Revenge  恨み、憎しみ、嫉妬…。私自身、そんなモノとは一生無縁なのだと、昔から思っていた。高学歴、スポーツ万能、容姿端麗…非の打ち所など全くない完璧な私。この世において、私と対等に渡り合える女、ましてや私を遙かに凌ぐ女など居るはずがない、そう思っていた。あの時までは…。  「別れよう。」 突然、彼の口から発せられた言葉に、私は耳を疑った。 「えっ?…ちょっと、一体どういうこと!?」 「何も聞かないで欲しい。とにかく、金輪際君とは縁を切らさせてもらう。」 そう言うと、彼は足早に去っていった。13番目の彼氏との、21回目のデートでのことだった。 「何なのよ、いきなり別れようだなんて。私が何かしたって言うの?」 あの後、そのまま家に帰った私はまだ夕方にもなっていないというのに、冷蔵庫にあった安物のワインをありったけ出すと、グラスに荒っぽく注ぎ一気に飲み干した。これでもかと言わんばかりに飲み続け、ようやく怒りが収まってきた頃には、すでに3本を空けてしまっていた。いつもは、二日酔いになるのが嫌だから、多くても一本空ける程度だったが、今日ばかりは一本では足りなかったようだ。  考えてみると今まで、こんなことは一度もなかった。向こうから別れ話を持ち出すなんて…。今までは、いつも自分から切り出していた。飽きちゃったとか、性格が合わないとか、なんだかんだ理由付けて。こうして、いつも半年か1年ぐらいで新しい彼氏に乗り換えていた。結婚なんて考えていない、自分は遊びのつもりでしかないから。それに男なんて、私が何もしなくても、向こうからひっきりなしにやってくる。私は、その中から一番気に入った男を選ぶだけで良い。今までに付き合ってきた男達は、みんな同じように自分の気まぐれで選んだだけに過ぎない。だけど、あの男はどうだろう?初めから遊びのつもりだったとはいえ、いきなりあんなことをされたら納得がいかない。それに、何の前触れもなくいきなりだった。この私に何か気に入らないところがあるとでも言うのだろうか…。いくら考えても、全然埒があかない。そう思った私は、気がつくと傍らにあった電話の受話器を握りしめていた。  あれから半年ほど経った。今の私は、プライドをズタズタに傷付けられ、すっかり自信を失っていた。あのとき、私は私立探偵事務所に電話をし、あの男について調べてもらうよう依頼したのだ(自棄酒をした直後だったから、えらく時間がかかったけど)。しばらくして、私の元に届けられた報告書を見て、私は度肝を抜かれた。あの男は、当時私には内緒でもう一人の女と付き合っていた。つまり二股だったのだ。しかも、相手の女はお世辞にもあまり美人とはいえず、学歴も三流短大、しかも中退している。その上、実家は地方の専業農家。私から見れば、自分の足元にも及ばないほど格下の女としか思えない。だが、あの男が選んだのは紛れもなくその女。しかも、すでに婚約していて、結婚の準備も着々と進んでいるらしい。最悪の状況だった。 この事実を知った私は、あまりのショックで我を忘れてしまっていた。何に対しても無気力になり、家から一歩も外に出ようとしなかった。いや、出ることが出来なかったという方が正しいか。しかも、一体どこから漏れたのか、私が二股を掛けられた挙げ句、最後には捨てられたという話が、会社の同僚はおろか私の身内にまで広がっていたのだ。おかげで外を出歩こうものなら、嫌でも自然と耳に入ってきてしまう。そのため、忘れようとしても忘れることが出来ず、ずるずると引きずり回してしまう。今なら、世間で「引きこもり」と呼ばれている人たちの気持ちが、よく分かるような気がする。 今ここにいるのは、昔の自分ではない。すっかり自信を失い茫然自失となった、見るも無残な自分が居るだけだ。何で、こんなことになってしまったのか。一体、原因は何なのか。答えは明白だ。あの二人である。あの二人のせいで、私はプライドをズタズタに傷付けられてしまった。あの二人さえいなければ…。気がつくと、私は今までに感じたことがない感覚にとらわれていた。あの二人に仕返しがしたい。あの二人が許せない。