ドク先生人生相談


こちら私立ヘルシング学園第三理科準備室。
通称アウシュビッツ理科準備室。
この部屋の主であるドク先生は冷めたコーヒーをたたえたカップを両手で包み持ち、
寂しそうに呟いた。
「誰も来ない……」

 #

事の発端は教頭執務室で始まる。
「諸君、来週より新しく生徒諸君を対象とした教職員による悩み相談を始めることになった。一つよろしく頼むよ。
明日朝礼でペンウッド校長より告示があるはずだ」
ドク先生の派閥のボス、少佐教頭がいつもの素敵な笑みを浮べてそう宣告した。
「またこんなくだらない事を! どうせ校長かインテグラの思い付きでしょう!?
私ら教職員が暇を持て余していると思っているのですかね連中は」
ドク先生は遠慮会釈なく新しい仕事を押し付けられた事に腹を立てる。
だがそれはペンウッド校長とインテグラ先生にとって冤罪というものであった。
「すまないねえドク君、君にはいつも苦労をかけるよ。この悩み相談の立案者は私なんだ」
「なんと素晴らしいのでしょう!
悩み大き世代の声に直接耳を傾け彼らの育成に注力されるとは、私感服しました!」
「………」
「………」
あまりの変わり身の早さに正直少佐教頭も大尉先生も言葉が無かった。
大尉先生はそれが地かもしれないが。

少佐教頭先生もいつもいつも舞台裏の暗闘劇に精を出している訳ではない。
学園運営についてのプランや改革案を出したりもする。
そうして結果を積み上げ表舞台から自分の実力を理事会に誇示しているのだ。
この悩み相談、少佐教頭が注力しているだけあって中々精巧に出来ている。
まず悩みを聞く先生は三日交替。場所はどこでも自由。
多くは準備室や実習室等の自身の活動拠点や担任を勤めるクラスの教室、
中には顧問を務めるクラブ部室を使う先生もいる。
その三日間は当番の先生は雑務を免除され、生徒の悩みを聞いて指導するだけでよいことになった。

生徒の側にとっては、内容の秘密は絶対厳守。
また相談事項が成績や進路に影響することはないと言明され、相談の内容はなんでもよいとされた。
進路、学業、対人関係、金銭トラブル、いじめ、そして恋の悩み。
なんでもござれで対応するとのお達しであった。

少佐教頭の狡猾なところは、この相談を担当する最初の当番にインテグラ先生を指名したことだろう。
これが自派閥のドク先生を指名しようものなら、痛くも無い腹を探られることになっただろう。
また、生徒から人望のあるインテグラ先生が先陣を切ればおのずから成功するのは目に見えている。
インテグラ先生も自身が利用されているのは分かっていたが、断る理由などどこにも無く、
無理矢理断ろうものなら何を陰で言われるか分かったものではない。
それに動機はどうせ不純であろうが、個々の生徒の抱える悩みに耳を傾けるのは決して悪いことではない。

あれやこれやで始まった悩み相談は、少佐教頭が思った以上に生徒達に評判が良かった。

この年代の少年少女はいろいろ悩みを抱えているものだ。
年を取り、後で振り返ればなんでこんな事で悩んだんだろうと、
本人も首を傾げる些細なことにすら心を苛まれる。
日頃雑務に追われ、まともに生徒と相対する機会が少ない先生に、
自身が抱える重りを明かすことが出来るのは生徒達にとっても願ったり叶ったりだった。

ところでこの手の相談事は、相談者の個性を現すと同時に、
相談される方の個性をも明確にするものだった。

例えばマクスウェル先生が恋愛の悩みを打ち明けられた際は、
「ほう、その彼女と最近付き合い始めたのかね。
ああ、名前は言わなくてもいいよ。君もその方が相談しやすいだろう?
ところでどこまで進んだのかな? なんと、そこまで進んでいるのかね。
で、それは何処で? 何々、学校内!? 君も大胆だな。
え、彼女のほうから、それは結構な話ではないか。
ふむふむ、人気の無い屋上でか。中々凝った体験だね。
それでお互い全部脱いだのかね。ああ、成る程、全部はまずいよな。
若いと言うのは羨ましいことだね。
何々、彼女が何か隠し事をしている、そりゃそうだ。
この年頃の女の子は秘密を重ね着することで大人の女になっていくのだから、
あまり気にせず見守ってあげたまえ。
ところで色恋沙汰ばかりで頭が占拠されているからいらない心配をしていると私は見たね。
そこで平家物語の全文を頭から終いまで全文丸暗記しなさい。
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きありっとね」

