夢なら覚めてほしかった
頭にはクルが、実はクルーの皆で手の込んだお芝居をしていたのだ、と
そう言ってくれても良かった
夢の中にまで追いかけてくる
この現実を
誰でもイイ
ウソだと
言ってほしかった………
so long4
が強制的に眠りにつかされて。
彼女が目を覚ましたのは次の日の昼過ぎだった。
目が覚めた途端に覗き込んだチョッパーの心配そうな顔に。
昨日の事が夢では無かったのを。
改めて思い知らされた……
気分はどうだ、と尋ねられても右から左へと流れていって。
はただ、目を開けて天囲を呆けたように見続けていた。
気持ち悪くない?
吐き気はない?
まだ眠い?
一生懸命、尋ねてくるチョッパーにすまない、と思う気持ちは有るものの。
手も足も、口も表情も目線ですら動かす気力が湧いてこず。
「あ、そうだ。お腹へらない?へっただろう?だって二食も抜いてるんだからな。俺、今からサンジに言って」
ソコまで言ってハッ、と気付いたのか。
優しい優しいトナカイは焦ったように目を泳がした。
「ご……ゴメン……、俺…」
『サンジ』
アタシを裏切った愛しい男の名前にイヤになる位。
この身体は反応を示して。
「……いいのよ…、チョッパー…」
悲しそうな顔をして覗き込むチョッパー。
「それに、お腹はへってないから…」
掛けられた布団から手を出して。
そっと彼の手を握る。
「………」
「それよりも……今、誰にも会いたくないの…。……誰も…、部屋に入れないでくれる?」
疲れたような眼差しがチョッパーを見やれば。
「……分かった…」
彼はそう言って、一本だけ注射を打つと。
出て行くしかなかった。
小さな小さな後姿に。
心の中で『ゴメンナサイ』と呟いて。
は再び視線を天囲へと戻した。
別に天囲が見たかったワケでは無い。
ただ、目を瞑ると脳裏に焼き付いてしまったサンジの拒絶する目が思い出されて。
閉じる事をしたくなかった、と云うのが本音だった。
しかし目を瞑らなくとも昨日の彼等の姿が否応なしにチラついて。
つうぅ……、と目の両端から涙が流れていった。
出て行ったチョッパーによってが目覚めた事が他のクルー達に伝えられる。
喜んで、会いに行こうと言い出した彼等にチョッパーは慌てて、それでも言いにくそうに喋った。
『今は誰にも会いたくない』と、言っていたと。
浮き足立っていたクルー達に。
ホッ、としていた彼等にその言葉は重く重く圧し掛かっていく。
だって自分達が拒否されるとは思っていなかったから。
サンジとマリに会いたくないと云うならば分かるのだが。
自分達までも……
そんな事を各々考えている中。
サンジはキッチンへと向かう。
「……兎に角、何か腹にいれねえと。…チョッパー、持ってってくれるか?」
「……うん…」
昨日の事は昨日の事。
この船の上でのサンジの役割はコック。
コックならクルー達の食事を作るのは至極当然な事で。
サンジは消化の良い、雑炊とお茶を素早い手付きで作ってチョッパーへと持たせてやる。
本来なら自分が持って行くべきなんだろうが。
どうにも会うのが躊躇われて。
昼下がりのキッチンに暗い暗い空気が充満していった……
チョッパーは渡されたの為の食事を持って彼女の元へと歩いて行く。
そして部屋へ入ろうとして扉を開け。
目に飛び込んできたのは……
ただ、呆然と
涙を流し続けている
の姿だった……
ココに居る、この船に乗る全てのクルー達は。
どんな時でもとてもとても生命力に溢れていて。
笑ったり、泣いたり、怒ったりの感情の起伏が人並外れて激しい連中ばかりで。
そんなクルー達に囲まれたチョッパーにとって。
この光景は信じられない位に衝撃的なモノだった。
今まで数回だけ彼女や他のクルーの泣いた姿を見た事が有ったのだけれど。
こんなにも胸が抉られるような泣き方は見た事が無くて……
声すらもかける事が出来なかった。
チョッパーは持っていたトレーをそのままに。
静かに扉を閉めて戻って行った。
おそらく。
誰にも見られたくなかったであろうその光景。
誰にも会いたくないと云った彼女の言葉の意味。
もう、チョッパーには全てが一杯一杯で。
先程出てきたばかりのキッチンへとまた帰ると、まだクルー達はソコに居た。
『誰にも会いたくない』と言った彼女の言葉を尊重して。
部屋を訪ねる事をしなかった彼等だが。
皆は本当に心底心配していて。
