遠くで門の開く音


インテグラは誰もいない夜の執務室で、デスクに腰掛けてぼんやりと宙を眺めていた。
服装は昼間着ていたブラウスとスカートのまま、まだ寝間着に着替える気にはなれない。
重い革靴と靴下だけは脱いで、素足をぶらぶらゆらす。今日は、そんな気分だった。

最近どうも気鬱がする。
ヘルシング家当主を継いでから丸2年。
まだ仕事をするより当主としての勉強をしている時間が長いくらいだが、
なんとか様になってきたと思う。でも、もっともっと頑張らないといけないのだけど。

それに近頃なんだか下腹部が痛い。

これはもしかして初潮の前触れだろうか。

学校で教わった基礎知識はある。
でも彼女には母がいない。執事は男性だし、ヘルシング家は戦闘機関という特殊性から
極端にメイドの数が少ない。だから親しいメイドもいなかった。
幼くして貴族の家督を継ぎ、勉強にあけくれるインテグラには同年代の友達もいなかった。
悩みを相談したり経験談をこっそり聞ける相手はどこにもいない。

「どうしたのかね、我が主」
闇の中からやわらかな声がふってきた。
「考え事をしていたのよ、我が僕」
少女の鈴のような声がそれに答える。
「主を悩ませることとはなんだね?」
すうっと目の前に現れた下僕の顔は白くほつれた髪に半分隠されている。
インテグラは最初の邂逅以来、久しぶりに見るその姿に驚いた。
「あなたこそどうしたの、その髪は? 血は充分与えているはずだわ」
「これはそう、今の私の気分だよ」
インテグラはその細い首をかしげる。
「あなたも悩むの、吸血鬼?」
「いや違う」
返答は明確で簡潔だった。だからそれ以上聞くことはできなくて、少女は足をぶらぶらさせた。

遠くで門の開く音

「何に悩んでいるのかね、インテグラ?」
下僕は再度そう尋ねる。静かな声だった。
「私はもうすぐ女になるわ」
人でない相手だから、言葉はすっと流れ出した。
「毎月毎月血を流すのよ。その時にはこんな鈍痛がするんですって」
手を下腹部に当てる。
「女は痛みと穢れををずっと背負って生きていかなくてはならないんだわ」
部屋は暗いしアーカードの顔は髪に隠れてよくわからない。
けれどインテグラには彼が笑ったような気がした。
「少なくとも私にとって血は穢れではない」
主の前にひざまずいて彼女の足をそっと持ち上げる。

その時、すうっと一筋の血が足を伝った。

「あっ」
「始まったようだな」
下僕は彼女の足にくちづけし、その血を舐め取っていく。その姿はとても自然だった。
「私にとってこの血は人間の生気に満ちあふれている。とても美しい血だ」
「…これは不浄ではないの?」
無垢な青い瞳で下僕を見つめ、インテグラはそう尋ねた。
「違う」
アーカードは静かに否定し、流れ続ける血をやさしく舐め続ける。
「これは生まれては死んでいく人の営みの証だ。命が凝縮された、もっとも高貴な血だ」
「…。誰もそんな風には言ってくれなかったわ」
なにか心の中を風が吹き抜けたような、開放感と脱力感におおわれながら
インテグラは血をすすり続ける下僕の姿を見つめていた。
「おめでとう、インテグラ」
吸血鬼のその言葉に、少女の頬を一筋の涙が伝った。

月経の血を与える少女インテグラ。

「もっと舐めてもいいのよ。いいえ、もっと舐めて」
頭上からふってきた主の静かな言葉に下僕は顔をあげる。
「いいのかね?」
「ええ、全部舐めて頂戴。あなたに舐めて欲しいわ、アーカード」
下僕はそっと舌をふくらはぎにはわせ、太股へと進める。
どこでやめてくれと言うのだろうと思っていたが、主は黙ってされるがままだった。
とうとう足の血は舐め尽くして、下腹部の淡い繁みへと舌をすすめるため片足を持ち上げても黙ったまま。
ただ黙って下僕の姿を見つめていた。
気高き我が女主人。
アーカードは感嘆しながら、その己の脳さえ痺れさせる濃い命の血をすすった。
インテグラのもう片方の足が下僕の肩におかれる。

「我が僕。あなたは私の汚い部分を沢山知っているわ。叔父を殺したところも見たでしょう」
「おまえは少しも汚くなくなどない、我が主」
インテグラは静かに首を振った。
「いいえ私は汚いわ、これからもどんどん汚れていくわ。アーカード、あなたと一緒に」
アーカードは顔をあげた。少女の青い瞳に口のまわりを血に染めた己の姿が映っている。
「あなたにとって血は不浄ではない。むしろ生命そのもの。そうよね?」
主はそっと細い両手で下僕の顔をつかんだ。
「でもやっぱり人である私には血は不浄よ。穢れだわ。私はそれを背負っていく。ヘルシングとして」
静かな瞳だった。時として少女は一瞬で大人になる、そのことに長い年月を生きてきてもまだ驚かされる。
「けれど今だけは、すべて舐めて頂戴。私の穢れを」

「承知した、我が主」
主の目をまっすぐ捕らえながら、アーカードは答えた。
高潔な主人への心の底からの敬意と、その奥底でかすかにたぎる欲望を胸に秘めながら…
主の繁みの奥をすすり続ける。

*掲載しているイラストは四一三号さまから頂きました。ありがとうございます。

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