街中は、見渡す限り人ばかりだった。 こう人が多いと、通りに面している派手な外装の店や、お硬い印象の高層ビルも、視界にさえ入らない。 十分に幅をとった広い通りではあるのだが、それでももう飽和状態になっている。 楽しそうに腕を組むカップル、黄色い声で喚きまくる女子高生、柄の悪そうな男のグループ、それら勢いのある若者たちに混じって、絶対的に数は少ないものの、会社員や老夫婦なども見受けられた。 距離はそれほどない歩行者天国に、老若男女、全ての年齢層が入り混じっている。 仮に人数を数えてみたら、たった一日だけで一体どれだけの数字が弾き出されるのだろう。 この超過密状態の光景が、毎日繰り返されているのだから、大都会とはつくづく異常な世界を内包しているものだ。 しかし、これだけ多くの人間が溢れているというのに、圧倒的な孤独を感じるのは何故なのか。 道行く人々の、誰一人として他人には目も向けない。 たまに視線を寄越す人もいたが、無関心を絵に描いたような瞳で、すぐに遠くへ去っていく。 独りぼっち、そんな寂しい思いが強烈に浮かんでくる場所だ。 大きな河のような人の流れの中、ふと泣き声とも思える小さな声が呟いた。 「蛮ちゃん……」 人込みに掻き消されそうになる、切ないその声に応えはない。 もう一度、少しだけ大きな声で銀次は同じ名前を呼んだ。 「蛮ちゃ〜ん……」 孤独と共に、背中に伸しかかる圧力が、嫌に増してきたような気がする。 背負ったものも、腕に抱えるものも、どれも大事なものばかりだというのに、全てを投げ捨てて楽になってしまいたいと、そんなことばかりが頭を掠めた。 もう耐えられない。 深い悲しみを言葉に乗せて、銀次は叫んだ。 「蛮ちゃん、もう嫌だよ〜っ!!」 「うるせーっ!! へばってる暇があったらビラ配れっ!!」 機嫌の悪い怒鳴り声と共に、鉄拳が降ってくる。 殴られた拍子に、銀次はばったりと地面に倒れ、腕の中の大量のビラが滑り落ちて、アスファルトの上に虚しく散らばった。 ビラが落ちたおかげで腕の重さはなくなったが、背中に負った看板が、下敷きになった体を圧迫する。 しかし、憐れな姿で突っ伏す銀次に、蛮が浴びせ掛ける言葉は容赦がない。 「仕事取れなきゃ餓死しちまうぞ。キビキビ働け!!」 「こんなビラで本当に仕事なんかくるの〜?」 涙目で見上げながら、不信な声を上げる銀次を無視して、蛮は道行く人に向かい声を張り上げる。 「え〜っ、ご通行中の皆様、奪還屋でございます。信頼と実績のゲットバッカーズ。貴方の大切なモノ何でも奪還いたします〜」 銀次の目から見ても胡散臭い。 売り文句もかなり怪しい上に、プラカードを掲げてビラを配りまくるなんて、最近ではあまり見ないセールス方法だ。 消費者金融や水商売だってティッシュくらい配るのだから、ただのビラなど受け取る人さえいない。 例え受け取ったとしても、すぐにゴミ箱行きだろう。 のろのろと起き上がり、しかし立ち上がる気力もなくて座り込む。 ちらりと周りを見回してみると、物珍しそうに見ている人もいることはいるが、大概は目を合わさないように足早に通りすぎていく。 これだけ多くの人間がいるというのに、どの人も当たり前のように避けていくということは、自分たちの周りに結界でも張られているのかもしれない。 孤独だ。 一人寝の夜よりも、とっても孤独だ。 蛮と二人でやっているからまだマシなのだが、それでも圧倒的な孤独感が迫ってくる。 一生懸命無駄な努力を続けている蛮の背中を見つつ、銀次は膝を抱えて小さくなった。 この調子では、どうせ仕事になんてありつけない。 裏社会と縁のない一般人に売り込んでみたところで、応える者などそうはいないだろう。 こんなところで時間と体力を浪費するより、ヘヴンに仕事を仲介してもらった方が絶対に良いはずである。 仲介の情報を待っているだけなら、少なくとも体力は減らない。 「おら、銀次!!」 「……うん」 叱咤する蛮に、言葉だけは応じてみせる。 だが、銀次は立ち上がりもせず、溜息をつきながら座り込んだままだった。 普段の銀次なら、蛮に対してこんなに否定的になることはない。 心の中ではこの営業方法に不満を感じていようとも、あわよくば仕事が見つかるかもしれないという希望を信じて、元気よく笑顔を売りまくる。 しかし、今の銀次には、そうできない大きな理由があった。 「お腹空いた……」 口に出すと、ますます辛い。 こうした商売をしているとよくあることだが、銀次はどうしようもなく空腹だった。 いつまで経っても生活に安定は訪れず、食事にも困るような事態がしばしばやってくる。 