「アビラウンケン・ソワカ……。アビラウンケン・ソワカ……。アビラウンケン・ソワカ……。」

 そう唱えながら俺は手刀で円を描き、その中央を突くのを繰り返す。 別に、この術がベストだと思った訳ではない。 どうなるか理解して使っていた訳でもない。

 プリントアウトした般若心経は、携帯に付けた子袋から出す暇は無かった。 九字切りも、咄嗟に出てこなかった。

 ただ、咄嗟に出て来たのが、阿毘羅吽欠裟婆呵(アビラウンケン・ソワカ)だけだったのである。 今では情けない話であるが、その当時としては必死だった。


 火蓮の話によると悪霊は、その位置から御守りと二人の術のせいで動けないでいるらしい。


 当時の俺はアビラウンケン・ソワカが、大日如来の真言が元になっているとは知らなかった。 『胎蔵界曼陀羅の大日如来と、金剛界曼陀羅の大日如来では、真言が違う』等と、理解できていなかった。


 ただ、その場を凌ぐので、精一杯だった。


 一応、阿毘羅吽欠裟婆呵(アビラウンケンソワカ)を簡単に説明をすると、 大日如来の真言に由来し、現在では呪術からまじない等に様々に使われるようになった真言である。

 アビラウンケンは、地水火風空を象徴する真言。 ソワカは、成就あれと言う意味である。

 怪我をなおすまじないの他にも、災いを防ぎ、御利益を受け、敵を倒し魔を退けると言う意味合いにも使われ、 現在では、恋愛成就にまで使われていると言う状況である。

 他の真言に比べると、えらく色々意味合いのある真言である。

 本当に効果あるの?と聞きたくなるが、悪霊を弾く程度の力はある。 アビラウンケン・ソワカ単体では東京の霊は供養できないが、他の真言と組み合わせれば、 そこそこの邪気祓いもできる。

 無茶苦茶弱い悪霊程度なら、逃げ出す。(そんな弱い悪霊に、東京では滅多に会わないが……)


 最近では霊体を弾く般若心経の読み方を火蓮から教えて貰ったので、少しだけ使わなくなった。 (通常は般若心経を読むと弾かず、逆に憑かれます。供養されたいですからね。) それでもバックを持ちながら片手で手刀を切れる手軽さと、連続詠唱しても余り疲れないので、今でもよく使う。

 他人の厄除け、邪気祓いにも他の真言と組み合わせてよく使うし、火蓮が出かける時に、ライターで炎を灯しながら 妙見菩薩真言(厄除け)、三宝荒神真言(交通安全)を唱え、その後にアビラウンケン・ソワカで邪気祓いする時もある。

 強くはないが、便利な真言である。


 さて、物語りを元に戻そう。

 その悪霊は●●駅を通り過ぎても、暫く付いてきた。 車椅子専用席と俺の中間位置で、その悪霊は俺達を狙っていた。

 俺は、ただアビラウンケン・ソワカと唱え続け、手刀を切り続ける。 火蓮は小声で、般若心経を唱え続けているようだ。

 1つか2つの駅を通り過ぎると、火蓮はこう言った。


「……もう、(悪霊は)付いて来てないよ……」


 悪霊は、去ったようである。 それでも怖かった俺はバックから般若心経の本を取り出し、般若心経を読み始めた。

 仏教大学の学生のふりをして、般若心経を読みつづける。

 火蓮は、それを見て少し笑ったが、その後寝てしまった。 彼女は、『このような状況下で一度振り払った霊体は付いて来れない』と知っていた為である。


 後で聞いた話であるが、通常は家まで付いて来るそうである。 情けない防御の仕方だったが、当時の俺達としては上出来だったのだ。


 その後、暫くは●●駅は霊地だった。 ●●駅の在る街自体が、ほとんど全ての人が悪霊を背負い、自縛霊も大量に居る巨大霊地だったと言える。


 しかし、ある日、その街から邪気が全て消え去る日が来る。


 『東京の土地開発で巨大ビルが建ち、霊道が変わった為かもしれない』と思ったが、確実な答えは最後まで出なかった。 人に憑いた悪霊が全て消えるのも異常事態であるが、自縛霊が町から全て消え去ったのは超異常事態だった。

 悪霊が見えない俺にさえ、街から完全に邪気が消え去ったのは分かった。 余りの異常事態に呆気に取られたのを、今でも覚えている。


 それから数週間のち、必要な自縛霊と背後霊だけが戻ってきた。 浮遊霊も、戻って来たようである。

 ただ、もう以前のような『最悪の霊地』と呼べる程ではなくなった。

 人が居て悪霊が居るのは、当たり前である。 これからは、通常の街と同レベルの霊障しか起きないであろう。


 人に迷惑を掛ける悪霊を、必死で供養する必要もなくなった。 普通に歩ける街に、なったのである。

 最近は火蓮に●●駅に行くのに、ボディーガードの俺が付いて行かなくても問題ないレベルにまで、街は平穏になった。


 東京は異常開発で、霊道を無茶苦茶にし過ぎである。 それに、この異常な人口。

 マンション、アパート等も人の数だけ霊障は起こる可能性は増えるのだから、一箇所幾つも家庭を住まわせたら、 他の家庭の霊障に巻き込まれてトラブルを起こす場合も多いだろう。


 そもそも、『坊さんや除霊師でも除霊できない悪霊』を大量に生み出すのは代問題だと思う。


 だから、水蓮と火蓮は頑張っています。

 一人でも多くの人が、霊障から免れられるように。

 一人でも多くの悪霊が浄土に上がれるように、と……。






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