「……っ!?…――――ッッ!!!」
大量に差し向けられた刺客。
その中に。
思いもよらない実力の妖怪が忍んでいただなんて。
目の前の敵をこなすだけで精一杯だった彼等に。
ソレに気付けだなんて。
気付いて、彼女からソレを守れだなんて。
そんな無理は云えなくて。
でもその所為で。
玄奘三蔵が唯一愛する。
玄奘三蔵が唯一愛した女が。
その命を失ってしまった事は。
動かし難い事実だった……
Never(現在・過去・未来に置いて。決して〜ない。絶対に〜ない。強固な否定の意味)
敵の一人が。
味方である筈の妖怪の身体を盾にして。
ソレを相手にしていたが。
その妖怪を。
手に馴染んだ武器で一刀両断にするのを。
何処か誇らしげに見ていた三蔵達。
自分達のリーダー的存在が初めて愛した。
女と云う生き物を初めて傍に置いたその存在を。
本当はこの面々の誰もが彼女の事を特別に思っていても。
それでも本人の気持ちを大事にしよう、と。
彼女が選んだ男の存在もひっくるめて。
大事に見守ろうと決めた矢先の事だった。
最初に気付いたのは誰だったのか。
思いもよらない程の殺気を感じ。
其方を振り返れば。
その殺気を振り撒く妖怪の目の前に。
居てはならない存在を目の中に入れてしまい。
ソレまでその実力を隠していた妖怪。
多少、頭の回るソイツは。
情報通りに。
この一行が大事にしている女を先に殺してしまおう、と。
その隙を狙っていたワケで。
そんな事になるとは一片も覚っていない彼等の。
まるで裏をかくようなその行動は。
物の見事にスンナリと通ってしまって。
殺気を感じた時には全てが終わってしまっていた。
ホンの一瞬の出来事。
嫌な目付きをした妖怪が。
驚いて目を見開いたを。
彼女が切った妖怪から刀を戻すより早く。
薄ら笑いを浮かべて。
彼女の身体を。
持っていた長刀で。
突き、刺した……
聞こえる筈の無い。
鈍い、音が。
の身体に長刀の刃が。
めり込んでいく音、が。
彼女の身体、背中から。
ソレが突き抜けていく音、が……
聞こえたような気がして。
「……っ!!…―――――ッッ!!!」
一瞬の事なのに。
その映像が。
悪夢のようなその画像が。
スローモーションのように目に映って、焼き付いて。
次の瞬間。
長刀を引き抜かれた所為で。
彼女の身体から、大量の血潮が飛び散って。
その妖怪と、彼女の立つ地面へと。
降り注いだ。
眉を顰めて。
酷い苦痛を伴った。
悲鳴のような声で。
彼女の名前を呼んだ、三蔵。
目を見開いて。
信じられないような光景を。
出来れば、見たくなかったであろうシーンを。
見てしまった、悟浄。
あの日。
最愛のヒトを失ってしまった時のような喪失感を。
憔悴間を感じて。
目の前が真っ暗になったような錯覚を覚えた、八戒。
泣きそうな顔をして。
彼女の名前を。
意味不明な音を叫びながら。
行く手を阻んだ目の前の妖怪を。
力一杯、叩き潰した、悟空。
「ひゃはははは!! やったぞぉ!玄奘三蔵の女を、三蔵一行の女を殺ったぞ―――っ!!」
狂喜乱舞するその妖怪が。
彼女を殺した妖怪が。
彼女の血潮を浴びた妖怪が。
嬉しそうに、を殺した、と。
玄奘三蔵の女を殺した、と。
云った、叫んだ瞬間。
「…魔戒天浄―――――っっ!!!!」
物凄い光と。
何処からとも無く伸びてくる経文。
それ等が群がる妖怪達を。
死んだと喜んだ妖怪達を。
彼女を殺した妖怪を取り巻いて。
だってそんなの信じられない。
信じたくない。
見えたあの角度では。
見えたあの血の量では。
彼女が即死したのが分かってしまい。
もう、間に合わないなんて。
もう、彼女は。
初めて愛した女が。
あんなに愛した。
自分よりも大事に思えた。
何物にも代えられないと悟ってしまった彼女が。
が死んだだなんてっ…!
