと絡む。
最後にロックの指がたどり着くのは、彼女の溶けたくぼみだ。
先ほどの情事の残りか、それとも新たにわき出したのか、とろけた熱を指先に絡め、かきまわし、すくう。
夢の中をたゆたうようだった意識は徐々に形ある世界へ引き戻されて、いつしか、また体を絡めていた。

深くつながりながら、ロックはレヴィに口づけた。
呼吸が苦しくなるのは分かっていたが、それでも舌を絡ませた。
胸を合わせ、レヴィの体を割りながら、深く、深く。
もうこれ以上は深くつながれない、それくらい深く。

レヴィはロックとはまったく違った。
やわらかな胸も、細く絞まった腰も、その内側も、過去も、体をつくり上げている要素の何もかもが違った。
同じだったら良かったのに、と思った。
同じでないと分かり合えないと思った。
けれど、違っていて良かった。
今はそう思う。

──同じものだったら、こんなに深くつながれない──。


45 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:44:48 ID:Pv4mgOxB

何度、眠りと交わりの間を行き来しただろう。
レヴィは意地でも「もう無理」とは言わなかった。
けれど、何度目かの交わりの後、汗だくの体は倒れ込むようにベッドに沈んだ。
肩が荒く上下し、乱れた呼吸はなかなか回復しなかった。
ロックがレヴィに背を向けてティッシュに手を伸ばし、そしてまた隣に戻っても、ぴくりとも動かなかった。

隣に横たわると、どこか麻痺していた疲労と眠気が一気に襲ってきた。
ロックはレヴィの長い髪を指で絡めあげながら、目を閉じた彼女の顔を見た。

結局、離れられないのだと思った。
彼女を救うことができなくても。
離れられない。
それは、焼けつくようなエゴだった。
たとえ彼女を救えなかったとしても、ロックは自分自身のためにレヴィが欲しいのだった。
一緒に泥の中に沈んだとしても、それでも彼女が欲しかった。

でも──
「……道具なんかじゃない」
それは分かって欲しかった。
一体どこの世に、道具のために身を滅ぼす人間がいるだろう?

「……気づけよ」
瞼を下ろした彼女は返事をしない。
もう、寝ているのだろう。
ロックはゆっくりとレヴィの細い髪を梳いた。

「──『好き』なんて言葉じゃ、足りない」

かすかに瞼が震えた気がしたが、やはり返答はなかった。
荒かった呼吸は落ち着いて、寝息に変わっていた。

彼女をどう思っているか。
それは言葉で表そうとすると、ひどく難しい。
『好き』
そんな簡単な一言で言い表せてしまえていれば、もっと話は簡単だった。
ロックの人生に色彩を与えてくれた女。
仮にレヴィが男だったとしても、ロックの中でのレヴィの存在の大きさは変わらなかっただろう。
──けれど。

「……お前が女で、良かったと思ってる」

返事がないのは分かっていた。
ロックは寝そべったままもう一回レヴィの髪を梳いて、静かに目を閉じた。
閉じた途端に意識は薄れ、闇の中へ吸い取られていった。




46 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:46:25 ID:Pv4mgOxB


 * * *

夜のロアナプラを、一台のセダンが静かに駆け抜けていた。
けばけばしいネオンと、等間隔に植えられた街路樹の間を、飛ぶようにすり抜けて行く。
そのセダンの後部座席に腰を落ち着けた張は、ジタンに火をつけようとライターをともした。
ボッ、とライターの炎が暗い車内に浮かび上がる。

「そういや、掃除は済んだか」
ライターをたたみ、張は運転席の彪に声を掛けた。
「ええ、しかるべく。ゴミは取り除いて、しっかりクリーナーをかけておきました」
「さすがだな、彪。……これで少しは快適になるか」
煙を吐き出すと、彪が眉を寄せたのがバックミラー越しに見えた。
「……しかし、勘弁して下さい。
あそこであんなに蝿が湧くとは……。だから俺は反対したんです。今回は不確定要素が多過ぎました」
「ああ、確かにあれは予想外だったな。まさか国境を越える前に湧いてくるとは思わなかった」
「申し訳ありません、大哥。デコイは撒いておいたんですが……。あれは俺の不首尾でした」
「なに、問題ないさ。おかげで綺麗に地下水脈が見えた。
水がどこからもぐって、どう流れ、どこにつながってるのか、綺麗にな。
それに、何もかもシナリオ通りじゃ、つまらないだろう?」
「……つまらないかどうかの問題じゃないですよ。俺がこの件でどんなに肝を冷やしたか。
何かあったら吊し上げられるのは俺なんです。本当に勘弁して下さいよ」

