薄明るい空の下。
カカシは一直線に名も知らぬ彼女の居る部屋へと走っていた。
己を受け入れてくれた、この世界で唯一の存在の元へと。
走っていた。
Face to face 4
未だに明るくなりきらない、夜の空気が漂う少し高めの建物へ。
常人では決して有り得ない跳躍力で飛び上がって、自分が出て来たベランダへと着地する。
その時に当然、無粋な音を立てる筈もなく。
未だに眠る気配のする彼女が居る部屋へと、窓をそうっと開けて入り込んで靴を脱ぎ玄関へと置くと。
任務が明けてから翻弄されっぱなしの少々怠くなった身体を黒のソファへと座らせた。
途端に襲ってくる倦怠感をどうにも出来ずに、カカシはゆったりとその座り心地が良いソレへと任せると。
ほうっと一つ溜息を零す。
幾らDランクとは云え(本人は何もしていないが)、任務をこなした後のこの急展開に。
身体よりも精神の方が疲れきっていて。
兎に角、自分が居た世界へと帰る方法を見つけないとな。
何て思いながら。
それでも何処か、この生活観のある、一般的な、生死を賭けた殺伐とした空気なんて微塵も無いこの空間に浸っていたい、と。
せめてこの一時だけでも、と心の何処かが訴えていて。
薄れていく意識の中、無意識にこのまま此処で生きられたら…何て。
正気でいれば決して考えてはならない事まで思い始めていた。
しかし此処は現実に命の遣り取りをするような場所では無く。
何時でも何が起こっても良いように、気を張った里ではない事がどうにも心地良くて、緊張感が続かなくて。
カカシは深い眠りへと、付いた。
浮上してくる意識の中で、はとても妙な夢を見ていた。
漫画の世界に生きる人が何故か自分の家で一緒に暮らしていて。
どうしてだかは知らないが。
登場人物はやっぱり『はたけカカシ』、その人で。
彼はとても自分の事を大事に大事にしてくれて。
二人で穏やかに笑い合い、背中合わせに本を読んで、不意に見詰めあい、キスをして、抱かれていた。
その時のカカシ君の瞳が余りにも優しくて。
まるで愛しい者を見るような甘い空気を纏って自分を抱いてくれる、そんな有り得ない夢だった。
ぽっかりと目が覚めたは、自分が見た夢に酷く重い溜息を付いて。
「………あたしゃ欲求不満なのか?」
とぼやいていた。
そして改めてボケた頭を2・3度振り、眠気を飛ばしているとはっと気が付いた。
昨日起こった摩訶不思議な出来事を。
慌てて起き上がって、四つんばいになり這いずって行って下を見れば。
ソコにはまごう事無き銀色の髪を持つ男の人がソファに座っていて。
矢張り昨日の事は夢でも超常現象でもなく、……現実だった事を思い知った。
そして改めて昨日の記憶を引っ張り出すと、カカシ君が写輪眼を発動させた後にとても気分が悪くなり。
気を失ったのを思い出す。
服を見れば昨日、出掛けた時のままで。
恐らく彼が自分を此処まで運んでくれたのを理解すると、とっても申し訳ないような気分になった。
幾ら仕事明けだとは云え、あんな状態の彼を一人、この部屋に残してしまった事が酷く悔やまれる。
右も左も分からない、こんな異世界に飛ばされて。
誰一人知る人物も居ないこの世界で独り、倒れてしまった自分を抱えてさぞ困った事だろう、と。
大きな罪悪感が湧いてきて、そのぴくりとも動かない銀髪を見詰めていた。
けれどこうやっていても何にもならないし、と。
起き上がって階段を静かに下りて行く。
そして彼の座るソファの前へと回ると、予想通り彼は静かに寝息を立てて眠っていた。
気配に聡い忍である彼が、目の前に他人に立たれても起きないと云う事実に。
彼が酷く疲れていた事が簡単に予想されて。
せもても、と再び階段を上がり自分が使っていた上掛けの布団を持ってきて、そうっと彼に掛けてやる。
「…ん……」
己に触れた感触から、カカシ君は少しだけ声も漏らすが。