まるで根掘り葉掘り人のプライバシーを聞きだした後に取ってつけたような、
「困りましたね、アべ・マリアを10回、ロザリオを10回唱えなさい。Amen」
で終わらせる懺悔聴聞僧のような対応だった。

中には過激極まりない回答を出す先生もいる。
「このごろシュレ君を見ていると胸の高鳴りが止まりません。どうしたらいいでしょう」
難儀な悩みを打ち明ける男子生徒に、ゾーリン先生は実に明快な答えを提示した。
「簡単なことだ、押し倒せ」
「お、押し倒せって…」
「難しく考えるな! 獣になるんだよ、獣に。
まあなんだ、押し倒すにも力がいるから腕立て伏せとヒンズースクワットは欠かすなよ。
日頃の鍛錬が物を言うからな。なんなら私が顧問の柔道部に来るか? 寝技の一つも教えてやるが」
その男子生徒は後に柔の道に進み、日本を代表する選手に成長する。
どうやら彼の曲がりかけたリビドーは、ゾーリン先生の「寝技」と柔道によって健全な道に戻ったらしい。
こうしてゾーリン先生は男子生徒の将来とシュレディンガー君の貞操を守った形になる。
無論先生本人にそんな意図は無かったが。

大尉先生の対応も個性的だ。
大尉先生は延々と黙って生徒の悩みに耳を傾ける。
その間相談者は一方的に話し続けるのだ。
聞いていない訳ではない証拠に先生は時にうなずき、時に首を傾げたりする。
相談者はそんな先生の態度に合わせて自分から考えられる範囲の答えを並べ立てる。
そして本人自身の意思で最善と思われる答えが出ると、
大尉先生は間髪入れずにメモに走り書きし、その相談者に渡す。
『それでよい。自分の信ずる道を迷わず進め』
このメモを見て相談者は感嘆の声を上げて大尉先生に謝して退室する。
大方の悩み事は実は本人の心の中に解答があったりする。
ただ実行に移すのに躊躇しているのが実態なので、
大尉先生はその解答を聞きだし、後ろからそっと押してやる手法を取っていたのだ。

 #

そうこうするうちに、ついにドク先生が当番の日を迎えた。
最初の一日、彼は仕事が溜まって大変なのに、何故生徒の茶飲話なんぞ聞かねばならぬとぶつぶつ言っていた。
だが初日は誰も訪れず、その仕事とやらは随分と進んだ。

二日目、その仕事は仕舞いまで完成させる。
誰一人アウシュビッツ理科準備室に訪れる者はいなかった。

三日目最終日。
「コーヒーをすすっても一人……」
理系人間のドク先生にしては珍しく文学的にアンニュイになっていた。
あれから、まだ誰も彼に悩み事を相談しに訪れる生徒はいない。

思えばこのシステムは露骨に先生の人気のバロメーターを示すものとなった。
インテグラ先生やベルナドット先生などは、門前市をなす勢いで相談者が入れ替わり立ち代り訪れる。
ゾーリン先生や大尉先生、マクスウェル先生は行列こそ出来なかったが、
その代わり何度も頻繁に訪れる生徒がいた。
少佐教頭やペンウッド校長に相談する者もちゃんといた。
だが誰もドク先生の元を訪れない。
ドク先生はここまで自分が生徒に嫌われていたのだと始めて知り、愕然としてしまったのだ。

そんな懊悩するドク先生の元についに待ち人がやって来た。

コン コン コンコン

「は、はい、開いてます開いてます、どうぞ!」
そう言いながらも椅子から飛び上がってドク先生は扉を自分から開ける。
その扉の向こうにセラス・ヴィクトリアが立っていた。

扉を開けたドク先生は一瞬固まる。
(なぜこいつが私のところに!?)
セラスの「活躍」はドク先生もよく聞いている。
少佐教頭の放った刺客を視聴覚室でぶちのめした武勇伝は。
その彼女が憂鬱そうな顔でやって来る。
(これはインテグラの放ったエージェントか!?)
そう疑ったのはドク先生に後ろ暗いところが満載だったからだろう。

