悪夢


これは夢だ、きっとそうに違いない。
分かっているのに私は怖くてたまらなかった。
闇が迫ってくる。
寝室はもうライトがおとしてあって窓の外は新月で、充分暗いはずなのに、その闇はなお昏かった。
闇の中には目があった。無数の目がすべて私を見ていた。
この私、インテグラ・ヘルシングを。

ああ。怖い、怖い。怖くてたまらない。それなのに私は動けない。
闇はどんどん近づいてきて、ベットの周りを浸食し、私のベットはさながら小舟のようだ。
その小舟は今沈没しかかっている。闇はゆっくりとベットの上に登ってくる。
「うわあっ」
闇が足先に触れそうになった瞬間、体が動いた。私はシーツを闇に向かって投げる。
白いシーツは音もなく手応えもなく闇の中に消えた。私を覆うものが一枚消えた。

これは夢だ。私は必死で自分にそう言い聞かせた。
この闇はなんだ? 私は知っている。でも思い出せない。ああ、きっとそれが鍵なのに。

闇がのし掛かってきた。
いつの間にか闇には無数の手があって、それが私の体を触っていた。
手首を太股を腰を二の腕を胸を足首を頬を首筋を、愛撫する。
寝る時には薄いネグリジェしかつけていない。だから手の感触は鮮明だった。
「はあ、はあ」 落ち着こうと深呼吸をしているつもりなのに、なにか違う。
自分の声に艶を感じて私は身震いした。感じている? 闇に触られて感じているのか? この私が!?
闇の愛撫は優しい。決して私を拘束しない。だけど私は動けない。
一本の手が下腹部に這った。
「はぁっ」 たまらずあげた声だったのに、それはやはり嬌声だった。
手がショーツの中に進入してくる。
もうどうなってしまうのだろう。頭の中にまで闇が入ってきたように考えがまとまらない。
「ひぃっ」 手の指が割れ目をなぞった。もう一度、今度は少し力を入れて深く。
だめだだめだそれだけは。私は処女を守らなくてはいけない。
それなのに、どうしようもなく蜜があふれだしているのが自分でもわかった。
ネグリジェはとっくにまくり上げられていて、むき出しの胸にも手は愛撫を続けている。
体の他の場所も。脇腹も! 私はそこが感じやすいんだやめてくれっ。

闇を突き飛ばそうと伸ばした手は闇に飲まれた。砂をかくように、なんの感触もしない。
ああこいつは化け物だ。今頃私はそう思った。私は化け物に襲われているんだ。
あそこを撫でていた指が、くちゅっと進入した。
「やめてくれ、それだけはダメだ」
懇願する私の声を聞いてくれたのだろうか? 指はそれ以上進まなかった。
ただ入り口をかき回す。敏感な突起を戯れるように何度も弾く。
「はあ、はあ、はああぁっ」
快楽が突き上げてくる。もうたまらない。無数の腕は私を解放してくれない。
優しく優しく愛撫する。乳首もヘソも指の付け根もうなじも耳の後ろも脇腹もっ。
「あぅう、あぁんっ、あんっ、もうだめぇっ」
私は闇の中で絶頂を迎えた。

しばらく呆然としていた。手はもうどこにもない。必死で気持ちを落ち着かせる。
これは夢だ。夢に違いない。
呆然と体を起こすと目があった。また無数の目が私を見ていた。
「うわあぁっ」
私は逃げ出した。扉の方向には闇がある。バルコニーへ出るガラス扉へと私は走った。
震える手で錠を外そうとしていたとき。
捕まった。
手が、手が私を捕まえた。まるで抱きしめるかのように私の体を拘束する。
「お前はなんだ?」 闇の声が聞こえる。
目の前のガラスには私の姿が映っている。褐色の肌、金色の髪、青い瞳。
「私は、私は…」 それはとても重要な問いだと直観した。思い出す。自分が何であるかを。
「私はヘルシング局長だ。ヘルシングの直系、インテグラル・ファルブルケ・ウィンゲーツ・ヘルシング!」
「そうだ、それがお前の姿だ」闇は嬉しそうに言った。「前を見ろ」
ガラス扉にうつっていたのはいつもの私。眼鏡をかけ、黒いスーツに身を包んだ鉄の女。

でもその頬に、そっと手がそえらえる。闇の手が、肩にのせられる。腰に添えられる。
これも私だ。闇に捕らわれている私。今はこれだけだけど、いつかきっと飲み込まれるだろう。

「それは今だ」 闇の声がした。

上着が脱がされる。タイが外される。ブラウスのボタンが一つ一つ開けられる。
ベルトが抜き取られる。パンツのボタンが外される。それらを私は呆然と、ガラス越しに見ていた。
そして、腰の後ろにかけた手が、パンツを引きずり降ろした。
「いやああっ」
逃げ道はない、私はガラス扉にすがりついた。向こうには同じく手から逃げようとしている女が居た。
私たちは見つめ合った。
手が体に伸びてくる。ブラウスは脱がせずに、ひらいた前から胸をつかむ。後ろからも背中に手がすべりこむ。
再度悲鳴をあげようとした口に指が這ってきた。口角をなぶる。それだけで私は声を上げられなくなった。
ガラスの向こうの女はただ顔をゆがめるのみ。
また弄ばれいかされてしまうのか、この手に。それも自分が何であるかを思い出さされてから。
すでに一度登り詰めた体は暖かく、すぐに反応してしまう。
ズボンを降ろされむき出しになった尻を撫でていた手が、またショーツの隙間から入ってこようとする。
私はまだ濡れている。私のその部分は手を指を待ち望んでいる。
でも、でも、こんなのは嫌だ。さっきのは許せても、これだけは許せない。
私は必死で左手を伸ばした。ガラスの向こうの女も同じように右手を伸ばす。
後ろには赤く光る目が映っていた。
手がつながる。思い出した。
「やめろ、やめるんだ、アーカードっ!」

そこで目が覚めた。
私はベットの中にいて、全身は汗でぐっしょり濡れていた。
窓の外は青みがかった灰色だった、もうすぐ日が昇る。
「悪夢か」
それでも私のあの部分は、現実でも濡れていた。

後日、気持ちが落ち着いてから下僕を呼びつけ「変ないたずらはするなよ」と言ったが
彼は「なんのことだかわからんな」と平然と答えるのみだった。
具体的に問いつめるのははばかられて、私はなんとなく言葉を濁しながら
夢の中でお前が襲ってきたんだということを遠回しに説明した。
「…つまり、お嬢さんは欲求不満だったということかね?」
「…! こ、このど阿呆っ! バカ!! バカ!! バカーッ!!!」
とどめに出て行け!と叫ぶと、下僕は大笑いしながら壁の中に消えた。

だから、あれは下僕の仕業だったのか結局わからないままだ。
それとも本当に私の無意識の欲望だったのだろうか? あの昏い快楽の記憶は。


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