行かせたチョッパーに少しでもその様子を聞かせて欲しくて。
この場に留まっていたのだ。
ソコへ帰ってきたチョッパー。
彼の手には持って行った筈の料理がそのまま乗せられていて。
そうだろう、と。
食事なんて喉を通らないだろう、と思ってはいたが。
それでも実際にソレを目の当たりにすれば。
矢張り大きな落胆は隠し切れず。
黙り込むクルー達にチョッパーは耐え切れない、とばかりに言葉を紡いだ。
「……ねぇ…、みんな……」
全員の視線が彼へと集まって。
「俺さ…、良く分かんないんだけど…」
何かに耐えるかのように、小さな小さな身体を震わせて。
「人間ってさ……どうして…、あんな風に泣くの…?」
言った本人の目からも大粒の涙がポロリと零れ落ち。
仲間達はそれぞれ眉間に皺を寄せる。
「声も…出さないで、表情も無くてっ…、あんな虚ろな目でっ……!!」
その涙は後から後から溢れてきて。
ある者は視線を合わせていられず、顔を伏せ。
ある者は拳を強く強く握り締め、唇を噛んだ。
「俺っ……、あんな風に…泣かれるの、…イヤだよぅ……」
そう言って俯いてしまったチョッパーにナミが黙って歩み寄り。
その小さな身体を抱き締めた。
その抱き締めたナミの目にも光るモノがあって。
その場の重苦しい空気は暫くはれる事が無かった……
それから二日、三日と日にちだけが過ぎていく中。
変わらずはサンジの作った食事を食べようとはしなかった。
否、正確にはそれは最初だけで。
彼女の中でのサンジとは名コック。
とても美味い物を、それこそ手品のように作り出す魔法使いのような存在で。
それ故に食べ物=サンジ、と云う式が成り立ってしまい。
彼女にはソレを受け入れる事がどうしても出来なくなっていた。
そしてそれは次第に『拒食症』と云う病へと形を変え。
の身体を蝕んでいく。
一週間後。
手を変え、品を変え。
普段では決して有り得ないであろう作り手を換える、と云う手段を用いても。
それでもそれは変わらなかった。
僅かでも食させようとするが、は口に食物を入れた途端に嘔吐を繰り返し。
吐く物なんて無い筈なのに、何度も何度も痙攣するかのように身体を震わせ、折り曲げて胃液を吐き。
嘔吐、と云う行為は想像よりも体力を消耗するもので。
栄養剤だけでの日々が続き。
時間が経てば経つ程に、の身体は痩せ衰えていった。
10日後。
その日はとても酷い嵐だった。
昼間だと云うのに見える空は真っ黒で。
雨は横殴りに降り、波は大荒れで。
しかしそれも夜までにはどうにか弱まってくるから、とはナミの予想。
当然、彼女のヨミが外れる筈が無く。
深夜には大分雨も弱まり、波も落ち着いてきた頃だった。
昼間、船を守る為に散々動いたクルー達は酷く疲れており。
誰もが寝入ってしまっていた。
の傍に、本日の看病の為についていたルフィ等はその筆頭で。
暗い暗い船の中。
聞こえてくるのは寝静まったクルー達の寝息、寝言、イビキ位なモノで。
そうっ、と部屋を抜け出して。
はフラつきながらも甲板へと歩を進めていた。
奇妙な既視感を感じながらも……
そう。
その静けさはまるでサンジとマリとの現場を目撃した夜のようで。
は力の入らない足を無理に動かし、外へ出る。
もう……
もう、ね
イヤなの
これ以上、苦しみたくないの…
女のアタシから見たってマリは可愛いんだもの。
女好きなサンジが惚れてしまうのなんて仕方の無かった事だったのよ。
だってアタシには彼女のような弱さも無ければ、素直なトコも無い。
気ばっかりが強くて。
口だって悪いし、短気だし。
フラれるのは仕方の無い事だってのは分かってる。
分かって…るの
分かってる……つもり、なの…
頭では理解できるの。
ずっと可愛がっていたマリと、惚れた男の事を祝福しなければならないと。
『おめでとう』と笑って祝わなければならないのを。
「アタシなら大丈夫」だと
「アンタ以上にイイ男なんて一杯いんのよ」と
「後になって後悔する程イイ女になってやる」と
言わなくちゃならないの。
アタシには、そう言うしか無いの。
もう……、そう言うしか道が無いの…
なのに何故?
何故『こころ』は納得してくれないの?
そんなの決まってる
アタシはまだ
サンジを愛してるんだ……
こんな形で終わらせられるのなんてイヤだ。
祝福なんてしたくない…
絶対にしたくない!!