ため息をつく彪を、張は軽く受け流した。
「まあ、そう言うな。終わり良ければすべて良し、さ。当局の連中だってご満悦なんだろ?」
「……それは、入るものが入ったからですよ。
しかし、餌に使われたと知ったらおかんむりでしょう。
彼らは非常に体面や面目を気にしますから。
それに、あんまり仲良くしすぎると、今度はラングレーの連中が騒ぎ出すんじゃないですか」
バックミラーの中で、彪の黒いサングラスがちらりと張に向けられた。

「なに、奴らは最近少々調子に乗りすぎてる。てめぇらの鼻息だけで地球が回ってると思ってやがる。
奴らと同じ箱船には乗らないさ。
俺たちが乗っているのは、針山の上の盆だ。奴らはその針の一本にすぎん」
「……ただ、その針一本一本の長さが違うから厄介。──ですか?」
「その通りだ。とかくバランスを保つのは難しい。
──ま、『ラグーン商会』の連中はとばっちりだったがな」
ジタンを深々と吸い込むと、彪が肩をすくめた。
「それなりの報酬は出したのですから、フィフティフィフティでしょう」
「まぁそうなんだがな。ああいう、どこの色にも染まらない手合いは多くはない。
そこに『信用』というオプションを要求すれば、その数は更に減る。
割と使い勝手が良いんだよ。代わりはいくらでもいるが、互助関係を保っておくにしくはない」


47 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:48:09 ID:Pv4mgOxB

港にさしかかったセダンは、海を右手にして走っていた。
「──おや、噂をすれば」
張は、窓の外、暗い海に突き出た桟橋に、見慣れた二人の姿を見つけた。
張が窓の外に目を留めたのに気づいた彪が、すっと車を停めた。
長い桟橋の先端、一番端の欄干に、ロックとレヴィが並んでいた。
暗い空の下、欄干に肘をついて海を向いている後ろ姿が、桟橋の灯りに照らし出されて浮かび上がっていた。

「……やれやれ、ようやく戻ったか。まったく人騒がせな奴らだ」
張はパワーウィンドウを下げ、その窓の外に短くなった煙草を放った。
「『お前にあいつは救えない』ですか。──焚きつけましたね」
サイドブレーキを引いた彪も、窓の外を見た。
「盗み聞きか? 感心しないぞ、彪」
「……違いますよ、耳に入ってきたんです。
いかな青二才であっても、二人きりのところになんの警護もつけないわけにはいかないでしょう」
気づいていらしたくせに、と彪はぼやいた。
「あいつらはまどろっこしくてかなわん。まったく、ダッチの気苦労を思うとこっちまで禿げそうだ」
「彼の禿げは今に始まったことではないでしょう」
「──お前、ダッチに絞められるぞ。……まぁいい。とりあえず火種が一つ減った」

「それにしても、仲人の真似事とは、らしくないですね」
窓の外の二人を見て彪が言った。
「らしくないとはなんだ」
張は手もとに目を落として、新しいジタンに火をつけた。
「『生きていたい理由』、ですか。大哥の口からそんな言葉が聞けるとは。……少々意外でした」
「意外、か──」
張はジタンを深く吸い込んで、煙を吐き出した。

「……生きるのに理由なんてないのさ、本当は。
理由があって生まれてくるわけでも、理由があって生き続けるわけでもない。
人間はみんな、生まれた時から死に向かって突き進んでるだけさ」
張はもう一度、ジタンをふかした。

