ふと窓の外を見上げると、薄暗い雲が蒼穹を覆い隠していた。 まだ日が落ちるには早いというのに、低く垂れ込めた雲が、厚いヴェールのように太陽光を遮って、世界を暗く沈ませている。 日が差し込まないせいか、気温も僅かに下がってきたようだ。 少し前までは青空が見えていたはずだが、今はもう、じっとりと湿った空気が漂うまでになっている。 これだけ唐突に天候が変わるということは、かなり荒れるのかもしれない。 「これは…雷が鳴るかもしれないね」 鉛色の空を見上げながら、どこか楽しそうに毒蜂は呟いた。 天空に不可思議な図を描き出す雷は、元々嫌いではない。 瞬きをする合間ほどの、極めて短い時間の中で展開される、刹那的な美だ。 あれだけの膨大なエネルギーを放出するというのに、稲妻が姿を見せるのはほんの一時でしかなく、あとには何も残らない。 だからこそ、圧倒的な存在感を見せつけるのだろう。 強いて言えば、夜の方がより雷光が引き立つのだが、大自然の脅威はちっぽけな人間の好みなど汲んでくれるはずもない。 腕を組んで窓辺に佇む。 『雷』という単語から連想される事柄は幾つかあるが、目下のところ一番初めに思い出されるのは仲間の1人だ。 ある日を境に、雷に対して異常なまでの恐怖反応を示すようになった人物がいる。 理由は思い当たらないこともないが、どうすることもできないし、してやるつもりもない。 同じ『鬼里人』の仲間とはいっても、組織的な構造である以上、表に出ないだけで対立も軋轢もある。 その絆は、驚くほど脆いものだ。 「ああ…やはり来たね」 形容しがたい轟きが、天から届いてきた。 この様子ではまだ遠いようだが、すぐにやってくるだろう。 神の怒りを叩きつけるかのような、耳を劈くほどの雷鳴が。 もう一度、明らかに近くなりつつある雷鳴を聞いて、毒蜂は窓辺を離れた。 どうせなら、もっとよく見える場所で、その豪快な様を愛でる方が楽しめる。 その背中を追うように、雨音が響き始めた。 廊下に低い呻き声が漏れる。 声には、隠しようのない嫌悪と恐怖が滲んでいた。 「…っ」 空が暗くなってきたのは知っていたが、まさかこんなに突然、激しく雷が鳴り出すとは思わなかった。 轟音と共に、廊下が白く染まる。 「…ひ…っ」 霧人はきつく目を閉じ、耳を塞いだ。 だが、雷鳴は霧人を責めたてるように、ますます勢いを増してきている。 廊下に設けられた窓は、皮肉なことに他より大きく、嫌でも稲光の凄まじさを見せつけた。 落雷の音が響き渡るたび、衝撃でガラスが振動する。 ガタガタと全身を震わせ、霧人はその場に座り込んだ。 短い廊下だ。 もう少し歩けば、窓が一つもない部屋に辿り着く。 そこまで行けたなら、少なくとも雷光は見えなくなり、音もそれなりに塞げるだろう。 だが、足が動かない。 震えるばかりで力の入らない体は、たったこれだけの距離すら移動できない。 どの扉にも鍵など掛かっていないのに、まるでこの廊下に閉じ込められてしまったかのようだ。 遮るものもなく、霧人は立て続けに雷光に晒された。 このまま雷雲が過ぎるまで待つしかないのだろうか。 母親が出掛けている今、霧人を気遣って駆け付ける者はいない。 そんな霧人を苛むかのように、また稲妻が走る。 「…うっ…ああ……っ」 恥も矜持も捨てて、泣き出したいほどの極限状態だった。 思考回路が混乱して、恐怖以外の感覚が麻痺していく。 だから気がつかなかったのだろう、すぐ背後に誰かが佇んでいたことに。 「大変だねぇ、霧人」 聞き覚えのある声に、霧人ははっとして目を開けた。 振り返ろうとして、また轟いた雷鳴に体が竦む。 笑いを含んだ声が、からかうように浴びせかけられた。 「素敵な光景じゃないか、まるで雷が天を裂くかのようだ。こんな見事な景色を楽しめないなんて…気の毒にね」 「…何しに…きた…っ」 精一杯の虚勢を張ってそう言うと、肩に優しく手が置かれた。 