起きるまでには至らなかったのか、再び寝息を立てて情眠を貪り始めた。
幾らこのソファが座り心地が良かろうと、寝辛いだろうと思うのだが。
こんなに気持ち良さそうに寝られてしまうと起こすのも忍びなく。
しかも忍の習性を持つ彼に、寝ぼけて再度クナイを突きつけられるのも御免だと思い。
少しだけマスク越しの彼の寝顔を堪能してからその場を離れた。
しかし今日は仕事も休みで、何もする事が無いのも事実で。
ちょっとだけ困ったは兎に角、朝食でも作るか、とキッチンへと歩いて行った。
冷蔵庫の中には昨日買ってきておいた夕食の材料。
そしてパンやマーガリン、卵等が入っていて。
久し振りに人の為に朝ご飯を作るか、と材料を多めに取り出した。
トーストを焼いて、スクランブルエッグを作り、レタスを千切ってキャベツを千切りにして。
コーン缶を開けて彩りを上げて、ミニトマトを乗せる。
最後にベーコンをカリカリに焼いていると背後で動く物音がした。
どうやらご飯を作る音と匂いに釣られて起き出したようだった。
仕切りに頭を振って、「あれ?」とか云っているカカシ君が可笑しくて。
そう云えば漫画の中でもお寝坊さんだったなぁ、なんて思い出して。
ついつい笑いながら彼へと「おはよう」と声を掛ける。
慌てたように振り返ったカカシ君は酷く驚いたような顔をしていて。
自分のようにコレが夢だったのではないか、と思っていたのがありありと分かった。
「残念だけどココは貴方が居た世界じゃないんだ、…ごめんね?」
少しすまなそうにそう云ってやると、漸く頭が起き出して昨日の記憶が蘇ってきたのか。
カカシ君は慌てたようにして「俺、寝ちゃってたんだ…」とか云っていた。
そして自分に掛かっていた布団を見て、少しだけ嬉しそうにしながら。
「コレ……掛けてくれたんだ。ありがとね」
と笑ってくれた。
「いいのよ、それ位」と返しながら、ベーコンの焼け具合を見る為にキッチンへ戻ると。
丁度良い焼き色になったソレをお皿へと移してフライパンを流しへと置いた。
お湯を出して粗熱を取りながらスポンジに洗剤を付けて軽くフライパンを洗って仕上げにコーンスープを淹れる。
「ご飯、食べれる?材料が無かったから強制的に洋風になっちゃったケド」
後で布団を畳んでいるカカシ君へと問い掛けると。
「うん、大丈夫。食べれるよ」
ニッコリ笑ってそう返事が来た。
朝食が乗ったお皿をテーブルの方へと持って行きながら。
布団は上に上げといてくれる?と頼むと。
何と彼はソレを脇に抱えて階段を使わずに少しだけ膝を曲げて飛び上がった。
えっ?! と思った瞬間にはカカシ君はロフト部分に居て。
云いつけ通りに布団を片してくれていて。
早々に戻ってきた彼を、思わずアタシは凝視してしまっていた。
「ん、どーしたの?」
何でもないかのようにカカシ君は上から飛び降りてきたが。
その際にも当然、着地する足音なんてモノはせず。
やっぱり彼は『忍者』なんだ、と云う事が改めてアタシの脳内に書き込まれた。
「……うん、…やっぱりカカシ君は忍者なんだなーって」
「そりゃそうでしょ。俺、コレがお仕事なんだから」
「……ん…、そうなんだけど……でもね…」
「うん?」
「……何かカッコよく見えた…」
「え……?」
彼にとってそんなのは、日常茶飯事的な事で。
足場の悪い森の中を枝から枝へ飛び移るのを考えてみれば至極簡単過ぎる事なのだろうが。
それでも一般人である自分の目の前で、こんなオリンピックの選手でも出来ないような事を目撃してしまえば。
目から鱗状態になるのは当然と云えば当然過ぎて。
けれど彼は、こんな忍だったなら余りにも常識すぎる事を褒められてちょっぴり照れ臭そうだった。
そんな彼が可愛くて、ついつい調子にのっちゃったアタシは。
「本当だよ?こんなの初めて目にしたんだもん。すっごく衝撃的!!
