最近になって、この船の海兵さん達とよく喋るようになった
『海賊』なんて職業を、一時期でもしていたアタシにとって
当然、彼等の事は苦手な人種になるんだけれども
全然、普通の人達と変わる所等見当たらなくて
中には気さくな人とかも居て
本当に自分が抱えていた認識が、所謂『偏見』だって事に気が付いた
何だかんだ云って
ゾロと離れてから、結構な時間が経っており
周りの人達から大事にされて、スモーカーにも大事にされて
信じられない位に穏やかな時間が足早に流れていき
帰りたいと願っていた筈のアタシの心の内にも微妙な変化か訪れて
あんなに好きだと思っていたゾロの事も、次第に思い出の中へと仕舞われていっているのか
段々と思いが塵となって、風化していくのをもがく事すら出来ずに
只、見続けているしかアタシには出来なくて
人の思いの無情さと儚さを感じながら
人間の心なんて、何ていい加減なんだろう……
そう、思っていた
破片 8
「ねぇ、ゾロ。そろそろあの子の事、忘れても良い頃なんじゃない?」
がこの船を降りてから暫く経った頃。
アイツの代わりにしていたこの船の航海士にそんな事を云われた。
あの女が勝手に船を降りた日から。
ナミは大手を振って俺の傍に来るのかと思っていたが。
ルフィに云われた科白がキいていたのか、数日間は大人しくしていたようだった。
けれど所詮、この場に居ない人間に左右されるのもバカらしいとでも思ったのか。
この航海士は次第に俺と一緒に居る時間を増やしていって。
それもさり気無く、当たり障りのないような短い時間から始めたから他のクルー達も何をどう納得したのかは知らねえが。
俺とナミが一緒に居ても、そんなに目くじら立てて睨むような事も無くなった。
そりゃあ、最初の頃は酷いモンで。
クソコックはを泣かせたと云って喧嘩を吹っかけてくるし、狙撃手は無言で俺を避けていた。
船医は泣きそうな面して俺を睨むし、『元』敵だった底の知れねえ女は無表情に圧力をかけてくる始末。
そしてルフィはあれから俺と話す事を一切しなくなった。
近寄りもしねえし、目線を合わせる事もしねえ。
けど時折、モノ凄え怒りを込められた殺気を飛ばしてきて。
何であんな女の為にこんな扱いを受けなくちゃならないのか。
その時の俺は全く理解出来ていなかった。
けれどそんな中で航海士だけが俺の傍へと寄ってきて。
居心地の悪い船だろうが、別に気にしちゃいなかったが。
それでもそれなりに気分を害していたのだろう。
無防備に寄ってきた航海士を無理矢理に近い状態で。
あの女のように、のように組み敷いて抱いてみた。
女なんてどいつもこいつも同じダロ?
そう思って余り嫌がらねえこの女を抱いてみたんだが。
どうも何かが違う。
何がどう違うのかと聞かれれば、どんな風に云っていいのか分からなくて。
けれどその『違う』と云う感情だけはヤケにハッキリと心に圧し掛かってきて、晴れなくて。
幾らこの女を抱いた所でソレが変わる筈も無く。
寄った街で女を買って抱いてみても、それこそもっと違う事しか分からなくて。
理解出来ない己の心の内にイライラして。
どうしようも無くムカついた。
それもこれもみんなあの女が船を降りた事が発端で。
益々への怒りが増した頃。
突然、航海士にそんな事を云われて。
この女は一体、何を云ってやがんだ?
と、思った。
あの女を、を忘れるだ?
俺にこんなにも屈辱を味あわせた女を忘れろだ?
勝手な事ぬかしてんじゃねえよ。
「お前にゃ関係ねえ」
不機嫌そうに睨んで、そう短く返答してやれば。
航海士は酷く傷付いたような顔をして。
お前は何が云いたいんだ、と。
本気でこの女が何を云いたいのか分からなくて。
それにの事をお前にどうこう云われたくねえんだよ。
心底、煩わしく思って。
これ以上無駄な会話をしたくなくて何時ものように横に刀を立てかけて昼寝をする事にした。
無視を決め込む俺に、それでも航海士はまだ云い足りないのか。
その場を離れる気配を見せずに、そこに居続けて。
そして意を決したようにしてその言葉を発した。
「……もし、…もしもよ?………が他の男の人と一緒に居て、アンタを忘れてたら……どうするの?」
………この女は何を云った?