「酷いな。手を貸してあげようと思っているのに」 「必要ない…」 「見栄を張るだけ無駄だよ。君は賢いのだから、それくらい分かるだろう、霧人?」 言葉に込められた嘲りが、霧人の神経を逆撫でする。 毒蜂はいつもこうだ。 さりげない口調で、他者を見下す。 強い立場にある者に対しても、その態度を変えることはない。 『鬼里人』の蜘蛛一族の直系であり、ゆくゆくは長となる未来を確約されている霧人に対してさえ、こんな態度を取るのだ。 仲間の内でも、気に入らない人間はたくさんいるが、その最たる者がこの毒蜂だった。 「あんたの手は借りたくない…っ」 気力を総動員して、毒蜂の手を振り払い、向き直った。 表面的には親切そうな顔をして笑っている毒蜂を、思いきり睨み付ける。 その瞬間を待っていたかのように、またも世界が白く照らされた。 「…っあ…っ!」 霧人にとって、雷は今や身体的異常を来たすほどのトラウマ要因だ。 勝手気ままに鳴り響く雷に虚を突かれ、思わず傍にあるものへ縋った霧人を、誰が責められるだろう。 毒蜂の緋の唇が、笑いの形に歪む。 自ら腕の中に飛び込んできた霧人を、まるで恋人でも抱き締めるかのように包み込んだ。 「まるで女性のような反応をするのだな。君は……どうしてこうも私の悪戯心を刺激するんだろうね?」 |

その囁きに、我に返った霧人が、毒蜂の腕の中でもがき始める。 一見細身に見える毒蜂の体は、霧人が暴れてもびくともしない。 そもそも、その身にスズメバチを寄生させている毒蜂は、一体どこまでが生体なのか。 「離せっ!」 「抱きついてきたのは君の方だよ。その台詞はつれないんじゃないかな?」 背中に回された腕は、あくまでも温かくて優しい。 だが、その感触とは裏腹に、その腕は霧人に強烈な嫌悪感を与えた。 それと同時に、自分の取ってしまった行動への悔恨と、この現状に対する焦りが頭の中で複雑に交錯する。 気に入らない人間の前で醜態を晒した挙句、よりによってその相手にしがみ付いてしまったのだ。 いくら雷への恐怖が深いとはいえ、死んでも堪えるべきだったに違いない。 やり直しも、言い訳もきかない状況に追い詰められていることを悟って、霧人の背筋を冷たいものが滑り降りた。 「可哀想にね、霧人。こんなに震えてしまって…」 労わるような言葉が、耳元で囁かれる。 だが、そう言いながらも、毒蜂の口元が笑っているのは予想できた。 見なくても分かる。 鮮やかな朱に彩られる唇は、霧人を蔑むように形作られているに違いない。 きつく拳を握り締める。 このまま毒蜂のペースに乗せられていては、ますます惨めになるだけだ。 毒蜂は『七頭目』の一人に数えられる実力者であり、今の霧人にしてみれば適う相手ではない。 しかし、霧人とて蜘蛛一族の長の子として、英才教育を受けてきたプライドがある。 そんな個人としての理由だけでなく、霧人が背負うものは大きい。 状況によっては、いつかは蜘蛛一族繁栄のために、この毒蜂を排除しなければならない時がくるかもしれない。 少なくとも、霧人が『七頭目』の一人として立つ時には、毒蜂と対等かそれ以上の立場を確保できていなくてはならないのだ。 それを考えれば、これ以上引き下がるわけにはいかなかった。 「離して…もらおうか…毒蜂」 「幼子のように震える君を、冷たく突き放すことなどできないね。それほど冷酷な人間ではないつもりだよ」 冷たい人間だからこそ、今こうして霧人の台詞に耳を貸さないのではないのだろうか。 嫌がらせなのか、ただ面白がっているだけなのか、判断のつかないところはタチが悪い。 陰湿ないじめをするような、器の小さい男ではないだろうが、毒蜂が霧人を好意的に見ていないのは間違いないはずだ。 蜘蛛一族と色々な意味で考えを異にする毒蜂は、霧人のことを快くは思っていない。 表立って何か行動を起こしたりはしないが、視線や会話にそれが滲み出ている。 