仕事が取れなければ空腹を満たすことはできず、仕事を得るためにこうした営業が必要で、しかし空腹のおかげで営業活動も億劫だ。 見事な悪循環だった。 蛮の背中を見上げると、空腹のせいで視界が揺らぐ。 銀次だけでなく、蛮もここ数日厳しい食生活を強いられているはずだが、どうしてあんなに動き回れるのだろう。 不思議に思って見つめていると、ふいに振り返った蛮の目が、思いきり焦点が合っていないことに気がついた。 蛮も限界だ。 意地を張り続けているのだろうが、やせ我慢もどこまで続くだろうか。 雑踏に目をやると、裕福そうな人々が冷たい顔で歩き去っていく。 必ずしも裕福そうな人ばかりではないが、食うに困っているような人間はどこにも見当たらない。 「はぁ……」 つい溜息ばかりついてしまう。 「不景気ですね」 「はい。世の中は景気良くても俺達は不景気もいいとこです。お金ないし、車はレッカー移動されちゃうし。営業しようと思えば、誰も立ち止まってなんかくれないし、誰も仕事なんかくれないし、俺達だけが不幸で貧乏で空腹で……え?」 銀次の顔が引きつる。 背後から前触れもなく聞こえた声には、嫌というほど聞き覚えがあった。 以前にも何度も味わったことのある、恐怖のシチュエーション。 思わず空腹も忘れた。 背中に感じる、真っ黒な圧力に全身が総毛立つ。 冷たい汗と涙が、滝のように流れ出した。 「それは気の毒なことですね」 「え……ええ。全く持って全然超絶ご愁傷様なんです」 銀次はゆっくりと立ち上がり、殊更ゆっくりと振り向いた。 予想通り、雑踏を背に黒衣の死神が立っている。 優美な線を描く長身に、それを際立たせるような黒いコート。 風に微かに靡く黒髪も、帽子に隠れがちの端正な顔も、口元に刻んだ薄い微笑までもが、まるで計算されているかのように死神の雰囲気を演出していた。 ごちゃごちゃと安っぽく着飾った人々の中にあって、俗世間の空気を欠片ほども宿していない姿は、異様なほど似つかわしくない。 それでいて、周囲から好機の視線を向けられないのが不思議だった。 どう考えても悪目立ちすると思うのだが、道行く人々はそこに何も見出していないかのように、到って普通の顔をして死神の存在を無視していく。 怪訝な顔をする銀次の目の前で、白い手が上がり、長い指先が帽子の鍔の角度を変えた。 霜天の如き瞳が現れて、銀次を映す。 至極優雅な仕草だが、赤屍という人物を知る者にとって、それがどれだけ恐怖を与える所作なのか、本人は分かってやっているのだろうか。 「こんにちは、銀次君v」 「奇遇です……赤屍さん」 震える声を自覚しながら、絞り出すように銀次は言った。 ただでさえ空腹で力が出ないのに、至上最悪とも言うべき恐怖の対象である赤屍を前にしては、全身からエネルギーが抜けていってしまうような錯覚さえ起こす。 どうせなら一気に失神してしまいたい。 赤屍は、恒例のこの反応を楽しんでいるのか、青い顔をして佇む哀れな銀次へ、ますます恐怖を煽るかのように穏やかな笑顔を向けた。 銀次はそのまま固まってしまい、次の言葉も出せないまま、無意識にずるずると後退し始める。 しかし、これだけ人通りの多い場所では、後退すると何かにぶつかるのが当然で、銀次の背中はすぐにつっかえてしまった。 ぶつけられた背中が、怒り半分といった具合で非難の声を上げる。 「何やってんだ、銀次……って、赤屍ぇっ!!」 怒りの声は、驚きの声へと速やかに変化した。 予想もしていなかった人物の姿に、蛮が手にしていたプラカードを取り落としそうになる。 「大変ですね」 赤屍はいつもの調子で、蛮にも紳士的に声を掛けてくる。 蛮は銀次のように赤屍を恐れはしないが、会って嬉しい相手でないのは当然で、渋い顔をしてさりげなく銀次の前に立った。 銀次の赤屍恐怖症は深刻で、いくら顔を合わせようと、一向に改善される気配がない。 赤屍との間に蛮が入ってくれたのに感謝して、銀次は後ろで小さくなった。 「仕事中かよ?」 「終わってきたところですよ」 「けっ、いいよな。お忙しいこって」 あからさまに毒づいて、蛮は胸元のポケットから煙草を取り出した。 不快感を隠しもせず、荒々しい手つきで煙草に火をつける。 「用がねぇなら行っちまえ。営業妨害だぜ」 「私がいようがいまいが、営業とやらは効果無しのようですが」 遠慮もなく事実をずばり言い当てる赤屍に、蛮が舌打ちする。 その瞬間、タイミングを計ったかのように、銀次と蛮の腹の虫が大きな叫び声を上げた。 天敵を前にしていようが、空腹感を紛らわすことはできないらしい。 