が俺を忘れるだと?
俺じゃない男と一緒に居るだと?
それは『もしも』の話で。
現実にソレが起こっているのか何て、定かではないのに。
誰かが見てきたワケでもないのに、信憑性もヘッタクレも何も無いのに。
まるでそれが現実のように思われて。
あの女が。
が俺じゃない男に寄り添って。
俺じゃない男に笑いかけて。
俺以外の男にあの身体を開いて受け入れて
あの痴態を他の男に見せてやって…
挙句に俺を忘れ去る……だと?
あの笑みを
俺じゃない男に向けて
あの怯えたような眼差しを
愛して欲しいと強請る、あの面を
惜し気もなく他の男に晒して
ソイツの愛を乞うて
俺にした時みたいに全身でソイツを愛して…
愛して……
俺を忘れて、その男を愛して…
「………ぶっ殺すぞ……テメエ…」
擦れたような低い声が、己の口から絞り出されて。
そんな思考に嵌り込まされた原因のこの航海士を。
本気で殺そうか、と思った。
掛け値無しで本気で殺そうと思った。
幾ら他の女を抱いても、幾ら溜まった熱を解放しようが。
決して満たされる事がなかった心。
何度何度も他の女で試してみてもソレに変わりは無くて。
溜まっていく一方のフラストレーション。
均衡が取れなくなった心は、たった一滴の『もしも』の波紋に乱されて。
冷静さを失い、仲間だと云う事を忘れ、心を抑える事なんて思いつきもせず。
乱された心は、満たされぬ心は暴走を始める。
「『もし』あの女が俺を忘れて他の男と一緒に居たらな、……殺してやるよ」
陰惨な表情を浮かべ。
現実を失ったかのように。
それでも殺気だけは本物で。
本気のソレを向けられたナミは動きを止められ、目を見開き、小刻みに身体を震えさせる。
「その男、ぶっ殺してあの女は一生俺の傍を離れられない身体にしてやるよ」
あの女は俺のモンなんだよ
どうして他の男になんてくれてやるってんだ
アレは俺の玩具で、俺だけが遊んで良い玩具なんだよ
他の男なんざ、触ってもいけねえんだよ
アレは俺だけを愛してれば良いんだ
俺だけを見て、俺だけに触らせて、俺だけに媚びて身体を開いて
他所の男なんかの目に触れるのさえ許せねえ
「は俺の女だ。俺だけ愛してりゃイイんだよ」
尋常でない俺の本気の殺気に感付いたのか。
他のクルー達が慌てて飛び出して来て。
対峙する俺達を見て動きを止めている。
そして俺の殺気の対象が航海士であるのを認めた途端に数人が降ってくるようにして女の前に立ちはだかって。
俺が手を伸ばして掴んだ三本の刀を見て、目を見開かせる。
「…っにやってんだ、……このクソヤロー」
「煩せえ、お前にゃ関係ねえ。退け」
「退いたらテメエ、…何する気だ」
妙に顔を引き攣らせているコックの表情が面白くて、つい笑みが零れる。
けれどそれは酷く残虐的な笑みで、金髪のコックは瞬時に眉を顰め、俺が本気である事を知る。
「その女斬り殺すに決まってんだろ、退けよ」
「バカ云えっ……何、考えてんだテメエは!とうとう頭、沸いたのかよっ!!」
キレるコックに煩わしそうに視線を向けて。
只でさえ最高潮に悪かった機嫌が更に悪くなるような言葉の羅列。
それに胸糞の悪さを倍増されて。
今度はコックを標的にして持った刀を腰にさして、一本、二本と抜刀する。
「……お前も殺されてえのか?」
今迄、仲間だと思っていた剣士に。
今迄、敵にしか向けられた事のなかった刀の切っ先を向けられて。
本気の殺気と本気で向けられた刀の行き先に立たされたサンジは、眩暈を覚えそうな感覚を味わった。
最高の仲間は、裏切った時には最強の敵となる。
その事実をこんなにも身近で、こんなにも感じさせてくれたのと。