滅茶苦茶カッコいいっ!」
褒め殺しのように言葉を羅列した。
「凄いんだね、カカシ君はー。お姉さんは感激しちゃって涙が出そうだよ」
泣き真似をしながら更に褒めていると、少々頬を赤くしたカカシ君が。
「もうイイよ、何か照れるし…」
とか云いながら後頭部をかしかし、と掻いた。
「そんな事よか折角の朝ご飯冷めちゃうでしょ?食べよーよ」
何て仕切りに話題を変えようとしてたのが更に可愛くて。
こんなに楽しいと感じる時間は何時振りだっただろう……
そんな他愛もない一時が嬉しくて楽しくて、顔の筋肉が自然と笑みの表情を作り上げて。
アタシ達は暫しの間、笑い合っていた。
その後にご飯、滅茶苦茶おいしーよとか云われて仕返しされたのは云うまでもない……。
食べながらもやっとカカシが彼女の名を教えてもらって、呼び捨てでイイよ、と云う呼び方の問題で一悶着しながらも。
改めて自己紹介なんかをしていた楽しい食事が終わりを告げると。
彼はお腹が一杯になったようで、ちょっと眠そうに欠伸をした。
「やっぱりソファ何かで寝てたから寝足りないんでしょ」
そう意地悪く云ってやれば。
「う〜ん、……居心地は最高だったんだけどね?本音を云うともうちょっと寝たいかなぁ…」
一旦、任務へと出掛けて行けばどんなに眠くとも睡眠なんて取っている間も無い程の緊張を強いられる激務が当然で。
そんな任務が当然のようにある上忍をこなしていたカカシだったが。
ソレに比べれば、幾ら体勢がキツクとも、敵の襲撃も無ければ何の心配も要らないこの場所は比べるも無く安眠できる所で。
それこそあんな短時間でも信じられない位に身体の怠さはスッキリと抜けていた。
しかしソコは矢張りカカシがカカシである所以なのか。
睡眠時間だけは沢山欲しかったようで。
そんな彼が可愛くて、は自分の寝床を提供しようとその案を出す。
「ね、カカシ君。アタシの布団で申し訳ないんだけどさ、嫌じゃなければ寝てて?」
それに驚いたのはカカシの方で。
只でさえこの場所に居る事を容認してくれたのにの布団までは借りれない、と反論するが。
「アタシは一杯寝たから今ンとこ用は無いんだし、他にお布団ないのよ!」
「じゃあ、床でも良いから」
「だ〜め!こんな固い床で寝たって寝た気がしないでしょう?!
良いから上がって寝てよ!」
「でも女の人のお布団は借りれないって」
「あ、ゴメンね?カカシ君はアタシのお布団じゃ嫌だった?」
延々と続きそうだったこの押し問答は、こんな展開で幕を閉じる。
背中を押して上へと登らせようとしていたが、そんな科白をちょっぴり悲しそうに云うもんだから。
カカシの方もそれ以上断わる事も出来なくて。
「そんな事ないって!………でもホントに良いの?俺ってば布団で寝ると一杯寝ちゃうよ?」
「良いわよ、そんなの。カカシ君はこっちの世界に突発的に来ちゃって疲れてるんだから。
沢山寝て疲れを取って、そんであっちに帰る方法、また一緒に考えよう?」
オマケにこんな優しい言葉を掛けられてしまい。
「………さんは優しいね…」
ほろり、とそんな科白が零れて落ちた。
その言葉には「そんな事ないから」と少々、顔を赤くしながら更にカカシの背中を押していた。
兎にも角にもはカカシをロフトへと追いやり、自分は昨日入れなかったシャワーを浴びるべく着替えを持って風呂場へと行った。
そんな彼女の心遣いを無駄にするのも悪いと思い、カカシはふわふわの酷く寝心地の良さそうな布団へと歩いて行く。
そしてベストの前を空けて脱ぎ、隣へと置いて額当てを取ってマスクを引き下ろし。
その布団の中へと滑り込んだ。
ふかふかの布団が自分の身体を包み込むような感触に。
カカシはとても満足そうに彼女が昨夜抱えていたクッションへと身を寄せた。
どう考えても一人で寝るには大き過ぎるこの布団に、多少ながらも疑問を抱えるが。
彼女にだって一つや二つ、事情があるんだろう、と。
問いただしてしまいそうになるのを、少々の意思を必要としながらも押さえて。
彼女の使っているシャンプーの香りだろうか、優しい、包み込んでくれるようなその香りに睡眠を促され。
酷く寝心地の良いその床で幸せそうな笑みを浮かべながら眠りの淵へと誘われる儘に眠りに付いた。
一方、の方と云えば。
自分が風呂に入った事で、カカシが昨日っからお風呂に入っていない事に気が付いた。
起きたら入ってもらおうと思うが、それでは着替えがないだろう、と。
この家には自分の着替えしかないのは至極当然な事で。
それだったら彼の服でも買ってくるか、と。早々にその後の行動を決めた。
思い立ったら吉日の彼女は素早く頭と身体を洗ってさっさと風呂を出て。
頭を拭きつつも服を着て適当に髪をアップにして誤魔化すと、そうっと部屋へと戻っていく。
そして仕舞ってあったメモ帳を出して、一枚千切るとカカシ宛てのメモを残す。
『買い物に行ってきます。起きても外には行かないでね。
なるべく早く帰って来るつもりですが、もし起きちゃって暇だったら本棚の本でも読んでて下さい。 』
それだけ書くとバッグを掴み、なるべく物音を立てないようにして部屋を出て行った。