赤屍が口元に手を当てて、低く笑う。 余裕を演出する暇もなく、思いきり格好のつかない姿を見られて、銀次は汗を流しつつ赤面し、蛮はスネークバイトをかましそうな勢いで拳を握りしめた。 「笑いたけりゃ、笑え。そんでさっさと消えろ!!」 「蛮ちゃん、赤屍さんに八当たりしても仕方ないじゃん……」 「こんなところで、貴方がたに餓死されては、私の楽しみが減ってしまいますね」 その台詞にますます機嫌を悪くする蛮と、それを宥める銀次の目の前で、赤屍は僅かに何かを思案するような表情をした。 何を思いついたのか、おもむろに赤屍の手が黒衣の胸元へ上がる。 内側に入り込んだ手が、何かを探り出し、戻された手には黒い皮の財布が握られていた。 どれだけ入っているのか知らないが、所持金986円の蛮と、535円の銀次からすれば、かなりの高額に値するに違いない。 現金だけでなく、カードも何枚か入っていそうだ。 裏社会で知らぬ者のない赤屍なら、一件の仕事をこなすにも積まれる額は桁違いのはずで、財産は相当なものだろう。 ここで赤屍から財布が出てくるということは、何か恵んでくれるのか、或いは何か奢ってくれるつもりなのか。 施しなら受ける気はないと、そういう言葉の準備をしていた二人の目の前で、赤屍の手が何の迷いもなく振られた。 大して力を篭めたとも思えないのに、赤屍の手から離れた財布はかなりの距離を飛んで、道端に落ちる。 首を傾げる二人の前で、赤屍はその財布を取りに行こうとしないばかりか、行方を目で追うこともしない。 極貧生活を余儀なくされているためか、銀次と蛮の目は不可解な行動をした赤屍より、財布の方へと自然に吸い寄せられてしまう。 沈黙が流れてほんの数秒後、銀次と蛮の視線の先で、誰とも知れない者の手があっという間にその財布を掬い取った。 この街は、裏新宿に比べれば十分平和だが、それでも治安が良いとは言えない。 少し脇道に逸れれば、徒党を組んで一般人から金目のものを掠め盗るような輩がたむろしている。 財布を落としでもすれば、ハイエナのような連中がすぐに寄ってくるような街なのだ。 赤屍の財布を手にした若い男は、素早い身のこなしで小さな路地へと入っていく。 「赤屍さん、財布がっ!!」 「何考えてんだ、てめぇ……」 自分の財布にも、盗んだ連中にも興味がないと言いたげに、赤屍はそちらを見ようともしない。 理解できずに赤屍を凝視する二人に、少しも焦っていない白い貌が、穏やかに笑いかけた。 「仕事を依頼します」 「は?」 「え?」 「あの財布を奪り還してください。依頼料は財布の中の現金、その半分ということで」 突然のことで事態を飲み込めずにいる二人に、赤屍は一方的に告げた。 「では、よろしく頼みますよ」 それだけを言うと、赤屍はあっさりと踵を返して、人込みの中へ消えていった。 一応、救いの手を差し伸べてくれたということだろうか。 営業活動をしていた場所から少し離れたビルに寄りかかって、銀次と蛮は今後のことについて話し合っていた。 「どうする、蛮ちゃん?」 銀次の問い掛けに、蛮が苛々した手つきで煙草を咥える。 「クソ屍の財布なんか奪還する気はねぇよ」 「だって、多分好意で……」 「それがムカつくんだっての!!」 鋭い一喝に、銀次は黙り込んだ。 蛮の言うことも理解できる。 方法はどうあれ、施しを受けるような形になるのは確かだし、赤屍の金銭的余裕を見せつけられたようで気に入らないのも確かだ。 だがそれでも、と思う。 赤屍は、直接お金を渡したところで二人が受け取らないと判断したから、あんな無茶な手段を選んでくれたのだろう。 もちろん、その真意が純粋な好意などではないことを銀次も分かっている。 赤屍の目的は、いずれ二人を屠ることだ。 その最終的な目的のために、銀次たちがつまらないことで健康を害したり、万が一にも死んでしまったりしては興醒めなのだろう。 思いきり身勝手な理由から、赤屍は二人に仕事の機会を与えてきた。 まだ依頼を受けるとも言っていないし、赤屍の勝手に付き合う義理もないのだから、ここで無視してしまっても構わないのかもしれない。 仮にこのまま放置してしまったとしても、赤屍は怒ったりはしないだろう。 だが、やはりそれでも――。 「蛮ちゃん、俺やっぱり探しに行く」 「……」 「本当に依頼を受けないつもりだったら、あの時にすっぱり断るべきだったんだ。言えなかったのは、受けるつもりがどっかにあったんだと思う」 「銀次……」 「本音を言えば、俺はラッキーだと思っちゃったし。