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鬱蒼と生い茂った木々の間を穏やかな風が吹き抜け、葉や枝が複雑に擦れ合って乾いた音を響かせる。

大地を覆い尽くした木々は、森というよりも深緑の海のようだ。

この国土は、豊かな自然に恵まれていながらも、一方では乱開発を重ねてきたが、今でもまだこんなふうに人の手が及ばぬ場所もある。

その圧倒的な存在感の前には、人も獣も虫でさえも、同等の価値と化してしまうだろう。

自然の持つ大いなるエネルギーを見せつけるような、そんな光景だった。





視界を埋めた深い緑に、霧人は僅かに目を細めた。

緑という色は、人間の目に最も優しい色なのだと聞いたことがあるが、あまりに鮮やかな木々の色合いは、目に痛いとさえ感じられる。

晴れ渡った空から惜しみなく陽光が降り注ぎ、そのせいか濃い緑の色が余計に辛く思えるのだ。

「……息苦しいくらいだな」

古めかしい楼閣と、同じ形をした隣の楼閣とを繋ぐ渡り廊下の、ちょうど中心に立って霧人は呟いた。

人間二人が並んで歩ける程度の幅の狭い廊下は、屋根とそれを支える柱がある他は何もない簡素なものだ。

一応渡り廊下の形式に沿っているだけで、外にいるのと変わらない。

周りの景色を遮るものもなく、時折強い風が木の葉を舞い上げながら横切っていく。

廊下の南側は完璧に整備された庭があるものの、それに背を向けて逆の方向を見渡せば、そこは緑に覆われた森ばかりだ。

見通すことのできない木々の連なりは、まるで複雑な迷宮に誘い込もうとでもするかのような、そんな錯覚さえ与える。

そう感じてしまうのは、霧人がまだ自然の醸し出す空気に馴染んでいないからだろう。

チャイナストリートから、『地獄谷』へ。

環境の変化に対応するには、まだ時間が足りない。

レディ・ポイズンの毒香水とやらで強制的に眠らされて、気が付けば鬼里人の本拠地である地獄谷にいた。

どうやら眠っている間に、鬼蜘蛛の手によってここまで運ばれてきたらしい。

見知らぬ部屋と、窓から覗く深い森の光景は、鬼蜘蛛の言葉を聞くまでもなく、ここが故郷であることを霧人に教えていた。

奪還屋の片割れとレディ・ポイズン、その二人に敗北を喫したことは記憶にある。

鬼蜘蛛までもが敗れ、追い詰められて焦った霧人が、レディ・ポイズンを人質にとったところまでは鮮明だ。

その後のことはもう闇の中である。

目覚めてすぐ、あらかたの説明は受けたのだが、まだ頭の中では整理できていない。

自分の身に起こったこともそうだが、鬼蜘蛛は更に衝撃的な事実を口にした。

チャイナストリートの崩壊――。

その情報だけは、俄かには信じ難かった。

蜘蛛一族の繁栄を象徴する『羅網楼』も、凄烈な落雷と共に炎上、今は跡形もなくなっているという。

嘘だ、と否定の言葉を叫ぼうとする霧人を止めたのは、淡々と語る鬼蜘蛛の口調に違えようのない苦渋の色が浮かんでいたことだった。

背後に控えていた影蜘蛛と飛蜘蛛の鎮痛な表情も、聞かされたことが紛れもない事実であることを、何よりも雄弁に物語っていたのである。

鬼蜘蛛は、嘘や隠し事はしないものの多くを語らず、母である女郎蜘蛛は長の兜に呼び出されたまま会うこともできない。

そして、霧人も今は行動を制限されている。

だからこうして、こんな場所で暇を持て余しているのだった。

鬼蜘蛛が忙しく動いているようだが、現状がどうなっているのかよく分からない。

時折、『蟲宮城』の方から慌しい喧騒が聞こえてはくるものの、何が起こっているのか知る術もなかった。

ただ、深刻な事態になっているのであろうことは容易に想像がつく。

