女を喰う陰  ここは、真夜中の閑静な住宅街。さすがに、夜中の0時を過ぎるとみんな寝静まって、不気味なほどの静寂に包まれている。時折、暴走族達が轟音を立てて道路を走り去っていく音や、居酒屋を何軒もハシゴした酔っぱらいの叫び声が聞こえるくらいだった。まるで、昼間の賑やかさが嘘のように思えてくる。  そんななか、息を荒げて必死で走り回っている人影があった。暗くてよく分からないが、ざっと見た感じでは年は20代あたり、OL風の格好をした女性…だろうか。たった一人、暗闇に支配されたこの住宅街を、必死の形相で走り回っていた。そして、しきりに後ろを気にしている。何度も何度も、転びそうになりながら後ろを振り返っていた。何をそんなに気にする必要があるのか。実はあるのだ。彼女は数刻ほど前から、得体の知れない何かにつけ回されていた。それも、ストーカーや強姦魔と決めつけるには、あまりにも不自然な感じだ。言いしれぬ恐怖と、ただならぬ強い気配に、命の危険すら感じるほどだ。だから、あの女性は逃げ回っている。自分の命を奪われまいとして。まるで、肉食獣の魔の手から、必死に逃れようとする草食獣のように。  だが、それはもうすぐそこに迫っていた。奴は、その巨体からは想像も付かないほどの高い跳躍を見せ、音もなく女性の行く手に立ちふさがった。驚いた女性は、慌てて来た道を戻ろうとするが、すでに遅かった。一瞬で辺りが真っ暗になり、狭くてヌメヌメした空間に押し込まれた。そして、悲鳴を上げる間もなく、そのまま奥へと引きずり込まれていった…。  闇の中で、とても鈍い音が響いた。奴の喉元を、何かが通り過ぎていくのが確認できた。おそらく、ついさっきまで執拗に追いかけていたあの獲物を、とうとう丸呑みにしてしまったのだろう。奴は、彼女一人だけではまだ物足りないのか、次の獲物を求めて去っていった。自分の腹の中で藻掻き苦しむ、獲物の声を聞きながら…。  朝になった。住宅街に建ち並ぶ家やマンションからは、目覚めた人々の声が当たり前のように聞こえてくるようになった。午前8時を過ぎれば、学校に向かう学生や仕事に向かうサラリーマン達が、堰を切ったように溢れ出てくる。よくある、極々日常的な光景だ。 その一方で、朝だというのに誰も出てこない部屋があった。とあるアパートの一室。いつまで経っても帰らない主を、今か今かと待っていた。この住宅街では、こんな部屋があるアパートやマンションがいくつもあった。しかも、ここ2,3ヶ月で急激に増えてきたのだ。ここ一帯に住む人たちは、やれ神隠しだのやれ家出だのと口々に噂をしていたが、ある日を境にして、噂の内容が一変した。 「この住宅街には、若い女ばかりを狙う怪物が居る。真夜中に現れて、手当たり次第丸呑みにしてしまう。今までにいなくなった人たちは、みんな怪物に呑まれてしまった。」 みんなで、こう噂するようになったのだ。確かに、いなくなったのは全員女性で、二十歳前後の若い人ばかり。しかも、ここ2,3ヶ月の間に、何の前触れもなく突然姿を消しているのである。この状況では無理もないだろう。しかし、中にはこの噂を真っ向から否定する人もいるわけで…。 「ちぇっ!化け物どころか、虫一匹出て来やしねぇ。」 「兄貴、やっぱりただの噂なんじゃないですか?」 「いい加減帰ろうよ。あたい、もう眠くて眠くて…。」 住宅街の一角にある公園から、なにやら話し声が聞こえてきた。見ると、いかにもヤクザといった感じの三人が、古びたベンチを堂々と占拠していた。男二人に女一人、おそらくここで流れている噂を聞きつけて、怖いもの見たさでやってきたと言うところだろうか。ちなみに、今は夜中の1時を過ぎたところだ。女が眠いと愚痴をこぼすのも分かる。 「ったく。お前ら怖じ気づいたのか?そんなんだから、いつまでも下っ端のまんまなんだよ!」 「怖じ気づいちゃいないわよ!もう、一体何時間こうしてれば気が済むのよ。」 「うるせぇ!黙って待ってりゃいいんだよ。それに、言い出しっぺはお前じゃねぇか!なんで俺が仕切らなきゃならねぇんだよ!」 「なによ!一番乗り気だったのあんたじゃない。あたいは、仕方なしに付いてきただけよ。あんたに付き合わなきゃ、今頃新しい指輪買いに行ってたところなのにさ。」 「なんだとぉ!この女郎がっ!」 「まぁまぁ、二人とも落ち着いて…。」 「お前(あんた)は黙ってろ!」 バキーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッ! 男の一人が、他の二人に思いっきり殴られて、そのまま気絶してしまった。 「ケッ、情けねぇ奴だ。仕方ねぇ、今日はもう解散だ!」 「やっと帰れるみたいね。それじゃ、後はよろしく頼むわね。」 「おい、待てよ!」 女は、男二人を残してさっさと行ってしまった。渋々、男は気絶してしまったもう一方を担いで帰ろうとすると…。 「はぁ、はぁ、はぁ…。」 「なんだお前、戻ってきたのか?」 「だって、向こうに何かが…。」 ブウン! ばくっ! 「!」 男は我が目を疑った。見たこともないモノが、目の前にいる女を頭から腰まで、一気にくわえ込んだのだ。 「はぐっ、はぐっ、はぐっ…。」 あまりの出来事に、ただ呆然と立ちつくしている男の目の前で、そいつは女を丸呑みにしてしまおうと、口を動かし始めた。女の体が、じわじわと体内に引きずり込まれていく…。 「はぐっ、はぐっ…ごっくん。」 とうとう、全身を呑み込んでしまった。喉の辺りから、ゆっくりと胃に運ばれていくのが見えた。 「あ…あ、あ…。」 一部始終を見ていたこの男は、気が動転して頭の中がぐちゃぐちゃに混乱していた。あんなモノを間近で見てしまったのでは、無理もないだろう。 「…見たな?」 「はへっ??」 突然、得体の知れない声が聞こえてきて、男は素っ頓狂な声を上げた。 「貴様、我が女を呑むところを見たであろう?」 「ひ、ひえーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」 「生かしてはおけぬ…!」 「た、た、た、助けてーーーーーーーーーー!」 奴は、一気に飛びかかると、二人の男を捕まえて連れて行ってしまった。辺りは、まるで何事もなかったように殺伐としていた。気がつくと、夜が明け始めていた…。  その日は、朝からやけに騒がしかった。何故なら、あちこちで運送会社のトラックが行き交っているから。最近になって、突然いなくなる女性が急に増えたものだから、みんなが気味悪がって、他の街へ移り始めたのだ。そのせいで、今ではすっかりゴーストタウンと化してしまった。新しい入居者も現れないものだから、大家さんも自分のアパートやマンションを手放してしまった。聞こえてくるのは、せいぜいカラスや野良猫の鳴き声ぐらいだった。  夜。昼間はただでさえ静かだったところが、よりいっそう静かになってしまった。最近では、暴走族ですらこの辺りには寄りつかなくなってしまったのだ。静寂に拍車がかかっている。そんな中、暗闇の中で不気味に蠢く3つの陰があった。すっかり人気が無くなり、ここにいることが無意味だと感じた奴らは、新天地を求めて去っていった。次はどの街にしようか。女が沢山居そうな街はどこだろうか。たまには満腹になるまで喰いたいものだ。そんなことを考えながら…。 END