だから……」 「分かったよ、俺も行く」 煙草を揉み消して、蛮が凭れていたビルの壁から背を離す。 「あっという間に奪り還して、クソ屍に突きつけてやろうぜ」 「うん!!」 蛮の言葉に、銀次は大きく肯いた。 その勢いのままに、銀次はすぐ傍らの路地へと向き直り、駆け出そうとする。 「ようし、絶対に見つけてやる。財布ゲットで今夜は焼肉だ!!」 目を輝かせる銀次に、蛮が冷ややかに突っ込んだ。 「……勢いがあるのは良いけどよ、盗んだ相手が誰か分かってんのか?」 「えーと……」 そういえば、どんな連中だっただろう。 財布と赤屍のことばかり気にして、肝心の盗った相手のことはよく見ていなかったことに、今更気がつく。 若い男だったような気がするが、服装や髪型や人相など、記憶の中を掘り返してみても、やはり何の手掛かりも思い浮かばない。 頭を掻きながら照れ笑いをすると、やれやれといった様子で蛮が銀次の額を小突いた。 「これだからテメェは……。抜け目のない俺様についてこいや」 「ってことは、蛮ちゃんは見てたんだ?」 感心して眺める銀次に、蛮はサングラスを押し上げるいつものポーズで、得意げに笑ってみせる。 これしきのことは当然だと言わんばかりの態度だった。 プロたる者、例え仕事中でなくとも、周囲を細かく観察する目は常に持っていなければならない。 もっと誉めろとアピールする蛮に、ぽつりと銀次が呟いた。 「やっぱり蛮ちゃん、始めっから仕事受ける気でいたんじゃん」 「なっ……違うって」 「だってそうじゃなきゃ、そこまでしっかり見てないでしょ〜?」 「うるせぇな、行くぞ!!」 銀次の追及から逃れるように、蛮はずかずかと大股で狭い小道に入っていった。 笑いながら銀次もその後を追う。 奪還屋としての、久し振りの仕事の始まりだった。 「……で、蛮ちゃん。これはどういうこと?」 大きな青いポリバケツから頭だけを出して、銀次は不満気な声を出した。 ご丁寧に、頭にはバケツの蓋が乗っている。 銀次が入ってもまだ余裕のあるポリバケツは、このまま体を沈めてしまえば、完全に同化できるだけの大きさがあった。 足元にはゴミ、バケツの周囲にもゴミ、辺りには異臭が漂い、衛生環境が最悪としか表現しようのない路地裏で、銀次は困惑を隠さずに隣へと視線を向ける。 「待ち伏せだ。こっちは体力もねぇしな」 すぐ傍らで、これまた銀次と同じようにポリバケツから顔を出した蛮が、自分の作戦に酔いしれるような表情で言った。 どれだけ格好をつけてみても、ゴミに紛れていたのでは笑える姿でしかない。 そんなことを考えつつも、それを口に出せば鉄拳制裁が待っているのは明白で、銀次は黙って蛮の説明を待った。 「まぁ、任せとけって。この辺はあいつらのシマなんだ」 自信たっぷりの蛮の台詞に、初めて銀次が目を輝かせた。 どうやら蛮は犯人が誰であるかも、その犯人の縄張りまでをも特定できているらしい。 伊達に日頃ぶらぶらしていない。 「すごいや、蛮ちゃん」 「そう、俺様はすげぇんだぜ。あれを見ろ、銀次」 「あ…あれはっ!!」 蛮の指差す方向を見て、銀次は我が目を疑った。 「俺らの財布じゃんか、蛮ちゃん」 赤屍の黒皮の財布と比べて何とも貧相な、明らかに厚みの足りない財布が道端に落ちている。 「あれがエサだ」 慌てふためく銀次に、蛮は冷静に語り始めた。 「いいか、盗った奴はこの辺をシマにしているグループの一員なんだ。グループっつってもせいぜい五人かそこらの小せぇ奴らだ。アジトに戻るために連中は絶対ここを通る。そうすると財布を見つける。拾おうとして足を止めたその時に、俺らがここから飛び出して、奴らを一網打尽だ」 「なるほど、蛮ちゃん頭いい」 「ふっ……俺様にとっては大したことないぜ」 蛮の作戦を、銀次は素直に誉め称え、二人は息を潜めて犯人が現れるのを待つことにした。 一時間。 二時間。 その場には誰も現れない。 「蛮ちゃん……」 「何だよ……」 「誰も来ないじゃん」 「も……もう少しだって」 「ねぇ、赤屍さんの財布って、多分キャッシュカードとかも入ってたんでしょ? ATMとかに張り込んだ方が良くない?」 「ばぁか、この近辺にどれだけATMがあると思ってんだよ」 とはいえ、確かに人海戦術で探した方が確実かもしれない。 銀次が一声掛ければ、かつての雷帝を慕う信者どもが幾らでも手を貸すだろう。 しかも無償で。 銀次の指摘に、流石の蛮も不安を募らせた時、路地の向こうから数人の足音と共に陽気な話し声が響いてきた。 ようやくターゲットがやってきたのかもしれない。 慌ててバケツの中に潜り込み気配を消す。 