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服も体もかなりぼろぼろの状態で助手席に乗り込んだ男は、その散々な姿のわりにひどく満足げな顔をしていた。

荷台の方に乗っている仲間たちも、皆一様に明るい表情をしていたと思う。

昏睡状態の者も何人かいるようだが、慌てる様子もないことから、まずは安心といったところだろうか。

ハンドルを握り山道を引き返しながら、馬車は助手席の男に問い掛けた。

「奪還成功か、美堂?」

「ああ。俺らGBにかかれば不可能はないぜ」

自信満々に言っているが、そのわりには酷い有様だ。

服は派手に裂け、体のあちこちが汚れてまだ血もこびり付いている。

表情や声は元気そうだが、おそらく想像を絶するような修羅場を乗り越えてきたのだろう。

普通の人間なら、これだけ負傷すれば起き上がることもできない。

全く大した男だと、今更ながら感心する。

一方、相棒には怪我がなさそうだったが、そちらは見た目に問題がなくともかなり消耗しているのか、眠り込んで起きる気配もなかった。

「……っと、シート汚れちまうな。悪い、オッサン」

「気にするな」

青い瞳が改めて自分の体を見回し、次いでその顔はにやりと笑った。

「ちっとばかし、手こずっちまったんだよ」

年相応の笑顔を見せると、その瞳に邪悪な力を秘めているのが嘘のようだ。

異国の血を思わせる瞳は、澄みきった海のように、清々しい輝きを放つ。

こうして余裕の笑顔を見せるということは、経緯はさておき納得のいく結果が出せたということだろう。

敵は大きな組織の上に、かなりの曲者揃いだと踏んでいたが、それらを相手に成功へと辿り着けたのは見事なものだ。

わざわざこんな山奥まで車を出してやった甲斐がある。

「後ろの連中も無事か?」

「銀次は疲れて寝こけてるだけだし、他の連中も重傷な奴はいねぇしな」

「卑弥呼の格好に少々焦ったが」

「処女のお子様だから、あの格好で平気な顔してられんだよ。ま、どうせ乳も色気もねーんだからいいんじゃねぇの」

本人の耳に入ったら、問答無用で火炎香をけしかけられそうな台詞だ。

見たところ、各自とも大なり小なりダメージはあるようだが、大事に到らなかったのは結構なことだろう。

「良かったのう、一人も欠けんで」

「いや、一人……。俺はよく知らねぇ奴だったけどな」

答える声は重い。

その声音が、味方側に死者が出てしまったことを示していた。

よく知らない奴ということは、おそらく馬車にとっても知己ではない。

途中参戦した者でもいたのだろうか。

さして付き合いのない人物だったなら、号泣する程には到らないだろうが、後味の悪い思いは誰もが抱え込んでいることだろう。

そういえば一人、酷く落ち込んだ瞳を、サングラスで隠すようにしていた青年がいたような気がする。

もしかすると彼にとっては大事な人間だったのだろうか。

何にせよ、人の命が失われるというのは気持ちの良いものではない。

その件について、重い口はそれ以上語らず、馬車も深くは追及しなかった。

「そういやオッサン。黒いのと白いの見なかったか?」

「黒いのと白いの?」

『黒いの』というのが誰を指しているのか、それは何となく想像がつく。

しなやかな黒猫を思わせるような、いつも黒いコートに身を包んだ死神だ。

しかし、『白いの』というのは何だろう。

「クソ屍と、嫌味な白スーツで派手な豹柄のシャツ着た気障っぽいホストみてーな奴」

新宿ならともかくこんな山奥の、しかも命を掛けた戦いの場に、本当にそんな類の人間がいたのだろうか。

説明通りの外見をしているなら、相当目立つはずだが、見かけた記憶はない。

「いや、知らんな」

「どっちも途中でバックレやがった」

白スーツの男がどんな人間かは知らないが、赤屍なら確かにやりかねないだろう。

結果よりも過程を楽しむことを信条とする赤屍は、自分の気が済んでしまえばその場で仕事を打ち切ることもある。