策士という立場にある母も、もうあの場に立って働いているのかもしれない。

状況が分からない不安と、取り残されているという寂寥感が、霧人に重く圧し掛かっていた。

柱の一つに寄り掛かり、一面の緑へと視線を彷徨わせる。

高い建物のただ中にある渡り廊下は、風の通り道だ。

中国服の裾が悪戯に翻り、その都度、軽い音を響かせる。

「……息苦しいな」

先程と、同じ言葉を霧人は口にした。

都会とは比較にならないほど空気が清浄なのだ、息苦しいなどというはずはない。

本来なら、こんな場所では感覚が自然に解き放たれ、開放感をもたらすはずなのである。

だが今、霧人にはそんなものなど微塵も感じられない。

木々に囲まれているという視覚的な閉塞感と、心を占める憔悴感とが影響しているのだろう。

加えて、人間の溢れるチャイナストリートから、いきなりこんな緑の乱舞する世界へと移動してきたのだから、その大きな変化に戸惑って当然だ。

しかも、霧人の時間的感覚からすれば、その変化はほんの瞬きするほどの間に起こったことになる。

このギャップに頭も体もついていかない。

「鬱陶しい……」

「そう……お感じになられますか、霧人様?」

ふいに背後から声が掛かった。

ゆっくり振り返ると、霧人の頭一つ高い場所から、精悍な顔が見下ろしている。

「鬼蜘蛛」

「我ら鬼里人の総本山を、永きに渡って護り続けてきた森です」

鬼蜘蛛の声音には、霧人の台詞を咎めるような響きはない。

子供に何かを言い聞かせるような、穏やかな声だ。

「……分かっている」

鬼蜘蛛に指摘されて、改めて自分の言葉を振り返った。

無意識に出てきたものだが、それが今の霧人を表す一つのキーワードなのかもしれない。

幼い頃には、この自然に囲まれた世界こそが、当たり前のような存在だったはずなのに、今はその光景に違和感を覚える。

意識してもみなかったが、チャイナストリートのあの煩雑した世界に、すっかり順応していたということだろう。

言われてみれば、鬼蜘蛛を始め影蜘蛛も飛蜘蛛も、故郷に違和感を覚えるなどという気配は感じられなかった。

むしろ、懐かしい場所へ戻ってきたことで、安心感さえ覚えているように見える。

この大らかな景色と、包み込む透明感のある空気に、奇妙な思いを抱いているのは霧人だけのようだった。

「何となく見慣れないだけだ。向こうでの生活が長かったから」

「私は向こうの生活にこそ慣れませんでしたが」

微かに笑って、鬼蜘蛛が森の方に視線を向ける。

その瞳には、チャイナストリートにいた頃には見られなかった生気が浮かんでいた。

成る程、彼らにとっては、これまで数年を過ごしたあのチャイナストリートこそが、違和感を覚える場所だったのだろう。

そもそも、長い年月この場所で森を護り、純血を保ってきた鬼里人は、外の世界に馴染むことのできない者ばかりだ。

外へ出て、取り繕うように一般社会での生活をしていても、どこかで綻びが出てきてしまう。

霧人のように、外の生活にすっかり順応できた者は、稀な存在なのかもしれない。

「不思議なものだな。昔はここで生活していたというのに」

「そこら辺で元気に遊び回っておいででしたよ」

「覚えていない」

懐かしそうに語る鬼蜘蛛の言葉が、自分のことではないかのようだ。

「霧人様……」

「?」

何かしら言い掛けた鬼蜘蛛の声に、若い女の声が重なった。

「鬼蜘蛛っ、すぐ来いとの命令だ」

楼閣の入口で、影蜘蛛が手招いている。

声の調子からして、何か起きたのだろう。

「では、失礼致します。霧人様」

「ああ」

「それと、差し出がましいようですが、部屋にお戻りください」

やんわりと言い渡される。