「久々の収穫だな」 「しかし、すっげーよな、金持ちぃ♪」 「こんなにあるなら、カワイソーな俺らに少し恵んでくれたっていいよなー」 口々にそんなことを話しているのが聞こえる。 どうやら間違いなさそうだ、話しの中に出てくる収穫という単語が、赤屍の財布のことなのだろう。 多少時間は掛かったが、蛮の狙い通り犯人どもがやってきた。 物音からして、相手は五人。 空腹を抱えているとはいえ、その程度の人数など、銀次と蛮にかかれば物の数ではない。 耳をそば立ててタイミングを見計らう。 蛮が仕掛けたエサに連中が気付いて、足を止めた瞬間が飛び出す時だ。 「あれぇ、財布が落ちてるぜ」 連中の一人が、これ見よがしに道の中央に置いてある財布に気がついたようだ。 銀次はバケツの中で足に力を込め、蛮もまた隣のバケツの中でにやりと笑う。 臨戦体勢に入った二人の耳に、嘲るような声が聞こえた。 「ほっとけよ、んな汚ねー財布」 「どうせ大して入ってねーよ」 「すっげー薄いじゃん」 「そんなの拾ったら、貧乏神がついてきそうだぜ」 「そうだな。はははははははは!!」 頭の悪そうな会話をしているくせに、的確な観察力と洞察力だった。 もちろん連中の歩く足は止まる様子もない。 バケツの中でぐったり脱力した銀次の隣で、数回カタカタと音を鳴らした蛮のバケツが、次の瞬間勢い良く内側から弾け飛んだ。 「スネークバイトォォォ!!」 プラスチックの破片とゴミが舞い散り、その煽りで銀次のポリバケツが横倒しになって転がった。 銀次の小さな悲鳴は、必殺の叫びに掻き消されて蛮の耳には届かない。 「なななな、何だぁっ?!」 いきなりの叫びと、ゴミを吹き飛ばしながらの小爆発に、五人全員がその場に固まる。 「てめぇら、俺様の財布を嘲笑いやがったなぁっ!!」 「蛮ちゃんっ!!」 蛮が横倒しにしたせいで、銀次はバケツから上手く出られずもたもたしている。 出るのを手伝ってくれと言いたいのだが、キレた蛮には何を言っても無駄か。 「無敵のゲットバッカーズをナメんじゃねぇぞ―――っ!!」 止める間もなく、蛮の怒りが炸裂した。 ほんの一分も経たない間に、蛮の財布を侮辱した連中は地面に倒れ伏した。 鬼のように怒り狂う蛮は手加減などせず、銀次もそれを止められなかったときて、盗人連中は散々な状態だ。 五体が繋がっているだけマシかもしれないが、気の毒なことに、顔は腫れ上がり、立つこともできない。 縛り上げる労力が減ってラッキーだと、慈悲の欠片もない台詞を吐く蛮の傍らで、銀次はあまりの惨状に同情したのか優しく問い掛けた。 「財布は誰が持ってるの?」 一番偉そうにしていた茶髪の男に聞いてみる。 「し……知らねーよ」 まだ反抗するだけの意識はあるらしい。 蛮の容赦のない攻撃を受けてそれだけ喋れるとは、誉めてやってもいいくらいだ。 他の四人がすっかり昏倒しているところを見ると、この茶髪の男がリーダーか。 「ねぇ、あの財布、とっても怖い人の財布なんだよ。大人しく返した方が良いって、絶対」 「呪いの一つも仕掛けてあるかもしんねーぞ」 「本人に見つかったら、メスで斬られちゃうよ」 「ま、コマ斬れ決定だろうな」 銀次たちの言葉に、茶髪の男は一度ひるんだ顔を見せたが、ただの脅しだと思ったのか、聞き入れようとしない。 「何わけの分かんねーこと言ってやがる!!」 「それだけ怖い人なんだって!!」 「……裏社会の大物だ。殺しの方面のな」 埒があかないやり取りに、蛮が分かりやすい一言を発した。 囁くように声を潜めて、迫力を出す。 「……!!」 ようやく事の重大さを理解したのか、男の腫れ上がって赤くなっていた顔が、一気に青ざめた。 実のところ、蛮の言ったことは、大方当たっているが完全ではない。 赤屍が裏社会の大物というのは確かだが、殺し屋ではなく運び屋だ。 だが、殺すのを目的として運び屋の商売をしているのだから、あながち間違っているわけでもないだろう。 茶髪の男は、蛮の台詞から財布の持ち主を、完璧に殺し屋だと判断したらしい。 一刻でも早く手放したいと言いたげに、隠し持っていた財布を取り出した。 「ももも……持っていけよっ」 「おっし、話が分かるじゃねーか」 ブランドものではないようだが、上質で高価そうな赤屍の財布を受け取り、蛮は中身を確認した。 かなりの札が詰まっている。 口元が緩みそうになるのを我慢して、毅然とした表情を無理に作り、高圧的に男を見下ろした。 「おい、お前ら。口座からどんだけ引き出した?」 どちらかと言えば、現金よりそちらの方が問題だ。 