『…お前………、本当にバカだろう…』
ハッキリ云ってバカなんてモンじゃない
この場で、本気の殺気を振り撒く凶暴な獣のような男を目の前にしてその科白を云う俺も
その科白を云われたお前も
相当の酔狂の大馬鹿者だよ……
破片 9
サンジの『バカ』発言に。
抜刀しているゾロは、更に機嫌を急降下させたのか。
刀を振りかぶってサンジへと襲い掛かった。
後に居るナミを突き飛ばして逃げさせて、自分は見事な跳躍力で飛んで逃げて。
突き飛ばされたナミはロビンの手に寄って、床へと叩き付けられるのを回避して呆然としていた。
そんな彼女をロビンは手で移動させていって避難させ。
そして何時もとは違った、本気の殺し合いをしているコックと剣豪へと視線を走らせた。
ゾロの標的は既にサンジへと切り替えられていて。
その事実に劣勢ながらもサンジは笑みを浮かべる。
攻撃しつつも、優勢ながらもそんな笑みを浮かべていられるサンジを心底憎いと云ったような目で睨み付けながら。
ゾロは更に攻撃していって。
そしてサンジは己の持てる跳躍力で有る程度の距離を保つと、先程の続きを喋り始める。
「お前も哀れな野郎だなっ。どうして自分の気持ちに気付けねえ!」
「やかましいっ!何が自分の気持ちだ、うざってえ!!」
すれすれでゾロの攻撃をかわしながら。
「何でテメエはそんなにムキになって怒ってるんだよっ!お前その原因を考えた事あんのかよ!」
「原因なんざ知るかっ、お前等がうざってえ事ぬかすからだ!」
自慢のスーツを紙一重でかわし。
それでもかわしきれなかった剣の先がサンジのスーツを少しずつ切り裂いていって。
「何でうざってえって思うんだよ!そんなに自分に都合が悪いからか!!」
「ざけんな!テメエ等がぬかす言葉、全部が全部気に入らねえだけだっ、胸糞悪い!!」
「だからその原因はテメエにあるんだって云ってんだろ!何でお前は気付けねえんだよっ!」
「何が気付けねえってんだ!知ったかぶってんじゃねえぞ!!」
何をどう云おうとも。
決して、ソレを受け入れようとしない、頑なな迄に嫌がるゾロに。
サンジは如何し様も無い怒りと空しさを感じて。
「知ったかぶってんじゃねえ、事実を云ってるだけだっ!」
「テメエは女にだらしがねえだけじゃ足りねえのかっ!何時からホラ吹きになりやがった!」
「何で分かんねえんだよっ!!」
怒れるゾロの剣の切っ先がとうとうサンジの腕をかすって、磨かれた甲板へと血を飛び散らせる。
どんなに我を忘れた阿呆でも、どんなに自分の気持ちに気付けない馬鹿野郎でも腕だけは確かで。
次第に繰り出される斬撃を避けきれなくなり。
どんどん甲板への付着する血液の量が増えていって。
普段からの鍛錬がモノを云っているのか。
ゾロはそれだけの動きをしても息一つ乱す事無く。
対するサンジは斬り付けられた傷が増えていき、それ等に動きを阻まれて息を上げ始め。
繰り出されたゾロの大技を避ける事も出来ずに、受けるしか出来ない体制で吹き飛ばされ。
壁へと叩き付けられた。
背中に襲い掛かる衝撃を、受身を取る事も叶わずに味あわされ。
サンジは一瞬、息が出来ない程の状態へと追い詰められる。
それを見る仲間達は、怒れる魔獣に恐れをなした目で見る者や。
止めようとして、己の能力を発揮させるタイミングを計る者に別れ、事の成り行きを見守って。
そして、その決定的な瞬間は訪れる。
「はぁっ…、はっ……お前っ……そんなに、ちゃんの事が好きかっ…」
静かに歩み寄って、止めを刺そうとすらしようとした剣士の歩みがサンジのその一言でピタリと止まる。
険悪な表情はその儘だが、彼の歩みは完全に止まっていて。
「そんなに、…ナミさんの云った言葉が許せない程に、ちゃんが好きなのかっ!」
そのサンジの言葉に、ゾロから発せられていた殺気が見る間に膨れ上がったが。
「惚れた女に捨てられたのがそんなに悔しいかっ、そんなに許せないのか!」
次第に剣士の後姿からは動揺が見え始めて。
「そんなに執着してたのはお前がちゃんに惚れてたからだろう?!
捨てられてから他の女のトコに行っても満足出来なかったんだろう?!
それはお前がちゃんに惚れてたからだよ!!」
サンジが言葉を発する度にそれは酷くなり。
どんどん殺気は薄れていって、霧散して。
「ナミさんが云った言葉の通りになってたら、それはお前の所為なんだよ!
