あぁ……
ちゃん
俺が裏切ってしまったが為に
人生の全てを狂わせてしまった
可哀相なヒト……
ねぇ
これで少しは満足してもらえたかな?
全てを代償にして手に入れた彼女が
君を捨てて迄、手に入れたかった彼女は
もう
何処にも居ないんだ
俺にはもう
何も残されていないんだ……
so long10
やっと翌日の仕込みを終えて。
先に帰っているマリが待つ我が家へと自分も帰る。
きっと今日も温かい食事を作って。
きっと今日も温かいあの笑顔を浮かべながら。
俺の帰りを待っててくれていると。
思ってたんだ。
最近、彼女の様子がオカシイのは知っていたけれど。
でも
これは無いんじゃないかな……
どうして君は突然
俺の前から消えてしまったの?
あんな思いをしながらも。
それでも手に入れたかったんだ。
俺だって本気で君に惚れてたんだよ?
知ってただろう?
夢もプライドも、仲間も何もかもを捨てて。
君を選んだのに……
コレが君の出した答えなのかい?
机の上には何枚もの海軍の手配書があって。
ソコに書かれているのは少し前に付き合っていた女の顔。
昔の面影を一辺ですら持っていない。
冷酷な顔をした、昔好きだと囁いた女の顔。
知ってたよ。
君がこの事を必死になって隠していた事も。
でもね。
俺的にはさ。
君がこの事を話してくれるのを。
待っていたのにね。
でも君は一向に話してくれる素振りを見せてくれなくて。
挙句、隠そうとしたからさ。
俺は気付かぬ振りをしていたんだ。
だって君の怯えようと云ったら尋常じゃなかったよ?
それに気付かないだなんて、有り得ないから。
可愛い可愛い俺のマリ。
ウソを付くのも下手なんだね。
君は結局、俺を信じてくれずに一人。
出て行ってしまったんだね。
ちゃんの、あの変わり様を見たら。
それも頷けるんだけどさ。
それでも話して欲しかったよ……
怖かったならどうして俺に言ってくれなかったの?
死にたくないと思ったのならどうして俺に相談してくれなかったの?
もしかして今の今まで。
全然信用されてなかったのかな。
もし
そうだとしたら
とても
悲しいね……
「……お前、ナンでこんな事を続けてんだ?」
ソコは場末の酒場のカウンターで。
人目に付かないようにと。
こんな場所でしか休まる所が無くなってしまった賞金首のアタシ。
ココでならどんな悪党でも普通に存在していられる。
今のアタシに許された唯一の場所。
ソコへ何を思ったのか。
海軍のお偉方。
悪党達の大天敵。
『白猟のスモーカー』が現れた。
彼がこの店に入った瞬間。
周り中から物凄い動揺と怯えた空気が溢れ出したから。
それに彼自身が纏う空気。
それが忘れられていなかった所為か。
アタシには直ぐに分かって。
そして真っ直ぐにアタシのトコに歩いてきて。
勝手に横に座って。
第一声がソレですか。
直ぐに酔ってしまい、呑めなかった筈の酒が。
コウなった後では酔う事すら無くなって。
殆ど意味を成さなくなったその液体を喉に流し込んで。
「……アナタの所為じゃないの…?」
そう返してやった。
彼が普通にしている事で。
アタシにしか興味を示さなかった為か。
自分達には害が無いと判断して。
その場に居た悪党達は我先にと店から転がり出るように逃げていく。
「俺の所為だ?」
「えぇ、そうよ」
「俺が一体ナニをしたってんだ?お前に大量の血を抜かれて、間抜けな醜態を曝した事か?」
「……違うわよ」
アタシ達以外の人間が居なくなった店。
それでもマスターだけは平気な顔をしてグラスを磨いている。
「ね、コレと同じのをもう一つ作って」
グラスを磨き続けるマスターに注文をして。
直ぐに動く彼から。
琥珀色をした液体を満たしたグラスを受け取って。
眉間に皺を増やした大佐へと渡す。
「俺は酒を呑みに来たワケじゃねえ」
嫌そうな顔をして受け取らないスモーカーに。
「ワケを聞きたいんだったら素直に受け取っておけば?」
中途半端な場所に置いてやる。
そうすれば、彼は受け取るしかなくて。
乱暴に引っ掴んだグラスから。
琥珀色をした液体が文句を云うように。
少しだけ零れて、カウンターを汚した。
「で、どうしてお前の凶行が俺の所為なんだ?」
苦虫を噛み潰したような苦い顔で。
彼は再び同じ質問をする。
「そう、…ね。ホントはあんまり話したくないんだけど……」
一度、言葉を切り。
持っていたグラスを傾ける。
それに対して、スモーカーは無言で先を促して。
「あの時…、アナタがアタシに向けた視線の所為……かな」