霧人がこんな場所をうろついていたのでは、都合が悪いのだろう。

他の部族の者に見られたなら、また何か言ってくる輩がいるかもしれない。

陰口を叩くくらいならまだしも、面と向かって嫌味を言ってくる者も少なくなく、鬼蜘蛛が懸念しているのはどちらかといえばそのことだ。

鬼蜘蛛は、対面や外聞よりも、女郎蜘蛛や霧人のことを気遣う傾向がある。

些細な事柄で霧人を矢面に立てないためにも、戻れと言っているに違いなかった。

「分かった、もう戻る」

鬼蜘蛛が向かう楼閣と、逆の向きに霧人は歩き出し、それを見届けてから類稀な忠臣は去って行った。

向こうの扉が閉まる音を背で受けながら、霧人は目の前の扉に手を掛ける。

その時、霧人の耳が僅かな物音を捉えた。

聞き覚えのある音。

しかし、こんな自然に囲まれた場所なら、どこで発生してもおかしくない、そんな音でもあった。

小さな虫の羽音という、その他愛もない響きが神経に突き刺さる。

「……」

或いは、このまま気付かない振りをして通り過ぎた方が良いのかもしれない。

その羽音はいつも、ろくでもないことの始まりを示唆していた。

だが、あの男なら詳しい話を聞けるかもしれない。

チャイナストリートで起こった現象も、今現在の鬼里人が何に直面しているのかも、味方のことも敵のことも、あの男は全てを知っているだろう。

「知っていてもどうせ答えない……か」

溜息をついて、扉に掛けた手に力を篭める。

そもそも、その音が聞こえたからといって、本当にあの男が近くにいるとは限らない。

癇に障る物音を無視することに決め、扉を開けた瞬間、霧人の耳は確かに微かな笑い声を聞いた。

やはりどこかにいる。

位置は掴めないが、どこからかこちらを眺めているのだ。

そのことだけは、はっきりと認識できた。

霧人のレベルでは、あの男の気配を感じ取れるはずもない。

おそらく、相手はわざと霧人に悟らせるよう、気配を完全には消さずに己の存在を主張しているのだ。

「……毒蜂」

一度は開けた扉を、再び閉める。

渡り廊下を外れて、鬱蒼とした森の方へ歩を進めた。





一歩森の中へ入れば、右も左も分からない。

木々は高く伸び、四方に大小の枝を伸ばして幾多の葉を抱えている。

日差しが塞がれるため、地面の草は生育が悪いようだが、積もった落ち葉を押しのけて懸命に生きているものも多々見受けられた。

それだけに地面は平らではなく、見通しも悪くて足場を確保するのが難しい。

枝が折り重なって空も見えないような、こんなところで迷ったなら、帰ることもできずに野垂れ死にだろう。

霧人が右手を眼前に持ち上げると、袖から大型の蜘蛛が姿を現した。

『緋蜘蛛の霧人』という通り名の由来となる、その深紅の蜘蛛の糸を道標として残し、目的地も分からぬまま奥へと進み始める。

「酷い道だな。いや、道ですらない……か」

獣道さえ存在せず、歩けるところを慎重に探りながら、どれだけの距離を進んだのだろうか。

ものの10分もしないのに、振り返ってみれば楼閣の姿など全く見えなくなっていた。

立ち止まって見回してみても、周囲には同じような景色ばかりが広がり、そこには何の気配も感じない。

だが、背筋が凍るような視線を、どこからか感じるように思う。

おそらく、ぴったりと背後につかれているに違いない。

いつ接触してくるつもりなのか、それを待ちながら蜘蛛の糸を確かめつつ、また歩き始める。

その時、前触れもなく糸が切れた。

「しまった……っ」

微細に伝わる感触で分かる。

手元の糸だけでなく、長く張り巡らせた糸があっという間に寸断された。

蜘蛛が袖口からぽとりと落ち、いつの間に寄ってきていたのか、小さな蜂が飛び去る。

