綺麗な男だった
自分の心を引き裂いた男と比べれば
種類の違う美しさなのだろうけど
それでも唯一と信じきっていた太陽のような光を失ったアタシには
多少、引けを取るその月のような光だけでも充分で
もう、それだけで良いような
そんな…気が、した……
流れ流れて…2
汚い死体のある裏路地から。
手を差し出されて、その手を受けて。
痛みが走る自分の身体に、その事に今更気付いたのか。
そんな自分に自分自身、多少呆れるが。
包まれた手が余りにも温かかったから。
だから、そんな事は本当に些細な事だと思えて。
只、今、自分の手を握ってくれているこの男を手放したくないと云う思いのみで。
絶対に、自分に取って良い相手では無いのに。
絶対に自分の、女としての容姿や身体が目当てなのに。
だけどそれでも良いと思え、大した事じゃ無いと思えて。
無防備に、それこそ殺されて地面に伏している男共に良い様にされていたように。
アタシはソイツに付いて行く事を決めた。
心は、未だに三蔵を求めていると云うのに……
その傷付いた心に蓋をするようにして、その男共々アタシはこの街を逃げるようにして出て行った。
あれから何年経ったんだろう……。
桃源郷の異変は三蔵達の手に寄って、見事に収まりを見せていた。
その後、彼等が長安へと帰って来たのをアタシは知っているが。
戻って来た彼等は、アタシがこの街に居る事は知らない。
でもこの儘、一生気付かれない方が良いのだろう。
そう、気付かれないようにと祈ろう。
だって、今のアタシは……
「用意は出来ましたか、紫厭?」
「えぇ、隆起」
「では今宵もその艶姿を皆様に見て頂きましょうね」
「…はい」
名前を変えて。
他の男の手を取って。
愛した男の瞳の色を厭うと云う名を付けて。
それでも皮肉のように素肌に纏うのは何時も濃い紫の襦袢で。
あの人を忘れきれていないのと。
自分のこの立場への戒めへとして。
アタシは今夜も店に出る。
格子の付いた、見世物にされる為の床の間で。
一番上の座敷へと。
この店の主人に連れられて、今夜も一晩限りの相手を得る為に。
莫大な金を落としていってくれる客を引き寄せる為に。
綺麗な照明を浴びて。
綺麗な着物を着て。
綺麗に飾り立てられて。
綺麗に化粧をされた顔で。
綺麗に磨かれた身体で。
あの人に褒められた身体で。
今夜も他の男に抱かれる為に。
アタシは見世物になる為にソコへと座る。
アタシは今夜もあの人の言葉を裏切る行為を重ねる為に此処へと座る。
あぁ……三蔵…
貴方は今でもアタシの事を覚えててくれていますか?
貴方が、ホンの一時だけ情けを掛けてくれた女の事を覚えていてくれていますか?
貴方を恨むのは筋違いだと、頭は理解するも。
今でも感情は納得してくれないんです。
アタシは何時になったら貴方の呪縛から解き放たれるのでしょう…
毎日毎日、違う男と肌を重ね合わせて。
そしてその度にアタシを拾った金髪の男、隆起に抱いてもらう。
一晩限りの相手でも、それなりにアタシの事を気に入ってくれて。
身請けの話を出してくれる奇特な人も居たけれど。
それでもアタシはその申し入れを受け入れられない…
こんな所にあの人が来る訳が無いのに。
まるで迎えに来てくれる事を信じているかのように。
馬鹿な末路を辿った女の、たった一つの縋れるモノのように。
過去の思い出に縋り付いて。
懐かしい思い出の。
彼と過ごした夜の睦言…
そんな曖昧な言葉に、そんな戯れのような、言葉遊びのようなソレに。
今でも見っとも無く縋って縋って、縋り付いて。
そうして意味の無い日々を送る毎日。
疲れて、嫌気がさして。
生きる事を拒否したいような衝動に駆られる時が周期的にやってくるが。
皮肉な事にそれが憂いを引き出して、魅力を引き出したのか。
アタシに群がる男の数はどんどんと増えていって。
安くは無い金額を、たった一晩で使うのに。
こんな抜け殻のような女を抱いて、何が楽しいのだろう。
最近、そんな事を良く考えるが。
隆起が云うには『その儚い女が自分へと笑いかけてくれるのが嬉しいんですよ』と云う。
庇護欲をそそるのか、男の虐待心を嗾けるのか、そこ迄は良く分からないが。
