『賽蝶』
| その日の賽蝶は、ひどく不機嫌だった。 ここ数日、歯の痛みに悩まされ続けてきたのだが、今日はそのピークであるらしい。 朝、歯が痛くて目が覚めてしまったほどである。 何はともあれ、医者に行かなければならない。 誰が止めようが、会議が入ろうが、魔里人が攻めてこようが関係ない。 とにかく医者に行くのだ!! 因みに、医者といっても『属性医師の嫌な奴』のところでは決してない。 奴はとにかく性格が悪い上に、賽蝶との仲も悪いのだ。 それ以前に、いくらなんでも奴の専門分野に歯科はないだろう。 急いで出掛ける途中、女郎蜘蛛と毒蜂が廊下で談笑しているのに行き会った。 今日は奴らに関わっている暇はない。 「あら、賽蝶」 「いつになく忙しそうだね」 「まぁな」 挨拶もそこそこに、二人の前を通り過ぎる。 変に思われるだろうが、今は構っていられない、歯が痛いのだ。 足早に去ろうとする賽蝶の背に、毒蜂の声が掛かった。 「賽蝶、何か落としたよ」 「何…?」 「なぁに? 歯医者の診察券じゃないの」 しまった。 急いで出たために、懐に浅く入っていたのだ。 もし虫歯で苦しんでいるなどということが知られたなら、笑いものにされるに違いない。 ここは素知らぬふりを装ってみる。 診察券を所持せずとも医者にはかかれるだろう。 「わ…私のものではない」 「しっかり名前が書いてあるじゃないのさ。虫歯? 歯槽膿漏? 親知らず?」 いらんところで、いらんツッコミをする女だ、全くもって気に入らん。 どう言い訳をしたものかと、下らないことで謀略を巡らす賽蝶に、珍しく毒蜂がフォローを入れた。 「他人のプライバシーに踏み込むのは感心しないね、女郎蜘蛛」 そうだ、その通りだ。 たまには良いことを言うではないか、毒蜂め。 少しだけ毒蜂への好感度がアップしたところで、またしても女郎蜘蛛が余計な口を挟んだ。 「そういえば、毒蜂。あんたは属性・医師なんだから診てあげたらいいじゃないの」 「流石に歯科は専門外だね。人を切り刻んだり、薬漬けにしたり、催眠療法という名目で人格崩壊させたり……そうしたことは簡単だが。おや、顔色が悪いね賽蝶。診てあげようか?」 「結構だ!!」 例え死にそうになっても、お前のところにだけは絶対に行かん。 心の底でそう叫ぶ賽蝶だった。 |