裏社会の『奪い屋』などという、後ろ指を差される業界の中にあって、その双子の兄弟はそこそこの腕を持っていた。 ブーメランを主とする攻撃力の高さには定評があったし、双子ならではの隙のないコンビネーションは、他の追随を許さない。 その実力に相応しい評価も受けているはずだった。 だからこそこんな大口の、危険を伴う仕事が入り込んできたのだろう。 依頼人が裏社会で名の知れた人物であること、仕事の内容が機密かつ危険に満ちたものであること、それらのことは不安を煽るどころか、自分たちの名が知れ渡っているのだということの自負へと繋がった。 内容はさておき、評価されて嬉しくない者はそういない。 その双子は、本音を言えば非常に気分が良かったのだった。 仕事を依頼してきたその一本の電話が、賛辞の塊にさえ聞こえる。 この世の中に自分たちより格上の者などいるはずがないと、そんな裏付けのない自信さえ感じてしまったかもしれない。 しかし、そんな嬉しさは長く続かなかった。 電話の途中で依頼人は、協力者としてある一人の男の名を示したのである。 その名には聞き覚えがあった。 しかし、あまりに忌まわしいその名は、自分たちには縁のないものとして認識していたものでもあったのだ。 同じ業界にいながら、どうして今まで無関係だなどと思えたのか。 依頼人は硬い声でその名を告げた。 不動琢磨と――。 依頼人と仲介屋の話を聞き終わってから、兄弟の間での相談が始まった。 「どうする?」 「どうしたもんかな?」 弟が問い掛け、兄もまた問い返す。 「かなり美味しい話だが」 「ああ。受けない話はないだろうな」 仕事の内容は、一人の受刑者を刑務所から脱走させることだという。 その男が何者なのか、どんな秘密を抱えているのか、それら詳しいことはまだ聞いていない。 おそらく、正式に依頼を受けることにすれば、最低限のことは教えてくれるだろう。 だが、今掴んでいる情報だけでも分かることはある。 その男は少しなりとも裏社会に繋がりがある人物で、だがしかし、あまり危険性を持った人間ではないようだ。 もし、本人が高い戦闘能力を持つ人物だったなら、そもそも刑務所の中に入ったりしないだろう。 力の足りない男だから、間抜けにも捕まった。 そして、刑務所から自力で脱獄する力もないということだ。 自分の意志で服役している可能性もなくはないが、いずれにせよ覇気の欠けた相手なのは間違いない。 奪う対象となるモノ、この場合は人間だが、その対象に危険性がないのなら、仕事を進めるのは非常に簡単なことに思える。 そこらの一般人を誘拐するのと、労力的には大して変わりないだろう。 刑務所の中に侵入しなければならないのがネックだが、そこはどうとでもなる。 いくら警備が厳しくとも、管理するのが人間なのだから、穴はどこにでもあるはずだ。 「報酬もでかいしな」 「これを断るのは馬鹿だろうな」 依頼人からは、危険を犯しても御釣りがくるくらいの金額を提示されていた。 加えて、この仕事を成功させれば、これを機にまた大きな仕事がやってくるかもしれない。 上手くいけば、今回の依頼人の専属として取り上げてもらえることだって夢ではないだろう。 しかし。 「一つだけ懸念があるとすれば……」 「そいつが問題だよな……」 二人は同時に頭を抱えた。 依頼人が告げた名前がどうにも引っかかる。 とにかく悪い噂の絶えない男だった。 奪い屋などという仕事を生業としていれば、悪い評判など必ずついて回るものだが、不動という男については、同業者でさえ眉をしかめるほどに酷い。 非道で外道。 最低最悪の男と呼ばれ、そう称されることに憤りもせず、更なる悪行を重ねるような男だ。 裏社会も、『社会』という形があるからには、一応のルールが存在しているのだが、それを逸脱する行為も少なくはないという。 本来ならそうした輩は、次第に排斥されたり、潰されたりしていくものだが、不動が数少ない例外でいられるのはその飛び抜けた強さのせいだろう。 圧倒的な強さを誇るからこそ、目障りだと思っても誰も手を出せず、仕事の依頼が途絶えることもない。 だが、強いのは確かだが、この男を使うに当たっては、依頼主でさえ命の危険が付き纏うそうだ。 それらの噂を思い起こして、兄弟の間に岩より重い沈黙が流れる。 たっぷり数十分もかけて、ようやく弟がぽつりと言った。 「……噂は噂だけかもしれないしな」 「会ってみたら意外にいい奴だったりして」 「怖いのは外見だけで、動物を可愛がる一面があるとかさぁ」 「あははははは」 虚しい笑い声が響く。 試しに明るい方へ考えてみる二人だった。 何せ実際に会ったこともなければ、顔を見たこともない。 実体を知らずしてただ怖れるというのは、ありもしない幽霊を怖がる子供と同レベルだ。 そうは言っても、やはり不安はつきない。 一応、馴染みの情報屋に連絡を取ってみることにした。 噂はどこまで本当なのか、そこらへんがはっきりすれば、少しは安心できるだろう。 過剰な噂だったと判明すれば、もちろん心に余裕が生まれるし、噂が100%本当だったとすれば、それはそれで情報を元にして事前に対策を練ることができる。 そう決断すると、弟の方が携帯電話を手に取った。 この仕事を始めるようになってから、ずっと利用している情報屋に電話をかける。 気のいい親爺といった感じの情報屋で、その人柄のせいか一般社会にも裏社会にも顔が広い。 呼び出しのコールが三回続いて、相手が電話に出た。 名前を告げると、特に前置きも必要なく、挨拶すらせずに本題に入る。 『おお、久し振りだな。