好きになんてなりたくなかった。
友達ならずっと傍にいられる。

好きになんてなりたくなかった。
友達ならずっと傍にいられるって思うくらい、好きになっていたんだって気付いてしまったから。

好きになんてなりたくなかった。



be(願うのは、きみと)



「どうして、……どうせこうなるなら、どうして優しくしたりなんかするんだ。どうして好きだなんて言ったんだ」

夕方に止んだように思えた雪が、また降りはじめていた。
漆黒の空から舞い落ちていく雪が、俺の肩に、悟史の髪に、降り積もっていく。
溶けるより先に降る雪は、きっと夜半すぎまで降り続くのだろう。
少しずつその勢いを増しているように思えた。

別れようと言ったのは悟史の方だった。
突然俺の家に来て、まるで冬休みの宿題を写させてよと言うように、随分とあっさりした口調で悟史は俺に告げた。

別れようか、圭一。

そう言われたのは初めてだ。
でも、そういう素振りは初めてではなかった。

納得できない。

動揺を隠しながらそう返す俺に、悟史は言いにくそうに視線を外した。

守れないからだよ。
そう言葉が続くのは分かっていた。
もう前からずっと、悟史は俺にそう言っては悲しげな顔をしていたからだ。
僕は圭一を守れない。
沙都子を守らなくちゃいけないから、今の僕は特別な誰かを作るのに向かない、とかたくななまでに悟史は繰り返していた。俺が悟史に守られたいと思っているわけではないということを、悟史は理解してはいないみたいだった。
もしくは、悟史にとっては「守る」という行為こそが、愛するということなのかもしれなかった。

とにかく悟史が言ったその言葉は、俺にとっては聞き飽きた言葉で、そして何の理由にもなりはしない言葉でもあった。
俺は守ってほしくて悟史の傍にいるんじゃない。
悟史が「守れない」とため息のように言葉をこぼすその度に、俺はもう何度もそう言ってきたけれど、悟史もまた俺の言葉をちゃんと理解しているわけではなかったみたいだった。
どうやったって生まれる齟齬は、仕方のないものだと思っていた。
いつか分かってもらえると思っていた。

守られたいなんて思っていない、そう返す俺に悟史は淡く微笑んでみせるだけだった。
困ったような微笑みは、やっぱり俺の言葉を理解するつもりはないらしかった。
もう何の言葉さえ通じないんじゃないかと思わせるその諦観の微笑みに押されるように名前を呼ぶと、悟史はそれを遮るように口を開いた。

ごめんね、でも、僕はきっともううまくやれない。

その悟史の言葉を、俺はすぐには理解できなかった。
何を言ってるんだろう、と呆けたまま見つめ返すと、悟史はそれをどう取ったのか申し訳なさそうに少しだけ笑みを打ち消した。
そのまま、ごめんねともう一度。
繰り返して悟史は踵を返した。

何が、うまくやれないって言うんだ。
頭に回るのはそれだけだった。
うまくやれない理由を探せないまま、三度息を吸う。
何がだめだったのかとか、何を悟史が考えていたのかとか、いろんなことが頭を回る。
守ってほしいわけじゃないと今まで何度も言ってきたのに、悟史はそれを分かってはくれなかった。
今分かるのはそのことだけで、それが何より、俺にとっては悲しいことだった。


言葉は意味をなさない。
大事な言葉ほど通じない。
見えない壁に遮られてまっすぐには届かない。
形を変えて届くものでしか、それでも俺は知らない。
この気持ちを伝えるすべを、俺は知らない。


気付いたら家を飛び出していた。
靴をはくのももどかしいまま、悟史のその背を追いかけるように。
街灯も少ない雛見沢の夜道は、けれど降り積もった雪に反射する月の光のおかげで、ほのかに青白く発光していた。
だからすぐに悟史の歩いていく姿を見つけることができる。
雪の道を歩いていく悟史の足取りはしっかりとしていて、何の躊躇いも迷いもないように見えた。
悟史の名前を呼ぶ。
今はもう夜で、あたりはしんと静まり返っていたけれど、関係なかった。それさえ、構う余裕が俺にはなかった。

呼びとめた、俺の声に驚いたように、悟史は足を止めた。

それからもう一度同じやり取りをした。
俺は納得がいかないと言ったし、悟史は守れないからと繰り返した。そうして落ちたのが、最初の台詞。
どうして優しくしたりなんかするんだ。
その言葉だった。


静かに揺れて落ちる雪が、俺と悟史の間を阻むようにその勢いを増していく。
悟史はその雪の向こうで何も言わずに、ただ黙ってうつむいていた。
胸が痛い。
何も言わない悟史が、そうやって追い詰めることしかできない俺が、くやしくて胸が痛い。
こんな思いをするために、俺も悟史も出会ったわけじゃない。
共有できた思いがこの痛みだけだったなんて、そんなのあまりにも悲しすぎる。
息を吸う。冷えた空気に、肺が震える。

「こんな痛みなら、知りたくなかった。知りたくなんかなかった」

なのにどうして、こんなにおまえのことが好きなんだ。
俺の言葉は、降る雪に紛れもせずに、凍り付くような空気の中で響いた。
隠すことなんて不可能だと言うように、静寂に響いて消えた。

