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移り香



 小さい頃に抱いていたぼくの夢は、たくさんの花や木や動物さんたちと一緒に大きな家で暮らすこと。
 だから、自分が守護聖になることを知ったとき、この夢をあきらめかけていたんだ。
 でもね、聖地にはたくさんの動物さんがいていてぼくの家に遊びに来てくれるし、きれいな花もぼくの家の庭にいっぱい咲いてる。聖地にはたくさんの木もあるしね。
 あきらめる必要なんてなかったんだ。
 ぼくの夢は守護聖になることで叶ってしまったんだよ。
 今のぼくの夢は……叶ってしまったこの夢に、もう一つだけ願いを加えたいの。
 それは……、アンジェリークのこと。
 ぼくは、アンジェリークと一緒に、たくさんの花や木や動物さんたちといっしょに暮らしたい。
 この夢が叶ったら、ぼくはとっても幸せ。
 これ以上の幸せはないよ。

 アンジェリークはぼくのこと、どう思ってるのかな?
 なんだか、確かめるのが怖い…。
 もっとアンジェリークと仲良くなってからにしようかな。
 勇気を出してアンジェリークをぼくのお家に誘ってみることにしたよ。

「あ、そうだ。ねえ、アンジェリーク」
 なんて、ふと思いついたようなふりをして話しかけてみたんだ。
「い、今、時間ある? ぼく、ちょうどいま、お家に帰ろうと思ってたんだ」
 ちょっとかんじゃった。
「そうだ、君も一緒に来ない?」
 あっ、また『そうだ』って言っちゃった。
 ドキドキしながらアンジェリークの返事を待ってると、
「よろこんで」って言ってくれたんだ。
 もうぼくは嬉しくって「ほんとに?」なんて訊き返しちゃったけど、アンジェリークがにっこり笑って頷いてくれたから、つい、「わぁい!」なんて言っちゃった。
 それからぼくとアンジェリークは、お家の庭で、お茶を飲んだりおしゃべりしたりして、とっても楽しく過ごしたんだ。
 アンジェリークがぼくの側にずっといてくれたらなあ…って思ったよ。
 2回目にアンジェリークをお家に誘ったときは、セリフもかまずに言えた。鉢植えのお花をあげたら、アンジェリークはとっても喜んでくれたんだ。

 ぼくは、もっと勇気を出すことにしてみたよ。
 夜空がすっごくきれいな日に、夜の庭園を散歩しようって誘ってみたんだ。
 アンジェはお風呂上がりだったみたい。まだ髪が濡れていて、かわいいパジャマを着た格好で窓から身を乗り出すからびっくりしちゃった。
 夜の庭園はとっても静かで、夜空には星がきらめいていた。
 星を眺めてるうちに、空の向こうにあるぼくの故郷の星や、お母さん、お姉ちゃん、お兄ちゃんのことを思い出しちゃって……ぼく、ちよっぴり涙ぐんじゃったんだ。
 そうしたら、アンジェリークは「マルセル様…」ってひとこと呟いて、ぼくをそっと抱きしめてくれた。
「アンジェリークの髪、いい香り……」
「まあ」
 アンジェリークはちょっと照れてるみたい。ぼくも心臓がドキドキしているよ。
「マルセル様は、甘いお菓子のような、バニラのような香りがしますよ」
「ほんと?」
「ええ、とってもいい香り…」
「ぼく、お菓子をつくるときの匂いって大好き…。あ。アンジェリークにも作ってきてあげればよかった。ここで食べたかったね」
「私もお菓子が大好きです」
「今ね、ワッフルに凝ってるの。生クリームの上に、イチゴやブルーベリーをのせて、木苺のソースをかけると、とっても美味しいんだよ!」
「食べてみたいです!!」
 あんまり勢いよくそう言うから、ぼくたちは笑いあった。アンジェリークの香りに包まれているうちに、ぼくの心の中も少しずつ幸せになっていったんだ。
 甘い匂いに包まれて、アンジェリークと一緒にお菓子を作りたいな。毎日そうやって楽しく過ごせたら、どんなに幸せだろう…。
「ありがとう、アンジェリーク。弱音をはいちゃって…ぼく、ちょっと恥ずかしいな。今日のことはナイショにしといてね」
 そう言うとアンジェリークは少し目を丸くしてから、「誰にも言いません」と、にっこり笑った。
 そうだよね、アンジェリークが誰に言うっていうんだろ……?
 こんなこと誰にも言わないよね。