煙を吐いて、続ける。
「しかし、人間ってのは、どうしても理由を求めてしまう性分らしいな。
──『人間は自由な人間として生まれている。しかし、彼はどこでも鎖につながれている』」
「……『社会契約論』、ですか」
「正解だ。
人間は、自由じゃない。しかし、拘束されているからこそ、この糞溜めの地上に留まっていられる。
その鎖なしに生き続けることは難しい」
「斬新な解釈ですね」
「他人事だな、彪」
「……俺には、そういう難しい話は分かりません。
俺はただ、組織のため、大哥のために働き、トチったら死ぬ、それだけです」
「──それだよ。俺たちのような『組織』ってのも、鎖みたいなもんだと思わないか?」
彪は否定も肯定もしなかった。
ただ、暗い空の下で肩を寄せ合う二人を見ているだけだった。

張は煙草をくゆらせながら、欄干にもたれかかる二人の後ろ姿を眺めた。
二人は何か話しているのか、時折相手の顔に目を向けては小さく肩を揺らした。
その様は、止まり木にとまった二羽の鳥が並んで毛繕いをしているかのようだった。


48 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:49:56 ID:Pv4mgOxB

「……あの男、『生きるのに執着しなければ、地の果てまでも闘える』なんて言葉を深読みして
いつまでも二の足踏んでたようだが、そういうところがまだまだ青い」
張は運転席に目を向けた。
「──動物の中で一番強いのはなんだと思う、彪?」
「……さあ。ライオンか何かですか」
気の乗らない彪の返答に、張は首を横に振った。
「子育て中の雌だよ。子どもを護るためだったら、殺しても死なない。
結局、護るものがある奴が一番強い。人間だって同じことだ。……そうは思わないか?」

彪は沈黙した後、首を左右に振った。
「……俺にはよく分かりません」
振った後、彪はバックミラー越しに張を見た。
「──が、張大哥は二つの起爆スイッチを見事に仕立て上げた。それだけは分かりました」

張は思わず、くっ、と喉の奥で小さく笑った。

──これだから、この男は面白い。

そう、ナンバー2はこうでなくてはいけない。
ひどく愉快な気分で、張は肩を揺すった。

喉の奥からの笑いが止まらないが、張はいささか芝居がかった調子で両手を広げてみせた。
「おいおい、人聞きが悪いな」
バックミラーで彪が見ているのを確認して、肩をすくめる。
「俺はロマンチストなんだよ」
言うと、彪はまるで下手な冗談を聞かされたとでもいうかのように眉を寄せた。

張はもう一度、桟橋の突端にいる二人に目をやった。
二人の口もとで、ぽっと小さくオレンジ色の粒が光った。
一瞬だけまばゆく光ったそれは、煙草の火だった。
ロックはそれを指で挟み取り、レヴィはくわえたままだ。
二人が相手の方を向いて吸い込んだ時にだけ、張の位置からでもオレンジの粒が明るく光る様が見えた。

「……俺は見てみたいのさ」
張は二人に目を向けたまま言った。
「この肥溜めの中から、でっかいダイヤが拾い上げられるところをな。
糞にまみれて、誰もが顔をしかめる。そんな中から、本物のダイヤが見つかる。
ショーケースのビロードの上にお行儀よく乗っかってるダイヤなんか、目じゃない。
──ロマンだろ?」
彪はただ肩をすくめた。

「あいつらは往生際が悪いのさ。どんな哲学だって、感情まで騙しきることはできない。
一人ずつなら泥沼の中で一生もがきまわって、それで終わりだ。けれど、二人なら──」
張は一旦言葉を切って、長く煙を吐いた。

「──二人なら、飛べる」

あいつらは、比翼の鳥さ。
そう続けると、彪が呆れたように首を傾けた。
「……ロマンの次はファンタジーですか」
「夢がないなァ、彪」
「夢じゃ腹は膨れませんよ。……それに、良かったんですか?
出来上がったのは鳥なんかじゃなく、ドラゴンかもしれませんよ。飼い慣らすには──」
「ケツの穴が小さいぞ、彪。俺は楽しみたいのさ。──ドラゴン? 大いに結構」
彪は、勘弁して下さいとばかりに首を振った。
「……大哥といると、自分がとんでもなく繊細な生き物に思えてきますよ」
「繊細? 安心しろ。気のせいだ」


49 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:51:44 ID:Pv4mgOxB

張は、窓の外の二人を見た。
二人は相変わらず、桟橋の先端にいた。
ロックのワイシャツの背中がぼんやりと白く浮かび、
それよりひとまわり小さいレヴィの黒いタンクトップの背中が隣に並んでいる。