何はともあれそのままセラスを廊下に立たせる訳にもいかない。
「ま、まあ中に入りたまえ。相談に来たのだろう?」
「は、はい。ごめんなさい、もしかして仕事の最中でしたか? そうでしたら出直しますが……」
小生意気なインテグラの指導下にいる学生の割には可愛げがあるではないかとドク先生は少し感心した。

「それで、この私に相談とは何かね?」
「あの、笑いませんか?」
必死の形相でセラスはドク先生に念を押す。
「いや、笑うも何も聞いてみないことには何とも…」
そう言いながら、ドク先生は冷めたコーヒーを不味そうに口に含んだ。
「絶対、ぜえっったいに笑わないで下さいよ! 私、私、胸が大きすぎるんですっ」

ブ パ ー ッ !

ドク先生は約束を守って笑わなかった。
ただ飲みかけのコーヒーを思い切り噴出しただけだった。セラスに向って。
ブラックのコーヒーがセラスの制服に飛び散り所々黒く染みになっている。
あ〜と呆けた表情で自分の服を見下ろすセラス。
「す、すまない! ただあんまりショッキングな話だったんでついその〜
と、とりあえず、染みになってはいかん。これで拭いて」
そう言いながらドク先生のハンカチを握った手が、
セラスの胸に吸い込まれるように伸びてそのコーヒーの染みを拭った。

(お、おおおううううっ 何じゃこりゃぁぁぁ!)
ドク先生は魂で叫んだ。その未知とも言うべき弾力に。
本来脂肪分の塊に過ぎないはずの乳房が、
何か別の意思を持っているかのごとくに揺れ動きドク先生の右手の圧力を押し返す。
やわらかいとも弾力があるとも言える、矛盾する原理が両立する不思議な触感。
ドク先生の脳裏になぜか粒子と波の矛盾する概念が両立する量子力学の理論が浮かんだ。

「あ、大丈夫です、大丈夫です。私下に体操服着ていますから」
何が大丈夫なのかドク先生にはいまいち分からなかったが、
セラスの胸元を拭いていたハンカチを引っ込めた。
するとセラスは何を思ったのかその場でセーラー服を脱ぎ始めたではないか。
「こ、これ! 一体何をっ」
「脱いだ方が拭きやすいです」
セラスは何の気兼ねもなくセーラー服の袖から腕を抜き、裾をまくり上げ一気に脱いだ。
彼女の言うとおり下に体操服を着ていた。
体育の時間の後、着替えるのが面倒くさかったらしい。
(罠だっ これは罠だっ! 卑怯だぞインテグラ!!)
ドク先生はそんなセラスの破天荒な行動に全身から冷や汗をかいた。

自分の制服に飛び散ったコーヒーを自分のハンカチで拭きながら、セラスは「悩み相談」を続行した。
「私、中学校のころから胸がぐんぐん大きくなっていったんです。
それで周りの男の子達にからかわれたりして嫌な思いをして…」
「ふむ、通常女性の乳房はだいたい11歳ごろから発育し始め、
25歳前後までに、丸みをもつほぼ半球状の成人型の乳房になる。
君の場合他より早く発育が進んでしまったようだな。
性腺刺激ホルモン、ゴナドトロピンが少しばかり過剰に分泌されたかな…」
妙に教条的なドク先生の返事にセラスが噴き出した。
「ププッ ああっごめんなさい、
ゾーリン先生がこの件はドク先生の方が力になってくれるって言って下さったんで、
しかもゾーリン先生の予測通りの話の流れだったものですから、つい」
(ぞ、ゾーリンのヒットマンだったのかっ い、いやしかしこれは?)
ドク先生は屈託なく笑うセラスに混乱した。
セラスがあの性悪女教師供の悪の手先とはどうしても信じられない。

「うん、まあ、ともかくだ。こう言っては何だが少し贅沢すぎる悩みではないかな、それは。
世の中にはわざわざ豊胸手術でシリコンを埋め込む人もいるのだから」
「先生のおっしゃることも分かります。でもでも、大きいのもいろいろ問題があるんです。
好きな服はほとんど合わないし、下着の種類も限られるし、
肩はこるし、運動するときとても邪魔だし、それに……」

