「分かったわ。じゃあ昼に、空港でね、ルパン」
通話は一分も経たない内に終わった。もしかしたらその半分も掛かっていなかったかもしれない。通話の相手も不二子も、電話で長話をするには少し、疲れすぎていた。
車は早朝の静まり返った道路を真っ直ぐに流していた。隣から次元の鼻歌が聞こえる。走りすぎた足元が重くて、だるい。不二子は身の入らない動作で、メタリックピンクの最新型携帯を、足元の鞄にぼとんと落下させた。本革素材のその鞄は、中途半端な位置に落とされた携帯をじわじわと内部に滑り込ませていく。不二子はそれを、あと何秒で入るのかしら、と他人事でぼんやりと見ていた。
だから、鈍色のフィアットが目的もなしに道路の中途半端な位置で急に停止したのに気付いても反応は鈍く、不二子がふたたび言葉を発するのには、およそ五秒ぐらいかかった。
「……なにやってんのよ」
「いい眺めだな」
不二子は怪訝な顔つきで、いま自分たちの停止している位置から、車外の風景をぐるりと見渡した。運動着で走る中年、犬を連れて散歩する初老の男、自転車のかごに牛乳を詰めこんだ配達夫。道路には罰金対象駐車をする車が点点とあるだけで、エンジンをかけた車は一台も見当たらない。
いい眺め?
「…どこが?」
「こういう景色はなかなかお目に掛かれるもんじゃねえ」
ごく真面目に『いい眺め』を珍しがる次元を不可解そうに見つめたあとで、この男ときたら何でいつもいきなり私の虫の居所を悪くさせるような事言い出すのかしらと思いつつ、不二子は溜息とともに台詞をなんとか押し出した。
「ばかなこと言ってないで。さっさと空港に行ってよね」
不二子の気を更に逆撫でするように、次元はゆったりと背広の内ポケットからペルメルを一本取り出してマッチを擦った。安い酒場の湿気たマッチは、いくら擦っても着く気配を見せない。じれったくなり、不二子は自分の鞄から、ラインストーン入りの美しい細工のライターを出して、次元に向けた。
「悪ぃな」
「そう思うなら、早く車を動かしてってば」
「いいだろうが別に、のんびりしたって。急いでるわけじゃあるめえし」
「急ぐのよ! 私は早く空港に着いて眠りたいの! 足がもうパンパンなの!」
右手でライターを握り締めたまま、不二子は絶叫に近い声で憎々しげに自分の足をばしばしと叩いた。群青色のスカートからのぞく、美しい陶器のように手入れされた両脚は、とても乳酸漬けとは思えないほど長くすらりと伸びている。だが目の下には、見慣れない深いくまが出来ていた。よくよく見るとアイシャドウだと思っていたその眼の周りの黒ずみは、汗で落ちたマスカラだ。
「そんなに疲れてんなら、今寝ればいいだろうが。起こすぐらいはしてやるよ」
「冗談よしてよ。隣にいるのがあんたじゃ、不安で眠れたもんじゃないわ」
「意識過剰も大概にしろ」
「それどういう意味よ?!」
更に怒りを募らせる不二子は無視して、次元は半ば呆れた気持ちでハンドルを切った。
不二子は暫く腕を組んで次元を睨みつけていたが、やがて怒る事にも疲れたのか、コンパクトを取り出して目の下に念入りにコンシーラーを塗り始めるのだった。
「…んな事やったって、誰も見ねぇよ」
「おばかさん、女はね。いつ宝石を引き連れた王子様に会えるとも限らないのよ」
「そらあ、ご苦労なこったな」
次元は、咥えている煙草の最期の煙を細く吐き出しながら、疲れきったような声音で囁くように言う。それはもう耳を貸さず、不二子はそっぽを向いてついに黙りこくり、エンジンの音に耳を澄ませ、重たい瞼を朝の冷たい空気に晒す。
沈黙を破らないままで、やがて短い煙草が音もなく転がって排水溝に落ちた。
ふたりの頬を、遠い空から、空橙の雲をともなった陽が照らしていた。
glow
PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store 無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル
|