あの失態を晒した日から数日後
どことなく一線を引いていた心の中に微妙な変化が訪れて
一番見られたくない姿を見せてしまった所為なのか
それとも彼の無言の優しさに触れてしまった所為なのか
彼が齎してくれた『癒し』のオカゲで
寄りかかって『甘える』と云う事を無意識にするようになって
『カカシくん』と云う存在は、アタシにとって無くてはならないモノになっていた
Face to face 12
今日も今日とてアタシは必要なんてないのに会社へと出勤して。
余り意味を成さない給料を頂くべく働いていた。
ここ最近はあの人も仕事が忙しいようで、アタシのとこになんて来なくなっている。
当然その人っていうのは『元』旦那で、今は赤の他人なんだけど。
何故かあの人は今現在もアタシに執着していて、はっきり云えばとっても迷惑だったりする。
だってそのオカゲで要らぬヤッカミと陰口、そして上司からは扱い辛い存在なのだろう。
とても微妙な扱いを受ける羽目になってるのだから。
でも気の良い友人と訳を知っても態度を変えない一部の上司とは上手くいっているから何とかココに居られたりする。
それに今は『カカシくん』て云う癒しの存在が居てくれるおかげで一時が万事、上手くいっているように思われた。
そう、思われて『いた』だけで。
前触れもなく、お供もなく現れてくれたタカハシ『様』(←ここ嫌味ね)の所為で窮地に立たされていたりする。
突然現れた会社の上得意と云うか、親会社のトップに売り場のマヌカンのお姉さんも直属の上司も困りきっている。
しかも目ざとくアタシを見付けた彼は、至極嬉しそうな顔をして寄ってきて。
色々な他愛も無い話をしては服を見る振りをしてアタシを離そうとしない。
立場的に彼をシカトして休憩所に行く事も出来ないし、彼付きの秘書にメールを打って迎えに来てもらう事も出来ない。
アタシの困った顔に気付いた上司が近寄ろうモノなら睨み付けるし。
携帯を取りに行く隙を与えないように常に気を配って傍に置いてくれる彼の所為でどうにもこうにもならなくて。
そろそろ休憩の時間なのに彼の存在に遠慮して誰もアタシに声を掛けてくれたりしない。
(ちなみにワケを知っている友人は今日、休みだったりする)
あ゛〜、足がダルイ。お茶が飲みたい。早く帰ってほしい。ってかアタシが帰りたい……
今頃カカシくんは何してるかなぁ、お茶でも飲んでエロい本片手にテレビでも見て寛いでるのかなぁ。
アタシも早く帰って寛ぎたいよー、もーコイツの相手はウンザリだよー。
そう思ってたのが顔に出ていたのか、彼は少しすまなそうな表情をして謝ってきた。
「ゴメンな。本当はそろそろ休憩の時間なんだろ」
「あ…?あぁ、うん。そうなんだけどさ」
上司は未だ遠くでコチラの様子を伺っているだけで、声までは聞こえないだろうと。
別段、否定する必要もないし昔のような口調で肯定してやれば。
「相変わらず君は本音を云ってくれるね」
ちょっとだけ彼は嬉しそうに笑って。
「だって気兼ねする上司はアソコだしね。あなた相手にオベンチャラ使ったってしょうがないでしょ」
本性知られてる相手に何を今更、と思ってそう云えば。
彼は少しだけ寂しそうに笑んで。
「……だから僕は君の傍を離れられないんだよ…」
そう返された。
思い返してみれば、この人と最初に会った時もネコを被らず普通に接していたっけ。何て思い出して。
そんな風に接してくれる人間なんて彼の傍には存在せず、……今も昔もアタシだけ。
そんな大会社のトップに君臨する彼の孤独を感じて、ちょっとだけ感傷に流されそうになるが。
改めて彼の我侭の所為で子供を奪われた事を思い出す。
「アタシは離れてくれた方が嬉しいんだけどね」
あの時の恨みは今でも引き摺っていて。
今でもこの間のように、ふと傷を開きアタシを翻弄する。
あんな失態を晒すようになった一因って云うか殆どの原因を持つ彼にそんな事云ってほしくない。とでも云いたそうにして彼を睨めば。
「………ゴメン……、でもどうしても僕には君の存在が必要なんだ」
縋るような眼差しを向けられて。
「フザケないでよ。アタシからあの子を奪った一人でもあるあんたにそんな事云ってもらいたくないわ」
「っ……、それは本当に悪かったと思ってる…けど」
「煩いわよ、それにお義母さんが選んだ新しい奥さんも居るんでしょ?