これが、「恨み」という感覚だと言うことに気付くのには、そんなに時間はかからなかった。  あれから何日経っただろうか。なんとか立ち直ることが出来た私は、以前と同じような生活に戻ることが出来た。だが、少しだけ前とは違うところもあった。それは、暇さえあれば、当然のようにあいつらに対する復讐のことばかりを考えるようになったこと。すっかり立ち直った今でも、そればかりはどうしても忘れることが出来なかった。日を追う毎に、自分の心の奥底でどんどん膨れ上がってくる「憎しみ」という感情を、私はどうしても抑えきることが出来なかった。彼奴等の居所はすでに分かっているから、殺しに行こうと思えばすぐにでも行ける。だけど、殺人などしようものなら、二度と立ち直れなくなるかもしれない。そんな葛藤に苦しみ続けていた。何時終わるかも分からない、永遠とも思えるような長い時間の中で、ただひたすら…。  「そこのお嬢さん、ちょっとお待ちなさい。」 ある日の帰り道でのこと。いつも利用する駅を出たところで、急に呼び止められた。私は一瞬痴漢か何かと思い、急いで逃げだそうとすると…、 「お嬢さん、あなた、殺してしまいたいほど憎い人がいるのでしょう?しかも二人も!」 私は一瞬ハッとなって、その場に立ち止まった。慌てて振り返ると、全身黒尽くめで、いかにも怪しいという感じの格好をした、奇妙な男が一人佇んでいた。 「ちょっと!あなた、何でそんなこと知っているのよ!一体何者?」 「いえいえ、自分は別に怪しい者ではございません。実は、あなたにこれをお渡ししようと思いまして。今のあなたにとっては、きっとお役に立つ筈ですよ。」 すると、男はいきなり一抱えもある大きな箱を差し出した。私は仕方なしにそれを受け取ると、 「きゃっ!結構重いわね、これ。一体何が入っているのって、あら?」 辺りを見回してみると、さっきまでそこに居た筈の男が、何の前触れもなく忽然と姿を消していた。私は騙されたと思い、バカらしくなったが、こんな物を道端に放置するわけにもいかず、渋々持ち帰ることにした。  シャワーを浴び、一息つくと、私はいつものように冷蔵庫からワインを取り出し、コルクを引き抜いてゆっくりとグラスに注いだ。私が聞いた話によるとワインというものは、こんな風に冷蔵庫にしまいっぱなしにするのは良くないみたいだが、私の場合キンキンに冷やさないと、あまり美味しいとは思わない。どうせ、そこらで簡単に手に入る安物だしね。ワインがグラスの三分の一ほどになったところで、注ぐのを止めグラスを手に取った。仕事を終えてシャワーを浴びた後に、こうやってワインを飲むのが私の一番の楽しみだった。こうしていると、日常の嫌なことや辛いこと、何もかも忘れることが出来た。まさに、私にとって至福の一時だと言える。 だが、ある物が私の目に飛び込んできたせいで、一気に現実に引き戻されてしまった。あの箱である。自宅に着いた後、部屋の中に運び込むのも面倒臭くて、そのまま玄関先に置きっ放しにしていたのだ。だが、あのまま放置していたのでは、玄関を行き来するときに邪魔になってしょうがない。グラスを傍らに置いて立ち上がると、やっとの思いで玄関から箱を持ってきた。そのまま部屋の隅に追いやると、再びグラスを手に取った。だが…、 「……………(汗)。」 どういう訳か、あの箱の中身が気になってしょうがない。気にならないようにと、必死でワインを飲み続けるが、やっぱり気になる。内心、あの時の男に言われたことを気にしているのだろうか。彼奴は、まるで私の心の内を見透かすような物言いだった。彼奴は一体何なのだろう?そう考えると、今度はますます気になってきた。 「……も、もう限界だわ!箱の中、確かめなくちゃ!」 私は台所から果物ナイフを取ってくると、少々乱暴に封を切った。ナイフをしまうのもそこそこに、急いで中を覗いてみると…、 「……………何これ?」 中には妙な物がぎっしりと詰め込んであった。変な形をした杖、見たことのない模様がプリントされた絨毯、毒々しい色をした液体が入った小瓶、その他諸々。そして、一番奥にはホチキスで留められただけの簡単な作りの本と、説明書らしき紙切れが入っていた。 