「く……っ」

「霧人」

聞こえた声に慌てて振り返ると、そこに人影はなく、代わりに一際大きな巨木が視界を占めた。

太い幹は、大人が数人で腕を伸ばして、ようやく囲めるくらいだろうか。

堂々としている様は、もし人の目に触れることがあったなら、御神体と崇められて然るべき迫力を備えていた。

毒蜂は、霧人をここに連れてくるつもりだったのか、ただ単に追いかけっこに飽きたのか。

「見事なものだと思わないかい?」

背後から聞き慣れた声がする。

「気が遠くなるほどの長い年月を、黙って見つめてきた大樹だよ」

「こんなところに連れてきて、何の用だ」

振り返りもせずにそう言うと、すぐ耳元で笑いを含んだ声がした。

「君は自分からここに来たのだろう?」

「貴方がそう仕向けたんじゃないか」

言い終わらぬうちに、背後にいるであろう毒蜂の手が、目の前に差し出された。

それはゆっくりと霧人に近づき、優しく顎を捕らえる。

軽く力が加わって、霧人の顔を振り向かせた。

視線の先に、優雅に微笑む毒蜂がいる。

「散々の結果だったわりには、特に怪我もなくて結構なことだね」

長い指に顎を捕らえられたまま、霧人は毒蜂を睨みつけた。

「貴方にとっては、死んだ方が良かったんだろう?」

「そんなことはない」

否定の言葉はすぐにやってきた。

毒蜂の手が顎から離れて、霧人の肩に掛かる。

それほど強い力を込めているとも思えないのに、霧人の体は毒蜂と正面で向き合うように変えられた。

「君がいなくなったら淋しくなる」

「いいように遊べる相手が欲しいだけだろう」

「他の理由を期待するかい?」

いつものように気紛れに近づいてくる毒蜂へ、せめてもと毒づいてみれば、否定も反論もない。

お互い何の感情も挟まない、刹那的な関係だということは、最初から分かっている。

例え、霧人がそれ以上のことを求めようとしても、毒蜂にぶつけた感情は空気のように擦り抜け、何の意味もなさない。

嫌というほど、それを思い知らされていた。

だが、こうして実際に突き付けられれば、やはり辛く感じる。

毒蜂は、悪びれることもなく冷たい言葉を吐いて、しかしその声音はいつも優しい。

一片の期待も持てないように、氷のような口調で突き放す言葉を叩きつけてくれたなら、悩むこともなかっただろうに。

霧人は、肩に置かれた毒蜂の手を払い除けた。

「下らない話はたくさんだ……。笑いに来たなら笑えばいい」

チャイナストリートの崩壊と、奪還屋たちとの戦いによる敗北、それらの顛末を毒蜂は知っているのだろう。

奪還屋と対峙していたあの時、毒蜂の気配は微塵も感じられなかったが、おそらくどこかで見ていたはずなのだ。

愚かな行為を見下すように、いつもの冷めた瞳で、口元に嘲笑を刻みながら。

「笑うどころか、感謝したいくらいだよ。君たちの敗北のおかげで、鬼里人の『五ヵ年計画』も水泡に帰した」

「貴方は最初から、あの計画には否定的だった。これで満足なんだろう?」

族長会議において決議された五ヵ年計画に、最後まで難色を示したのは毒蜂であり、だからこそこの計画を強く押し進めた蜘蛛一族に対して、毒蜂はいい顔をしなかった。

計画実行の、最先端に位置する者の一人である霧人に、毒蜂からの風あたりが強かったのも当然だったといえよう。

そんな背景が存在しなかったなら、こんな関係が結ばれることもなかったに違いない。

記憶にある限り、毒蜂が霧人に関心を示すことなど、それまでは全くなかったのだ。

「満足と言えば満足だね。御方様の思惑はさておき、繁栄を強く望む族長たちの思惑は、鬼里人の流れに歪みを作った。チャイナストリートの崩壊のおかげで、歪みの一つは止まったことになる」