 アンジェリークの笑顔が大好き。
 ずっと、アンジェリークと一緒にいたいよ……。

 ぼくは、もっともっと勇気をだすことにしてみたよ。
 アンジェリークを庭園に誘って、約束の木の下に連れてきたんだ。
「この『約束の木』のところで約束すると、いいことがあるんだって。知ってた?」
 ぼくがそう言うと、アンジェリークは黙ったまま片手で幹を触り、祈るように大きな木を見上げていた。
 アンジェリークの瞳って、とってもきれい。
 それは、ぼくに恋してくれてるから…?
 ぼくとの恋を願ってくれているの…?
 ぼくの勘違いかな、ぼくのひとりよがりかな…?
 
 『ぼくとずっと一緒にいるって、約束して……』
 
 本当はそう言いたかったけど、言葉は出てこなかった。
 突然こんなことを言い出して、嫌われるのが怖かったんだ。だからぼくは別の言葉を選んだ。
「ねえ、アンジェリーク。ぼく、約束するよ。ずっとアンジェリークが幸せでいられるように ぼくが見守ってあげるって」
「ありがとうございます、マルセル様」
 アンジェリークはキラキラした瞳を向けて言った。
 アンジェリークの気持ちはまだ確かめてないけど、このくらいの約束なら、してもいいよね…? 
 心の中でぼくは約束の木に話しかけた。
 その時、そんなに風も吹いていないのに、約束の木の枝と葉がざわざわと揺れた。

 アンジェリークの宇宙の育成は順調だった。でも、レイチェルとの差もわずかで、このままだと二人のどちらが女王になるかわからないけれど、ぼくとアンジェリークの別れは確実に近づいていた。
 アンジェリークが女王様になっちゃったら、もう二度と会えなくなるかもしれない…。
 アンジェリークはそれでもいいの?
 ぼくと離ればなれになっても、寂しくないの?
 ぼくは、アンジェリークのことが大好きだよ。
 ずっと一緒にいたい。

 もっと、もっともっと、勇気を出さなきゃ。
 森の湖でアンジェリークに告白しよう…って決心した朝のことだった。
 朝摘みのチューリップを抱えてアンジェリークのお部屋を訪ねる途中、お散歩をしてらしたリュミエール様にお会いしたんだ。
「おや、マルセル……」
 いつもならリュミエール様は明るく挨拶してくださるのに、今朝はなんだか元気がないみたい。
「おはようございます、リュミエール様。どうかなさったんですか…?」
「ええ…」とリュミエール様は影のある微笑み方をしてぼくを見た。そして、「アンジェリークが…」と言って言葉に詰まっている。
 ぼくは急に心配になって少し大きな声を出してしまった。
「アンジェリークがどうかしたんですか?」
「…喜ばしい…ことなのですけれどね……。アンジェリークが女王試験を降りて、クラヴィス様と結婚するのですよ…」
「えええええーーーーーーーーーっ!?」
 ぼくは悲鳴みたいな大声を上げてしまった。
 
 「ア、アンジェリークが……? クク、クラヴィス様と……?」
 あの二人…、いつの間にそんなことになってたのぉ……?
 
 頭の中がグルグルと回っているような感じがした。
 抱えていたチューリップを全部落としてしまったことに気づいたのは、ぼくの足元でリュミエール様が屈んで拾ってくださっていたからだ。
「リュミエール様は、いつ知ったのですか?」
「昨夜、遅くに……。今朝、正式に発表があると思いますよ…」
 手で束ねたチューリップをぼくに渡したリュミエール様は、寂しげな笑顔で無言のままフラフラと歩いて行ってしまった。
 もしかして、リュミエール様もアンジェリークのことが好きだったの……?
 あの様子じゃ昨日は一睡もしていないのかも…。
 そんな、リュミエール様の心配をしている場合じゃないよ…。
 ぼくは……驚きすぎて、涙さえ出てこなかった。
 ぼくが子どもっぽかったら……アンジェリークはぼくを選んでくれなかったのかな。
 優しくってお姉さんみたいだから、ちょっと甘えたりしちゃったけど……。
 アンジェリークが幸せなら……。
 アンジェリークは、クラヴィス様と幸せになるんだね……。
 突然、ぼくの頭に直感みたいなものがひらめいた。
 アンジェリークはお部屋にはいない。きっとクラヴィス様のお館にいる……って。
 ぼくはいつの間にか駆け足になってクラヴィス様のお館を目指していた。