馬車も、赤屍の気紛れが元で迷惑をこうむったことが何度かあるくらいだ。

奪還屋とその仲間たちがこうして結果を出しているのだから、今回については赤屍の気紛れも、大して問題にならなかったようだが、どこまでも困った奴である。

しかし、途中で姿を消したということは、この山奥からどうやって帰ってくるつもりなのだろうか。

馬車のトラックが出発してから、それほど時間は経っていないが、前方にちゃんと舗装された道などまだ見えてこない。

車のスピードでこの状態なのだ、歩いて帰るとすれば一体どれだけの時間が掛かるだろう。

しかも道に迷ったなら最悪だ。

幸運に恵まれて道路に出られたとしても、公共の交通機関どころか、車もそれほど走っていないような場所である。

実際、往路での道路状態を思い出してみれば、他の車と全く擦れ違ったりしなかった。

尤も、赤屍ならどんな状況であろうが苦にはしないのだろうが。

心の中で首を傾げていると、隣から漏れた小さな呟きが、馬車の思考を遮った。

「オッサン。悪いんだけどさ……」

その声には先程までのような張りがない。

ハンドルを握りつつ横目で窺うと、声の主はシートに深く凭れて、頭が力なく下を向いている。

その顔には、隠しようのない疲労の色が浮かんでいた。

「どうした、美堂?」

「ちょっとだけ、寝させてくんねーかな」

仕事が完了したことの高揚感が静まり、それと入れ替わるように、一気に疲れが出てきたのだろう。

これだけの惨状なのだ、余程凄絶な戦いを繰り広げてきたに違いない。

いかに強靭な体と精神を誇っていようが、今までまともに動いていたのが不思議なくらいの疲労を、溜め込んでいたはずである。

ただでさえ、静かな車内と適度な振動は眠気を誘う。

それに加えて、荷台の方にいる連中もほとんどが撃沈しているようだ。

車が走り出した時までは、何だかんだと話す声が聞こえていたが、今は物音すらしない。

意地っ張りが一人だけ我慢をして、馬車と会話をしていたわけだが、どうやらそれも限界のようだ。

「構わんぜよ。新宿に着いたら起こす」

「サンキュー……」

礼を述べる声が途中で消えていく。

恐るべき力を持つ邪眼の男は、まるで子供のように無防備な顔をして、あっという間に眠りの中へと落ちていった。





数時間後、馬車は一人帰路へとついていた。

同乗者は全員送り届け、今この車には馬車しかいない。

新宿では奪還屋の二人組と仲介屋、そして卑弥呼と別れ、とある豪邸では眠り続ける男女二人を降ろした。

後の連中は無限城の入口までだ。

彼らを降ろしてしまえば、後は用事もなく、馬車はそのまま家路についた。

さして疲れたわけではないが、どこかの店に寄って酒でも呑むには、どうにも気が乗らないように思う。

疲労感や達成感がないからこそ、そんな気にならないのかもしれなかった。

鬼里人との戦闘に直面した連中と違って、馬車は特に体力を消耗するようなことは何もしていない。

送迎と待機しているだけでいいとは、普段の『運び屋』の仕事に比べれば随分楽な話だ。

尤も、今回は運び屋としての正式な仕事というより、借りのあった奪還屋へのお返しという要素が強い。

ついでに、鬼里人にはマリンレッドの件で煮え湯を飲まされたという経緯がある。

その二点に基づいて引き受けたわけだが、深入りしない仕事内容のため、敢えて詳しい話も聞いていなかった。

かつて馬車を襲った蜂の大群、あれを操っていたのは鬼里人に属する者の一人だったようだが、奪還屋たちは果たしてどう決着をつけたのか。

僅かなりとも関連があることと、こうして手を貸しただけに、事の顛末には興味がある。

しかし、それはまず置いておくことにした。

帰りの際、説明をするべき相手が助手席ですっかり寝入っていたため、聞けなかったということもあるが、もう解決してしまっていることなら、何も慌てて聞き出すこともないだろう。

