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『毒蜂さん&霧人』


その人物が入ってきた瞬間、見慣れたはずの自室は別世界へと様変わりした。



目の前の椅子にかけた医者は、僅かに呆れたような声音でこう言った。

「正月早々に風邪かい、霧人?」

「…好きで風邪を引いた…ゲホっ…わけじゃ」

「それはそうだろう。好き好んで風邪を引く者などまずいないよ。しかも正月にね」

さらりとそう言われて、ベッドの中で密かに拳を握り締める。

ただでさえ熱があるのに、毒蜂を前にするとますます熱が上がりそうだ。

本音を言えば、いくら具合が悪かろうともこの医者だけは呼びたくなかった。

息子を心配するあまり、よりにもよって毒蜂に往診を要請してしまった母へ、少しだけ恨みの感情を抱いてしまう。

しかし、運の悪いことに地獄谷の住人の中で本職の医者は毒蜂だけだ。

麓に下りたとしても、今は生憎の正月、開いている病院などこの辺にはない。

「たるんでいる証拠だね」

診察しながら毒蜂が追い討ちをかける。

たるんでいると言われれば確かにそうかもしれないが、年末も仕事に追われ休む暇もなかったのだ。

ようやく休暇が取れて地獄谷へ帰ってきたものの、その途端、それまでの疲れが一気に出てきてしまったのである。

それを責められたのではたまったものではない。

そもそも、医者は黙って患者の治療だけやっていればいいではないか。

しかし、そう反論したところでますます辛辣な返事が返ってくるだけだろう。

熱で頭の回転が鈍っている今、毒蜂を相手に舌戦を挑むなど無謀だ。

「しばらく安静にしていたまえ…と言いいたいところだが、時間の余裕はあるのかね?」

「ない。明後日には…ゲホッゴホ…っ」

会社が始まるのはもっと後だが、経営に直接関る役員として、明後日には新年に向けてのミーティングをしなければならない。

何日も休んでいる暇などなかった。

「せめて咳と熱だけでも何とかしてくれ…っ」

「やれやれ、無茶を言う患者だね」

「…っ、ゲホゲホっ、…ゴホ…ッ」

無理に喋ったからだろうか、立て続けに咳が出る。

しばらく咳は止まらず、息を吸い込もうとすると、喉の激しい痛みと共にますます酷い咳が重なった。

「霧人」

名を呼ばれても答えられない。

顔を上げるだけで精一杯だ。

毒蜂と視線がぶつかったと思った瞬間、冷えきった水を思わせるような瞳が近づいた。

「え…っ?」



そこで霧人の意識は急速に遠のいた。



翌朝、霧人が目を覚ました時には、熱は下がり咳も止まり、体は驚くほど軽く感じられるようになっていた。

これなら通常の仕事を再開しても問題ないだろう。

何だかんだ言って、毒蜂は医者としての腕は良いのかもしれない。

「それにしても、どんな治療をしたんだろう…?」

素直に感心する一方で、眠っている間に一体何をされたのか、相手が相手なだけに多大な不安を感じる霧人だった。

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