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『賽蝶』


風薫る5月。

木々の間を渡る風は優しく、草原を吹き抜ける風はどこまでも爽やかだ。

この暖かな風は、勢いが少々強いこともあって、人間のみならず獣も虫も全ての生きとし生けるものを活気付ける。

鬼里人の隠れ里、地獄谷もその例外ではなかった。

魔里人との抗争はまだ続いているものの、人々の顔には生気が漲り、明るい笑い声が木霊する。

しかし、ここに一人、極めて不機嫌な人物がいた。



兜様のもとへ定期報告に向かう途中、七頭目の一番後ろに控えた賽蝶はことのほか機嫌が悪かった。

最後尾に追いやられたことが、気に入らないわけではない。

いや、確かにそれも気になっていたのだが、それよりも目の前に広がる光景が問題だった。

春の穏やかな日差しの中、風が吹くたびにしなやかに揺れる髪。



気に入らん…。



女郎蜘蛛の、紅梅のように艶やかな長い髪。

水爬の、流れ落ちる水のように長い髪。

毒蜂の、氷細工のように光を弾く長い髪。

それらが羽のような軽やかさで風に舞う。

5月の風は、長い髪を靡かせるという技術において、12ある月の中で最も巧みな腕を持っているに違いない。

その一方で、賽蝶の頭の表面を、暖かい風が嘲笑するかのように撫でていく。



気に入らん…。



この季節だけは、鎌多のことが少しだけ好きになる賽蝶だった。

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