むしろ対立姿勢を明らかにしてくれれば、こちらの対応も自ずと決まるのだが、毒蜂は曖昧な行動を取り続けるばかりで、尻尾を掴ませない。 腹に一物ありながらの、その計算高さが、また気に入らなかった。 「自分で歩ける」 「とてもそうは見えないが。自慢の知識も教養もハイテク技術も、今は何の役にも立たないのだよ…霧人」 そう言いながら、あやすように頭を撫でる毒蜂に、一気に血が逆流するような怒りを覚えた。 「余計なお世話だ…っ!」 迸る感情のまま、霧人が腕を振り上げる。 しかし、毒蜂に向かった拳は、届く前に掴み上げられた。 しまったと悟る前に、圧倒的な力が手首に掛かるのを感じる。 掴まれた手首が、軋んだ音を立てたように思った。 「…つっ!」 毒蜂が視界から消えたと理解した時には、骨が折れるのではないかという力で、背後に右腕を捻り上げられる。 関節に掛かる苦痛に喘ぐ霧人を、毒蜂は人形でも扱うかのように容易く引きずり、ガラスに押し付けた。 霧人の目の前に、外の風景が広がる。 「少々お行儀が悪いな。お仕置きが必要かもしれないね…」 背後からの囁きは、深い森のような静けさで、それでいて底知れぬ何かを滲ませていた。 霧人の視界に広がる風景の中で、降り止まない雨が、世界の輪郭をぼやけさせている。 墨絵のように朧げな光景の中、天空から鮮やかな光が時折見え隠れしていた。 雷雲は、まだその勢いをおさめてはいない。 血の気が一気に引いていくのを、霧人は自覚した。 その怯えを嘲笑するかのように、閃光が瞬く。 「―――…っ!」 霧人の全身が戦慄いた。 「やめろっ…やめ…っ」 目を閉じても、眩い光は容赦なく飛び込んでくる。 雷光にほんの少し遅れてやってくる轟音は、霧人の脳内を掻き回すように響き渡った。 毒蜂に片腕を捕らえられていては、完全に耳を塞ぐこともできない。 ガラスについた左手が、何かを掴むように虚しく握られているのは、右腕の関節にかかる苦痛のためではなく、瞳に焼き付く稲妻への怖れだ。 「随分と可愛い声を上げるのだね、霧人」 全身を揺らしながら、ずるずると崩れ膝をつく霧人に、毒蜂が非情な言葉を浴びせる。 「もっと鳴かせてみたくなるじゃないか…」 「な…っ…」 体を奇妙に硬直させる霧人の首筋に、するりと毒蜂の左手が這わせられた。 指先でくすぐるように肌を撫で、感触を存分に楽しむと、襟元から中へ潜り込んでくる。 「流石は、純粋培養の温室育ちだな、触り心地が良い」 手袋に包まれた毒蜂の手は、霧人の肌に気味の悪い感触を抱かせる。 遠慮もなく触れてくる手を、振り払いたいのは勿論だったが、この廊下を渡ることさえできない状態では、逃げてもすぐに捕らえられてしまうだろう。 それ以前に、毒蜂の腕は霧人の右腕をしっかりと絡めとっており、少しでも逃れようとすると容赦なく締め上げて放さない。 服の中に潜り込んだ手が、胸の突起を弄び始めた。 擦り、摘み上げ、硬くなってきたのを見計らって、指に挟んで激しく擦り上げる。 「んっ…」 「意外に敏感なんだな」 毒蜂はそう言って、執拗にそこを嬲ってくる。 見下ろすと、胸元の布地が持ち上がり、いやらしく蠢いているのが見えた。 「く…うっ…」 耐える霧人の耳朶に、生暖かいものが当たった。 避ける間もなく舐め上げられ、その舌と唇は霧人の項へと興味を移していく。 「責め苦だと思わなければ、楽しめるだろうにね。実の所、気持ちが良いだろう?」 首を振って否定すると、胸元を這っていた手が離れた。 安堵の息をつくと、意地の悪い笑い声が聞こえる。 「これから…だよ。霧人」 言葉の意味を訝しむ前に、毒蜂の左手が霧人の下肢に掛かった。 止めることも適わず、肌を被う布はあっさりと膝まで引き下げられる。 裾の長い中国服のおかげで、辛うじてあられもない姿とはならないが、下肢が剥き出しにされたことは変わらない。 毒蜂の意図を察して、逃げるどころかますます体が萎縮する。 