「かっ、かなりオカルトっぽい代物ね(汗)。まさか、これを使って呪い殺せとでも言うのかしら?まぁ、いいわ。取り敢えず、これ読んでみようかしら。」 本の間に挟んであった紙切れを引っ張り出すと、軽く目を通してみた。すると、こんな事が書いてあった。 『この箱に収められておりました品々、お気に召しましたでしょうか。それでは、これから簡単な説明をいたします。まず、内容物に液体状の物が入った小瓶があります。それは使い魔でして、目覚めの儀式を行うことで覚醒させることが出来ます。覚醒させた後は、あなた様自らの肉体を生け贄として捧げることで、あなた様の思い通りに操ることが出来るようになります。ですが、この儀式を一通り行ってしまうと、あなた様はもう二度と元の人間に戻ることは出来なくなります。そのことを踏まえた上で、ご使用ください。なお、詳しい使用方法は、同梱されている書物をお読みになってください。』 …つ、使い魔ですって!?マジで?こんな時代に、そんな物が実在するの?私はとっさに、さっきの小瓶を掴み上げた。しかし、どこをどう見ても、ただのドロドロとした液体にしか見えない。これが一体どう変わるというのだろうか。 「…なんか胡散臭い気もするけど、取り敢えずこっちの本を読んでみましょうか。」 早速ページを広げてみると、ワープロで打ったような綺麗な活字が、簡単な図と共にびっしりと埋め尽くされていた。全体のページ数は少なめなものの、一通り読むとなるとかなり時間がかかりそうだった。 「あ、頭が痛くなってきた。こんなの読むの、ケータイの説明書以来だわ。でも、恨みが晴らせるって言うなら、駄目元でやってみても良いかも。」 元々、こういうのを読むのはあまり好きではないのだが、不思議と、これだけは放り出そうという気にはならなかった。  あれから数日後。とうとう、例の儀式を実行に移す日がやってきた。今日は満月、今の時間は夜の10時を過ぎたところ。今から準備を始めれば、夜中の12時には、十分間に合うだろう。私は、元々部屋に置いてあったソファーやテーブルなんかを片づけて、換わりに燭台や魔法陣の描かれた絨毯なんかを次々と配置していった。 「後は蝋燭に火を付けて…、魔法陣の真ん中に瓶を置いて…と。これで準備OKね。時間は、11時…46分。まだ時間があるわね。それなら、最後にもう一度だけ、段取りを確認しておこうかしら。」 具体的な段取りを簡単に説明すると、最初に準備として、屋内に広い場所を確保。次に、魔法陣を南側が上になるように敷き、燭台の蝋燭に火を灯す。次に、使い魔が入った瓶を魔法陣の真ん中に置き、部屋を暗くして窓やカーテンを閉め切る。部屋の中が、蝋燭の明かりだけの状態であれば理想的だ。これで準備は完了、続いて儀式を始める。最初に、魔法陣の北側に立ち、夜中の12時の5分前になったら、自分の髪の毛を数本、抜き取った後に杖の先端に結びつける。12時丁度になったら、杖を自分の目の前に構えて、5分間瞑想する。5分が過ぎたら、杖を思いっ切り振り下ろして、瓶を叩き割る。この時に、中の液体が光り出せば成功だ。 「さて、そろそろ始めましょうか。もう時間だしね。」 おもむろに立ち上がると、さっきまで読んでいたメモを置き、魔法陣の北側に立った。 「いたたたたた…、速くしないと間に合わな、いててててて…。」 痛いのをこらえて、何とか髪の毛を抜き取ると、急いで杖の先っちょに結びつけた。 「何とか、間に合ったわね。次は杖を構えて…。」 さっき髪の毛を抜いたところが、まだきりきりと痛んでいる。こんな状態で瞑想なんて出来るのか、ちょっと不安だった。 「…………………………………………………………………………………………………。」 5分というのは、短いようで意外に長い。その間、睡魔に襲われたり、くしゃみがしたくなったりと散々だった。なんだかんだで、5分が過ぎた頃、 「…そろそろね。後は、この杖であの瓶を割ればいいのね。え~~~い!」 ぶうん! がちゃん! 憎たらしいあの二人の頭を、思いっ切り殴ってやるところを想像しながら、私は杖を思いっ切り瓶に叩き付けた。すると、瓶は何の抵抗もなく、粉々に砕けてしまった。 