そんなの誰が信じられるっていうんだ!!!
取り巻かれた妖怪達が。
その光を浴びた妖怪達が溶けるかのように消えて。
一瞬にして消え失せてしまった妖怪達。
苦しそうな悲鳴を上げながら消えていく妖怪達。
彼等が全て消え失せて。
辺りには。
もう刺客は残っていないと云うのに。
それでもまだ術の効力を途絶えさせない三蔵に。
その力の放ち方が余りにも桁外れで。
その事が我を失いかけている事を物語っていて。
妖怪である仲間の八戒や悟浄に。
魔戒天浄の余波が掛かり始め。
彼等を傷付けても。
それでも三蔵は力を放つ事を止めず。
「……オイ、っ三蔵…!」
「止め…て、下さい!三蔵っ!!」
「三蔵!…三蔵ってば!!」
静止の声を上げる八戒達。
しかしその声も耳に入らないのか。
それとも聞く気が無いのか。
彼は力を放ち続けて。
鋭い刃物で切ったような傷が彼等を襲い。
血が飛び散り。
焼けるような熱さを感じ。
焦げたような火傷を負い。
彼等の妖力に反応するかのように。
魔戒天浄の余波が襲い掛かって。
それに耐えかねたように。
ソレがもたらす違う事に気付いた八戒が。
「…三蔵!それ以上力を放ったらっ…、の身体まで傷付いてしまいます!!」
その事実を叫んだ途端に。
嘘のように。
彼の放力は収まっていき。
彼を包み込む淡い光がその範囲を狭めていき。
途絶えた。
余りにもの大量の法力を一気に放った為か。
三蔵は少しだけふら付いて。
しかし、そんな彼を支えに行こうとする者は。
誰一人として居なくて。
だって、彼が歩を進めたのは。
が横たわっている方で。
少しずつ彼女の方へと進んでいく三蔵に。
フラ付きながら進んでいく三蔵に。
そんな彼の後姿が。
震えているような。
怖がっているような気がして。
そんな彼の姿が見ていられなくて。
悟浄は目を逸らした。
横たわるの身体を。
血に塗れた彼女の身体を抱き起こした三蔵。
乱れた黒髪に。
優しい手付きでそれに触って。
手櫛で整えてやって。
生気の抜けた表情の。
もう二度と彼等を。
三蔵をも映さなくなった。
僅かに開いた儘の眼を。
優しく閉じさせてやって。
柔らかくて、温かくて。
そう、まだこんなにも温かいのに。
その魂は抜け出てしまっていて。
もう、はソコには居なくて。
「……………」
優しい口調で。
恐らく、二人きりの時には。
こんなにも優しい声で彼女の名前を呼んでやっていたのであろう。
その呼び方で呼んでやって。
抜け殻になってしまった彼女へと。
唇を寄せて。
恐らく、最後になってしまうであろう口付けを贈る。
ゆっくりと、ゆっくりと。
重なった唇を離して。
もう、目を開けなくなってしまった彼女の頬を。
少しだけ震える手で撫でて。
自分の胸へと引き寄せたその光景が。
抱き寄せた所為で。
彼女の力の抜けた手が。
ぼとり、と落下して。
それに耐えられなかったかのように。
三蔵の背中が。
肩が小刻みに震えて。
見ていたくない、とばかりに。
八戒が目を瞑り。
ソレを凝視していた悟空の目からは。
大きく見開かれた目から止めど無く涙が零れ落ちていった。
呆けたようにソコに座り続ける三蔵。
の遺体を抱きながら、紫の瞳を。
何時ものあの意志の強さを思わせる輝きを失ったその瞳で。
ソコに座り続け。
放心し続ける三蔵に。
「……三蔵…」
悟浄が声を掛ける。
しかし。
否、当然の事なのだろうが。
彼はその呼びかけに反応を示さず。
また声を掛けた悟浄もソレを当たり前のように流し。
言葉を続ける。
「の身体…さ。気持ちワリーだろうから…、血ィ……流してやれよ」
血に塗れたままの二人の身体。
思えば、は返り血を浴びる事が多々あって。
