彼等が出掛けてしまってから数時間後の真夜中に。
俺は何故かあの二人の逢瀬を目撃してしまったリビングに居た。
何故ココに居るのか、自分でも良く分からないが。
それでもココに居れば。
何時か彼女が現れるのではないか、と。
ソレは昔、愛した女への裏切りなのだと理解しながら。
それでも少しでも彼女との時間を持ちたいと。
そんな女々しい事を考えながらも。
俺は彼女を待ち続けていた。
知識3
夕食後、メディカル・ルームに舞い戻り。
篭った儘の彼女を待ち続けて早四時間。
早々に自分の部屋へ引き返す者、事態を深刻に考えたく無いのか、談話を楽しむ者。
中には昔のデータを引っ張り出して来て調べ始める者、と。
様々だったが、彼等も11時を過ぎる辺りから各々己の部屋へと引き返して行って。
この後の事を考えると、自分も部屋へと戻り。
身体を休めながらも何時でも戦いへと行けるよう、備えていなければならないのに。
そうするのが今迄の習慣だったのに。
それでも俺はココから動けずに。
中身が頭の中に入らないにも係わらず、研究データを見て考える振りをしながら。
只管に、彼女を待ち続けた。
その間、頭の中に浮かぶのは。
あの日キスをしていた二人の影で。
何時の間にそういう関係になったのか、と。
何時の頃から自分が彼女にそんな気持ちを持ち始めたのか、と。
最初に出会った時にはそんな気持ちはこれっぽっちも持っていなかった筈なのに。
そう、事の起こりは彼女の涙。
自分の身体を見ながらも。
メンテンスを行いながらも、その両目からホロホロと涙を零し続けて。
泣き続けながら俺の身体を整備し続けていたのが原因。
嫌っている自信すら浮かび始めていたのに。
無表情に、嗚咽すら洩らさず、黙々と作業を進めながらもずっと泣かれて。
科学者なんてロクなモンじゃ無いと思っていただけに。
ギルモア博士ですらこの身体を作り出した内の一人と認識して。
只管に憎んだ時期があった時があったからこそ。
彼女の存在が信じられなくて。
常識と良識を持っていれば。
絶対に、こんな命を玩ぶような行為が出来るはずが無いのだから、と。
そう思い続けていたのに……
なのに、そう思い続けていた自分の元へと現れた彼女。
科学者と云う生き物は。
自己顕示欲と研究に対する欲求の為なら悪魔にでも魂を売りかねない。
そんな人間だと認識していたから。
自分の研究結果に対する執着も無ければ。
日の目を見る事に感心も無く。
黙って言いなりになって。
与えられた研究のみをし続けて。
あまつさえ監禁すらされて。
そんなサイエンティストは初めてだったから。
だから、きっと流されたあの涙は……
研究者が、
邪悪な迄に純粋に、
己の欲求の為に、
探究心を推し進めた事に対する罪悪感だと思えたから
そんな純粋な懺悔であろうあの涙に
惹かれたんだ
「あら?まだ起きてたんですか、アルベルト」
やっと現れた。
考え事をしていた所為か。
彼女に声を掛けられる迄、一向にその存在に気付けなかった事に少々狼狽するが。
表面上は鉄面皮と云われる自分だから。
恐らく僅かに表皮が動いただけであろう。
そのまま平静を装い、無難な返事を返す。
「あぁ、こそこんな時間までデータを整理していたんだろう?」
「えぇ、私に出来るのはこれしかありませんから」
少々、儚げに笑う彼女。
「いや、そんな事は無い」
そんな彼女に気の利いた労いの一言ですら浮かばない。
ボキャブラリーの少ない自分に嫌気を覚えるが。
彼女はソレを気にする素振りも見せず。
「アルベルトもお疲れでしょう。コーヒーでも飲みますか?」
優しい言葉を掛けてくれて。
「あぁ、そうだな。俺も手伝おう」
「あら、幾ら研究馬鹿の私でもコーヒー位は淹れられますよ?」
「否、そう云う意味じゃ無いんだが…」
「ふふ、分かってますよ。冗談です」
戦闘になるかもしれない、と云う緊張感と。
この時間まで待ち続けた精神に。
