『十兵衛&花月(チビ時代)』
| その日の十兵衛は何となく元気がなかった。 いつもなら二人一緒に、まるで子犬のような元気の良さで遊び回るのだが、今日に限って十兵衛はどんな誘いを掛けても乗ってこない。 「ねぇ…どうしたの、十兵衛?」 「いや、何でもない」 「嘘。そんなはずないじゃないか。僕にも言えないことなの?」 花月がそう問い詰めると、十兵衛はしばらく考え込んでしまった。 それほど深刻なことなのだろうか、無言で悩む十兵衛を見つめる花月も次第に不安になってくる。 たっぷり3分は迷って、十兵衛はようやく口を開いた。 「実は…」 「うん」 答える十兵衛も、それを聞く花月にも微妙な緊張が走る。 「歯が痛くてな」 「なぁんだ、虫歯かぁ」 「わ、笑い事ではないぞ、花月」 十兵衛は眉間に皺を寄せて声を荒げるが、心配させた割には大したことではない。 虫歯になったとはいっても乳歯だろう。 抜いてもすぐに永久歯が生えてくるはずだ。 「あんまり痛いなら抜いちゃったらどうかな」 「簡単に言うな。どれだけ痛いと思っているんだ」 「でも、そのままでも痛いんでしょ? 抜いちゃえば痛みは一瞬だけだよ」 花月の言うことはもっともなのだが、まだぐらついてきてもいない乳歯を抜くというのは、かなりの勇気が必要だ。 「俺は歯医者というのが、医者の中で一番苦手なんだ…」 あの治療台といい、何に使うのかまったく分からない数々の機械といい、何より歯を削る際の独特の音がどうにもこうにも慣れない。 それより何より、痛いのだ。 あの機械で歯を削られると、思わず暴れ出したくなるほどの苦痛に襲われる。 歯医者の恐怖に比べたら、日々の辛い修行で打撲を負った方がよっぽどマシというものだ。 渋る十兵衛に、花月が恐ろしい言葉を吐いた。 「じゃあ、僕が抜いてあげる」 満開の桜のように、無邪気で可憐な微笑を浮かべる花月の手は、風鳥院流お得意の絃術の構えを取っていた。 「他の乳歯が抜けかかってきたら遠慮なく言ってね。抜いてあげるからv」 歯に糸を結びつけて思い切り引っ張る――。 何とも古風なやり方を実践してくれた花月が、地に突っ伏して脱力している十兵衛に向かってにっこりと笑う。 歯医者というものは、実はとても近代的でありがたいものなのだと、身をもって知った十兵衛だった。 |