財布に入る札の枚数は限りがあるが、金融機関の口座はそうはいかない。 赤屍の依頼を受けてから奪還するまで、かなりの時間が過ぎている。 連中が口座から金を引き出すか、或いは口座の金を別の口座に振り替えるかしていれば、そっちの処理も必要だろう。 「出してねぇよ」 「嘘つけ。調べりゃすぐに分かっちまうぞ」 「本当だって。そりゃあ引き出そうとしたんだけどよ、残高見たらすんげー額で、びびっちまって……」 「……」 一体どれだけ入っているのだろう。 この連中がたじろぐくらいなら、それこそ見たこともない天文学的な数字に違いない。 あの最凶の運び屋、Drジャッカルへの依頼料は、相場から見てどれだけ高額なのだろうか。 「運び屋って儲かるんだね、蛮ちゃん……」 涙さえ流して、銀次がぽつりと呟いた。 「つくづく嫌味な野郎だぜ」 資産の額が、人間の価値まで決めてしまうのだと、そう言われているような気さえする。 銀次と蛮が、赤屍くらいの資産を持てるようになるのは、果てして何年後、いや何十年後だろうか。 一生かけても無理なような気がする。 金が全ての奪還屋ではないが、それなら赤屍だって金のことは二の次といった仕事ぶりだ。 我儘を押し通す赤屍は依頼料の相場を吊り上げているわけだが、銀次と蛮がそれをやったら、そもそも仕事が入ってこなくなるだろう。 しかし、そんな世間の理不尽さを嘆いてみたところで、何にもならない。 地道に仕事をこなして、地道に評価を上げるより他に道はないのだ。 それ以前に、今日を生き延びねば明日はない。 夢や希望を語るのはそれからだ。 今日の生きる糧、赤屍の財布を、嫌々ながらも大事に懐に収め、銀次と蛮はその場を後にした。 ターゲットが手に入ればもう用はない。 不吉な人間の、不吉な財布を早く返してしまいたくて、足早に大通りの方へと向かう。 てっきり警察に突き出されるかと思っていたらしい茶髪の男が、奇妙な顔でそれを見送った。 盗人連中の視界から、すっかり見えない所まで移動すると、銀次と蛮はそそくさと物陰に入り込んだ。 周りに誰もいないことを確認してから、二人で顔を突き合わせて深呼吸をする。 僅かに震える手で、今しがた奪り還した赤屍の財布を取り出した。 厚みのある財布を前に、二人同時にごくりと唾を飲み込む。 「い……いくらになるのかな、蛮ちゃん?」 「かなりだ……。クソ屍との約束は半額ってことだったよな?」 あまり見ることのない大金を前にして、二人の心臓が早鐘を打つ。 ゆっくりと、蛮が財布から札を取り出した。 「いーち、にー、さーん……」 金を数えるというのは、これほど楽しいものだったのか。 日頃、数えるまでもない額ばかり目にしている身には、何枚数えてもまだ残りがあるというこの状況が嬉しくてたまらない。 「じゅー、じゅーいち……」 「わっ、10万円越したよ」 はしゃぐ銀次に構わず、一枚たりとも間違わないよう目を皿のようにして、蛮は数え続けている。 「にじゅー、にじゅいち……」 「うわわっ、20万円越えてるよっ」 「合計、38万。小銭はなし。……ちっ、小銭を必要としねぇ生活かよ」 舌打ちしつつも、蛮の表情はにやけている。 この半分が、自分たちのものになるのだ。 赤屍の金というのが気に入らないが、そこは目をつぶってやってもいい。 たったこれしきの労力で、これほどの収益があるなど、笑うなという方が無理だ。 「ということは、俺たちの取り分って?」 「それぐらい計算しろよ。19万円だ」 「すごい、すごいよ、蛮ちゃん!!」 二人で子踊りしたところに、携帯電話の着信メロディが鳴った。 上機嫌で蛮が携帯に出る。 「はいこちら、奪られたら奪り還せの、奪還屋ゲットバッカーズ……♪」 『蛮か?』 蛮のお決まりの口上を遮るように、聞き慣れた声が応じた。 「何だよ、波児か」 途端に蛮の声のテンションは下がった。 二人が金を手にしたことを察知して、早くも借金の催促に電話してきたのだろうかと、無意識に身構える。 『お前ら、赤屍から仕事請け負ったんだって?』 何故知っているのだろう。 波児のシックスセンスを疑いながら横柄に応じる。 「悪いかよ」 『そうじゃなくてな。それ、店に持ってこいってよ。受け取りに人を向かわせるからってさ』 波児から電話をもらって三十分後、銀次と蛮の姿はホンキー・トンクにあった。 臨時収入が入るのは確定なので、景気よく店で一番高いコーヒーを前にしている。 滅多に味わえない高級な味に、銀次はよく味わうように少しずつ飲み、蛮は豪気になっているのか、あっという間に飲み干して、追加注文をしていた。 