この男の内に潜む狂気に中てられて。
これが……『魔獣』とまで云われた男の本性か、と。
苦々しげに口に銜えた煙草を噛み締めた。
サンジにしたらギリギリの精神状態での睨み合いも。
相手の男にとったら、只の時間の暇潰しのようなモノで。
その余裕すらもが、裏打ちされた自信なのだろうが。
今、サンジが此処で引いてしまったら、彼の後の庇われた航海士の命は間違い無く失われてしまう。
動くに動けない、微妙な拮抗された時間が過ぎ。
ソレにも飽きた、と云わんばかりにゾロが動こうとした途端に。
サンジの後から発された震えた声。
「…あた…しが、悪かった、のっ……」
「……ナミ…さん?」
目の前に居る、危険な男から視線を外し彼女を見やれば。
その大きな両の眼から、大きな涙をポロポロと零して泣いていて。
「アタシ、がっ……ゾロの気持、ちを…知りたくてっ……が他の男と、一緒に居たらって…アンタを、忘れてたらどうするって…」
その聞き辛い言葉に詰められた彼女の思い、それとその言葉でこんなにも我を忘れたように怒るゾロ。
それで十分だった。
この恋愛に関しては充分に経験を積んだ男から見させてもらえれば。
こんなにも茶番のような出来事は無いワケで。
ワケの分からないと云ったような顔をしたチョッパーやルフィはこの際置いてといて。
事、少しでも恋愛に関した事を知っている者であれば。
彼が何故怒っているのかもおのずと見えているようで。
気付いた数人は哀れむような視線をゾロへと向けている。
形はどうであれ、『捨てられた』と云われても仕方の無いゾロと。
そのゾロに思いを持つナミが、云ってはいけない言葉を口にしただけで。
何とも思っていない相手ならば、例え『捨てられて』も何も感じない筈なのに。
この男はこんなにも冷静さを欠いていて。
挙句、仲間に向かって抜刀するなんて事も出来てしまう位に。
その仮想である『もしも』の言葉ですら許せなくて。
それ程に強い思いを、いなくなった彼女に抱いていて。
その事実に気付かない、目の前で刀を持つ、この男を俺ですら哀れと思えた。
幾ら人殺しに長けていても。
幾ら女の心を惹き付けるモノを持つ男でも。
人生経験の少ない彼に、今迄浮いた噂の一つも持たない。
恋愛のれの字も知らないようなこの男に。
自分の気持ちに気付けと云うのも無理だったのか。
それともその気持ちに気付きたくなかったのか。
それ程までの気持ちを持つならば何故、彼女を大事にしなかったのか、と。
何故、彼女が居なくなったのにも係わらず追いかけもしないで。
仲間である彼女とこんな関係を続けていたのか、と。
その疑問も、今の彼の様子で全てが頷けてしまった。
自分が抱える気持ちですら気付けなかったゾロ。
それが全ての答えに成り得て。
自分の気持ちに気付いていなければ、彼女以外の女も平気で抱けるだろうし。
その行為に何の罪悪感も持つ筈がない。
そして彼女に去られた今。
追いかけないワケも、航海士が傍に居る事を許したワケも全てが全て説明が付く。
だけど航海士であるナミは、そんなゾロの傍に居て満足出来る筈がなくて。
禁断とも思えるその言葉を、ゾロの気持ちの在りかを知りたくてその言葉を口にしてしまったのだろう。
いじらしい女心を分かろうともしない、この朴念仁に何を云っても無駄なような気がしたが。
それでもこれでは余りにも哀れではないか。
少なくない時を、決して仲良くとは云えないが共に過ごしたこの男が。
そこまで惚れた女の事を、惚れた事すら理解出来ないのではいっそ哀れを通り越して空しいではないか。
だからサンジは口を開く。
「…お前………、本当にバカだろう…」