リップ委員長のバレンタインデー


この学校には変わった先生がたくさんいるけど、
というより変わっていない先生なんていないくらいだけど、
大尉先生はその中でも独特な人だった。
いわく、誰も先生が喋るところを見た人はいないという。僕もない。

大尉先生は美術教師だ。絵も描くけど写真も撮るらしい。
美術の時間になって美術室に行くと、いつも黒板に大きくその日の課題が書いてあって
終わった生徒は時間内であってもあとは自由にしていい、そういう決まりだった。
今日の黒板には「静物写生」と書かれていて、中央のテーブルには
全長30cmくらいのフォルクスワーゲン・ビートルの精密な模型が置かれていた。
もしかしてこれも先生が作ったんだろうか? そんなことを考えながら、
僕たち生徒はそのビートルを中心に輪になるように座って写生を始めた。

席は自由だ。
僕はなるべく書きやすい位置を取ろうと思って、ビートルの前方斜め前に座った。
でも、さすがに長く愛されてきた名車だけあって、どの角度から見ても絵になる車だ。
逆にそれが難しかったりもするんだけど….。
鉛筆を動かしながらふと顔を上げると、リップ委員長がちょうと僕の真ん前に座っていた。
いつものように少し下にずりおちた眼鏡の中の目で、一生懸命ビートルを模写している。
けど、あの位置だとビートルを後方から見た姿の写生をしているんだよな。
結構マニアックな選択だなあと思っていると、委員長がこっちを見た。
ビートルじゃなくて、たしかにこっちを見た。

え? 僕は思わずどきまぎして鉛筆を止め、彼女の様子をうかがった。
委員長はまたこちらを見る。でも見ているのは僕じゃなかった。僕の後ろを見てるんだった。
そこには大尉先生が座っていて、いつものように自分の作業に没頭しているはずだった。
それは絵を描くことだったり、撮った写真の分類だったりする。
委員長はビートルを見るのと、模写するのと、同じくらいの時間配分で大尉先生を見ていた。
その目は写生の対象を見るのと同じくらい、いやそれ以上に真剣だった。

…つまり委員長は大尉先生が好きなんだ。

一度気が付いてみると、彼女の想いはすごくわかりやすいものだった。
いつも美術の時間になるとまっさきに美術室に向かうし、
出来上がった課題を大尉先生の所に持っていく時は頬が赤くなっている。
でも委員長は奥手だから絶対にそれ以上のことはしない。
大尉先生も気が付いているのかいないのか、
ただでも考えのわからないあの先生の気持ちなんてわかるはずがない。
それでも僕はなんとなく微笑ましく委員長の様子を見守っていた。
一途で真面目で繊細な、彼女の想いが伝わっているといいなと思いながら。

2月14日のバレンタインデー。その日は雪が降っていた。
もちろん高校生にとってバレンタインデーは大きなイベントで
僕も色々期待をしながらいつもより早めに登校した。
残念ながら靴箱には何も入っていなかった。

落胆したのでまずトイレに行くことにして、僕は三階の隅っこにある男子トイレに向かった。
突き当たりには窓がある。それは少し開いていて、冷たいすきま風が吹き込んでいた。
雪の日くらい窓は閉めろよなと思いながら、僕はその窓に近づいた。
その時、下から声が聞こえてきたんだ。
「あ、あの、あの…」
委員長の声だった。
僕は思わず窓を閉じるのを辞め、ガラスに顔をくっつけるようにして下をのぞき込んだ。
真っ白な雪の中に、セーラー服の上に黒いコートを着た委員長と
カーキ色のコートを着た大尉先生が立っている。
委員長の手には、はっきりそれとわかるバレンタインの贈り物がのっていた。
小さくて上品な金色の小箱で、金の葉っぱがプリントされた茶色いリボンがかけられている。
いかにも委員長らしい控えめな、でもきっと選び抜いた高級本命チョコなんだろう。
「あの、大尉先生…」
委員長の声は消え去りそうに小さかったけど、彼女たちが立っているのは
校舎と校舎の隙間なので、反響によって上に向かって声がよく響いてくる。
僕は思わず他の窓がどこも開いていないことを確認して安心した。

委員長はそれ以上何も言うことができなくて、ただ黙って金色の箱を差し出している。
真上からなので表情は分からないけれど、きっといつも以上に真っ赤になっているんだろう。
さっきの声の調子からすると泣きそうになっていてもおかしくない。
大尉先生の顔は、いつもかぶっている帽子の下なのでやっぱりわからないけれど
きっといつもと同じ無表情なんだろう。
ああもうじれったいなあ。
僕ならあんな委員長からチョコレートなんかもらったらその場で抱きしめて離さないのにっ。
僕は一人、廊下の隅で身もだえしていた。端から見たらさぞかし変な光景だったろう。
誰も通りがからなかったのは幸いだった。

僕にとっても、きっと委員長にとっても、永遠とも思える沈黙のあと、
大尉先生は黙ったまま手を伸ばし、委員長のチョコレートを受け取った。
それからコートの内側に手を入れて何か手帳のようなものを取り出す。
まるで何事もなかったかのように、いつもと同じ冷静沈着な動きでパラパラとそれをめくった。
よくわからないけどその手帳の中からは鮮やかな色彩が次々と現れる。…写真かな?
大尉先生はあるところでぴたりと手を止めると、その中から一枚を抜き取った。
そして委員長に向かってそれを差し出す。
真上からなのでよく見えた。それは白い花の写真だった。
真ん中にいくつも丸い実みたいなのがついていて、周りを白い花びらがおおっている。
名前は分からないけれど、委員長にぴったりの清楚で可憐な花だと思った。

委員長は震える手でその写真を受け取った。思わず落としそうになって、あわてて拾う。
写真は一瞬宙を舞って、それから委員長の手の中に収まった。
じっとその様子を見ていた大尉先生は、ぽんと彼女の頭を叩いてきびすを返した。
何も言わず、去っていく。
委員長は胸の前で写真を抱きしめながら、いつまでも雪の中に立っていた。
上からなのでよく見えなかったけど、その顔はきっととても幸せそうなんだろう。
委員長のことだから、やっぱり涙ぐんでいるのかもしれない。
僕は今更ながら見てはいけないものを見てしまった気がして窓から離れた。
だからその後のことは知らない。

ただ、あの花の名前は気になって、後日図書館で調べてみた。
エーデルワイスという花らしい。そういえばそんな歌を昔音楽の時間に習ったような気がする。
花言葉は「大切な思い出」。
きっとあのバレンタインは、そしてあの写真は委員長にとって大切な思い出になっただろう。

僕もいつかあんな風に女の子からチョコレートをもらえるだろうか。
そして大尉先生みたいに受け取ることができるだろうか。
…道は遠い。

#このSSは愉快でステッキーでギャフンなとある職人氏に捧げたものです。


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