「だったら、もう……」

「こうなっては、君を疎んじる理由もない」

「なら干渉しないでくれ。もう私には何の興味もないんだろう!!」

吐き捨てて後じさり、毒蜂と距離を置く。

この関係の根元が瓦解したのだ、その時点で毒蜂が霧人に絡む理由も消えるはずだろう。

手慰みの相手というだけなら、何も霧人でなくても、都合の良い者がいくらでもいるではないか。

しかし、毒蜂の紅い唇は笑いの形に歪んだ。

逃がしてやるつもりなどないと言いたげに、ゆっくりと歩を進めてくる。

「そう思うのは君の勝手だ」

「どうして……っ」

そんな必要もないのに何故、今またこうして追い詰めるのだろう。

確たる理由もない上に、霧人の感情に何ら応える気もないのなら、いい加減解放してほしいと思う。

思わず数歩下がると、背中に堅いものが当たった。

振り仰ぐと、天を突くかのような巨大な樹木が逃げ道を塞いでいる。

「霧人」

毒蜂の腕が上がって、霧人の両肩を木に押し付けた。

威圧感さえ感じさせながら見下ろしてくる毒蜂に、無駄な行いと知りつつも抵抗の言葉を投げつける。

「離してくれ……っ!!」

冷笑を浮かべた毒蜂が、体を密着させてくる。

拒絶するように顔を背けると、首筋に濡れた感触が伝わった。

器用に指を蠢かして、毒蜂が霧人の襟元を緩め、露になった肌に唇を這わせてくる。

強いられる行為を予想して、無意識に強張る霧人を宥めるように、毒蜂の腕は優しくその体を抱き締め、首筋へ耳朶へと甘い愛撫を繰り返した。

「毒蜂っ!!」

「何を抗う? 私を求めて縋ってきたことさえある君が」

耳元に囁かれて、ひくりと体が震えた。

霧人の姿を映す冷めた瞳に、抵抗する意思が急速に萎えていく。

どれだけ抵抗してみせようが、いつも結果は同じだった。

今もまた同じことが繰り返されるのだろう。

「……好きにすればいい」

「そのつもりだよ、霧人」

無力感と共に体の力を抜くと、毒蜂が穏やかに笑い掛けた。





それからはいつもと変わりなかった。

毒蜂は戯れに霧人を弄び、巧みな指に煽られた体は容赦なく快楽の渦に巻き込まれる。

巨樹にしがみ付くように上半身を委ね、霧人は下肢を剥き出しにしたまま腰を毒蜂に与えていた。

中国服の裾はとっくに除けられ、背後から伸びた手が、晒された肌に愛撫を加えている。

木の幹に爪を立てて耐えてみても、ほんの少し触れられただけで、体はすぐに熱を持ちどうにもならない。

上衣に汗が染み込んで、やけに重く感じられた。

毒蜂の手が素肌に触れてから、もうどのくらいこうして苛まれているのだろう。

敏感な先端を執拗に嬲られ、体内に侵入した指は狭い入口を緩めようと蠢いている。

「はぁっ……あ、ああ……っ」

いきなりそれを激しく扱き上げられ、抗うこともできず霧人は達した。

白濁した液が溢れ、毒蜂の手を濡らす。

膝から力が抜け、体が崩れそうになった。

しかし、毒蜂の片腕が弛緩した体を支え、倒れることも許してくれない。

「足りないだろう?」

「く……んんっ」

埋められたままの指が、柔らかい肉壁を抉った。

背をしならせて霧人の体がその感覚に震える。

達したばかりのところに、そこを激しく刺激されると、泣き喚きたくなるくらいの感覚が走った。

度の過ぎた快感に、頭がおかしくなってしまいそうになる。

「あっ……あ、や……ぁ」

毒蜂の指が蠢き、その都度淫靡な音が響く。

それに合わせるかのように、霧人の唇からは途切れることなく熱い吐息が漏れた。

いやらしい音は、静謐な森に吸い込まれていく。

霧人だけが卑しい肉欲に囚われ、周囲は相変わらず自然の荘厳さを湛えたままだ。

静けさを破る自らの喘ぎ声があまりにも醜悪で、耳を塞ぎたくて堪らなくなった。

声を漏らすまいとしても、それを嘲笑うかのように、毒蜂は愛撫の手を緩めない。

意地悪な指は尚も霧人を苛み続ける。

「毒蜂……ぃ」

許しを請うように名を呼ぶと、ふいにその指は動きを止め、あっけなく引き抜かれた。

荒い呼吸を繰り返しながら、霧人の体がずるずると沈んでいく。

すぐ鼻先で、草と土の匂いがした。

嗅ぎ慣れないそれは、不快なものではないが、好ましいものでもない。

自分がどんな場所で犯されているのか、嫌でも再認識させられる。

巨樹の根元に蹲る形となった霧人の、小刻みに震える腰に毒蜂の手が掛かり、膝を立てさせられた。