蛮の前に改めて置かれたコーヒーから芳香と共に、美味しそうな湯気が立ち上り、僅かにサングラスを曇らせる。 銀次はコーヒーより夏実たちとのお喋りの方が重要なようで、少し冷めかけていても気にしていないようだ 「ところで誰が来るんだよ?」 カウンターの向こうにいる波児に聞くと、ゆっくりと首が横に振られた。 「そこまでは聞いてないんでな」 波児の返答に蛮が小首を傾げる。 敢えて名前を告げなかったということは、受取人としてここにやって来るのは、会えばすぐに分かるような人物なのだろうか。 だとすれば、交友関係の極端に狭い赤屍のことを考えると、それは数人に絞られる。 赤屍自身は決して他人を疎んじているわけではないが、あの性格上、誰しも近付きたがらない。 職業上、顔見知りは多いのだろうが、親しい間柄の人間となるとほとんど皆無と言っていいだろう。 そんな中、一番可能性が高いのは、長い付き合いを誇るという運び屋業界のトラック野郎だった。 あの赤屍と長く付き合っていけるとは、奇跡的といってもいい。 しかし、豪胆なあの運び屋は、そんなことなど露ほどにも気にせず、ごく自然体で赤屍との付き合いを続けている。 多分ここにやって来るのは、その運び屋だろうと確信して、蛮がコーヒーに手をつけたところに、来客を告げる入口の鈴が鳴った。 「あ、馬車のオッチャン」 店に入って来た大柄な男に、銀次が人懐っこい笑顔を見せる。 敵対したこともあるというのに、蛮も銀次も馬車に対して悪い印象は持っていない。 貸し借りがあったということもあるが、基本的に他人から嫌われるようなタイプではないのだろう。 「やっぱりアンタか」 「話は聞いちょるか、奪還屋?」 蛮の前まで来て、単刀直入に聞いてくる。 今日は表向きの仕事は休業なのか、タクシーの運転手として常用しているスーツは着ていない。 動きやすそうなジャケットという服装は、裏の仕事用だろう。 赤屍の財布を受け取りにきたのも、運び屋の仕事として正式に請け負っているのかもしれない。 「ああ、赤屍の財布だろ」 椅子から立ち上がりもせず、蛮は馬車の目の前で、黒皮の財布を振ってみせた。 「とりあえず、そのまま渡すぜ。報酬はそっから半分ってことだったよな?」 一番重要な点、報酬のことについて確認してから、蛮は財布を差し出す。 馬車は蛮から黒皮の財布を受け取ると、中身の確認も簡単に、無造作に札を抜き取ってカウンターに置いた。 「毎度あり」 「焼肉だね、蛮ちゃんv」 短く挨拶する蛮の傍らで、銀次は喜びを隠し切れずに、今夜の晩飯を夢見ている。 馬車が軽く頷いて、蛮はありがたくお金を手に取った。 「ん〜?」 手にした札に、蛮が奇妙な声を出した。 半額といったわりには、明らかに枚数が多いような気がする。 「オッサン、半額だろ?」 「どうせあいつは財布の中身なんぞ覚えちょらん」 それはいかにも赤屍らしい。 ひょっとすると全額抜き取っておいても、何も言われないのではないだろうか。 そして馬車もそんな赤屍の性格を熟知しているようで、枚数もいちいち確認せずに適当に多めに掴んで、それをそのまま出して寄越したのだ。 「でもよ……」 「いいのかな、こんなにもらって」 「構わん、取っとけ」 迷いつつも、馬車にそう言われると、何となくそのまま受け取ってしまいそうになる。 これが他の誰かだったなら、反発する気持ちの一つも間違いなく湧いてくるのに、どうも馬車にこうぶっきらぼうに言われると、素直に聞き入れてしまう。 「赤屍のことは気にせんでいいけぇ、それで美味いモンでも食え」 優しい声音ではないが、何故か胸に染み入る。 こんなことをされると、金は赤屍のものだというのに、それを忘れて馬車にだけ感謝してしまいそうだ。 瞳に感動の色すら浮かべる蛮と銀次に、馬車はそれ以上無駄なことは何も言わずに去ろうとする。 出口に立った馬車の背に、蛮は心の中で頭を下げた。 その後から、銀次が慌てて声を掛ける。 「馬車のオッチャン、ひょっとして財布を渡し終わったら、そのまま仕事?」 「財布の持ち主を途中で拾って、それから仕事じゃ」 ということは、これから今夜にかけて、運び屋業界のトップクラスが二人揃って仕事か。 赤屍は午前中に仕事を終えてきたと言っていたが、また別の仕事に取り掛かるとは忙しいものである。 金が入ったからか、羨ましいという感情は、今はない。 「まだ時間ある?」 「ないことはないが」 「ちょ、ちょっと待っててくれる?」 服のポケットを探りながら、椅子から立ち上がった銀次が頼み込む。 「おい、銀次?」 