寂しそうに笑ってセラスは体操服越しに悩みの種を両手で寄せ上げた。

(何故だ、何故私の目の前でそんなことをする!? やはり売女達の手先か!?)
ドク先生の目の前でセラスの体操服越しの乳房が激しく変形している。
潰れてしまうのではないかと心配するほど押さえつけたと思ったら、
今度は千切れるのではないかとハラハラするほど掴んで引っ張る。

眼前で展開する驚異にドク先生の下半身が屹立し始める。
たまらずドク先生は視線を上に移す。
セラスの顔をよくよく見てみると、その瞳はぼんやりとしており、何か上の空の風であった。
何か考え事でもしているのだろうか。
(うん? これはひょっとして…)
ある事に気付いてドク先生は態勢を立て直す機会を手に入れた。

「セラス君、一つハッキリさせよう。悩んでいるのは本当にそんなことかね?」
「え、ええ、そうですが…」
セラスは今更ながらに自分がドク先生の前で何をしていたかを認識して、
顔を赤らめて手を乳房から離し、ひざの上で組んだ。
「では私が君の本当の悩みを教えてあげよう。
君は他人が、自分の胸だけを評価し、胸だけで自分を認識しているのではないかと疑っているのだ。
誰も本当の私を見ていないと…」
セラスはあっと声を上げて息を呑んだ。

「肩がこるの下着がないのは自己欺瞞だね。
そして全ての人間に自分を、本当の自分を分かってもらおうなどと思うのは、
少し虫が良すぎると思わないかな。君には君だけを見てくれる人はいないのかね?」
「います! 私います、そういう人!」
「ならばそれでいいではないか。何を悩むことがあろう、もっと堂々と胸を張りたまえ」
求める答えを得たセラスの表情はパアッと明るくなり、深々とお辞儀して退室した。

 #

迷える子羊に道を示してドク先生はご満悦だった。
「ふ、決まったな…… ハハハハハハハハァー!
自分で何を言たいのか迷っている人間には、当てずっぽうで一方的に決め付けてかかるのが良策!」
心地よい達成感に浸りながらドク先生は煎れ直したコーヒーを飲もうとガスバーナーに点火する。

ドン! ドン! ドン!

「何だ、また相談者か。にしても乱暴な奴だな、そんなに叩かなくても…」
ぶつぶつ文句を言いながらも扉を開けに行くドク先生。
勢いよく開いた扉の向こうには…
「ようドク先生、御機嫌よう。一つ俺の悩みを――」
「ギニャァァァァァァァーアーーーカーーードオォォォ」
多分にドク先生が出会い頭に一番見たくない顔がそこにはあった。
思わず条件反射で後ろに大きく飛びのいたのはよかったが、
運悪く机に体当たりしてしまい、その上で赤々と燃えるガスバーナーがドク先生の上に倒れてきた。
「ひ、ひ、火ィィィィ――ッ アツアツアツゥー 誰かだじげでー!」
白衣に炎が燃え移り、のた打ち回るドク先生をアーカードは唖然としてただただ見守っていた。

 #

ズルッ ズルズルズルー
こちら私立ヘルシング学園教職員宿直室。
宿直当番のベルナドット先生がやかんの湯を持ち旺盛な食欲を発揮しているアーカードを見つめている。
その後ろには呆れた表情でインテグラ先生も立っていた。

「で、一体これは何の騒ぎだったんだ?」
「知るか、俺が悩み相談担当の奴の所にわざわざ足を運んだら、勝手に奴が自爆したのだ」
「それでお前は何を相談しようとしたのだ」
「小腹が空いたのでカップラーメンを買ったのはいいが、湯を入れるのを忘れた。
そこで奴の部屋にあるガスバーナーで湯を沸かそうかと相談しにいったのだ」
「…悩み事相談の『相談』とはそういう意味ではないぞ」
「そうなのか、俺には違いなどよく分からんなインテグラ先生よ。取り立てて興味もないし」
「ま、よかろう。奴もこれで当分学園には出て来れまい。積悪の報いというものだな」
「そういうもんなんですかね。大変な学校に来ちまったなァ〜」
窓から遠ざかる救急車の赤色灯を見てベルナドット先生がぼやいた。
事情を知らないインテグラ先生は『奴』がセラスの悩み事を解決したことなど知る由もない。

可哀想なドク先生はその後2週間学園をお休みしたという。

―― ギャフンEND ――


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