被る度にソレを嫌がって、近くにある湖で血を洗い流していた。
悟浄はソレを云いたかったのであろう。
聞いていた面々もソレに頷いて。
「ソコの奥にさ、湖があったから。…行って流してきてやれよ」
三蔵の震えている後姿を見ていたくない、と。
その場に居る事を拒否した悟浄。
少しだけ姿を消していたのはその為だったのか、と。
八戒は覚って。
悟浄の肩にそっと手を置いた。
三蔵はというと。
悟浄の言葉に心動かされたのか。
の身体を抱きながら。
糸の切れた操り人形のようにふらふらと、ふらふらと立ち上がり。
悟浄達の方に向き返る。
その表情に。
見てしまった三蔵の瞳の闇に。
覚えのある八戒等は酷く眉を顰めて。
「……案内しろ」
酷く冷めた声で。
感情の伴わない声で。
機械仕掛けの人形のような動きで。
泉への案内を示唆し。
辛そうな八戒の背中を一つ叩いて。
悟浄は先頭を歩いて行った。
その後を。
悟空と八戒が付いて行って。
綺麗な湖だった。
水が澄んでいて。
底の方まで見えてしまうかのようなその湖に。
三蔵がを連れて入ってしまう前に。
八戒が歩み出して来て。
近寄ってきた八戒に。
トンでもない殺気を飛ばす三蔵。
肌にぴりぴりとしたモノすら感じてしまう程のソレに。
八戒はどうし様も無い程の彼の悲しみを感じて。
「……せめて…、身体の傷を塞がせて下さい……」
このまま洗っても。
開いた儘の傷口から、新たな血が流れてきてしまう、と。
言外に云う八戒に。
の身体を離さずに。
触れる事を許さないかのように。
傷口だけを見せるかのようにして。
早く塞げ、とばかりに。
彼を睨み付けた。
気を集中させて。
彼女の命を奪っていった傷口に。
そうっと、触れないように気を付けて。
それでも自分の気を送り込めるようにして。
の傷口を塞いでやる八戒。
彼の手の平から放出された光が。
彼女のソレを見る間に塞いでいく様が。
何故かとても皮肉だと思えて。
言い様の無い虚無感に襲われる。
服の切れた場所から。
彼女の命を絶った、長刀が通った場所から。
全ての傷が塞がったのを確認すると。
三蔵は再びの身体を抱き締めて。
全てのモノから見えないように抱き締めて。
ゆっくりと湖へと歩を進めた。
ぱしゃり、ぱしゃり、と。
彼が歩を進める度に。
揺れる水の音が辺りに響いて。
足首から脹脛。
膝から腰へと段々水へと浸かって行くと。
彼等の進んだ後に。
血が溶け出していって……
胸まで浸かった頃。
やっと三蔵は歩を止めて。
彼女の着ていた服を脱がせ始める。
意思を持たない人間の。
服を脱がすと云う行為は、とても重労働で。
只でさえ水に濡れた服は脱がし辛いと云うのに。
相手は死後硬直の始まった遺体で。
一枚一枚、根気強く脱がしていく三蔵が。
一瞬、動きを止める。
ぎりっ…、と歯を噛み締める音がしたかと思うと。
彼は再びその行為を再開させ。
不信に思った彼等が。
少し目を凝らすと。
脱がされたの肌が見え。
その原因を知る。
こうなる前は。
きっと。
否、絶対にそうだと言い切れる程に。
白い白い肌だったのに。
ソコ以外は白いのに。
本当に本当に白いのに。
陶器のように白いのに。
なのに彼女が倒れた時。
下になっていた方の部分が。
その部分に赤黒い痣のようなモノが。
死斑が現れてしまっていて。
本当に彼女が死んでしまっている事を。
現実なんだと云う事を知らしめているようで。
知らずの間に。
彼等も歯を食い縛って。
その無情な現実を見続けていた。
ようやく、全ての服を脱がし終え。
塞がった傷口付近にこびり付いた血痕を拭い取り終えた三蔵。
不自然に強張る彼女の身体を大切そうに抱え直して。
ゆっくりと此方へ振り返って。
岸へと歩んで来て。