彼女の作り出す穏やかな雰囲気が己まで優しく包み込んでくれるような気がして。
だってずっとこの一時を待っていたのだから。
待ち続けていたのだから……
キッチンへと歩いて行ったの後を。
足音を立てずに追い掛けて。
カップを二つ出して、コーヒーメーカーのスイッチを入れている彼女に歩み寄り。
無言で近付いて来た己に気付き。
驚いている彼女を尻目に。
「どうかしましたか?」
声を掛けられているのに。
その声もちゃんと聞こえているのに。
彼女の瞳に映るのが自分、一人だと云う歓喜が身体中を支配していて。
「アルベルト?」
静かに彼女の直ぐ傍へと行き。
ゆっくりと機械仕掛けの、機械部分が剥き出しの右手を上げて。
彼女の頬にあてて。
「………」
無意識に、擦れた声で思う相手の名を呼び。
細い顎に手をずらし、上を向かせて。
あの日、見た、あの光景の、片割れの、自分の心を掻き乱す相手に。
そうっと口付けた。
触れるだけの優しいキスは。
思ったよりも温かい彼女の唇の感触を残しながらも。
終わりを告げて。
そして不思議な事に思い付く。
「……何故、抵抗しない」
仕掛けた自分が云う科白では無いのは百も承知だが。
それでもこの疑問に答えが欲しくて口にする。
幾らか頬を染めた彼女に。
僅かながらも心乱されるが。
答えを促して。
「……勘違いだったらごめんなさい。…もしかして、アルベルトは私の事……」
「あぁ、勘違いじゃない。俺はお前に惚れている」
この際だから、と。
順番は違えども、己の気持ちを相手に告げて。
「だったら良いです。私も貴方の事が好きですから」
赤らめた頬の儘で、自分を見詰めてくれる相手に。
胸の中に秘めた疑問が更に増して。
「良いって……本当に良いのか?」
「はい」
「これ以上の事を望んでもか?」
「…はい」
俺の云った言葉の内容を理解したのか。
彼女は益々頬を赤らめるが。
そんな彼女を可愛いと認識するより以前に。
あの日、見てしまったあの光景が脳内から離れてくれなくて。
「じゃあ、何故ジェットとキスしてたんだ?」
見てしまった事をばらすような言葉だったが。
覗いていたのを知られる科白だったが。
強烈な迄の疑問の答えがどうしても欲しくて。
その事を口にする。
「あ、……見てたんですか?」
しかしその疑問に対する彼女の答えは、悪びれる素振りの一つも見せず。
あまつさえ少々、頬を染めるだなんて反応。
こんなの可笑し過ぎる。
心の中に嫉妬や侮蔑、蔑みの感情が嵐のように巻き起こって。
自分でも信じられないような低い声が。
喉から搾り出される。
「……さっきは俺の事が好きだと云ったな」
「えぇ、云いました」
「じゃあ聞くが、お前はジェットも好きなのか?」
「はい、彼も好きです」
俺が彼女の気持ちを疑っているのだと思えたのか。
自分の云っている言葉の意味が分かっているのかいないのか。
は真剣な表情で、まったく悪意の見えない澄んだ眼差しで俺の目を見続けて。
その目に嘘や騙そうと云ったような曇りは全くと云って良い程見られなくて。
今度は俺が戸惑ってしまう。
そして有り得ないであろう。
否、あって欲しくない恐れを抱いてしまうかのような考えが頭に浮かび。
アルベルトは言葉に詰まってしまう。
しかしこの不自然な事を、当然のように、当たり前のように話す彼女へと。
聞かなければならない。
出来るなら聞きたく無い。
そんな事、あってはならない。
「………なぁ、………」
「はい?」
頼むから、俺のこの考えが
違うと
笑って、何を馬鹿な事を云っているのだと
「お前さん……もしかして、好意を寄せてくれる奴となら」
云って
欲しい…
「誰とでも、……キスするのか…?」
俺の言葉に。
はとても不思議そうな顔をして。
何を馬鹿な事を云っているのだ、とでも良いたそうに。
不安気な、狼狽えたような顔をして、云いたい事はそんな事だったのか、と。
至極、当たり前のような顔をして。
彼女は、は……
「えぇ、当然でしょう?」
そう云った……