「………何も、起きないわねぇ。」 目の前の魔法陣が描かれた絨毯に、さっきの瓶の破片と、中の液体が散乱しているだけで、何の変化もなかった。やっぱり、ただの悪戯だったのかと思い、片づけようと絨毯に手を掛けたそのときだった。 「…きゃっ!何、何!?」 風もないのに、いきなり蝋燭の炎が消え、真っ暗になると同時に、まるで地震でも起きたかのように部屋が大きく揺れ始めた。 「た、た、助けて~!…はっ!?」 私はその瞬間、我が目を疑った。あの液体が、突然不気味な光を放ち、一カ所に集まりながらどんどん大きくなっている。どうやら儀式は成功したみたいだが、今は気が動転してて、素直に喜べる状態ではなかった。 「あ、あっ、あわわわわわわわ………。」 暗闇の中を彷徨いながら、自分でも意味の分からない言葉を口走っていると、しばらくしてようやく揺れが収まった。 「と、止まった?よかったぁ、本当に死ぬかと思ったわ。」 安心した私は、部屋の様子が気になって、辺りを見回してみた。すると、 「そなたか?」 「えっ、何?」 突然、自分のもの以外の声が聞こえてきた。驚いた私は、慌てて声が聞こえてきた方を向いた。すると、そこにはヘビに似た姿をした、巨大な化け物が鎮座していた。そいつは全身から淡い光を放ち、こちらをじっと見据えていた。 「我を目覚めさせたのはそなたなのだな?」 驚きと恐怖のあまり、ロクに声が出せなかった私は、ただただ首を縦に振った。 「そうか。ならば、そなたの肉体を生け贄として我に捧げよ。さすれば、そなたを主と認めようぞ。」 (そう言えば、あの時読んだ説明書の中に、そんなことが書いてあったわね。でも、一体どういう事なのかしら?) 何とか落ち着きを取り戻した私は、しばらく考えた後、そのことを目の前の化け物に聞いてみた。 「あ、あたしの体を捧げるって、一体どういう事?ちゃ、ちゃんと説明してよ!」 「何、そんなに難しいことではない。そなたが、我の体内に収まればよいのだ。」 「え?それって、どういう事?…はっ、まっ、まさか…。…!」 気がつくと、化け物の大きな口が、すぐ手の届くところまで迫っていた。 「たっ、食べられちゃう!」 時すでに遅し、私の体は化け物の口に、頭から腰までがっちりとくわえ込まれていた。こんな状態では、逃げ出すことなど到底無理。私はただ、自分が化け物に丸呑みにされてしまうのを、ただ待つことしかできなかった。私は後悔の念にとらわれ、化け物の口の中で泣いていた。 「はぐっ、はぐっ、はぐっ、はぐっ………」 一方、化け物の方はというと、口の中にいる奴の事なんかお構いなしと言わんばかりに、さっきの女を丸呑みにしてしまおうと、しきりに顎を動かしていた。口の中で感じる、人間の若い女性特有の柔らかい体の感触が、とても心地よかった。 「はぐっ、はぐっ、はぐっ、…ごっくん。」 化け物は、私の体の頭から足まで全てを口の中に納めると、間髪入れずに私を丸呑みにしてしまった。妙に生暖かい肉壁の中を、ゆっくりと奥まで運ばれていく。その間、私は肉壁の強烈な圧迫や、徐々にしみ出してくる粘液のせいでロクに息が出来ず、少しずつ意識が遠のいていくのを感じていた。 「…うっ、ぶはっ!げほっ、げほっ!」 しばらくして、私は少し広い空間に投げ出された。広い空間とは言っても、狭いのには変わりなく、食道の辺りを通っていたときよりも、少しだけ息をするのが楽だと言うだけだ。周りの肉壁がグニャグニャと波を打っていて、所々から液体がしみ出し、強烈な異臭を放っている。おそらくここは、食道の突き当たり、つまり俗に言う「腹の中」だろう。私の考えが間違っていなければ、この後、私の体はじわじわと消化されていくことになる。 まさか、こんなところが自分の「死に場所」だなんて、思ってもみなかった。せめて、遺書くらい書いておきたかったと、今更どうにもならないことを考えながら、私はそのまま寝てしまうことにした。気休めにしかならないかもしれないが、起きている間に溶かされるよりはずっとマシだろう。気付かないうちに、原形を留めないほどに溶けてしまった服の残骸を、手に取りながら…。  あれから、どれだけの時間がたっただろうか。