と、煙草の箱を手にしたレヴィが、その箱を握りつぶした。
そして、左側に並んでいたロックの方を向いて、上向けた人差し指でちょいちょいと招いた。
煙草を吸っていたロックはレヴィの要求に気づくと、その吸いさしを左手に挟んで差し出した。
指の間に煙草を挟んだ掌が、レヴィの口もとに寄せられる。
レヴィはロックの方に体を寄せて、その煙草を唇でくわえた。
ロックの指に挟まれた煙草を、そのまま吸う。
煙草は、レヴィの頭とロックの手の陰になって見えない。
だが、レヴィの吸い込んだ煙草の先端が明るく光るのが、張の目にも見えた気がした。

ロックは、煙草を口にしたレヴィの横顔を、斜め上から見下ろしていた。
その顔は、ロックの掌の中に顔を伏せているレヴィに、
今すぐ隣を見上げてみろ、と言いたくなるような顔だった。

──何が、「分からない」だ。

張は、数日前のバーでロックが言ったことを思い出す。
ロックは、他の何に代えてもレヴィに死んで欲しくない、
最初から彼女を選んでいた、彼女と同じ場所で生きたいと言いながら、
それを何と言ったらいいのか分からないと、腹の底からしぼり出すような声で呻いた。

──そういうのを、『愛してる』って言うんじゃないのか。

まったく、あの二人はどこを見ているのだと張は思う。
レヴィが何を思って「嫌だ」と言ったのか、張はなんとなく分かる気がした。
レヴィは、不自然なまでにロックを見ようとしなかった。
意識しないと見ないでいることができない、そんな避け方だった。
彼女が頑として視線を向けない、その空白の方向をたどってみれば、必ずロックがいるのだった。
そうまでして避けておきながら、意識は常にロックを探っていた。
視線をそらしたこめかみのあたりが、アンテナを伸ばしたように緊張していた。
意識をロックから引き剥がすようにしてうつむいた時、レヴィの伏せた睫には陰がたまっていた。
まばたきをするたびに、瞳も、鼻筋も、唇も、陰に染まっていった。
その顔は、女の顔だった。
ああこいつ、いつの間にこんな顔するようになったんだ、と張は思った。

怖がらずにちゃんと見てみろ。
ロックはお前を見てる。
怖がらずに、見ろ。

だが、おせっかいはここまでだ。
張はただ、二人の後ろ姿を眺めていた。
ロックへ身を寄せる不器用な妹分の背中に、心の中でささやく。

──沈黙に勝る愛情なんて、ないんだぞ。

けれど、それは自分で気づけ。
そう思う。



50 :ロック×レヴィ 比翼・第三部  ◆JU6DOSMJRE :2010/12/05(日) 21:53:32 ID:Pv4mgOxB


レヴィが煙草から唇を離した。
その煙草をまた自分でくわえて、ロックは煙草の箱を取り出した。
レヴィに勧めているようだったが、レヴィは首を横に振って、ひらりと手を翻した。
その煙草は好みに合わない、たぶんそんなことでも言っているのだろう、ロックが苦笑したような気配がした。

そんな二人を見ながら、張は胸の中でつぶやいた。

──死神は、ノックなんかしちゃくれないぞ。

ぼやぼやしてると、あっという間に墓の中。
この世に早すぎるなんてことはない。
首を刈ろうと待ち構えている大鎌を打ち砕き、追いすがる死神すら振り切ってしまえ。
張はどことなく愉快な気分で思った。


比翼の鳥は、目と翼が片方ずつしかないと言う。
一羽では飛べない。
だが、二羽でなら飛べる。
二羽でしか、飛べない。

──離すなよ。

一緒に堕ちて、泥の中で手を取ったなら、そのまま二人で飛んで行ってしまえ、と思う。
死神すら欺いて。
飛び立って、誰も手の届かないところまで行ってしまえ。
高く、高く、どこまでも高く。


桟橋で身を寄せ合う二人の肩先が、わずかに触れた。
どちらからともなく、二人の視線が合う。
ほどけるように、目元と頬が同時にゆるんだ。
二人は、かすかな笑みを交わした。
合わせた目は一瞬で伏せられてしまう。
だが、二人が離れる気配はなかった。


張は久し振りに、高い空が見たいと思った。








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