「…あれ?」
「なに」
「ううん、なんでもない」

緩やかに首を振った悟史を圭一は小さく睨みつけた。
中途半端に隠されるとなんだかイライラっとするんだけど?
呟いてからむすっと頬を膨らませた圭一を見て、悟史が口元に手をやって小さく苦笑した。
一旦気になりだしたら、後々まで響いてくる圭一の性格を知っているからだ。
本当に大したことではないんだけど…
小さく前置きをしてから、悟史は手に持っていた腕時計を圭一の目の前に掲げた。

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「止まっちゃったみたい」

小さく苦笑すれば、圭一が覗き込んでくる。
柔らかい髪が微かに頬をなぶり、広がってくる陽の香りと共になんだかくすぐったく感じられた。
圭一はいつもお日様の匂いがする。
それは単にきちんと干された布団の匂いなのかもしれないし、寝汚いと評判の圭一が自分といる時に限って先に起きてるからなのかもしれない。
理由は分からないけれど、悟史は圭一らしくていいなぁ、と常々思っている。
そんな脇にずれたどうでも良いことへと飛びがちな意識を慌てて引き戻す。
圭一は真剣な表情で、時計と睨めっこを始めていた。

「お前、何かしたんじゃねぇの?」
「なにもしてないよ」

昨日の夜、うっかりと変な場所においてしまったのか床に落ちていたけれど、そんな衝撃で壊れるような代物ではないはずだ。
無骨なデザインの銀時計は自分の趣味でもないし、子供の小遣いで買えるような安物ではない。 元々は最後の父親が愛好していたのを無断で拝借して、そのまま使っているものなのだ。
普通の時計よりも丈夫だし滅多なことで壊れない、と豪語していた事をよく覚えている。

「おかしいなぁ…修理ださないと」
「なんか、思い出の品だったり?」

珍しく大事にしてるから。
と不思議そうに首を傾げる圭一の額を悟史は小突いた。
意外に思われるかもしれないが、悟史はあまり物持ちのいい方ではない。
幼い時分から引っ越しや離婚再婚やらの区切りをつける機会が多く、前の家族との思い出の品を新しい家族に持っていくことなどできなかったから、物への執着がないのだ。と自分では思っているのだけれど、親友に伝えた時は「単にお前がぼーっとしてるからだろ」と一蹴された。
そんな悟史が珍しく、肌身離さず使っているのがこの時計。
圭一でなくても、疑問に思うのは不思議なことではない。

「最新のお父さんの、婚約時計なんだよね」

最新の。という人物に対しては似つかわしくない形容詞に圭一が眉を潜めたが、悟史はそれに気付かずにぼんやりと文字盤をなぞる。
全く自慢にはならないが、母親は結婚指輪を貰い慣れている人だった。
だから、彼なりの工夫の結果だったのだろう。
一風変わった婚約の品だな、と笑った圭一に悟史は小さく頷く。

「これからの時を、一緒に過ごそうって、意味だったらしいよ?」
「ひゅー、ロマンチックじゃん」
「あんな怖い顔してるのにね」
「いや、顔知らないから」
「叔父さんに似てるよ?」
「うわ…」

北条鉄平の顔を思い出したのか、圭一がうげぇと表情を歪める。
あの顔が、ロマンチックな台詞をと思うと悟史はそれだけで笑えてしまう。
けれど、圭一には笑いよりも気持ち悪さの方が先に立つようで顔が少しだけ青ざめている。
右手が少しだけ震えてるのが目の端に映って、思わず吹き出してしまう。

「笑うなよ!」
「人の親で震える方が失礼、いい人なのに」
「…う…」
「ちなみに、義父さんのパジャマはピンクのゾウさんです」

圭一が口元を押さえて、うつむいた。
……よく見れば肩が小刻みに震えている。
どうやら想像してしまったらしい。
圭一の想像力は物凄いことを悟史は知っている。
うん、だから敢えてそんな言葉を呟いたのだけれど…どうやら思っていた以上にツボにはまってくれたようだ。というか、なんか申し訳なく思えてくるほどに震えている。多分、笑いすぎでなのだろう。

「えっと…けいい…」
「…わざと笑わそうとしてるだろお前!」

恐る恐るかけた言葉は、笑いながらの怒鳴り声にかき消されて消えた。
ひとしきり笑った後、圭一は怒ったように振りあげた右手をおろして悟史の手から銀時計をさらっていく。

「ちょっと貸してみ、俺こーゆーの得意」
「よく、物を壊すから?」
「……否定はしないが、覚えてろよ?」

軽く茶化すように、小突いてから圭一は手元の時計に集中を始める。
ちょっと手持無沙汰なので、その背中に寄りかかってみる。多分、邪魔になるほどではないだろう。
圭一の体温は少しだけ高めで、とても落ち着く。
直接言ったことはないけれど、伝わっているかもしれない。
伝わって、いたらいい。

「…気持ちが形に残るっていいよね」

永遠なんてないけれど、証拠が残る。
いつもは上書きされて、すぐになくなってしまうのだけれど、今回はちゃんと残っている。
あの人たちが愛し合った証が、いなくなった後でも残っている。
その貴重さと、凄さを自分は知っていた。だから、ちゃんと大切に保管していたつもりなのに……
…物持ちの悪い人間は、死ぬまでものを大切に出来ないのかもしれない…
軽い自己嫌悪と闘っていると、少しだけ間の抜けた圭一の声が響き渡った。

「あ」
「……え?」

驚いて圭一の手元を覗きこめば

「動いてる……」

時計は、淡々と時を刻んでいた。
昨日までのように。本来の持ち主の腕におさまっていた時のように…

「圭一、凄いね」
「馬鹿…ビスを摘んだり、押したり、回したりしただけなんだけど?」

普通、時計が止まったらそこだろう?
少しだけ揶揄するように圭一が笑った。
その笑い方は、妙に大人びていて少しだけ、悔しい
ぽん、と手渡された時計をいつも通りに手首に巻いてから、圭一の服の袖を少しだけ引いて笑い掛ける。

「なんか、今度買いに行こう」
「何を?」
「なんでもいいよ、記念品」
「お前すぐものなくすじゃん…」
「だいじょぶ、今度はきっと平気」

少しだけ意地になって語勢を強めれば、少しだけ考え込むしぐさの後に、小さく圭一は笑った。

「ま、なくすたびに買い直すというのも風情があるけどな」
「圭一……それ、馬鹿にしてるだろ?」
「当たり前だばぁーか!」







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