「馬鹿みたいだ。俺だけが、おまえを好きだなんて」

はらはらと雪が舞い落ちる。
すべてを白に染め上げていく。
それなら、この思いだって白に還してくれたらいいのに。
悟史を思うその痛みだけが、身を切るような寒さと一緒に増していく。
止まない雪のように、ただ降り積もっていく。

「きみを傷つけるかもしれないんだよ」

「傷つければいい」

考えるような沈黙の後に、悟史はそう言った。
いつだってそうだ。
悟史はそうやって大人ぶって、何かが起こる前から俺を守れないと言う。傷をつけると言う。
自分には何もできないと、何も掴むことができないと言って諦めてしまう。
それが何より俺を傷つけるなんて知らずに、その残酷な言葉を俺に突き付ける。

「おまえと離れる方がつらいって、何で気付かないんだよ」

悟史の背負った傷が俺には分からないから、だからこんなにも考え方が違うんだろうか。だから、俺は悟史のことを分かってやれないんだろうか。じゃあどこまで歩み寄ればいい?それとも、その行為さえも無駄なんだろうか。俺たちが出会ったのは「間違い」だったんだろうか。

そんなこと、あるわけないだろ。

いつのまにか伏せていた視線を上げて、悟史を見つめた。
雪の向こう、悟史は少しだけ驚いた顔をしていた。
そっとため息をつくと、息は白くなって流れて消える。
吸い込んだ夜気は凍るように冷たくて、なぜだか泣きたくなった。
どうして分からないんだよ、と子どもみたく言えたら良かった。
おまえが俺を好きで、俺がおまえを好きなら何も問題はないはずなのに、どうして分からないんだと。
別れる理由なんてない。
そう思う俺こそが、子どもなんだろうか。
悟史を分かってやれない俺は、大人じゃないんだろうか。

雪を踏みしめる音がした。
距離を一歩縮めた悟史が、俺のすぐ目の前に立つ。

「そばに、いていいの?」

寒さにも震えない声が、まっすぐな視線と一緒に俺に向けられた。

「嫌なんて俺は一回も言ってない」

一度だって、俺が悟史を拒んだことがあったかよ?
あるはずがない。俺はずっと悟史と一緒にいたいんだから。
ずっと、出来るなら本当に、ずっと。
わがままかもしれない、子どもなのかもしれない。
でも、そう願うことがあったっていいだろ?
悟史が願わないなら、俺が願う。
悟史の分まで、「永遠」を。

「ごめん……、ごめんね」

悟史の指がそっと伸びて、俺の肩に触れた。遠慮がちにまた一歩、距離が縮んで、静かに抱き寄せられる。外気に冷やされた体は、それでもほんのり温かくて、どうしようもなく安心した。
悟史が、傍にいるんだと思った。

「聞きたいのはそんな言葉じゃない」

小さく返した俺の言葉に、悟史はわずかに身体を離してどういう意味か確かめようとした。そのまま悟史を見つめる。
間近に見える赤い瞳が、不思議そうに俺を見ていた。
闇夜にも綺麗なその瞳が瞬く前に、口を開く。

「好きだって、言えよ」

声は少しだけかすれた。
それでも悟史には伝わったらしい。
好きだよ、と小さな声で返ってくる。
自分で言わせたくせに、その言葉に胸が強く音を立てる。
自分でも馬鹿だと思う。
どうしてこんな面倒なやつ、好きになったんだ。

「もっと」

呟くように催促をすると、催促しただけ悟史は俺に好きと言った。
言っていいのか迷うように。
それでもまっすぐ俺の目を見て、悟史は言葉を俺に渡した。

「……好きで、ごめんね」

最後の一回、俺が催促をする前に悟史はそう言って俺の頬に口づけをした。ごめんね、ともう一度囁くような小ささで言われる。
その響きはまるで、悟史が人を好きになってはいけないと思いこんでいるみたいに聞こえた。
人を好きになる価値がない人間だと思っているみたく、感じた。
そんなことないって言ったって、悟史はきっと笑うだけだ。
諦めたように、いつもの困ったみたいな微笑みで、悟史は笑うだけだ。

どれだけ言っても、きっとすぐには分かりあえないだろう。
俺も悟史も生きてきた環境が違うから、たぶん簡単には互いの気持ちを分かれない。
子どもみたくその違いを認めないなんてことを言うつもりはない。
でも、大人みたいに割り切ることも、出来ない。
出来るなら、俺は悟史と分かりあいたい。

「…………、俺に悪いって思ってんならもっと好きになれよ」

今ここで諦めた方が傷つかずに済むのかもしれない。
いつかこの日を後悔するのかもしれない。
でも、いつかの後悔のために、今後悔したくない。

「離れたいなんて思わないくらい、俺を好きになれよ」

悟史は俺の言葉を考えるようにまばたきをした。
それから、ゆっくりと抱きしめる腕に力がこもる。
降り積もっていく雪に紛れるように小さく、それでも確かな響きで、うんと答えるのが聞こえた。








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