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『石倉 〜ドイツ在住時代〜』


世界に数ある研究所の中でも、ここはちょっと変わっていた。

研究所などというところは、通常、薬品などの独特の臭いが満ちていることが多い。

しかし、この研究所では、ごくたまにそれ以外の馥郁たる香りが立ち上ることがある。

研究所の紅一点、ナディア博士がワインを振舞う時だ。

日ごろ不気味な薬品に使用されるビーカーやフラスコは、この時だけはワイングラスに早変わりする。

そして、本日のビーカーやフラスコは、それとはまた違う役目を担うこととなった。

中を満たすのがアルコールの類であることは、変わりない。

しかし、眼の覚めるような赤いワインではなく、まるでミルクのように白くまろやかな液体だ。

立ち上る香りも、フルーティーなものではなく、鼻腔をくすぐるような甘いものである。

「…何をやっているんだ、石倉」

研究室の一角を占領する石倉を見て、ブラッドが口にしたのはその一言だけだった。

日本人ならその香りだけで、石倉が何をやっているのか理解できたかもしれない。

「甘酒さ」

「アマザケ?」

聞き慣れない異国の単語と、見慣れない液体、嗅ぎ慣れない甘い匂いに、ブラッドがますます不可解な表情をする。

「あま〜い酒だ。酒といってもアルコール分はかなり少ないが。見るのは初めてか?」

遠く日本を離れた欧州の地だ、東洋に関する知識も乏しいし、ましてや甘酒を知っている者など皆無だろう。

今日が3月3日で桃の節句に当り、甘酒や白酒や菱餅などを用意する風習があるということも、いかにブラッドが博識だろうが知るわけもなかった。

「ワインもいいがたまにはこんなのもいいだろ」

「私は甘いものが苦手でな」

「そうか。ま、ナディアに好評なら、俺はそれでいいからな」

「赤ワインを好むナディアが、このアマザケとやらを喜ぶとは思えんが」

「そんなことはない、女子供は甘いものが好きだと相場は決まってる」

「それこそ偏見というものだぞ、石倉」

ナディア博士のことが関わると、いつでも一気にヒートアップする二人だった。

この調子では、ナディアというお雛様の隣に座ることなど、お互いにできそうもない。

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