脱力した体はいとも簡単に毒蜂の支配を受け、挿入を待ち侘びるかのようにあられもない姿を強要される。

盛りのついた雌犬のような、卑猥な格好だ。

膝だけを立てて腰を突き出し、大きく開かれた足の間の秘所を晒している。

毒蜂の指で慣らされたそこは、緩く口を開いてひくつき、再び勃ち上がっているものは、先端をじっとりと潤ませていた。

これまで何度もこんな醜態を見せているのだ、今更羞恥を感じるのも変な話なのだが、それでもやはり慣れることはない。

「ああ……っ」

足の間を通って触れてきた手が、滾っているものを半端に扱き上げる。

「欲しいかい?」

「んんっ、ん……あっ。じ……焦らさ……な」

頭を振って懇願すると、弄る手が引いた。

愛撫の停止に、霧人が苦しげに呻く。

もっとそこに触れて、もっと奥まで抉って、欲望を吐き出させてほしい。

醜かろうが卑しかろうが、欲に染められた肉体は、唯一そのことだけを求め始める。

「霧人」

耳元で声がする。

輪郭のぼやける視界の隅に、流れるように落ちかかる銀髪だけがはっきりと見えた。

鈍く光るそれは、雪のような白さというより、氷細工のように思える。

魅惑的だがどこか儚いそれに思わず見惚れると、浮遊しかけた意識を引き戻すように、背中へ僅かに重みが掛かるのが感じられた。

毒蜂の体が密着しているのが分かる。

行為の最中に、毒蜂がそうして近付くことなど滅多にない。

いつだって毒蜂は一歩引いたところから霧人に手を伸ばしてくる。

不審に思う間もなく、毒蜂の両手が霧人の腰を掴んで固定させた。

「――……あっ?」

ひくつくそこに押し当てられたものを感じて、竦み上がる。

「何……? あ……あああ……っ!!」

拒絶することもできず、指とは違う何かが体内に潜り込んできた。

比較にならない質量に、無意識に下肢に力が入る。

「力を抜きたまえ。いつもそうしているだろう?」

「んっ……ああっ。やめ……、できな……いっ」

「仕方ないね。……ほら」

霧人の悲痛な訴えに、毒蜂の手が放り出されたままの昂ぶりを掌に包み込む。

「だめ……だっ!!」

そこを嬲られると嫌でも体は反応する。

先端を擦られ、優しく扱き上げられて、霧人の意識が快感を受け入れ始めた。

巧みな指に促されて、少しずつ強張りが解けてくる。

それに呼応して、内部に入り込んだものは、ゆっくりと奥深くまで貫いた。

「んぅ……っ!!」

これまで他者の侵入を免れていた部分までが、それによって暴かれていくのが分かる。

圧迫感と異物感で、気持ちが悪い。

しかし、その不快さはすぐに別の感覚に取って代わられた。

「あ……くっ。嫌だ、そんな……っ!!」

貫かれたまま、腰に回された腕が霧人の体を揺さぶる。

途端に、脳天に突き刺さるような刺激に襲われ、霧人は悲鳴を上げた。

少し動いただけでも、信じられないような激しい感覚が全身を駆け巡る。

苦痛と、それに勝る快感。

「君はここが好きだったね」

「ひぁ……っ!!」

狙い済ましたかのように、一点だけを突き上げられて気が狂いそうになった。

揺さぶられ、突き上げられて、どうすることもできず翻弄される。

全身が焼かれているように熱い。

血液が沸騰するような錯覚と共に、快感は絶頂へと向かう。

「――っ!!」

溜まった熱を吐き出し、霧人はそのまま意識を失った。





心地良い響きが聞こえた。

柔らかな風が木々の枝を優しく揺らし、ざわめく音は繊細な旋律のようだ。

温かいそれに包まれていると、何もかもがどうでも良くなる。

全てを忘れて、ずっとまどろんでいたい気分だった。

うっすらと開いた視界に、深い森の姿が映る。

底知れない何かを内包するかのような森は、近寄り難い神聖さを湛えていながら、一方では誰のことも拒まぬ懐の深さを感じさせた。

「気が付いたかい?」

穏やかな声に、意識がはっきりと覚醒する。

「え……?」

自分の置かれた状況に気が付いて、驚いた。

巨樹の根元に腰掛けた毒蜂の腕の中に、自分が抱かれている。

いつも霧人で遊び尽くすと、淡白に離れていく毒蜂が、今日に限ってどういう心境の変化だろう。

乱れていたはずの服も元に戻されて、一見すると情事の後とは思えない。

だが、疲労感と体内にまだ感じる違和感が、行為の事実を教えていた。

秘所に鈍痛だけが残る。

何をされたのか理解するのは簡単で、慌てて身動ぎした。