何かの折にでも、誰かから聞けばいいのだ。

特に卑弥呼や赤屍とは、また運び屋の仕事で顔を合わせることもあるだろう。

その時にでも、聞けばいい。

そこまで考えて、帰還の際に同行していなかった赤屍のことが思い出された。

眠りの海へと没する前に、美堂蛮が言っていたことが気に掛かる。

赤屍は途中で姿を消したのだと。

山奥だろうが砂漠だろうが、あの赤屍なら心配はいらないだろうと思い、今の今まで気にしていなかったが、やはりどうにも引っかかる。

「……どこで何しちゅう」

もやもやしたものを抱えているのは性に合わなくて、携帯電話を取り出した。

赤信号で車を停めた合間に、登録してある中から馴染みの名前を探し出して電話をかける。

相手が出る可能性はかなり低いと見ていたのだが、意外にも電源は切っていなかったらしい。

赤信号が青へと変わり、馬車がアクセルを踏み込んだ時、電話の向こうからゆったりと応答があった。

『……はい』

声の調子からすると、あまり機嫌の良い状態ではない。

つまらない仕事を終えた後の、消化不良を抱えたような声音だ。

こうした時の赤屍は何をするにも面倒臭がるのが常で、おそらく相手が馬車でなかったなら、携帯電話を手にすることさえしなかっただろう。

「どこにおる?」

単刀直入にそう聞くと、一瞬の沈黙の後、赤屍から返ってきたのは返答ではなく疑問の言葉だった。

『どうしたんですか?』

心なしか、機嫌の悪さが少しばかり薄らいだだろうか。

「まだ帰る途中じゃろう?」

『まさかとは思いますが、迎えにきていただけるとか?』

「早う答えんと、気が変わるぞ」

馬車のぶっきらぼうな物言いに、赤屍は暫し沈黙した。

耳を澄ませば、電話の向こうから木々のざわめきが聞こえてくる。

波の音にも聞こえるような響きは、一定の間隔で押し寄せる小波とは違い、気の赴くままに吹き付ける風によって乱れた音楽を奏でる。

その音が聞こえるということは、おそらくまだ森の中にいるのだろう。

闇に包まれた木々の間を歩む赤屍は、まるで秀麗な幽鬼のようにでも見えるだろうか。

『お言葉に甘えてお願いしましょうか。でしたら場所は……』







指示された場所へ近付くと、目標はすぐに見つかった。

夜だというのに、黒衣の人影は不思議と暗い背景に溶け込まず、奇妙なほどにはっきりと見える。

ガードレールに腰掛けて待っていたらしい赤屍は、馬車のトラックを認めると、礼のつもりか立ち上がって軽く帽子の鍔を傾けた。

吹き荒れる風に煽られて、黒いコートが優雅に翻る。

死の入口というものが目に見えたとしたら、こんな深く暗い闇が広がっているのだろうか。

白い貌に薄い微笑を刻んで佇む赤屍は、まさに誰もが畏れる死神だ。

それでいて、あまりに魅惑的なその姿は、誰の目も惹き付けて離さないだろう。

「ん……?」

帽子を飛ばされぬよう押さえている赤屍の腕が、やけに白く見えるように思う。

不審に思いつつ、行き交う車がないのをいいことに、馬車は赤屍のすぐ傍らに停車させた。

闇夜よりも尚暗い黒衣に、白い顔とシャツが映える。

そして、いつもは隠されたままの、左腕が露出していた。

「ご親切にありがとうございます」

勝手知ったるといった具合に、慣れた様子で助手席に乗り込む赤屍は、破れた服のことなど露ほども気にしていないようだ。

「珍しいのう。お前がそんな姿になるなんぞ」

「ああ……そうですね」

言われて初めて気がついたかのように、赤屍は自分の状態を見下ろした。

左腕と両肩、それから背中。

肌が露出するほどの大きな破れ目はそれくらいだが、細かいところまで見れば数え切れない。

しかし、見た目ほどには負傷していないのか、赤屍は普段と変わらぬ様子で助手席に納まった。

よく見れば、切り裂かれているのは服ばかりで、体の方には何ら傷はついていないようだ。