ふと、目を開けると真っ暗な闇が飛び込んできた。暗いせいで、ここがどこなのかはよく分からないが、この雰囲気は身に覚えがある。 「確か、ここに電気のスイッチがあるはず…。」 手探りで、這うように辺りを探してみると、数分とかからずに見つけることが出来た。明かりを付けると、眩しさに一瞬ひるんだが、徐々に目が慣れてきた。 「えっ?ここはあたしの部屋じゃない!一体どういう事なの?」 あの時の儀式に使った道具が散らかって、ひどい状態ではいるものの、間違いなく私の部屋だった。 「あの時確か、あたしはあの化け物に呑み込まれて、そのまま死んだはずじゃ…。」 私は、ハッとなって隣の寝室にある姿見の前に立ってみた。体をひねってみても、別に変わったところはない。裸であることを除いては…。 「…や、やけに寒気がすると思ったら…、何か着た方が良いわね(笑)。」 取り敢えず、クローゼットやタンスから服を適当に見繕って、その場を凌ぐ事にした。その後、念のために日付と時間を調べてみたが、あの儀式をやってから、まだ4時間ぐらいしか経っていないことが分かった。一体どうなっているのだろうか。 「あたしがあの化け物に呑み込まれてから、さっき目を覚ますまでの間に、一体何があったのかしら。………いくら考えても、全然埒が明かないわね。もう今日は、あっちの部屋を片づけて寝ちゃおっと。」 さっきの部屋に戻ると、散らかった道具を片づけ始めた。燭台、杖、その他諸々と片づけていって、最後に瓶の破片がこびり付いた、魔法陣の絨毯を片づけようとしたときだった。 「痛!…あ~、どうしよう。指切っちゃった。」 怪我をしてしまった私は、取り敢えず傷口を舐めた後、絆創膏を使うために救急箱を探そうと立ち上がったそのときだった。 「えっ?え~~~~~~!?」 何とも間抜けな声を上げてしまったが、それも無理はない。何せ、さっきの切り傷が跡形もなく消えていたのだから。私は、今目の前で起こったことが信じられず、足下にあった瓶の破片を拾い上げると、試しに同じ所に傷を付けてみた。すると、私の目の前で1分もしないうちに、跡形もなく消えてしまった。今度は別の指に傷を付けてみたが、やはり結果は同じだった。私の体は一体…。 「新しい体はお気に召しただろうか。主よ。」 突然、聞き覚えのある声が、私の頭の中に木霊した。 「あ、あんたまさか、あの時の化け物!?」 「化け物とは失礼な。我はそなたの使い魔だ。あの様な奴等と一緒にしないで戴きたい。」 「どっちも同じ様なものでしょうが(怒)!それよりもあんた、あの時あたしに一体何をしたのよ!」 「何をしたと申されても、我はただそなたと契りを交わしただけであるが?」 「…契り?あたしを丸呑みにしたのが?」 「左様。しかし、我はあの方法でなければ、主と契りを交わすことが出来ないのだ。許してくだされ、主よ。」 「じゃあ、ちゃんと説明してからにしてよ!本当に死んじゃうかと思ったわよ!」 「ならば1つ尋ねるが、ちゃんと説明したとしても、そなたは我を放って逃げ出したりしない、という自信がお有りなのか?我はそれが心配で、わざと詳しい説明をするのは避けたのだが。」 「えっ、…………………う、ううぅ(大汗)。」 反論出来なかった。やっぱり、あの時の私なら、こいつを放って逃げ出していたかもしれない。何せ、あの時はただの化け物にしか見えなかったから。 「やはりな。主よ、一応申しておくが、あの時に我を放って逃げていたなら、我は理性を失って暴走し、一生そなたを追い回し続けたであろう。何故なら我ら使い魔は、主が居なければ生きていくことが出来ぬ存在なのだ。分かってくだされ、主よ。」 「う、うん…。」 (な、なんかやけに人間くさい事言うのね、こいつ。同じ化け物でも、中にはこういう奴もいるって言うことなのかしら?) 「…じ、じゃあ、少し聞きたい事があるのだけれど、良いかしら?」 「何なりと。」 「どうして、契りを交わすのに、あたしを丸呑みしなきゃならなかったの?」 「我の場合、契りを交わすと言うことは、主となる者に我の体を提供するということなのだ。