きっとそんな所がオチなんだろう、と勝手に決め付けて。
またクダラナイ毎日を送る。
男達に抱かれ、隆起に抱かれ…
彼等がこの長安へと帰って来てから三ヶ月後。
アタシはきっと来てしまうだろう今日の事を、心の何処かで願っていたのかもしれない。
彼の癖は一緒に旅をしていた時に熟知していたから。
遅かれ早かれ、アタシが此処でこうして見世物になっている限りはその可能性は高くなるダケなのに。
その事に気付いていながら。
本当は隆起に話して、此処に座るのを嫌がれば解決した問題なのに。
アタシは敢えてその選択をしなかった。
未練がましい女心の切れ端が。
彼を通して、今のアタシの成れの果てを見て欲しかったのかもしれない、と。
あの人に見てもらって。
蔑むような眼差しを貰って。
今度こそ、見切りを付けてもらえるように、と。
あの紫闇の瞳でクダラナイ女に成り下がったのだ、と。
知って貰いたかったのかもしれない……
「…………?」
何年か振りに呼ばれたその名前。
そして彼の事を思い出させてくれる、懐かしい声。
振り向けば、己がその女だと云う事を認めてしまうから。
何故かアタシは彼の方を振り向かないで。
気付いて欲しかったクセに。
気付いて、彼にアタシの事を伝えて欲しかったクセに。
いざ、その時が来ると。
途端に臆病な部分が前面へと現れてきてしまって。
アタシは懐かしい、彼の紅い髪を視界の端に映しながらも持っていた扇子で顔を隠すようにして在らぬ方向を向いた。
「なぁ……、ダロ?」
恐らく博打で大勝したのか、彼の両脇には連れらしい女を何人も居て。
彼女達は他の女へと視線を奪われた彼を非難するような眼差しと声で訴えかけているが。
彼の方は一介に介さないようで。
呆然としながらもアタシを見詰め続け。
「…お前……ナンで、こんなトコにいんだよ…」
何故か彼の方が泣きそうな声で返事を返さないアタシへと喋りかけ続ける。
「…、なぁっ……」
格子を握り締めて、視線をアタシへと固定して。
まるでアタシしか目に入らない、とでも云いたそうな彼の行動に。
文句を云い始める連れの女性達。
そして彼の行動に異様なモノを感じたのか。
店に中から若い男達が現れて。
彼を格子から引き離そうとする。
しかしあの人に認められる程の強さを持った彼が、店の男達に負ける筈がなくて。
あっと云う間に地面へと平伏せさせて。
再び格子へとしがみ付く。
「なぁっ…、イキナリ居なくなって、どうしてこんなトコにいんだよ!」
彼の怒鳴り声は道行く人の好奇を多大に引いたのか。
店の周りに人垣で出来始めて。
「お前っ…俺達がどんだけ捜したと思ってんだよ!」
細い格子がミシミシと音を立てて。
前に居た同じ店の女達が恐がって軽い悲鳴を上げながら奥へと引っ込んで行く。
それでもアタシはその場所を離れられなくて。
「何とか云えよ!…っ!!」
簡単に激昂する所なんて、昔の儘で。
余りにも昔の儘だから。
つい、笑みが零れてしまって。
それと同時に奥の方から隆起が出て来て。
「どうされたんですか?お客さん」
出て来た彼の容姿を見て、何か覚るモノがあったのかもしれない。
彼は紅い目を細めながら。
「アンタが、この店の主人?」
「えぇ、まぁ」
「ソコに座ってる女、買いたいんだけど幾らだ?」
そんな事を言い出して。
「あぁ、紫厭ですか。彼女はちょっと高いですよ?」
「コレが今夜稼いできた金、全部。ソレでどうにかしてくんない?」
ボケットから無造作に紙幣を出して、格子の内側へと投げ入れた。
「そうですねぇ………ま、良いでしょう」
本当ならアタシを買う値段にしては安い金額だったのだが。
昔の知り合いで、恐らく縁の深かった者だと思われたのだろう。
彼はアッサリをソレを許して。
「では、どうぞ此方へ」
何を考えているのかは分からないが。
本当なら、普通の店の店主なら絶対に会わせてはくれないと思えるのに。
矢張り、この男も普通の男ではないのか。
そんな事を思いながらもアタシは買われた身なので仕度をしようと立ち上がる。
アタシを買った男に自分を抱いてもらう為に。
今夜も愛した男を裏切る為に。
昔、共に旅をした。
愛した男の仲間である、悟浄に抱かれる為に…