上衣の裾の切れ目から、ゆっくりと毒蜂の手が入り込んだ。 太腿を撫で上げ、さも当然と言わんばかりに内側へ移動する。 慌てて足を閉じようとして、毒蜂の膝が初めから、邪魔する位置を確保していたことにようやく気が付いた。 無防備に緩く開かれた足の内側を、毒蜂の手は焦らすように撫で上げる。 「あ…ぁ…っ」 やんわりと握り込まれて、霧人は軽く仰け反った。 毒蜂の手が、丁寧にそれを扱き始める。 同意もない行為だ、快感が得られるはずもない。 ―――そのはずだった。 「我慢せずに、声を上げたらどうだい?」 「う…っ、ん…ん…」 「まぁ、私はどちらでも構わないが。耐える顔も中々いい…」 毒蜂の声が遠く聞こえる。 敏感な部分を的確に刺激されて、嫌でも意識はそこへ集中してしまう。 声を上げまいと耐えれば耐えるほど、却って吐き出す場のない熱が体内で荒れ狂った。 「おやおや、もうこんなにして」 「く…っ」 毒蜂の手の動きに、素直すぎる反応を返すそれは、霧人の意思とは無関係に快楽を訴えている。 おかしい。 いくら男の体がそういうふうに出来ているとはいえ、たったこれだけのことで、これほど感じるはずがない。 何か理由があるはずだと、頭を働かせるのを阻むように、毒蜂の手が霧人のものを強く握り込む。 「あ…っ、うっ!!」 何度か乱暴な手つきで霧人を嬲った後、またゆるゆると柔らかな刺激を与えてくる。 ただの苦痛なら耐えることもできるだろうが、快楽を耐えることは難しい。 鋭敏になった神経は、理性の存在などすっかり無視して、与えられる悦楽をそのまま享受する。 何故こんなことになっているのか、何故こんな目に合わなくてはいけないのか、異常な状況に対する疑問も不満も、肉体にもたらされる快感が押し流してしまいそうだ。 この行為に、愛情なんてものが存在しないのは当然だが、快楽に溺れつつある霧人とは違って、毒蜂には霧人の体に対する欲望も感じられない。 背後に微かに聞こえる毒蜂の呼吸音には一切乱れがなく、甘い疼きに吐息を乱しながら、肉欲に酔いしれているのは霧人だけだ。 その事実が、ますます羞恥心を募らせる。 相手の意図が掴めないまま、霧人の体は抗いようのない肉欲の波に呑まれていった。 「あ…あぁ…っ、はっ…」 慣れているかのような毒蜂の手は、霧人の悦ぶポイントをいとも容易く探り出し、そこを執拗に責めてくる。 先端に軽く爪を立てられ、裏筋を強く擦られて、霧人の体ががくがくと揺れた。 「こんな…こ…とを」 声が震える。 「ただで…済むと思って……んんっ」 「君にそれが言えるのかな?」 ぬるりとした感触とともに、毒蜂の指先が霧人の先端を撫でる。 「ほら…君のここはこんなにも悦んで、私の指を濡らしている」 溢れた体液を塗り込めるように、毒蜂はますます激しく霧人を扱き始めた。 いっそのこと、あっさりと抜かれた方が楽だっただろう。 毒蜂の手は、悪戯に霧人を煽るばかりで、決定的な刺激を与えてはくれない。 「やっ…あうっ…毒蜂―――っ」 いきり立つものへの愛撫はそのままに、別な箇所に新たな刺激を感じた。 毒蜂の指先が、後ろの入口を弄っている。 「やめろっ…やめ…」 「指くらい、楽に入るだろう?」 侵入を拒もうとして力を入れると、無駄な抵抗を嘲笑うように、伸びてきた右手が霧人の体を優しく愛撫する。 張り詰めたそれを、卑猥な手で扱き揉みしだかれて、後ろの入口を指先でくすぐられた。 堪らない刺激に、霧人は窓ガラスに両手をついて爪を立てる。 「霧人…気付いていないようだが、窓に君の姿が映っているよ。とても…いい顔をしている。淫乱な女のようだ」 その台詞に、はっと我に返った一瞬を狙われた。 柔らかい動きを繰り返していた毒蜂の指が、一気に奥まで突き入れられる。 「あっ…、―――っ!!」 それまでの穏やかな行為が嘘であったかのように、毒蜂の指は乱暴に霧人の中を掻き回し、昂ぶるものへも激しい刺激を与え始めた。 