今日は何だ?』 「不動琢磨という男について――」 『……』 言い終わる前に、受話器の向こうからビビる気配が伝わってきた。 剛胆な親爺が引くというのは前例のないことだ。 思わずこちらも声を潜めてしまう。 「……マズイか?」 『勘弁してくんな』 その返答が全てを表していた。 弟が渋い顔をして兄を見やる。 「……噂は全部本当みたいだ」 「噂どころじゃないってことじゃないのか?」 二人の会話が、向こうにも聞こえたのだろう、情報屋は緊張した声音でこう言った。 『一つだけ言えるこたぁな、噂以上に酷い奴だってことだ。差し支えのない分の情報は後でFAXを流してやるが……悪いことは言わん、関わるんじゃねぇ』 早口にそう述べると、情報屋は電話を切ってしまった。 携帯電話を見つめながら、再び重い沈黙が落ちる。 この分では、情報屋から送られてくるであろうFAXの内容も容易に想像できる。 きっと、目も当てられないような単語が並んでいるに違いない。 数秒後、二人は双子ならではのタイミングの良さで、同時に肩を落とした。 「足を引っ張ったらぶっ殺す」 不動の第一声はそれだった。 互いの紹介もしないうちから、一方的にそう言われる。 依頼人の指示を待つまでもなく、初めに対面した時から上下関係ははっきりと示されていた。 この男にとっては、仲間などという認識は端からないのだろう。 依頼人からの指示があったから、面倒だが同行を許してやる、その程度の考えでいるに違いない。 細かい雑務などを、全部押し付けるつもりで組んだのだとすれば、不動にとってこの双子は仲間というよりただの道具だ。 反発する感情はもちろんあったが、二人が言えた言葉はこれだけだった。 「努力する」 表面だけは平静を装ってみたものの、相手の迫力に気圧されて生意気な口を叩くことも出来ない。 今更ながら、頭の中に後悔の二文字が浮かんだ。 不動に悟られないよう、こっそりと目配せし合う。 『怖いよ、兄ちゃん……』 『耐えろ、弟よ……』 じろりと隻眼で睨まれて、何でもないように装いながらも、背筋には嫌な汗が滝のように流れていく。 怯える内心を悟られないようにするだけで、精一杯だった。 いや、不動はとっくに察しているのかもしれない。 特に何も言わないのは、他者から恐怖の視線を送られるのに慣れていることと、敢えて無言でいた方が、余計に相手の恐れを煽ることを知っているからだ。 双子の目の前に、鍛え上げられた巨躯がある。 ずば抜けた長身に、服の上からでも分かる厚い筋肉。 それだけでも周囲を威圧する材料としては十分だ。 加えて、見た目通りの粗雑な言動のくせに、その振る舞いを見ていれば、戦闘に長けているという事実は嫌でも理解できた。 双子よりも明らかに大柄だというのに、足音は響かず気配も捉えづらい。 隻眼というハンデを負っているはずなのだが、不動の鋭い左目は、双子の両目よりも速く目標物を捕らえている。 動体視力に大きな差があるのは、誰の目にも明らかだった。 恵まれた強靭な肉体に、その上スピードまでも兼ね備えているとなれば、付け入る隙もない。 敵でないことを感謝しつつも、こうしているだけで命の危険を感じてしまう。 『帰りたいよ、兄ちゃん……』 『我慢しろ、弟よ……』 結局、引き受けることになってしまったのだが、断りたいという思いが二人の胸を占めていた。 だが、もう後戻りはできない。 二人で何度も話し合い、取り決めた作戦を心の中で再確認する。 ・なるべく干渉しない ・なるべく別行動を取る ・なるべく命令には逆らわない ・何かあったら、おだて作戦で乗り切ろう ・何かあったら、ダッシュで逃げることにしよう 非常に男らしくない、後ろ向きな決意をして、二人はその仕事を受けることにしたのだった。 しかし、それから計画実行に至るまでの期間はいたって平穏だった。 特に何のトラブルもなく、意見が衝突するでもない。 意外なほどに平和だった。 不動に関して得られた情報は、全て頭に叩き込んであったのだが、その努力が無駄だったのではないかと思わせるほど、準備は順調に進んだのである。 普通に喋っていれば、それほどの危険性や異常性は感じられない。 言葉遣いも荒く、台詞の端々に物騒な単語が平気で出てくるものの、それも裏社会の人間ならそう珍しいことではなかった。 確かにキレやすい部分はあるが、無駄を徹底的に嫌う性格なのだと解釈すれば、やることが手っ取り早くて楽なくらいだ。 黙って言うことを聞いていれば、何の被害も受けそうにない。 はっきり言って拍子抜けだった。 だから油断したのかもしれない。 刑務所への侵入をあっさりと果たし、今、不動は運転席で依頼人と何かを話している。 何を喋っているのかよく聞き取れないが、奪還屋がどうのということだけは聞こえた。 邪魔者がいて、必要とあればそいつらを処分する、その指示さえ分かっていれば後のことはどうでもいい。 しかも、この分ではその連中の始末など、不動が率先してやってくれそうだ。 「……さて、分かってるよなお前ら。奪還屋は俺の獲物だ、手ェ出すなよ?」 「はい」 案の定、釘を刺される。 だが、こうした仕事は計画通りに進むとは限らず、もしかすると自分達が奪還屋に遭遇することも有り得るだろう。 そうなったら、計画遂行のため速やかに処分しておけばいいのか。 その時はあまり深く考えていなかった。 それほど重要なことではないと思っていたのである。 だが、何気ない会話だと思われたそれを、軽く聞き流したせいで、あんなことになってしまうとは――。 気の毒な双子に哀悼の意を…チーン。 |