肌には血の痕跡も見えず、コートの布地が厚いためか、表面のみの損傷で済んでいるのがほとんどらしい。

だから涼しい顔をしていられるのだろう。

だが、この赤屍を相手に、切り込むことのできる者がいたとは驚きだ。

赤屍が座席に凭れるのを待って、車を出す。

「手強い相手だったか?」

「そう思いますか?」

弱い相手であれば、赤屍に触れることすらできないだろう。

肉体に傷を与えるどころか、服を裂くことも、或いは赤屍の影を踏むことさえ不可能に違いない。

大概の者は、赤屍の姿を目で追いきれず、気がついた時には己の作り出した血の海に沈んでいるのだ。

「途中までは楽しめましたよ」

言い換えれば、途中からは楽しめなかったということか。

携帯電話での会話から伝わってきた不機嫌さは、そのせいだったのだろう。

「楽しめると思っていたのに、期待外れどころか失望感さえ覚えました。この落胆は大きいですね」

酷い言い様だが、赤屍が一度でも期待を持ったなら、相当な強者だったのだろう。

いかに恐ろしいといわれる人物でも、赤屍の基準からすれば大したことがなかったわけだ。

奪還屋やその仲間たちが、あれだけ怪我まみれだったのに対して、随分な違いである。

たまたま赤屍ばかりが雑魚を相手にする羽目になったのか、それとも奪還屋たちが苦戦するようなレベルでは、赤屍にとっては物の数ではないのか。

詳しい過程を聞いていないため何ともいえないが、敵の実力に不満を漏らす赤屍を見ていると、鬼里人というものが取るに足らないものであるかのように思えてきてしまう。

無論、そんなはずはない。

最凶最悪の死神とまで称される赤屍だからこそ、あんなことを言っていられるのだ。

「敵にまで注文の多い奴ぜよ」

「強い敵を求めているだけですよ。注文といえばそれだけなのですが」

そのハードルが高すぎるのが最大の問題なのだろうが、それを低くしろというのも無理な話だ。

馬車には理解できないが、物事にあまり執着しない赤屍が、唯一激しく求めているのはそれなのである。

ちらりと赤屍の方を窺うと、意味深な色を浮かべた瞳は前方を見据え、何かに思いを馳せているように見えた。

今回の戦いを振り返っているのか、或いはまだ見ぬ敵の姿を夢見ているのだろうか。

黒瞳の奥に垣間見える狂気に、馬車は口を噤んだ。

こんな時、長い付き合いであるはずの赤屍との間に、大きな隔たりがあることを意識する。

馬車が踏み込んでいけない領域に、赤屍は躊躇うことなく目を向けているのだろう。

少しだけ長い沈黙が車内を満たして、それを破ったのは赤屍の方だった。

「そういえば……その後、体調はいかがですか」

「体調?」

「スズメバチに刺されたでしょう?」

「あのことか……。見ての通りじゃ」

処置が良かったせいか、後遺症と思われるものは何も感じられない。

こうしていつも通りに運転していると、蜂に襲われた時の苦痛が嘘のようだ。

「貴方を襲ったスズメバチ……操っていた相手は確か、『毒蜂』といいましたか。会えなかったのがこれまた残念でしてね」

「仇討ちでもしてくれるつもりやったか」

冗談めかしてそう言うと、返ってきた声はかなり本気だった。

「ええ。少々腹が立ちましたから」

その台詞に、危うくハンドルを切りそうになった。

穏やかな声は、絶対零度の冷たさである。

仕事中でもないのに、前触れもなく殺気を出すのは止めて欲しいものだ。

それにしても、この言葉は都合良く解釈していいものか。

「……」

「何を考えています?」

切れ長の目がこちらを凝視する。

あの底知れぬ淵のような瞳で睨まれると、全ての考えを読み取られてしまいそうだ。

「何でもありゃあせん」

「そうですか。何の反応もなしとは残念ですね」

どういう言葉を期待していたのか。

無骨な馬車に、気の利いた返事など求められても困るというものだ。

「素面で絡むな」