その人との間に幾ら子供が出来てないからってこんな風にアタシのトコに来て良いと思ってんの?女バカにしてんの?あんたは」
口さがない同僚達が仕入れてくる彼の噂話は留まる事を知らないかのように。
当て付けのようにアタシの耳へと入れてくれて。
何故かこんな事まで知っている。
『新しい奥さんも子供が出来ないっぽい人みたいなのよねぇ…。良かったわねー、これでまだあの方に見放されないかもよー』
こんな子会社のマヌカンにすらそんな言葉を吐かれて。
子供が産めない女の気持ちなんて考えた事すらないような無知でバカな女達にこんな事を云われる新しい奥さんの気持ちも考えもせずに。
足繁くアタシのトコに通い詰めるこの人。
こんな頻度でこんなトコに来る彼に疑問を感じない女なんて居ないように。
その新しい奥さんも絶対にアタシの存在に気付いてるだろう。
この平和ボケしたとでも云うか、自分の事しか頭に浮かばない自分勝手なこの人に。
お義母さんに宛がわれただけの奥さんの気持ちを考えろと云う方が無理なのか。
それでも肩書きだけでも、世間では立派に自分の妻である彼女をどうしてここまで蔑ろに出来るのか。
不仲なのか、それともこれでも隠しているつもりなのかは判断出来ないが。
こんな事は間違っている、としか云い様がない。
「バカになんてしてない。けど……僕にとって特別な女性は君だけなんだ…それにだって母親は君だけ」
「やめてっ」
コイツは子供の名前を出せば、何でも許されるとでも思ってるのか?!
アタシにとってはカケガイのない存在って云うのは間違っていない。
けれどアタシとこの人の間でこんな風な遣り取りで使われて良い存在じゃない筈だ。
「………すまない、…けれどあの子は君の事しか母親として認めていないんだ。
母さんや恵子の前では良い子を演じているが、僕を見る目が何時も恨んでいて……ね」
とてもとても寂しそうな目をして、彼は背広から一枚の写真を出す。
「だ。……今はこれしか手持ちの写真はないんだけど…」
見覚えのある、……別れた時よりも幾分育った我が子の姿。
新品のランドセルを背負って、近くの名門小学校の制服を着て。
嫌味にならない程度の有名ブランドのバッグをもってコチラを見ているその写真。
幾分、笑みを浮かべた今ののその表情に、捨てた筈の親としての思いが堰を切ったかのように溢れ出てきて。
彼から物を受け取るなんて事、二度としないと決心していたにも関わらず。
思わず手が伸びてその写真を間近で見た。
有名私立の小学校の門の前、桜の花びらが舞っている中で、幾人かの同じような年頃の子達が居る中に。
我が子も同じようにして立っていて。
自分が過ごした無為の時もこの子には長い時間だったろうに……
無力でバカな自分がどうにも許せなかったが、それでもこの子を自分の元へと引き戻す力も権力もアタシには無くて。
アタシには力無く、笑うしか出来なくて…
「……この写真…、貰って良い?」
下を向いて問いかければ。
「あぁ、君にあげる為に持ってきたんだから」
そんな言葉を貰ってしまって。
「…アタシ、今日はもう帰るね………あんたもこんなトコで長居してる暇なんてないでしょう?早く会社に帰りなさいよね」
苦笑いのようなモノしか浮かべられなくて。
それでも、独りよがりだけれど、自分の思いしか優先出来ない人だけど、この人があの子の父親であたしの旦那だったのだから。
唯一の子供にそんな目で睨まれるのが幾ら自業自得だとしても不憫には変わりないし。
この写真を持ってきてくれた事実も変わらない。
最後に聞こえるか聞こえないかの瀬戸際の音量で彼へと礼の言葉を云った。
車に乗って、お気に入りの曲をかけて、タバコを吸って。
何時ものように出来るだけ心がけて。
運転している間はそれで良かった。
事故るとイケナイと云う常識と云う本能の所為か、意識は上手い事逸れてくれていたが。
それもマンションの駐車場で終わりを告げた。
自分の駐車スペースに車を停めて、エンジンを切って。
思ったよりも元、旦那とのあの時間がキいているのか大きい溜息が口から吐き出されて。
手は勝手にバッグの中を彷徨って手帳を取り出した。
その手帳の中には彼から貰ったの写真が入っていて。
思ったより成長している我が子の顔が写されているソレ。
「……………」
アタシがお腹を痛めて産んだ、最初で最後のアタシの子……
元々子供が出来にくかったアタシが唯一産めた子。
その時の産後の日立が悪くてもう子供は出来ないのだと医者から云われて。
それでもアタシにはアナタが居たから…
アナタが居たからっ……
「…たか…やっ……」
過去に囚われない人生なんてこの世には存在しない。
誰でも過去を持っていて、今を少しずつ過去にしているのだから。
過去は今に繋がっているのだから。
無理に過去を引き離そうとしたってそんな事が出来る筈もなく。
思い出は、時に今を生きる自分を苛めるが。
それでも人は前に進むように出来ているから……
写真を抱き締めてすすり泣くの元へ、部屋に居る筈のカカシが訪れて。
どうして彼が自分が帰ってきている事が分かったのか分からなくてパニックになるながらも。
自分が一人でない事を、彼の眼差しから知って笑えるようになるまで
あと少し……