八戒が三蔵の着替えと数枚のタオル。
生前、が最も気に入っていた服を出してやる。
ソレを無言で受け取って。
先に裸体のの身体を拭き。
己の手だけを拭いて服を身に付けさせてやって。
几帳面な三蔵らしい。
細かい所にまで気を使った。
皺の一つも許さないかのような着せ方に。
の遺体は飾られていき。
真っ白なワンピースに包まれる。
綺麗に着飾られたに。
三蔵は少しだけ満足そうにして。
己も法衣を脱ぎ捨てて。
用意してあった法衣の代えでは無く。
自分の荷物に手を伸ばして。
普段着に着替える。
『法衣を着てる三蔵も好きなんだけどさ、…普段着の三蔵もっカッコイイね』
『……寝ぼけた事抜かしてんじゃねぇよ』
『何よー、失礼しちゃうわね!』
脳裏に浮かんでくる彼女が発した言葉達。
あぁ…。
お前がそう云わなかったらこんな格好、しやしねぇよ。
『ねぇ…三蔵。アタシ貴方が大好きよ?』
『あぁ、知ってる』
『やぁね、そういう時は知ってるじゃ無くて《俺も好きだ》でしょー?』
『………俺にそのセリフを云えってのか?』
『………うー…、…何か似合わない事、この上無いかもね!それに本当に云われたら本物かどうか疑いそうだし』
『………………』
『えっ!? ちょっと!何でソコで銃構えるのよー!!?』
今だったらお前が望んだその言葉を。
これでもかって位、云えそうだ。
『ねぇ……三蔵…。何でこんなに愛しいんだろうね?』
『……知るか』
『よし、決めた!アタシ死ぬまで三蔵しか愛さない!』
『フザケンナ、この馬鹿』
『別にフザケテなんかいないよ?アタシには三蔵だけって云いたいの』
『だったらそんな縁起の悪ィ、言い方すんじゃねぇよ』
本当に、死ぬまで俺を好きでいたな。
『んー、じゃ訂正!死んでも三蔵の事好きでいる!』
『んの大馬鹿が!全然変わってねぇじゃねぇか!!』
『イイじゃん!アタシ、死んでも三蔵の傍に居たいんだもん!!』
『だから軽々しく《死ぬ》なんて言葉使うんじゃねぇっつってんだろう!お前には学習能力が無いのか!?』
なぁ…。
今でもお前は俺の事が好きな儘か?
今でも俺の傍に居たいと思っているのか?
の身体を抱き締めて。
近くの木に寄り掛かり。
只、呆けたように時を送って。
時折思い出したかのように。
死後硬直の抜け始めた彼女の髪を梳いて。
八戒達はソレを心配そうに少し離れた場所で見ているだけで。
一向に動こうとしない三蔵に。
彼女の遺体を抱いた儘の三蔵を。
この場に置いて行くなんて事が出来る筈も無く。
を失って傷付いているのは皆、一緒なのだけれど。
それでも彼程は自身を喪失しているワケでも無く。
それはの事をどれだけ愛していたか、の比例では無く。
こんなになってしまった三蔵を放っておけない、と云う気持ちの所為で。
彼女を失った悲しみは。
確かに彼等の中に存在していて。
でも、だからと云って。
こんなになってしまっている三蔵を放っておけなくて。
本当は泣き叫んだら。
全てのモノに当り散らしたら。
ホンの少しでも気は晴れるかもしれないが。
ソレすらも三蔵の前で出来るワケが無くて。
為す術も無く。
只、悪戯に時間だけが過ぎ。
この儘ではイケナイ、と。
八戒が悟浄と悟空に指示を出す。
《兎に角、今は三蔵を動かせないから》
《今夜はココで夜を明かす》
《火を熾したいから木を拾ってきてほしい》
《自分達も予想外に疲れている筈だから、少しでも身体を休めておく》
肉体的には何時もの事だったが。
の『死』が必要以上に。
想像以上に自分達に圧し掛かっていて。
兎に角、身体を動かしてでもいないと。
どうにかなってしまいそうだったから……
暗い暗い闇夜が。
辺りを包み込み初めていた。