はぐらかすようにそう言うと、赤屍の瞳が僅かに細められた。

「絡むなら酒を呑んでからにせぇ」

「それは、お誘いと受け取ってもよろしいですか?」

いつもと違う視線を感じた次の刹那には、助手席から乗り出した赤屍が、羽のような軽やかな動きで腕を伸ばしてくる。

右手が肩に乗せられ、指先が挑発するように馬車の首筋をくすぐった。

「酒じゃのうて……そっちが欲しいんか?」

溜息混じりに呟くと、楽しげな笑い声が漏れる。

仕事で満足が得られなかった代わりに、別の行為で気晴らしをしたいのかもしれない。

艶かしい右手は、肩から腕へと滑り落ちて、ハンドルを握ったままの馬車の左手に重ねられた。

「しょうのない奴じゃのう」

「嫌なら、無理にとは言いませんが」

「……寄っていけ」

「お邪魔させていただきます」







トラックを置いて家に戻る頃には、もうとっくに日付が変わっていた。

メンテナンスのことや、今後の仕事のスケジュールを頭の中で確認しつつ、家に入る。

赤屍も、馬車の背後にまるで影のように従い、中へと入ってきた。

扉の前で一度振り返り、鋭い視線で周囲を見渡したのは、仕事を終えたばかりで一応警戒したためだろう。

赤屍が確認して異常がないようなら、この周辺の安全はまず間違いがない。

こういう時、赤屍の存在は非常に便利だ。

下手なセキュリティシステムよりも、ずっと頼りになる。

戸締りを赤屍に任せて、馬車は先に居間に入り、あちこちの電気をつけながら、遅れてやってきた赤屍にテーブルの周囲を指差した。

「適当に座っとれ」

「お構いなく」

馬車に言われるまでもなく、赤屍は帽子をテーブルの上に置いて、手袋も外している。

軽くネクタイを緩める姿に、思わず視線が吸い付いた。

馬車が少し力を込めて絞めれば、簡単に折れてしまいそうな首だ。

「……何か飲むか?」

「そうですね」

細くて白い首筋から視線を外して、赤屍の曖昧な返事を聞きながら、台所へ行く。

男所帯なだけに、基本的にあまり物がないのだが、食べ物はともかく飲み物は豊富だ。

といっても、ほとんどがアルコールだが、そこそこ値の張るものばかりを揃えてある。

「何がいいんじゃ」

それに対する答えはなく、その代わりとでもいうかのように、冷蔵庫を開けようとした馬車の手を白い手が阻んだ。

蛍光灯に照らされた手は、絶妙な線を描く腕へと繋がり、肩口のあたりで無残に裂けた黒い布地の中へと消えていく。

男の腕だというのに、嫌に艶かしい。

裂けた服から素肌が覗いているというのが、余計に色香を放っている。

露出した左腕といい、両肩に開いた裂け目といい、まるで乱暴されたかのような姿が扇情的だ。

その肌にむしゃぶりつきたい衝動を抑えて、赤屍の手を払い除ける。

「酒が出せん」

「酒がなくとも酔えますよ。欲しいのは酒ではありません」

一度は離れた腕が、しなやかに上がって今度は馬車の首に絡み付いてくる。

含みのある赤屍の台詞に、僅かに心拍数が上がったような気がした。

酒の力を借りずとも、極上の美酒を煽るが如くに、酔いしれる瞬間があることを知っている。

目の前にあるこの体は、まさにそんな一瞬をもたらしてくれる最高の存在だった。

同じ性別だということが信じられないくらいの、しなやかな肉体の造作だけが、その理由ではない。

いとも簡単に体を開いてみせるくせに、誰にも支配されないところが、奇妙に歪んだ執着を引き摺り出させる。

拒絶する理由もなく、馬車は赤屍の腰に手を回して引き寄せた。

引き締まった腰と、そこから続くなだらかな膨らみは、女とはやはり違うものの、触れてみたいという欲求を激しく抱かせる。

手を少しだけ下方へ滑らせて、柔らかい肉に指を食い込ませると、赤屍が微かに体を強張らせ、次いで吐き出した息が馬車の肌を掠めた。

誘いかけるように緩く開かれた唇と、挑発的な瞳が馬車の欲を煽る。

微笑を刻んだ唇へ、噛み付くように口付けた。

