優しく差し込む月光に、淡く照らし出された白い肌を見下ろして、男はにやりと笑った。 長く続いた戦火のせいで、あちこち壊れた屋根は、半分以上が失せてしまっており、夜空と見事な月が顔を覗かせている。 そこから漏れる清らかな光の中、組み敷いた体はいつにない艶を醸し出し、男の手を待っているかのように見えた。 同性とは思えない滑らかな肌は、宙空に浮かんだ月よりも白く、思う様触れてみたいという貪欲な思いを駆り立てる。 シーツの上には、半端に長い黒髪が、まるで誘っているかのように広がり、しなやかな体が身動ぎする度に微かに揺れた。 闇を塗りこめたような黒髪と、無機質とさえ思わせる人形のような肌との、その極端な格差が目に焼き付く。 乱れた髪が幾筋か貼りついた首筋は、息を飲むほど扇情的で、飢えた男を虜にしてやまない。 首筋に顔を埋め、艶めかしい色を刷いた肌をぺろりと舐めてみる。 薄く色づいた唇が、どこか甘く感じられる吐息を漏らし、次いで物憂げな声が滑り出た。 「物好きですねぇ」 今しがた、唐突にベッドに押し倒されたというのに、その声には驚きも怒りの感情も見当たらない。 溜息交じりの声を聞きつつ、男は首筋の柔らかい感触を十分に堪能してから顔を上げた。 見下ろしたその先で、無表情な顔と、それ以上に感情のこもらない目が、男を静かに見上げている。 呆れ果てているのか、どうでもいいと思っているのか、どうにも底の見えない瞳は、何を考えているのか分からない。 目の前の相手がどう思っていようが別に構わないのだが、穏やかなくせに奥を覗かせようとしない瞳が、興味をそそる。 探るような目で、その瞳を凝視し続けると、冷めた声が告げた。 「女旱なのは分かりますが、何も男を襲わなくても良いのでは?」 まるで患者に問診でもしているかのような、淡々とした声音だ。 職業柄そんな口調になってしまうのだろうが、治療用のベッドの上に押し倒されているというこの状況で、よくそんな台詞が出る。 抵抗できないように男に伸しかかられ、半裸の状態であちこち弄くられていながら、取り乱さないとは大したものだ。 これからどんな行為を強いられるのか、分かっているだろうに、焦る様子もない。 この医者は、自ら望んで戦地に赴任してきたらしいが、非常事態でのこの落ち着きぶりは、肝が座っているなどという次元からも遥かに外れている。 少しの沈黙の後、男は喉の奥で笑った。 常日頃から、この医者には裏があると踏んでいたが、予想通りだったようだ。 言葉では言い表せないが、その奇妙なまでに透明な瞳と目が合うたび、違和感を覚えてきた。 戦場という特殊な環境には、特殊な連中が数多くいたが、この医者はその誰とも違う。 そんな存在を、下卑だ欲望のままに犯してみるもの面白い。 「医者ってのは人を救うのが仕事だろう?」 大人しく為すがままにされている体を、腕を掴んで引き起こす。 肩に引っかかっている白衣とシャツを、乱暴に引き剥がして、脅すように囁いた。 「だったら救えよ」 「見たところ、命の危機に瀕しているとは思えませんが」 大概の人間なら、怯えて返事もできなくなるところなのだが、医者は冷静なままだ。 やせ我慢をしているわけではないのが、体の緊張具合で分かる。 男の持つ異名、『殲滅軍曹』という肩書きを持ってしても、この不可思議な医者の感情を揺さぶることはできないらしい。 どうせなら、恐怖に慄いてくれた方が昂ぶるのだが、これはこれで手っ取り早くて結構だ。 「危機的状況だ。溜まってんだよ」 その言葉に対して、医者からは承諾も拒絶もない。 そんな反応が却って新鮮だった。 返答がないことを、自分に都合良く解釈して、その肢体に手を這わせる。 指先に感じる、きめの細かい皮膚の感触が心地よく、ますます興奮を誘った。 同じ男なのに、ここまで違うものか。 直線的ラインを描く体は、女の柔らかさとは対極だが、均整のとれた細身は、日ごろ無骨な男どもに囲まれているせいか、酷く頼りなく見えた。 青白いとさえ言える肌も、肢体の輪郭も、器を形作るすべてものが格段に違う。 そして、こんな戦地には似つかわしくない上品な物腰が、余計にその医者を中性的に見せていた。 かなりの長身ではあるのだが、独特の雰囲気が、妖しく男を引きつける。 「女よりか色っぽいな……」 「それは、身近なところに女性がいないから、そう見えるんですよ」 医者はそう答えるが、理由はそればかりではないように思う。 例えここが戦地でなく、どこかの街角であったとしても、この医者は不思議と男達を引き寄せるだろう。 この地帯に留まる住人たちの中にも、それなりに小綺麗な顔をした者はいる。 そんな連中には興味すら持てないというのに、何故この医者を前にすると、体の奥底で欲望が渦巻くのだろうか。 