毒蜂の指が中を抉るたびに、そこからはいやらしい音が漏れる。 潤むはずのない箇所が濡れているように感じられるのは、霧人から溢れた液のせいなのだろうか。 「あっ、あああ…っ。や…め」 焦らされていたためか、霧人は急速に高みへと追いやられる。 他人の手で絶頂を強要されるという、あまりにも屈辱的な状況だが、もう自分自身を保っている余裕はない。 体内に含まされた指は3本に増え、霧人の熱い内側で自分勝手に蠢いている。 馴染み始めた内側は、どこを抉られてもそれを悦んで受け止めた。 指の1本が、ある部分に触れて、霧人の体が大きく震える。 「ああ…君はここが好きなのだね」 「うあぁ…っ、あ…はっ…ああ…っん」 そこを嬲られると、全身に痺れるような強い快感が走った。 知らぬ感覚を、無理矢理に覚え込まされる。 自覚すらしていない、奥底に潜んだ淫靡なものを、力ずくで暴かれた。 更なる刺激が欲しい。 呼吸が乱れる。 毒蜂の動きに合わせるように、腰が揺れた。 閉じることを忘れたような唇からは、尽きることなく喘ぎが漏れ、それが毒蜂を楽しませることになると分かっていても、止めることができない。 「私は君を誤解していたようだ。実はとても素直でいい子だったのだね」 霧人の嬌態を見つめて、毒蜂が満足げに囁く。 毒を含んだ言葉も、耳に届いていないのか、霧人からは何の応えも返らない。 「そろそろ許してあげようか」 「ひ……っ」 短い悲鳴と共に、霧人の背が弓なりに反る。 高い嬌声が廊下に響いた。 宙に手を差し伸べると、その指先に一匹のスズメバチがとまった。 毒蜂の体を構成している物体である蜂は、その時々によって様々な形で、宿体である毒蜂の役に立ってくれる。 今も然りだ。 霧人の体の変調と、この小さな蜂との関係など、指令を出した毒蜂以外には誰も知ることができないだろう。 毒蜂が飼い慣らしている蜂は、相手を弱らせたり殺したりするばかりが能ではない。 司令塔に毒蜂という頭脳を抱えるスズメバチたちは、もう蜂という枠を超えて、特殊な生き物に変貌してしまっている。 ぐったりと体を横たえる霧人を見下ろして、毒蜂は酷薄な笑みを浮かべた。 霧人はすっかり意識を失っているらしく、ぴくりとも動かない。 常日頃、口では大きなことを言っているが、毒蜂からすれば霧人など、母である女郎蜘蛛に庇護されている脆弱な存在でしかない。 今のこの現状がそれを如実に表している。 毒蜂の手でいいように喘がせられ、手慰みに遊ばれた霧人と、それを淡白に見下ろす毒蜂というこの構図が決定的だ。 おそらく霧人は、いつ天候が回復したのかも、いつ左腕の束縛が解かれたのかも分からないだろう。 あっさりと毒蜂の手管に落ちた霧人は、四肢を投げ出して倒れている。 その顔色の悪さを見て、毒蜂はしばし考えこむような表情をした。 いささかやり過ぎたかもしれない。 ちょっとした悪戯程度で済ませるつもりだったのだが、つい悪ふざけが過ぎた。 いちいち毒蜂に食って掛かる様が楽しかったのも確かだが、霧人の体は中々具合が良い。 ここまで嬲ってしまったのも、予想外に楽しめたからだろう。 「このままにもしておけないな…」 霧人は下半身を剥き出しにしたまま、そこには性的な行為があったことを示す痕跡が残っている。 この廊下はあまり人の通る場所ではないが、このまま置いていけば誰かに目撃されるだろう。 霧人はエリートでプライドが高いが故に、自らの恥を公言したりはしないだろうが、どこから情報が漏れるか分からない。 仮に漏れたとしても、霧人はともかく毒蜂は大して困らないのだが、ひとまず慎重に行動しておくべきか。 自室のベッドに転がしておくくらいは、骨を折ってやってもいいかもしれない。 「また遊べそうだしね…」 厚い雲の切れ間から、清々しい光が差し込んでいる。 そんな光景を背に、毒蜂の声はどこまでも暗いものだった。 |