体を密着させ、深く唇を合わせて赤屍の舌を捕らえる。

淫らな舌は、馬車が促すままにいやらしく蠢き、絡みついてきた。

次第に赤屍の体から力が抜けてくるのが分かる。

いっそこの場で抱いてしまいたいくらいだが、狭い上に色々と物があって、やはり邪魔だ。

馬車の胸にしなだれかかる体を更に引き寄せ、腰に回した腕に力をこめると、軽く持ち上げた。

頭一つ上になった赤屍の目がゆっくりと細められ、落とされないよう両腕を馬車の首に回してしがみついてくる。

寝室に連れて行くのも面倒で、台所の隣にある居間の絨毯の上に、赤屍の体を転がした。

抗いもせず仰向けに倒れた赤屍に圧し掛かる。

緩んだネクタイを解き、ボタンを外して前を肌蹴させ、滑らかで青白い肢体を露にしていく。

服を剥ぎ取ろうとする荒々しい手の合間を縫って、赤屍の手は馬車に伸び、ジャケットを取り去ろうと試みていた。

力任せに服を奪っていく馬車と違って、赤屍は筋肉の盛り上がりを楽しむように肌を撫で、ゆっくりと脱がしていく。

馬車が頑健な上半身を晒す頃には、赤屍は既に全裸となり、惜しげもなく足を開いていた。

コートとシャツを体の下に敷き、その上でこんな無防備な姿をされたのでは、その気のない者ですら欲情を煽られるに違いない。

売春婦のように艶やかな微笑を浮かべて、赤屍の指が馬車の胸をくすぐる。

「まっこと、小憎らしい奴ぜよ」

耳元にそう囁いてやると、微かに笑い声を漏らして思わせ振りな視線を流す。

いやらしい姿だと思うのに、それでいて品のなさを感じさせないのは、赤屍の持つ独特の冴えた空気のせいだろうか。

「快楽が欲しいだけですよ……」

その言葉を塞ぐように口付けた。

何度も角度を変えて唇を合わせ、激しく舌を絡めると、赤屍の冷たい肌が少しずつ熱を帯びてくる。

出来の良い人形のような印象を持つ赤屍が、生々しい欲に彩られていく様は、たまらないほど色っぽい。

吐息が軽く乱れるほどに深く貪り合うと、馬車はそこから離れ、ほっそりとした首筋へと舌を這わせた。

陶製にも似た肌の感触を楽しみ、両手を胸元に滑らせる。

あれだけの戦闘力を誇るのが、信じられないような薄い胸を撫で上げ、突起を指で摘み上げた。

赤屍の体が僅かに揺れて、唇が甘い吐息を送り出す。

それでいながら、表情はまだ快楽に酔いしれるというには遠い。

そういえば、前戯を嫌う傾向があるのだと思い出した。

蕩けるような愛撫よりも、狂いそうなくらいの激しい刺激を好むらしい。

手っ取り早くて結構なことだが、少々物足りなくもある。

作り物の如くに均整のとれた赤屍の肢体と、かけひきのような軽い刺激のやり取りをするのも悪くない。

もっとじっくりと、赤屍の体を隅々まで味わってみたいようにも思う。

しかし、途中で赤屍の気持ちが萎えてしまっては元も子もない。

リスクを抱える気にもなれず、上半身への愛撫もそこそこに、直接的な刺激を与えてやる。

太腿を撫で上げ、それを握り込んだ。

「ん……っ」

指を絡めて触れ続けると、それは次第に熱くなっていく。

それに比例して、赤屍の呼吸も乱れ始めた。

指先で一際敏感な先端のみを嬲ってやると、腰を揺らして身悶える。

逃げる腰を押さえて尚も弄び続けると、そこから体液が溢れ始めて馬車の指を濡らした。

滑りを利用してより細やかに指を蠢かし、勃ち上がりかけたものを、漏れた液に塗れさせていく。

「一度出せ」

先端だけを刺激するのを止めて、それを握ると扱き上げた。

綺麗に仰け反る体をやんわりと宥めて、性急に高めてやる。

「あっ……あ、はっ……」

切なげな声を漏らす唇が、あまりに悩ましくて乱暴に口付けた。

赤屍が馬車にしがみ付く。

舌が溶け合うのではないかと思われるほどに深く口付け合い、互いを貪った。

その間にも、馬車の手は赤屍を激しく扱き上げ、絶頂へと追い立てる。