そのためには、主には一度だけ、魂のみの状態になっていただく必要があったのだ。それで、一度丸呑みにし、消化する途中で肉体から魂のみを取り出す。そして、主の魂をそのまま、我の体に迎え入れたという訳なのだ。ちなみに、主の元の体はすでに吸収してしまった故、もう元の人間に戻ることは出来ぬ。」 「ふ~ん、あの説明書に書いてあったのは、そう言う意味だったのね。でも、よくよく考えてみると、魂を取り出すだけなら、別に呑み込む必要はなかったんじゃないの?」 「そ、それは、契りを交わすには、相当な体力がいるのでな。後々不要になる主の体を養分として取り込んでおけば、何かと都合がよいのだ。」 「本当に?ただお腹が空いてた、ってだけなんじゃないの?」 「そ、そんなことはないぞ!」 「それじゃあ、あたしを呑み込むときに、やけに嬉しそうにしてたのはどうして?あたしの体をやけにじっくりと、味わってたみたいだったけど?」 「うっ、そ、それは…。」 「好い加減、白状なさい!」 「す、すまぬ。腹が減っていたというのは認める。だが、さっきの話に嘘はないのだ。許してくだされ、主よ。」 「なんか引っかかるけど、まぁ、許してあげる。ところで、あたしの体どうだった?美味しかった?」 「それはもう、実に柔らかで喉越しも良く………。」 「………。」 「………。」 「やっぱり腹が減ってただけなんじゃねぇか!(豹変&激怒)」 「す、すみませんでした(汗)。」 「あんたを目覚めさせるための道具一式をくれた、黒尽くめの妙な男がいたんだけど、あんた何か知らない?」 「知っているも何も、あの男は我が作った幻だ。」 「え~っ!幻ぃ~?」 「主になってくれる者を、ただひたすら待ち続けるというのは、あまりにも効率が悪すぎるのでな。幻を使って、こちらから出向いたというわけだ。だが、どういう訳か、皆我のことを変質者だの悪徳業者だのと、全く相手にしてくれなかったのだ。」 「あんな時間にあんな格好して出て来たんじゃ、誰だってそう思うわよ。あたしも、最初は痴漢だと思ったんだもの。」 「やはりそうであったか(汗)。しかし、あの言葉に反応したのは主が初めてであったのだが、一体なぜなのだ?」 「え?だって、あたしの考えてることを見透かすような言い方するから、ってちょっと待ってよ!あの時のあのセリフは一体何だったの?」 「あれは、そなたに興味を持たせようと思って、咄嗟に思いついた言葉を適当に言っていただけなのだが?」 「………当てずっぽうで言ってたのか、貴様!(豹変)」 「は、はひ………。」 「ま、まぁ、いいわ。もう済んじゃった事だし。…あ、そう言えばあの時!」 「どうなされた?」 「あの箱を持って帰ってから、なんだか妙に箱の中身が気になってしょうがなかったのよ。あんた、あの時何かしてたの?」 「うむ。あのまま忘れ去られたり、捨てられたりしてしまっては困るのでな。中から『見捨てないで光線』を発射していたのだ。」 「な、何、その『見捨てないで光線』って?」 「話せば長くなるのだが、よろしいか?主よ。」 「遠慮しときまス(汗)。」 「そうでスか(泣)。しかし、今思い起こしてみると、あんな狭い入れ物の中で、長い間よく耐えられたものだと、我ながら感心するな。」 「狭い入れ物って、あの瓶の事?」 「左様。先ほども申したとおり、我々使い魔は主が居なければ生きていけないのだ。それで、まだ主が居らぬ内は、何らかの入れ物に自分自身を封印しなければならない。我が最初、あの瓶の中にいたようにな。」 「じゃあ、あの瓶の中に入ってた妙な液体は?」 「もちろん、我の体が液状になったものだ。我ら使い魔は封印されると、皆ああなってしまう。ちなみに、一度封印されると他の者が入れ物を壊して封印を解かぬ限り、二度と元の姿に戻る事は出来ぬのだ。」 「へぇ~…ん?入れ物を壊すだけで封印が解けるの?」 「まぁ、そうであるが。」 「それじゃあ、あの『目覚めの儀式』とか言うのは?」 「あれは、ただ壊して終わりというのもなんだと思ってな。いかにも儀式らしい事をした方が面白いかと…。」 「…別にやらなくて良かったんかい!面倒な事させやがって!(豹変&激怒 2回目)」 「ご、ごめんなさい…(汗)。」 