「はあ?」
正直に言ったつもりなのに。
スモーカーは不信そうな声を上げ。
とても不満そうだ。
だろうね。
コレじゃあ説明不足だろうし。
アタシはもう少し分かり易いように言葉を繋ぐ。
「ホントはさ、あの時アナタも『黒檻のヒナ』さんも殺すつもりだったんだ」
色の無い声で『殺すつもりだった』と言われ。
微かにスモーカーの顔が歪んだ。
だってこの女が本気でやろうと思っていれば。
今頃自分達は生きてはいなかったから。
それだけの力を。
この女は持っているのだから。
「だったら何で俺達を殺さなかった」
「だから云ったでしょう?あの時アナタがアタシに向けた視線の所為」
「視線だぁ?」
「そう……、ナンか…懐かしくて……さ」
そう云った彼女は、その時の事を思い出したのか。
とても懐かしそうな目をした。
深い暗闇に浮かんだソレは形容のしようの無い。
悲しみも含まれたモノだった。
「こんなアタシでもね、昔は『仲間』って云える人達が居たの」
その言葉を皮切りに。
アタシは昔話を始めていた。
自分でもナニを考えているのか分からなかったが。
それでもこの男に。
懐かしい視線をくれたこの男に。
聞いて欲しかったのかもしれない……
グラスの中に浮かんでいた氷が溶けて無くなる頃。
やっと長い長い話が終わりを迎えて。
黙って話しを聞いていたスモーカーは。
歯を食いしばり。
酷い怒りと悲しみを。
押し殺しているかのような表情をしていた。
何故アタシが海軍を恨むのか。
何故アタシがあの時、『役にもたたない海軍なんて居るだけ目障り』だと言ったのか。
その理由も全て分かり。
悪魔の実を喰った経緯(いきさつ)も。
何故こんなに殺戮を繰り返すのかも。
海賊を殺しまくるのかも。
全てを。
アタシが生きてきた全てを。
この男は黙って聞いていた。
「分かったでしょう、……アタシが壊れちゃったワケ」
薄まった酒を少しずつ流し込み。
「ね、アタシはナンで生きてるんだろうね……」
手の中のグラスを揺らし。
鏡のように映る、自分の顔を憎々しげに見詰め。
「こんな事考えたのって、アナタの所為よ…?」
責任転嫁かもしれないセリフを吐いた。
ソレまで黙って聞いていた男に深くなった闇色の目を向ければ。
彼も自然とコチラを向いて。
あぁ……
やっぱりアナタって
あのヒト達と似ているのね……
そんな風に思った。
だってコチラに向けられた彼の目は。
矢張り、自分の事を悲しんでくれて。
哀れんでくれていて。
は少し喋り疲れたのか。
一つ、大きな溜息を吐いて。
「責任取って……どうにかしてくれる?」
気が付けば。
そんな言葉を口にしていた。
ソレに少々、驚いたかのような顔をしたスモーカー。
アタシは……
何を血迷ってるんだ?
幾ら昔話を聞かせたとは云え。
このヒトは海軍大佐なんだよ?
「……今、言った事は忘れて。……帰るわ…」
金を置いて、席を立とうとしたアタシの手を。
懐かしい視線をくれた男が。
想いの外、強い力で。
引き止めた。
「……大佐?…」
「責任くらい、幾らでも取ってやる」
真剣な目で言ったスモーカー。
昔、何処かでこんな視線を向けられたような気がする。
暗い、荒れた海に追いかけてきてくれた剣豪に。
よく似たような目で。
「だからもう殺すな。もう…これ以上殺すな」
「無理よ。アタシにはもう選べる道は残されてないのよ…」
「だったらお前はその道を進んでどうするんだ」
「でももう引き返せないのはアナタにも分かるでしょう?」
アタシは『氷の』と云う名前を。
政府から貰ってしまった大悪党。
そして今現在も殺人を繰り返す殺戮者。
アタシの首には高額の懸賞金が賭けられていて。
もう、気だけが強かった。
ヒトを傷つけるのが怖かったあの頃には。
戻れないのよ……
「第一っからアタシがどんな人間になったかその身で体験したでしょう?」
「そんな事ァ、関係ねえ。俺はお前に生きてて欲しいんだ」
「……アンタ…自分で何云ってるか分かってんの?」
「ああ、そんなのは充分承知だ」
「だったら!!」
声を荒げるに。
スモーカーは握った手の力を更に強くして。
「元に戻れねえのは分かってる!でも、それでも俺はお前に生きていて欲しいんだよ!!」
『それでも俺はお前に生きていて欲しいんだよ!!』
こんなアタシにでも。
アナタは。
そんなセリフを言ってくれるんだ……
優しいんだね。
『白猟のスモーカー』と呼ばれ。
海賊達に、一般市民にまで恐れられているアナタなのにね。
こんな荒んだ生活を。
