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『毒蜂さん&霧人』


梅雨の時期とあってか、空は灰色の雲に覆い尽くされ、この分ではいつ雨が降り出してきてもおかしくない。

細い道の左右に広がる鬱蒼とした森は、いつも煩いはずの虫の音も静まり、雨を待ち構えているようだ。

そんな中を、霧人は手に荷物を抱えて一人寂しく歩いていた。

足取りは重く、心の中はどんよりとした空のように曇っている。

いや、曇っているどころではなく、土砂降りと言っていいほどの憂鬱な状態だ。

一歩進むごとに足は重くなり、手にした荷物をそこらの藪の中に叩き込みたくなる。

つまるところ、この道の先にある目的地に行きたくないのだ。

「だいたい何で私が」

石段に差し掛かったところで、鬱々たる呟きが漏れた。

行けと命じた母親も、やはり荷物を抱えてどこかを訪問中なのだろうが、訪問先は6ヶ所もあることだしせめて違う場所に行きたかったものだ。

この際、宿敵ともいえる蝶族のところでもいい。

そもそもこの国には、どうして『お中元』などという面倒な風習があるのだろう。

「やれやれ…」

視線を上げると、階段の彼方には木造平屋建ての大きな日本家屋がある。

高級な木材をふんだんに使用し、日本古来の技術と伝統に沿った、落ち着いた佇まいを見せている。

石造りの建物が多い地獄谷の中で異彩を放つその家が、蜂族の長が住まう場所だった。



時間稼ぎをするかのように殊更ゆっくりと階段を上がり、霧人は玄関の前に立った。

無用心にも戸は開け放たれたままだったが、七頭目筆頭の住居と知らぬ者もなければ、その家に忍び込む度胸のある者もいないだろう。

「ごめんください」

不機嫌さを隠しもせず、思い切り棒読みで声を掛けてみる。

応える声はない。

住んでいるのが毒蜂一人だとしても、鬼里人の下っ端がたくさん奉公にきているはずだが、どうしたことだろう。

もう一度声を張り上げようとして、霧人の頭の中に姑息な計算が浮かんだ。

別に会いたい相手でもなし、留守なら用件だけ済ませて帰ればいいではないか。

「…留守なら仕方ないな。うん、そうだ、そうしよう」

持ってきた包みを玄関先に置き、一筆書いたメモを添えておく。

これで大丈夫だ。

というか、大丈夫なことにしておこう。

往路の憂鬱な思いはどこへやら、晴れ晴れとした気分で霧人は踵を返した。

「黙って帰るつもりかね、霧人?」

「……!!」

「せっかく来たのだから、ゆっくりしていきたまえ。…雨も降りそうだしね」

背後から優しく触れてきた冷たい手が、有無を言わせぬ迫力でもって霧人の肩を抱く。

ヘビに睨まれたカエルの如く固まった霧人の耳に、不運は重なるとばかりに雨音が響き始めた。

いつの間にか空は厚い雲に覆われ、更に不運なことに、遠くで雷鳴らしきものまで聞こえるような気がする。

背後には大嫌いな毒蜂が、前方にはやはり大嫌いな雨と雷が。

もう一歩も動けない霧人だった。

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