クオータを追い払った後、急いで家に帰ってきたオラトリオを待っていたのは、入室拒否とばかりに、ばっちりと鍵を閉められた自室の扉だった。 あまりにも予想通りの展開に、薄暗い廊下で頭を抱えてしゃがみこむ。やはり怒らせてしまっただろうか。いくらクオータに対して腹が立ったとはいえ、奴のことなど放っといてオラクルを優先すべきだった。特別な夜だ、何があろうともオラクルだけを見ていなければいけなかったのだ。 日頃から繰り返されるオラトリオとクオータの舌戦に、オラクルが辟易していたのは知っている。しかも、よりにもよって、こんな良いムードになっておきながら、結果的にオラトリオはオラクルを放ったらかしてクオータとの口論に向かってしまったのだ。 いい加減呆れられても無理はない。 大して厚くもないドアが、頑丈な壁にさえ思える。 こんなことなら、喧嘩沙汰に持ち込んでクオータのすました顔を一発くらい殴っておくべきだった。 控えめにノックをしてみても、案の定応えはない。すでに眠ってしまっていたとしたら最悪だ。 「もしもーし。オラクルさーん」 我ながら情けない声だ。だが家族が寝静まっている以上、大声を出すわけにもいかない。 「悪かった、開けてくれ。いや開けてください、オラクル様」 これでも無反応だったら、諦めて居間のソファで寝るしかない。 結果は凶と出た。いくら呼びかけても、扉は鉄壁の要塞の如く閉ざされたまま反応は全くない。 これは今の所は潔く諦め、朝にでも機嫌を取るのが最善策だろう。 「仕方ねーか…」 隔てるドアに向かって盛大な溜息をつき、オラトリオは居間へ向かった。 オラトリオの長身ではソファをベッドの代わりにするのは無理がある。長い脚はソファに治まりきれず縁からはみ出し、どうにも窮屈だ。寝返りをうったら、転がり落ちること間違いない。 それでもどうにかソファと折り合いをつけ、体を横たえる。申し訳程度に上着を腹の上にかけ、枕代わりのクッションの角度を何度か直して目を閉じた。 ドアの向こうが静かになったのを確かめてから、オラクルはベッドから抜け出た。 別に大して怒っているわけでもないのだが、ここであまり甘い顔をするのもどうかと思う。 「クオータが相手だと、どうしてああなのかなあ」 常に自分のペースを崩さず、相手を自分の土俵に引き摺り上げるのがオラトリオの常套手段なのだが、どうにもクオータだとそれが上手くいかない。 尤も、オラトリオだけでなくクオータも同じことを感じているだろう。 あの二人、いわゆる同族嫌悪というやつだ。 苦笑しつつ、毛布を手に取る。 さして寒くはない季節だが、それでも何も掛けずに寝ていては風邪を引きかねない。恩赦を下すのはあくまでも朝にするつもりだが、毛布を掛けてやるくらいのことはしておいても良いだろう。 寝入っていることを祈りつつ居間へ向かう。 ちらりと居間の中を窺うと、ソファから伸びている足がまず見えた。静かに近づいて覗き込むと、規則正しい寝息を立てている。起こさないよう細心の注意を払って、ぬくもりの残る毛布を掛けた。 その腕を掴まれるのを、どこかで期待していたのかもしれない。 「お怒りは解けたのか?」 ヴァイオレットの瞳は夜目にも鮮やかだ。 「怒ってないよ…」 「嘘つけ」 「許して欲しい?」 「もちろん」 言いつつ手は早速オラクルのパジャマの中に潜り込んでいる。 「名前…たくさん呼んでくれたら許してあげるよ…」 急に強く引き寄せられた。バランスを崩して倒れる体を、オラトリオの強い腕と厚い胸が受け止めてくれる。 耳元にオラトリオの息がかかる。 くすぐったくて顔を背けようとすると、戒めるように腕の力が増した。 ゆっくりと、媚薬を注ぎ込むようにオラトリオが囁きかける。 