毎日のように繰り返した殺戮者なのに。
大量の人々を殺して、喜んだ自分へ。
笑ってヒトを殺し続けた自分に。
『生きろ』なんて言葉をくれるだなんて……
「…………ありがとう……」
搾り出すようにその言葉を言って。
は久しぶりにその表情を作り出す。
その表情を浮かべたのは。
船から落ちて。
サンジを見たあの時が最後で。
それは
とてもとても儚い笑み、だった……
無表情な。
ヒトを殺す時すら顔色一つ変えない女が。
それこそ噂から知った彼女が。
ヒトでは無いかのように思えた彼女が。
感情を持たぬと思われた彼女が。
浮かべた笑みは。
スモーカーを見惚れさせるに充分なモノで。
ソレに見惚れ。
彼女の手を掴む力が僅かに緩んでしまい。
その隙をついてはスルリと抜け出してしまう。
そして金を置き、細い後姿を痛ましげに揺らして出て行った。
スモーカーには
後を追う事が
出来なかった……
彼が想像した通り。
こうなる前の彼女は可愛い女で。
こうなる前の彼女はヒトを傷付けるのも戸惑う優しい女で。
それこそヒトを憎むのを嫌って自分の命を捨ててしまう程に。
何処でどう間違ったのか。
何をどう間違ったのか。
彼女がその時に死ねなかったのが原因か。
彼女を拾った連中が原因か。
それとも一番最初。
彼女達を攫って行った人買いの組織を捕縛できなかったのが原因か。
もう終わってしまった事を今更考えたって始まらないのに。
それでもスモーカーは納得できなかった。
こうなった原因を全て話してもらえて。
彼女がコウなったのも分かる気がするが。
それでも納得がいかなかった。
何故彼女がこんな思いをしなければならなかったのか。
何故彼女が殺戮者に、賞金首にならなければならなかったのか。
『白猟のスモーカー』と呼ばれ。
それこそ大量の犯罪者を捕まえ、見て、少しだが奴等の事を知った。
その中に、彼女のような犯罪者も居た事があって。
そいつは全ての事に絶望して。
全ての事に希望を無くし。
全ての事に生きる意味を見出せなくなっていた。
そんな彼等に共通していた事が。
今になって。
今頃になって分かってしまった……
確かに彼女は
声無き声で
『助け』を
求めていたと云うのに……
何が海軍大佐だ。
何が『白猟のスモーカー』だ。
ヒト一人も救えなくて何が『正義』だっ!!
背中に『正義』の二文字を背負い。
己の信念に命を賭け。
悪と思った者には容赦なく。
捕縛して罪を償わせていたけれど。
彼女の罪は
彼女の罪を
俺はどうやって
どうしてやったらいいんだ…?
苦悩するスモーカーに。
眉間に深い皺を寄せ、目を閉じ、耐えるかの様子の彼に。
その傍へと一つのグラスが静かに置かれる。
コトリ、と僅かな音を立てて置かれたソレに。
スモーカーは顔を上げて店主を見た。
「どうぞ、私の奢りです」
そう言って微妙に年老いた彼は静かに笑った。
恐らく、聞こえていた自分達の話。
聞き耳を立てなくとも。
この店には自分達しかおらず。
しかもカウンターで話をしていたのだ。
聞こえていない筈が無かった。
出された酒は先程、彼女が頼んだのと同じモノで。
スモーカーはソレを有り難く貰った。
出されると、酷く喉が渇いていたのに気が付いて。
とても。
飲みたい気分だったのかもしれない……
「……悲しい、女性ですね」
「……ああ」
スモーカーは、その苦い苦い酒を少しずつ喉に流し込みながら相槌を打つ。
「彼女……、最初にココに座った時からずっとあんな目でね。私もこんな商売をしてますから。
其れなりに色んな悪人を見てきたつもりです。でも、彼女はそんな誰とも違ってました……」
そうだろうな、とスモーカーは内心、思う。
「こんな場末の酒場に来るお客なんて、皆似たかよったかなんですけどね。そんな奴等が誰も声を掛けないんですよ」
皆、彼女に飲まれてしまうかのように。
彼女の闇に飲み込まれるのを怖がっているかのように……
「私がこんな事を云うのも何なんですが……彼女の望みを叶えてあげてやって下さい」
突然、核心を突くかのような店主の言葉に。
スモーカーは彼の顔を凝視してしまう。
「彼女を……このまま死なせないで下さい」
店主の力強い言葉に。
失いかけていた自分の心を思い出したかのような気が、した。
「ああ、勿論だ」
ソレに強い返事を返し。
スモーカーは、やっと何時も通りの笑みを浮かべる事が出来た。
「馳走になった」
短い言葉を吐いて。
彼はその酒場を後にする。
その背中は。
元来た時と同じ。
否、その時よりも数段力強く見えた。