「大人しくしておいで」

起きかけた体を、毒蜂の腕が再び閉じ込める。

離れなければと考えつつも、思わぬ居心地の良さにそのまま凭れた。

毒蜂の胸元にあたった耳には何の音も聞こえず、その体からは心臓の鼓動すら感じられない。

空虚な肉体に宿っているのは、やはり空虚な魂なのだろうか。

「霧人。森を怖いと感じるかい?」

「……」

返答に詰まったことは、肯定の意味だと受け取られるだろう。

「間違いなく蜘蛛一族の長の直系だというのに、君は鬼里人らしからぬ鬼里人だね」

ここに戻ってきてから、霧人が密かに抱えていた思いを、毒蜂が突き付ける。

この鬼里人の総本山においては、確かに霧人のような存在は異端だろう。

人の世界に近付きすぎたためという理屈だけでは、説明がつかないように思う。

他の者たちは、この地にいとも容易く適応できているのだ。

霧人が抱えている違和感に、今は誰も気付いていないが、暫くここで暮らしていれば皆が気付き始めるだろう。

肉親でもなければ同族でもない、近しい存在では決してない毒蜂に、それを指摘されるのは奇妙なものだった。

「鬼里人の血が、薄まってきているのだろうね」

見上げると、毒蜂の目は霧人ではなくどこか遠くを見つめている。

毒蜂のそんな瞳を見るにつけ、互いの間にある大きな隔たりを感じてきた。

「これから先、君のような者は増えるだろう。もし、この蟲の『業』という束縛が消えたなら、それに拍車を掛ける」

良くも悪くも、鬼里人の結束を固めているのは、各々が背負っている業だ。

それから解放されない限り、どこへ行っても心に恐怖を抱えたまま生きることになる。

どれだけ頑健な意志を持つ者でも、最終的にはそれに抗えない。

仮に、そんなものがなかったなら、大手を振って鬼里人から離れる者が出るだろう。

特に若者にとっては、一族という殻に縛られる生活など、いくらその重要性を説かれようが、やはり退屈で窮屈すぎるのだ。

霧人とて、例外ではない。

しかし――。

霧人は小さく呟いた。

「そんな日は来ない……」

その言葉をどう聞いたのか、毒蜂は薄く笑うと霧人を抱く腕を離した。



霧人をその場に置いたまま立ち上がる。

数歩離れると、虚空へ手を差し伸べた。

優雅な立ち姿に風が吹き付ける。

長い髪が揺れて、幻のように不可思議な光を放った。

あんな姿をしているのに、周囲の光景から浮いてしまうどころか、まるで同化してしまうような、そんな印象を覚える。

何故か、不安に駆られるかのように心臓が鳴った。

「案内役を残していこう」

差し伸べられた毒蜂の指先に蜂が止まり、何か指示を受けたらしいそれは、霧人の元へと飛んできた。

まだ立つことのできない霧人の肩に、己の居場所を確保する。

「暗くならないうちに帰りたまえ」

「毒蜂……っ」

言いようのない胸騒ぎを覚えて、呼び止めようとした声は、果たして本当に口に出せていただろうか。

その場にいるというのに、呼び掛けても手を伸ばしても、届かないような気がする。

ずっと計り知れない相手だと思っていたが、これほど遠い存在だっただろうか。

同じ時間を共有したことが、全て嘘であったかのような気さえした。

拒絶されているようには思わない。

ただ、遠いのだ。

霧人とは永遠に交わることのない、異なる世界を生きているのだろう。

言いたい言葉も飲み込んで、霧人は俯いた。

木々のざわめきが聞こえる。

徐々に勢いを増してきた風は、乱暴に枝を叩き、森に喧騒を運んできた。

複雑に絡み合う霧人の感情を、更に掻き回すような音だ。

黙り込んでしまった霧人に構わず、毒蜂は去ろうとする。

低い声が、霧人の耳に届いた。

「今回の戦いは、鬼里人にとって一つの区切りとなるだろう」

その声に顔を上げた霧人の視線の先には、もう見えなくなりかけている毒蜂の背中がある。

毒蜂の姿は、あっという間に森の中へ吸い込まれそうになり、だが一度だけ足を止めた。

まるで怒っているかのような森のざわめきが毒蜂の声を掻き消し、その言葉は途切れ途切れにしか聞こえない。

「その結果、もし万が一にでも、新しい道が開けるようなら……」

「……聞こえない、毒蜂?」



「君には、他の鬼里人にはない別の可能性も、あるかもしれないね」



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