「オラクル…」 たったそれだけで、全身が震える。 痺れるような感覚が、神経を伝わって全身にまで飛び火した。 もっと聞きたい、ずっと聞いていたい。そんな思いにかられて、ねだるように頭をオラトリオの肩口に摺り寄せる。 背中に回されていた手が、オラクルの頭を撫でる。 大きくて暖かい手に髪を梳いてもらうと、眠りにおちてしまう程心地よい。 うっとりと目を閉じると、また囁かれる。 「オラクル」 「もっと…」 「オラクル」 「足りない」 そう言って、オラトリオの耳朶に舌を這わせる。 緩く噛むと、髪を梳くオラトリオの手が止まった。 「オラクル」 密着した下肢にオラトリオの熱を感じる。 オラトリオもまたオラクルの熱を感じているのだろう。 「お前の声、すごく…」 「すごく…何だ?」 答えようとすると、口付けで塞がれた。 「んぅ…っ」 誘うように口を開くと、舌を絡め取られて激しく翻弄される。 いつの間にかオラクルの体のラインを辿っていた手が、シャツを引きずり上げていった。 背中を彷徨う手を引き剥がそうとすると、ますます深く口付けられて、頭の中が真っ白になる。 「オ…オラトリオ」 「暴れると落ちるぞ」 改めて自分達の状況を思い出す。 狭いソファの上、オラクルはオラトリオを下敷きに折り重なるような状態になっている。 少しでもバランスを崩すと、二人揃って床に落ちかねない。 「大人しくしてろな」 嫌に楽しげにオラトリオが言う。 下から伸びた手が、ズボンの上から双丘を撫でた。 その感触に流されそうになりながら、オラクルはオラトリオを見つめる。 こんなふうにオラトリオを見下ろすことは滅多にない。オラトリオの方が背も高いし、情交の際はオラトリオが伸し掛かってくることが圧倒的に多い。必然的に常にオラトリオを見上げる形となっている。 こうして見下ろしてみると、見慣れないせいか不思議な感覚を覚える。 少し悪戯心を出してみた。 オラトリオの首筋に顔を埋めて、唇を滑らす。 怪訝な表情をするオラトリオに構わず、そのまま徐々に位置をずらしていき、シャツのボタンを口で外した。 「おい…」 「ん…」 表れた熱い胸板に、猫のように体を擦り付ける。 手で肌の感触を楽しみながら、唇を落とした。 舌で転がすように胸の突起をねぶると、オラトリオの手が肩に添えられる。遮ろうとする力は込められていない。 オラクルは構わず行為を続けた。 「名前、呼んで…よ」 僅かに唇を離してオラトリオの様子を窺う。 オラトリオの、その口許に笑みを認めた途端、強い力で引き擦り上げられた。 「つっ…、ぅん」 「お前の誕生日だってのに、俺がサービスしてもらっちゃ間違ってるだろ?」 実際は日付がもう変わっているのだが、夜が明けるまでは許容範囲というつもりなのだろう。 巧みに体勢を変えられる。オラトリオの体を跨ぐ格好で、膝を立てさせられた。不安定になる上体を、ソファの肘掛に手をつくことでようやく支える。 丁度オラトリオの目の前に、自分の中枢が来てしまう格好だ。 オラトリオが何を意図しているかは分かっていたが、オラクルは素直にそれに従った。 焦らすように、肌を覆う薄い布をゆっくりと取り払われる。 膝の辺りで絡みつく布が鬱陶しい。オラトリオが目で促すのを感じ取って、オラクルは自ら足を上げてオラトリオの目的を助けた。 「く…っ」 快楽の中心にオラトリオの手が掛かる。 既に反応を見せているそれを、熱を楽しむように何度も扱き始めた。 「ああっ、あっ…」 「おい、腰を引くなって」 「そんな…こと、い…った…って」 「オラクル」 宥めるように、甘い声で囁かれた。巧みに蠢く手の動きと相まって、膝が砕けてしまいそうになる。 先端から溢れ始めた雫はオラトリオの手を濡らし、その動きをますますいやらしいものにさせている。