お前がちゃんを大事にしなかったから、お前がちゃんに思いを自覚出来なかったからこうなったんだよ!!」
立ち上がるサンジに、何も出来ずにゾロは只、視線を彷徨わせて。
その思いを受け入れるのに戸惑うかのように。
酷い困惑が此方にも伝わって来るかのように。
「今更、捨てられたお前がちゃんの何をどうするってんだよ!
惚れた女くらい大事に出来なくて、何が世界一の剣豪だ!そんな人間が世界一になれるワケねえだろ、このクソヤロー!!!」
困惑して、動揺するゾロへと。
サンジは渾身の蹴りを入れて、彼を吹き飛ばした。
鈍い接触音がして、飛ばされたゾロの身体は今度は派手な音をたてて甲板へとぶちあたる。
所々から血を流すサンジは、吹き飛ばされたゾロへと足を向け。
其方へと歩いて行って。
「……大事なモンを守れるようになって、初めて男は一人前になれるんじゃねえのか?ああ?
それを……その対象である惚れた女を悲しませて、泣かして、追い詰めて、お前どうやって世界一になるつもりだよ。
そんな欠けた人間がなれる程、世界一は簡単じゃねえだろ?それともお前が選んだ道はそんなお手軽なモンなのか?」
次々と云われるサンジの言葉にゾロは返事すら返さなくて。
否、そもそも返事を返せないのか。
初めて、他人に云われてみて自覚らしいモノが芽生えたゾロの心にそんな余裕は残されておらず。
呆然と、蹴り飛ばされて、吹っ飛ばされた格好の儘でその事実に愕然としていた。
「………何て間抜け面してやがんだよ……この大馬鹿野郎が…」
サンジは酷く辛そうな、哀れみを感じたような顔をして。
スーツの内側から一本の煙草を出して、火を付けた。
「今更気付いたからってどうにもなんねえんだよ。分かってんのか?テメエ…」
深く吸った煙を不味そうに盛大に吐き出して。
そう云ってやれば。
一辺に大量の情報を与えられたようで、それ等を処理しきれないゾロの困惑した表情に突き当たって。
「もうちゃんはココにゃ居ねえだろ。お前が今頃ちゃんが好きだって気付いたって云う事すら出来ねえだろう?」
無情にも突きつけられた現実を受け入れるしか手立てが無くて。
「……諦めるしかねえんだよ。此処はグランドラインなんだ。偶然、彼女に会えるだなんて奇跡は用意されてねえんだよ」
見ていられない、とでも云いたそうにして。
サンジはゾロから視線を外し、その傍らを離れて行く。
その後を、チョッパーが慌てたようにして付いて行って。
そこに居た誰もがゾロへと不憫そうな視線を向けて。
そして各々が違う場所へと去って行った。
まるで今のゾロは放っておいてあげた方が良いのだ、と。
何も云っていないのに、誰もがそう感じた通りに彼を一人にさせてやった。
サンジに云われて初めて気付けた自分の気持ち。
云われなければ気付けなかった己の気持ち。
アイツに云われて、今まで感じていたイラ付きの原因が判明して。
だって、悉くヤツが云っていた言葉は自分の気持ちに当て嵌まっていたからに他ならなくて。
アイツを……、を泣かせたいと思ったのも。
他の女を抱いて帰ってきた時もアイツが嫉妬するのを見たいが為で。
嫉妬すればしただけ俺の事を思っている証拠のようなモノだから。
それを感じる事で、見る事で自分の荒んだ心は安心出来て。
船長達に大事にされる度にムカ付いて。
奴等に笑顔を向けられる度に焦ってアイツを泣かせるような事ばかりをして。
どれもこれもが、全ての原因が己の抱えた嫉妬心だったなんて。
アイツに惚れてたのが原因だっただなんて。
余りにも自分が愚か過ぎて笑えない……
何も出来ない女だからと侮って。
戦えもしない、只の女だと嘲っていて。
本当に絡め取られていたのは自分だと云うのに。
それすら気付けなくて。
気付いた時には云い訳をする相手すらココには存在しなくて。
あのコックが云った通り、自分達が居る場所はグランドライン。
アイツに会えるなんて偶然は100%、用意されているワケがなくて。
己を嘲る嘲笑しか浮かんで来ず。
本当に今更だ、と。
今更気付いてどうするのか、と。
アイツが傍に居ない今、気付いたって遅すぎるのに。
それでもアイツを抱いたこの腕は。
アイツの、身体の感触を忘れる事が無く。
今でも俺を苛める。
どんな女を抱いてきても、最後にはアイツの所に戻って。
必ずアイツの泣きそうな顔を見て。
荒んだ心をソレで満たして、満足して。
今ならアイツに、どんなに酷い事をしてきたのかが理解出来る。
何度も何度も他の女を抱いて、平然とした顔をして帰って来て。
挙句、嘲笑うかのような笑みを貼り付けて帰って来て。
もし、俺がが浮気して帰ってきたら……
帰ってきたならば、………とてもじゃないが平然となんかしてられない…
それこそさっき云った通りに、血眼になって相手を探し出して必ず殺すだろう。
笑って帰って来たアイツには、手も足も動かないよう斬りつけて自由を奪って。
自分の傍らに、置き続けるだろう。
それ程までに思いながら、何故、今の今迄気付けなかったのか…
そんなにも女に惚れる事が屈辱だと思っていたのが、今では信じられなくて。
アイツ無しの時がこれ程までに味気ないモノだったなんて。
アイツの居ない船の上がこんなにも無意味と思えるなんて、淋しいと思えるなんて。
認めたくないけれど。
これがきっと真実で、天から下された罰なんだろう
気付けない事で傷付け続けた罰なんだろう……
なぁ……
お前、………今、何処に居るんだ…?