 朝霧の中、うっすらと見えるお館を背にして、アンジェリークは庭の木々の間を踊るように散歩していた。少し大人っぽいネグリジェを着て、かわいい手編みのセーターを肩にかけて、りぼんを解いた髪を揺らしながら……。
「あ、マルセル様……」
 ボーッと突っ立っているぼくを見つけると、アンジェリークはいつものように駆け寄ってきてくれた。
「おはようございます」
「おはよう、アンジェリーク……」
 心臓がドキドキしてきたけど、それでも訊かずにはいられなかった。
「さっき、リュミエール様に会って、お聞きしたんだけど……。女王試験をやめちゃって、クラヴィス様と結婚するの…?」
 アンジェリークは、夜の庭園でぼくを抱いてくれた時と同じように、少し目を丸くして驚いてから、頬を薔薇色に染めた。
「…はい」
 両手で頬を抑えて、はにかみながらアンジェリークが返事をした。

 ………。
 あ…。
 失恋しちゃった………。
 涙は、出てこない……。

「私、女王になるよりも、クラヴィス様の闇を照らす光になりたいんです。わずかな、頼りない光ですけど……。思い切って告白したら……クラヴィス様は私を受け入れて下さったんです」
「アンジェリーク…」
 アンジェリークも自分のこと、頼りないなんて思ってたの? それでもクラヴィス様に告白したんだね、すごい勇気だね、それ…。
 ぼくは勇気を出すのが遅かったみたいだよ。
 これじゃ…、アンジェリークとぼくは釣り合わないよね…。

「マルセル様に勇気をもらったんです」
「え、ぼくに?」
「はい。あの約束の木の下で、私、約束したんです。何があってもクラヴィス様の闇を照らす光でいようって。マルセル様があそこに連れて行って下さらなかったら、こんな勇気は持てなかったと思います」

 ………。
 ………。
 アンジェリークはあの時、約束の木にそんな約束をしていたの……。 
 約束の木が枝や葉を揺らして何か教えてくれようとしてたのに、ぼく、一人で舞い上がって無視しちゃったよ…。
 でも、アンジェリークが幸せなら、それでいいや。
 だってぼくも約束したもん。
「ぼく、約束を守るよ。ずっとアンジェリークが幸せでいられるように見守ってあげる」
「マルセル様…」
 アンジェリークは目に涙をためると、いきなりぼくに抱きついた。
「ありがとうございます。私もマルセル様の幸せを願っています。マルセル様って、なんだか本当の弟みたいなんですもの。困ったことがあったら、私を姉だと思っていつでも相談してくださいね」

 アンジェリークの髪や身体からフワリと、いつもと違う香りがした。
 これは……。
 クラヴィス様の香りだ。
 クラヴィス様とすれ違うときに香る、白檀の香り……。
 こんなに近くにアンジェリークがいるのに、こうやって抱きしめてくれてるのに、とっても遠い人になっちゃったんだね……。

 思いがけず、ぼくの目からも涙があふれた。
 涙はぽろぽろと勝手に出てきて、止めることができなかった。
 ぼくはとうとう小さな嗚咽を漏らしちゃったんだ。
 アンジェリークが困った顔でぼくを見てる。
「ごめんね、アンジェリーク。何でもないよ。ぼく、アンジェリークが幸せだから、とっても嬉しいんだ…」
 ぼく、生まれて初めて嘘をついたかもしれない……。

「何をしている」
 急に後ろから声がして、ぼくとアンジェリークはびっくりして振り向いた。
 そこには、クラヴィス様が少し不機嫌そうな顔をして立っていた。
「アンジェリーク、こちらへ」
 呼ばれたアンジェリークは、ぼくからスッと離れてクラヴィス様に寄り添った。

 ぼくは涙をふいて、クラヴィス様を見た。
「おめでとうございます、クラヴィス様」
 チューリップをアンジェリークに渡すと、ぼくはクラヴィス様に一礼して駆け出した。

 もっとしっかりしなきゃ。頼りがいのある大人にならなきゃ。クラヴィス様と向き合って、そう思った。

 ぼくだって、あと数年たったら、もっともっと大人に近づける。
 たくさん努力して、しっかりした大人になるんだ。
 もしも…。
 …もしも、クラヴィス様が、アンジェリークを悲しませるようなことをした時は……、ぼくがアンジェリークを迎えに行って、クラヴィス様から奪っちゃうんだから。

〜Fin.〜 2007.03.19

素材提供 10minutes+

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