強く扱かれる度に、反射的に腰を引いてしまうオラクルに苦笑を漏らして、オラトリオは片手をオラクルの背後へと移動させた。 「んっ…」 双丘の間を何度か確かめるように往復した手は、一番奥まったその場所を暴き出し、ゆっくりと侵入した。 「あ…っ、あ…は…っ」 やんわりと内部を掻き回される感触に、オラクルは耐えるように拳を握り締めた。 更に奥まで潜り込もうとする指は2本に増やされ、激しい動きを見せ始める。堪らずその愛撫から逃げようとすると、今度は勃ち上がって蜜を流すそれを捕らえられ口腔に含まれた。 「あっ…やだ、オラ…ト」 前からも後ろからも同時に攻めたてられて、オラクルは完全に逃げ場を失った。 腰を引けば淫らに蠢く長い指がより深みを突き、かといって指の蹂躙を避けようとすれば、オラトリオに更なる口技をねだるような形となる。 「も…やめ、や…っだ…め」 膝が崩れそうになる。全身の熱がそこに集まった。 絶頂を極めるのを促すかのように、オラトリオの愛撫が激しさを増す。一際強く吸い上げられ、指先がある一点を集中的に抉った。 「―――――――――っ」 「朝まで部屋に入れてやらないつもりだったんだけどね」 「へいへい、感謝してますって。その分サービスするからさ」 「そうじゃなくて…」 潤んだ瞳でオラトリオを見つめ、僅かに拗ねた物言いをするオラクルを、丁重にベッドへと降ろしオラトリオは部屋の扉を閉め鍵を掛けた。 一度達して半分放心状態にあるオラクルは、すらりとした四肢をシーツの上に投げ出し、一糸纏わぬ姿で寝そべっている。その警戒心のなさが更なる快楽を待っているように見えてしまうのだが、恐らく本人はそれを自覚してはいない。 艶かしく上気した肌と濡れた下肢に、オラトリオの視線が吸い付いた。 はやる気持ちと自分の肉体を宥めて、オラクルの上に伸し掛かる。伸びてきた腕がオラトリオの首に巻き付き軽く引いた。 「オラトリオ…」 「んー?」 「お前、自分の誕生日には何が欲しい?」 「そうだな…」 緩く上下する胸元に口付ける。色づいた突起に舌を這わせると、首に巻かれていた腕がオラトリオの頭を掻き抱いた。 「考えとく。今はお前のこと以外頭に入らねぇよ」 「う…ん」 曖昧な返答に、オラクルは不満げな声を出したがそれ以上の追究を止めた。今すぐに思いつかないのももっともなことだ。オラトリオの体も熱い。見かけ程余裕があるわけではないだろう。 緩く閉じていた両足を撫で上げられ、オラクルは意を察してゆっくりと脚を開き己を晒した。既に慣らされているその箇所は、不規則にヒクついて強い刺激を求めている。 もっと熱いものが欲しい。 思う様突き上げられ、貫かれたい。 オラトリオが自分だけのものになる瞬間、そして自分の全てがオラトリオのものになる瞬間、常に引き合うものが完全に一つになる刹那、その蕩けるような心地よさは、他の何からも得られるものではない。 「は…やく」 最上ともいえる甘美な味を知った肉体は、貪欲にそれを求める。 オラクルは待ちきれないといったふうに、オラトリオに腰を密着させた。自分がどれだけ大胆なことをしているかは理解している。羞恥を感じないと言えば嘘になるが、そんなことが他愛の無いことと切り捨ててしまえる程、オラクルはオラトリオを望んでいた。 「オラクル」 囁かれる声にすら、全身が戦慄く。 「オラクル…」 「…あ…っ?」 熱と肉欲に浮かされた脳髄に、ふいに流れ込んできた音律にオラクルは目を見開いた。つい先程にも聞いた曲だ。切なくそれでいて厳かに紡がれる言霊。 公園で聞いた、畏怖さえ抱かせる歌とは違い、声量を抑えた掠れがちの声が余計に官能を掻き立てる。 