「……ゾロ…」
そこに現れた小さな影に、ゾロは振り向いて。
この船の船医の姿を確認する。
「……どうした、チョッパー」
臆病なトナカイの船医を、出来るだけ驚かせないように静かな声で返事を返せば。
目に見えてホッとした様子でチョコチョコと此方へと歩いて来る。
「あのな…、昼間サンジと……その…あの…」
「あぁ、あの喧嘩か。悪かったな、怯えさせちまって」
そう云って、頭を撫でてやると。
チョッパーは少しだけビク付いて。
「そ、そんな事ねえぞっ、こんちくしょーが!誰も心配なんかしてねえんだぞー!」
と、素直ににこにこしながらくねくねして。
「そっか、心配させてたのか。ホント、お前等には悪い事しちまったなぁ…」
少しだけ、今、この場所にアイツが居ない事を淋しく思ったのが表に出てしまっていたのか。
情けない事に、思ったよりも沈んだ声になっちまっていて。
チョッパーはその妙な踊りの形を残しながらも、俺を頼りないような眼差しで見詰めた。
「なぁに、全部自業自得なんだから誰も責められねえ。俺が蒔いた種だ、大人しく従うさ」
真実を口にするのはとても痛いけれど。
心が泣き叫ぶ程に、張り裂ける程に痛いけれど。
それでも事実は事実だから、と。
そう云えば、何故かチョッパーの方が泣きそうな顔をして。
「おいおい、お前がそんな面してどうすんだよ」
そんなにも自分を心配してくれた、こんなにも優しい心を持った船医がどうにも可愛くて。
ゾロは微笑を浮かべながら、船医の目の端に浮かぶ涙を擦ってやる。
情けなくて泣きそうなのはコッチだってのに。
これじゃあどっちが慰めに来たのか、なんて。
今迄の、つい先程迄のゾロでは考えられないような優しい笑みを。
それでも何処か自嘲するような笑みを浮かべながらゾロは思った。
こんなにも己の気持ちを素直に出せる船医が羨ましい、と。
彼の十分の一でも良いから、その素直さをあの時に持てていたら、と。
こうなってしまった今では、当の昔に全ては終わってしまっているのに。
そう思わずにはいられなくて。
余りにも居た堪れなくて。
「もう船ん中に戻んな」
そう云って船医を船室へと戻そうとすれば。
彼はやっと、ココへ来た本来の目的を思い出したのか。
慌てたようにゾロへと向き直って。
「そうだっ!お前、胸の傷見せろよ」
そんな事を云いながら俺のシャツを捲り上げた。
ちょっとだけソレに慌てたゾロは、船医の手を止めようとして。
そして初めて胸の傷、と云われて物理的に痛みを訴える己の蹴られた跡に気付く。
余りにも心理的に痛かった所為で、現実に訴えてくる痛みに気付けずにいた己を。
再度、どうしようもねぇな、と思って。
「肋骨でも折れてんのか?」
何て、何処か他人事のように口にしていた。
優しい船医に診察してもらった結果。
あの時のサンジの蹴りには一欠片の遠慮も入っていなくて。
モノの見事に俺の肋骨にはヒビが入っていたようだ。
何重にも包帯を巻かれ、今日は熱が出るから酒は一切呑むな、と宣言されて。
不甲斐ない自分に頭にきていたのと、余りにもな情けなさで。
こんな時には呑むに限るだろ、と思っていた矢先の事だったので。
そりゃねえだろ、とは思ったが。
これ以上、この船医を心配させるのも気が引けて。
今日の所は大人しく従っておこう、と。
尚も心配そうな目をする船医を船内へと帰らせて。
自分は未だに船の外でぼうっとしていると。
懐かしいように感じるシルエットが自分に影を作った。
ココ、…暫く視線も合わせなかった船長だった。