少年と少女の思い出


違和感を感じたのは闇の中でだった。
時は1945年。後の世に第二次世界大戦と呼ばれる戦争が終わり、
ウォルター・C・ドルネーズも死神としての役目から解放され、
というか強制的に執事としての役目(後片付け)に奔走させられていた頃。

まだ年若い少年は疲れて屋敷のベッドに横になっていた。
昼間は忙しさに我を忘れていられるが、こうして暗闇の中に一人でいると思わず手がうずく。
……感覚が忘れられない。肉を絶ち骨を切っていたあの戦いの記憶が。その手応えが。
ぞわ。
かすかに違和感を感じた。
そして次の瞬間にはもう、"そいつ"はウォルターの上にいた。

「何の冗談だよ、吸血鬼」
久しぶりに見たアーカードは、悪趣味にもまたあの姿をしていた。
すなわち、研究所で見せた少女の姿だ。
それは振り払おうとしていた嫌な悪夢が現実化したようで、率直に言ってムカつく。
「オレは疲れているんだ。くだらない遊びに付き合う気分じゃないね」
「くだらない遊びではない」
猫のような瞳をした少女は、いつになく神妙な面持ちでウォルターの上にまたがったまま、
その頬に指を這わせる。
「"たぎり"が忘れられん」
「……はあ?」
乱雑にその指を払った。(主ならともかく)そんな馬鹿げた駆け引きの遊びに付き合うには、
ウォルターはまだ若く、ついでに疲れで眠かった。

しかし吸血鬼は平然と言葉を続ける。
「思い出させてくれ、ウォルター。もはやおまえだけだ、"生き残っている"のは」
「けっ」
どうやら何か面倒なことになりそうだと、本能が囁いて、彼は眠る時も外さない
ワイヤーを仕込んだ手袋の感触を確かめる。
……本当は外さないのではなく、外せないのだが。
この場合はそれが役に立ちそうだった。
「あんまりしつこいと、その素ッ首、叩き落とすぞ」
「ああ懐かしい言葉だな。やはりおまえも忘れられないとみえる、ウォルター。
 あの戦いが、あのたぎりが。化け物どもの宴が」

今度こそ本気でムカついた。
ウォルターはすっと手を動かし、そのほんのわずか一挙動でワイヤーを少女の首に巻き付ける。
アーカードはそれを平然と受けて、にんまり笑った。
嫌な笑みだった。
「テメェ、ヤリたいのか、殺りたいのか、どっちだよッ!」
「両方だ」
「じゃあぶっ殺す」
「面白い冗談だな、少年」

「オレは貴様と違って、冗談は言わねぇ」
ぎりぎりぎり……。
少女の首に絡まったワイヤーが徐々にしまっていく。その白く細い首から血が噴き出し始めた。
ぽたぽたと、赤い血が落ちる。少女の下に敷かれた少年の上に。
「汚れるぞ、ウォルター」
「気遣いサンキュー、この変態吸血鬼が」
ウォルターは構わずワイヤーを握る手に力を込めた。本気で首くらいは落としてやるつもりだった。
どうせアーカードはその程度のことでは死なない。……いや、元から死んではいるのだが。
"生き残っている"という最前の言葉が思い出された。
そう、もはや生きているのはウォルターだけだ。
あの胸糞悪い研究所を知っている、最後の生き残り。
そうしてアーカードは最後の死に残り。

化け物共は滅び去り、最凶の化け物だけが取り残された。
ああ、コイツは本当に死に(滅び)たいのかもしれないなと思った。
そう感じてしまったことは、なぜか少年を苛立たせた。

「やっぱり、その首、落としてやる」
ひと思いにワイヤーに力を込める。それで首は落ちるはずだった。
アーカードは不死身で馬鹿力だが、肉体的な強度は普通の人間とほとんど変わらない。
まして今の姿では。
……ところがワイヤーは、確かに肉にくい込んでいく手応えがするのに、ある一点で止まった。
これ以上、進めない。
ただ血だけが、ぽたぽたと、ぽたぽたと、落ちてくる。
「……ッ」
往生際の悪いヤツだ、そう毒づこうとして、ウォルターは気付いた。
血が……這いずっている。体の上で。まるで虫のように。
「うわあッ」
原始的な恐怖に突き動かされて、少年は叫んだ。
「なに、ほんのちょっとした座興だ。そう暴れるな、クソガキ」
首ががしっと押さえられる。少女の細腕にもかかわらず、あのヴェアヴォルフの化け物大尉の
腕なみに、その力は強かった。
「やられたら、倍にしてやりかえす。おまえの好きな言葉だろう?」
「……ぅぐ」
声を出してしまったのは、肺から空気が絞り出されただけで、断じて降参の仕草ではない。
ウォルターは目に精一杯の力を込めて、自分の上に乗っている
冗談なくらいに上品で可憐な少女の姿をしたモノを睨みつけながら、
ちらりと自分の身体を確認した。
まあ確認するまでもなく、何が起こっているかは肌が感じていたのだが。