「オラトリオ…っ」 もっと聞いていたい、だがこのままでは自分自身が保てない。 頭の中はもっと聞いていたいと訴えている。しかし既に十分に煽られ火照った体は、紡がれる単語の一つ一つにも過敏に反応し、行き先を求める熱がオラクル自身を苛む。どうにかなってしまいそうだった。 上体を起こしてオラトリオの逞しい体躯に縋り付く。オラクルは自分の唇で、天上の調べごとオラトリオの唇を奪った。 「ん…ふ、オラトリオ…っ、お願…だか…ら」 「へえ、歌で感じるってのは新発見だな」 「バカ…っ」 そういう時に歌うような曲ではないはずだ。本来は神の御前にあって、神を賛美するための歌だろう。抗議しようと口を開いたものの、オラクルの唇を割って滑り出たものは小さな嬌声だった。 オラトリオの手がオラクルの脚を掬い上げる。 「んぅ―――――――――っ」 ぬめったそこに熱い圧力を感じる。何度か確かめるように小刻みな律動を繰り返した後、一気に奥まで貫かれた。 「あっ…あ、ああ…っは…ぁ」 オラトリオが動き始めた。ゆっくりと引いて強く突き上げる。 ベッドが耳障りな音を立てて軋み、オラトリオが腰を打ち付ける度にシーツが卑猥な絵を描き出した。 口を突いて出てしまう声を抑えることもできない。繋がった箇所からひっきりなしに淫らな音が漏れ、耳からも犯されているような錯覚さえ覚える。 肩に抱え上げられた脚がゆらゆらと揺れた。最奥を抉る度にオラクルは無意識のうちにオラトリオを締め付け、その刺激によって自らの熱もまた高めていく。 何も考えられない。 頭の中が目の前にいる男の存在だけで占められる。 「オ…ラトリ…オ」 うわ言のように漏れる自分の声が遠くに聞こえた。 「もう…ダメ…か?」 何を言われても悦楽に蕩けた頭は理解しない。訳も分からないままオラクルはオラトリオの名を呼びながら何度も頷いた。 「…っく」 「ひっあ…っ、―――――――っ」 安らかな寝息を立てているオラクルを見下ろし、オラトリオは灰を落とさないよう神経を使いながらオラクルの頭を撫でた。すっかり寝入っているオラクルは瞼に微細な動きを見せたが、それでも起きる気配はない。 短くなった煙草を灰皿に押し付ける。1本だけと思って取り出した煙草だが、気がつくと箱の中身は既に3本も減っていた。明日の朝、嫌煙家のオラクルから文句の一つも言われるかもしれない。 幸せそうな夢の吐息を聞いていると、つい自分もうとうとしてしまいそうになるが、ここで眠るわけにはいかなかった。今眠ってしまったら、間違いなく寝坊する。 そうなればシグナルには不平を言われ、ラヴェンダーからは鉄拳か蹴りのどちらか、或いは両方いただくことになるかもしれない。 そんな確実な予測のもとに徹夜の道を選択したのだが、目の前でぐっすり睡眠を貪っている者がいるとつられてしまいそうになる。 「…ちっ」 規則的な寝息は魔の誘惑であった。 「あー…そういや、誕生日のプレゼント何がいいかって言ってたっけな」 とりあえず眠気を誤魔化すためのネタを思いつき、オラトリオはその思考に神経を集中させることにした。 本音を言えば、それこそオラクルがリボンでもつけてベッドで待っていてくれれば十分満足なのだが、正直にそれを伝えれば当人は怒るだろうし、自分の品格も地に落とすことになる。 無論そんな馬鹿な真似をするつもりは毛頭ないが、その光景を想像してみるのは結構楽しいものがある。丁度良い眠気覚ましだ。だが、想像してみればやりたくなるものである。 「気持ち良さそうに寝てるよなー」 苦笑しつつ呟く。据え膳とばかりに目の前で寝ているオラクルを前に、今度はオラトリオは自分の欲とも戦わなければならなくなった。 時計の針はまだ4時。 オラトリオの、睡魔と淫魔との格闘は2時間に及ぶこととなる。 |