拠り所を求めているのか、赤屍の手は馬車の逞しい背中を這い回り、そのいやらしい感触がますます興奮を誘った。

手順も無視して、無理やり肉体をこじ開けてしまいたくなるのを抑え、はちきれそうな赤屍のものを刺激する。

馬車の手の動きに合わせて赤屍の腰は揺れ、更なる愛撫をねだるように自ら押し付けてきた。

「まっこと、お前は好きモンぜよ」

「……っふ、ああっ!!」

赤屍の全身が強張る。

次の瞬間、唇からは悦楽の叫びが上がり、馬車の手に熱を吐き出した。

「……っ、ん」

弛緩した体が沈む。

上下する胸に軽い口付けを落としながら、馬車は赤屍の奥深いところを探った。

今しがた赤屍が出したもので濡れた指を滑らせると、腰が浮いて馬車を促す。

「慣らすのはほどほどに……」

「お前が辛くなる」

「焦らされる方が辛いですよ」

そう言われると、逆に焦らすだけ焦らして、悶え狂う様を見てみたくなる。

行き場のない微熱に浮かされながら、もどかしげに体を捩り愛撫を求める姿は、震えがくるほど官能的だろう。

そんな想像を掻き立てられつつ、入口に指をあてがい潜り込ませる。

肉の扉は一瞬きつく窄まり、それを掻き分けるように指先を含ませると、迎え入れるように緩んだ。

赤屍が吐き出した体液を、そこに塗りつけ馴染ませていく。

それほど慣らさなくてもいい、と赤屍が言った通り、そこはさして手間を掛けずとも馬車の指を楽に咥え込んだ。

馬車以外の誰かともこうして体を繋いでいるのか、行為にひどく慣れた様子で、赤屍は体内を刺激する指を受け入れている。

知り尽くした快感の場所を、軽く抉った。

「あ……うっ!!」

途端に跳ねる体に構わず、そこを執拗に刺激する。

「あっ……ああ……っ、ん……っ」

赤屍の顔が肉欲に染まる。

うっすらと色づいた肌は何とも言えぬ艶を出し、漏れ出る声は甘い誘惑に満ちて、馬車を煽り立てた。

指に絡む肉壁は淫らに締め付け、再び勃ち上がったものは先端をじっとりと潤ませている。

早く押し入ってしまいたいと、そんな衝動が駆け上がった。

吸い付くような肉を、自分の体で味わいたい。

焦らして楽しむより何より、早くその体を自分のものにしてしまいたくなる。

指を引き抜くと、赤屍の足を捕らえて肩に担ぎ上げた。

阻むものもなく晒されたそこに、己のものを押し当てる。

察した赤屍が体の緊張を解き、それを見計らって突き入れた。

「――――っ!!」

喉を引きつらせて、赤屍が挿入の衝撃に耐える。

苦悶の表情を眺めつつ、もう止められぬ所まできていた馬車は、一気に奥まで貫いた。

根元まで埋めて一息つき、赤屍の呼吸が整わぬまま一方的に動き始める。

「……はっ、あぅ……もっと、ゆっく……り」

「やかましい……っ」

早く欲しいと言ったのは赤屍だ。

切なげな訴えを無視して、赤屍の内部を掻き回す。

動きを緩めて欲しいと言うわりには、肉壁は悦んで馬車を包み込み、離そうとしない。

絡みついてくる内部からゆっくりと引き、突き破るような勢いで貫く。

それを繰り返す内に、赤屍からは啜り泣くような喘ぎ声が漏れ、薄く開かれた瞳は悦楽の色で支配されていった。

馬車の思うままに蹂躙されていながら、愉悦の表情を浮かべる。

繋がった部分から淫靡な音が漏れ、互いの息遣いがそれに重なった。

過敏なところを狙い済まして突き上げると、赤屍が息を詰まらせて全身を震わせる。

声もなく赤屍が達し、急激に収縮する肉壁に促されて、馬車もまた精を吐き出した。







何度果ててまた昇り詰めたのか、情交の余韻に浸る体を見下ろして、馬車は腕の中から赤屍を解放した。

赤屍はうつ伏せのまま、ぐったりと身を投げ出している。

足の間を伝う白濁の液が、何とも卑猥だ。

赤屍自身が出したものと、馬車のものと、どこがどちらのものかも分からない。

体の下に敷いていたコートはもうぐちゃぐちゃになっていた。