血が這いずっている。
いつの間にか無数のムカデと化して、彼が着ているシャツを食い破りながら。
首を絞められているのは幸運だった。その苦しさが、ウォルターに正気を保たせた。
ぞわぞわぞわ、無数の足があらわになった肌を這い回る。
普通なら気持ち悪くてたまらないはずなのに、なぜかその感覚は白く細い指の愛撫にも似て
少年の若さを高ぶらせる。
こいつは悪魔だ。本当に悪魔だ、そう思った。

「……うぐぐ」
ワイヤーを引き絞る。それが余計に血をしたたらせることだと知っていても、
今のウォルターに出来る抵抗はそれしかなかった。
少女の細い首に巻き付いたチョーカーのような――あるいは首輪のような――赤い輪と、
そこから伸びている自分のワイヤーだけが……現実だ、そう思い込もうとした。
「ふふ」
悪魔は可憐に微笑む。あの研究所で柩から出てきた時に見せた笑みのように。
「私は往生際の悪い人間が大好きだぞ、ウォルター」
ワイヤーのことなど意に介さず、少女はすっと少年の顔に唇を寄せる。
もちろん首を絞めている手の力は、少しも変わらない。
なにせアーカードにとってはこの程度、小指で羽虫を押さえるに等しい。
握りつぶさないでいることのほうが奇跡だ。

「本当におまえのことが大好きだ」
それだけ囁いて再び体を起こすと、ずると少女の体を覆っていた分厚いコートが剥がれる。
その下に着込んでいたスーツもタイもシャツも、あっという間に闇に姿を消した。
かわって現れたのは白い裸身。まだほとんど膨らんでいない乳房、
肋骨が浮き出て見えそうな細い腰のくびれ。未発達な骨盤。
女として認識することが出来るかどうかギリギリの、だからこそ魅惑的で蠱惑的な肉体。

思わず体が反応する。少年は未だ若く、自らの本能を押さえるすべを知らない。
そして彼もまた、大人になりきれない体を持つということでは、目の前の少女と同じで、
だからこそ本来感じるべき禁忌は、ずっと少なかった。
むしろ目の前の幼い体は、身長は伸びるのになかなか肉が付かない自分自身の体や、
しょっちゅうからかいのタネにされる細い腰に対する、ウォルターのコンプレックスを開放した。

「私たちは似ているだろう?」
彼の心を読んだかのように、少女はささやく。
「私はおまえのために、この体を選んだのだよ。あの戦いの時から、ずっと」
首を絞めていた腕が離れる。彼女はウォルターの上にまたがったまま、まっすぐ体を起こし、
少年の下半身に手を伸ばした。もちろんそこも既に虫が食い破り、彼の体を覆う布は
もはや一枚としてない。
「ほら、こんなに膨らんでいる」

顔が火照るのを感じた。何か言ってやろうと口を開くが、何を言っていいのかが分からない。
手で相手を押しのけようとして、
自分の両手はまだワイヤーを握りしめたままであることに気がついた。
「……ッ」
手を離すべきか迷い凍り付いた少年を尻目に、少女はゆっくりとその股間をさすり上げる。
「本当におまえは感じやすいなウォルター。あのデブについて行かなくて本当によかった」
もう片方の手で彼女は少年の乳首を撫でた。
「少しは心が動いたか?」
「んなわけあるか、馬鹿ッ」
咄嗟に叫ぶことができる自分に、なぜか安心する。
まだすべてを相手に握られてはいないのだと確認することが出来たから。

「そうか。でも私はおまえが向こう側に行ってしまっても、構わなかったぞ。
 一度おまえとは本気で戦ってみたかった」
ウォルターのワイヤーを首に絡みつかせたまま、少女はにんまり笑う。
「だから今、こうしているのだがな」
乳首をいじる手が二つになる。両方をまさぐられておもわずうめき声を上げつつ、
股間をさする感触がまだ存在することを知って、彼は愕然とした。
「ああ、いい」
少女は自らの性器で、彼の性器をこすりあげていた。
「濡れてきた。おまえも感じているか、ウォルター? 私に挿れたいかね?」
細い腰がグラインドする。彼と彼女が接している部分が、ねちゃねちゃと音を立てた。
これ以上ないくらい張り詰めた敏感な部分が、割れ目とその中の肉襞の存在を
一枚一枚感じ取る。入りそうで入らない、そのことに少年は苛立ち、そんな自分に火照る。