「ところで主よ。我を呼び出したという事は、何か頼み事があるのであろう?」 「あっ!そうだ、すっかり忘れてた!実はね・・・。」 私は、事の一部始終を話して聞かせた。 「成る程。恋人を寝取られたので、その仕返しがしたいと申すのか。」 「違うわよ!ブスなんかと二股掛けられてた上に、彼奴はそのブスな方を選んだって言うのが許せないのよ!あたしのプライドをズタズタにした彼奴等に、なんとしてでも復讐しなきゃ、あたしの腹の虫が治まらないのよ!協力してくれるわよね?」 「人殺しをするのは、あまり気が進まぬのだが…。」 「あたしをいきなり丸呑みしておいて、そんな事言うの?」 「はっ、はい、心得ました!主殿。(この方を主としたのは、大きな間違いだったかもしれぬな)」 「なんか言った?」 「い、いえ、何も…。」 「ところで、あんたの名前は?なんだか呼びづらくて。」 「それは主であるそなたが決めるのだ。我自身は名前など持っては居らぬからな。」 「ふ~ん、そう言うものなの。それじゃあ、どんなのが良いかしらねぇ…。」 なんだかんだで数分後。 「『ポチ』なんか良いんじゃない?」 「犬と一緒にしないで戴きたい!」 「ん~、じゃあ、『タマ』は?」 「猫とも一緒にしないで戴きたい!」 「それじゃあ、『スネーク』は?見た目、ヘビみたいだったし。」 「そのまんまではないか!」 「じゃあ、どうしろっていうのよ!」 「『レオナルド』とか、『ジャッキー』とか、もっと格好いい名前の方が良いのだが。」 「全部却下!あんたは『ポチ』で十分よ!」 「主よ、それはいくら何でも酷すぎる…。」 「使い魔のくせに、文句言うんじゃないの!」 「は、はい。『ポチ』で良いです(涙)。」 「じゃあ、これからはよろしく頼むわね、ポチ!」 「こちらこそ、よろしくお願いします(泣)。」 (すごいのを味方に付けちゃったわね。これで彼奴等も、うふふふふふふふふふ…。) (やはり、大きな間違いだったのかもしれぬ…。)  復讐決行の日。私は、以前探偵に調査してもらったときの報告書を元に、あの二人の住処に来ていた。報告書の内容に間違いがなければ、このマンションの一室で、二人きりで暮らしているとの事。 「よーし。後は、夜になるのを待つだけだわ。ポチ、しっかり頼むわよ!」 「安心して任せるが良い。」 私は、もう人間じゃない。そう思うと、あの二人を殺してしまうのに、何のためらいも感じなくなっていた。自分が言うのも何だけど、私って結構恐ろしい女なんだと思ったりしている。何せ、この日のために私自身の日常を、全て捨ててしまったのだから。  夜。計画を実行に移す時がやってきた。今、あの二人が住んでいる部屋の前に、私はいた。前々から望んでいた事ではあるが、いざとなるとやっぱり緊張する。 「いよいよ決行ね。ポチ、頼んだわよ。」 「心得た。」 周りに人がいない事を確認した後、私はポチからもらった力を使う事にした。体に力を込めると、私の体は瞬く間にゲル状に変わっていった。自分の事であるにもかかわらず、とても妙な気分だった。 「それにしても、あんたの体って本当にすごいのね。怪我してもすぐ治るし、思い通りに形変えられるし。」 「主よ、今更何を言うのだ。普通の人間と変わらないのであれば、我の体を捧げる意味がないではないか。」 「それもそうよねぇ。さぁ、モタモタしてないでさっさと行きましょ!」 ゲル状の体を生かして、郵便受けの隙間から部屋の中に入ると、そのまま気付かれないように風呂場へ向かった。 「予想通りだわ。急いで中に入らなくちゃ。」 風呂のバスタブにお湯が張ってあるのを確認すると、そのままお湯の中に潜っていった。ここなら、水のおかげでちょっとやそっとでは私がいる事はばれないだろう。それに、まさかこんな所に私がいるとは、彼奴等は夢にも思わないだろう。そう考えたのだ。  しばらくすると、誰かが風呂場に近づいてくるのを感じた。ここまでは、私の計画通りに事が進んでいる。 (いよいよだわ。さて、どちらが先かしら?) 突如、風呂場の扉が開け放たれた。入ってきた奴の顔を見ると、間違いなくあの男だった。 (ふふふ、やっと会えたわね。さぁ、死んでもらうわよ!) 私は、何もためらうことなく、目の前にいる男に向かって襲いかかっていった。  しばらくすると、風呂場での異変に気がついたのか、女の方が駆けつけてきた。すると女は何かに驚いたのか、そのまま座り込んでしまった。無理もないだろう。風呂場にはポチの姿を借りた私がいるのだから。 「あ、…あ………あ…。」 恐怖のせいで、ロクに喋れないらしい。私は女の方にお腹の辺りをぐっと突き出すと、その部分だけを透き通らせてみせた。お腹の中では、ついさっき呑み込んだあの男がじわじわと消化されていた。 「あんたもこうなるのよ。さぁ、観念なさい!」 私は、腰が抜けて動けないでいる女めがけて、一気に襲いかかった。 「ばっくん!」 手応えあった!私は躊躇することなく、そのまま私のお腹の中へと引きずり込んでいった。 「はぐっ、はぐっ、はぐっ、はぐっ、はぐっ………。」 私の口の中で、さっきの女がなにやら抵抗しているみたいだが、今の私にとっては焼け石に水だった。風呂場を出てすぐの所にある鏡には、私の口から伸びている足が生々しく映っていた。 「はぐっ、はぐっ、はぐっ………、ごっくん!」 とうとう全身を呑み込んでしまった。さっきの女が、私の体の中を通り抜けていくのが、肌の上からも見て取れた。さっきのように、再びお腹の辺りを透き通らせてみると、先に呑み込んだ男の方はすでに跡形もなく消化されており、今は女の方を消化しているところだった。 「足掻いたって無駄よ!さっさと諦めちゃいなさい!」 今のセリフで刺激してしまったのか、消化スピードが一気に上がり、あの女はあっと言う間に消化されてしまった。消化液がかなり強力な物なのか、骨すら残っていなかった。 「うふふ、ザマミロって感じね!」 「主よ、用事が済んだのなら、速く逃げた方が良いだろう。」 「何よ、そんなに急がなくたって………。」 ポチが速く逃げろといった理由が分かった。さっきから、呼び鈴の音が部屋中に鳴り響いている。もしや、誰かがさっきの騒ぎを聞きつけてきたのだろうか。 「そういう事は、もっと速く言いなさいよ!仕方ないわね、予定を変えてお風呂の排水口から逃げましょ。」 私は、急いで体をゲル状に変えると、慌てて排水口に潜り込んでいった。ちなみにこの後、下水道において、かなり酷い目にあったのは言うまでもない。 「無理してでも別の所から逃げるんだった………。」 「だから止せと申したであろうに………。」  あの一件の後、私は裏社会に身を置く事にした。何せ、人間を二人殺しているのだ。堂々と表を出歩けるわけがない。それに、このことは初めから決めていた事だったから、後悔もしていなかった。環境の劇的な変化にはちょっと戸惑ったけど、今では何とかやっていた。 「依頼料、確かに戴いたわ。後はあたしに任せて。」 「はい、よろしくお願いします。」 気がつくと、私は裏社会において、知らない者はいないと言われるほどの殺し屋になっていた。証拠や死体などは一切残さず、的確にターゲットの命を奪う私のやり方は瞬くに知れ渡り、今ではすっかり引き手数多の状態になってしまった。まぁ、元はといえば何もかも、全てポチのおかげなのだが。 「今度の依頼は随分と厄介そうね。1ヶ月のうちにあの組織を壊滅させろなんて。」 「あの密輸組織か。確かに厄介ではあるが、それほど難しい仕事では無かろう?」 「お腹が持つかどうか心配なのよ!壊滅させるとなったら、相当食べなくちゃいけないじゃない!今までに何回かお腹壊しちゃったの覚えてるでしょう?もう心配で、心配で…。」 「主よ、そんな事を言っているようでは、ネメシスの名が泣くのではないか?」 「そのセリフ、今ので何回目よ、もう!でも、依頼されたからには、やるしかないわね。今夜は徹夜で準備だ~!」 「それでこそ主だ。」 こうして、殺し屋「ネメシス」としての人生は、滞りなく過ぎていったのだった。 「ところで主よ。我の事をポチと呼ぶのは、好い加減止めてもらえないだろうか?」 「もう、分かったわよ!…それじゃあ、『スネ造』なんてのはどう?」 「…ポチのままで良いです(大泣)。」 END