何を思いついたのか、相棒のいきなりの行動に、蛮が怪訝な声を上げる。 それにも構わず、銀次は何かを探し出すと、勢いよく店を出て行った。 「すぐ戻るから、待っててね。馬車のオッチャン」 走り出していった後に、そんな台詞が残された。 すぐ戻るといっても、どれだけ待たせるつもりだろうか。 これから仕事を控えている馬車は、それほど暇ではないだろう。 止める間もなく飛び出していった銀次に、溜息をついて蛮は馬車に言った。 「コーヒーくらい奢るぜ?」 「……無理しよって」 低い呟きと共に、馬車の精悍な顔に僅かに微笑が浮かぶ。 それを見て、蛮は波児に一番高いコーヒーの注文を出した。 助手席に、黒猫を思わせる優美な人影が乗り込んだ。 トラックのエンジンをかけてから、馬車は運んできた物を隣へと放る。 「ほれ」 かなり厚みを失った財布が、短く宙を飛んで、白い手がそれを受け止める。 予想通り、持ち主は中身の確認もせず、それを胸元からコートの裏ポケットに入れた。 現金の残額もそうだが、キャシュカードも入っているだろうに、その有無すら確かめない。 自分の興味のあること以外には、全く持って無頓着もいいところだ。 確かに、持っている金を全て無くしたところで、痛くも痒くもないのだろうが、それにしても普通ならここまで無関心でいられるものではない。 「おまけじゃ」 「何です?」 預かってきた物を、赤屍の目の前に掲げてやる。 掌に収まってしまいそうな小さい紙袋は、ラッピングともいえない、どこにでもあるような質素なものだ。 そこらへんの雑貨屋が使っていそうな、何の変哲もないものである。 「雷小僧からぜよ」 「いりません」 素っ気無く答える赤屍に、馬車は溜息をついた。 受け取る気など全くないようで、赤屍はそれを見ようともしない。 心のこもった贈り物というほどのものではなかろうが、ここまで杜撰に扱われると不憫に思えてくる。 「運び屋として請け負うた物じゃ、お前が受け取らんと仕事が終わらん」 「銀次君に貴方を雇うだけのお金があるとは思えませんが」 奪還屋には失礼だが、鋭い指摘だ。 赤屍とまではいかずとも、業界トップクラスを誇る馬車に対する仕事料はかなり高い。 貧乏なあの二人組では、逆立ちしても出せない額だろう。 「報酬が金とは限らん」 喫茶店で飲んだコーヒーは美味かった。 報酬がどうのと突っ込みを入れるなら、あのコーヒーがそうだったということにしておいてもいい。 「仕方ありませんね……」 ようやく赤屍が受け取って、馬車はトラックを発車させた。 ハンドルを握る馬車の隣で、赤屍は何の興味もなさそうな顔をして、紙袋を開けている 。 ほどなくして、赤屍の指が小さなキーホルダーを摘み上げた。 神社や寺で売っている『御守り』の、更にミニチュア版である。 「これは何ですか?」 「雷小僧に聞け」 それがキーホルダーだということは、赤屍にも無論分かっているのだろうが、それを何故贈ってよこしたのかが分からないのだろう。 贈った相手は一応礼のつもりで寄越したのだろうが、赤屍がその気持ちを曲解せずに受け取れるかどうかは疑問だ。 キーホルダーを摘んだ指が、馬車の方に向けられる。 「生憎、邪魔な物は持ち歩かない主義なのですが」 案の定、雷小僧の気持ちは、この死神には届いていない。 これだけ小さな物に、邪魔も何もあったものではないと思うのだが、適当に理由をつけて馬車に押し付けようとしているのだろう。 無言で、馬車はフロントガラスの隅を指差した。 ひっそりと、成田山の御守りがぶらさがっているのに混ざって、赤屍が手にしたものと同じキーホルダーが揺れている。 奪還屋の片割れは、わざわざ二人分同じ物を買ってきたのだった。 同じ物は二ついらない。 「……分かりました。持ち歩きます」 馬車の無言の意思表示に、赤屍は諦めたのか、突きつけたキーホルダーを戻した。 先ほど返された財布を再び取り出して、何も入っていない小銭入れの中へとそれをしまい込む。 受け取るにしても、もっとぞんざいに扱うかと思っていたが、意外にも財布の中とは。 さして悪くないところに居場所が決まったものだ。 その中なら、そうそう無くしたりはしない。 「ところで……」 「何じゃ」 聞き直した馬車に、赤屍が穏やかに微笑してみせた。 「貴方とお揃いというわけですね。大事にするとしましょう」 「……」 大事にする理由がそれか。 本心で言っているやら、嫌がらせを含んでいるやら、静かな笑顔からは判別できない。 お揃いだなどと、言われて初めて気がついた事実に、馬車は少しだけ脱力した。 |