「……いやだ」
つぶやいたのは精一杯の抵抗だったのかもしれない。
しかし彼の両手はまだワイヤーを握ったままで、視線は呆然と自分の上で踊る
美しい少女の裸身と、その上に乱れかかる綺麗に切りそろえられた黒髪の動きを眺めていた。
首にワイヤーをくい込ませたまま、淫猥なダンスを踊るその姿は
まるで自分が少女を操ってこうさせているのだという錯覚すら起こさせる。
「ぅう」
肉襞が性器を挟み込み、前後に動く腰の動きにあわせて彼のものをしごきたてた。
ほんのわずかに繁る陰毛が絡み合い、ちくちくと刺激する。
「ほら、もう我慢できないだろう。挿れたいだろう。言ってみろ、少年」
「死にさらせ」
「……それでいい」
少女はすっと腰を持ち上げ、ためらうことなく下ろした。ぐいと挟まれる感触がして、
次の瞬間にはもう、ずぶずぶと飲み込まれていく。
「…あ、あ、ああ……」

あまりの快感に彼はとうとう堪えきれなくなって声をあげた。
「いいぞ、とてもいい。とても硬く、たぎっている」
少女の声もわずかにうわずっていた。そう言いながら、完全にぴったり下ろした腰を
また持ち上げて、回転させながら挿れてくる。
熱く濡れた肉壁が両側からウォルターのものを挟み込んで、締めあげた。
もう身体の上にムカデはいない。血の跡一つすら残ってはいない。
しかし彼はまだ、全身を支配され這いずりまわられているかのように感じていた。
今の彼には、それが全てだった。
「はぁ…、あっ、ああ」
びくびくと身体がはねる。まだ首を絞められていた感覚が消えない。
口の端からよだれがこぼれそうになって、慌てて飲み込んだ。
「うん……、いいぞ……ウォルター」
闇の中で猫の瞳のように吊り上がった、アーモンド型の瞳が輝いていた。
魔の紅い色に。しかし圧倒的な支配力を及ぼすものとしてよりは、むしろなぜか寂しげに。

「う…ん……、く……ぅ」
はじけそうになってしまうのを、必死で押しとどめる。
入り、引き抜かれ、そしてまた挿れられる。自分が挿入しているのか、操られているのか、
翻弄されているのか、しているのか、全ては渾然一体となってわからなかった。
いつの間にかまたワイヤーを握りしめていた。
もっともっとと、口で言えないかわりに手が動いていた。
ぽたぽたと血が落ちる。
熱い。体が燃えるように熱かった。性器は飲み込まれ、しごきたてられ、喰われて吸われていた。
けれども一方で彼はむさぼり、くい込ませ、さらなる深みを求めて突き上げてもいた。
血が落ちる。それはもう、這いずり回らない。
ただ熱い感覚を残して消えていく。
白い裸体、赤い血、黒い髪、紅い瞳。白い裸体、赤い血、黒い髪、紅い……瞳。
「う…ぁ、あ……あ…ああッ」
今度こそ本当にはじけて精をまき散らす瞬間、ウォルターはようやくワイヤーを手放していた。
ぷつんと、どこかで糸の切れる音がした。

どれくらい呆けていたのだろう。汗が体の熱を奪いながら蒸発していくのを感じながら、
ウォルターは大きく息を吐いた。そして気がつく。傍らに少女が眠っていることに。
瞳を閉じたその姿は、ただの子供に見えた。けれどももちろんそんなはずはなく、
この少女は少女ではない。証拠に白い首には、もはや一筋の傷も残ってはいない。
「……!」
さきほどまでの感触がまざまざと思い出された。
苛立ち、"生き残った"、首を絞めるワイヤーの感触、握り絞められた首の感触、そして……。
また顔を火照らせながら、しかし最後に残ったのは冷たく寂しげな瞳の輝きだった。
真に年若い人間であるウォルターには、まだその本当の意味が分からない。
けれどもそれでも彼は、この少女と自分は最後の"生き残り"なのだと理解した。
同じものなのだと……ようやくその意味を受け入れられながら、手を伸ばそうとすると、
少女の体は闇にすっと消えた。
「……なんなんだよ」
毒づきながら闇を見る。
「アイツ、何がしたかったんだよ」
ウォルターは溜息をつき、自分の手を見やった。ワイヤーが仕込まれた手袋。
それを外す。こんなものをしているから、こんなことになるのだと、なんとなく分かったので。

彼はそうして手袋を外した。ようやく、外して眠ることができそうだった。

2005.9.22

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