そう思うのは、決して自分だけではない。 自分と同じような目で、この医者に熱っぽい視線を送る者を、ごく身近なところで何人か見知っている。 中でも積極的な連中が、ここに頻繁に出入りをしていることも知っていた。 「知っているぞ。あんたが夜な夜な軍の―――」 男の言葉をかき消すように、爆音が轟いた。 鼓膜が破れそうな音と、網膜を焼くかのような光。 地面が揺れてドアも窓も吹き飛ぶ。 爆風と、それに煽られた塵芥が、視界を塞いだ。 鼻腔に、戦場で慣れ親しんだ異臭が広がる。 焦げた臭いが、喉に痛い。 反射的に身を沈めると、体の下の医者と視線がかちあった。 こんな時でさえ、その瞳には動揺の色すら見えない。 しかし、一瞬だけ、その口元に微笑が浮かんだように見えたのは錯覚だろうか。 ぞくりとした。 心の底まで冷えるような、そんな感覚を味わう。 鳴り響いている爆音すらも、遠いものに思えるような、そんな感覚だった。 目を逸らすように体を起こすと、暫し攻撃が止んだ。 ベッドから飛び降り、入り口へ向かう。 ちらりと伺うと、医者はそのままベッドに転がっている。 不気味な思いすら感じて、男は外の様子を確かめようと、吹き飛んだ入り口から顔だけを覗かせた。 辺りは火の手が上がり、壊れた家と、えぐれた大地が砲撃のすさまじさを伝えている。 しかし、比較的被害が少ない。 この場所が標的ではなかったようだ。 嫌な考えが脳裏を占め、降り仰いだその先に、灼熱の業火が見えた。 空を焦がすように、猛烈な炎が上がっている場所がある。 あの方角は―――!! 駐屯地を狙われた。 部下も同僚も、そして息子もあの場所にいる。 医者のことも忘れて、男はその場所へ走り出した。 ガラスの欠片が、少しばかりこびりついているだけの窓辺に立ち、医者は昇ってくる太陽を眺めていた。 朝日を合図とするかのように、砲撃は一斉に止み、辺りには静寂が満ちている。 昨夜の騒音が嘘であったかのような静謐は、この近辺に生命が存在していないことを、如実に物語っていた。 辛うじて割れずに済んだカップで、さして美味しくもないインスタントコーヒーを飲みつつ、これからどうしたものかとぼんやり考える。 ちらりと背後の光景を見渡してみると、頭が痛くなるような惨状が広がっていた。 「やれやれ、ただでさえ物資が不足しているというのに」 元々、医療器具も薬品も極端に足りなかったのだが、なけなしの物品が昨夜の攻撃ですっかり使いものにならなくなっている。 薬品の瓶はこなごなにに砕け、床に散らばった中身はゴミと同化していて、もうどうにもならない。 「まぁ、施設や物資が整っていたところで、結果は同じでしょうかねぇ……」 この爆撃では、狙われた軍の人間は元より、一般の住民でも生き残った者はごく僅かだろう。 仮に死なずに済んだ者がいたとして、無事では済まされない。 今日死ぬか、数日後に死ぬかの違いだけだ。 ひょっとすると、昨夜訪ねてきたあの男くらいは生き残っているかもしれない。 そんな思いが頭を掠めたが、それもすぐに興味の範囲から消えていく。 とりあえずは、周辺を見回ってみようかと、空になったカップを流し場に持っていこうとして、医者の耳が物音を聞いた。 こちらに近づいてくるのは、人間の足音のようだ。 この様子では、ちゃんと足が二本残っている上に、体を支える杖も必要としていない。 五体満足でいられるとは、あの異名は伊達ではないようだ。 重い荷物でも運んでいるのか、足取りはおぼつかないようだが、それでも限界まで急いでいるのが感じ取れる。 医者は、ゆっくりと扉の方を向いた。 「ドクター蔵人っ!!」 数時間前、横柄な態度で自分を押し倒していたあの男が、そこに立っていた。 背中に血塗れの物体を担いでいる。 男が必死の形相で絶叫した。 「この子を助けてくれっ!!」 マガジン41号の回想シーンへ続く(笑)。 なーんちゃって…。 白衣姿の赤屍さんを、一度襲ってみたかっただけでやんす〜。 主にはわからん、いかようにも言うが由〜。 …いやその、ちょっとしたお遊びだと思って、見なかったことにしてやってください。 自分でも、「おめ〜、そりゃ無茶な話だろ」とツッコミしたいくらいです。 こういう時だけ、筆が速いのう、自分。 個人的な好みにより、赤屍さんの性格、『善良・純真・理想燃え医者』じゃありません。 ってか、そんな赤屍さん、赤屍さんじゃないもん〜っ、どりゃあああああっ(錯乱中)。 なので、当時から『勤勉だけど、裏で何やってんだか怖いぞ医者』だったという方向で…。 そういえば、当時の蝉の口調もよく分からないんですよね。 流石に、軍曹時代は「〜やんす」って言葉使ったりしないだろうし(笑)。 |