「満足したか?」

「ええ……」

「次は仕事で満足できるといいのう」

何気ない言葉に、赤屍の返答は暫し遅れた。

「……今、仕事の話を持ち出すとは無粋ですね」

答える赤屍の声は、どこか虚ろだろうか。

嫌なことを思い出させてしまっただろうかと思いつつも、特に気にするでもなく、馬車は立ち上がろうとした。

タオルと、ついでに何か飲み物でも持ってきてやった方がいいだろう。

しかし、その刹那、赤屍が馬車の手を捕らえた。

「下らない質問をしてもよろしいですか?」

馬車からは赤屍の背しか見えない。

「何ぜよ?」

「とても大切なものがあって、それを失ってしまったとします。もう二度と戻らないはずなのに、一つだけ方法があると言われたら、どんな犠牲を払ってでも貴方はそれを追い求めますか?」

「……」

不思議なことを聞くものだ、と思う。

長い付き合いのせいか、たまに赤屍はこんな真意の分からない言葉を紡ぐ。

他人の意見を聞いたとしても、それを素直に聞き入れるような奴ではない。

何かを悩んで問い掛けてきているのではなく、おそらくは純粋な興味だ。

今回の仕事で、そうした疑問を持つに到る何かがあったのだろう。

ひょっとしたら、仕事の途中で行方を晦ました上に、不機嫌だった理由はそれか。

大切なもの――。

とりあえず考えようとしてみたが、困ったことに、まずそれが思いつかない。

想像のみで用を足すにも、基本となる部分が空白なままではどうにもならなかった。

赤屍のことを淡白だと思っていたが、こうして大切なものに該当するものが何も思いつかないなどと、自分も随分冷淡な人生を送っているのだと気付かされる。

「大切なものがない人間には、一生分からんぜよ」

「人を冷血漢のように言いますね」

何も赤屍のことだけを指して言ったわけではないのだが、いちいち説明するのも面倒だ。

それに赤屍が冷血漢だというのは、あながち間違いではないだろう。

人として当然あるべき感情が抜け落ちているからこそ、こんな生き方ができている。

何かを失って嘆く赤屍など、想像もつかない。

例えば、馬車が死んだとしても、赤屍はそれを情報の一つとして処理するだけだ。

「仮にわしが死んだとして、お前はせいぜい『足がなくなって困る』くらいにしか思わんだろうが」

「貴方はどうです、私が死んだなら……?」

ますますもって返答に困ることを聞いてくる。

死神と称されて、他者に死を与える反面、赤屍自身は死と縁遠い。

そんな赤屍が死ぬなどと、どう想像してみれば良いのか。

『死』ということを、『完全な別離』ということに置き換えて想像してみる。

根底が違うのだが、無理にそう解釈することで、少しだけ形が見えるだろうか。



泣くほど悲しいかと問われれば、そうではないと断言できる。

だが、何も感じないかといえば、やはりそうではない。

「そうじゃの……。一生忘れられんちゅうのは確かかのう」

「そうですか」

やにわに赤屍が身を起こした。

汚れた体もそのままに、服を身につけ始める。

濡れたままの肌も、服も、気持ちが悪いだろうに、気にしている素振りもない。

「帰ります」

「帰るのは構わんが、何ぞ気に障ることでも言うたか?」

気紛れなのはいつものことだ、馬車も別段止めようとはしない。

躊躇いもなく出て行こうとする赤屍が、一度だけ振り返った。

「一つだけ言っておきます。貴方は自分の存在を過小評価しすぎです」

それは、馬車が思うほどには、赤屍にとって軽い存在ではないと、そう考えて良いのだろうか。

どう問い質したものか言葉を選んでいると、そんな馬車を見て赤屍が微笑した。

「お好きなように解釈してください」

「おい……っ」



呼び止める間もなく、赤屍は身を翻すと出て行った。

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