破片 16 -side.smoker-
目の前には愛した男が…
今頃になって己の罪を悔いて、謝罪して
許しを乞うて、再度、アタシの愛を、…乞うている
けど、……けれどアタシは
どんなに悔いてもらっても
どんなに後悔してもらっても
どんなに欲されても
形振り構わず謝られても
大佐の居る海軍船に襲撃に来てしまう程思われていても
それでも、アタシの心は
アタシの恋心は
もう…、あの時に死んでしまったから……
「………ゾロ……、ありがとうね…」
薄っすらと何かの感情が入り混じる、のその表情に。
その後続けられる言葉が容易に分かってしまったゾロは。
迎えに来るのが遅かった現実を、知った。
「……アナタにそう云ってもらえて…、すっごい嬉しいよ……」
何処か、初めて会った頃の笑みを思い出させてくれるような微笑を浮かべた。
「ずっと、…ずっとアナタには裏切られっぱなしだったから……凄く、女としても人間としても自信を無くしてたんだ…」
気に入らないと思えていたあの笑みを、浮かべて、微笑みかけられて。
「……船でね、………偶然、…見ちゃったんだよ。……ナミちゃんと一緒に居る所…」
今更ながらに、何故その笑みが受け入れられなかったのかが理解出来て。
「他の……他のね、自分が知らない女のヒトと一緒に居るんだったら耐えられたんだ。所詮は一晩限りだ、って。
そう思って耐えられたんだ。……けどね…」
無条件で己の心を惹き付けてしまう、その笑みが何で憎く思えたのかを知り、呆然とした。
「流石に同じ船に乗ってるナミちゃんが相手だと、…ね。…………その時………もう、……ダメだと思ったんだよ……」
ほろり、と笑いながら涙を零して。
「……凄い…凄い好きだったよ、ゾロの事。………何度も何度も浮気されちゃったけど……それでもアナタが好きだったよ…」
ほろり、ほろりと泣き続けて。
「あんまり……大事にされなかったけど………一緒に居られたの、嬉しかったし、…幸せだったから…」
それでも、あの笑みを浮かべ続け。
「今、ね………大切な人が居るの……。……ボロボロだったアタシを拾ってくれた人なの…」
決定的な、決別の、……言葉を…
「アナタが乗る船から降りて……、アナタの傍から黙って勝手に離れたクセに絶望してて、
何がどうでも良かったアタシを拾ってくれて大事に大事にしてくれて………すごく……すごく愛してくれた人なの……」
その唇から、はっきりと、告げられる。
「アタシも……その人を愛してる、の」
やんわりと俺の手を拒絶して。
「あの人の……傍に居たいの…………。だから、…ごめんね……」
俺の腕の中からするりと抜け出して。
「こうやって…、ゾロと喋れて……良かったよ。…ありがとね、……これでアタシはあの人の所に行けるから」
嫌いだった笑みを絶え間なく浮かべて。
それでも何処か辛そうなソレを惜し気もなく俺へと見せ付けて。
「バイバイ……ゾロ…、早く……アタシの事なんて忘れてね…?」
そう云って、……部屋を出て行った。
パタン、と閉まる扉の音。
僅かに聞こえてきたの漏らす嗚咽の気配。
震えているであろう、その様子までも浮かんできそうな現状だったが。
彼女が発した別離の言葉に打ちのめされていた自分の身体はぴくりとも動いてくれなくて。
扉の向こうで涙を飲みながら服の端でも掴んでいるのだろう。
ギリギリ、といった僅かな音が聞こえてきて。
そして、意を決したように一歩、踏み出した彼女の足音がして。
二・三歩、よろけるような足取りで進み出したは。
耐え切れなかった泣き声を僅かに上げながら、……走り出した。
………終わって、…しまった恋。
幾ら、他に思い人ができようとも。
あんなに、あんなにも愛した男との別れが辛くない筈がなくて。
己で終焉を、幕を引いたのにも係わらず。
引き裂かれたかのような胸の痛みがを襲い。
事実、見えないだけの引き裂かれた心が鮮血を上げながら。
欠けてしまった思いに激痛を訴える内側が幾筋もの涙を流させて、嗚咽を上げさせるも。
ボロボロに泣きながら、は走っていた。
己を迎えに来てくれた優しい仲間達と、傷付いていた心を癒してくれた仲間達がこれ以上。
無駄な戦いを続けないように、と。
『……その時………もう、……ダメだと思ったんだよ』
泣きながら、震えるようにして。
それでもあの笑みを浮かべて、そう云った。
簡単な思いで手を出した同じ船の乗る航海士との事が切欠だっただなんて。
今迄、知りもしなかったゾロだったが。
こうやって面を合わせて心内を吐露された今。
漸く彼女が船を下りた原因を知って。
余りにも愚かな行いをした自分を心底呪ってやりたいと思っていた。
アイツが浮かべる笑みは、何時でも柔らかくて。
戦いに身を置く己の荒んだ心に浸透して。
無意識に正反対にある、対極線上にある。
温かい、幸せだとか平穏だとかの心情を揺さぶり起こしてくれた。
ほんの僅かしかない己のそういった心に、その笑みはまるで眩しい一筋の光のように降り注いできて。
不穏な空気等とは今迄、縁の無かった一般人であるが纏う温和な平穏な空気が堪らなく清らかなモノとして映って。
ふ、とした拍子にソレに引き摺られそうになる自分。
海賊である、剣士として頂点を望む自分にとって極めて危険であるあの笑みに。
戦えなくなってしまいそうな程にその笑みに惹き付けられていた己が許せなくて。
頭では分かっていなかったが、それでも本能的にソレが分かっていただろう自分は。
惹き付けられる気持ちを彼女を嬲る事に摩り替えて。
本来ならば傍に置いてはいけない存在なのに、それでも惹かれる己の心には逆らえず。
何度も傷付けながらも決して別れる、とは云わなくて。
本当だったら早々に解放してやった方がどちらも傷は浅かった筈なのに。
闇が光を求めるようにして彼女を求め。
光のような彼女は闇、そのものであるような己を照らし続けてくれた。
けれどエスカレートしていく仕打ちに、次第に光は押され始め。
己が抱える闇の部分に侵食されて、光は輝きを鈍らせて。
それでもギリギリまで己を照らし続けてくれて。
そして闇に包まれた……
あんなに手酷い仕打ちをしたけれど。
今、自分が抱える気持ちには嘘、偽りは含まれていなくて。
だからこそはあの笑みが浮かべられたのだと分かるけど。
あの笑みを再び彼女が浮かべられる事実は嬉しいと思えるのに。
こんな男なんかよりも正義を掲げる事の出来るこの船に乗るアイツに愛された男の元へと行く方が。
きっと彼女は幸せになれるのも分かるけど。
じゃあ、自分の気持ちはどうすればイイ…
行き場を失ったこの恋心はどうすればイイんだ……?
奪うのは海賊の常套手段なれど。
彼女を無理矢理に連れ戻すなんて事は到底出来なくて。
だって欲しいのは身体じゃなくて、心だから。
巡り巡ってやってきた自分がした業は己の元へと還り付き。
自分が蒔いた種は、自分で刈り取るしかないのだから……
此処に来る前にコックと対話した時の絶望感が。
あの時よりも遥かに大きいソレがゾロを多い尽くし。
彼はその場に膝を折った。
そして床に付いた己の両手を見ながら
どうにもならない現実を感じ
打つ手も、方法も、出来る手段も何も浮かばず
二度と戻らない、取り戻せない彼女との時間を思って……
「………っくしょぉぉぉぉおっ!!!」
悲鳴のような叫び声を、上げて、いた……