彼を盗られるなんてイヤだ。
奪われるなんてゴメンだ。
ましてや彼に捨てられるだなんて考えたくもない……
息が詰まって、苦しくて。
胸がどうにも痛くって。
ドロドロとした感情が心臓の辺りでぐるぐるしてて。
留まっていて。
それは一向に離れてくれず。
晴れてもくれず。
『こんな思いをする位ならサンジを好きにならなければ良かった』
そんな風には決して思いたくなかった。
たった少しの間だけでも過ごせた時間は
とてもとても幸せだったんだから……
その気持ちを否定する事だけはしたくなかった。
そしてアタシからサンジを連れ去ってしまったマリ。
彼女を恨む事を、憎む事もしたくなかった。
そんな惨めな思いをする位ならいっそ……
そう思って甲板まで歩いてきたんだ。
だって現にもう彼女を。
彼女とサンジを憎み始めている。
こんな思いをこれ以上、膨らませたくなかった。
憎んでしまうのは簡単。
恨んでしまえば楽になる。
喚き散らしてナジってやれば。
この気持ちは少しだけはれるのだろう。
でも
それ以上に惨めになるのは目に見えていた。
細くなった雨が容赦無く、身体に降り注がれて。
パジャマ代わりの薄いシャツは瞬く間に水分を吸い。
吸いきれなかった雨の雫が裾から流れて滴り落ちる。
髪からも顎からも、冷えた指先からも其等は流れ落ち。
かじかんでいく指先。
凍えていく身体。
あぁ……
このまま『こころ』まで凍ってしまいたい
はゆっくりと船の手摺りを乗り越える。
真っ黒に染まった海は、今のアタシの心そのモノのよう。
どんな色でも飲み込んでしまうかのようなその色へと。
が身を躍らせようとしたその瞬間……
―――バンッ!!!
とても夜中だとは思えない程の音で扉が開かれた。
「!! 何処だっ、何処に居る!!」
こんな事も有るんだ。
そんな風に思いながらもは出てきたゾロに手を振った。
「っ!!!」
心底、心配したのか。
酷く怒ったような顔をして。
アタシに気付いたゾロは走って来ようとした。
しかしソレを後ろから止める手があった。
それは息を飲んだナミ。
彼女はとてもとても頭が良くて、機転も利いて。
事態の状況を把握して判断する能力に、誰よりも優れている。
そんな彼女はアタシが夜の甲板で、手摺りを跨いでいるのを見れば。
何がしたいのかなんて、一発で分かったのだろう。
表情が凍り付いている。
そんなアナタも大好きだよ、ナミ……
嵐の名残がユラユラと船を揺らし。
アタシの身体もユラユラ揺れる。
細い手摺りに座り込んだ。
ゾロ達の居る通路からは、夜中だと云うのに次々とクルー達が現れ。
皆が皆、アタシを見ると動きを止める。
ゾロにナミ、ルフィにウソップ、チョッパー。
……それからサンジとマリ。
彼と彼女を見た瞬間。
は辛そうな、痛そうな顔になる。
「……、危ねえからコッチ来い」
手を掴まれていたゾロがソレをやんわり振り払い、歩いて来る。
普段の彼からは、想像も出来ない位の優しい声。
強い肉体に強い精神。
力強い声にはあがらい難いモノがあったけれど。
それでもアタシは頭を振った。
「!!」
焦れたようにゾロがまた一歩踏み出せば。
の身体は外側へと少し動いて。
ユラリユラリと動く船は、僅かなズレでさえ落下する原因に成りかねて。
ゾロは一歩踏み出したまま。
固まったように動きを止めた。
「………ゴメンね…、みんな……」
静かな静かな声だった。
ロクな食事も取らず、体力を消耗しきったの声は。
思いもよらず、その場へと透き通るように響き渡った。
「もう……疲れちゃった…」
微かに笑ったの顔は。
見た事も無い、儚いモノで。
これから起こってしまう、イヤな未来を否応無しに彼等に突きつける。
「馬鹿な事、言ってんじゃねえ!! 早くコッチに来いって言ってんだよ!!」
認めたくないゾロが憤ったように怒声を吐く。
ソレには少しだけ悲しそうな顔をして。
「ゴメンね…ゾロ……」
ゆっくりと外される視線。
ゆっくりと傾く身体。
焦ったように飛び出して来る皆。
怒ったような、泣きそうな顔をして走ってくるゾロ。
ホントにホントにゴメンね……
「…バイバイ……」
舞うように白いシャツが風になびいて。
スローモーションのように
落ちていくが
最後に見たのは
マリをその場に残し
コチラへと走って来る
サンジの姿だった……